第101話

 クロイスの額に煌くオーロラのクリスタルが紺碧の光を放つ。幻獣の放つ気高く美しいマナの光が、サリナたちを包んだ。クロイスは背中から流れ込むセリオルのマナの温かさに、ほんの一瞬目を閉じた。
 マナを操るということを、クロイスはサリナたちと旅を始めてから知った。サリナとセリオルの魔法、カインの獣術や青魔法、フェリオのマナストーンによる攻撃。リプトバーグで我流の戦い方、狩りの方法を会得していたが、それで十分だった。
 オーロラに教えを乞うことも考えなかったし、そもそもマナというものが何なのか、今ひとつ理解していなかった。彼にとって、それはなんだかよくわからない、強力だがおぼろげな力だった。
 だが、彼は感じていた。戦いはますます激しさを増している。サリナはクロフィールで、自らに眠る膨大な量のマナを引き出す術を身に付けた。セリオルは調合の術を編み出し、カインは魔物を操る新たな技術を会得した。フェリオはカインナイトの力で銃を強化しようとしている。アーネスは新たな場所で次々に新しい風水術を使い、シスララはマナの舞によって驚くべき効果を生む。
 自分も、次のステージへ進まなくてはならない。マナストーンを使った属性マナでの攻撃を磨くのも必要だが、自らマナを操る独自の戦法を身に付けなければ。近頃のサリナやシスララの戦いを見て、彼は密かにそう考えるようになっていた。
 目を開く。マナが満ちているのを感じる。それ自体、彼にとっては成長だった。マナを感じるということが、自覚出来るようになっていた。
 シヴァは真紅に染まる双眸に狂気を滾らせ、おぞましい咆哮を上げながら迫ってくる。走りながら、氷の女王は多くの水のマナによる攻撃をこちらに飛ばす。その全てを、アーネスが琥珀の盾で防ぐ。その動きが少しでも鈍るようにと、スピンフォワード兄弟がそれぞれの方法で雷のマナによる攻撃を行う。空中で水と雷のマナが衝突し、激しい水蒸気の渦が起こる。
「行けええええええ!」
 クロイスは渾身の力でマナを放出した。オーロラの幻が現われる。銀色のイルカは美しい声で高く啼いた。清らかな水のマナが、仲間たちの助けを得て増大する。
 紺碧の巨大な渦が、クロイスによって生み出された。それはオーロラによって祝福された美しい紺碧の渦だった。
 渦は、水蒸気に視界を奪われていたシヴァを、正面から捕らえた。シヴァは怒りの声を上げながらも、両腕で自分を守り、敵のマナを打ち破るべく自らの強力なマナを放った。
「大人しく……しやがれ!」
 だが渦のマナは、シヴァの力を圧した。シヴァの口からうめき声が漏れる。その足が、渦のマナに圧されて少しずつ、ずるずると後ろに下がり始めた。
 クロイスは額から流れ落ちる汗を拭いもせず、ただ両手をシヴァに向けてマナを放ち続けた。オーロラのせせらぎのような美しい声が響く。それは歌声のように、シヴァの御座を満たした。
「く……あああああああっ!」
 クロイスは大きく声を上げながら、更にマナを放出した。その後ろで、セリオルは驚きを覚えていた。クロイスは、自分とオーロラのマナを完全に制御していた。
 胸中で、セリオルは頷いた。クロイスは自分では、マナの扱いがよくわからないとよくこぼしていた。しかし幾度となく繰り返されたマナストーンやオーロラの力を使った戦いの中で、彼の身体は少しずつではあったが、マナを操ることに慣れてきていたのだ。
 それに、とセリオルは回顧する。エインズワース大橋の森でバッファリオンと戦った時、クロイスは水のマナの力であの猛獣を眠らせてみせた。あれにはセリオルも驚いた。狩りの中で身に付いた技能だとクロイスは語ったが、あれは紛れもなく、マナを扱った高度な、魔法に近い技術だった。クロイスには、そういったことを行う才覚はあったのだ。ただ、本人が自覚していなかっただけで。
