第140話

 ライラ・クースラは弱冠26歳にして天才の名をほしいままにする、世界でも屈指の硝子職人である。これまで数多くの職人たちがドノ・フィウメを訪れて彼女に弟子入りを志願し、手ひどく断られ続けてきた。彼女は言った。野心や名声のために私の許へ来ようという者に、未来を渡してやる気はないと。
 彼女の許を訪れる職人たちは、そのほとんどがそれなりに名を知られた職人たちであり、自らの更なる飛躍のために、ある意味彼女を利用しようとする者ばかりだった。そうした職人たちはドノ・フィウメに留まらなかった。
 そんなライラが弟子を取ったという噂は、瞬く間に職人たちの間に広がった。しかもそれが、まだ一度も硝子を吹いたことの無い少年だという。弟子入りを断られた経験のある職人たちは怒った。あらぬ噂を立て、ライラと少年の評判を落とそうと企む者さえ現われた。
 だがある時、ライラは硝子工芸の協会で、職人たちを前に言い放った。
「君たちがそうして下らない画策をしている間に、私の弟子は君たちの腕などあっさりと抜き去るだろう。そうなりたくなければ、せいぜいその未熟な腕を磨きたまえ」
 ライラの腕をよく知っている職人たちは、その淡々とした口調で述べられた言葉に、誰も反論することが出来なかった。ライラの声に、怒気は微塵も含まれていなかった。彼女はあくまでも冷静に、捉えたままの状況を述べたに過ぎなかった。それが痛いほどよくわかる声だった。
 そんな師匠の重圧に、アンリは耐えていた。このひとに弟子入りしたのは間違いだったと思ったのは、一度や二度ではない。だが街の職人たちは言った。クースラさんの弟子になれるなんてことほど光栄なことはないぞ、と。その度にアンリは、自分を奮い立たせてきた。
 しかし今度ばかりは、だめかもしれない。
「……し、ししょう」
「ん? なんだね?」
 自分の隣に腕組みをして立ち、じっと自分の作業を観察する師に、アンリは例えようも無い緊張感を味わっていた。
 周囲では破壊された工房の再建作業が着々と進められている。がやがやと賑やかな男たちと竜たちの声、その意思疎通を可能にしたのは、他ならぬアンリが造った“ドラゴンホルン”だった。
 ライラは街の変化と竜たちにひとしきり驚いたあと、アンリに“ドラゴンホルン”を造ることを命じた。曰く、
「一度造ることが出来たのなら、もう何度でも同じことが出来るはずだよ。それが成長というものだ。時間がかかっても構わないから、何度も造りなさい」
 言外に、私の弟子ならそれくらい出来なさいというニュアンスを含ませたその言葉が、アンリを恐怖のどん底に叩き落した。この師匠の言葉は、どんなことがあっても覆らない。やれと言われれば、アンリにはやるしか道が無いのだ。そのことを、彼はよくわかっていた。
 かくしてアンリは工房に半分軟禁され、“ドラゴンホルン”を造り続けている。
 不思議なもので、ライラの言葉どおり、最初の時にはあれほど苦労した“ドラゴンホルン”だったが、二度目、三度目と回を重ねるごとにコツが掴めてきたのか、徐々に完成させるのにかかる時間は短くなってきていた。
 だがだからといって、師に間近で手元をじっくり観察されるのは、やはり緊張してしまう。
「あの、あんまりその、じっと見ないでもらえませんか」
「何を言うんだい。弟子の成長を見守るのが師の役割というものだろう」
「うう」
 炉の火が燃える。液体になった“光砂”からマナが取り出され、美しい音色を奏でる。
 弟子が操る炎と光、そしてマナの音色をじっと見ながら、ライラは呟いた。
「気持ちよく、頼もしい連中だったね」
 ほんの一瞬、アンリは息を止めた。
「……はい」
 彼が造ったふたつ目の“ドラゴンホルン”。あれはなかなかの出来だった。ひとつ目よりもマナが濃く、やはり本物の“光砂”の力は素晴らしかった。薄桃色に輝く美しい硝子の笛。彼はそれを、クロイスたちに贈った。
