第114話

 朽ちた砂牢の中は、地のマナの何らかの作用が働いているのか、足元を絶えず砂が流れていた。それはまるで、複雑に入り組んで設計された水路のようだった。砂の流れはある一定方向だけでなく、様々な方角から流れてきた砂が、全く異なる方角へその行く先を変えていた。
「なんだこりゃ……どうやって進むんだ」
 その様子に、カインは愕然として呟いた。とても歩けたものではない。足を踏み入れでもしようものなら砂に動きを奪われ、このゆるゆるとした流れから抜け出せなくなりそうだ。
「建物の中なのに……どうなってるの?」
 アーネスも疑問を禁じ得なかった。砂は外から流入しているのだろうか。今入ったのは大きな広間のようだが、その先、他にどのような場所があってどんな構造になっているのかはわからない。ただ、外からは石造りの普通の建物に見えた。
「これまでもそうだっただろ」
 冷静に、静かな声でそう言ったのはフェリオだった。彼はいつもどおりの静かな目で、自らの理解を超える現象を観察していた。
「集局点では、何が起きてもおかしくない」
「その通りです」
 フェリオの肩に手を置いて彼に頷きかけ、セリオルはその言葉を肯定した。
「重要なのは、ここをどうやって攻略するかを考えることです。進む手を探しましょう」
 彼らふたりの言葉が、仲間たちを冷静にさせる。サリナは頼もしいふたりの隣で、彼らを誇らしく感じていた。
「アリスさん、何かご存知ではいらっしゃいませんか?」
 シスララから訊ねられて、しかしアリスは首を横に振った。腕を組んで、彼女は奇妙な砂の流れを見つめていた。
「ここはあたしたちも立ち入りを禁じてる場所だ。来たのも初めてだし、中のことなんて何も知らない」
「そうですか……」
 サリナは周りを見渡した。入り口からいきなりつまずくわけにはいかない。何か使える物は無いだろうか? 例えば竹馬のようなもので……いや、それはさすがに無理か。
 フェリオも同様に考えていた。この砂を止める方法は無いのだろうか。例えば幻獣の力で何とかならないか? いや、いくら幻獣とはいえ、地のマナの力で動いているこの膨大な量の砂を、一部であればともかく全て止めることは難しいか。他の部屋などにどんな影響が出るかもわからない。どうすれば……
「おい、あれ」
 考えるフェリオの近くで、ぽそりとクロイスの声がした。フェリオは顔を上げ、クロイスの姿を探した。
 少年はすぐ近くにいた。フェリオが自分のほうを向いたのを確認して、彼はそれを指差した。
「……マジか?」
 フェリオはそれに目を留めて、思わずそう口走った。そこにあったのは、砂漠のどこかから流れてきたのだろう、グリングランの背に設置される荷台用の板だった。

「おうふ」
 流れる砂の上であっちへこっちへと動く荷台は、砂牢内の壁にぶつかるたびに大きく揺れる。その都度誰かが倒れたりぶつかったりするので、移動はなかなか大変だった。今回はカインがつんのめった。
「しかしこれは……本当に進んでるのか?」
 その場で荷台を簡単に手直しし、砂の流れの上に置いた。おっかなびっくり乗り込んだサリナたちは、なんとか順調に進み始めた。しかし砂の流れはころころと変わり、方向感覚が失われていく。そもそもこの朽ちた砂牢のどこにタイタンがいるのかもわからないまま、闇雲に動き回っているだけなのではという疑問が、フェリオの頭の片隅に生まれる。
「あたしを見るなよ。初めてだって言っただろ」
 サリナたちからの視線を浴びて、アリスは居心地が悪そうだ。実際、彼女もよくわかっていないのだ。この迷宮のような砂牢のつくりも、タイタンの位置も。
「このつくりのせいなのかな、砂牢っていう名前は」
「そうかもしれませんね」
 ぽつりとサリナが口にした言葉に、セリオルが反応した。砂の牢。クレメンテやクラリタも詳しいことまでは把握していないということだったが、大昔から存在する建造物らしい。朽ちた砂牢という名であること、それがローランの歴史の中でも長きに亘って不可侵の聖域として扱われてきたこと、そしてその存在する位置。それ以外の情報は、何ひとつ無かった。
