第136話

 ゆっくりと、カインは目を開けた。瞼を動かし始めてから開き終わるまでの間に、彼はいくつかのことを考えた。自分が負ったダメージはどのくらいのものか。その傷の状態は今どうなのか。そして、あの幻魔は、戦闘はどうなったのか。
「カインさん!」
 サリナの心配そうな声が聞こえた。最初に見えたのは、その今にも泣き出しそうな顔だった。彼が目を開き、焦点が自分の顔に合ったことを確認すると、サリナはぱっと微笑んだ。
「カインさん! 大丈夫ですか?」
「おう、まあな……ててて」
 力を入れ、身体を起こす。サリナが手伝ってくれた。あちこちがひりひりと痛んだ。
「やっと起きたの?」
 呆れたような声は、頭の上から降ってきた。アーネスだった。顔を上げると、彼女はすぐ傍に立ち、腕組みをしていた。
「おう、よく寝たぜー」
 足を踏ん張り、立ち上がる。
 見回すと、そこに幻魔の姿は既に無かった。美しかった花畑は、激しい戦闘の影響で、かなり荒れてしまっていた。だがあの、邪なマナの不快な感覚は無くなっていた。
「終わったか」
「ええ。あんたが寝てる間にね」
 それは憎まれ口だったが、アーネスはなぜかこちらを見てはいなかった。こういう時は大抵、目を半分くらいまで細めてこちらを見ているのだが。今はこちらに背を向け、傷でも負ったのか、手を顔のあたりに持って行っていた。
「はっはっは。やれやれ、やられっちまったんだな、俺ぁ」
「ま、たまにはそういうこともあるよ」
 合いの手は弟からだった。腰のホルスターに触れながら、フェリオはこちらを見ていた。あまり心配そうではなかった。それを自分に対する信頼と受け取って、カインはぐっと伸びをした。
「っててて……くっそーあの野郎、目の前できったねえ口見せやがってよ」
「うう。想像したくない」
 サリナは両手で顔を覆った。それをカインに笑われ、サリナは不服そうに頬を膨らませる。
 クロイスは疲労困憊の身体を引きずって、親友の許へ向かった。アンリは腰を抜かして座り込んでいた。
「はは。おいおい大丈夫か、アンリ?」
「く、くそう」
 親友に笑われ、アンリは悔しそうに顔を背けた。差し出されたクロイスの手を掴んで引っ張ってもらい、なんとか立ち上がる。
「ものすごかったな……」
 まだ呆気に取られているような口調で、アンリはぽつりと言った。自分の目で見たのに、彼にはまだ信じられなかった。幻獣の力を使った戦いというのは、あれほどのものなのか。人智を超える力とマナがぶつかり合い、いくつもの光が舞い踊り、荒れ狂っていた。
 その力を操っていた者のひとりが、目の前に立つ親友、クロイス。4年前は普通の少年だった彼が、今や神の力を意のままに扱う戦士だ。それを思い、アンリは頭がくらくらとするようだった。クロイスとの距離が近いのか遠いのか、よくわからなくなる。
「まーなー。そうそう見られるもんじゃねーからな。よく覚えとけよ」
 そのクロイスは、そんなことを言いながらにやにやしている。アンリは頭を振った。まだ、なんとなく宙に浮いているような感覚だった。現実感が無い。
「礼を言う、人間の戦士たちよ」
 ファ・ラクの声が響いた。誇り高き竜の戦士は、満足げな様子だった。その表情は読み取りにくいが、人間だったら笑っていたのではないかと、その声の調子は思わせた。
「聖霊様を救い、あの魔物を打ち破ってくれたこと、心より感謝する」
 それ竜族なりの感謝のしるしなのか、ファ・ラクはその太い脚を折り、まるでひざまずくような姿を取った。それでもなお、彼の頭は人間のそれよりも上にあったが、どうやらそれは人間で言うところの、お辞儀の姿勢であるようだった。
「お顔を上げてください、ファ・ラクさん」
 シスララの声に、白き竜の戦士は顔を上げた。幻獣の鎧を解除したその姿は、それでも光に満ちた美しいものであるように、ファ・ラクには感じられた。肩に乗る空色の飛竜が、甲高い声で啼く。
