第106話

 ダグが久方ぶりに頭領らしい振る舞いを見せ、それがカインとクロイスの笑いを誘った。
「おいてめえら! カインさん方のご出立だ。しっかり気合入れてお見送りしねえか!」
 午後の高い陽の光をその坊主頭にきらりと照り返らせ、ダグが吠える。元手下の自警団員たちはその怒号に面白いくらいに従順だった。
「へい! 親分! しっかりお見送りしやす!」
「親分って言うんじゃねえ! ボスと言え!」
「へい! ボス!」
 集まった元野盗の連中の騒がしさに、港の男たちがうるせえと怒鳴り声を上げる。するとダグはすぐにぺこぺこと頭を下げ、元手下の男たちもそれに倣った。大勢が一度にぺこぺこするので、船乗りたちは笑ってそれ以上は何も言わなかった。
「あーあーもううっせえな。ひゃっひゃっひゃ」
「でもほんと、みんながいいひとになってくれて、良かったなあ」
 サリナのその言葉に、カインも笑いながら頷いた。元野盗たちは、すっかりこの漁村に馴染んでいた。かつて襲撃しようとした負い目からか、彼らは村人や船乗りたちに対して腰が低かった。対する村人たちのほうは、もはやそんなことを気にしてもいないようだったが、ともあれ彼らのやり取りはサリナたちの笑いを誘発した。
「最初からこの村に移り住んでれば良かったのにな、こんなことなら」
「本当に。いずれにせよ、彼らが人並みの生活を手に入れることが出来たのは、喜ばしいことです」
 セリオルとフェリオのふたりも、ダグたちの様子に嬉しそうに頬をほころばせていた。
「お前らそう簡単に言うけどな、けっこう大変だったんだぜ」
 半分笑いながらそう言ったのは、“海原の鯨亭”のマスターだった。彼は杖に体重を預けながら、船乗りたちと楽しげなやりとりをするダグたちを見ていた。
「更生させるのが?」
 訊ねたアーネスに頷いて、マスターはダグたちに目を戻す。
「村の連中が気のいいやつらで良かったよ。いずれは船乗りになりてえって言ってるやつもいる。そんなやつらの見本になれる船乗りがこの村にいて、俺は鼻が高い」
 船を降りて久しいマスターだが、今でも彼は村の顔役である。彼を慕って港の男たちが鯨亭にやって来るのも、ダグたちに良い影響を与えたのだろう。そう考えて、サリナは嬉しくなった。
「おーい、船の準備が出来たぜー!」
 リンドブルムの整備をしてくれたのは、ユンラン港お抱えの船大工たちだった。元は大陸で働いていたが、この村の男たちに惚れ込んで移り住んだのだと言う。フェイロンへの旅の間、セリオルとフェリオの同意の上で、リンドブルムは彼らに預けられた。やはり経験豊かな専門家に診てもらうのは、リンドブルムにとっても良いはずだ。
 カインが大きな声で整備士に返事をし、彼らは改めてマスターとダグ、そして見送りに来た自警団の面々に向き直った。
「では、そろそろ行きます」
 一行を代表してセリオルがそう言うと、マスターが大きく頷いた。
「おう。達者でな。またいつでも来いよ。飛びっきりの飯を用意しとくからよ」
「頼むぜマスター! 今日の昼飯ぐらい豪勢なやつをな!」
「ああ、任せとけ。お前らが次に来る時にゃあこの木偶の坊もちったあ使えるようになってるだろうからな」
「ひでえですぜマスターさん、木偶の坊たあなんですかい。俺だって一生懸命にやってるんですぜ?」
「だぁまれこのすっとこどっこい。まずはそのでか過ぎる図体をなんとかしやがれ。配膳の邪魔でしょうがねえ」
「マスターさん、親分は親分で、このでかい身体でも上手いこと配膳できる技を編み出したんですぜ!」
「うるっせえてめえらがマスターさんに口答えすんじゃねえ! それに親分じゃねえってんだろ! ボスだボス!」
「ぎゃははは。ボスって似合わねえよ親分!」
「そうだぜ親分、すっかり鯨亭のウェイターなのによお!」
「おいてめえら、こいつをウェイターなんて呼ぶんじゃねえ。ただの配膳係りだ!」
「ひでえですぜマスターさん、ただの配膳係たあなんですかい」
