第111話

「あなたが私たちの話を聞かないと宣言したように」
 セリオルはクレメンテの反応を待っていた。ローラン自治区領主は混乱していた。眼前で起こったことが理解出来ないようだった。
 一方、サリナは不思議に思っていた。自分が組み伏せたアリスが、あまりにも大人しい。もっと暴れてもいいところだ。領主が脅され、部屋の中で唯一彼を守る立場にある自分は、敵に押さえつけられている。助けを呼ぶなり、サリナを攻撃する術を探すなりするのが普通だ。
 だがセリオルが幻獣という言葉を口にした途端、それまでサリナに抵抗していたアリスの動きは止まった。まるでセリオルの言葉に耳をそばだててでもいるかのようだ。実際、彼女はもうサリナを見てはいない。その目は、じっとセリオルに向けられている。
「私も宣言したまでです。この城を破壊すると」
「そうではない」
 わかっているだろう、という言葉が後に隠れているような声だった。クレメンテはかぶりを振り、そしてセリオルの目を見た。
「幻獣、と言ったのか?」
「……ええ」
 やはり、とセリオルは胸中で頷く。クレメンテの目が変わった。さきほどまでの、取り合う気もないという目ではなかった。
「目的を、聞かせてもらおうか」
 その声に、動じた様子は無かった。自分を脅したセリオルに、ソファに再び腰を下ろすように促しすらして、クレメンテは自身もソファに座った。その胆力に、セリオルは感心した。
「私たちの目的は、大枯渇の調査です。かつて大枯渇に遭い、復興を目指しながらなかなか進むことの出来ないこの地に、何が起きているのか。あるいは、何も起きないから復興が進まないのか。それを調べるために、あのオアシスの地下を調べたいのです。明らかにあそこはおかしい」
「マキナへ行けばよかろう」
 間髪を入れず、クレメンテは指摘した。後ろで仲間たちが動揺する気配を感じながら、セリオルは努めて冷静な態度を取り続けた。
「マキナの調査は既に終わっています。ですがあそこで起きたのは、やや特殊な大枯渇だったようです。私の研究の助けには、残念ながらなりませんでした」
「なるほどな」
 その鋭い眼光は、セリオルの目の奥を見ているようだった。射抜かれぬようにと、セリオルは背筋を伸ばす。
「必要であれば、詳しい調査内容をお話しすることも可能です」
「要らん。もうよい」
 クレメンテの声に苛立ちが混じる。サリナは緊張を覚えた。さきほどからの張り詰めた空気が、更に張力を増したように感じた。
 沈黙が流れる。セリオルとクレメンテは、お互いの目をじっと見据えたまま動かない。相手の出方を、それぞれに窺っていた。
 しばらくして、先に目を逸らしたのはクレメンテだった。彼は両目を閉じ、短く息を吐き出した。そして彼は口を開く。
「単刀直入に言おう」
 そう前置きして、彼は素早く次の言葉を続けた。まるでセリオルに、頭を巡らせる時間を与えないようにしようとしているかのようだった。
「君たちの、真の目的を述べたまえ」
 セリオルはどう答えるべきかと考えた。だがすぐに、考えるまでも無いと判断した。既にその言葉を、彼は口にしたのだから。ここで再び、大枯渇の調査が目的だと答えるのは愚かだった。“幻獣”の名が、それを愚かな行為にならしめた。
 先ほどのクレメンテと同じように、セリオルは目を閉じ、そして短く息を吐いた。瞼を上げ、彼はローラン自治区領主の目を見て、口を開いた。
「我々の目的は……瑪瑙の座の幻獣に会うことです」
 クレメンテは表情ひとつ動かさなかった。しかし、サリナに組み伏せられたままのアリスが、セリオルの言葉にびくりと反応した。驚いたのか、あるいは懼れたのか。いずれにせよ、サリナは確信した。やはり彼らは、幻獣のことについて何か知っている。
「会って、どうしようと言うのだ」
 クレメンテはいきなり核心へ切り込んできた。回りくどい話は嫌いなのだろう。なぜそう考えたのか、どうやって会うつもりかなどの質問は、一切無かった。そしてその質問は、ほとんど彼自身による表明だった。瑪瑙の座の幻獣のことを、知っているとの。
「……サリナ、もういいでしょう」
 問いかけに答える前に、セリオルはサリナのほうを見てそう言った。アリスを放してやれという意味だった。もはや彼女を制圧しておく意味は無いと、セリオルは判断した。
「はい」
 短く返事をして、サリナはアリスから離れた。アリスは痛めた腕などをさすりながら、ゆっくりと立ち上がった。こちらを攻撃する意志は、感じられなかった。
「アルシエラ伯」
 再び伯爵に目を戻し、セリオルはその名を呼んだ。クレメンテは返事はせず、ただセリオルを見つめていた。