「この構造が古のマナ技術によって生み出されたものなのかどうか、それすらもわかりません。ただ、そう容易に脱出することは不可能でしょうね、仮にここが牢獄として使用されていたなら」
「でも誰かを閉じ込めておくためだけに、ここまでのものを造るかしら」
「あるいは侵入を阻もうとしてるか、だな。いずれにしても、ここが難しい迷宮だっていうことはよくわかった」
 セリオル、アーネス、フェリオの3人はそう話し合って意見を統一した。現状でこの迷宮の歴史を推測することに意味は無い。この困難な状況をいかにして打破するか、それだけを考えようと。
「おうおう、おいでなすったぜ」
 頭脳派3人の意見がまとまったところに、カインの言葉が折悪しく差し込まれる。それは、敵の襲来を警告するものだった。
「わ、わ、うわわわ。すごい、すごい数だよ!」
「うげ。なんだありゃ。魚か?」
 いつの間にか、サリナたちは魔物に取り囲まれていた。彼らが乗っているのは、視界を遮るものの無い荷台である。彼らが通常の敵の襲来を見落とすはずは無く、つまり敵は姿を隠したままで彼らを取り囲んだ。流砂の、中で。
 砂を自在に泳ぐ巨大な魚の群れが、砂から飛び出して荷台に襲いかかる。大きな口に鋭い牙を確認して、フェリオは舌打ちをする。肉食の魚。それも恐ろしく強靭な肉体を持つ魔物だ。彼は素早く銃を構え、トリガーを引いた。
 空中に躍り出た魚を、機関銃の弾丸が貫いた。カインナイトが熱を処理する輝きが青く尾を引く。それを口火に、サリナたちは怪魚の群れを迎撃した。
 クロイスの矢がカーブを描いて宙を舞い、魚の横腹に突き刺さる。苦痛にもがく魚をカインの鞭が弾き飛ばす。シスララはソレイユと連携し、不安定な足場で上手く跳躍し、見事な姿勢制御で敵を撹乱しつつ、舞うように攻撃する。アーネスはブルーティッシュボルトで怪魚の牙を防ぎ、すかさず剣を突き立てて斬り上げる。セリオルは雷光の魔法でその場を動くことなく鉄槌を下し、そしてサリナは迷宮の壁を蹴って縦横無尽に空間を駆け、敵を翻弄する。そして多くの怪魚が青白い炎となって、獣ノ箱に収められた。
「やれやれ……たいしたもんだよ、ほんとに」
 両手に剣を抜いたものの、その刃の出番は無かった。噛み付かれると骨まで砕けそうな恐ろしい顎を持つ怪魚だった。動きも素早かった。しかしこの戦士たちは、それをはるかに凌ぐ強さだった。
 魔物は何度も襲来した。分厚い殻と巨大な鋏を持つ蟹の化け物や、アントリオンほどではないが高強度の外殻を纏った大型昆虫、あるいは水分に飢えてサリナたちを狙おうとした、猛禽の魔物などだった。
「すごく硬いなあ。ここの魔物」
 鳳龍棍から伝わる手の痺れに顔をしかめ、サリナは毒づいた。
「地のマナに守られてるからね、たぶん」
 答えたのはアーネスだった。魔物は地のマナを纏っていた。地のマナは力強く、頑丈だ。今のところマナを操る魔物は現われていないが、出てきたら厄介だろうと思われた。
 荷台の進行方向を制御することが出来ないまま、サリナたちは流れに身を任せて進むしかなかった。そしてついに、彼らの荷台は動きを止める。しっかりした土の足場にたどり着き、砂の流れはそこで終わっていた。砂はそこから更に地下へと落下していった。
「何もありませんね」
 顎に指を当て、シスララはその場所を見回した。
 そこは何も無い場所だった。他の場所へ進むための道も無ければ、タイタンの許へ行くための手がかりも、物理的な足がかりも無い。ただ三方を壁に囲まれた、広めの空間だった。
「なんだよ、行き止まりか?」
 頭の後ろで手を組み、クロイスが口を尖らせる。彼には、この場所は進むことも戻ることも出来ない、厄介な袋小路に見えた。
「何かあるだろ、何か。探せ探せー」
 なぜかひとり全く気落ちもしていない様子で、カインは腕をぐるぐると回した。進んでいることの確証が無いことに鬱憤が溜まりつつある仲間たちの気分を、彼は少しでも良くしようとしたのだろう。とサリナは彼を見て思ったが、同時にただ変わった場所に来て楽しいだけにも見えた。