「クロイス、もう少しだよ! 頑張って!」
 サリナの励ましの声。クロイスはそれに頷いて、渦の中で耐えるシヴァに向けて吠える。
「いい加減、出てきやがれ! 往生際のわりい!」
 その美しいマナを持つ渦の力に抗し切れず、シヴァはついに巨大な渦の中に浮き上がった。クロイスとオーロラの渾身のマナが、瑪瑙の座の幻獣を制した。シヴァの口からおぞましい咆哮が上がる。
「今です、クロイス! 引きずり出すんです!」
「わーってるよ!」
 渦を放ちながら、クロイスはその両拳を握った。まるで遠隔操作でもされているかのように、渦に翻弄されていたシヴァの身体が停止する。
「うおおおおりゃあああああ!」
 シヴァを掴み、クロイスはその両手を一気に引いた。それに連動して渦がうねり、シヴァの身体をこちらへ急激に引いた。
「来ますよ!」
 凄まじいマナの嵐に目を開けるのにも苦労しながら、セリオルが警告する。
 シヴァの身体から、同じ姿をした泥色の何かが、引きずり出されようとしていた。さきほどまでシヴァが浮かべていた怒りの形相が、その泥色の顔に貼りついている。一方シヴァ本体のほうは、まるで眠ってでもいるかのように静かな表情で、両目を閉じている。
 泥色のシヴァが苦悶の声を上げる。身の毛もよだつような不気味な声。氷の女王の身体から引き剥がされ、泥色のシヴァが洞窟の地面に、べしゃりと汚らしい音を立てて這いつくばった。渦が止まる。
「アーネス、シヴァを!」
「ええ!」
 セリオルの指示で、アーネスが走る。クロイスは地面に両膝をつき、肩で息をしていた。放出したマナの量は多かった。極度の疲労。霞む目をこすり、彼はなんとかアシミレイト状態を保っていた。しかし彼の纏う光は、かなり弱くなっている。
「き、きちいぜ……」
「クロイス、大丈夫?」
 疲労困憊の様子のクロイスを、サリナが気遣う。彼女に支えられて、クロイスはなんとか立ち上がった。
「クロイス、これを飲んで少し休んでいて下さい。あれとの戦いで、君の力が後で必ず必要になります」
「……わかった」
 セリオルの目は、シヴァの姿をした泥色の魔物を厳しく見据えていた。魔物は立ち上がろうとしていた。その双眸は血の色に染まり、顔には忌々しげな表情が浮かんでいる。クロイスはそれから顔を逸らし、セリオルからハイエーテルを受け取った。
 サリナに支えられ、クロイスは洞窟の壁際へ移動した。しかしアシミレイトを解除するわけにはいかない。いつあの魔物が、こちらに攻撃を向けてくるかわからないからだ。生身で受ける気は、あまりしなかった。
「さあて、そんじゃあやってやるか!」
 獰猛な笑みを浮かべて、カインが雷の鞭を構える。泥色の魔物がおぞましい咆哮を上げる。セリオルとフェリオ、シスララがそれぞれの武器を構える。
 一方、アーネスは気絶して光を失ったシヴァを抱え上げた。想像とは異なり、氷のような冷たさはなかった。当然といえば当然だと、アーネスは自分の想像に苦笑した。シヴァがもし冷たければ、サラマンダーは炎のように熱く、イクシオンやラムウは近くにいるだけで感電してしまうはずだった。
 こちらを攻撃する意志の無い幻獣は、触れてもマナを奪いはしないようだった。あまり重さを感じないのが不思議だった。本来はエリュス・イリアの存在ではないのだから、それも当然なのかもしれなかった。
「少し待っていてね。あいつを片付けたら、話があるんだから」
 聞こえてはいまいと思いながら、アーネスはシヴァに語りかけた。力を失った幻獣を、彼女は静かに洞窟に横たわらせた。シヴァは目を開かない。
