第135話
怖気を感じた。自分の周囲から空気が消えてしまったとしたら、こんな感覚だろうか。全身の肌が粟立つ不快感に、サリナは思わず口元を押さえた。 そうだった。敵は幻魔。幻獣と同じく、マナの化身だ。忌まわしいことだが、あの醜き不浄王はこの地、聖なる滝に満ちるマナと同様、聖のマナを司る存在だった。 集局点の豊かなマナが、悲鳴を上げていた。 「しまった……」 黒い絶望が、セリオルの心を浸食する。クラーケンの姿が脳裏をよぎる。あの濁流のような不気味な声が蘇る。絶望のマナが、どす黒い紺碧の嵐が、彼の記憶から這いずり出す。 「ぐふふふ……もう終いだ、貴様らはなあ!」 勝ち誇り、キュクレインは哄笑を上げる。その醜い身体が、倍にも膨れたようにクロイスは感じた。彼にとって、幻魔は必ず滅さなければ、いや、滅してやらなければならない存在だった。ゼノアの駒としてクロイスたちと戦い、光となって消えたクラーケン。その哀れな、罪深き命は、彼らが戻してやらなければならない。 本来の姿――無へと。 「くそっ……ムカつくぜ!」 ぎりりと、クロイスは歯を噛み締める。2本の短剣を握る手に力が篭る。こんなにも暴力的なマナの力を、こんなにも哀れな存在に持たせたゼノア。その背徳者への怒りが湧き上がる。 キュクレインは誇らしげだ。セラフィウムを奪回され、ゼノアの“実験”を中断させられてはいるが、この鬱陶しいリバレーターたちを捻りつぶした後で再開すれば良い。そして彼には、その力がある。そのことが、聖の幻魔に誇りを抱かせていた。 「ぐふふふ……ぐはははは! さあいくぞ! さあいくぞ、虫けらども!」 集局点のマナを、吸収していた。幻魔キュクレインは聖なる滝の、集局点に満ちるマナをその身に吸収していた。 最大の攻撃が来る。手を打たなくてはならない。セリオルは焦燥感に駆られながら、手を考える。クラーケンの時は、カインがいた。水のマナに有効な雷のマナの使い手がいた。だが今、聖のマナに対抗しうる者がいない。聖のマナの対極に位置するのは闇のマナ。闇のマナの使い手は、ゼノアの下にいる。 「くっ……! クロイス、いけますか!?」 「……ああ、やってやらあ!」 瑪瑙の座の力を持つクロイスに、セリオルは懸けた。クロイスは怒りを滾らせていた。シヴァのマナは充実している。サリナとセリオルで援護すれば、なんとかなるかもしれない。マナを増幅させる、フェリオもいる。 「来ますよ、クロイス!」 「ああ!」 「サリナ、フェリオ、援護を!」 真紅と銀灰のリバレーターは鋭く返事をし、クロイスの後ろに立った。キュクレインの正面にクロイス、その真後ろにセリオル。セリオルとクロイスの間、左側にサリナ、右側にフェリオという陣形を取る。迎撃のマナの態勢は整った。 あとは、耐えられるかどうかだ。 ――大丈夫だろうか。セリオルの胸に不安が広がる。幻魔は集局点のマナを吸い、力を増している。こちらは瑪瑙の座とはいえ、水のリバレーターだ。碧玉の3人で援護したとしても、敵の力に対抗することは出来るのだろうか。 闇のリバレーターがいれば。そんな馬鹿げた考えが脳裏をかすめ、セリオルはかぶりを振って自嘲する。闇のリバレーターは敵なのだ。 「さあ、来ますよ! マナを放出してください!」 「おう!」 キュクレインの哄笑が聞こえる。こちらの努力を嘲笑っている。無駄なことをするなと、貴様らは終わりだと、繰り返しその汚らしい口から、言葉が吐き出される。 「さあ覚悟を決めろ! 貴様らの最期の時だ!」 勝ち誇り、キュクレインは大きく腕を広げる。純白のマナが膨れ上がる。その忌まわしく破滅的な白き力は、巨大な獣の姿を取った。獣は大きく咆哮を上げる。美しき花畑に降臨した、純白に輝く聖なる獣。それは絶望的に美しく、破滅的に神々しい光景だった。 「レトゥム・マナ・ソレムネ!」 巨獣は解き放たれた。恐るべき破壊力を秘めたマナの獣は、身の毛もよだつ咆哮を上げ、草花を踏み散らして突進した。 