 聖竜王と聖霊。聖なる滝に棲む竜の一族にとって、前者は一族を統べる存在であり、後者は一族を庇護する存在である。その両方を、この人間の女は従えた。彼女自身はそのことを以って、白き竜の一族に対して何らかの影響を及ぼそうと考えてはいないだろう。だが彼女の存在がファ・ラクの一族にとって、極めて大きな意味を持つことになるのは疑いようが無かった。
「シスララ様……」
「えっ?」
 ファ・ラクにそう呼ばれて、シスララはうろたえた。後ろから笑い声が聞こえてくる。顔が赤くなるのを感じながら、シスララは慌てて胸の前で、両手を左右に振る。
「や、やめてくださいファ・ラクさん、様付けだなんて」
「いえ、そうはいきませぬ」
 ファ・ラクの声には、ふざけた様子など微塵も無かった。彼は真剣だった。そのことについて何らの疑いも、不満も不平も抱かず、彼はシスララを崇拝していた。
「今やあなた様は、聖霊様と聖竜王様、我ら白き竜の一族にとっての神と王を従えられた。あなた様の存在は我らにとっての、新たなる頂となるでしょう」
「え……ええええ?」
 狼狽するシスララをよそに、ファ・ラクは再び頭を垂れる。その様子に、シスララは肩のソレイユを顔を見合わせた。青き飛竜はまるで、困ったものだとでも言うかのように、小さく首を傾げて見せた。
「これまでのご無礼をお許しください。そしてどうか、我らをお導きください」
 誇り高き竜の戦士が、人間に対してひざまずく。そんな光景を目にすることになるとは、アンリは予想もしていなかった。
 ドノ・フィウメと聖なる滝の竜とは、長く協力関係にあった。いや、人間が竜に協力してもらっていた、と言うほうが正しい。竜は強く、その掟は強固だった。サリナたちに説明したとおり、彼らの監視は厳しかった。“光砂”を分けてもらう時、彼はいつも緊張していたものだった。
 その竜の戦士の中でも、ファ・ラクは最高の力を持つ戦士だという。恐らく、一族の中でも戦士たちを統べる立場にあるのだろう。そのファ・ラクが、シスララに心からの恭順を示していた。
 一瞬浮かんだ打算的な考えを、アンリは頭を振って追い払う。これからは“光砂”の調達が、もっと楽になるかもしれない。監視が緩むか、より協力的になってくれるか、あるいはもっと先へ行って、ドノ・フィウメまで“光砂”を運んできてくれるか。そんなことにならないだろうかと、彼は考えた。そしてそんな発想を抱いた自分を、彼は胸中で恥じた。
 アンリはシスララを見た。彼女は、自分よりも少しだけ年上だ。だが彼女が口にした言葉に、アンリは胸を打たれた。人々の暮らしを脅かす者を、許さない――そう言って、シスララはキュクレインを葬った。格好良く、美しく、そして悲しい光景だった。
 アンリはシスララを見つめる。辺境貴族の娘。民と世界への愛に満ちた竜の騎士は、微笑んでいた。
「ファ・ラクさん、お願いです。お顔を上げてください」
 再び、シスララはそう言った。その言葉に応じ、ファ・ラクはゆっくりと顔を上げた。
 肝が冷えた。目の前で、ソレイユが変なポーズを取っていた。いや、シスララによって両の翼を摘まれ、変なポーズを取らされていた。だがソレイユは、それに何の抵抗もしていない。
「シ、シスララ様、何を……?」
「うふふ」
 くすくすと笑いながら、シスララはソレイユを肩に戻した。なぜだかソレイユは誇らしげに啼き、胸を張ってみせる。
「シスララ様……?」
 軽い混乱と共に、ファ・ラクはシスララを見つめる。意図がわからなかった。
 ソレイユの額を撫でてやりながら、シスララは言う。
「私とソレイユは、エル・ラーダという街で共に育ちました。今年で、ふたりとも19歳です。ずっと一緒で、何をする時も一緒の……一番のお友だちです」
 ファ・ラクは沈黙した。なんとなく、シスララの言いたいことがわかった気がした。だが彼は何も言わず、シスララが語るのを待った。
「私とソレイユは、お友だちなんです。私は、ソレイユを従えてなんて、いません」
