第100話

 洞窟に轟き渡り、紺碧の壁を突き崩さんがごとき強烈な咆哮だった。
 恐るべき速度で地を蹴り、その巨体の全体重をぶつけようと迫る魔物を、フェリオはかろうじて回避した。魔物は怒りの形相で振り返る。忌々しげに歪んだ口から、震える怒声が漏れ出ている。
「やれやれ……面倒なのが出てきたな」
 額に汗を浮かべながら、フェリオは銃を構えた。こちらは3人。攻撃よりも、彼は敵の動きを奪うことを優先した。組み替えたのは、麻酔銃だ。
「じっとしてろ」
 軽妙な音を上げて、麻酔弾が3発続けて射出された。麻酔弾は水のマナを切り裂いて飛ぶ。
 だが魔物に届く寸前、その空を切る麻酔弾の音に、敵は気づいた。恐るべき瞬発力で地を蹴り、魔物は跳躍して彼の攻撃を回避した。
 魔物はこちらを正面から見ることが出来るように空中で体勢を変えて着地した。そこにサリナが、裂帛の気合と共に接近していた。
 鳳龍棍の両端に描かれた金色の炎が、残像となって美しい光を放った。それは紺碧の光の中で凄惨な輝きとなり、魔物を討ち取るべく鋭く振るわれた。
 魔物はサリナのその神速の連撃を、長く伸びた爪で防御した。魔物は素早く、サリナの攻撃にも十分に対応してみせた。歯を食いしばり、サリナは一旦魔物と距離を取った。
 そこにシスララが天井を蹴って急降下した。オベリスクランスと一体化した彼女の、多くの魔物を沈めてきた必殺の一撃が放たれた。サリナが離れてから瞬きする間も無い攻撃だった。更に、横からはソレイユが空を切る体当たりを仕掛けていた。
 しかし魔物は、驚異的な反応速度でシスララとソレイユ、両方の攻撃に対応してみせた。シスララの攻撃は、脚の腱が切れるのではと思わせるほどの瞬間的な体重移動と跳躍で回避し、ソレイユの攻撃はサリナの時と同じように、長い爪を身体の前で交差させて守りとした。
 3人は攻撃を完全に防がれ、攻略の作戦を練るべくひと所に集まった。魔物は低く唸りを上げながら、油断無くこちらの様子を窺っている。
 巨躯を誇る紺碧の大猿。それが魔物の姿だった。隆々と発達した筋肉に両手の長い爪、強靭な膂力。それらが破壊力に転換され、魔物の強さとなっている。そしてどうやら間違い無く、この魔物はあの、3匹で氷柱コンビネーションを炸裂させた猿たちの親だった。
「怒ってるねえ……」
 魔物の形相に、額から汗をひと筋垂らしたサリナが呟いた。明らかに魔物は怒っていた。唇をめくれ上がらせ、鋭い歯と牙をむき出しにしてこちらを威嚇している。
「ああ。仕方無いことだけどな」
「気づいたのでしょうね……私たちに」
 あの3匹の猿たちの匂いでも嗅ぎつけたのか、大猿はサリナたちを見るなり襲いかかってきた。それも、尋常ではなく興奮した様子で。サリナには、それがマナの暴走によって気が立っているだけには見えなかった。
 そんな魔物の様子に、サリナは密かに胸を痛めていた。
「サリナ、気にする必要は無い」
 それに、フェリオは気づいたようだった。驚いて、サリナは彼のほうを見た。その涼やかな灰色の髪に紺碧の光を反射させ、ガンナーは大猿を見つめている。
「あの3匹は俺たちを襲ってきた。俺たちは降りかかる火の粉を払っただけだ。罪の意識を持っていたら……やられるぞ」
「……うん」
 傍らでのそんなやり取りに、シスララはふたりに悟られないように、目は厳しく魔物を観察しながらも、僅かに頬を緩めた。サリナの優しい心が嬉しかった。武の道を進む者からは甘さとして断ぜられるかもしれないその優しさに、シスララは心を惹かれる。
「あの大猿は、どうやらこの異常の元凶じゃないな」
「え?」
 フェリオの言葉に、サリナとシスララは驚きを隠さない。ふたりはこの強力な魔物が、幻獣シヴァの御座に異常をもたらした者だと考えていた。
「そんなことを出来る頭を持ってると思うか? あいつが」
 少し面白がるような調子のフェリオの言葉に、ふたりは魔物に目を戻す。こちらに襲いかかる隙を狙っている大猿は、むき出しの牙の間から涎を垂らしている。
 確かに、とサリナは胸中で呟いた。カーバンクルを捕らえた邪悪な蜥蜴の魔導師は、人語を操った。狡猾な頭脳を持ち、サリナたちは手を焼いた。
 それに対して、今目の前で猛り狂う大猿は、ただ怒りと本能のままに力を振るう存在に見えた。
「さっさと倒して、先に進もう。まだ調べるところは多いんだ」
 フェリオの言葉に頷いて、サリナとシスララはそれぞれの武器を握り直した。
 初めに、フェリオの銃が火を噴いた。雷のマナを纏った長銃の弾丸。高性能火薬を使った弾丸は紺碧の光を切り裂いて飛ぶ。
 だが、同時に魔物もその強靭な脚の筋力を活かして前へ飛び出していた。標的となったのはサリナだった。3人の中で最も小柄な彼女を、大猿は最も組み伏せやすしと考えたのだろうか。凍る洞窟の地面を砕きながら、大猿はサリナへと一直線に突進した。
 それを、サリナは敢えて激突のぎりぎりまで回避しなかった。フェリオとシスララのふたりは、素早く左右に散開した。ふたりが攻撃するための隙を、大猿に生ませるためだった。
 激突の瞬間、大猿は右腕を振り上げた。突進の勢いを合わせて、その長い爪でサリナを一気に葬ろうとした。
