第113話

 タイタンの祠は、祠というよりも神殿に近いものだった。琥珀の光を放つ美しい石で造られた、荘厳な建造物。一体いつからそこに存在していたのか、計り知れないほど長い歴史を感じさせる。石は魔法の力で保護されているのか、ある一定のところで劣化は止まっているようだった。
 クラリタの案内で、サリナたちはその祠に足を踏み入れた。アリスはやることがあると言って、地上へ戻って行った。彼女と別れて到着したそこは、力強く、そして優しいマナに満ちた場所だった。
「すごい……」
 サリナは胸が高鳴るのを感じていた。この地下空間に古より存在したという祠。その堅牢さ、美しさ、そしてそこを満たすマナの大きさに、彼女は感動し、僅かに興奮を覚えていた。
 祠の中は静謐に満ちていた。琥珀のマナの粒が舞う空間を歩き、サリナたちはその場所に到着した。
「立派な祭壇だな」
 フェリオがそう感想を口にした。タイタンの祭壇は神々しい光を纏う重厚な造りで、美しい装飾の彫られた石柱に囲まれていた。祭壇には美しい器のようなものが祀られているが、それは器ではなく、平らな石の円盤のようだった。
「ここにいたのですか、タイタンは」
「ああ」
 答えて、クレメンテは騎士のほうを見た。アーネスはその姿を求めているようだった。彼女は騎士の鎧を身に付けていた。もはや砂漠の民にその身分を隠す必要は無く、またこの先起こるであろう戦闘に備えなければならなかった。
「マナの跡というのは……?」
 アーネスはやや悔しそうに訊ねた。彼女には、それを発見することは出来なかった。
 しかし意外なことに、水を向けられたサリナとセリオルも、かぶりを振った。ここは地のマナが濃い。その中にあってタイタンのマナを探し出すのは困難だった。クラリタたちのように慣れ親しんでいなければ、見つけ出すことは難しそうだった。
「あ、こっちよ」
 まるで今の今まで忘れていたかのように、クラリタはぽんと手を打ってそう言った。クレメンテは額に手を当てて溜め息をついた。
「許してやってくれ。あれはいつも何かの考えを頭の中に巡らせていてな。それで時折――というかしょっちゅう、それまで話していたことを失念してしまうのだ」
「それは大丈夫なのか、おい」
 驚いてクロイスがそう言ったが、クレメンテは頭を横に振るだけだった。
「ほらほら、こっちこっち」
 そういった会話は耳に入っていないのかあるいは入っていても気にもしていないのか、クラリタは明るい声で皆を呼ぶ。
「こっちこっち」
 彼女はまるで探し物をする犬のように地面を見つめ、その跡を辿り始めた。こっちこっちと言いながらゆっくりと進む彼女に、サリナたちは続いて歩く。
「なあ、もう見つけてあったんじゃねーの? なんで今探してんだ」
「わかんね」
「こらっ、だめですよっ」
 またしても始まったクロイス、カイン、サリナの小声でのやり取りは、やはり他の者たちに完全に丸聞こえだった。クラリタを除いて。彼女には聞こえているのかどうか、よくわからなかった。
「きっと何か深い考えがあるんですよ」
「ほんとかー?」
 大いに疑わしい、という目でクラリタの背中をじろじろと見るクロイスを、サリナは口に人差し指を当てて牽制する。
「こっちこっち」
 祠の内部を、クラリタの先導でぐるぐると回る。それがタイタンの移動した痕跡なのだろうと信じて。
「こっちこっち」
 しかしそれにしても、ここを出る前にタイタンは随分と迷ったのだなと、セリオルは考える。これだけ祠内をぐるぐると動いたのは、何か考えごとでもしていたのだろうか。幻獣もそんなことをするのだろうか。
「こっちこっち」
 もしかして優柔不断な幻獣なのか……? そう考えて、フェリオはかぶりを振った。幻獣に優柔不断も何もあるまい。いや、しかしカーバンクルのように可愛らしい者や、ラムウのようにひとを食ったようなとぼけた者もある。もしかしたら……
「こっちこっち」
 シスララはさきほどからの道のりを思い返していた。祭壇から脇に逸れ、長い廊下を歩いてホールに出た。古のローランの職人が彫ったらしき像の並ぶ回廊を進み、反対側の廊下へ来た。そして今進んでいる方向は……元の祭壇のあった場所にあたるのでは……?