 ぎゃいぎゃいとうるさいそんなやり取りにカインとクロイスが野次を飛ばし、ダグたちの後ろで自警団長らが頭を抱える。そんな愉快な連中との涙の別れ――笑いすぎて出た涙だが――を経て、サリナたちはそれぞれのチョコボを牽き、リンドブルムに乗り込んだ。

 リンドブルムは陽光を反射させる美しい海を掻き分け、ロックウェルの港へ到着した。この船路も二度目のことだった。サリナは懐かしさでいっぱいだった。甲板から降りる時、サリナはフェリオを見た。かつて、ここでフェリオから非礼の侘びを受けた。それをフェリオも思い返したのだろう。若き天才技師の顔には、やや恥ずかしそうな表情があった。
「まあ。すごいですね、この街は」
「油くせえなあ。鉄と錆の匂いもひでえ」
 ロックウェルに初めて訪れたシスララとクロイスがそう感想を述べた。クロイスの言葉にフェリオが怒りはしないかとサリナは冷や冷やしたが、それは大丈夫そうだった。むしろそう言われたことに、フェリオはどこか誇らしげだった。
「ここは世界一の工業の街だ。技術者たちが集まって出来た街だから、そういう匂いがするのも当然だな」
「俺も初めて来た時にゃあびっくりしたけどな。今はもう慣れちまった」
 顔馴染みらしい街の人々や露店の売り子らに手を振って挨拶しながら、カインの声は楽しげだった。やはりこの街に帰ってくると、ほっとするのだろう。
「私は気づかなかったなあ。そんなに匂いがしてる?」
 くんくんと鼻を動かしてサリナがそう言った。セリオルとアーネスはかぶりを振った。シスララも小首を傾げた。
「まあ俺たちゃ狩りの経験が多いからな、鼻がいいんだな」
「動物じみてるだけじゃないの、ふたりとも」
 胸を張ったカインは、浴びせられたアーネスの無情な言葉に衝撃を受けたようだった。
 そんなやり取りをしながら、サリナたちはビッテンフェルトチョコボ厩舎へ向かった。アイリーンたちを預けようと思ったのだ。久しぶりの厩舎に、アイリーンたちも嬉しそうだった。
「あら、あなたがサリナちゃん?」
 受け付けにいた女性は、名乗ったサリナに驚いたようだった。
「あ、はい、サリナです」
「まあまあ。皆さんもお連れの方? マリーから伺っていますよ、とても良い方々にチョコボをお買い上げ頂いたって」
「いやあ、そんなそんな」
 なぜか真っ先に照れてみせるカインの背中に、アーネスの肘がこっそり入って、カインは小さくぐえっと鳴いた。
 女性はマリーの母親、ハンナだと名乗った。夫は厩舎の中でチョコボたちの世話をしているらしい。チョコボたちを預かってほしいとセリオルが申し入れをすると、ハンナは喜んでそれを引き受けた。
「あの、マリーはいますか?」
 久方ぶりにあの少女と話がしたかった――主にアイリーンのこれまでの不思議な行動について――サリナは勢い込んで訊ねたが、ハンナの顔は晴れなかった。
「ごめんなさいね。マリーは出かけてるの」
「たぶんしばらくは帰っちゃこないな」
 ハンナの言葉を補うようにしてそう言いながら、その男性は厩舎から出てきた。さきほどハンナが話していた彼女の夫、マリーの父であるように思えた。
「マリーの親父のルッツだ。よろしく」
「あ、よろしくお願いします。サリナです」
 差し出されたルッツの手を、サリナは握った。ルッツの手は鋤などの道具を扱うためか、豆が出来てごつごつしていた。
 仲間たちがひととおり自己紹介を済ませたところで、ルッツが口を開いた。
「何日か前に旅支度をして出かけっちまってな。ちょっと行ってくるとだけ言って」
「あ、そうでしたか……」
 顔が見られればと思っていたのだが、タイミングが悪かったらしい。少し残念そうなサリナに、ハンナが詫びる。
「ごめんなさい、行き先も聞いていないからいつ戻るかもわからないの」
「すまんなあ。うちは放任主義なもんで」
 何も済まなく思ってはいない様子のルッツに、サリナたちはそれ以上は何も聞けなかった。そういえば以前ここに来た時、マリーは両親が買い付けに行って不在だと話していた。その間、店と厩舎はマリーに任されていた。それだけこの夫婦は、自分たちの娘を信頼しているのだろう。
「わかりました。またもしかしたら来れることもあるかもしれないので、その時を楽しみにしています」