「クロイス!」 「わ、わーってるよ!」 セリオルに呼ばれ、クロイスは意識を集める。シヴァを解放するのだ。瑪瑙の座の幻獣の力で、あの獣に対抗しなければ。全力のリバレートで押さえ込む。あの時、カインがしたことを自分がするのだ。 ――でも、大丈夫なのか? 不安が去来する。恐らくそれは、セリオルやサリナ、フェリオも同じだった。敵の力は圧倒的だ。マナの総量で、どう考えても勝ち目は無い。押し切られる可能性が大きい。アシュラウルの力でマナを増幅したとしても、限界はあるだろう。 「……やるしかねえか!」 「お願い、クロイス!」 クロイスは覚悟を決めた。サリナと目が合う。真紅の少女は、大きく頷いた。大丈夫、きっとやれる。その目を見て、クロイスも頷く。前を向き、彼は叫んだ。 「リバレート・シヴァ! ダイヤモンドダスト!」 美しい紺碧の女王の幻影が現れる。女王は氷結した凍土のよう美しい声を上げる。マナが彼女へと集まっていく。シヴァは腰に両手を構え、その手のひらの中へマナを集中させた。紺碧のマナが高まる。巨獣の咆哮が上がる。 両手を突き出し、シヴァはマナを一気に放った。凄まじい氷嵐が巻き起こる。紺碧のマナは渦を巻いて巨獣へと向かう。背後で、セリオルたち3人の声が上がる。マナを供給してくれていた。ヴァルファーレ、サラマンダー、アシュラウル。碧玉の座の3柱がマナを放出し、シヴァの力と変えていた。 聖と水、2つのマナが衝突する。シヴァと同じ姿勢で突き出した手に、ぐんと大きな衝撃が伝わる。その重さに、クロイスは歯を食いしばる。やはり強い。集局点から集められたマナが大きい。朽ちた砂牢で、彼は学んだ。集局点は、世界樹とマナの道で繋がっている。集局点のマナは、世界樹のマナだ。エリュス・イリアの全ての根源、世界樹。幻魔の放ったマナは、世界の根源であると言っても過言ではなかった。 「ぐははははは! どうだ、無駄だろう! どれだけ振り絞ろうと、無駄だっただろう! ええ?」 勝利を確信し、キュクレインは笑う。聖の獣は僅かに勢いを殺されたものの、着実に1歩すつ足を進めている。纏うマナの力にも衰えは無い。所詮はただの水の幻獣、瑪瑙の座。そして有象無象の碧玉の座。闇の力も持たぬ者どもに、この力を防ぐ手などあるものか。 巨獣は進む。対抗しようと力を絞る4人の人間に向かって。間もなく、あの瑪瑙の座の幻獣のマナも尽きるだろう。そうなれば、残るは碧玉の3柱のみ。捻りつぶすのは、造作も無い。聖なる獣は舌なめずりをする。早く喰らいたい。あの力持つ者どものマナを、早く喰らいたい。 「調子に乗るのは、まだ早いわ」 その声は、横から聞こえた。 巨大な岩が飛んできた。獣は横っ面をその大きなマナに殴打され、よろめいた。力に隙が生まれる。キュクレインは動揺した。岩は次々と飛来し、白き巨獣を攻撃した。前からは水のマナ、横からは別のマナ。その2方向からの対抗に、正面しか見ていなかったキュクレインは慌てた。 「き、貴様!」 それは戦線を離脱していたはずの、琥珀の騎士だった。 「アーネスさん!」 美しい琥珀の光を放つ騎士の名を、サリナは呼んだ。剣を抜き、獣を攻撃するアーネスはちらりとこちらを向き、微笑んだ。美しい姿だった。 「滅びよ、醜悪なる邪悪の魔物!」 切っ先を白き獣へ向け、アーネスは叫んだ。琥珀の光が増大する。タイタンのマナが膨れ上がる。更なる岩弾や岩の槍を飛ばし、アーネスは続ける。 「そのような姿で聖なるマナの化身だなどと、思いあがるのもほどほどにせよ!」 無数の飛礫が、槍が、剣が、研ぎ澄まされた鉱石の刃が飛ぶ。シヴァの力と共に、そのマナは巨獣の力を確実に散らした。 そして琥珀は輝きを増す。両手で剣を最上段に水平に構え、アーネスは神なるマナとの共鳴を高める。 「リバレート・タイタン! 大地の怒り!」 琥珀の光が溢れ出し、膨れ上がる。巨人タイタンの、大地を揺るがすような力強い声が響く。