「はい、これで1周よ」
 サリナたちは祭壇の場所へ戻って来た。どういうことかわからずにぽかんと口を開けているサリナたちの前で、クラリタは誇らしげに胸を張っている。
「ねえねえどうだった? きれいな祠でしょ?」
「……ク、クラリタ」
 嬉しそうに感想を求める妻に向かって、クレメンテは苦しげな声を出す。そんな夫を不思議そうな目で見るクラリタに、セリオルが苦笑する。
「とても美しい祠でした、クラリタさん。ご案内ありがとうございます」
「あ、そうでしょう? うふふ」
 頬の横で手を合わせ、小首を傾げて微笑むクラリタに、クレメンテが大きな溜め息をつく。その後ろではカインとクロイスがげらげらと笑っている。
「クラリタ……皆はタイタンの行く先を知りたいのだ。この祠の観光をしたいのではない」
「あら、そうなの?」
「やれやれ……」
 さすがのサリナも、苦笑いを隠すことが出来なかった。思わず笑ってしまい、彼女は慌てて顔を隠した。
「それなら、そこよ」
 クラリタが指差したのは、あの祭壇に祭られている石版だった。楕円形で、縁に美しい金属による装飾が施されている。どこか神聖な雰囲気を感じさせる石版だ。
「それにタイタンのマナが漂っているの。たぶんそれが、朽ちた砂牢に続く扉」
「これが……?」
 サリナは石版に近づいた。サリナには、クラリタが言うマナは見えなかった――いや。
 サリナは目を凝らした。そうすることで、自分のマナ感度が上昇するような気がした。まるでとても小さな字の文章を読む時のように、彼女はじっと目を凝らしてその石版を見つめた。
 それは不思議な感覚だった。石版を見つめるうちに、何か大きな力が彼女に向かってきた。それは大河のように緩やかな流れで、彼女運ばれてくる力だった。それは彼女に到達し、そしてサリナの瞳はそのマナを映した。
 石版は光を纏っていた。炎のように揺れる琥珀の光。大きく力強いマナが、それから漏れ出ていた。それに気づいた時、大きな力は既に姿を消していた。
「アーネスさん!」
「な、なに?」
 突然大きな声で名を呼ばれ、アーネスは驚いて返事をした。そして振り返ったサリナの顔を見て、息を呑んだ。
「サリナ……目が……」
 少女の瞳は、真紅に染まっていた。仲間たちが次々に驚きの声を漏らす。彼らはそれを知っていた。サリナが己のマナを解放した時に起きる現象だった。だが、今はその時よりもさらに鮮烈な、美しい紅だった。
「アーネスさん、これに、アーサーのマナを」
「……わかった」
 いつもとは違うサリナの雰囲気に、アーネスはそれ以上何も言わなかった。ただ、彼女は横目でセリオルの様子を窺った。サリナが兄と慕う青年は、僅かに目を細め、眉根をひそめていた。
「なんだ……? サリナのマナがあの石版に触発されたのか」
「……そんなところでしょう」
 セリオルはフェリオの独り言に曖昧に同調した。彼のその先の考えを聞きたいとフェリオは思ったが、魔導師はそれきり、口をつぐんだ。
 アーネスはリストレインを取り出し、石版に向けて掲げた。
「アーサー、お願い」
 琥珀のクリスタルが輝く。強いマナの光の中から、翼持つ獅子がその姿を現した。アーサーは猛々しく吠え――はせず、ゆったりと身体を伸ばしてあたりを見回した。
「相変わらず気だるげだな」
「大きな猫さんみたいで、可愛いです」
「ええ? まじかよ」
 カインはシスララの感覚に驚きを隠さず、後ずさりした。
「久しぶり、アーサー」
「ああ」
 あくび交じりに返事をして、アーサーはゆらりと頭をめぐらせる。
 彼の前に、かしずいた人間がふたりいた。クレメンテと、クラリタ。クリスタルの中から外のことを把握していたアーサーは、彼らのことも理解していた。
「そう畏まらなくてもいいぞ、クレメンテ、クラリタ」
「いえ、幻獣殿の前でそうは参りません」
「まあ別に構わないが。彼らを見てみろ」
 地の幻獣に促され、ふたりはサリナたちを見た。幻獣を前にしても何らしり込みすること無く、いつもと同じ態度だった。
「……多くの幻獣と共にあるというのは、本当らしいな」
「あら。それは羨ましいわねえ」
 ふたりは立ち上がった。サリナたちの前でこうしているのは、どこか馬鹿らしいように思えた。
 アーサーは石版の前に立った。アーネスに頷きかけ、彼はマナを放出した。
 琥珀色のマナが溢れ、光が生まれる。まるで獅子のたてがみが光に変じたようだった。輝くマナの粒が、その光が、緩やかな渦を巻いて石版へ向かう。マナは石版に吸収された。すると装飾に縁取られた石が輝き、そしてその輝きが収まると、そこにあったのは石版ではなく、美しい鏡だった。
