第110話

 男性陣の部屋に、サリナたちは露店で買った食べ物や酒を持ち寄っていた。時の頃はすでに夜半に差し掛かりつつある。食事や入浴を済ませ、彼らは楽な部屋着で集まって、乾杯をした。
 話題は他愛の無いものだった。それぞれの過去について、これまで語ったことの無かった細かな出来事や、これまで訪れた様々な場所での思い出話などだ。また、それぞれの専門分野について、彼らは異文化の交流ででもあるかのように、知識の交換を行った。それは研究熱心な若き学者たちであり、また砂漠の暑い夜を楽しむ旅行者たちだった。
「一番興味深く思ったのは、アントリオンと戦った時ね。地のマナを風水術で呼ぶことが出来たの。本当はマナが涸れてなんていないんじゃないかしら?」
 風水術の研究者であるアーネスは、焼いた鶏肉を齧りながらそう言った。香辛料がよく利いていて、酒が進む。
「それは本当ですか?」
 セリオルは驚いて聞き返した。アーネスは酒を飲みながら頷く。
「ええ。私も意外だったわ。砂漠に立った時点で地のマナを感じることが出来たから……」
「そりゃあ魔物がいてひとも住んでるし、マナがゼロってわけじゃないんだろ?」
 椅子に前後逆に座って背もたれの上に顎を載せ、その椅子を少しがたがたとさせながらカインがそう言った。アーネスはそれに、肯定とも否定ともつかない曖昧な返事をした。セリオルはアーネスの話を興味深げに聞き、顎に手を当てて何か考えているようだった。
「サリナは、白魔法のほうはどう?」
 訊ねたのはシスララだった。セリオルたちの会話を興味深く聞いていたサリナは、突然自分に向けられた言葉に驚き、酒が喉の変なところに入りかけて咳き込んだ。
「あら、ごめんなさい。大丈夫?」
 心配したシスララが背中をさすってくれて、なんとかサリナは顔を上げた。
「う、うん、ごめんねこっちこそ」
「いいえ、私のほうこそごめんなさい」
 申し訳無さそうなシスララと同調してソレイユが小さく啼く。それが可笑しくて、サリナは少し笑った。
「あはは。ううん、ごめんね。えっと白魔法は、べんきょ……研究はしてるんだけど、なかなか進んでないんだ。これまでとは内容が全然違って」
「あら……内容というのは?」
 言い間違えたサリナに微笑みながら、シスララは質問した。笑われたことにやや赤面しつつ、サリナは答える。
「うん……マナの練り方とか、術式の編み方とか。なんだかややこしくって」
「まーサリナだもんな」
 こちらを見もしないで横槍を入れてきたのは、クロイスだった。彼は酒に顔を赤くしつつ、焼いた干し肉を齧っている。
「な、なによー。私だって頑張ってるんだから!」
「へーへー。その調子だー」
「もー!」
 たった2歳とは言え、サリナとクロイスの年齢でその差は大きいはずだ。その年下のクロイスにからかわれるサリナに、仲間たちが笑う。サリナはそれでますます赤面し、酒をぐっと飲んでまた咳き込んだ。
「さっきのアーネスの話、興味深いな」
 ひとしきり笑った後、フェリオが小声でセリオルに言った。セリオルはその話題にそれ以上触れることはせず、しかし深く頷いた。
 彼らは監視されている。おそらく、アリスの手によるものだろう。その目的は、サリナたちの正体を探ることだ。彼らのばらばらな取り合わせと、高い戦闘能力。ただの研究者と用心棒たちであるということを、アリスは疑っているのだろう。
 そしてそれは、あの海賊が言っていた“黄金郷”と少なからず関係している。彼らが“黄金郷”に近づこうとする者であるか否かを見極めようというのが、アリスの狙いだ。それが、セリオルの読みだった。
 だから彼らは、装うことにした。完璧に、各分野の研究者を。多少でたらめな組み合わせの一行であったとしても、怪しいところを一切見せず、間違いなく学者集団なのだということを見せ付ける。
 そしてこのローラン自治区を治める領主に、必ず会う。セリオルは今、それを心に決めた。アーネスの言葉が、彼に確信を与えた。この地には、何かある。豊かな地のマナ、過剰なまでの警戒、そして“黄金郷”。
 このローランに眠るのは、地の幻獣。クリプトの書はそのことまでは示しはしなかったが、セリオルはそう推測した。だがそれを、今仲間たちに伝えるわけにはいかない。彼らの会話がどこまで聞かれているのか、その行動がどれだけ見られているのか、今はまだわからないからだ。
 それは、明日になればわかるはずだ。だから彼らは、この夜をそれぞれの役割を演じて過ごした。