「これからお話しすることは、にわかには信じがたいことかも知れません。ですが、全て真実です。あなたが信じてくださることを願っています」
 そう前置きをして、セリオルは語った。これまではサリナが担ってきた役を、今日はセリオルが買って出た。この頭の切れる論理的な領主の相手は、彼が適任だった。
 クレメンテは所々で質問をした。それは主に、サリナたちと国王やブルムフローラ伯、グラナド伯などの、世界の権力者たちとの関係についてだった。マナや幻獣についての質問もあったが、それはクレメンテの知っている事実を確認するような内容だった。
「なるほど。よくわかった」
 話は手短だった。これまでの経緯より、クレメンテは現状と今後を知りたがった。セリオルはそれに答え、的確に、重要なポイントをかいつまんで語った。その過程で、彼はクレメンテからの信頼を得るに至ったようだった。
「ご協力願えますか、伯爵」
「それは承諾しかねる」
 即座に返されたその言葉に、さすがのセリオルも落胆の色を隠さなかった。目を閉じた彼の後ろで、ガタンと音がする。
「なんでだよ、おい! 話、聞いてたんだろ! 事の重大さが、まだわかんねえのか!」
 吠えたのはカインだった。その怒号が部屋の外にまで響くことも厭わず、彼は怒りをぶちまけた。仲間はそれを、止めはしなかった。彼らも同じ思いだったからだ。
 大きな音を立てて部屋の扉が開かれ、金剛城の兵士たちがなだれ込んで来た。だが直後、応接室は再び静寂に包まれることになる。
「やめよ!」
 怒号は、クレメンテの口から飛んだ。彼は烈しく、重い声で兵たちに命じた。兵は鎧の鳴るのも憚れるのか、ぴたりとその動きを止めた。身構えていたカインは驚いた。まさかクレメンテが兵を止めるとは思わなかった。伯爵はそれ以上は何も言わず、兵士たちからセリオルへと目を戻した。カインもソファに再び座った。
「伯爵」
 静寂を破って立ち上がったのは、アーネスだった。クレメンテの目が自分へ向いたのを確認して、彼女は敬礼した。その騎士式の敬礼に、クレメンテの表情が変わる。
「事情が事情だけに、身分を明かさなかった非礼をお許しください。アーネス・フォン・グランドティアと申します。王国騎士団、金獅子隊隊長を拝命しております」
「ほう……」
 クレメンテの顔に、再び厳しい表情が浮かぶ。この反応にはセリオルは意外な気がした。そしてそれは、一度は大人しくなったアリスが、剣の柄に手をかけたことについても同様だった。
「アリスさん」
 だが、彼女のすぐ傍にはサリナがいた。彼女はアリスの手に、素早く自分の手を重ね、かぶりを振った。アリスがサリナの顔を見る。
「くっ……」
 口惜しそうな表情で、アリスは柄から手を離した。この場でサリナと戦闘になってはまずいことを、彼女は悟っていた。
 それらが収まり、静かになったのを見計らって、アーネスが先を続ける。
「私は国王様から、サリナたちへの協力を仰せつかっています。これは、国王様直々の命によって実行されていることです。どうかエリュス・イリアのために、ご協力をお願い致します」
 頭を下げるアーネスに、しかしクレメンテは黙して答えない。彼は手を組み、じっと思慮しているようだった。
「アルシエラ伯」
 次に声を挙げたのは、シスララだった。次は何かと、クレメンテが立ち上がった彼女に視線を移す。シスララは、足元に座らせていたソレイユを呼んだ。飛竜はひと声啼き、シスララの肩へ移動する。
「なっ……」
 それにクレメンテは驚いていた。これも、セリオルの予想しなかったことだった。ただし、今回はアリスに動きは無かった。彼女はセリオルと同じように、クレメンテが驚いていることに驚いたようだった。
「その飛竜は……」
「はい、ブルムフローラの飛竜です」
 シスララはソレイユの顎を撫でた。空色の飛竜は、気持ち良さそうに喉を鳴らす。
「そうか。君はブルムフローラ伯のところの」
「はい。娘のシスララです。お久しぶりです。世界会議以来ですね」
「すまないな。見違えていて、全く気づかなかった」
 初めてクレメンテの表情が和らいだ。シスララとクレメンテが既知であることに、サリナたちは驚いていた。だがよく考えれば、彼らは貴族家の者同士である。交流があるのは当然だった。アーネスはそれを心得ていたのか、あるいはシスララと作戦を練っていたのか、平然としていた。
 意外だったのは、アリスが小さく舌打ちをしたことだった。彼女は口惜しそうな表情を浮かべ、シスララを睨むようにして見つめている。それはどこか、憎しみにも似たような感情を思わせた。それがサリナを驚かせた。