トーガを纏った隆々たる体躯の神の幻影が現れる。タイタンは咆哮と共に、その逞しい拳を地面に連続で叩き付けた。拳が大地を打つ度、白き巨獣の周囲の地面が鋭く、巨大な錐のように突き出して敵を貫く。凄まじい速度で幾度も幾度も、大地の錐は白きマナの獣を貫通した。 そしてとどめとばかり、タイタンが両の拳を組み合わせ、大地を大きく叩いた。 これまでに出現した全ての錐を合わせても足りないほど、巨大な錐が獣を貫いた。それはまさしく、マナを冒涜する者への大地の怒りだった。獣はか細い悲鳴を上げた。紺碧の嵐が止む。琥珀の猛攻が鎮まる。そして同時に、白きマナの暴虐もその姿を消した。 「……や、やった」 へなへなと腰から力が抜けたように、クロイスはへたり込んだ。白き巨獣は消えた。なんとか耐え凌いだ。アーネスの援護が無ければ、危なかった。 「はあ……よかった」 サリナは大きく息をついた。クロイスを助け起こしてやる。迎撃の主体となった少年は、アシミレイトを解除されていた。シヴァのマナが尽きたのだ。そして彼ほどではないにせよ、自分もかなりのマナを消費していた。真紅の光が弱まっている。セリオルとフェリオも、同様だった。 「気を抜くなよ、サリナ」 警告はフェリオからだった。彼は武器を構えていた。サリナは顔を上げる。クロイス同様、アシミレイトを解除されたアーネスがいた。彼女は剣と盾を構え、幻魔のほうを向きながら、ゆっくりとこちらへ、背中を向けたまま移動していた。 「これでこっちの瑪瑙の座は、もういないんだ」 「……うん」 「敵は、もう一度マナを吸収すれば同じことが出来ます。その前に、なんとしても倒さなくては」 セリオルの声も切迫している。そうだ。状況は好転してはいない。一時的な危機は去った。だがこちらの戦力も大きく削られた。再び同じ攻撃が来れば、今度こそ凌げない。 それを知っているのだろう。醜き幻魔は、なお笑っていた。渾身の攻撃を凌がれたが、笑っていた。 「ぐふふふ……馬鹿な者どもよ」 嘲笑い、キュクレインは再び腕を広げた。集局点のマナは潤沢だ。もう一度同じことをすれば良いのだ。そうすれば、この鬱陶しい連中を消し去ることが出来る。 無駄な抵抗を、人間たちはしてみせた。火炎弾や、力のマナで増幅した魔法が飛んでくる。だがそんなもの、何の意味も持たなかった。敵のマナは消耗している。こちらはすぐに回復出来る。勝敗は、もはや火を見るより明らかだった。弱々しい敵の攻撃を、キュクレインは鎌で掻き消していく。 「無駄だ無駄だ!」 そして同時に、集局点のマナを集める。自分の力が増幅していく。 そこへ、大きな衝撃が頭上から降ってきた。 「ファ・ラクさん!」 その姿に、サリナは驚いた。竜の戦士は、大きく唸り声を上げながらキュクレインを攻撃した。不意のことに、幻魔はよろめいた。ファ・ラクはそれを好機を見て、逞しい腕や翼、尾にマナを纏わせ、連続攻撃を仕掛けている。 ファ・ラクの身体は輝いていた。まるで、大きなマナを得て力を増大させたようだった。マナが活性化している。動きからも、その力の強さからも、キュクレインに向けて放たれたブレスの鮮烈さからも、それは明らかだった。 ぽかんとして、サリナはその攻撃を見ていた。ファ・ラクは強かった。体躯はキュクレインと同じくらいの大きさだが、あっという間に幻魔を組み伏せた。最初の不意打ちが功を奏していた。幻魔は混乱から態勢を立て直すのに手間取り、竜の戦士の痛烈な攻撃をまともに受けていた。 「はは……なるほどな、そういうことか」 耳に入ったフェリオの声の軽さに、サリナは驚いて顔を上げた。フェリオのほうを見る。彼は空を見上げていた。 「ほら。あれが力を与えたんだ」 フェリオが指差した先を、サリナも見上げた。 「わあ!」 思わず、驚きの声が出る。 空は青く、美しかった。さきほどまでの切迫した力の拮抗で、そんなことを意識する余裕が無かった。だが空は明るく、輝いていた。