 炎天下である。砂地ではないとはいえ、ぎらつく太陽の光は地面に反射し、サリナたちを容赦無く襲う。
「うへ……」
 舌をだらりと出し、カインは生気の無い顔で立っていた。そしてその尻に、飛び蹴りが炸裂する。
「働けー!」
「ぎゃふん」
 クロイスは見事に着地を決め、カインは見事に地面に突っ伏した。
「ぎゃふん!」
 そして熱された土にダメージを受け、飛び起きた。
「あああああちいだろ! ばばばばかこのクロイスばか!」
「うるせー! サボってねーでお前も働け!」
「ばか! 俺だってちゃんとやってるっての!」
「どこがだ! お前が一番進んでねーだろが!」
「何やってんだよ……」
 ぎゃんぎゃんと喧嘩を始めたふたりを、フェリオは汗を拭いながらうんざりした顔で見ている。この暑いのに、それ以上に暑くなるような騒ぎを起こさないでほしい。
「あはは……元気だなあ、ふたりとも」
 こんなに暑くてもいつも通りのやりとりが出来るふたりにどこか感心しつつ、サリナも流れ落ちてくる汗をタオルで拭く。見上げると、太陽が大変な元気で輝いている。小さく溜め息をついて、サリナは地面に視線を戻した。
 彼らは“砂塵の風紋亭”の近く、街の中心である涸れたオアシスへ来ていた。まだ午前中だが、既にかなりの暑さである。そんな中でこの涸れた池を掘り返すのは、骨が折れた。
 ここまでの道すがら、セリオルが説明した。そもそも涸れたオアシスの周りに街があり、そこにひとが住んでいること自体が不自然だと。
 自然に湧き出すことが無くなったのに地下に水源があり、必要な量の水が井戸によって十分に供給されている。それだけではなく、街には植物もところどころに茂っている。農地もあり、作物を育てるための水も計画的に得られている。
 大枯渇によって涸れたオアシスの地下水が、その水量を回復しているのではないか? だとしたら、それがオアシス自体を復活させないのはなぜか? それには、マナがどう影響しているのだろうか?
 いかにも研究者らしい言い回しと言葉遣いで、セリオルは仲間たちにそう語った。だからそれを調査したいと。オアシス跡を掘り返したところで、街に迷惑はかかるまい。保護されているわけでもなければ、景観が変わるわけでもない。アリスの言葉に反することも無い。
「しかしこれは、骨の折れる作業ですね……」
 そう呟いて汗を拭くシスララの傍で、ソレイユは意外にも元気だった。飛竜は暑さには強いらしく、主人を手伝おうと自分も一生懸命に地面を掘っている。
「賢いわね、ソレイユは」
 アーネスは飛竜の様子に微笑んだ。シスララが嬉しそうに笑い、ソレイユの額を撫でる。
 セリオルは仲間たちの様子を見つつ、自らも掘削作業を行っている。そして彼は、仲間たち同様、周囲の気配を探ってもいた。
 監視の目は、どうやら今も存在している。それは昨日と同じくらいの数であると思われた。つまり、とセリオルは胸中で結論づける。どうやら、宿での細かい会話の内容までは把握されてはいない。もしも昨日の話を聞かれていたのなら、アーネスがマナの存在について語ったことを、もっと警戒したはずだ。なぜならそれは、“黄金郷”と関係する内容であるはずだからだ。
 今日、セリオルが仲間たちと話したのは、あくまで大枯渇についてのことだった。大枯渇の研究者がその影響について話すことに、何も違和感は無いはずだった。だがそれが、風水師が隠れたマナの存在を察知したとなると、話は別だ。単に大枯渇が地下対脈に与えた影響を調査するのと、ある確信を持ってマナの存在を探るのとでは、アリスたちが隠そうとしている何かへのアプローチが全く異なるからだ。
 そんなことを考えながら、セリオルは掘削を続ける。だが彼は、ある違和感を覚えていた。
「これは……」
 さきほどから掘れども掘れども、湿った土が出てこない。地下水を有する大地が、それなりに湿り気を帯びた土でないことなど考えにくかった。そもそも、この街は砂漠ではない。明らかにこの地面は土であり、つまり砂漠ほど水分が涸れ果ててはいないのだ。
「かつてオアシスだった……ここが?」
 その事実すら、セリオルには信じて良いものかどうかの判断がつかなくなってきていた。その存在自体が砂漠の侵食を防ぎ、建物を建築出来るだけの強固な地盤を保ち、作物を育てるだけの養分を保有させたはずの、オアシス。それだけのオアシスが、涸れたばかりか掘削してみても水分がほとんど確認出来ない。そんなことがあるのだろうか。
 セリオルは作業の手を止めた。そして考えた。思考を邪魔しようとする暑さに耐え、彼は脳を稼動させる。