 そう言って、サリナはにこりと微笑んだ。ひとまずはアイリーンたちを預けることが出来たので、マリーに会えなかったのは残念だったが、それで良しというべきだった。
 ルッツもハンナも、サリナたちのチョコボを歓迎してくれた。イロ、オラツィオ、イルマの3羽には初めて会ったふたりだったが、さすがというべきか、すぐに3羽の警戒心を解いてしまったようだった。アイリーンたちはそれぞれに厩舎に入れられ、すぐに羽根の手入れにかかるということだった。
 ビッテンフェルト厩舎を後にしたサリナたちは、そのままの足でシドの家へ向かった。途中、街のあちらこちらから響いてくる機械の駆動音や、技師たちの家同士を繋ぐ蒸気機関仕掛けのベルトコンベアに、クロイスとシスララは驚きの声を上げた。
「こういうのはこの街でしか見られないわよね、確かに」
 アーネスはやはり騎士団の任務で訪れたことがあったらしい。エリュス・イリア中のどこへ行っても、ここほど奇抜な様相を呈した場所は無いという。
「だからこそ技術が高まるんだよ、この街で」
 誇らしげに、フェリオはそう言った。実際、現在世界中で使われている蒸気機関による装置や道具は、全てこのロックウェルの技術者たちが発明したものだった。
「しかしガチャガチャしてうるさくねえ?」
 リプトバーグで暮らしていたクロイスにとって、この機械の音というのはどうにも馴染めないものらしい。厭そうに顔をしかめる少年に、フェリオは苦笑する。
「そう言うなよ。みんな必死で開発に力を入れてるんだ。それが皆の暮らしを便利にするって信じてさ」
「んー……そうか」
 口を尖らせてはいたが、クロイスは納得したようだった。
「この街には、技術者の皆様の情熱が詰まっているのですね」
 鉄と油の匂いが苦手なのか、ソレイユはシスララの服の袖に鼻をあてがって哀れな姿である。そんなソレイユを気遣うように撫でながら、しかしシスララ自身はこの街に溢れる情熱の、その熱に浮かされたような空気に魅せられているようだった。
「ええ。私も研究者の端くれとして、ここに暮らす皆さんの思いには共感するものがあります」
「どこかエル・ラーダの皆さんと、似ている気がします」
 片手を胸に当て、シスララは屋外で汗を拭いながら何かを組み立てている、強面の技術者を見ていた。日々栽培技術の向上に努め、少しでも収穫量を増やそうと努力を続けるエル・ラーダの農夫たちの姿が、彼に重なる。
「前に来た時は、そんなに見て回る余裕が無かったけど……」
 アシミレイトの練習や風の峡谷への旅、そしてスピンフォワード兄弟の両親の真実など、多くのことがあって、以前この街を訪れた時には街自体をじっくりと見ることが出来なかった。改めてシドの家までの道を辿り、サリナはこの工業の街を観察した。
 シスララの言葉のとおり、この街は熱意と夢に溢れていた。ここに住む者同士での切磋琢磨を欲して、多くの技術者が集まってくる、彼らにとっては天国とも言える街。技術者の家と家を繋ぐベルトコンベアには絶え間なく何かの部品が乗って運ばれ、技術者たちは家の中や外、場合によっては屋上などで、汗と油にまみれて作業を行っている。
「すごいなあ……」
 いずれも、夢や野望に向かって突き進む男たちの姿だ。稀に女性の技術者の姿もあった。サリナには、彼らの姿は輝いて見えた。
 久しぶりに帰ってきた街で、カインとフェリオは何度も声を掛けられた。ロックウェルの人々は明るく、中には昼間から酒を飲んでほろ酔い状態になっている者たちもいた。
 そんな賑やかな人々の間を縫って歩き、サリナたちはシドの家へ到着した。
「蒸気機関搭載住宅」
「まさに」
 いつ見てもそう見えるシドの家は、やはりそれ自体が何かの機械であるかのようにガチャガチャと音を立て、謎のレバーやハンドルがせわしなく動いていた。
「なんじゃこりゃ……」
「なんなの……」
「なんでしょう……」
 呆気に取られて、初めてここを訪れた3人はぽかんと口を開けた。こんな家は――というより、こんなものは見たことが無かった。
