第11話

「いやいやいや。こりゃまた奇遇なことで」
 冗談のように大きなガーゼを額の中央に貼り付けたカインが、テーブルにつきながら言った。目が笑っている。ガーゼはどう見てもセリオルを困らせたいがためだけの演出だった。セリオルはそれに気づいていて小さく苦笑したが、その反応だけでもカインは楽しんでいるようだった。
 シド・ユリシアスの家は、サリナの目には機械仕掛けの乗り物のように映った。常に蒸気機関やそれに連動する何やらわからない装置の音がシュウシュウゴンゴンとうるさく、ともすれば家自体が歩き出すのではないかという雰囲気だった。案内してくれたウッドマン夫妻は、中に入るともっと驚くよと笑いながら帰っていった。
 そんな不思議な家の中を、フェリオが慣れた様子で案内してくれた。ついさきほど涙の別れを遂げたはずの4人がこうも早く再会したことに喜劇めいた可笑しさを感じつつ、サリナとセリオルは茶の間へと通された。
 おっかなびっくり進んだ廊下は狭く――というより工具やら正体不明のギミックやらが占拠していて進むのにこつが必要だった――茶の間も名ばかりで、怪しげなボタンの配された装置に埋もれた中にテーブルと椅子が疎外感たっぷりに身を縮めている部屋だった。とにかくどこででも何らかの機械類やら金属の棒やらネジやらが存在感を主張し、我が物顔で闊歩しているのだった。
 闊歩はしていないが、サリナにはそもそも床を歩くだけでカンカンと金属質な音が鳴り響くことからして信じられなかったのだ。
「ふたりが探していた人って、先生だったのか」
 そう言いながら5人分のコーヒーを配りつつ、フェリオも椅子に腰掛けた。といってもまともな椅子はデザインのバラバラなものが3脚しか無く、フェリオとカインが座ったのは適当な大きさの工具箱らしき物体だった。
「ええ、まあ、結果的には」
「結果的には?」
 フェリオの疑問にセリオルが答えようとしたところへ、大きなスパナを持った、大柄で褐色の肌をした壮年の男性が現れた。ランニングシャツから出た腕は太く、年齢を感じさせない筋骨隆々ぶりである。蓄えられた髯は白く、頭にはバンダナを巻いている。服や肌のそこらじゅうに油汚れを付着させているが、不思議と髯だけは汚れていない。彼は重そうな安全靴でドスンと床を踏みしめ、作業場から茶の間への数段の階段を上ってきたのだった。
「おう、待たせて悪かったなあ、お客人」
 サリナとセリオルを見止めて豪快に笑いながら、シド・ユリシアス教授は第一声を発した。
「お初にお目にかかります。セリオル・ラックスターと申します」
「サリナ・ハートメイヤーです」
「おう、シド・ユリシアスだ。堅っ苦しいのはやめようぜ、セリオル、サリナ」
 スパナをそのへんの工具箱に放り投げて椅子に座り、シドはそう言った。フェリオの入れたコーヒーをぐびりと飲んで、彼は「苦ぇ」と呟いた。彼のコーヒーには角砂糖が3個、入っていた。
「フェリオ、砂糖あと2個くれ」
「だめです。体に毒です」
「かー。相変わらず厳しいねえ」
「おっさん、トシ考えろよ、トシ」
「誰がおっさんだカインてめえ」
 ひとしきりじゃれて、シドはセリオルに向き直った。
「うちのカインとフェリオが世話んなったんだってな」
「いえいえ、私たちのほうこそふたりには助けられました」
「おいおっさん、フェリオはともかく俺はあんたの弟子じゃねえぞ」
「うっせえ黙ってろこの悪ガキが」
「だあれがガキだくたばり損ない」
「あんだとおしめの取れねえちんちくりんのくせしやがって」
「やめろよふたりとも。客人の前だぞ」
「おう、そうだった」
 ゲラゲラと笑いながらシドが謝った。フェリオはため息をつき、カインは愉快そうに笑っている。サリナとセリオルもつられて笑っていた。
