第141話

 雨が降っていた。ファーティマ大陸の南東部、ドノ・フィウメ自治区の草原を、7羽のチョコボが駆けている。太陽の下でならその鮮やかな羽色を見せるチョコボたちだが、雨雲に覆われた暗い空の下では、その美しい色もかすんで見えた。
 背に乗る者たちは皆、雨よけの外套を纏っている。それほど激しい雨ではなかったが、チョコボが全速力で駆けるにはやや危険だ。いつもより少し遅めのペースで、セリオルは一行の先頭に立ってブリジットを御していた。
 磁石と地図を見ながら、セリオルは一行を導く。目的地ウンブラは、首都ドノ・フィウメの南方。リンドブルムを停泊させた沿岸からは西にあたり、ドノ・フィウメよりもずっと近くだ。雨に邪魔をされているとはいえ、昼前には到着出来るだろうと、セリオルは踏んでいた。
 彼は気づいていた。今朝から、サリナの様子がおかしい。食事や会話をしていても上の空だった。声に元気が無い。幼い頃からサリナのことを知る彼には、それが何なのかわかっていた。サリナは、何かを不安に思っている。
 もうひとり、様子がおかしい者がいた。銀灰のチョコボ、エメリヒを駆るサリナと同い年の少年――フェリオだ。彼は一見、普段と変わらないように見えた。だが、セリオルは気づいていた。フェリオは今日、まだ一度もサリナと視線を合わせていない。それは偶然ではなく、明らかに意図的な行為だった。
 胸中で、セリオルは溜め息をついた。ハイドライトへ向かう前に、ふたりは何かを話したのだろう。フェリオがサリナのことに疑問を持っているのは、彼もよく知っていた。ローランを発った後の船内で受けたフェリオからの詰問は、切迫したものだった。
 サリナの力の正体を突き止めようと提案したか、あるいはハイドライトでその一端が掴めるかもしれないと言ったか。大方そんなところだろうと、セリオルは考えた。
 その可能性には、彼自身も気づいていた。だが、行かないわけにはいかない。そこに、次なる神晶碑の手がかりがあるかもしれない以上、ハイドライトは避けては通れない場所だった。
 まるでこの天気のようだと、セリオルは雨雲を見上げる。彼の心にも、厚い雲が垂れ込めていた。幻獣研究所の秘められた研究施設、ハイドライト。そこでどんなものを目にすることになるのか――少なくとも、希望的観測が出来るようなものではなかろうと、彼は確信していた。
 フェリオは後悔していた。昨夜、あんな話をサリナにするべきではなかったと。昨夜の別れ際、そして今朝からのサリナの様子に、彼は心を痛めていた。
 目に見えて、サリナは元気を無くしていた。アーネスやシスララが、体調が悪いのかと心配するほどだった。
 察するべきだったと、フェリオは自分を責めた。サリナとて、気になっていないはずはなかったのだ。彼女の内に眠るマナの力の大きさだけでは説明のつかない、数々の出来事。自分が不思議に思っていたことよりも、サリナが不安に感じていたことのほうが、ずっと強かったに決まっていたのだ。
 自分の知りたいという欲求、そしてサリナを案ずる心――それを自制することが出来ず、サリナにぶつけてしまった。そのことで、サリナがどんな気持ちになるかを想像することが出来なかった。
 サリナは無言で、アイリーンを進めている。今日か、あるいはウンブラで宿を取って明日になるか。いずれにせよ、ハイドライトへ侵入する時はすぐに来るだろう。その時を、サリナはどんな気持ちで迎えるのか……。それを思って、フェリオは唇を噛んだ。
 灰色の空の下、サリナはただ前を見ていた。アイリーンは、まるで主人の心中を感じ取ったかのように、あまり背を揺らさないようにして走ってくれた。賢いチョコボだった。心の中でアイリーンの感謝しながら、サリナは前を走るブリジットと、その背の上のセリオルを見つめる。
 10年間。サリナはその時間を振り返る。長い年月だ。子どもだった自分と、今の自分。その間に横たわる思い出の日々のほとんどに、セリオルの姿があった。
 疑問に思ったことは無かった。セリオルはごく自然に、ずっと自分の傍にいた。それが当たり前だった。セリオルはほとんど家族の一員だったし、気恥ずかしくてお兄ちゃんとは呼べなかったが、自分にとってはそいう存在だった。