吸い込まれるような美しい空の色。 そしてその空を遮る、大きな影があった。 「ソレイユ! シスララー!」 それは金色の鱗と翼を持つ、聖竜の王。覚醒した力を発揮し、空を舞うソレイユの姿だった。そしてその肩のあたりに、シスララの姿があった。だが純白の竜騎士は、それまでとは様子が違っていた。 「聖竜王様!」 キュクレインを這い蹲らせたファ・ラクが、王の名を呼び、素早く敵から離れた。 全てを焼き尽くすほどの眩い閃光が走った。それはソレイユが放った、あの圧倒的な威力のブレスだった。閃光は幻魔を焼いた。キュクレインは、その醜い口からごぼごぼと、汚らしい悲鳴を上げる。 大きく旋回し、黄金の竜は地に降り立った。そしてその背からシスララが飛び降り、ふわりと着地した。 美しい姿だった。純白の鎧が、彼女の身を覆っていた。だがそれは、カーバンクルの鎧とは異なっていた。それよりも、身体の多くの面積を覆う、新たな鎧だった。 その鎧が意味するところは、ひとつだった。 「シスララ!」 その名を呼び、サリナが駆け寄った。じっとキュクレインを見つめていたシスララはサリナのほうを向き、にこりと微笑んだ。春風に咲く可憐な花のような、美しい微笑みだった。 「やったんだね、シスララ!」 「ええ、サリナ」 短くそう答えて、シスララは槍を構えた。にこりと笑い、サリナも再び幻魔のほうを向く。 「間に合いましたか……」 安堵した様子のセリオルに、シスララは頷いた。 「なんとか、回復することが出来ました。聖霊様も、目を覚まされて」 「協力してもらえたんだな」 「はい」 フェリオの言葉に、シスララは頷いた。 集局点のマナで回復したカーバンクルの力で、シスララは眠るセラフィウムにマナを供給した。瑪瑙の座の聖霊は、しばらくして目を覚ました。状況のわからないセラフィウムに、シスララは言葉を尽くして説明した。セラフィウム自身のことと、幻魔のことと、世界のことを。 「そうですか……わたくしの落ち度ですね」 美しい瞳を伏せ、目覚めたセラフィウムはそうこぼした。そしてすぐに、彼女は協力の要請を受諾した。自分の意識を乗っ取るほどの敵を倒すには、試練だ何だと言ってはいられないと。 「他の瑪瑙の座たちにも、同様のことが起こっているかもしれないのでしょう? 四の五の言っている時間はありません。一刻も早く、滅さなければ」 福音の唄のような清浄な声できっぱりとそう言って、セラフィウムはクリスタルとなった。純白のクリスタルがリストレインに嵌り、シスララは瑪瑙の座の力を得た。 「ぐふ……ぐほっ」 泡立つ涎を吐き散らかしながら、幻魔はその身を起こした。聖竜王のブレスは大打撃を与えていた。だがさすがは、瑪瑙の座の幻獣に匹敵する力を持つ者。それだけで滅されるほど、脆弱ではなかった。 「許さんぞ、貴様ら……全てのマナを使って、1匹残らず消し去ってくれるわ!」 腕を広げ、キュクレインは集局点のマナを再び集め始めた。止めようと、ファ・ラクが突進する。だが復活した鎌状触手が、その侵攻を阻んだ。 その様子を見て、シスララが幻魔へ向かって足を進めた。走りはしなかった。槍を手に、彼女はゆっくりと進んだ。 集局点のマナ。世界樹から供給されるその豊かな純白のマナを、シスララは感じていた。まるで肌がマナ探知機にでもなったようだった。このセラフィウムの御座を満たすマナの動きが、彼女には手に取るようにわかった。 「……あなたはきっと、主人の命令を忠実に守っていただけなのでしょう」 歩きながら、シスララは言葉をこぼした。それはキュクレインに向けてのものだった。マナを集めながら、幻魔は自分に接近する小さき人間の言葉に、不快感を露わにし、触手で攻撃を仕掛けた。だが触手はシスララに到達する前に、見えない力によって防がれた。 「……もしかしたら、あなた自身には罪は無いのかもしれません」 キュクレインは狼狽した。あの力は何なのだ。あの人間から感じる、この大きな力は。