第112話

 道中、サリナはアリスの様子をちらちらと窺いながら、その伯爵の娘を観察していた。彼女はこれまでに出会った貴族や騎士といった、身分の高い人物たちとは随分異なっていた。だから一行の誰も、彼女がアルシエラ伯爵の娘であろうとは、想像だにしなかった。
 アリスはカインやクロイスと会話しながら、先頭を歩いていた。やはり口調の乱暴な者たち同士、気が合うらしい。
「あたしは世界会議になんて行かない。自分とこを守るので手一杯なのに、王都やら他の自治区やらの話なんて聞いてられるか」
「けどよ、世界の状況を知っとくのも大事なんじゃねーの? お前、いずれ領主になるんだろ?」
「んなことは親父に任せてりゃいい。あたしがここを離れたら、誰が海賊とか魔物からローランを守るんだ」
 そう言って、アリスは目だけで振り返り、後ろに続くシスララを見た。シスララは何も聞いていないような様子で、静かに歩いている。隣のサリナは、エル・ラーダ領主の娘を横目で窺った。アリスの言葉を、彼女はどんな気持ちで聞いているのだろう。
「それぞれの、守り方があるわ」
 アリスに聞こえぬ小さな声で、そう言ったのはアーネスだった。はっとして、サリナはアーネスの顔を見た。騎士は凛として前を向き、とても貴族には見えぬ女戦士を見つめていた。
 サリナは考えた。応接室でアリスが見せた、シスララに対する憎悪にも似た感情。あれは世界会議のことが原因だったのか。自治区から離れることが出来ない自分と、世界会議に出席したことのあるシスララ。同じ自治区領主の娘でありながら、その境遇に違いがあることに、アリスはある意味で嫉妬したのかもしれない。
 言葉とは裏腹に、やはり彼女も世界のことは知っておきたいのだろう。エリュス・イリアの一角を預かる一族の嫡子として、それは当然の感情だった。そしてそのことを思い、サリナはアリスに好感を持った。勝手な勘違いかもしれなかったが、そう思えたことが嬉しかった。
 彼らは金剛城の地下へ向かう通路を歩いていた。そこは兵士たちによって警備される扉の先に続く通路だった。クレメンテは何も説明しなかった。とにかく見ればわかると言うに留め、セリオルは溜め息まじりに答えを得ることを諦めた。
 通路は広く、多くのひとが行き来することを想定しているものと思われた。ただし、この時ばかりはクレメンテが知らせを出したのか、サリナたちの他に通る者は無かった。彼らは松明の灯る薄暗い通路を進んだ。
「マナが……」
 サリナが呟いた。下へ進むに連れて、その気配は徐々に濃くなっていった。アーネスが頷く。彼女の中で、あの予感が確信へと変わっていく。やはり砂漠のマナは、涸れてなどいない。
 やがて彼らは、通路の変化に気づいた。入り口あたりからは確認出来なかったその変化に、サリナは驚いた。彼女はあの鉱山を連想した。スピンフォワード兄弟の伯父と従兄弟、ジェフとクライヴを救出した、アイゼンベルクのあの鉱山を。
 通路は、徐々に琥珀色に染まっていった。石造りだった床や壁、天井が、地のマナを受けて煌く。
「どうやら、間違いないな」
 驚いた、という風に額に手を当てて、フェリオが独りごちた。彼らはそこに到着した。
 それは、極めて大規模な地下空間だった。王都で受けた試練の迷宮にも似た、恐ろしく広大な空間。ただし、そこは迷宮ではなく、明らかに計画的に建設され、多くの人々が暮らすことを想定された、大規模な街だった。
「す、すごい……」
「まさか……なんということだ……」
「うおおおおおお! なんだこりゃ! すげー!」
 それは琥珀色のマナに祝福され、美しく輝く街。驚くべきことに、地下のその街には川が流れ、草木も茂っている。表面に現出する地のマナの恵みを得て、それらの生命は豊かに枝葉を広げている。街を歩く人々は活気に満ちている。地上の街の寂れた様子が嘘だったかのように、こちらの街は賑やかだ。実際、地上の街はもはやカモフラージュとして存在しているのだろう。
「我らローラン族の復活の象徴。大地の力に支えられる逞しき首都。ここは――竜脈の街、ローラン」