 優しい声、優しい口調だった。しかし、断固たる強い意志を感じさせる声だった。ファ・ラクは口を挟まなかった。彼の眼前で、シスララは微笑んでいた。彼女とソレイユとは、本当に仲が良さそうだった。
「聖霊様のお力をお借りすることが出来ることになったのは、不幸中の幸いでした。私たちのこれからの戦いでも、聖霊様のお力は大きな助けとなるはずです」
 シスララは、目を閉じて握った手を胸に当てていた。自分の得たもの、その有り難味、あるいは希少さを反芻しているような、もしくはそれを得たことそれ自体の僥倖に思いを馳せているような、そんな表情だった。
「私は、聖霊様のお力をお借りするだけです。聖霊様を従えてなんて、いないのです」
 ファ・ラクは黙したまま、シスララを見つめている。その言葉は、彼ら竜の一族から崇められることを、やんわりと拒否しているように聞こえた。
「それに……」
 シスララは目を開いた。優しい目だった。
「差し出がましいことかもしれませんが、誰かに導いてもらうというのは、ファ・ラクさんにはお似合いではないような気がします。あなたは……あなたがたは、ご自分で考え、決断し、行動されることのほうが、似合っていらっしゃるように思います」
 竜の戦士は、その言葉を静かに受け止めた。シスララが言外に示したことを、彼は考えた。
 誇り高き、白き竜の一族。古より聖霊セラフィウムをその守護神とし、聖のマナとその集局点を守り、暮らしを営んできた。彼らは聖霊の言葉を聴き、千年に一度転生する聖竜の王の導きに従うことで生きてきた。
 ……それは、自分自身で考えることを止め、神と王に依存することで刻まれてきた歴史だった。
 彼らは混乱した。聖霊が幻魔に憑依され、その言葉が消えたことに。聖霊の言葉無くして、彼らは一体どう行動すれば良いのか。一族への庇護を失って、どうやって生きていけば良いのか。ラフ・ケトゥもファ・ラクも、誰もその答えを知らなかった。
 彼らは人間を攻撃した。元凶である人間を根絶やしにすることで、何かが変わるかもしれないと思った。少なくとも、聖霊を汚されたことの恨みを晴らすことは出来る。
 彼らは、考えもしなかった。人間たちにも知らないことがあるなどとは。あの街や工房とは全く無関係の人間が元凶だったなどとは。そして、想像などしなかった。その元凶である邪なる人間を、止めようとしている戦士たちがいるということなどは。
「……ふっ」
 長い沈黙の末、ファ・ラクは息を吐き出した。そして大きく空気を吸い込み、一気に放出した。
 それは白き竜の、実に愉快そうな呵々大笑だった。ファ・ラクの声は大きく、すぐ傍にいるシスララは驚いて肩をびくりとさせた。だがすぐに、彼女はファ・ラクの楽しげに笑う理由を察し、柔らかく微笑んだ。
 ファ・ラクは豪快に笑った。その笑い声は天に向けられ、清らかに澄んだ青藍の空に吸い込まれていった。そして笑いが収まり、しかし愉快さを帯びたままの声で、彼は言った。
「よもや……こんな年端もいかぬ娘に、諭されようとはな」
 ファ・ラクの調子は元に戻っていた。その言葉に、シスララも笑った。
「はい、失礼致しました、ファ・ラクさん」
「ふっふっふ……はっはっはっは!」
 白き竜の中で、何かが変わった。そう感じさせる笑いだった。これから先、人と竜の歴史は続くだろう。その離別しがたき関係の中の、これまではしこりのようにわだかまり、解消されえなかったものが、氷塊がゆっくりと溶けるように小さくなっていくかもしれない。愉快そうに笑うファ・ラクと、柔らかく微笑むシスララを見て、アンリはそう感じていた。そしてさきほど、自分の頭に浮かんだ打算的な考えを、再び恥じた。
「では、シスララ」
 呼んだのはセリオルだった。シスララは振り返り、返事をする。
「あ、はい」
 呼ばれた理由はわかっていた。彼女にはまだ、大事な仕事が残っている。
 シスララが仲間たちの輪へ戻る。サリナは魔法の笛、モグチョコを取り出し、高らかに吹き鳴らした。美しい音色が流れる。