「探すって言ってもな……」
 砂漠から落ちてくる熱された砂の放散する暑さに、フェリオは額の汗を拭う。ここでは日光を気にする必要は無いので軽装になっているが、それでも暑い。腰に手を当て、彼はその空間に溜め息をついた。何をどう探すんだ、一体。
「……うーん」
 そんな中、琥珀のマナにぼんやりと光る石壁を見つめて、アーネスは唸った。
「アーネスさん、何かありました?」
 その唸りを聞いて、サリナが声を掛けてきた。アーネスは壁からサリナに視線を移した。
「これ、何だと思う?」
「え?」
 アーネスが指差したのは、目を凝らして見るとようやく発見できるような、周囲の石壁に非常に上手く溶け込んだ紋様のようなものだった。アーネスから説明され、目を細めて壁を見つめて、サリナはようやくそれに気づいた。
「これは……ゼフィールとか蒼霜の洞窟のと、似てるような?」
「やっぱりそう思う? でもどこかで見たことあるのよね……」
「……ああ、そいつは古ローラン王国の紋章だな」
 背後でそう答えを出してくれたのは、アリスだった。彼女は眉根を僅かに寄せ、目を細めて紋章を見つめていた。サリナの表情とよく似ていた。
「ああ、そうそう! 古ローランの紋章!」
「でもなんでこんなとこにあるんだ? 普通は旗とか石版とかに描かれてるもんなんだけどな」
「マナの仕掛けでしょうね」
 話を聞きつけて、セリオルがそう言った。他の仲間たちも集まってくる。これまでの経験で、彼らはなんとなくこの紋章が何なのか、見当がついていた。
「けどよ、もし違ったらどうする? 変なこと起こっちまったりして」
 意外に慎重なところを見せるクロイスに、セリオルは口の端を少し上げてみせる。
「そうなったら、その時考えましょう」
「……セリオルってこんな行き当たりばったりだったっけ」
 セリオルに半眼を向けながらそう言うクロイスに、答えたのはサリナだった。
「あはは。うん、意外とああいうところあるよ、セリオルさんも。ちょっと大胆っていうか」
「……確かにバッファリオンの時なんかも大胆だったな」
「王様脅すやつだからなー」
「やめてくださいよ、人聞きの悪い」
「ええ? おいお前ら、国王を脅してんのか……?」
「あらあら。そうだったの、サリナ?」
「いやいやいやいや、そんなわけないじゃないですか!」
 話が思わぬ方向に行きかけて、サリナが慌てて訂正する。言った当人であるカインはけらけらと愉快そうに笑うばかりだ。簡単に事情を話してアリスとシスララの理解を得たサリナは、カインに頬を膨らませて抗議したが笑って受け流されてしまって少しうなだれた。
「ではアーネス、お願いできますか」
「ええ」
 アーネスはリストレインの鞘を掲げた。アーサーが琥珀の光と共に召喚される。翼持つ獅子は現われるなり大きなあくびをした。
「今度はなんだ、アーネス」
「あら、聞いてたでしょう?」
「……やれやれ」
 ゆったりと脚を運び、琥珀の光を纏う大地の獅子は古ローラン王国の紋章の前に立った。彼がマナを練ると、纏う光が強くなる。アーサーは静かに、自らのマナを紋章に注いだ。紋章はそれを吸収し、直後に強い輝きを放った。
「ありがとう、アーサー」
「幻獣遣いの粗いことだな、アーネス」
「ふふ。許してちょうだい」
 アーサーはクリスタルに戻り、リストレインに収まった。マナを注がれた紋章が輝きを増す。
「わ、わわ、なになに?」
 足元が震えるのを、サリナは感じた。朽ちた砂牢が揺れている。大地の底から揺らされているような、地震のような揺れだ。
「おわああああ。なんだよなんだよ」
「うっせーな、落ち着けよこええのか」
「お前だってそれしがみついてんじゃねーかよ」
「うっさいアホ! 見てんじゃねーよ!」
「なんでだよっ!」
 カインとクロイスがやいやいとそんなやり取りをするうちに、揺れは収まった。時間にしてほんの数秒。だがその揺れが、砂牢に劇的な変化をもたらしていた。