 クレメンテは、誇らしげにその街を紹介した。これだけの大規模な街の建造に、いったいどれだけの時間と労力、そして資金が費やされたのだろう。30年前の大枯渇以来、国力を回復出来ずにいると思われていた、砂漠の民。その認識がとんでもない見当違いであり、そしてローランの民の強かな反骨心に見事にしてやられたのだということを、アーネスは痛感した。
「そうか……ここが、“黄金郷”か?」
 クロイスの言葉は、問いかけでありながら確信に満ちていた。琥珀の光を湛えるその街は、黄金の名を冠するに相応しい優美さと高貴さを併せ持っていた。
「この姿がその噂を呼んだんだろうな。どっから話が漏れたんだか知らねーが……」
「ああ。宝石類が豊富に採れることも一因だろう。ひとの口に蓋は出来ぬとは言うが、困ったものだ」
 それほど困ってはいない様子で、クレメンテは娘の言葉を補足した。宝石類を含む鉱石の類が豊富なのも、地のマナの恵みのひとつだろう。
「お、おい、何泣いてんだ……?」
 慌てた声の主は、アリスだった。彼女の視線の先には、シスララがいた。
「あっ……申し訳ありません」
 自分で驚いた様子で、シスララは急いで涙を拭った。
「すみません……。私たちラーダ族も、マナバランス悪化の影響で、苦労をしていますものですから」
 流れ落ちた涙を拭き、シスララは顔を上げた。その黒瞳には、一度は涸れ果てたマナを復活させ、荘厳なる首都の再建を果たそうとする、力強き民の姿があった。
「ローラン族の皆様の努力を思い、感銘を受けました。私たちも、もっと頑張らねばなりませんね」
「……ふ、ふん」
 鼻を鳴らしながら、しかしアリスは嬉しそうだった。それに気づいたシスララが微笑むが、アリスは頑なに彼女のほうを見なかった。
 だが、それでもサリナは嬉しかった。アリスのシスララに対して抱いたしこりが、少しは解消されたように見えた。
「賞賛の言葉をありがとう、シスララ」
 娘の代わりにそう礼を述べたクレメンテに、シスララは小さく頭を下げる。
「さて、まずは我らローラン族の誇る、“賢人”に会って頂こう」
「“賢人”、ですか?」
 問い返したサリナに大きく頷き、クレメンテは続ける。
「マナや幻獣に詳しい人物だ。これまで、タイタン捜索の最前線を担っていた。ご協力頂くには、会って頂かないわけにはいくまい」
 そう言って歩みを再開したクレメンテに、サリナたちが続いて街へと足を踏み入れた。
 竜脈の街と自称するだけあって、この街に満ちるマナは豊かだ。歩いているだけで疲れが取れるように、サリナは感じた。
 これまでいくつもの街を巡ったが、この街はひと際異色だった。地下の限られた空間を活かすべく、街には高低差が多い。立体的に交差する街路は、まさに試練の迷宮を思わせた。また、琥珀の光で明るいのに、見上げても空が無い。そのことも、サリナに不思議な感覚を覚えさせる。
 街の人々は、サリナたちの姿を見止めて驚いていた。やはり彼らが来るということまでは、知らせが届いていなかったらしい。しかし一緒にいるのがクレメンテやアリスだと気づいて、人々は安心したような訝しがるような、複雑な表情を見せた。
「本来であればアーネス、特にあなたやシスララには、この街のことは知られたくはなかった」
 歩きながら、クレメンテがそう言った。しかしアーネスもシスララも、その言葉に驚きはしなかった。
「秘密裏に力を蓄えたかった、というところでしょうか。王国や、他の自治区に対して」
 アーネスが的確に指摘した。クレメンテは苦笑する。
「敵わんな。王国騎士団の騎士隊長ともなると、腕が立つばかりではないらしい」
「お褒めに与り、光栄です」
 言葉は堅苦しいながら、アーネスは伯爵に向けてにやりとしてみせた。クレメンテは苦笑いしながらかぶりを振る。
「その通りだ。我らを凋落した民と侮る世界の鼻を、ひとつ明かしてやりたかったのだ」
「……それは、危険な意味で、でしょうか」
 アーネスの目が鋭さを帯びる。張り詰めかけた空気を、しかし伯爵は笑って崩した。
「はっはっは。いやいや、王国に戦いを挑んだりする気など無いよ。ただ、復興が成った暁には、我らの要求を王国に対して強く突きつけてやろうということくらいは考えていた。こうなっては、もはや隠す意味も無いがな」