 数日前、クロイスたちは街を発った。あの激しかった戦闘での疲れと傷を癒し、装備を整え、工房の再建を少し手伝って、彼らはドノ・フィウメを去った。竜たちは感謝を込め、彼らをその背に乗せて麓まで運ぼうと提案したが、クロイスたちはそれを辞退した。目立ちすぎるし、彼らには大切なチョコボがいた。
 アンリが手渡した出来立ての“ドラゴンホルン”を、クロイスは快く受け取ってくれた。聖なる滝の白き竜たちだけでなく、他の竜族にも有効なはずだからだ。この先の旅、どこかで竜とまみえることもあるかもしれない。そう言って、クロイスは笑顔で“ドラゴンホルン”を仕舞った。
 見送りは盛大だった。ジルベールやアンリたちをはじめ、クロイスと縁故のあった者たちや硝子職人たち、そして聖竜の眷属。それぞれがそれぞれに、別れを惜しむ言葉や感謝の言葉を投げかけた。
 中でも、あの“怪児”ダグの両親の言葉が印象的だった。彼らは告げた。必ず、息子に会いに行くと。老い先短い人生だが、その全てを、息子への贖罪に使いたいと。あの是非について、クロイスたちは何も言わなかった。ただ頷き、彼らはダグの両親を応援した。
 アンリは、クロイスと握手を交わした。そして約束した。互いに、各々の方法で、故郷を守ろうと。クロイスは邪悪な敵と戦い、アンリは硝子産業を発展させる。どちらも道のりは険しく、そう簡単に実現出来ることではない。だが、ふたりは笑顔で、その約束を交わした。互いの目の奥に、強く燃える光を見止めながら。
 アンリは、クロイスと、その仲間たちのことを思った。強く、格好良く、そして愉快な連中だった。クロイスが、あんなにも強い戦士に成長しているとは思わなかった。今になっても、その不思議さが消えない。恐るべき短剣と弓の腕、そしてあの幻獣の力。セラフィウムの御座で目にした光景は、今でもアンリの瞼の裏に焼きついている。
「アンリ! こら、アンリ!」
 鋭い声にはっとして、アンリは手元を見た。“光砂”から取り出したマナが、統制を失い、気ままに暴れてしまっている。アンリは慌てて器具に神経を戻した。だが、既に遅かった。マナの音色は素っ頓狂な音色を辿り、マナの光は捩れて消えた。“光砂”はマナを失い、それは二度と戻らなかった。色を失い、ただの珪砂となった“光砂”は、炉の中で赤々と燃えている。
「あ……ちゃあ……」
「あちゃあ、じゃないよアンリ。全く、少し話しかけられたくらいで気を逸らすなんて、まだまだ未熟だね、君は」
 腕を組み、呆れた様子の師の前で、アンリは小さくなった。急いで駄目にしてしまった材料を片付けにかかる。早く次の作業にかからないといけない。まだ今日の目標は達成出来ていないのだ。
 片づけがあらかた終わり、次の作業に入ろうと、アンリは炉の前に腰を下ろした。そして器具をその手に取ろうとして、ふと、彼は気づいた。
 騒がしかった声が消えている。周りの工房の建築をしていたはずの、男たちの声が無いのだ。当然、竜たちの声も聞こえない。
 もしや、という思いが頭をかすめる。アンリは息を吸った。そして息を止めた。予備動作を見せてはいけない。勝負は一瞬なのだ。
 光よりも速く、アンリは窓へ顔を向けた。瞬間、さっと何かが隠れた。窓の外に、何かがいたのだ。それもひとつやふたつではない、何かが。そして小さな音がした。玄関のほうだった。戸が閉まったような音だ。
 アンリは溜め息をついた。ライラが片眉を上げる。器具を置き、アンリは立ち上がった。弟子のその様子で、ライラは何が起こったかに気づいた。苦笑しながら、彼女は頭に手を当てた。外で慌てているような物音がする。
 素早く、アンリは玄関の戸に近づいた。そしてノブを持ち、渾身の力を込めて一気に押し開いた。
「どああああああっ!?」
 間抜けな大声を上げて、職人たちが扉の向こうへ重なり合って倒れた。アンリは冷たい目で、男たちを見下ろしている。
「お、おう、アンリ。調子はどうでえ」
「せ、精が出るよな。はは。おお、俺たちも、見習わねえとな」