 泥色の魔物は、咆哮と共にその本性を現した。泥を振り払いつつ、魔物は巨大化した。シヴァの姿の下から現われたのは、ぬめぬめとした気味の悪い表皮を持つ魔物だった。人間のような胴と腕を持つが、頭部と下半身が異常だった。
 それは、大烏賊の化け物だった。烏賊の形をした不気味な頭と、何本もの触手のような脚を持っていた。腕には巨大な錫杖を持ち、鎧とも法衣ともつかない防具を身に付けている。両目は烏賊の頭に不気味に光り、血の色に染め上げられていた。
「気色のわりいやつめ」
 正体を現した魔物に、カインが嫌悪感をむき出しにする。ラムウのマナを纏い、彼は鞭を振るおうと力を篭める。
 その時、信じがたい現象が起きた。魔物が、幻獣のものと似た光を放ったのだ。
「なぜ、魔物があの光を……?」
 シスララが疑問を口にする。さきほどまではシヴァに取り憑いていたのだから、あの光を纏っていたのは理解出来た。だがシヴァから離れた今、魔物はただの魔物であるはずだった。
「いや、少し違うみたいだ」
 フェリオが指摘する。魔物の纏う光には、幻獣の光の、あの神々しさや気高さは感じられなかった。それどころか、どこか邪悪な、悪しきものであるように見える。見た目はよく似ているが、それは性質の異なる光であるように思えた。
 だがその点についての答えが出る前に、魔物が口を開いた。
「忌々しい者どもめ……」
 それは荒々しい濁流の音のように醜い声だった。巨大な烏賊の魔物は、セリオルたちを睥睨していた。
「てめえ、なにもんだ!」
 カインの激しい声が響く。烏賊の魔物は、憎悪の篭った声で答えた。
「我が名はクラーケン。ゼノア様によって生み出されし、“幻魔”なり」
「“幻魔”……?」
 初めて聞く言葉に、シスララは首を傾げた。彼女の頭の中で、いくつかの情報が交錯する。幻獣シヴァに取り憑いていた魔物。瑪瑙の座の幻獣を操るほどの力。幻獣のものと似た光。セリオルが警戒していた存在。
 まさか、という思いで、シスララはセリオルを振り返った。
 翠緑の魔導師は、厳しい表情を浮かべてクラーケンを見据えていた。その表情が、彼の心境を語っていた。
 信じたくはなかった、と。
「セリオルさん……?」
 シスララは問いかけた。彼が何かを知っているはずだった。
「セリオル、答えてくれ。あれは何者だ?」
 フェリオは、振り向かなかった。彼はクラーケンを睨み、視線を逸らさずにセリオルに訊ねた。いや、詰問した。
「わかってるんだろ、あれの正体が何なのか」
 若きガンナーの言葉に、セリオルは溜め息をついて小さくかぶりを振った。最悪の予感が現実のものとなった。それについて、彼は仲間たちに説明しなくてはならなかった。フェリオは恐らく、ずっと自分の様子を観察していたのだろう。自分の言葉や態度の端々から、彼は自分がこの魔物について、ある程度の推測をしていることを、見抜いていたのだろう。
 セリオルの胸中は、黒く塗り潰されたカンバスのようだった。幻魔クラーケンに対する吐き気を催すほどの不快感と共に、彼は口を開いた。
「あれは、恐らくゼノアが生み出した……人工幻獣の、失敗作です」
 その言葉に、3人は動揺した。こんなところで、その名が出てくるとは思わなかった。嫌な汗が出るのを、フェリオは感じた。心臓が冷たくなる。銀灰の銃を持つ手の力が抜けそうになる。
「なんて、罪深いことを……」
 シスララは、悲しみに瞳を伏せる。神である幻獣を、ゼノアは自ら造っているという。その汚らわしさ、それがいかに背徳に満ちた行為であるかを、彼は理解しているのだろうか。それを押して、あるいは無視してそのような所業に出たゼノアという男に、シスララは恐怖を覚える。