 だが、サリナはその前にマナを解放していた。赤い陽炎を立ち昇らせ、サリナは目にも留まらぬ速さで大猿の攻撃を回避した。真紅に染まる彼女の瞳に、大猿の動きはスローモーションのように映った。
 回避してすぐ、サリナはマナを元に戻した。そのままで戦うには、まだ先が長すぎる。シヴァの許にたどり着き、異変の元凶を突き止めるまで、力を抑えて疲労を避けなければならなかった。
「はああああっ!」
 大きく声を上げて、シスララが大猿に向けて走った。彼女はいつものような、ソレイユの力を借りての急降下攻撃はしなかった。ソレイユは主人が走り出すと同時に飛び、甲高い咆哮を上げて大猿の顔面に向け、突撃した。
 大猿は顔の前で視界を遮るように舞うソレイユを鬱陶しそうに払い除けようとしたが、その時には既にシスララが距離を詰めて迫っていた。シスララは全体重を載せたオベリスクランスのひと突きを繰り出した。
 視界を奪われた大猿は、シスララの攻撃をその脚に受けて悲鳴を上げた。暴れる猿から、ソレイユが素早く離れる。シスララは更に攻撃を加えようとしたが、激痛に暴れる猿に危険を感じ、その場を離れた。
 そこへ、猿の背中からフェリオが二丁拳銃による弾丸の連射を浴びせた。雷のマナを纏った小さな弾丸が、いくつも大猿の背中に撃ち込まれ、大きなダメージを与えた。
 大猿は怒りの声を上げながら振り返り、フェリオに向かって突進した。その分厚い筋肉で、フェリオの弾丸を内臓に達する前に食い止めたらしい。恐ろしいまでの強靭な肉体に、フェリオは舌打ちをした。
 フェリオは大猿の攻撃を回避しようと、その場から離れた。しかしその先で、彼は足元に打ち込まれた鋭い氷柱に驚き、動きを止めた。
「なにっ!?」
 そこには、あの氷柱を投げて攻撃する青い猿の群れがいた。いつの間にか、親が召集していたらしい。先ほどの咆哮がその合図だったのか。気づかなかった自分を呪いながら、フェリオは二丁拳銃での掃射をしようとした。
「フェリオさん!」
 シスララの警告の声が聞こえた。フェリオはそれに素早く反応したが、その時には既に、背中で大猿がその両腕を振り上げていた。
「させない!」
 そこへサリナが舞い込んだ。彼女はマナを解放し、大猿の横腹に輝く鳳龍棍で強烈な一撃を叩き込んだ。魔物の骨の砕ける感触。大猿は大きな悲鳴を上げ、脇腹を押さえて倒れた。
 だが、それに怒った猿の群れが、一斉に氷柱を投げつけ始めた。今度はさきほどとは違い、猿たちは大勢いる。コンビネーションを組むまでもなく、猿たちは各々で天井から氷柱を調達し、こちらへ投げた。次から次へと、絶え間なく氷柱が飛んでくる。サリナたちは大猿に留めを刺すのを阻まれて歯噛みした。これでは近づけない。
「くそっ……」
 なんとか氷柱を回避しながら、フェリオは憎々しげに呻く。これだけの手数、避けるのにも体力に限界がある。もつれそうになる足に苛立ちながら、彼は身を低くしながらも、なんとか猿の群れを粛清しようと、二丁拳銃を構えた。
 だが、目の前には氷柱の雨が降り注ごうとしていた。
「フェリオーーーー!」
 サリナの声が聞こえた。世界が遅く見えた。氷柱の雨は、弧を描いて彼に降り注ごうとしていた。彼は、まだ上がり切らない自分の腕の鈍さにうんざりしながら、その猿たちの怒りの篭った、無慈悲に光る死の氷を見つめていた。
「騎士の紋章よ!」
 しゃがんだ彼の前で、大きな光の盾が開かれた。その守りの力は、彼の身に降り注ごうとした災厄をことごとく遮断した。光に触れて、氷柱の雨は全て砕けた。
 そして彼の後ろから、いくつもの雷撃が飛んだ。網のように大きく広がった雷の力は、群れて猛る紺碧の猿を一挙に黙らせた。その身を焦がして、猿どもは地に伏し、残った者は悲鳴を上げて足を竦ませた。
「よお、どうしたフェリオ。つまずいたか?」
 その声に、フェリオは振り返った。そこには、にやにやした笑いを浮かべる、赤毛の兄がいた。
「……ああ。そこの氷でな。兄さんも気をつけろよ」
「おう。俺ぁ運動神経良いからな。心配すんな」
 そう言って、カインはフェリオに手を差し伸べた。フェリオは小さく笑って、その手を取った。
「大丈夫ですか、3人とも」
 冷静なセリオルの声に、フェリオは立ち上がって頷いた。盾を下ろしたアーネスが剣を抜く。クロイスはフェリオの隣りに立ち、残った猿の群れに雷の矢を射った。サリナとシスララ、ソレイユも近くへ集まる。
「さあて、そんじゃあ愚かにもうちの弟の大切な場所を根城にしやがったあいつらを、こっから追ん出すとするか」
 カインの言葉を合図に、7人はそれぞれの武器を構えて魔物の群れと向き合った。
 小猿たちはさきほどの雷撃の雨の恐怖から身体を縮めていたが、そこへ立ち上がった大猿の咆哮があり、彼らは戦意を取り戻したようだった。
「愚者よ見よ、その目が映すは我の残り香――ブリンク!」
「花天の舞・オーラジグ!」
「魔の理。力の翼。練金の釜! マイティガード!」
 白魔法、マナの舞、調合によって自分たちの戦闘能力を強化し、サリナたちは地を蹴った。同時に、猿の群れもこちらへ走り始めた。
 数では圧倒的に魔物たちのほうに分があった。しかし、個々の能力が比較にならなかった。