あの者が発するマナの波動は、一体何なのだ。 「ですがあなたのしたことが、ひとつの街を滅ぼしかけたのです。人々の暮らしを脅かし、産業を途絶えさせようとしたのです」 シスララの声は静かだった。だが、槍を握るその手には力があった。 「街を、自治区を支えるのは産業です。人々が一生懸命に働くその礎が無ければ、暮らしは成り立たないのです」 「ふん、知ったことか! 人間どもの暮らしのことなど、ゼノア様の崇高なる理想と比べれば、騎鳥車の前の小石に同じよ!」 幻魔が発したその言葉に、シスララは顔を上げる。サリナは、初めて見た。シスララの纏うマナが、怒りの色を湛えていた。優しく、慈愛に満ちたあのシスララが、怒っていた。 「ゼノアが一体、何のためにこのようなことをしているのかは知りません。ですが、それがこの、エリュス・イリアに暮らす人々の暮らしを壊し、幸福を奪うのなら――」 シスララは槍を構えた。オベリスクランスが純白に輝く。光が増していく。マナの流れが変わる。 「私はそれを、許すわけにはいきません!」 純白の輝きが増大する。キュクレインは、違和感を感じていた。集めたはずのマナが動かない。いや、動いてはいた。だがそれは、彼が意図したものとは異なる――逆の動きだった。 シスララの周りに、渦が生まれていた。マナの渦だった。聖なるマナの清らかな流れが、彼女をめがけて集っていた。サリナは美しい歌を聴いた気がした。それはまるで、マナが歌っているようだった。 「や、やめろ……」 その感覚は、キュクレインにとっては初めてのものだった。彼には見えた。この先、何が起こるのか。あの小さく白き人間の娘の力が、自分に何をするのかが。彼が感じたそれは、不愉快なものだった。身体の中心が不安定に揺れるような感覚。手や足などの末端に力が入らない。我知らず、彼は首を左右に振っていた。 それは、恐怖だった。 「ゼノア様の実験が、続けられなくなる……やめろ……やめろおおおおお!」 マナの流れは、もはやキュクレインには無かった。集局点のすべてが、シスララに向かっていた。この地の主、聖霊セラフィウムを従えたリバレーター、純白の竜騎士へと。 「あなたの罪は……人間の罪です」 シスララの声は、はっきりしていた。だが、その響きには悲しみが満ちていた。荒れ狂うマナの嵐の中、サリナはその声を聞いた。悲しくも愛に満ちた、それはシスララらしい言葉だった。 「その罪を、私たちが負いましょう。その贖罪は、私たちが行いましょう。世界を正し、荒れたマナを元に戻すために……あなたの創造主を、打ち倒しましょう」 「やめろ、やめろ、やめろおおおおおおっ!」 キュクレインの声は泣いていた。それは自分の存在理由を消されてしまうことへの、悲痛な叫びだった。主人の命を果たせない者に、存在する価値は無い。彼は主人からそう聞かされていた。彼にアシミレイト能力が備わっていないことを知っても、彼の主人は落胆したりはしなかった。むしろそれ以外の能力を評価し、彼をこの地へ連れて来てくれた。 「これは大きな価値のある実験なんだ。必ず成功させておくれ、キュクレイン」 主の優しい声が、キュクレインの耳に蘇る。彼は使命を賜った。それは彼が、生まれたばかりの命を賭して達成しなければならないことだった。そしてそれが、彼が存在していい理由だった。 「リバレート・セラフィウム! エンジェリック・フェザー!」 純白の光が溢れた。膨張するマナの光の中に、聖霊の幻影が浮かぶ。セラフィウムは美しい声を上げ、その3対の翼を広げた。 膨大な量のマナが集まる。セラフィウムは翼を大きく広げ、集ったマナを一気に放出した。マナの嵐は華麗な羽根の姿を取り、無数の羽根が凄まじい速度と威力でキュクレインを撃ち抜いた。恐るべき強さ、そして美しさだった。 純白の羽根の大群が姿を消し、マナの嵐が収まった時。聖霊の御座には、美しい空の下、舞い踊る光の粒だけが残っていた。 |