「そうか……ブルムフローラ伯も、協力しているか」
 呟くようにそう言って、クレメンテは再びセリオルを見た。眼鏡の青年は、じっと彼を見つめていた。
 クレメンテ・フォン・アルシエラ。これほど警戒心の強い人物だとは思わなかった。セリオルは考えていた。ここから先は、賭けだ。自分たちの思いが通じるか、その逆か。後者だった場合、彼らは強硬な手段に出なければならない。それは避けたかった。
「クレメンテさん」
 それはサリナの声だった。まず仲間たちが、一瞬遅れてクレメンテが、彼女に視線を向ける。彼女はアリスよりも前へ進み出た。胸に手を当て、彼女は瞳をやや伏せて、言葉を口にした。
「私は、18歳になるまで、ハイナン島のフェイロンという村で育ちました。田舎の、小さな村です。とても平和で、楽しくて、幸せな暮らしでした」
 クレメンテはサリナの語る内容がわからず、首を傾げた。だがこの少女の言葉には、力があった。いつもならこういう、先の見えない話は遮ってしまいたくなるクレメンテだが、この時ばかりは耳を傾けた。
「フェイロンを出発して、色んなところへ行きました。王都や、セルジュークの色々な街。エル・ラーダと、アクアボルト。私は知らないことだらけで、いつも驚いてばっかりでした。中でも一番驚いたのは――」
 言葉を切り、サリナは顔を上げた。その目に、クレメンテはなぜか身が竦んだ。真っ直ぐに自分を見つめる、栗色の瞳。眼力が強いわけではない。ただ、その瞳の奥に揺らめく計り知れない力が、彼の身体を貫いた。何も出来ず、彼はただサリナの言葉を聴いた。
「世界のマナバランスが崩れて、世界中のひとたちが困っていたことです。そしてその元凶が、私の父を幽閉した、ゼノアだったことです」
 サリナの声は強くはなかった。静かな声で、彼女は語った。しかしその声に宿る言霊のようなものが、その場の全員に息を飲ませた。それは、心の強さだった。
「色んな場所で、マナバランスが狂ったことで凶暴な魔物が生まれたり、気候が変わったりしていました。つい最近は、私の故郷で――フェイロンで、ゼノアの作り出した“幻魔”という魔物が、幻獣シヴァを操っていたということがありました。瑪瑙の座の幻獣です。そんなことを、私たちは放っておけないんです。幻獣の力を手に入れて、ゼノアと戦うことが出来るのは、私たちだけなんです。だから――」
 サリナは手を下ろした。彼女はその手を握った。小刻みに震えている。皮膚が真っ白になるほど、彼女は拳を握った。まるでその小さな身体から溢れ出る心の力を、そこに集結させているかのように。アリスは、呆然としてそれを見ていた。
「だから、私たちは戦います。世界を元に戻したいから。これ以上、ゼノアに世界を壊させたくないから。……私たちは、王都で一度、ゼノアに負けています。もしかしたら、勝てないかもしれない。命を落とすかもしれない。でも、ここで止まるわけにはいかないんです。瑪瑙の座の幻獣に会って、神晶碑の結界を張らないと。クレメンテさん、お願いです。ご迷惑はかけませんから、ご存知のことを教えてください。お願いします」
 腰からその身を折って、サリナは頭を下げた。思いを伝える方法が、彼女にはこれしか思いつかなかった。素直に、彼女は自分の気持ちをぶつけた。それがクレメンテに届くことを、彼女は祈った。
 誰も何も言わなかった。サリナの言葉が全てだった。
 幕が下りたかのような沈黙を、破ったのはクレメンテの声だった。
「……ふん」
 黒い絶望が、サリナの胸を占拠した。一気に広がったその感情に、サリナは打ちのめされそうになる。だが、次の瞬間のことだった。
「ふ……ふふ、はっはっはっはっは!」
 それはクレメンテの笑い声だった。サリナは驚いて顔を上げた。さきほどまであれほど頑なだったローラン自治区領主は、大きく口を開けて笑っていた。
「はっはっは! ふふ……サリナ、といったか」
「は、はいっ」
 名を呼ばれ、サリナは慌てて返事をした。クレメンテの様子の変化に、頭が少しついていっていなかった。
「さきほども言ったが、君たちの協力要請を承諾することは出来ない」
「えっ……どうして……!」
 混乱して声を荒げかけたサリナに、クレメンテは両手を向けて落ち着くようにと指示をする。クレメンテに詰め寄りかけたサリナは、その場で動きを止めた。
「まあそう慌てるな。私が受けられないと言ったのは、オアシス跡を掘ることについてだ」
「え……?」
 どういうことか、と先を知りたい様子のサリナに、クレメンテは続ける。