「セリオルさん」
 サリナの声が、彼の思考を中断させた。その声の調子は緊張を孕んでいた。
「どうしました?」
「あそこ……」
 そう言ってサリナが指差した先には、比較的軽装の装備を身に付けた、戦士らしき男たちの姿があった。そしてその先頭に、アリスがいた。
 気取られぬようごく小さく、セリオルは唇の端を上げた。彼のもうひとつの目的が達成された。つまり、目立つことである。
「おーいお前ら、何してんだ?」
 監視の者が報告したか、あるいはおもむろに涸れたオアシスを掘り始めたサリナたちを不審に思った街の者が知らせたか。いずれにせよ、有名人らしいアリスが、護衛か何かの戦士たちを連れて現われた。これで、否が応にも彼らは人々の注目を集める。
「ああ、アリス! いいところに来てくれました!」
 セリオルは大きな声でその名を呼んだ。そうすることで、まだ彼らに気づいていなかった人々の視線も集めようとした。目撃者は多いほうが良い。セリオルの声には警戒心やそれらの思惑など影も無く、ただ知人と話す気安さだけがあった。
 大声で名を呼ばれたことに驚いている様子のアリスに、セリオルは続ける。
「ちょうど相談したいことがあったんです! 蒸気機関を入れてここを掘削したいんですが、構わないでしょうか!? さすがに領主さんの許可が必要だと思うんですが!」
 ざわり、と波が立った。アリスや戦士たちだけでなく、彼らの様子を見ていた街の人々にまで、その言葉は衝撃を与えたようだった。そこまでの効果を期待していたわけではなかったので、それには表には出さないものの、セリオルや仲間たちも驚いた。彼らはただ、自分たちが領主に会うことをアリスが阻もうとするのを、そうし辛く仕向けたかっただけだった。
 アリスたちはどういうわけか、大いに慌てた様子でこちらへ走ってきた。サリナたちは作業を中断して立ち上がった。元々、この掘削自体に意味があるわけではない。ここで止めても何の問題も無かった。
 アリスは走ってきた。そして驚いた顔のセリオルの前に立ち、切れる息にも構わずに叫んだ。
「――絶対に、ダメだ!」
「……なぜです?」
 その怜悧に光る瞳で、セリオルはアリスを見つめた。彼は観察していた。目の前のこの女性の様子を。そして予想していた。これからどういう言葉を口にするのかを。そして、考えていた。このアリスと名乗る女性が、一体何者なのかを。
「なぜって、それは……」
 瞬間、アリスは口ごもった。それは彼女がセリオルを止めることに対して、正統に主張する言葉を持ち合わせていないことを物語っていた。
 セリオルは先を促すこともせず、ただ静かにアリスを見つめていた。
「それは……こ、ここが、聖地だからだ! ローランの聖地を汚すことは、許さねえ!」
「……聖地、ですか」
 アリスは、既に負けを覚悟していた。自分の言葉に力が無いのを自覚していた。そして目の前に立つこの長身の男が、それを見破らないはずが無いとも考えていた。さきほどと、まるで雰囲気が違っていた。やはり、只者ではない。
「なるほど。では、仕方がありませんね」
 しかし呆気ないほどにあっさりと、セリオルはそう言った。今ので諦めてくれたのか。アリスがそう思って胸を撫で下ろしかけた、その時だった。彼はこう言った。
「では、領主さんにご相談しましょう。それではますます、お話ししないわけにはいかない。これはこのローランだけではなく、マキナや今後のエリュス・イリア全土に関わる話なのですから」

 ローラン自治区首都、熱砂の街ローラン。その一角に、金剛城と呼ばれるその建物はあった。堅牢な造りの城としてかつては使用され、現在では領主の住まい兼執務の場となっている。中の造りも複雑で、サリナは帰り道を正確に記憶した自信が持てなかった。
 この場所へサリナたちを案内したアリスは、どういうわけか城内の全ての場所へ入ることが許されているようだった。城で働く人々はアリスに挨拶をし、会釈をした。中には“様”を付けてアリスを呼ぶ者もあり、もしかしたら領主の優秀な近衛兵なのかもしれないと、サリナは推測した。
 涸れたオアシスで、アリスは渋々、領主に紹介することを引き受けた。ただ、その顔にはこう書いてあった。領主に断られて、それで諦めればいいと。彼女のサリナたちに対する疑いは、ますます強くなっていくようだった。
 とはいえ、サリナたちはやましいことは何もしていない。“黄金郷”のことを口にしてもいなければ、何らかの悪だくみがあるわけでもない。彼らの目的はあくまで神晶碑と幻獣の探索であり、アリスから見れば大枯渇の調査なのだ。
