第13話

 ロックウェルからチョコボで西へ数日。インフェリア州の西の端に、切り立った絶壁に囲まれた峡谷がある。土や岩が露出した無機質で荒涼たる断崖。地面には苔や羊歯、多肉類といった背の低い植物が茂っている。峡谷には断続的に強い風が吹くため、背の高い植物が育たないのだろう。
 風の峡谷。高い崖とその向こうに広がる海、自然の営みが造成した鋭い谷。それらの要素が重なり合って、この風の王国を生み出していた。
「すごい……」
 チョコボから降りたサリナが憮然として呟いた。緑と土と岩の色が美しく配列された景色。強風と微風が交互に繰り返し吹く谷。風にのって、植物の胞子が舞う。中には大きな綿毛のような胞子もあり、谷の奥からやってきたそれらがサリナの顔の横を通り過ぎた。
「ここが風の峡谷ですか」
 地面に降り、チョコボの手綱を握ったままでセリオルが誰にともなく呟いた。彼の長髪が風になびいている。
「ああ。奥の洞窟で風鳴石が採れる」
 フェリオがピッケルを腰に結びつけながら答えた。4人はそれぞれ1本ずつのピッケルを携えていた。風鳴石の鉱床は地面に露出していて、採掘自体は容易だと言う。問題は鉱床までの道のりだった。
「おいフェリオ、俺ここ初めて来たけど、あんなのがいるのか」
 カインがうんざりとして指差した先は崖だった。高く聳える崖の途中から、折れ曲がった背の低い木が突出している。その幹に鉤爪を食い込ませている巨鳥がいた。藍色の翼に薄黄色の嘴。腹の羽毛は白く、目は漆黒。黒光りするその両目は、サリナたち4人をひたと見据えていた。
「あいつら、ここの住人だよ」
「ズーですか」
 鳥の魔物の代表格として知られる、恐るべき巨鳥である。鋭く尖った嘴を大きく開いて、ズーは崖から飛び立った。耳をつんざく巨鳥の咆哮。ばさりとはためいた巨大な翼の音が、そよ風にのってサリナの耳に届いた。
「やれやれだ」
 文字通り風にのって急速に迫り来る巨鳥。迎え撃ったのはフェリオの銃弾だった。長銃の弾丸が空を裂いて襲い掛かる。しかしその時、強烈な突風が吹いた。銃弾は逸れ、サリナたちはバランスを崩して地面に膝をついた。そしてその時には、人の身体を簡単に貫くであろう強固な嘴はすぐそこまで迫っていた。
 立ち上がったサリナが渾身の力で地面を踏み込んだ。襲来したズーの嘴を、下から黒鳳棍で叩き上げた。サリナの攻撃は巨鳥に軽い脳震盪を起こさせた。ズーの巨躯が地面に倒れこむ。藍色の翼に数本の短い矢が突き刺さった。フェリオの打ち込んだ矢だった。苦痛に巨鳥が叫ぶ。
「零厘の凍てつく水に慈悲は無し――ブリザド!」
 セリオルの杖から氷の魔法が放たれた。鋭い氷柱がズーを襲い、着弾と同時に魔物を地面に凍りつけた。その時、カインは胸の前で両手を組み合わせ、いくつかの印を結んでいた。
「青魔法の壱・マイティブロウ!」
 叫んだカインの前に銀色の巨大な拳が現れ、巨鳥の頭を打ち付けた。ただでさえ脳震盪を起こしていたズーは意識を失った。巨大な翼が地面にぐったりと広がった。
「いただき」
 カインは獣ノ鎖を取り出し、ズーに巻きつけた。ズーは青白い炎となり、カインの腰にぶら下がる獣ノ箱へと収納された。
「よし、デッドリィ・ビークゲット」
「今の何ですか? カインさん」
 サリナがカインに駆け寄った。風になびいて目にかかりそうになる髪を押さえている。
「ん? 獣ノ鎖のことか?」
「ううん、その前の、なんとかブロウって」
「ああ、ありゃ青魔法だよ。前に魔物から習得したスーパーパンチ。俺、獣使いで青魔導師なんだ」
「あれが青魔法! 初めて見ました」
 胸の前で両手を合わせ、しきりに頷いて興奮するサリナに、カインは呵々と笑った。
「習得したい技を使う魔物を操って自分にその技を使わせるわけですか。効率的ですね」
「元々が獣使いだからな。この力でもっと高度な技術を身に付けられないかって考えた。最後はとっ捕まえて獣ノ箱行きだ」
 青魔法は魔物が使う攻撃や特殊な能力を学び取る技術である。魔物の能力をその身に受けることで習得が可能になるため、習得時にはそれなりのリスクを伴う。だがそれだけに、その威力は大きい。