「瑪瑙の座の幻獣の探索については、私のほうから君たちに協力を要請させてもらう。どうかよろしく頼む」
「えっ……え? え? ……ええー!?」
 今度こそ、サリナは大声を上げた。カインとクロイスの声が続く。セリオルは立ち上がり、クレメンテと握手を交わした。アーネスとシスララは顔を見合わせ、微笑みあった。フェリオは、小さく苦笑していた。
 クレメンテが兵士たちに退室を命じ、部屋は再び静かになった。ソファに腰を下ろし、クレメンテはさきほどの言葉の意図を説明した。
「あのオアシスを掘られては困るのだ。下に大切な場所があるからな」
「大切な場所、ですか」
 問い返したセリオルに、クレメンテはにやりとしてみせる。こうして見ると、どこか気さくなおじさんである様子も窺えた。ただ緊張が解けただけかもしれないが、とサリナは自分に言い聞かせる。
「あとで案内しよう」
「お、おい!」
 それに抗議するような声を上げたのは、アリスだった。彼女はクレメンテがサリナたちに幻獣探索の要請をした際にも、抗議したそうな様子だった。
「構わぬ。王国の騎士隊長とブルムフローラ伯の娘もいるのだ。これ以上隠すことに、もはや意味は無い。むしろ彼らは、救いの神かもしれんのだ」
「まあそれは……そうだけどよ」
 まだ納得がいかない様子で、アリスは口を尖らせてぶつぶつ言っている。それには取り合わず、クレメンテは続けた。
「実は我々も、この地に存在する幻獣――地の幻獣、瑪瑙の座、タイタンを捜しているのだ」
「アルシエラ伯が、ですか……?」
 事情が呑み込めず、セリオルは問い返した。だがクレメンテはすぐに答えることはなく、ソファから立ち上がった。
「詳しくはオアシスの地下で話そう。アリス、先導しなさい」
「ちぇっ。わーったよ」
 まだ不服そうなアリスが、応接室の扉へ近づいた。サリナたちも急いで立ち上がる。
「あの、クレメンテさん」
「ん?」
 部屋を出る前に、サリナには確かめておきたいことがふたつあった。急いで言うと舌がこんがらがるので、逸る気持ちを抑えて、彼女はゆっくり質問した。
「あの、さっき、協力を請けてくださったのは……」
「ん、ああ。理由は3つある」
 部屋から出ようとしたところだったが、クレメンテはきちんとサリナに向き直って答えた。
「ひとつは、我々も幻獣の力や知識が必要であること。さきほども言ったとおり、タイタンを捜さなくてはならない事情があるからな。もうひとつは、それだけの危機が迫っているのを、静観することは出来んからだ。我がローランの地も、その男の影響を受けているはずだからな。そしてもうひとつは――」
 言葉を切って、クレメンテはサリナたちを見回した。ばらばらな取り合わせだが、全員良い目をしている。それをひとつひとつ見つめて、彼は言った。
「君たちが気に入ったからだ。これほど私に、正面からぶつかってくる者は少ない。命を懸けた自らの使命に向かえる者もな。だから、君たちと共に闘いたくなったのだ、私も」
 その言葉に、サリナは涙が溢れそうになるのを懸命に堪えた。思いは通じていた。心強い味方が、またひとりできた。何度も大きく頷き、サリナは礼を述べた。クレメンテは苦笑いしてそれに応じた。
「でもよー、さっきセリオルが事情を話した時は、承諾しないつったじゃん」
 唇を尖らせて指摘したのは、カインだった。すぐにアーネスに叱られたが、彼の不満は収まらなかった。
「ああ。さっきも言っただろう。承諾しかねたのは、オアシス跡を掘ることだと」
「……あれもそういう意味だったのか! わかりにくいわー!」
 実に悔しそうなカインに、クレメンテは愉快そうに笑った。もしかしたらあの時点で協力することに決めていたのではと、セリオルは疑った。底の見えない人物だ。こちらについてくれることになって、良かった。
「あ、あの、それから」
「ん?」
 クレメンテが再び扉へ向かう前にと、サリナは急いで次の質問をぶつけた。ある意味、これが最も知りたいことでもあった。
「あの、アリスさんとは、どういう……・?」
「ああ、そうか、すまなかった。きちんと紹介していなかったな」
 そう言って、クレメンテはアリスを呼んだ。やや嫌がりながら、アリスはクレメンテの隣に立つ。
「これはアリシエル。アリシエル・フォン・アルシエラ。ややこしい名だが、私の娘だ」
「うっせーな。あんたがつけたんだろ!」
「ややこしいのでアリスと呼んでやってくれ」
「え……えええええーーーーーー!?!?」
 見事に声を揃え、サリナたちの今日一番の驚きの声が、金剛城中に響き渡った。