「お、おお、そ、そうだな。ほ、ほれほれ、何してんだおめえら、さっさと持ち場に戻れよ」
「……なに、してるんですか」
 アンリの冷たい声に、男たちは気まずそうに顔を見合わせた。引き攣ったような笑みが浮かんでいる。
「また、覗いてたんですね」
「うっ……」
 ずざざ、と砂の音を立てて、男たちが尻餅をついたまま後ずさった。アンリは大きく息を吸い込み、怒鳴った。
「仕事の様子を覗くのはやめてくださいって、いつも言ってるでしょう! この仕事の繊細さは、皆さんも知っているでしょうに!」
「わ、わわ悪かったよ! もうしねえ! もうしねえからよ! なあおめえら!」
「お、おうともよ! 俺らも男だ、交わした約束は違えねえよ!」
「そう言ってこれで何回目ですか、まったく!」
「ま、まあまあアンリ、そう怒るなよ。な? 気が立ってちゃあ仕事に障るぜ?」
「誰のせいですか、誰の!」
「い〜じゃねえかちょっとぐらい。だいたいお前がずりいんだよ、クースラさんに手とり足とり教えてもらっちゃってよお」
「そーだそーだ! 俺たちだって教えてもらいてーっての!」
「そんな若くてとびっきりの美人を師匠に持ちやがって。お前にも責任あるぜ!」
「うーーーるーーーさーーーーいっ!! 帰れーーーっ!!」
 アンリの腹の底からの怒鳴り声に、男たちは笑いながら、蜘蛛の子を散らすように逃げていった。しばらく外を睨んで荒い息をしているアンリの背中を見て、ライラは苦笑する。
「やれやれ。久しぶりに戻ったというのに、どいつもこいつも成長してないね」
 山岳の街に夕陽が差している。乳白色のオパリオスが、その茜色の光を反射する。朱く透明な光の中、硝子と竜の街となったドノ・フィウメに、夕食時前の活気が少しずつ生まれ始めていた。

 無事にリンドブルムへ帰還し、しかしサリナたちはすぐに次なる目的地へ向かうための準備を始めた。だがチョコボたちの疲れを取る必要もあるので、船内に1泊だけすることにした。ハロルドはサリナたちの帰りを待つうちに磨いたという釣りの腕を振るい、新鮮な魚を何匹も釣り上げた。夕食は滋養のたっぷり詰まった活きの良い魚を、セリオルとカインが捌き、刺身や塩焼きにして食べた。チョコボたちも生の魚を喜んで食べ、チョコボは草食だと思っていたサリナやシスララを驚かせた。
 夜はすぐにやってきた。自室で、サリナは1冊の書を開いていた。黒い表紙に挟まれ、穴を開けて紐で閉じただけの粗い装丁。フェイロンを二度目に旅立った時に、サリナが武術の師、ローガンから託された、ファンロン流武闘術の奥義書だった。
「うーん……」
 あれから何度もこの書を開いた。時間を見つけては開き、中に書かれていることを読み、それを実践しようと試みてきた。
「敵は己の映し鏡なり。怒気を生むのは敵にあらず、己なり。怒気を孕みし一撃は、真の一撃にあらず。ただ湖面が如き心より、真の一撃は生まれる……うーん」
 ファンロン流の型や技については、ローガンからその全てを叩き込まれた。腕力が弱いが身体のバネが抜群に強いサリナには、天の型を中心とした指導がなされた。だがサリナは、地の型についても修得している。ファンロン流の戦い方の全てを会得したと認めたから、ローガンは彼女に免許皆伝の証を与えたのだ。
 だが、奥義書に記されていることは、かつてサリナがローガンから教わったこととは全く異なることだった。力を揮う者の心の在り様を重視するファンロン流の真髄、それは戦いに向かう際の、心の方向だった。奥義書には、ひたすらに心についてのことが記されていた。
 心技体という言葉がある。心、技、体のバランスが重要だとする考え方で、サリナもローガンに教えを乞う際、まずそのことを徹底的に染みつかせられた。中でも、ローガンは心に重きを置いた。師は、よく言ったものだ。
「心技体という言葉のはじめに、心がある。心が何より大切だ、サリナ。技と体があっても、心が良くないと力は揮えない。揮ってはいけない。いいか、サリナ。心技体、全てが揃って初めて、強い力が生まれるんだ」