「ここがシドの家だ。フェリオの師匠の」
「ここで飛空艇造ってんのか?」
「ああ。家にくっついた作業場でな」
「この家自体が作業場っていう感じだけど」
 なんだか疑わしい目を向けているクロイスとアーネスに苦笑しながら、フェリオは口を開いた。
「鍵はかかってないと思う」
 言いながら、フェリオは早くもシドの家の玄関引き戸に手をかけた。引き戸は何の抵抗も無くがらりと動き、フェリオが手招きをして仲間たちを中へ通した。
 相変わらず、家の中にはその正体のよくわからない工具やら部品やらがごろごろしていた。それらを7人でよけて通りながら、サリナたちは例の茶の間へたどり着いた。
「あれ……?」
「おう、全員入るにはせめえなやっぱし」
「いや、そうじゃなくて」
 半分笑っているカインの言葉を素通りして、フェリオは茶の間の様子を窺った。シドにしかわからない謎のギミックの中に、テーブルと椅子が所在無さげにちょこんと存在している。それは前と何も変わらない。しかしシドの生活空間において、決定的に欠かせないものが欠けていた。
「砂糖壷が無い」
「砂糖壷?」
 フェリオに続いて部屋に入り込んだカインが、首を捻って茶の間を観察した。
「あれ? マジだ」
 シドは大の甘党である。彼はコーヒーが好きだが、砂糖を入れて甘くなったコーヒーしか飲まない。彼の助手たちはブラックのコーヒーを好むが、彼だけはいつも砂糖を使っていた。その量をフェリオから注意されるのを、サリナとセリオルも目撃している。
「でもコーヒーはあるよ
 流し台のそばにコーヒー豆とそれを焙煎する道具などを発見し、サリナは首を傾げた。フェリオたちも同様だった。
「うわ、何だこの部屋」
「これじゃ入れないわね」
「私たちはここで待ちましょうか?」
 クロイス、アーネス、シスララの3人は、わけのわからない機械で埋め尽くされた部屋に入ることが出来ず、廊下で待機することにした。中ではサリナたちが砂糖が無いとかで騒いでいるが、彼らには何のことだかさっぱりわからなかった。
「ねえ、砂糖がどうしたの?」
 痺れを切らして、アーネスが質問した。それに答えたのはフェリオだった。
「ここにはいつも砂糖壷があったんだ。それが無くなってるなんて」
「シドさんが動かしたんじゃないの?」
「いや……それに」
 フェリオの顔には、どこか焦りの色があった。砂糖が無いことがそんなに重大なことなのかと、アーネスは肩をすくめる。
「俺たちが入って来たのに、先生が来ないなんて」
「どちらに、いらっしゃるんですか?」
 シスララはきょろきょろとあたりを見回した。廊下の途中には、いくつかの扉もあった。あの部屋のどこかに、シドがいるのではないのか?
 そうして小さな混乱を来たしたサリナたちのところへ、思いがけない姿が現われた。少なくとも、サリナはその出現を予感しなかった。
「……あれ?」
 作業場へ続く扉を開けて入って来たのは、頭に手ぬぐいを巻いた、サリナの知らない少年だった。
 しかしフェリオとカインは、彼を知っていた。ふたりは固まる仲間たちを余所に、その少年に親しげに声を掛けた。
「ハロルド!」
「よお、久しぶりだな」
「フェリオさん、カインさん!」
 ハロルドと呼ばれた少年は汚れた手を急いで拭き、ふたりと握手を交わした。フェリオがサリナたちを紹介すると、ハロルドは実に丁寧な挨拶をした。
「ハロルドは先生の弟子なんだ」
「フェリオの弟弟子だな」
 そう紹介して、スピンフォワード兄弟はハロルドに親しげな笑顔を向ける。急いでコーヒーを淹れようとする彼を、しかしふたりは制止した。
「いや、それよりハロルド、先生はどこにいるんだ? 作業場か?」
「あ、いえ」
 額の汗をぬぐって、ハロルドは口早に説明した。
「先生は今、いらっしゃらないんです。せっかくフェリオさんたちが来られたのに、残念ですが……」
「おいおい、マジか」
 信じられない、という様子で、カインは仲間たちを見回した。
 会おうと思った人物に、ふたり続けて会えなかった。久しぶりに帰ってきた街でそんなことが起こるのかと、フェリオは溜め息をついた。