「……すごい」
 呟いたのはサリナだった。フェリオは彼女を見た。瞳の色は、元に戻っていた。さきほどまでの、どこか隔絶したような雰囲気はなくなっていた。サリナはこちらに気づかない。しかしフェリオは、その横顔をじっと見ていた。
「あ、おい、あれ」
 クロイスの声に、フェリオは鏡に目を戻した。鏡は小刻みに震えていた。いや、それは祭壇が、あるいはこの祠自体が震えているのだった。
 鏡は震えながら、徐々に動き始めた。その位置は変わらないが、回転を始めたのだ。ゆっくりと回り、元の状態からちょうど反転した位置で停止した。
 鏡に祠のマナが集まる。マナの光がその鏡面に集い、柔らかな波を起こす。光は収束し、そして放たれた。光線となり、琥珀のマナが祭壇の向こうの壁にぶつかる。
 壁に当たったマナはそこで広がった。マナは大きな長方形となり、鏡からの放出が終わると、そこにはマナの広がったのと同じ形に、奥へと進むことの出来る通路の入り口が生まれていた。
「あの奥へ行け、ってことですね」
 古のマナ技術が起こした不思議な現象に胸を高鳴らせながら、サリナは1歩前へ踏み出した。仲間たちがそれに続く。
「間に合ったな!」
 その声は背後から聞こえた。驚いて振り返ったサリナの目に飛び込んで来たのは、アリスの姿だった。傍らでぜえぜえと息を切らせているのは、レオナルドだ。
「よお。どうしたんだ、やることあるんじゃなかったか?」
 そう訊ねたカインに、アリスはにやりとしてみせる。
「あの地図見ただろ? お前ら、朽ちた砂牢まで歩いて行く気かよ」
 確かに金剛城の応接室で見た地図では、砂牢はローランよりかなり離れた場所にあった。だが歩いて行く他に、どんな手があるというのか。そうセリオルは訊ねようとしたが、その前にカインが答えを出した。
「お、そうか。グリングランか」
「ああ……そうだ……ぜえぜえ……こ、この俺が……ひい」
 地上からあの長い通路を走らされたのだろう。レオナルドは可哀想なほど息を切らせて両膝に手をつき、しかしそれでも右腕だけは挙げて親指を立てていた。
「地下グリングランってのがいるんだ。そこの先にいるかどうかはわかんねーけど」
 話すことの困難なレオナルドを、アリスが代弁した。要するに、野生のグリングランを探してレオナルドが手なずけ、その背に乗って朽ちた砂牢まで行こうというのだ。
「我々はここまでだ。この先はよろしく頼む」
 出発しようとしたサリナたちに、クエメンテがそう告げた。彼とクラリタは、ここで金剛城に戻るのだという。
「なんだおい、クラリタは黒魔導師じゃなかったのか? 来てくれりゃ楽になるのによ」
 カインがそう言ったが、クラリタは何ら申し訳なさそうではない、むしろなぜか楽しそうな様子で答える。
「うふふ。私、ちょっと病気があるの。ここから離れられないの」
「病気……?」
 セリオルは、クラリタではなくアリスを見て訊ねた。頭を掻き、アリスは小声で答えた。
「よくわかんねーんだけど、マナの変異が起こっちまうんだ。地上に出るだけで体調が悪化する」
「ふむ……聞いたことの無い症例ですね……」
 医学の知識もそれなりに持っているセリオルだが、クラリタのその症状には心当たりが無かった。クラリタ自身がマナの変調と言うのなら、恐らく間違いではないだろう。だが場所によってそのようなことが起きるということを、彼は聞いたことが無かった。
「今んとこ治す方法は見つかってねーって言ってた。ていうか今はそんなことどうでもいいだろう。行こうぜ」
 話を切り上げて、アリスはさっさと先へ進む。セリオルは顎に手を当てて考えていたが、彼女の言うとおり、今はそれについて時間を割いている時ではない。アリスやサリナたちが進入した通路の入り口へ、彼も向かった。

「うひょおおおおお。こいつは気性が荒いぜえ、アリスちゃん!」
 通路はすぐに人工的な様子を失い、洞窟と化した。砂漠の下に広がるその洞窟は、僅かに湿っていた。地下水の水脈が近いためだろう。そのせいかグリングランは数多く棲息していたので、発見は容易だった。
「馬力があるってことだろ。そいつにしな」
「うひゃあ。無茶ぶりってもんだぜ、アリスちゃん!」
「なんだ、お前そんなのも手なずけらんねーのか? ローラン最高のグリングラン使いが聞いて呆れるな」
「おっ。そういうこと言っちゃうわけ? いーぜいーぜ、おいらの実力、とくとお披露目しようじゃねーの!」