 シスララはソレイユと鮮やかな連携を取りながら、オベリスクランスで次々に小猿を制した。飛竜に撹乱された猿たちは、シスララの攻撃を無防備に受けて倒れた。
 ブルーティッシュボルトは飛来する氷柱を容易く防ぎ、アーネスはその影から鋭い斬撃を繰り出した。王国の剣は天狼玉の煌く刃となって、紺碧の猿を襲った。
 クロイスはバタフライエッジの両刃で小猿を吹き飛ばし、そこへ素早く雷の矢を雨のように降らした。小猿どもは悲鳴を上げて逃げ惑ったが、彼の矢は正確に狙いを射抜いた。
 二丁拳銃からは雷の弾が無数に発射され、それらは大気を焦げ付かせながら紺碧の猿を打ちのめした。銃口から漂う煙をふっと吹いて、フェリオはそれを長銃に組み替えた。
 カインの放つ青魔法は、一見見当違いな方向に飛んだようだった。しかしそれによって崩された洞窟の岩壁が猿の群れに降りかかり、そこへ更なる雷撃が加えられた。
 雷光の魔法によって、セリオルはその場から1歩も動くことなく猿の群れを翻弄した。そのマナの力は魔物を恐怖させた。それでも勇敢に氷柱を投げた猿の攻撃は、しかし黒魔導師の雷光によっていとも簡単に水蒸気と化した。
 サリナは脚を傷付けた大猿と対峙した。大猿は怒りに全身の毛を逆立たせ、凶悪な形相で口から湯気を上げていた。いや――それは蒸気ではなく、冷気だ。冷やされた極低温の空気が、魔物の口から漏れていた。
 その瞬間、サリナは素早く横に跳躍してその攻撃を回避した。驚くべきことに、紺碧の大猿はその口を大きく開き、そこから強烈な風圧の吹雪を吐き出した。身体の中がどんな構造になっているのか、魔物はマナの力を口から放った。
 あんなものを受けては防寒着も意味を成さないだろう。まだこの先に待ち受けるものがあるのに、そんな事態を招くわけにはいかない。サリナは短期決戦を決意し、瞬間的にマナを解放した。
 足元から真紅のマナが立ち昇る。陽炎のように揺らめく力を纏って、サリナは地を蹴った。
 人間を遥かに上回るはずの大猿の反応速度でも、サリナの動きを認知することは出来なかった。サリナは消えたと思った瞬間には、もう大猿の懐に入り込んでいた。大猿は戦いてその場から離れようとしたが、脚の痛みがその動きを阻んだ。思わず悲鳴を上げて、それでも大猿はそこから逃げようと身をよじった。
 だが、そこに雷の弾丸と矢が飛んできて、魔物の身体を感電させた。全身を駆け抜ける激痛に、大猿の悲鳴が上がる。
 そして、サリナの岩をも砕くマナの一撃が放たれた。放出されたマナの衝撃も加わり、大猿の身体が吹き飛んで岩壁に激突した。
「よし、やった!」
 クロイスが拳を握る。彼は勝利を確信し、その拳を突き上げた。
「クロイス、下がれ!」
 だが、カインの警告の声が飛んだ。驚いて、クロイスは振り返った。カインが腕を振り、その場を離れるよう指示していた。慌てて彼はその場から離れた。大猿を振り返る。
 魔物は大きく口を開き、地面に両手をついたままで、その口から強烈な吹雪を吐いた。間一髪、クロイスはそれを回避した。カインの警告がほんの少しでも遅ければ、彼はその攻撃の餌食になっていただろう。
「迸れ、大気を焦がす稲妻よ。その身で受けよ、雷帝の抱擁――サンダラ!」
 セリオルの雷光の魔法が放たれた。強力な雷のマナが飛び、大猿の身体を焦がす。大猿は弱々しい声を上げて倒れた。
「いただき!」
 そこへ、カインが獣ノ鎖を伸ばした。伸縮自在の鞭は大猿に巻きつき、それを炎へと変えた。青白い炎は獣ノ箱に導かれ、カインは紺碧の大猿を自らの力として獲得した。彼がほくほく顔で腰にぶら下げた獣ノ箱の数が随分増えているのに、サリナは気づいた。どうやら彼は、小猿たちも捕らえていたらしい。
「ありがとう、みんな。助かったよ」
 礼を言って、フェリオは息をついた。銃をしまう。
「無事で良かったわ」
 アーネスの微笑みに、フェリオは頷いて答えた。なかなか手ごわい相手だったが、7人とも大した傷は負っていなかった。
「はっはっは。クロイスくん、油断はいかんよ油断は」
「うっせーなー! 黙れ!」
「はっはっは」
 カインとクロイスはいつものやりとりを始める。そして自分たちを見て楽しそうに笑うサリナに目を遣って、ふたりはぴたりと固まった。
 フェリオとシスララの予想どおり、サリナの帽子と手袋は、カインやクロイスを大いに楽しませた。ふたりはひととおりからかい、実に楽しそうに笑ってサリナの顔を真っ赤にさせた。セリオルとアーネスも苦笑を禁じえず、カインとクロイスを制止することが出来なかった。
 仲間たちに背を向け、帽子と手袋のクマさんが彼らの目に入らぬようになんとか隠す方法が無いものかと苦心するうち、サリナは気づいた。
「あ……」
 カインナイトの鉱床。フェリオが苦労の末に発見したというその貴重な鉱石の採掘場所となるはずのこの場所が、戦闘の影響でかなり傷んでしまった。紺碧の水晶は砕け、壁には攻撃の跡がつき、瓦礫となって崩れた場所もある。
「気にしないでくれ、サリナ」
 背後から聞こえたフェリオの声に、サリナは振り返った。フェリオは笑っていた。