 コーヒーを飲んで落ち着いてから、セリオルが切り出した。
「ルーカスさんが、亡くなったそうですね」
 一言で、その場が凍りついた。シドだけでなく、スピンフォワード兄弟も表情を強張らせていた。機械だけが、感情の無い音を響き渡らせている。突然の沈黙にサリナは混乱した。シド、カイン、フェリオの顔を順番に見るものの、状況は把握できなかった。セリオルも、スピンフォワード兄弟までが険しい表情をしている理由がわからずに困惑した。
「なんで、ルーカスを知っている?」
 沈黙の後に、低い声がシドの口から発せられた。機械の音に紛れない、強い声だった。
「昔、一緒に働いていました」
 セリオルのその返答に、シド、カイン、フェリオの3人から同時に驚きの声が漏れた。ここでもセリオルには、カインとフェリオの反応が不思議だった。
「お前さん、まさか、あのセリオルか?」
「――まあ、名を知られることになるだろうとは思っていましたけれど、たぶんそのセリオルです」
「なんてこった」
 額に手を当てて、シドは椅子の背もたれにもたれ掛かった。信じられないといった風に。
「それじゃあ、その子がそうなのか?」
 突然話を振られて、サリナは身を硬くした。どうやら自分の身の上に関わる話が始まる。
「ええ。エルンストさんの」
「――いや、そうか。サリナ・ハートメイヤー……ハートメイヤー」
 自分を見つめて繰り返すシドに、サリナは背筋を伸ばして告げた。
「エルンスト・ハートメイヤーは、私の父です。私たちは、父を幻獣研究所から解放するために旅をしているんです」
「そうかそうか、君がな、エルンストの――」
「シド教授。あなたならご存知だと思います。私たちには、必要なんです」
「飛空艇……か」
 搾り出すように言ったシドの言葉に、セリオルは深く頷いた。再び沈黙がその場を支配し、機械の音だけが無感情に響いた。サリナはほとんど手付かずのままで冷め切ってしまったコーヒーを見つめていた。
 そしてシドが、重い口を開く。
「このふたりは、ルーカスの息子たちだ」
 驚きの声を発するのは、今度はセリオルとサリナの番だった。ふたりは合点がいった。さきほどカインとフェリオが、ルーカスの名に鋭く反応したことに。
「そんな……いや、しかしふたりの姓はスピンフォワードでは?」
「レナの旧姓だ、スピンフォワードは。そう名乗ることを、俺が勧めた」
 シドの言葉に、セリオルはがくりと肩を落とした。まるで何かの悪い予感が的中したようだった。サリナは自分の、その推測は間違いではないと確信していた。
「セリオルさん」
 兄と慕うセリオルの肩に手を添えて、サリナは彼の顔を覗き込んだ。その表情は苦悶と迷いに満ちていた。こちらを見るその瞳が、たまらなく辛そうだった。
「話してください、セリオルさん。あの晩から、私はほとんど何も聞いていません。お父さんのこと、幻獣研究所のこと、リストレインのこと、クリスタルのこと、これからセリオルさんが――私たちが、しようとしていること。それに、ルーカスさんと、カインさんとフェリオと、シドさんのこと」
 一息に言い終えて、サリナはセリオルの反応を待った。抱えた頭をようやく上げて、セリオルはシドの顔を見た。シドは、セリオルと同じくらい険しい表情で両目を閉じていた。その目が開かれた時、彼はセリオルに重く頷いてみせた。
「わかりました、話しましょう」
「カイン、フェリオ、よく聞いておけ。お前たちにも関わることだ」
 カインとフェリオが頷き、セリオルは話し始めた。
「王都イリアスの幻獣研究所。私はかつて、そこで研究する研究員でした。ルーカスさんとレナさんは私の先輩で、エルンスト教授は、私の師でした。シド教授はルーカスさんとレナさんの師で、幻獣研究所の名誉教授でいらっしゃいました。