「クッポポ〜!」
 眩い光の中から、勢い良く元気良く、モグが飛び出してきた。モグは回転しながら登場し、その場でポーズを決めようとしたが、目を回してしまったのか上手くいかなかった。
「うわ、おい、なんだよあれ?」
 突然現われた見慣れぬモーグリに、アンリはまたしても驚いていた。マナの妖精であるモーグリは、目にすれば幸福になれるという言い伝えがあるほど、一般には馴染みの無い存在だ。無理も無いと思いながらも、クロイスは親友の間抜けな姿に吹き出した。
「なんだよ、笑ってないで教えてくれよ」
「はは、わりいわりい。モーグリだよ、あいつは」
「……モーグリだよって……そんな何でもないことみたいに言うけどさ……」
 なぜか不服そうにぶつぶつ言うアンリに、クロイスは笑う。そうか、これが普通のひとの感覚なんだなと、笑いながら彼は考える。もはや自分たちには、何が起こっても、何を目にしても不思議ではなくなっている。一般的な感覚とは大きなズレがあることが、今さらながら感慨深い。
「ほう……モーグリ族か」
「クポ? ……ク、クポー!」
 珍しそうに近寄ってきた大きな影に気づき、モグは振り返った。そこにあった白き竜のいかつい顔に彼は大層驚いたようで、一目散に空中を走ってサリナの背中に隠れてしまった。頭のあかいぼんぼりだけが隠れ切らず、ゆらゆらと動いている。
「あはは。大丈夫だよ、モグ。ファ・ラクさん、優しいから」
「クポー……ほんとクポ?」
「うんうん」
 サリナとモグに聞こえないよう、カイン、フェリオ、クロイス、アンリの4人は顔を寄せた。
「優しい……か?」
「俺はそんな場面は見てないけどな……」
「あいつにとっちゃ誰でも優しいんじゃねーの、敵以外は」

 シスララはクリスタルの中のセラフィウムに語りかける。僅かながら、神晶碑の結界を張るためのアシミレイトであれば可能な程度には、マナは回復しているようだった。
「ではモグ、お願いできますか?」
「まっかせるクポー!」
 セリオルの要請にどんと胸を叩き――ぽふんと気の抜けるような音しかしなかった――、モグはきょろきょろとセラフィウムの御座を見回した。そしてある1点で何かを見つけたように嬉しそうな声を上げ、そこへふわふわと空中を漂いながら進む。
「クポ!」
 無造作に振り上げた腕を無造作に振り下ろし、モグは神晶碑の封印を解いた。ガシャンと硝子が砕けるような音がして、空間が割れる。そこはちょうど、御座の入り口と真反対に位置する場所だった。
「ええっ!?」
 驚いて、アンリは声を上げる。
 そこには、純白の光を放つ巨大なクリスタルが浮かんでいた。オパリオスや“光砂”の持つマナよりも、遥かに純度が高く、神々しいマナ。マナを扱う製品を造っている手前、アンリにも微弱ながらマナを感じ取る能力はあった。その彼にも、このクリスタルの放つ大いなるマナが、強烈に感じられていた。
「良かった、無事でしたか」
 ほっと息を吐き、セリオルは呟いた。
「ゼノアがここに来たと言うので、もしや破壊されてはいまいかと心配でしたが……まあ破壊されていれば、ここで大枯渇が起こっていたはずですから、無用な心配でしたね」
 そう言いながらも、セリオルはやはり安堵した様子だった。ゼノアに関しては、常識は当てはまらない。神晶碑は破壊しつつ、セラフィウムに対する“実験”は行えるように、大枯渇が発生しないよう何らかの細工をするということも、不可能ではないような気がした。
「あれが、神晶碑ってやつなのか」
「ああ。エリュス・イリアのマナバランスの要だっつークリスタルだ」
 アンリに説明してやりながら、クロイスも胸中を満たす安堵感を無視することは出来なかった。故郷のすぐ近く、硝子工芸に密着したこの集局点の神晶碑は、無事だった。ということは、ゼフィールのように集局点のマナが涸れるということは無いだろう。“光砂”の調達は、今後も問題無さそうだ。
「シスララ、お願いします。セラフィウムは大丈夫そうですか?」