 服に付着した土埃を払って、4人は峡谷へと足を向けた。しかしすぐに風が舞い上げる土煙をまともにかぶって、彼らはこの場所で服の汚れを気にするのは無意味だと苦笑した。

 フェリオの先導で一行は進んだ。峡谷には不思議な生物が多く、風に乗って飛行する兎のような動物や、茎が無く花弁だけで空中に漂う色とりどりの花、傘を広げて風を受けながら崖を上るきのこなども存在した。常に風が吹いているという特殊な環境に適応した生物たちに、サリナとカインは逐一驚くのだった。
 魔物が襲いかかってくることも何度かあった。鳥の魔物が多かったが、中には地面にへばりつくようにして移動する、平たいトカゲのような爬虫類もいた。戦闘にもここの風は大きく影響した。フェリオは風の妨害を極力受けないように、射出火力の高い銃身と短く小さな弾丸を使った。セリオルは薬瓶を使うとどこに飛んでいくのかわからないので黒魔法のみで戦わざるを得なかったが、サリナは逆に風を上手く利用し、器用に遠心力を増幅させていた。
「まあ、俺ぁ別に関係ねえからな、風なんて」
 風に背中を押されておっとっとと言いつつ、そんなことをカインは独りごちていた。
 ともあれ彼らは、進むべき道を塞ぐ巨大な岩塊の前に立ったのであった。ごつごつとした岩壁に開いた洞窟の入り口。そこが無愛想な岩の塊によって、隙間無く遮られていた。周囲には地熱によって熱せられた地下水が湧き出していて、時折間欠泉が噴き出す。峡谷の他の場所と比べて、突出して気温と湿度が高い。
「なんだこのでかい岩」
「……まあ、岩だな」
「この向こうが風鳴石の洞窟なの?」
「……まあ、この向こうだな」
「これを壊すのは、かなり骨が折れますね」
「……まあ、折れるな」
 巨岩は上から落下してきたもののように見えた。地面にめり込み、一部欠損を生じている。見上げた上部には太い亀裂が走り、大岩を3分割していた。
「前に来た時は無かったな、こんなもの」
 腰に手を当てて岩を見上げながら、フェリオはうんざりとそう言った。
「この上から落下してきたんでしょうか」
 セリオルが指差した先には、岩肌を露出させた塔のように鋭い岩山があった。風の侵食が生み出した形状のようだった。
「この先は、山の中腹に繋がる洞窟になっている。風鳴石はそこにあるんだけど……参ったな」
 一行は途方に暮れて立ち尽くした。暑さも手伝って苛立ちが募る。岩の破壊を試みたがさすがに打撃では歯が立たず、セリオルの炎の魔法と薬品で溶かすという案も出たが、果てしなく時間がかかる上に彼の魔力と薬品の量には限度があった。
「しょうがないな。幻獣呼ぶか」
 困り果てた顔でカインが提案した。
「でも、リバレートを使ったらしばらくアシミレイトもできなくなるぞ」
 同じく困り顔のフェリオが答える。セリオルもいつになく難しい顔である。そんな3人にサリナが質問を差し挟んだ。
「リバレートって?」
「ああ、兄さんが野盗の親分に使ったイクシオンの技、あっただろ。あれだよ」
「必殺技みたいなもの?」
「まあそうだな。威力は凄いけど、使うとアシミレイトが解除される上に丸一日は再アシミレイトもできなくなる」
「そうなんだ……。使いどころが難しいね」
「しかしそれしか無いでしょう。リバレートは本当の危機があるまで温存しておきたいところですが、ここで進めなくなってしまっては意味が無い」
 セリオルの言葉に他の3人が頷いた。いざという時にはアシミレイトに慣れているスピンフォワード兄弟が幻獣を使うべきだということで、練習も兼ねてサリナがアシミレイトをすることになった。
 二度目のアシミレイト。両目を閉じ、意識を集中させる。サラマンダーに、彼女は呼びかけた。
 と、その時だった。彼女はあることに気づいて目を開いた。峡谷内に吹き続ける風。これまで様々な方向から吹きつけたそれが、今は彼女の背後から吹いていた。風が周囲の湿気をまとって、岩壁にぶつかっている。見上げると、山肌の植物も下からの気流に吹き上げられているようだった。
 地下水や間欠泉の熱が、この場所から山の上部に向かって上昇気流を生み出していた。岩山は崖のように切り立っているが、ところどころに大きな窪みがある。目の前の岩が剥落したように、風の侵食にその身を削られているのだろう。
