第108話

 店の客たちは、その騒ぎをぽかんと口を開け、唖然として見つめていた。
 並んだ丸いテーブルの上には、客たちがめいめいに注文した料理が湯気を立て、飲み物がじっと佇んでいる。客たちはこういった事態には慣れていた。灼熱の砂が広がるこの地に、荒くれ者たちは集まってくる。
「おいコラてめえら! とっとと話しやがれ!」
 耳障りなだみ声でそう叫んだのは、さきほど自らの質問に答えようとしない客のひとりを店の外へ蹴り出した、海賊らしき男だった。汚らしく荒々しい風体に、湾曲した大型の剣を持っている。その部下らしき男たちも似たようなものだった。彼らは店の酒を手前勝手に奪い、蓋を開けて瓶から飲んだ。
「この大陸だってこたぁわかってんだ。どこにあるんだ――“黄金郷”は!」
 大声で怒鳴り、海賊の男は乱暴にも、酒瓶を近くのテーブルに叩き付けた。瓶は大きな音を立てて砕け、中の酒が飛び散る。女たちが悲鳴を上げる。
「殺されてえ奴はそうやって黙っていやがれ。そうじゃない奴ぁ――あ?」
 苛立ちに任せて唾を飛ばす海賊の肩に、手が置かれた。その接近に気づかなかった海賊は、驚いて振り返った。
 強烈な拳による一撃が海賊の顔面を襲った。
 海賊は吹き飛ばされ、その身体を空いていたテーブルに激突させた。
「ぐえっ!?」
「船長!」
 無様な声を上げる海賊を助けようと、手下どもが群がる。彼らも完全に不意を突かれたためか、かなり狼狽しているようだった。
「……おう?」
「……あれ?」
 そして開け放たれたままの店の入り口でも、狼狽している者たちがいた。サリナとカインは状況の変化が上手く飲み込めず、殴られた海賊と殴った人物を交互に見比べた。
 海賊を殴った姿から直り、毅然としてそこに立っていたのは、若い女性だった。
「てめえら、あたしのシマで何してくれてんだ!」
 その女性は頭に派手な柄の布を巻き、動きやすそうな軽装に薄い上着を纏っていた。店の中の客たち同様、砂漠の民らしい格好だが、外見からは想像できない腕力の持ち主であるらしい。海賊は決して小男ではなかった。
「……なんかまた厄介そうなのが出てきたな」
「こういうのによく遭遇するわね、私たち」
「騒動に巻き込まれる性質なんですかねえ」
「まだ巻き込まれちゃいねーけどな」
「でも、時間の問題のようですよ……ほら」
 そう言いながら、シスララが指差したのはカインだった。
「おらおらおらおらー! かかってこーい!」
 店は途端に戦闘の場と化した。さきほどの女性とカインが、その場の海賊たちと乱闘を始めたのだ。何人もいる海賊たちは、カインの仲間だと判断したか、サリナたちにもその暴力の矛先を向けた。仕方なくサリナたちも応戦し、結果として勝負は一瞬で決した。
 店の客たちは、その騒ぎをぽかんと口を開け、唖然として見つめていた。
 テーブルの上の料理が冷めるだけの時間もかけず、海賊たちは鎮圧された。ほとんどをカインとさきほどの女性がなぎ倒し、残りはサリナたちが黙らせた。客たちと店員たちは、彼らの活躍に喝采を浴びせた。

「へえ……ローランに行くのかい」
 ぼろぼろになった海賊を店から、いや港から蹴り出して、サリナたちはさきほどの店であの女性と共にテーブルを囲んでいた。
 女性はアリスと名乗った。他に連れはいないようだった。
「ええ。大枯渇の研究をしていましてね」
 何食わぬ顔で、セリオルはそう説明した。しかしアリスは怪訝そうな顔をする。
「あんた、学者なのかい?」
「ええ、まあ」
「……じゃあ、あんたたちは?」
 並んだ統一感の無い面々をじろりと見回して、アリスはどうやら訝しがっていた。彼女の中の学者連中のイメージと、この連中はどうにも似つかない。