「鉱石はこんな表面には大して無い。重要なのはこの中だ。これくらいの傷じゃ、どうにもならないよ」
「うん……そっか。よかった」
 そう言って、サリナは笑った。
 セリオルは、その場所を興味深げに観察して回った。竜王褒章を生んだ場所。研究者として、彼も関心を抱くことを禁じ得なかったのだろう。
「とても深く、温かなマナを感じますね……こんなに寒くて、冷たい鉱石なのに」
 胸が高鳴ることを自覚しながら、セリオルはその紺碧の光に触れた。そこは、おそらくフェリオとカインが試掘をした場所だろう。割れた岩の間に、きらきらと輝く紺碧の粒が見える。
「それが原石だ」
 傍らにかがんだカインの声だった。彼も嬉しそうに、その光る粒を見つめている。
「これは、ちゃんと王国に管理してもらわねえとやばいんだ。それぐらいすげえ力を持ってる」
「ええ。周囲の熱を奪ってゼロにしてしまう鉱石、でしたね。精製すれば、兵器として利用することも可能でしょう。通常のマナストーンより、遥かに大きな威力のものを造るもの容易なはずです」
「ああ。すげえだろ、フェリオはそんなものを見つけたんだぜ」
「ええ、そうですね」
 活き活きして弟のことを褒めるカインに、セリオルは苦笑した。カインはそれを気にもせず、ニッと笑って親指を突き立てる。
「セリオル、少し手伝ってくれないか?」
 不意に、後ろからフェリオの声が聞こえた。セリオルが振り返ると、フェリオは彼の隣りにしゃがみこんだ。
「何をです?」
「少し採掘したいんだ。精製して、銃の強化に使いたい。これがあれば、もっとクールダウンが速く出来る。そうすれば長銃や火炎放射器も連射が可能になるはずだ」
 そう語るフェリオの頭には、既にカインナイトの処理の方法や、それを武器に活かすための手段も描かれているようだった。それも無しに、ひとつ間違えば危険ともなるカインナイトを扱うとは言わないだろうと、セリオルはフェリオのことを見ていた。
「なるほど。わかりました」
「じゃあ帰りに頼むよ。今はシヴァのところへ急ごう」
「ええ」
 3人は立ち上がった。他の仲間たちも、彼らの後ろでカインナイトの様子を窺っていた。彼らにしても、やはり興味はあったのだろう。カインがクロイスの覗き見だけをからかい、クロイスは顔を真っ赤にして憤った。

 カインナイトの鉱床から、更に奥へと続く道が見つかった。それはサリナとセリオルによって発見された。
 きっかけは、サリナが感じ取った不思議なマナだった。皆がもうここで行き止まりなのだと諦めかけた時、サリナは気づいた。どこからか、かすかにその場とは異質な、いや今や洞窟全体を満たすこの異常な水のマナとは異なる、どこか神々しさを感じるマナが流れ込んでいた。
 勘違いかもしれないと、彼女は仲間たちには告げることなく、その流れ込む源を探った。それは洞窟の壁に、意識して見なければ気づかないだろうと思われる、小さな石細工だった。岩の割れ目に紛れるようにして、その魔法文字は刻まれていた。よく見ると、そこには浅い魔法陣も描かれていた。
 サリナはそれを、仲間たちに知らせた。セリオルが解読し、水のマナを求めるものだと気づいた。
 ゼフィール遺跡でヴァルファーレが作動させたのと同じようなマナの仕掛けだと、セリオルは判断した。幻獣のマナを注ぐことで動くはずだと、彼は言った。その顔は、なぜか暗かった。サリナは、言い知れぬ違和感を覚えた。しかしその正体に気づくことは出来なかった。
 そしてクロイスがオーロラを召喚した。額に角を持つ銀色のイルカは、清らかな水のマナを纏って現われた。そして彼女は、蒼霜の洞窟に満ちるマナの異様さに、不快感を顕わにした。
 彼女は言った。
「何でしょう、この異常はマナは……感じたことの無いものです」
 悠久の時を生きる幻獣の言葉は、ある程度予想していたとはいえ、やはりサリナたちに衝撃を与えた。彼らでさえ知らないことが起こっている。その空恐ろしさに、サリナは身震いした。
「私たち碧玉の座の幻獣は、このエリュス・イリアを監視することを任されていましたが……曇っていたのかもしれませんね、私たちの目は」
 世界に迫る危険を察知できなかったことを、幻獣たちは顧みているようだった。そういえば、とサリナは回想した。風の峡谷で出会った時、ヴァルファーレはゼノアの存在も、その行っていることも知らなかった。ゼノアのしたことの影響が、人間たち全ての起こしたことだと勘違いしていた。
 しかし裏を返せば、それはそれだけ、神である幻獣たちの目を欺くだけ、ゼノアが巧妙に事を運んでいたということだった。それは彼の頭脳の成せる業か、それとも闇の幻獣たちの手助けによるものか。それは定かではなかったが、いずれにせよサリナたちが、やはり先を急がなければならないことは確かだった。
 オーロラが水のマナを注ぎ込んだ。するとその小さな魔法陣から紺碧の美しい光が溢れ、岩の壁が割れて奥へと続く道が現われた。全員が通ると、岩はひとりでにその口を閉じた。
「今の仕掛けを解いて進んだのだとしたら、やはり敵はそれなりに頭の切れる、マナの知識も豊富な者ですね」