「“幻魔”ってのが、人工幻獣の呼び名なのか?」
 弟と同じようにクラーケンから目を離さずに、カインは訊ねた。彼には見えなかったが、セリオルはそれに頷いた。
「おそらく、そういうことでしょう。ただ、あれは失敗作だと思います。ゼノアが、人工幻獣を単体で放つはずがない」
「なるほどな」
 フェリオは銃口をクラーケンに向けた。情報は十分だった。敵はゼノアが生み出した、忌むべき魔物、幻魔。失敗作とはいえ、シヴァを任され、操り、あれだけの力を見せ付けた存在だ。恐らくその力は、瑪瑙の座の幻獣に匹敵するのだろう。マナへの攻撃にも気を付けなければいけないはずだ。
「貴様ら、ゼノア様のおっしゃっていた、幻獣の力を持つ者だろう」
 クラーケンの声は憎悪に満ちていた。その問いに答えたのは、カインだった。彼は幻魔に対する嫌悪感を隠さず、吠えた。
「ああそうだ! てめえらみたいな偽物とは違う、本物の幻獣のな!」
「ふん。幻獣の力など、我ら幻魔に敵うものか。見せ付けてくれよう、我が魔力を」
 そう言って、クラーケンは錫杖を掲げた。凶悪な水のマナが、その先端に収束していく。それに危機感を覚えながらも、カインは続ける。ラムウの光を強め、鞭に雷のマナを満ちさせて。
「うるせえこのタコ野郎! てめえ失敗作らしいじゃねえか。失敗作は失敗作らしく、大人しく処分されやがれ!」
「カイン、烏賊ですよあれは」
「おう。イカ野郎!」
 その言葉が、戦いの火蓋を切った。
 クラーケンが怒りの声をあげ、錫杖を振り下ろした。水のマナの奔流が、セリオルたちに向けて放たれた。4人は素早く散開し、それを回避した。カインの侮辱に、クラーケンは激怒していた。水の幻魔は強力なマナを次々に放った。
 カインは激しく放電しながら地を蹴った。雷のマナを、最大級の威力でクラーケンにぶちかましてやる。心の中でラムウに呼びかけ、彼は紫紺のマナに染まった鞭を振るった。
 だがクラーケンは、その巨体からは想像もつかないほどの素早さで彼の攻撃を回避した。カインは一瞬驚いたが、すぐに冷静さを取り戻した。幻獣の見た目は、その能力にあまり関係が無い。それは幻魔も同じなのだろう。
 クラーケンの足は四方に伸び、シスララたちを追った。その攻撃を受ければマナを奪われるはずだ。ラムウとの戦いでそれを学んだシスララは、決してそれを受けぬようにと、ソレイユと連携して空中を軽やかに舞い、回避した。
 背後から飛来した地の刃が、クラーケンを切り裂いた。大烏賊の幻魔は苦痛に怒りの声を上げ、攻撃の主を振り返った。
「随分醜いのね、ゼノアの造る幻獣は」
 琥珀の光を放つ人間が、剣を構えて彼を見上げていた。その顔に、嘲笑のようなものが浮かんでいる。クラーケンは逆上し、錫杖を振り下ろした。
「貴様、我を愚弄するか!」
 放たれた汚濁のようなマナを、アーネスは回避した。盾で防ぐのも嫌になる。彼女は自分の後ろで眠るシヴァが攻撃を受けぬように、その場から素早く移動しつつ地の刃を飛ばした。
 それを水のマナで防ぎながら、クラーケンは何本もある足を伸ばしてアーネスを攻撃した。琥珀の騎士はそれを上下に身をかわしながら走る。
 そこへ、またしても背後から強烈な一撃が来た。フェリオが放ったマナ弾だった。力のマナの塊が、次々にクラーケンに命中する。幻魔が怒りの声を上げる。
「頭は単純らしいな。要するに、馬鹿ってことだ」
「貴様らああああああ!」
 怒り狂い、クラーケンは強力なマナを放出した。それは衝撃波のような攻撃となって、セリオルたちを襲った。
 しかしその時には、アーネスが仲間の許に戻っていた。彼女は琥珀の盾を掲げ、仲間たちに衝撃波が届かぬように防ごうとした。