「彼の友人だよ。兼、金のかからない用心棒だ」
 フェリオはそう話したが、アリスは簡単には納得しなかった。彼女は下から覗き込むようにして、サリナたちを観察した。
「ま、珍しいでしょうけどね。皆それぞれにうまみがあるから同行してるのよ。例えば私は、こう見えて風水術の研究をしているの。大枯渇はとても興味深いテーマだわ」
 アーネスはこともなげにそう話した。彼女はローランでは灼熱の太陽で燃えるように熱くなるからと、鎧を着用していなかった。それが幸いした。
「私は武術の修行の身です。一緒に世界を回らせてもらって、修行しています」
 小柄ながら武道着姿のサリナの言葉は、説得力があった。実際、さきほどの戦闘でもサリナが素手で応戦し、海賊を苦も無く制圧したのをアリスは見ていた。
「俺はマナ技術を研究してるし、こっちの兄は魔物学の研究者だ、これで」
「これでとは何かねフェリオくん」
「ごめん、訂正する。こう見えて」
「うわー、すばっとくるねー」
 額に手を当てて笑いながらそう言うカインに、アリスは探るような目を向けていたが、次第にその疑惑は解消されていったようだった。いずれにせよ、この連中がローランを荒らしに来たわけではないことは確かであるように思えた。
 クロイスは仲間たちに任せて何も語らず、シスララはいつもの柔らかな笑みでアリスを見つめるだけだった。そのふたりのことも含めて、アリスは疑うのをやめにした。
 セリオルは突然の状況の変化の中、アーネスとシスララが身分を明かさないでいることに胸を撫で下ろした。騎士が自治区内で、また辺境貴族が他の自治区で身分を名乗るのは、要らぬ警戒を呼ぶ。そのあたりのことは、さすがにふたりとも心得ているらしかった。
「そうかい、なるほどね。まあいいや。ローランへはあたしが案内してやるよ。手伝ってもらった礼だ」
「え! いいんですか?」
 思わず大きな声で喜びを前面に押し出してしまい、それに気づいて恥ずかしそうに縮こまるサリナに笑って、アリスは続けた。
「ああ。砂漠の移動は骨が折れるしね。あたしが言やあグリングランもタダだよ」
「グリングラン?」
 初めて聞く言葉に、サリナが訊き返した。アリスは、ああそうかという仕草をして答える。
「後でわかるさ。カラ=ハンの砂漠を移動するには必須の乗り物だ」
「へえ〜。そんなものがあるんですかあ」
「……揺れないだろうな」
 急激にどんよりした空気を醸し出し始めたカインの言葉に、アリスは首を捻り、仲間たちは苦笑した。
 砂漠独特の香辛料や香草のよく効いた食事で栄養を補給し、一行はローラン自治区の首都、熱砂の街ローランへ向けて出発すべく、店を出た。
 アリスは顔が広いらしく、行き交う人々の多くから声を掛けられた。港で働く人々の活気の中を歩きながら、ふとセリオルがアリスに尋ねた。
「さきほどの海賊が言っていた、“黄金郷”というのは何のことです?」
 その質問にアリスが敏感に反応するのに、サリナは気づいた。一瞬で彼女の纏う空気が変わった。彼女が極力表に出さぬよう努めていたため、それを察知したのはサリナだけのようだった。その瞬間、アリスが発したのはふたつの意志だった。
 警戒、そして、拒絶。
「……さあね。最近多いんだ、ああいうことを言う馬鹿が。どっかで変な噂が立ってるんだね」
「なるほど……噂、ですか」
「ああ」
 それでこの話は終わりだ、とアリスは言外に示していた。そしてそれが、さきほどの騒ぎを思い返して不快な気分になったものと思わせようとしていた。そういう意図が彼女の言葉の端に見えて、サリナは更に不思議に思った。黄金郷という言葉は、ローラン自治区では禁句なのだろうか?