 サリナは、なんとなくその言葉を理解したと思っていた。だがこうして奥義書と向かい合ってみると、自分の認識が未熟だったことが思い知らされる。
 湖面のような心。荒れず、波立たず、静かに命を育む湖。その面の心とは、いかなるものなのだろう。想像することは出来ても、サリナにはそれを実感することは出来なかった。
「心、かあ……」
 サリナは奥義書の上に突っ伏した。古い紙の匂いが鼻腔をくすぐる。ローガンは言った、この奥義を、彼は修めることが出来なかったと。サリナは思い出した。二度目にフェイロンを旅立った時の、師の放ったあの恐ろしいまでの気魄。金縛りにあったように、サリナは動きを奪われた。アーネスやカインも、あの後言っていた。ローガンは恐るべき人物だと。
 そのローガンが永年の修行の末にも修めることの出来なかった奥義。自分などよりはるかに優れた精神と心を持つはずの師が、修得出来なかったもの。それを、果たして自分が得ることなど、出来るのだろうか。
「うー……」
 頬が紙に押し付けられる。口の形が歪み、変な声が出た。サリナの脳裏を、ローガンの言葉がよぎる。
 銀華山にでも行ってみるんだな――
 サリナは目を閉じた。ファンロン流武闘術の総本山、銀華山。確か、ドノ・フィウメと同じファーティマ大陸にあるはずだ。この大きな大陸の北東の果て。そこに広がる峻険な雪山が、銀華山という名だったとサリナは記憶している。
「銀華山、かあ」
 どんな場所なのだろう。ローガンのようなファンロン流の達人たちがいるのだろうか。あるいはファンロン流の総師範とでも呼ぶべき、頂点に立つ人物が存在しているのだろうか。そのあたりのことも聞いておけば良かったと、サリナは今さらながらに思う。
「行ってみたいのは行ってみたいけどなあ。うーん」
 目を閉じたまま、ぶつぶつとサリナは独り言を口にした。
 その時不意に、部屋の扉がノックされた。サリナは慌てて顔を起こした。髪に型がついていないか気にしつつ、サリナは振り返った。
「は、はい!」
「サリナ、ちょっといいか?」
 聞こえたのはフェリオの声だった。
「え、あう、うん、あ、フェリオ?」
「うん」
 短く答えたフェリオに、サリナはどうぞと声を掛けた。木製の扉が、きいと蝶番を軋ませて開く。
 フェリオは、サリナと同様、楽な部屋着姿だった。壁際にあった椅子を引き、フェリオはそれに腰を下ろした。
「あの……どうしたの?」
 突然の来訪に、サリナは困惑していた。これまで、フェリオがひとりで部屋に尋ねてくることは無かった。サリナの部屋に仲間たちが集まることはあったが、二人きりという状況は初めてだった。
 知らぬ間に鼓動が速くなっていたのに気づき、サリナは顔が赤くなるのを自覚した。壁にしっかり固定されている蝋燭の明かりで誤魔化されるようにと、サリナは願った。
「いきなり来て、ごめん。無作法だったな」
 微妙に視線を逸らして、フェリオはそう言った。少し頭を掻いている。
「ううん。大丈夫だよ」
 サリナがそう言うと、フェリオは小さく頷いた。そして彼は、サリナのほうへ目を向けた。
 その目を見た瞬間、サリナはやや浮ついていた気持ちが、すっと冷えるのを感じた。
 フェリオの目は鋭かった。彼が何か、重要なことを話そうとしているのが、雰囲気でわかった。サリナは椅子を反転させ、きちんとフェリオと向き合った。フェリオの灰色の瞳には、冷たい光が浮かんでいる。
「サリナ、質問がある」
 フェリオはそう切り出した。サリナは頷く。
「うん」
「……最近、サリナに起こってることについてだ」
 僅かに言いよどんで、フェリオは続けた。問いかけていいのかどうか、迷っているような声だった。
「私に、起こってること?」
「ああ」
 漠然とした言葉に、サリナは首を傾げた。自分に起こっていること。何のことだろう。