 だがクラーケンの攻撃は凄まじい圧力を誇った。耐えるアーネスの口から、苦しげな声が漏れる。
「迸れ、大気を焦がす稲妻よ。その身で受けよ、雷帝の抱擁――サンダラ!」
 アーネスの後ろから、セリオルが雷光の魔法を放った。雷撃は幻魔を貫こうと飛ぶ。同時にカインも、雷帝の鞭を振るった。鞭は幻獣の力を得て伸縮自在の稲妻となり、クラーケンに襲いかかる。
 だがクラーケンの足もまた、伸縮自在であるようだった。衝撃波を放ちながらも、足はまるで別の生き物ででもあるかのようにうねり、水のマナを飛ばして雷のマナを迎撃した。舌打ちをし、セリオルとカインは更に攻撃を重ねる。
 形勢を崩したのは、全く別の方向からの攻撃だった。
 それは空を舞う竜のように、クラーケンへ突撃した。燃える炎を纏うその風は、真紅に輝く棍で水の幻魔に、目にも留まらぬ凄まじい連撃を叩き込んだ。
 クラーケンの攻撃が止まる。サリナは解放したマナを収めて着地した。炎のマナでは、クラーケンにはあまりダメージを与えられない。そう考えて、彼女は解放した自らのマナをサラマンダーの力で増大させ、攻撃に乗せた。
「こ、この力は……」
 あまりの攻撃によろめきながら、クラーケンは真紅の少女を見た。その瞳に静かに燃える炎をゆらめかせ、少女は幻魔を見据えていた。
「貴様、貴様がサリナか!」
「え?」
 唐突に名を呼ばれ、サリナは驚いた。ゼノアの手の者なのだから、彼女の名を知っていても不思議ではない。しかし、彼女の名を呼んだその声には、なぜか憎しみのような感情が篭っているようだった。
「貴様は、我が葬ってくれる。ゼノア様に牙を剥く、愚かな娘よ!」
 そう叫んで、クラーケンは両手で錫杖を握った。恐ろしい量のマナが、そこに集中していく。それに恐怖を感じ、サリナは走った。あれは回避しなければならない。炎の幻獣であるサラマンダーは、水のマナには弱い。
 だが、そのマナが放たれることは無かった。
 カインの雷撃が、クラーケンを撃った。サリナを攻撃しようとした水の幻魔は、愚かにも自らの最大の弱点である、雷のリバレーターから目を離した。
「やっぱ馬鹿だなてめえは!」
 一度怯むと、もはや体勢を立て直すことは難しかった。雷帝のマナを得たカインの攻撃は、雷の嵐となって水の幻魔を打ちのめした。鞭が雷の大蛇のようにしなって幾度も襲いかかる。クラーケンはその攻撃に、たまらず悲鳴を上げた。おぞましい苦痛の声。
 だが幻魔は、やられてばかりはいなかった。ゆっくりと足を3本上げ、雷の攻撃に耐えながらそれを地面に突き刺した。
「カインさん、危ない!」
 サリナが警告したその瞬間、カインの足元からクラーケンの足が飛び出した。
「うおわ!?」
 すんでのところで、カインはクラーケンの足を回避した。上体を仰け反らせ、彼は後ろに跳躍した。サリナの声が無ければ危なかった。マナを奪われてしまっては、攻撃も出来なくなる。
「調子に乗るなよ、屑ども……」
 怒りに震える声で、クラーケンは呻いた。マナが収束する。
「まずい! 止めて下さい!」
 その練り上げられるマナの量に戦慄し、セリオルが叫んだ。クラーケンは洞窟に満ちる水のマナを吸収していた。それは幻魔の傷を癒す力となり、更にサリナたちを襲う攻撃の準備でもあった。
 シスララが裂帛の気合と共に、流星となって幻魔に襲い掛かった。聖のマナに祝福された彼女は、浄化の力で幻魔のマナを散らそうとした。
 だが大烏賊が振るった強靭な足が、シスララの体勢を崩させた。直撃は回避したものの、勢いを失い、シスララは地面に倒れた。