 セリオルはいつも冷静で、鋭い観察眼と洞察力を持ち、彼より遥かに年長のダリウやエレノア、それにフェイロン村の主だった老人たちからも認められていた。縁談を持ち込む話も多かったはずだ。だが、セリオルはそれらを全て断っていた。その度に、サリナはどこかほっとする思いをしていたものだ。
 だが今になって思ってみれば、それはこの旅のことが、ずっと彼の頭にあったからかもしれない。ダリウやエレノアもわかっていたのだ。わかっていても、持ち込まれる縁談を無下に断るわけにもいかない。だからセリオルは、毎度体のいい言葉でその事態を回避していたのだ。
 それはサリナの推測だった。だが、間違いないことのように思えた。いつか命懸けの旅に出るのに、フェイロンでの結婚など考えられなかったに違いないのだから。
 だが……そう考えていて、サリナは昨夜、別のことに思い当たったのだった。
「セリオルさん……どうして私と一緒に、来てくれたんだろう」
 不意に浮かんできた考えが思わず口を衝いて、その声を自分で聞いた時、サリナは戦慄した。
 サリナにとってセリオルがそうであるように、セリオルにとってもサリナは、妹同然だった。だからサリナが旅立つなら、その身を案じて同行した――そうかもしれない。
 あるいはセリオル自身が語ったように、サリナの父であるエルンストは、かつてのセリオルの師。ゼノアの凶行から我が師を救い出すため、サリナというリバレーターの素質を持つ者と共に旅立った――これも、ありうる話だ。
 だが、サリナは感じていた。セリオルの言葉、セリオルの行動。自分に向けられる、その理知的な光を湛えた緑色の瞳。そこから感じられる、使命感のようなもの。それは彼の、自分を守ろうとする意志だった。自らの全てを懸けて、何を置いてもサリナを守る。そんな強い思いをサリナは兄から感じていた。
 そしてその思いは、どうしても先のような、彼がサリナと共に旅立った理由と思われる事柄と、上手く結びつかないのだ。
 とはいえ、これまでサリナはそのことに疑問を持つことは無かった。ただセリオルの協力に深く感謝し、彼が傍についていてくれることのありがたさを感じていた。彼の打ち出す方針は常に正しく、彼が口にする言葉は、サリナに絶対的な安心感を与えた。セリオルの言うこを素直に聞き、彼が語らないことは自分が知るべきことではないと、サリナは信じていた。
 きっかけは、昨夜のフェリオの言葉だった。
 これまでに自分に起こった不思議な出来事。その正体を、サリナはセリオルに訊ねようと思わなかった。フェリオに言われて愕然としたのだ。確かに、そんなことを自分がセリオルに質問しないのはおかしい。自分の思考回路、セリオルとの関係、これまでの暮らし、どの点から考えても、おかしいことだった。
 何か、違和感があった。今もなぜか、そのことについてセリオルに訊ねようという気にはならないのだ。むしろ、質問することに気が引けてしまってさえいる。
 サリナは、しり込みする自分を奮い立たせようと、背筋を伸ばした。だが、あまり効果は無かった。頭では理解しているのに、どういうわけか心がついてこない。彼女はただじっと、前を走る兄の背を見つめていた。

 ずぶ濡れになった外套を、カインは鬱陶しそうに脱ぎ去った。
 ウンブラは、黒き森――密生した大きな樹木によって、遠くからは黒く見える森林丘陵地帯と平野との、ちょうど境目あたりに位置する、小さな村だった。森から流れる小川をまたぐようにして建設された村で、畜産が盛んなようで家畜小屋のようなものがいくつか見られた。水と緑の恵み豊かな、のどかな村だ。
「おー、晴れた晴れた」
 目の上に手を翳し、カインは空を見上げた。雨雲を落とし尽くした、すっきりとした青空が広がっていた。
「虹だ」
 クロイスが南のほうの空を指差して言った。女性陣が歓声を上げる。
 洗い流された空に、7色の虹が架かっていた。世界のどんな名画も再現できない、ぼんやりとした美しい橋。その儚く曖昧な美しい光の魔法は、サリナの胸の中を少しだけ晴らしてくれた。サリナは外套を脱いでアイリーンの背に置き、ぐっと伸びをした。雨上がりの澄んだ空気が肺を満たしていく。太陽が再び顔を見せ、その輝きを強めようとしていた。