 幻獣研究所は、統一戦争でイリアスに大きな力をもたらした存在――幻獣とリストレインについて研究する施設です。私たちのチームは、その中でも最先端の技術研究をしていました。我々のチームは幻獣とリストレインを融合させ、巨大な力を手にする技術、“アシミレイト”の原理を究明する、アシミレイト研究班と呼ばれていました。そのメンバーは5人。エルンスト教授、ルーカスさん、レナさん、私、そして――」
 僅かに言い淀み、唾を飲み込んでからセリオルはその名を口にした。
「ゼノア。ゼノア・ジークムンド。私の同輩で、サリナ、君のお父さんを幽閉した男です」
 ドクン、と。心臓が大きく跳ねる音をサリナは聞いた。ドクン、ドクン。いつもの何倍にも膨れ上がった心臓が送り出す血液が、耳の奥で渦巻く。それはまるで、炎のようにサリナの体内を灼いた。サリナは自覚した。これが、怒りという感情だ。これまで感じたことが無いほどの、それは激烈な怒りのうねりだった。
 サリナの様子を見て、セリオルは後悔していた。いつかは明かさなければならないと思っていた。ゼノアの名を、サリナに。しかしこれまで触れなかったのは、サリナにそれを受け入れさせるだけの準備が必要だと思っていたからだった。ルーカスとレナの死を知って事態が急変したため致し方無いことだったが、外堀を埋める前に核心へとたどり着いてしまったことで、サリナが心を憎しみに逸らせてしまうことを、彼は危惧した。事実、彼女の両手は膝の上で固く握られ、そのために白く色を失ってしまっている。
「アシミレイト研究班は、苦労の末にその原理を解明した」
 サリナを気遣って先を話せなくなったセリオルに代わって、シドが口を開いた。
「人間に力を貸す時、幻獣はクリスタルにその身を変える。だがそれは、幻獣に認められた人間が現れた時に限っての話だ。幻獣には大きく分けて8つの種類が存在する。炎、風、雷、力、水、地、聖、そして闇。この8つを“属性”と呼ぶが、これは白魔法や黒魔法にも関わりのあるあの属性と同じと考えればいい。人間の中には変わった奴らがいて、この8属性のどれかと高い感度で“共鳴”しちまうことがある。統一戦争のウィルム王や六将軍もそうだった。
 幻獣研究所には、いくつかのリストレインが存在した。統一戦争後、王家が保管していたリストレインは、内乱でそのほとんどが行方不明になったと公式には発表された。地と聖のリストレインだけは今でも所在が明確で、ある騎士や貴族の一族が持ってる。それ以外は失われたはずだったが、炎と風と闇のリストレインを、幻獣研究所が秘匿してたんだ。統一戦争での伝説の力に目がくらんだ軍部の仕業だった。
 それ以来、幻獣研究所はリストレインを研究していた。俺たちは何も疑わなかった。エリュス・イリアの未来のためになる研究だと信じきってた。ゼノアが現れるまでは」
 その名に、サリナが顔を上げた。セリオルの心配はひとまず外れたようだった。彼女は真っ直ぐにシドを見ていた。その顔に怒りの跡は見えたものの、憎悪は現れてはいなかった。ほっとして、セリオルはシドの後を継いだ。
「ゼノアは幻獣の力を自分のものにしようと画策したんです。幻獣や魔法をはじめ、あらゆる力、生命の源である“マナ”。それを自分だけのものにしようと。かつての狂皇パスゲアのように。パスゲアよりも質が悪いのは、彼にはリストレインやアシミレイトに関しての知識があったことと、幻獣の中にも邪悪なものが存在したことです。
 ゼノアは、闇の幻獣と結託しました。彼の狂気に気づいたエルンスト教授を幽閉し、計画の障害となる人たちを次々に排除して」
「その障害となる人たちの中に、親父とお袋も入ってたのか? ゼノアってのに俺たちが狙われないように、スピンフォワードを名乗るのを勧めたのか? オーバーヤードは有名だからフェリオの勉強の邪魔になるってのは建前だったのか?」