 大枯渇は100年程度の周期で起こる大災害である。また、通常の周期から逸脱して、つい最近にもマキナで起こっている。その被害は深刻だと聞く。同じ大枯渇に苦しむ民として、アリスたちがその調査を阻むべき理由は無かった。
 それら、全てセリオルの策の通りである。サリナは改めて、この兄のことを誇らしく思った。昨日急転した状況。それにすぐに対応し、最善かつ最速の手を、彼は考えたのだ。
 金剛城では領主の執事らしき人物が取次ぎをし、サリナたちは応接間へと通された。なぜかアリスも一緒である。彼女の同行を断る理由が無かったので、それについてはセリオルも特に何も言わなかった。
 サリナたちは手触り良く、通気性に優れた布が張られたソファに腰を降ろし、領主のやってくるのを待った。アリスは壁にもたれて立っている。
 しばらくして、部屋の扉がノックされて開かれた。入って来たのは、上背のある男性だった。服装は、街の人々とさほど変わらない。華美な装飾品も、上等な衣類も身に付けてはいなかった。この街の領主なら、それも当然のように思えた。
「お待たせして申し訳無かった」
 第一声をそう発して、領主は自分の座るべき場所の前に立った。
「ローラン自治区領主、クレメンテ・フォン・アルシエラだ。よろしく」
 張りのある、力強い声だった。クレメンテは右手を差し出し、セリオルを握手を交わした。
「お初にお目にかかります。セリオル・ラックスターと申します。お忙しいところ、無理をお聞き頂きありがとうございます」
 セリオルは頭を下げた。その礼儀正しい所作に、クレメンテは頷いた。
 セリオルに続いて、サリナたち全員が自己紹介をした。ソファに腰を下ろし、クレメンテが切り出す。
「大枯渇の調査をしておられるとか?」
「はい。その件でお願いしたいことがございまして、お伺いしました」
「聞いている。オアシスに機械を入れて掘削をされたいと」
「その通りです」
「それは許可出来ない。以上だ」
 実にあっさりとした調子で、クレメンテはそう言った。そして早くも立ち上がり、セリオルたちを退出させようという意志を示した。それに怒ったのは、カインだった。彼も立ち上がり、ローラン自治区領主に向かって口を開いた。
「おいおっさん! ちっとは話を――」
「アルシエラ伯」
 しかしカインの声は、立ち上がったセリオルによって阻まれた。彼は腕をカインの顔の前に上げ、怒鳴るのを制止した。
「なんだね。話すべきことはもう無いが」
「理由をお聞かせ願えませんか」
「話すべきことはもう無いと言った」
 その声は断固として強かった。一切の質問に答える気が無いということを、クレメンテは口にせずに語っていた。
 だが、セリオルも負けてはいなかった。
「では、これからこの城を破壊させて頂きます」
「……なに?」
 セリオルは杖を構えていた。マナが練り上げられる。魔法の力が起こす風に、セリオルの服と長い黒髪が揺れる。
 こちらに気取られぬようにするためか、アリスが声も上げずに剣を抜こうとした。しかしそれは、サリナによって阻まれた。その動きは素早く、アリスは何も出来ないまま剣を叩き落され、組み伏せられた。自分より小柄な少女に、彼女は手も足も出ない。
 声を発しなかったことが裏目に出た。サリナの動きは静かで、アリスを制圧するのにほとんど音も無かった。外に待機しているはずの従者たちも、部屋の中で起きていることに気づくことは無かった。アリスの手による監視も、さすがにこの城までは届かない。
「先にお伝えしておきますが、アルシエラ伯」
 ぴたりと動きを止めた伯爵に、セリオルは告げる。静かに、そして強い声で。
「我々は強い。この城にいる全ての戦力と戦っても、我々が勝利するでしょう」
「はっ。たったの7人でか。何を戯けたことを」
 セリオルの言葉を鼻で笑い、クレメンテは外に助けを求めようとした。しかしその寸前、セリオルがその言葉を口にする。
「なにせ我々には、多くの幻獣がその力を貸してくれていますから」
「……今、何と言った?」
 セリオルは魔法の発動を中断した。期待した反応が返ってきた。クレメンテはセリオルの言葉に興味を持った。ローラン領主は、間違いなく“黄金郷”や、その奥に隠れた幻獣の存在と何らかの関わりを持っているはず。セリオルはそう考えていた。
 クレメンテの狼狽した顔。それがセリオルに、会心の笑みを浮かべさせた。