 村を訪れる者は多くはないのだろう。サリナたちの来訪は、村人たちの目を引いた。色とりどりのチョコボたちもいたとあっては、なおさらだった。雨が上がったことに気づいて屋外へ出てきた村人たちが、物珍しげにこちらを見ている。
「チョコボ厩舎は……無いみたいね」
 鎧ではなく旅装姿のアーネスは、ざっと村を見渡してそう言った。チョコボ厩舎は、主に旅人のための施設だ。個人用、あるいは街道を走る騎鳥車用のチョコボを預かるためのものなので、旅人の訪れの少ない小さな村などには、無いことも多い。
「とりあえず宿を探しましょう。そこでチョコボをどうすればいいか訊ねればいいでしょう」
 セリオルがそう言って、仲間たちは口々に同意した。
 アイリーンの手綱を引いて歩きながら、サリナはウンブラの村を観察した。すれ違う村人たちは、サリナたちに気づくと愛想良く挨拶をしてくれた。辺境の村は閉鎖的であることが多いが、ここはそうではないらしかった。若い娘たちなどは、長身のセリオルやカインらを見て小さく歓声を上げたりもしている。セリオルは苦笑していたが、カインは嬉しそうに手を挙げて、それらの声に応えてはアーネスの鋭い肘を脇腹にめり込まされていた。
 家は木造が多いようだった。木の柱に木の板壁を貼り、漆喰で固めたような建物が多い。ひとつひとつの家は比較的大きく、家畜小屋を併設しているものもいくつもあった。家畜小屋の無い家のほとんどには家庭用の菜園と思われる畑があった。
 商店の数は少なかったが、いくつかは存在していた。旅人のための装備品等を売っている店は無かったが、村の自衛のための武具類はそれなりに揃っているようだった。綿花の栽培も盛んらしく、綿製の衣類を扱っている店舗もあった。素朴ながら着心地の良さそうな衣類が店頭に並んでおり、サリナたちは部屋着にちょうど良さそうだと話した。
 地面は舗装されていないが、それなりに裕福な村に見えた。川と森の恵みに、村人たちの農業があるためだろう。ドノ・フィウメやエル・ラーダなどの自治区首都とは比べるべくも無いが、辺境の小村にしては皆健康そうだった。
「なんだか、静かで良いところですね」
 雨上がりのそよ風に心地良さそうに啼いているソレイユの顎を撫でてやりながら、シスララが誰にとも泣く呟いた。全員が同じ感想を抱いていたので、彼らは口々に同意の言葉を述べた。
「まー田舎だけどな」
「またあんたはそうやって」
 じろっとこちらを睨んだアーネスの視線をさっと避けて、カインはからからと笑った。
「宿、どこだろうな」
 自分たちに好奇の視線を向けながら挨拶の言葉を発する村人たちに素っ気無く応じながら、フェリオが呟いた。村の中心部のあたりまで来たはずだが、宿らしき看板を出している建物は見当たらなかった。
「こういう旅人が少ない村では、飲食店が臨時の宿を出すことがあるのよ」
 騎士団の遠征で旅慣れているアーネスがそう言った。なるほど、とフェリオは頷いた。彼とカインも旅には慣れていたが、訪れた先はリプトバーグなどセルジューク群島大陸の比較的大きな街がほとんどだった。観光地としての人気を得つつあるハイナン島野ユンランやフェイロンには、きちんと看板を出した宿があった。
「なんだかフェイロンを思い出すなあ」
 サリナはこの静かな村が好きになりそうだった。故郷とは文化が異なるため、建物の外見や村の景観は随分違う。だが農業が盛んであることや、背後に森――フェイロンの場合は山林だったが――を控えている点、村の中を流れる川の恵みがある点など、共通点は多かった。人懐っこい村人の気質もよく似ている。
 故郷を思うサリナの脳裏に、愛する祖父母の顔が浮かんだ。自分に最大限の愛情を注いでくれたダリウとエレノア。そのお陰で、何不自由なく暮らすことが出来た。もう高齢のふたりが、孫娘を養うためにどれだけ苦労をしていたか、彼女は知らない。ふたりとも、そんな様子は微塵も見せなかった。サリナはただ幸福に、健康に、18歳まで育てられた。