 洞窟を更に奥へと進みながら、セリオルがひとりごちたその言葉が、サリナたちに覚悟させた。やはり、この奥には恐るべき敵がいる。それこそ、さきほどの大猿など話にならないような相手だろう。シヴァはどうしたのだろう。まさか、ガルーダのように捕らえられてしまったのか……。
 ぶんぶんと頭を振って、サリナはその考えを振り払おうとした。悪い癖だ。いつも良くない方向に想像を働かせてしまう。
「んなことどーでもいい。ぶっ飛ばすだけだ」
 前を歩くクロイスが気炎を吐く。彼はやはり気を急いているようだ。サリナは両頬を手のひらで――正確にはミトンで――叩き、気合を入れ直した。しっかりしなければ。クロイスに焦るなと言っても、それは恐らく難しい。彼が焦燥のあまり何かミスをした時、自分がフォロー出来るようにしておかなければ。
「気を楽になさい、サリナ」
 そんなサリナの心中を見抜いてか、アーネスがサリナの肩に手を置いた。彼女は微笑んでいた。
「気を張りすぎるのは良くないわ。何かにつけてね」
「はい」
 素直に返事をして、サリナは前を見た。アーネスは頷き、肩から手を離す。
 洞窟はその様相を一変させていた。鉱床の場所と同じように、奥はずっと紺碧の水晶に彩られていた。時折、水晶が砕ける。それは美しい音を立て、水となって流れた。いたるところでその現象が起こるので、地面は濡れ、水の流れが生まれていた。
 ある場所で、サリナたちはそれを確認した。砕けた水晶から生まれた水が集まり、大きな穴から流れ落ちていた。それはマナの滝のような姿となって美しく、しかし暴力的な恐ろしさも伴っていた。
「さっきから、ずっと上り坂ですけれど」
 来た道を振り返って、シスララが言った。彼女は顎に人差し指を当て、小首を傾げた。
「もしかしたら、これがあの川へ流れ込んでいるのではないでしょうか?」
 サリナたちは、緩やかな上り坂を歩いていた。川が流れているのだから当然だが、入り口からカインナイトの鉱床よりも、鉱床から奥のほうがよりわかりやすい上り坂だった。勾配が急になるのは、源泉に近いからだ。あの小川が今どこを流れているかはわからないが、この奥にその源泉がある。その確信が、サリナたちにはあった。なぜならこの道を、敵も進んだはずだからだ。
 そう考えると、シスララの言ったことは当たっているのかもしれなかった。流れ落ちる水の量はかなりのものだ。これが川の増水の原因だとしても、不思議は無かった。
「だったらこれ、どうにかして止められねえか?」
 腕組みをして、カインが言った。この滝の流れを止められれば、フェイロンの村への影響も少しはましになるかもしれない。彼はそう考えた。
「こう次から次に水が生まれてるんじゃ、難しいだろうな」
 弟のその答えに、カインは溜め息をついた。
「だよなあ。かと言って、あの水晶ぶっ壊したら一気に水が出るんだろうし」
「やっぱり、元を断たないとだめってことですね」
「だな」
 厳しい顔のサリナに頷いたが、カインはサリナの頭にあるクマさんが気になって仕方が無かった。笑いを堪えたのは、我ながら僥倖だった。
 魔物の力は増すばかりだった。サリナたちが傷を負うことも増え、アーネスの湧水の力が活躍した。マナ消費がほとんど無い回復の術は貴重だった。風水術の性質上、どこでも使えるものではなかったが、この洞窟を攻略する上では極めて有用だった。サリナのマナを消費しなくて済むのが良かった。
 水の力を操る狼の群れを撃退した後、サリナたちはあの小川の上流と思われる水の流れを発見した。源泉に近いためか、下流よりも更にマナが濃い。洞窟には分かれ道もあったが、その川を発見してからは、その流れを辿って進んだ。
「なんで扉があるんだ」
 それは巨大な石の扉だった。見るからに重そうである。うんざりしたような声のカインを、シスララが元気づける。
「カインさん、大丈夫です。あちらにほら、あの模様がありますもの」
「あん? もよ?」
 目を細めて、カインは扉を観察した。そして発見した。さきほどオーロラがマナを注いだのと同じ魔法陣と魔法文字が、そこには小さく刻まれていた。
「おおう。よしクロイス、出番だ」
「っせーなあ。わかってるっての!」
 ぶつぶつと毒づきながら、クロイスはリストレインを掲げた。カインは愉快そうに笑っている。
 オーロラが召喚され、魔法陣に再び水のマナを注いだ。扉が柔らかな光を放ち、低い轟音を上げてゆっくりと動いた。オーロラがクリスタルに戻り、扉は開かれた。
 そこは幻獣が造った空間と思われた。広い空間だった。水は一直線に、細い水路のように引かれていた。その源は、祭壇のようにしつらえられた氷の台座だった。滾々と湧き出す水は、台座の全体から溢れていた。
 そしてその台座に寄り添うように、美しい女性の姿があった。
 長く豊かな髪に美しい曲線を描く伸びやかな四肢、その身を彩る金色の装飾品と、肌を多く露出させた青藍色の衣、同色の長手袋と踵の高いブーツ。繊細な羽衣のようなものを纏い、その紺碧の肌を持つ女性は、台座にもたれかかって目を閉じていた。
「なんだ……?」
 強烈な違和感を覚えながら、セリオルはゆっくりとその空間に足を踏み入れた。どうやらここは、洞窟の最も奥だ。源泉もここにある。だとしたら、あの女性がシヴァなのか……?