 口を挟んだのはカインだった。空気が張り詰める。フェリオも厳しい表情をしていた。セリオルとシドは、何も答えなかった。沈黙が全てを語っていた。さっきセリオルから感じた悪い予感の正体はこれだったのかと、サリナはようやく気づいた。
「答えろよ、おっさん」
 カインは立ち上がった。シドに詰め寄る。
「答えろよ、おい!」
 カインに胸倉を掴まれ、揺さぶられてもシドは目を閉じたまま黙っていた。カインが激昂する。フェリオが止めに入った。
「やめろよ、兄さん。先生だって言い出せなかったんだ。わかってるだろ」
「畜生!」
 手を放して、カインはテーブルに背を向けた。怒りで肩が震えている。
「お前はな、フェリオ、お前は親父とお袋の記憶もそんなに無いだろう。けど俺は! 俺がどんな思いで、これまで生きてきたか! お前を一人前にするために、俺は!」
 カインが発した言葉は少なかったが、フェリオにもシドにも、その気持ちは伝わっていた。両親を事故で亡くしたと思っていたから、これまでひたむきに頑張ってこれた。親の代わりになって、フェリオを育ててきた。ひとりで。
「……すまん」
 低く、シドは詫びた。謝罪が何も生まないことはわかっていた。それでも彼は、それくらいでしかカインの気持ちに報えなかった。
「我々は、ゼノアを倒しに行きます。それで飛空艇が必要なんです、念のためですが。だから蒸気機関や飛空艇にも造詣の深かったルーカスさんを尋ねて来ました」
「セリオルさん、違うよ」
 差し挟まれたサリナの声は、澄んでいた。
「私たちは、ゼノアを倒すんじゃない。止めるんだよ。お父さんを助け出して、ゼノアを止める。それが私たちの目的だよ」
 セリオルには返す言葉が無かった。サリナの澄んだ声と瞳に、自分を恥ずかしくすら思った。心配など何も要らなかった。憎しみに囚われていたのは、サリナではなく自分だったではないか。
「そうですね、サリナ。言い間違えました。ゼノアを止めに行きましょう」
「うん」
 セリオルを見つめるサリナの両目は、涙で濡れていた。
「飛空艇は俺に任せろ。ルーカスが飛空艇のことを知ってたのは、俺が教えたからだ。飛空艇の第一人者は俺だ。最高のやつを作ってやる」
「願ってもないことです。助かります」
「ただな、ひとつ足りないものがある。“風鳴石”ってんだが」
「風鳴石……初めて聞きます」
「まあ近くで採れるんだ。こっから西にある“風の峡谷”ってとこで。ただここがな、あれなんだ。風の“集局点”なんだ」
「集局点?」
「幻獣の住処と呼ばれる場所の総称です。ゼノアの件で、幻獣たちは今人間に敵対的です。つまり、大変危険な場所ということです」
「でも、行くしかないんだよね」
「ないですね、行くしか」
「俺も行く」
 背を向けていたカインが、振り返って言った。まだ怒りは収まっていなかったが、我を忘れているわけではないようだった。
「野盗の砦で見ただろ。幻獣の扱いなら、慣れてる。ゼノアって野郎、ぶっとばさねえと気が収まらねえ。俺も行くぞ、王都」
「おい大丈夫か、お前」
 不安げにかけられたシドの声に、フェリオが答えた。
「大丈夫さ、俺もついて行くから。ただ、出発は明後日にしてくれないか? 明日、例の学会があるんだ。ぎりぎりで間に合って良かった。ここから先の研究は旅先でも出来る。それに色々な場所の技術も見てみたい。だから俺も行くよ、兄さん」
 お前は一人前の技師になるのが先だ、と言うタイミングを、カインは完全に失った。フェリオの口上は立て板に水で、気づいたころには同行が決定していた。口をぱくぱくさせた後、何も言えずにまた背中を向けて頭を掻くカインに、サリナはやっと笑うことができた。

挿絵