 地上のグリングランとは異なり、地下のものは薄青色の体表を持っていた。その他には特に変わるところは無かったが、人間に慣れていないためか、レオナルドが乗ろうとするのを頑なに拒否するのだった。
「アリス、ここでグリングランが必要になるってどうしてわかった?」
 青い虫の上で振り回されてきゃいきゃい叫ぶレオナルドがそれを御すのを待ちながら、フェリオはアリスに訊ねた。アリスは腕を組み、グリングランから目を離さずにそれに答えた。
「祠から砂牢に行ったってことは、洞窟かなんかがあんだろうと思っただけだ。あんな魔法の仕掛けがあるとは思わなかったけどな」
「洞窟ならグリングランがいると思ったってことか」
「そーいうこと」
「青いグリングランも、可愛いですね」
「なあシスララ、それマジで言ってんのか?」
「はい、真面目です」
「おいクロイス、お前にはあの可愛さがわかんねーのか?」
「わかるわけねーだろ……」
「あはは……すごいなあ、シスララとカインさん」
「あれを可愛いと言うのは、ふたりとレオナルドぐらいでしょうね」
 といったような話をしているうち、レオナルドがなんとかグリングランを手なずけることに成功したようだった。青い巨虫はおとなしくなり、その背に乗ったレオナルドはどこから取り出したか、既に手綱を取り付けていた。
 ただ、その顔はいろんなところにぶつけたためか、ぱんぱんに腫れ上がっていたが。
「ひょう、わらひぇひゃにゃ……ぷえ」
「何言ってんのかわかんねー」
 グリングランの背で親指を立てるレオナルドに冷たくひと言だけ与えて、アリスは虫の背に上がった。サリナが慌てて回復の魔法を詠唱し、レオナルドの顔は元に戻った。
 グリングランは快調に飛ばした。サントスのように客を座らせておく荷台などあるはずも無いので不安定だったが、元からグリングランの背は、ある程度平坦だったのでそれほど問題ではなかった。ただ上下に揺れるので、カインだけは地獄を見た。
 洞窟はそれほど複雑なつくりをしてはいなかった。グリングランが棲息しているということは、他のどこかに繋がってはいるのだろう。それがどのような経緯でタイタンの祠と繋がったのかは知る由も無かったが、ともかくタイタンのマナを辿るのは難しくなかった。
 いや、それはタイタンのマナというより、朽ちた砂牢のマナなのかもしれなかった。何らかの魔法の力で繋がっているはずの、砂牢と街。その間に流れるマナは、まるでふたつの間の絆ででもあるかのようだった。
「弱いですね……」
 グリングランの背で揺られながら、セリオルはそう呟いた。
「え?」
 サリナは兄の横顔を見た。彼はじっと前を見ていた。
「ローランと朽ちた砂牢、この2箇所はおそらく、タイタンが存在する場所として繋がっているはずです。しかしそれにしては、このマナはあまりに弱い。まるで、いつ切れてしまうかわからない命綱のようです」
「命綱なら、もっとしっかりしてるはずだってことか」
 後ろに座るフェリオが続けた。セリオルは振り返り、頷いた。
「やはり、弱まっているのでしょう。タイタンはそのために、砂牢に向かったんです」
 やがて、グリングランは洞窟を抜けた。
 そこは竜脈の街に匹敵するほど巨大な地下空間だった。ローランと違うのは、陽の光が差し込んでいることだ。そこは赤茶けた巨大な、無数の岩に支えられていた。それはまるで柱のようだった。見上げると、同じ色の岩の天井が見えた。ただしいくつも穴が空いていて、そこから光が差しているのだった。
 天井から、頻繁に砂が落ちてきていた。流砂の終着点なのかもしれないと、セリオルは言った。確かにその砂の滝は、砂時計の漏斗を落ちるものとよく似ていた。
 そしてその空間に、朽ちかけた石造りの建造物があった。一見、それは神殿のように見えた。その琥珀色に染まった建物が、タイタンが向かったという砂牢なのだろう。
「じゃ、待っててくれ、レオナルド」
「おーよ! ちゃちゃっと用事済ませて帰ってきてくれよお。俺さみしくて死んじゃうからさ!」
「じゃー死んでろ」
「おうのー。冷たいねえ!」
 そんなやり取りをしているアリスとレオナルドに先んじて、アーネスはグリングランの背から降りた。地面にも砂が溜まっている。細かな砂は柔らかく、アーネスの体重を受け止める。
「さあ、行くわよ」
 彼女は琥珀の鞘を確かめ、いつでも剣を抜けるよう、気を引き締めた。王から命を受けた騎士として、ここは彼女がその使命を全うしなければならない。地の幻獣、瑪瑙の座。地王タイタンを求めて、アーネスは仲間たちと共に、朽ちた砂牢へ足を踏み入れた。