 そう話す伯爵たちの後ろで、サリナはフェリオに小声で訊ねる。
「ねえねえ、どうしてこっそり復興しないといけなかったの? 堂々とすればいいのに」
「ん? ああ」
 さきほどからサリナが頭を捻っても答えの出ないことに、フェリオはこともなげに答えてみせる。
「大枯渇でローランが力を失うだろ。すると王国は援助をする。力関係は一気に王国に傾くよな。そうなるとローランが復興に力を入れようとしても、王国が圧力をかけてくるおそれがあるだろ。王国としては自治区に力を付けられたくはないんだから」
「あ……あー、そっかあ」
「力を付けているところは見せずに王国の援助を受けるだけ受けて、一気に形勢逆転しようとしたんだ。なかなかの策士だな、あのひとは」
「そっかあ。すごいなあ」
 心から感心してうんうんと頷き、そしてサリナは気づいた。
「あ、だったら今回のことで、クレメンテさんの狙いはダメになったの?」
「部分的にはな。もうこれだけ街が完成してるんだ。大勢に影響は無いかもしれないな」
「んー。そっかあ」
「そもそも今はそれどころじゃないだろ、王国も。王都があんなことになったんだから」
「あ、そっか。そうだよね」
「そのあたりを読んで決断したんだろうな、伯爵は」
「むう……。かけひきってやつだね」
「はは。そうだな」
「むっ」
 どことなく馬鹿にされたような気がして、サリナは小さくむくれた。それがますますフェリオの笑いを誘い、サリナは抗議したが笑って済まされてしまった。
 クレメンテの言う“賢人”の住まいへ向かう途中、大きな池のほとりを通った。街を走る川の源泉である。クレメンテによると、それが新たなオアシスだということだった。地下の更に深くから湧き出す水が、この池を形成している。つまりその池の真上が、地上の涸れたオアシスなのだった。クレメンテがオアシスを掘られては困ると言った理由を、サリナたちは理解した。
「ここだ」
 そこは街の中でもひときわ大きな邸宅だった。美しい庭と豪奢な門、そしてこの新しい街の中でも歴史を感じさせる、外壁に蔦の這う屋敷。石造りの荘厳な建物は、琥珀の光を受けて輝いていた。
 クレメンテは屋敷の玄関扉を開き、中へサリナたちを招き入れた。アリスが最後に入り、扉を閉める。ノックも何もしなかったということは、ここは領主所有の建物なのだろうかと、サリナがホールを見回していると、正面の階段上からその人物が現われた。
「あらあら、いらっしゃい」
 それは紫色の上等そうな、フード付きの法衣を纏った妙齢の女性だった。柔らかい微笑を湛え、彼女はサリナたちの来訪を歓迎した。
「紹介しよう」
 クレメンテは階段を下りてきた女性を腕で示し、サリナたちに告げた。
「我がローランの賢人であり、偉大なる黒魔導師にして幻獣タイタンの捜索者。その名はクラリタ・フォン・アルシエラ。私の妻だ」
「…………ええええええーーーーーー!?!?!?」

 2度もクレメンテにしてやられ、頬を膨らませ口を尖らせていたカインも、さすがに話が本題に入ると真剣になった。
「タイタンを捜している、とはどういうことですか?」
 自己紹介などの社交辞令を終え、侍女が出したお茶をひと口飲んで、セリオルがさっそくそう切り出した。答えたのは、クラリタだった。
「いなくなってしまったの、タイタンが」
「……ううむ」
 セリオルが思わず唸ってしまうほど、その返答は要領を得なかった。セリオルが明らかに困っていても、クラリタはにこにこと微笑んでいる。その様は、セリオルにある人物を連想させた。
 今、彼の隣に座っているシスララである。
 彼女はクラリタと同じように柔らかく微笑みながら、自分のほうをちらと見たセリオルに顔を向け、小首を傾げた。
「どうされましたか、セリオルさん?」
「い、いえ、なんでもありません」
「こちらのお茶、美味しいですね。あとで茶葉の種類を伺いましょうか」
「ええ、そうしてください」
 にこにこしながらお茶を飲むシスララにペースを崩されそうになって――既にクラリタに崩された感もあったが――セリオルは賢人に目を戻した。
「これクラリタ。もっと具体的に説明せんとわからんだろう」
「あら?」