 警戒しながら、サリナたちはその女性を見つめた。明らかに、通常の人間ではない。肌の色がそれを語っていたが、しかしその正体がわからない。こんな場所にいる存在など、幻獣かあるいは彼らが敵と目する魔物以外には考えられない。
 だが女性は、幻獣の纏うあの光を持っていなかった。風体が奇妙な人間、あるいは魔物か、精霊の類か。少なくとも、このマナの異常を引き起こした存在だとは思えなかった。そんな者が居眠りをしていたら、それこそお笑い種だ。
「なんだ、あいつ……」
 喉の乾きを不愉快に思いながら、クロイスは緊張している自分に嫌気が差す。得体の知れない女がいるというだけで、彼は極度に神経をすり減らしていた。あれがシヴァだとしたら、すぐに駆け寄って話をするべきだろう。しかし、敵だったら? 幻獣はどこへ行ったのだ? まさか、瑪瑙の座の幻獣を消し去るほどの強力な魔物なのか……?
 彼の脳裏に、雷帝の館で戦ったラムウの姿が蘇った。恐るべきマナを誇る、雷の帝。その力の凄まじさを、彼は身を以って知っていた。
 弓を握る手が汗ばむ。それを拭いて、クロイスは目を凝らした。よく観察することで、女の正体がわかると信じてでもいるかのように。防寒着の下の身体が、発熱しているように熱い。だというのに、心臓のあたりが冷たい。
 動きは無かった。クロイスはじりじりと横に移動しながら、眠る女性を見つめていた。
「ハウリング・ウルフ!」
 その声とともに、青白い炎の狼が飛び出した。クロイスは仰天して、攻撃を放った獣使いを見た。
 カインは、笑っていた。
 炎の狼は一直線に、台座の脇で眠る女性に突進した。地面を蹴り、素早く走る炎の狼。仲間たちが驚いて声も出せない間に、狼は大きな咆哮を上げて跳躍し、女に踊りかかった。
 その時、女性が目を開いた。それは血のような真っ赤な色に染まった、禍々しい双眸だった。素早く立ち上がり、女性は耳をつんざくような不快な声と共に強烈な光を放った。
 それは、神なる獣が纏う、あの光だった。
「まさか……」
 ざわつく胸を拳で、セリオルは叩いた。そうして止めようとした。この全身を押し潰そうとする、最悪の予感を。
「おいおいおいおい、なんだよありゃあ!」
 カインは戦慄した。あれは幻獣だ。間違いなく、水の幻獣、瑪瑙の座。冷厳なる氷を操りし女王、シヴァだ。だが、その身が放つ光は、あの神々しい幻獣の光でありながら、邪悪さを感じさせる破滅的なものでもあった。美しい紺碧の光と、醜悪な泥色の光。おぞましい何かが、シヴァの身に起こっていた。
 シヴァの光が、カインのハウリング・ウルフを掻き消した。立ち上がったシヴァは、サリナたちを睥睨した。真紅の双眸に瞳は見えず、常軌を逸したその様に、サリナは身の毛もよだつようだった。
 シヴァはその長い髪を振り乱して、サリナたちに襲いかかった。体躯は人間と変わらない。しかしその動きの速さは、人間を遥かに越えていた。
 守りの術を詠唱する間も無く、サリナはシヴァの脚によってなぎ倒された。全く反応出来なかった。激痛を覚えながら地面を転がり、サリナは絶望を感じていた。
 自分が反応出来なかった。それは、仲間たちの誰もその攻撃に対応することが出来ないということを意味していた。サリナは首を伸ばし、霞む視界の中になんとか仲間たちの姿を捉えようとした。
 そこには、彼女が考えたものとは違う光景があった。
 紺碧の光を放つのは、シヴァだけではなかった。
 水の戦士、クロイス・クルート。オーロラのマナに祝福されし少年が、輝く盗賊刀を持ってその身にマナの鎧を纏い、シヴァの攻撃を防いでいた。
「クロイス……!」
 歯の隙間から、サリナは声を絞り出した。涙が出て来そうだった。彼女の仲間の少年は、その場の誰よりも速く、起きた異変に対応していた。誰よりも戦いの準備が出来ていた。サリナは心の中で、クロイスに詫びた。
「あめーんだよ。あくびが出らあ」
 うそぶいて、クロイスは盗賊刀でシヴァを弾き飛ばした。氷の女王は凶悪な表情で、憎々しげにクロイスを睨む。再び、シヴァは跳躍してクロイスに襲いかかった。その動きは、まるで獣だった。
「だからあめーっつってんだろ!」
 その場で素早く回転し、クロイスはシヴァの攻撃を回避した。そのまま、幻獣の背中に雷のマナを纏わせた矢を5本、一気に放つ。
 しかしシヴァは、着地してすぐに動いていた。身体ごと振り返り、幻獣はクロイスに開いた右手を向けた。右手から、空中で生成された鋭い氷の矢が何本も放たれた。氷の矢は空中で雷の矢を迎え撃ち、その力を奪った。
「んにゃろう」
 舌打ちをして、クロイスは幻獣と対峙した。わかっていたことだが、そう簡単にはいかないようだ。二者はお互いの隙を探り合った。
「奔れ、俺のアシミレイト!」
 カインはリストレインを掲げ、幻獣を呼んだ。彼が呼んだのは、雷帝ラムウだった。瑪瑙の座の幻獣。その力を借りる時が来た。
 紫紺色の眩い光が溢れ出した。ラムウのクリスタルが、カインのリストレインから分離する。雷が奔るような鋭い音と共に、リストレインが変形する。それはイクシオンの時とは違う形だった。身体のより多くの部分を覆う、強靭なマナの鎧。紫紺色の新たな鎧が、カインに力を与える。