 港を出発する前に、一行は服屋へ入った。砂漠の日差しから身を守るための服を買うためだった。この暑さの中で長袖の服を着ることにカインやクロイスは抵抗したが、セリオルのひと言が彼らを黙らせた。
「ふたりとも、死にたいんですか?」
「ごめんなさい」
 かくしてサリナたちは砂漠の民の衣装に着替え、ローラン港を出発するため、グリングラン乗り場へ向かった。
 乗り場には比較的多くの人々がいた。こんな砂の大地にも、観光客は来るものらしい。確かにさきほどの食事は独特の味付けで美味だったが、とフェリオは胸中で呟く。わざわざこんな暑いところへ遊びに来るなんて、物好きもいたものだ。
 しかもカラ=ハン大陸へ観光に来るのは、比較的裕福な人々であるようだった。早掻の海を渡ることの出来る船は限られている。その乗船料も安くはない。大枚をはたいてここへ来るなんてどうかしてる、とフェリオはかぶりを振る。
 カラ=ハン大陸は30年前に起きた大枯渇以来、マナが枯れたと言われている。完全に尽きたわけではないがその供給量は少なく、そのため動植物の姿も少ない。人口も一定以上に増えることは無く、ここを故郷とする者たちがその愛着ゆえに住んでいる、そういう土地である。
 だがそれだけに物珍しさはあるらしく、旅行者は多い。鉱物資源が豊富なので労働者の数も少なくはない。つまり地下にはマナが復活しているのではと研究者たちは考えるが、確証を得るまでの事実は何も見つかっていない。
 そういったような話をアリスやアーネスらから聞いてふんふんと頷きながら、サリナはグリングランの姿を探した。砂漠を移動するための乗り物だという。一体どんな姿をしているのだろう。
「ほら、あれだ。見えるか?」
 アリスが指差した方角を、サリナは見つめた。
 そこには“グリングラン乗り場――レオナルドのとっておき”と、派手な色使いと目を背けても追いかけて視界に入ってくるのでは思うほどの強烈なデザインででかでかと書かれた木製の看板が立っていた。
 そしてその向こうに、グリングランがあった。
「……虫ぃ!?」
 サリナやクロイスらが驚きの声を上げたそれは、淡い緑色の巨大な甲殻類だった。じっとおとなしくしているが、頭から生えた2本の触角がゆらゆらと動いている。背中には何人も同時に乗ることが出来そうな、大きな屋根付きの荷台。その前方には御者が座る座席も設置されている。
「ええ……ええええええええ」
 かなり大げさにも思えるリアクションのサリナを、アリスが笑う。だが驚いているのはサリナだけではなく、フェリオやクロイス、シスララもだった。
「世間は広いな……こんなのを飼いならしてるのか」
「おい、あれに乗るのか? まじで?」
「まあ……よく見ると可愛らしいですね」
「ええっ!?」
 口に手を当ててのんびりした口調でそんなことを言ったシスララに、仲間たちが今一度驚きの声を上げる。アリスはそんなサリナたちの様子が可笑しいのか、腹を抱えて笑っている。
「あっははははは! ここまでばらばらな反応をしたのは、あんたたちが初めてだよ!」
「はっはっは。そこが俺たちのいいところだぜ」
「何も考えずに言ってますね、カイン」
「はっはっはっは」
 一度確認してみようということで、サリナたちは遠巻きに、グリングランを前から見てみた。大きな虫だが、巨大な蟻という印象をサリナは受けた。本当におとなしい。餌を出されているわけでもないのにじっと佇み、御者の指示を待っているようだ。
「……確かにちょっと可愛いかも」
 その黒くて丸い目を見て、サリナはそう呟いた。それについては仲間の中で大きく意見が割れるところだったが、他の誰よりもその巨大昆虫を気に入ったのは、やはりカインだった。
「よお! レオナルド!」
 アリスがそう名を呼んだのは、このグリングランでひとや荷物を運んでいる男のようだった。妙に派手で少しズレた服装のその長身の男は、勢い良く振り返って返事をした。
「へいよー! アリスちゃんじゃねーの!」
「ちゃん付けはやめろって言ってんだろ!」
「あいたー!」
 アリスに痛烈な肘打ちを決められ、しかしなぜか嬉しそうにレオナルドは鳩尾を押さえた。
「ちょっとこの連中を運んでやってくれるかい。ローランまで」
「おう、いいぜ! アリスちゃ……げふんげふん。アリスは乗らねーの?」
「乗るに決まってんだろ」
「だよねー!」
 両手の人差し指をぴっとさせてアリスを指差し、再びレオナルドの鳩尾にアリスの肘が食い込んだ。
「ひゃっひゃっひゃ。なんだあいつ、おもしれえ!」
「……あれとローランまで一緒なのか」