 よくわからずにフェリオを見ると、その顔には切迫した色が漂っていた。サリナは思いをめぐらせた。フェリオが言いたいことを想像する。
 自分に起こっていること――起こっている、異変。そう考えると、いくつか思い当たることが浮かんできた。
「あの……“予言”のこととか?」
 言葉を選び、サリナがそう言うと、フェリオは頷いた。
 聖なる滝で、竜閃鉱に触れた時、自分が口にしたという“予言”。サリナに自覚は無かったが、その言葉に基づき、セリオルは次の目的地をドノ・フィウメ南の森に潜むという、幻獣研究所の研究施設、“ハイドライト”と決めた。
 他にも、フェリオがそれと認識しているだろうと思われることがあった。朽ちた砂牢での、世界樹の意思の流入。タイタンの祠で、祭壇に祀られていた石版に触れた時のこと。それより以前にも、自分の中のマナが起こした不思議なことが何度かあった。フェリオは恐らく、それらの全てを指して言っているのだ。
「サリナのマナ感応力が俺たちよりずっと優れてるのは、みんな知ってる」
 サリナは黙って、フェリオの次の言葉を待った。
「でも、それだけじゃない気がするんだ。マナ感応力が優れてるひとなら、きっと王都にもたくさんいる。優秀な魔導師とかさ。でも……たぶんサリナは、それだけじゃないと思うんだ」
「……うん」
 締め付けられるような不安が、サリナを襲う。
 これまで、あまり考えないようにしてきたことだった。自覚しないうちに、サリナは自分の中のマナの力で、不思議なことを起こしてきた。立ち上がる力など残っていないはずなのに立ち上がり、見えるはずのないものが見え、感じるはずのないものを感じた。
 自分は、仲間たちや世間の人々とは、少し違うのかもしれない。その感覚は、徐々にだが確実に、サリナの中にも芽生えてきていた。
 フェリオは迷っているようだった。次の言葉を口にするべきかどうか、彼は逡巡していた。サリナは何も言えなかった。言うべき言葉が見当たらなかった。じっと自分を見つめるサリナを見て、フェリオは息を吐き出した。そして、彼は顔を上げる。
「……セリオルとは、話したことがあるか?」
 その名は、なぜかサリナの胸に突き刺さった。衝撃的ですらあった。
 セリオル。サリナが兄と慕い、幼い頃からずっと面倒を見てきてくれた。彼女が旅立つきっかけを与え、旅の始まりから今まで、そしてこの先もきっと、彼女のすぐ傍にいてくれるひと。
 なぜ、これまで考えなかったのだろう。セリオルなら、何か知っているかもしれないのに。なぜ、そのことを彼に訊ねようと思わなかったのだろう。
「……ううん」
 力無く、サリナは首を振った。そのことをわかっていたのだろう。フェリオは嘆息をついた。それは、小さな怒りにも諦めにも見える仕草だった。
「次の目的地は、ハイドライト。幻獣研究所の、研究施設」
 フェリオがそう言うのに、サリナはただ頷いた。心臓の鼓動が速まっている。嫌な汗が浮かぶ。
「王都の研究所とは違うだろうけど……何かわかるかもな」
 どくん、と心臓が跳ねたのと同時に、サリナは顔を上げた。その顔に浮かんでいた表情を見て、フェリオは驚いたようだった。だがサリナは、自分がどんな顔をしているのかわからなかった。
 8歳まで、自分は王都の幻獣研究所に、父と共にいた。その後、ゼノアによって幽閉された父の代わりに、セリオルが自分を救い出し、フェイロンへと逃れてくれた。
 研究所での8年間。自分のマナ感応力と、父の研究。そこに何らかの関係があるのだろうか。それを想像して、サリナは身震いした。
 ハイドライト。隠匿された幻獣研究の、地下研究施設。そこには、マナや幻獣についての研究成果が、何らかの形で残されてるだろうか。王都があの状態では、ハイドライトに研究者はいないだろう。無断で侵入し、そこに蓄積されたものを持ち出す。その行為に後ろめたいものを感じながら、しかしサリナは、知りたいという思いがどうしようもなく、自分をかきたてるのを感じていた。