「っしゃあ! 行くぜ、シヴァ!」
 カインはクロイスに攻撃を仕掛けようとしていたシヴァに向けて、雷の鞭を振るう。セリオル、フェリオもそれぞれにアシミレイトし、既に口火を切っている戦闘に入った。
「来たれ水の風水術、湧水の力!」
 風水のベルの音が響き、サリナの身体を柔らかい水の球が包んだ。それは優しい癒しのマナとなって、サリナの受けたダメージを和らげてくれた。
「サリナ、大丈夫?」
 駆け寄ったアーネスの手を借りて、サリナは立ち上がった。まだ痛みは完全には引かない。それだけ強力な攻撃だった。
「はい、大丈夫です」
 しかし気丈に、サリナは答えた。そして彼女は、左腕のリストレインを掲げる。
「よし、行くわよ、サリナ」
 同じく琥珀のリストレインを取り出したアーネスに、サリナは頷いた。既に他の仲間たちも次々にアシミレイトして、シヴァに戦いを挑んでいる。
「輝け! 私のアシミレイト!」
「轟け! 私のアシミレイト!」
 真紅と琥珀の光が溢れ、その中でサリナとアーネスは幻獣の鎧に身を包んだ。サラマンダー、そしてアーサー。2柱の幻獣の力を帯びた戦士が、戦いの場へと走る。
「魔の理。力の翼。練金の釜! バウォタ!」
 毒消しと水のマナストーンの力を調合し、セリオルは水の力に対する守りを仲間たちに与えた。特にサリナは要注意だ。炎のマナは、水のマナには弱い。
 カインとクロイスが攻撃を仕掛けている。フェリオは雷のマナストーンで、ふたりの動きを援護していた。シスララはマナの舞で仲間たちを鼓舞する。アーネスの地のマナが、刃となって飛来してシヴァを襲う。
「はああああっ!」
 マナを解放したサリナが戦いの場に戻り、さきほどのお返しとばかりに神速の重撃を放った。鳳龍棍はクロイスとカインに気を取られていたシヴァの脇腹に、見事に炸裂した。幻獣はそのマナに痛手を被り、地面を転がった。カインが口笛を吹く。
「やるねえ、サリナちゃん!」
「へへ。それほどでも!」
 仲間たちと戦うシヴァを、セリオルは見ていた。嫌な予感に心がざわつく。話し合う間も無く、まるで魔物がひとを襲う時のように、シヴァは獰猛だった。あんな幻獣は、これまで見たことが無かった。ヴァルファーレ、アーサー、ラムウ。これまで3柱の幻獣と戦ったが、皆あれほど、狂気に憑かれたような様子は見せなかった。
 ゼノアの影が、セリオルの脳裏をよぎる。あの男のこれまでの言葉、これまでの所業。それがセリオルの脳内で、ひとつの可能性を導き出した。さきほど感じた予感の正体。
「やはり……そうなのか」
 誰にとも無く独りごちて、セリオルは自分と一体となっている幻獣、風のヴァルファーレに問いかけた。
(ああ。おそらくその通りだろう。あれは尋常な様子ではない)
 渦巻く風のようなヴァルファーレの声が、脳内で響く。セリオルは脚の力が抜けぬよう、全身の力でなんとか踏ん張った。伝えなければならない。仲間に、この事実を。
「この野郎、なんでこんなに強えんだ!」
 同じ瑪瑙の座同士の力。しかも水のマナに強い、雷のマナを纏っての戦い。だと言うのに、カインはシヴァにダメージを与えられずにいた。彼のあらゆる攻撃は、シヴァの前で水のマナによって掻き消され、それを突破出来なかった。
「なにちんたらやってんだよ!」
 クロイスが、苛立ちと共に雷の矢を放つ。しかしそれも、まるで防壁のようにシヴァの周囲に張り巡らされたマナの力によって弾き返され、力を失って地に落ちた。クロイスは舌打ちをする。
 サリナも、正面から向き合ってはなかなかシヴァを攻撃出来なかった。さきほどのような不意打ちは、そう簡単には出来ない。仲間たちが上手く気を逸らしてくれたとしても、もうシヴァはサリナが危険だと認識してしまった。彼女に注意を向けなくなることは考えられなかった。更に、シヴァの防壁はサリナですらも歯が立たない。
「おかしいわね……」
 カインとサリナの邪魔にならぬように離れた場所から岩弾や地の刃で援護しながら、アーネスは呟いた。傍らで、フェリオが首を傾げる。
「何がだ?」
「ラムウの時は、明らかにカインが戦いの相手に選ばれたわよね。自分を従える者として相応しいかどうか、ラムウが見極めるために」
「……なるほどな。確かに、あれはクロイスを選んでるとは言いにくい」
「やっぱり、何か異常が起きているのね。たぶんシヴァの中で、気を狂わせられるほどの何かが」
 天井を蹴って急降下したシスララが、シヴァの防壁に弾かれて地に落ちる。着地で体勢を崩さず、シスララはすぐに立ち上がってオベリスクランスを構えた。
「迸れ、大気を焦がす稲妻よ。その身で受けよ、雷帝の抱擁――サンダラ!」
 後ろから雷光の魔法が飛んだ。魔法は水の防壁に阻まれたが、じっと考えていたセリオルが動いた。何かに気づいたのだろうと、サリナたちはシヴァから目を離さずに、セリオルへ注意を傾ける。
「シヴァは操られています!」
 セリオルはそう叫んだ。クロイスは耳を疑った。操られている。セリオルはそう言った。瑪瑙の座の幻獣が、操られていると。
 目の前で猛り狂う氷の女王。確かに、幻獣らしくない。纏う光も禍々しい。でも、とクロイスは自問する。ゼノアの野郎、そんなことまで出来るのか?