 そこに、地面から突き出たクラーケンの足が襲い掛かった。シスララはそれを回避することが出来なかった。
「シスララー!」
 セリオルの声が、彼女の名を呼ぶ。マナが奪われる。シスララの悲鳴が響く。クラーケンの哄笑。セリオルは怒りの目を幻魔に向ける。
「迸れ、大気を焦がす稲妻よ。その身で受けよ、雷帝の抱擁――サンダラ!」
 強烈な雷光が奔り、クラーケンを直撃した。幻魔は苦悶の声を上げるが、マナの収束は止まらない。動きを止め、敵の攻撃を受けても自らの攻撃を成功させようという狙いだった。
「クラーケン!」
 サリナが、怒りの声を上げてクラーケンを攻撃する。真紅のマナを解放し、サリナはクラーケンの足に神速の乱撃を叩き込んだ。巨大な足が1本、耐えられずに破壊される。
 クラーケンのおぞましい悲鳴が上がる。だが、それでも幻魔はマナを集め続けている。カインの雷撃が飛ぶ。フェリオの魔法銃が、マナストーンの力を増幅させて雷の弾を撃つ。アーネスが岩弾を放つ。それらの激しい攻撃にも、クラーケンは耐え、足を操って攻撃を仕掛けてくる。
 セリオルは、力の入らない身体でなんとか立ち上がろうとするシスララの許へ走った。純白の竜騎士は苦しげな表情で、しかし毅然として顔を上げ、幻魔を見つめている。
「シスララ、大丈夫ですか?」
 セリオルはその細い肩を抱き、シスララを支えた。シスララは申し訳無さそうな顔を、セリオルに向ける。
「はい、なんとか大丈夫です。ご迷惑をおかけして、申し訳ありません」
「いえ、そんなことは。さあ、これを飲んでください」
 セリオルはハイエーテルをシスララに飲ませた。クラーケンの動きは、サリナたちが止めてくれている。この隙に、彼女を回復させなければならなかった。
「ありがとうございます……」
 黄色の薬を飲んで、シスララのマナが回復する。たった一撃で、クラーケンはシスララのマナのほとんどを奪い去ったようだった。かつて風の峡谷で、サリナがヴァルファーレの攻撃を受けた時と酷似していた。
「立てますか?」
「はい」
 セリオルがシスララを立ち上がらせ、ソレイユがその肩に留まった、その時だった。
「セリオル、もう1本くれ」
 背後からかかった声に、ふたりは振り返った。
 そこには、栗色の瞳に闘志の炎を燃やす、クロイスの姿があった。
「クロイス、もう大丈夫なんですか?」
「だからそいつをもう1本くれ。それで大丈夫だ」
 マナの減少を、精神が凌駕しているようだった。クロイスの声は、これまでのどの戦いの時よりも強かった。クラーケンに仲間が傷付けられるのを、座って見ていることなど出来なかったのだろう。セリオルはクロイスにハイエーテルを渡した。紺碧の狩人はそれを飲み、そしてオーロラの光を纏った。
 クロイスは大きく息を吸い込んだ。幻魔、クラーケン。敵がそう名乗ったのを、彼は聞いていた。セリオルの声も聞こえていた。ゼノアが生み出した、人工幻獣。彼の両親の命を奪ったのは、同じ幻魔の、ヴァリガルマンダだという。
 幻魔の力は強い。サリナやカインたちが怒涛の攻撃を続けているが、マナを練り上げながらうねる足での攻撃を仕掛けてくるクラーケンに、彼らも決定打を出せないでいる。クラーケンは洞窟に満ちたマナを吸収して、攻撃を受けると同時に回復もしているようだった。あれを打ち破るのは、容易なことではないだろう。
 クロイスの心は、冷静さを保っていた。不思議と憎しみは無かった。ただ、燃え盛る炎が心臓に宿ったかのように、彼の身体を熱くしていた。あれは、自分が倒さなければならない。その思いが、彼に再び立ち上がらせる力を与えた。
 セリオルとシスララの名を、彼は呼んだ。そして彼はゆっくりと口を開いた。
「聞いてくれ。俺に考えがある」