 するとクレメンテがクラリタに注意していた。それに続き、後ろで仲間の声が聞こえてくる。
「なんかよく似た感じのカップルが向かい合ってんな」
「ああ。なかなか珍しいな」
「こ、こら、聞こえますよっ」
「けけけ。わざとだろわざと」
「もう、クロイスっ」
「あら、サリナは否定派なの?」
「えっ。それは、その……」
「くくく。サリナちゃん、素直になりな」
「も、もうっ。カインさんっ」
 小声なのだが、極めてスムーズにその会話は耳に滑り込んできた。セリオルは頭を抱えたくなる衝動を抑え、となりのシスララを片目で見た。シスララは顔を赤くし、膝に乗せたソレイユの額をせわしなく撫でている。セリオルは頭を抱えた。
 彼の前ではクレメンテが頭を抱えていた。それはあれやこれやとクラリタに話し方を説明するものの、今ひとつ理解を得られないことについてのようだった。そんな両親のやり取りに、傍らでアリスは溜め息をついている。
「……ここはかつて、タイタンの御座だったのだ」
 結局クラリタに説明させるのを諦めて、経緯をクレメンテが話した。
 この街はかつて、タイタンの御座だった。現在も存在している大地の神を祀る祠と祭壇があり、そこにタイタンは鎮座していた。タイタンの許しを得て、ローラン族はこの地下空間に街を建造した。タイタンはカラ=ハン大陸とローラン再興のためにマナを与え、その発展に協力した。
 だがある時、タイタンが何も言わずに姿を消した。竜脈の街は、まだタイタン無しで自走出来るほどのマナが満ちてはいない。このままではマナは尽き、マナの力で保たれている地下空間は崩壊する。そのため、早急にタイタンを捜索し、再び協力を仰がなければならない。
「なるほど……」
 クレメンテの話を聞き、セリオルは顎に手を当てて考えた。かつて、ここがタイタンの御座だった。ということは、地の集局点はこの場所か? いや、そうであればタイタン無しでもマナは尽きないはず。どういうことだ……?
「なあ、これクラリタに会う必要ってあったのか?」
「しーっ」
 ひどいことを言い始めたカインを、サリナが慌ててたしなめる。それでも
「でもよー」
 と更に言い募ろうとしたカインの脇腹に、鋭く静かな肘の一撃がめり込んだ。カインが沈黙する。
「あ、ちょっといいかしら?」
 何かを思い出したように、クラリタが右手を挙げた。セリオルとクレメンテの顔を交互に見る。ふたりから先を促され、彼女は嬉しそうに笑った。アリスが溜め息をつく。
「これね、私の推論なんだけど」
 前置きをして、クラリタは右手の人差し指を立てた。そして彼女はぐいと身を乗り出し、おもむろに口を開く。
「ここね、地の集局点じゃなかったと思うの」
 その言葉に、セリオルは卒然とする。仲間たちも水を打ったように静まり返った。
「……なるほど」
 沈黙の後、セリオルは言葉を絞り出した。賢人の呼び名は伊達ではないらしい。セリオルが頭を巡らせても出なかった結論だった。
「ちょっとね、私、調べてみたの。あのね」
 そう言いながらクラリタが傍らからごそごそと取り出したのは、1枚の地図だった。それをテーブルに広げ、彼女は人差し指で示しながら話した。
「これ、これが、この街ね」
 それは竜脈の街の見取り図だった。街の形や建物の位置などが、かなりの精度で再現されている。
「それでね、ここがタイタンの祠」
 それは街の北端、地上から下りてきた場所のすぐ近くだった。祠はそれなりに規模の大きなもののようだ。さきほどは街の造りに目を奪われて気がつかなかったが、下りてきた場所からも見えたに違いない。
「ここからね、跡が続いてるの。タイタンのマナの」
「え……? どういうことです?」
 なんとなくその先を推測しながらも、セリオルは質問した。どうやらクラリタの言葉は、真実を捉えている可能性が高い。
「タイタンは祠から、行ったの。ここへ」
 クラリタはもう1枚の地図を取り出した。それはカラ=ハン大陸の地図だった。南北に長い大陸の中央より北寄り、西岸近くにローランの位置が示されている。クラリタはローランの位置に指を置き、そこからすっと指を滑らせた。
 指は南へと動き、そして止まった。そこには、“朽ちた砂牢”と記されていた。