 陽気すぎるレオナルドに対して正反対な反応をするスピンフォワード兄弟に、サリナは苦笑するのだった。

「へいよーサントス! バリバリでいっちゃってくれーい!」
 御者席に座らずに立つという暴挙に出つつ、レオナルドはサントスという名らしいグリングランを出発させた。サリナたち全員とアリスにレオナルドを乗せても、サントスには何の苦でも無いようだった。
 灼熱の太陽が照りつける無限の砂漠を、サントスはその逞しい6本脚で走る。グリングランは少量の水と食料で長時間の活動が可能な、砂漠に適した生態を持つ昆虫だとアリスが説明した。
「その上利口でね。見てのとおり、あのバカの言うことでもちゃんとわかってるんだ」
「ヘイヘイアリスちゃん! バカだなんてひどいぜ!」
「だから何回言えばわかるんだこのバカ!」
「おうのー!」
 アリスがその腰に提げていた剣の鞘で背中を突かれ、衝撃で咳き込みながらもやはりレオナルドは楽しそうだ。ふたりがそういうやりとりを始めるたび、カインは笑ってフェリオは頭を抱えた。
「まるで誰かを見てるみたいだ……」
「ひゃひゃひゃ! ……ん、なんか言ったかフェリオ」
「なんでもない」
 砂漠にも魔物は跋扈していた。あまり食べ物も無さそうなのにどうやって生きているんだろうとサリナには不思議だったが、砂漠には砂漠なりの食物連鎖があるのだとカインが教えてくれた。
 砂漠は暑いが、サントスの背に乗って高速で移動していれば、意外にも涼しさを感じることが出来た。かいた汗が風で乾くためだ。大気が乾燥してるので、汗の乾きも速い。
「これはしっかりケアしないと、お肌が大変ね」
「そうですね。お宿に着きましたらオイルを致しましょう」
「あ、いいなー!」
「サリナも一緒ね、もちろん」
「えへへ。うん!」
 女性陣がそうやって盛り上がる中、アリスはあまり興味が無さそうだった。砂漠で暮らす者にとっては、確かに気にしても仕方の無いことなのかもしれない。
 サントスは思った以上に速く走った。ローラン港から首都ローランまでは、さほど遠い道のりではない。この分なら到着もすぐだろうと思われた。
「それにしても、この状態でよく迷わずに進めますね」
 何の目印も無い砂漠である。砂丘の形は日々の風によって変わり、特定の建造物なども無い。だというのにレオナルドは迷い無く手綱を操り、サントスを走らせている。やけに大きい鼻歌まじりで。
「グリングラン使い専用の目印があるらしい。詳しいことは知らねーけど」
「なるほど……星でしょうか? いや、こう明るくて星が見えるはずは……だとすると遠くに何か目印になるものが? そこまで目が良いものか……うーん」
 そんなことに頭を捻り始めたセリオルの物まねをカインがしてすぐに察知され、怒られてしゅんとして仲間たちの笑いを誘った。
 グリングランは、チョコボと同じように魔物の狩りの対象外である生物らしかった。そこには特殊なマナの働きでもあるのか、まるで視界に入ってもいないかのように、砂漠の魔物たちはサントスに狙いを定めはしなかった。
 ただ、一度だけ例外があった。
「おうおうおうやばいぜアリス! あいつが出やがったぜ!」
「なんだって!?」
 アリスがそう叫んで荷台から身を乗り出した直後、それはサントスの足元に現われた。
 ベコンと大きな音がしないのが不思議なくらいに、砂地が美しいすり鉢状にへこんだ。レオナルドが巧みに手綱を操り、混乱するサントスを落ち着かせながらそれを回避した。
「お前ら、戦えるか!? アントリオンだ!」
「なぬっ!」
 荷台から飛び出したアリスに真っ先に続いたのはカインだった。彼は魔物の出現に目を輝かせていた。
「アントリオンっていやーマナを吸収しちまうやつだろ! レアモンスターだ!」
 嬉しそうに砂地に降りたカインの周りに、仲間たちが集う。
「捕まえちゃいなさいよ、カイン」
「サントスのマナを狙って出てきたのか……」
「やれやれ、面倒ですね」
「よーし、頑張りましょう!」
「試してやるぜ、新技!」
「ソレイユ、準備はいい?」
 砂漠の民の衣装で各々の武器を構え、サリナたちはアントリオンが出てくるのを待った。
 それはまさに巨大なアリジゴクだった。すり鉢状にへこんだ砂の奥から、アントリオンは素早い動きでその身体を現した。
 砂の上に現われたのは、それだけでも人間よりもやや大きい上体部分だった。鎌状の四肢に同じく鎌状の牙のような口、赤い複眼。きちきちと奇怪な音を立てる触覚。動きが素早い。
「小さいほうだな。とっとと片付けるよ!」
「おし! レアモンゲットだぜ!」
 高山飛竜の鞭をぴしりとしならせ、カインを先頭にしてサリナたちは、アントリオンとの戦いを始めた。