「おいみんなやばいぞ! 急げ!」
 警告を発したのはフェリオだった。彼はいち早くその変化に気づき、対処に当たっていた。彼の呼びかけに、仲間たちが慌てて集まってくる。そしてそれを見て、各々驚きの声を上げた。
「まあ……あちら向きなんですね」
「おいおい、逆になってるじゃねえか!」
「なんだアリス、逆になったぐらいで――おいこれ逆になってんじゃん!」
「お前なんなんだよカイン!」
「やれやれ、驚きましたね、これは」
「こ、これ乗って大丈夫かな? 入り口に戻っちゃったりしないかな?」
 サリナが口にした疑問は、その場の全員が感じたことだった。だが、彼らはわかっていた。このまま進むしか、道は無い。
 さきほどの古ローランの紋章を引き金として、砂の流れが逆になっていた。つまり、あの荷台がさきほどまでとは逆方向に流れ始めたのだ。フェリオはそれを急いで止め、この場所に取り残されることを回避した。
「さ、行くわよ」
 アーネスが仲間たちを促した。サリナはやや不安そうな表情でこちらをちらっと見たが、彼女もわかっているはずだ。アーネスが頷くと、サリナはそれに答えて、不安そうながら頷いてみせた。
 荷台はさきほどとは逆方向に進む。順調に、さきほまで進んできたところを戻っていく。
「なあ、そう言えばサリナ、タイタンのマナの位置はわからないのか? なんとなくでも」
 来た道を戻る荷台の上で、カインが思い出したように訊ねた。サリナは、その質問に首を横に振って答えた。
「なんだかぼんやりしてて、わからないんです。それらしい大きさのマナがあるのはわかるんですけど……」
「そうかー。試練の迷宮ん時みたいにはいかねえかー」
「ごめんなさい、カインさん……」
「おう? おお、いやいや、いいんだ。そうだよな、わかってたら最初に言ってるよな」
 つまり進めるところに進むしかない。その事実を仲間たちは再認識した。来た道を戻っていく途中、いくつかさきほどのものと同じような、土の足場がある空間を通った。そのたび、彼らは荷台の引きとめ役を選んで途中下車をした。しかし手がかりらしきものは見当たらなかった。
「おい、これマジで入り口に戻っちまうんじゃね?」
「……かもしれませんね」
 不安になってきたらしいカインに、セリオルも同調する。実際、その可能性は高かった。さきほどの紋章の場所が、ここが牢獄か何かに使われていた時、誰かが休む場所か何かだったのだとしたら。紋章がスイッチとなって、入り口に戻ることが出来るようになっていても不思議ではない。
 サリナたち全員が、その嫌な想像に溜め息をつきかけた時だった。
「わあっ!?」
 突然、荷台がバランスを崩した。立って進む先を見ていたサリナは姿勢を崩し、慌てて荷台に手をついた。
「あれ?」
 気づくと、荷台の進行方向が変わっていた。元来た道筋とは異なる方角へ。ついさっき、もう入り口はすぐそこに見えていた。しかし今はもう見えない。完全に、進む方向が変わっていた。
「あら。これで先へ行けるのかしら」
「だといいですね」
 アーネスとシスララの顔にも明るさが戻った。ふたりは頷き合い、新たに見えてきた流砂の先を見つめた。
「……あら?」
「……おい」
「……うわ」
 アーネス、フェリオ、サリナの3人が同時に、嫌そうな声を出した。それは進む先に多くの魔物が見えたから――ではなかった。魔物は見えたが、それよりもっと大変な事実が待ち受けていた。
「……あの先、どうなってんだ?」
「……だからあたしに聞くなっての」
 魔物が襲いかかってくる。しかしそれどころではない。サリナたちは魔物の群れを竜巻がごとき勢いで吹き飛ばし、その事態に備えた。いや、備えようとした。実際には、どのように備えればいいのかわからなかった。
 流砂の先が、見えなくなっていた。カインは身を竦めた。
「おいおいおいおいおいやめてくれ止めろおいどうするんだ止まんねーのか足場無いからかどうするおいこれやばくないかおいおいおいおいいいいああああああああああああ――」