「はい、さきほど確認しました」
 セリオルに返事をし、シスララはリストレインを掲げる。
「響け、私のアシミレイト!」
 純白の光が広がる。それは幻獣のマナが万全の時ほど、眩い光ではなかった。ゆっくりと広がる、微弱な光。だがやはり、その光は美しかった。
 ゆるやかに明滅する光を纏い、シスララは神晶碑へと近づく。カインが、クロイスが、アーネスがこれまでに行ってきた、神晶碑の結界。目を閉じ、セラフィウムに語りかける。聖霊はすぐに応えてくれた。マナをどう操ればいいのか、セラフィウムからの言葉が届く。
「輝ける聖光のマナ宿らせし、エリュス・イリアの守り手たらん瑪瑙の座、聖霊セラフィウムの御名により、千古不易の神域たれ!」
 シスララの両手から、マナの光が生まれる。セラフィウムの言葉の下、シスララは慎重にマナを操作した。マナは光の線となって神晶碑を包み、やがで出来上がった格子状の光線の間を、光の膜が覆っていく。
 純白の神晶碑を包む、もうひとつのクリスタルのような外見の結界。少しの時間を経て、それは完成した。
「ふう……」
 額に浮かんだ汗を、シスララは拭った。結界は張られた。これで、この地の神晶碑は安全だ。
「よくやってくれました、シスララ」
「お疲れ様、シスララ!」
「頑張ったわね」
 仲間たちが声を掛けてくれる。シスララはにこりと微笑み、アシミレイトを解除した。セラフィウムへの感謝の言葉を、胸中で唱えながら。
「この場所に、このようなものがあったとはな」
 結界の張られた神晶碑をまじまじと観察しながら、ファ・ラクは呟いた。人間よりもマナに近しい竜族も、神晶碑のことは知らなかったのか。なんとなく意外な気がして、セリオルは白き竜を見た。
「にしてもよー」
 ようやくこの地での仕事がひと段落し、仲間たちが緊張を解いたところで、クロイスが口を開いた。彼は頭の後ろで手を組み、なんということも無い口調で仲間たちに訊ねた。
「ゼノアの野郎、どうやってここから帰ったんだ?」
「……そういえばそうだね」
 サリナは顎に手を当てた。これまではセラフィウムと神晶碑のことで頭がいっぱいだったので考えもしなかったが、確かに不思議だった。ゼノアは間違いなく、ここへ来た。だがどうやって帰ったのだろう。竜たちが、ゼノアを黙って帰すとは考えにくい。
「モグ、ここに闇のマナの痕跡はありませんか?」
 セリオルの声が耳に入った。答えがわかっているような訊ね方だった。サリナたちはセリオルを見た。彼には、既に何かが見えている。
「クポ? ……クポクポ……クポ、確かにちょっぴり、闇のマナがあるクポ」
「それって、さっきの戦いのシスララの舞で使ったマナじゃなくて?」
 誰に向けていいのかわからなかったが、サリナは訊ねた。すぐに答えたのは、モグだった。
「このへんの空気に混じって漂ってるマナと、そこに留まってるマナがあるクポ。留まってるマナのほうが、なんだか弱々しくてもうすぐ消えそうクポ」
 そう言って、モグは花畑のある1点を指差した――指は見えないが。そこは他の場所と、サリナには何も変わらないように見えた。可憐な花の咲く、花畑の一角。
「恐らく、インフリンジでしょう」
 セリオルは結論を口にした。闇のマナの力、インフリンジ。蜥蜴の魔導師やブラッド・アントリオンが使った、魔物を呼び出したあの力だ。
「空間浸食、か」
 そう言ったフェリオに、セリオルは頷く。
「ただ、この場所へ直接飛ぶことが出来なかったことを考えると、特定の場所への移動にしか使うことは出来ないようですね。詳しいことは、わかりませんが」
「……ま、ともあれここは片付いたな。帰ろうぜ! 疲れた疲れた!」
 そう言って、カインはまたぐっと伸びをした。
「あんたはほぼ寝てただけでしょ」
「え。おいそれちょっと、ひどくね?」
 傷付いた様子でアーネスに抗議するカインに、笑いが起きた。
 神晶碑の結界は清らかな純白の光を放ち、御座を静かに照らしている。