「ゼノアの放った魔物です。それがシヴァに取り憑いている。クロイス、君が鍵です。同じ水のマナで、魔物を引きずり出すんです!」
「ええ!?」
 クロイスは狼狽した。水のマナで魔物を引きずり出す。彼はマナを操るのが、それほど得意ではない。どうやるのかもわからないそんなことを言われても、と彼は困惑した。一体何をすればいいんだ?
 しかし悩んでいる時間は無い。シヴァは再び攻撃を仕掛けてきた。サリナがなんとかそれを防ぐ。しかし水のマナに弱いサリナでは、それにも限界がある。カインがラムウのマナで攻撃する。防壁が発動し、瑪瑙の力もその厚い守りに遮られる。舌打ちが聞こえる。純白に輝く槍が繰り出される。しかしシヴァは軽やかに宙を舞い、反撃に転じる。シスララはシヴァの水のマナを受け、悲鳴を上げて倒れた。
「シスララ!」
 サリナが倒れたシスララのほうを見た。その瞬間、シヴァは彼女の死角に入っていた。守ることも出来ず、サリナはシヴァの放った水の塊によって吹き飛ばされた。マナがごっそり奪われる。全身から抜ける力に、サリナはどうすることも出来ない。
「野郎……畜生!」
 カインは怒鳴りながらも冷静だった。遠くに飛ばされたサリナを助けに、彼は走った。その背中に攻撃を仕掛けようとするシヴァに、フェリオのマナ弾が飛ぶ。シヴァの意識がそちらへ向く。セリオルが雷光の魔法を放って牽制する。アーネスはシスララを回復すべく、湧水の力を使った。
 戦局が悪い方向へ傾いている。クロイスは焦った。何をすればいいのか、彼にはわからない。気ばかりが逸って、足が動かない。
「クロイス、大丈夫です」
 立て続けに魔法を放って息を切らすセリオルの声が、クロイスの耳に飛び込んだ。
「マナの扱い方は、私が教えます。まずはこっちへ来て、守りを固めてください。水のマナは、君とカインが最も効果的に防げるんです」
「わ、わかった!」
 急いでセリオルとフェリオの傍へ、クロイスは走った。シヴァの動きは、そのふたりが止めてくれていた。サリナを抱えたカインと、シスララを支えるアーネスも同じ場所へ戻った。セリオルの代わりにクロイスが雷の矢を放ち、その間にセリオルがハイエーテルでサリナのマナを回復する。もう一度湧水の力をアーネスが使い、回復したサリナもケアルラで仲間たちの傷を癒した。
「では、クロイス」
 態勢を立て直して、セリオルはクロイスを呼んだ。大きく頷いて、クロイスはセリオルの隣りに立った。フェリオとカインによる攻撃が続く。
「頼むわよ、クロイス」
 シヴァのマナによる攻撃で仲間が傷付かぬように琥珀の盾で守りながら、アーネスが肩越しに振り返って言った。信頼に満ちた声だった。
「ああ。任せとけって」
 自信など無かったが、クロイスはそう答えた。それににやりと笑って、アーネスは前を見た。
 セリオルが促し、クロイスはセリオルの前に立った。肩に、サリナとシスララの手が置かれる。背中にセリオルの手が当てられる。目の前にはアーネスの背中がある。その両脇では、カインとフェリオがあらん限りの雷のマナによる攻撃を続けている。
「では、いきますよ」
「ああ」
 答えて、クロイスは大きく深呼吸をした。目を閉じる。セリオルのマナが、背中から流れ込んでくる。そうすることで、彼はクロイスにマナの操り方を伝えようとしているのだろう。周囲にいる仲間たちの気配を感じる。自分を信じ、この場を任せてくれる仲間たち。サリナの故郷を守り、シヴァの力を手に入れて、水の神晶碑に結界を張る。その光景を強く思い浮かべて、クロイスは目を開いた。
「……始めるぜ!」
 両腕を上げる。セリオルの補佐のもと、クロイスはオーロラのマナを両手に集め、そしてコントロールを失わぬように注意しながら、雄叫びと共に猛り狂う氷の女王に向けて放った。