「よし、飛んでいきましょう」
「え?」
 自分以外の3人が口を揃えて疑問の声を口にしたが、サリナはそれに笑って答えた。
「ここ、上昇気流が起きてるみたいです。浮揚の魔法で浮かび上がれば、私がコントロールして上まで行けると思います」
「ええっ。そんなことできるのか」
「なるほど。いい考えですね」
「おいおい、失敗したらあれじゃねえの、一巻の終わりじゃねえの」
「大丈夫ですよ、私これでも白魔法の初級認定受けてるんですから」
「おいおいい大丈夫かよ初級認定って。初級だろ?」
「地の束縛断ち切る我は――」
「いやいやおいおいもうちょっと検証が必要なんじゃないか」
「覚悟決めろよ、兄さん」
「翼持つ者――レビテト!」
「いやいやいやいや、おいおいおおわああああああああ」
 かくして彼らは、山の中腹に向けて飛び立った。

 カインの心配をよそに、空の旅は快適だった。何度か落石にぶつかりかけたものの、点在する窪みに立ち寄りつつ彼らは上を目指した。都合4度の詠唱で、4人は中腹の開けた平地に到着した。
「なかなか楽しかったな」
「い、生きた心地がしなかった」
 スピンフォワード兄弟はふたりで正反対の表情をしていた。
「うえ。ちょっと、気持ちわりい」
「飲んでください」
 セリオルがカインに差し出したのは、ユンランからロックウェルを向かう船の上でも飲ませた酔い止め薬だった。空中を浮遊したことで、カインは船酔いに似た症状を起こしていた。薬を飲んだカインは、またしても瞬時に体調を回復した。
「やっぱり俺、あんたがいないと生きていけない」
「勘弁してくださいって」
 そこは山の中腹の、広場のような場所だった。彼らの先にはまたしても洞窟の入り口らしき穴があった。その穴に向かって、地面や岸壁の色が徐々に濃い翡翠のような緑へと変わっていく。
「風鳴石の鉱床だ」
 鉱床の色は単色ではなく、いくつもの鉱石の色が翡翠色の中に散りばめられたような趣である。中にはガラス質の鉱石もあるようで、光を受けて輝く粒子のようなものも見える。水に濡れているのかと思うほどの滑らかな光沢。
「きれいですね……」
 呟いたサリナの髪を、風が撫でる。一歩、フェリオが歩みを進めた。それをきっかけに、4人は洞窟へと進んで行った。
「これだけ純度の高い風鳴石の鉱床は、世界でもここだけだって言われてる」
「いや、これはすごい。鉱石から豊かなマナを感じます」
 翡翠色へと変わった地面に触れて、セリオルが感嘆したようにそう言った。彼の経験でも、これだけ魔力を秘めた純度の高い鉱石は見たことが無かった。
「さっさと採って帰ろうぜ。この洞窟、下に続いてるんだろ?」
「ああ。帰りはリバレートを使えばいいだろうな。どうやら危険も無いようだし」
 フェリオがそう言った直後だった。怪鳥ズーのものとは全く異質の、美しい鳥の声が聞こえた。歌うように響いたその声に、4人は背後を振り返った。
 神々しい光を纏った鳥がそこにいた。鮮やかな虹色の羽毛。翼の裏と腹側の羽毛は純白である。朱色の艶やかな羽根は、鶏冠のように頭部を装飾している。嘴も白く、象牙を思わせる滑らかさだった。
 その美しい鳥は風鳴石の色に似た、翠緑色の光を放っている。彼らはそれに似た光を、これまでにも見たことがあった。
「おいおい、まさか」
「幻獣、ですか?」
「風の幻獣――ヴァルファーレ、ですね」
 ゼノアの件で、幻獣たちは人間に敵対的である。シドの家で話したセリオルの言葉を、全員が思い出していた。この峡谷に入ってから、覚悟はしていた。幻獣と相対する危険があるかもしれないと。
「やれやれ。よりによってこのタイミングか」
 言いながら、フェリオは長銃のグリップへと手をやっていた。それを制して、セリオルが前に出る。
「エリュス・イリアの偉大なる守護神、幻獣ヴァルファーレよ。私たちの話を聞いてはもらえませんか?」
 彼の申し出は、風の鳥の甲高い咆哮によって却下された。ばさりと羽ばたいて宙に浮き、幻獣は4人に威嚇の声を上げる。
「聞く耳無し、だな。完全にゼノアの野郎のせいだ」
 巨躯を誇るヴァルファーレの急降下が、鋭く4人に迫った。

挿絵