 だがそんな祖父母も、サリナのことを知っていたに違いないのだ。あの誕生日の夜、セリオルと共にサリナにエルンストのことを告げた、ダリウとエレノア。サリナが過酷な運命を背負い、炎のリバレーターという特異な体質を帯びていることも、ふたりは知っていた。それにダリウは、サリナの白魔法の師だ。彼女の内に眠るマナのことに、彼が気づいていた可能性は高い。
 やがて旅立ち、苦難の道を進むことになる自分を、ふたりはどう思って育ててくれたのだろう。
 旅立ったのは、サリナの意志だった。ゆっくり考えるように、セリオルを含めた3人は言った。サリナはひと晩考え、エルンストを救出する旅に出ることを決意したのだ。
 だが、もしもサリナが村に残ることを決意したら。3人はどんな行動に出たのだろう。セリオルは、ひとりでも旅立っただろうか。もしかしたらそれに、ダリウが同行したのだろうか。そうなる可能性も、彼らは考えていたのだろうか。
「サリナ、どうしたの?」
 突然の声にはっとして、サリナは目をしばたかせた。ウンブラの村の光景が、視界に戻って来た。どうやら歩きながら考え込んでしまっていたらしいと気づき、サリナは声を掛けてくれたシスララに顔を向けた。
「あ、ごめん、なんでもないよ」
「そう?」
 シスララの微笑みは優しかった。サリナはその微笑から、少し顔を逸らしてしまった。なんとなく、正面から受け止めるのが少し、辛かった。
「これはこれは皆さん、ようこそウンブラへおいでくだされた」
 いつの間にか、小柄な女性がサリナたちの前に立っていた。かなり高齢で、少し背中が曲がっている。ゆったりした長い白髪を腰のあたりで束ね、農村の女性らしい動きやすそうな服装だった。状況のわからないサリナが目をぱちくりさせていると、カインが訊ねた。
「お、おう、いきなりなんだ?」
 その露骨に驚いた様子に、女性は少し笑った。そして会釈程度に頭を下げ、続けた。
「突然の無礼をお許しくだされ。私はウンブラの長をやっとる、エッラ・アルテンと申す者。この村では旅人は最大の礼でもてなすのが慣例となっておりましてな。なにせ娯楽の少ない小村ですからの……皆さんに楽しんで頂き、旅のお話でも振る舞って頂ければと」
 愛想の良い柔らかな笑みを浮かべるエッラを前に、サリナたちは顔を見合わせた。
「わざわざ村長が出迎えに?」
 フェリオが表情を変えずに小声で言った。これまで訪れた街や村では、このようなことは無かった。確かに旅人の話は村人たちの娯楽にはなるだろうが、村長自らが出てくるなど、随分大袈裟な気がした。
「この村には専用の宿がありませんからの。食堂を兼営しとる店にご案内しましょう」
 こちらの様子に気づく様子も無く、エッラはそう申し出た。通りを行き来しながらこちらを遠目に眺めている村人たちの姿が視界に入る。さきほどは好奇の目に見えたが、村長の口ぶりから察するに、そのもてなしとやらが催されることを楽しみにしている、そんな顔にも見えた。
「これは、わざわざ申し訳ありません」
 エッラに向き直り、セリオルがそう言って頭を下げた。
「なーんか怪しくねー?」
「どうなんだろ……村によって風習ってあるから」
「まあいいんじゃねえの? もてなすつってくれてんだし」
「さすがにこんな小さな村に、ローランで受けたみたいな警戒は無いんじゃない?」
 エッラに聞こえぬよう小さな声で、仲間たちが後ろで囁き合っている。それを宿のことについての相談と見たのか、エッラはただ柔らかく微笑みながら待っていた。
 結局、案内してもらう方向に話がまとまった。当ても無く村を散策するほど、彼らには時間があるわけではないのだ。これまでいくつもの街や村で様々な出来事に遭遇し、警戒心が高まっていた。だが、旅芸人や探検家などの通常の旅人なら、そんなことには構わないだろう。カインのその言葉に、仲間たちは確かにそうだと納得した。
「では、お言葉に甘えさせて頂きます。私はセリオル・ラックスターと申します。よろしくお願いします」
「はいはい。では、参りましょうか」
 宿までの道中、エッラは村の説明をしてくれた。といってもそれほど特筆するべきことは無く、やはりここはのどかで平和な、辺境の農村だった。牧畜されている家畜と川で獲れる魚、それに森で採取されるキノコや山菜などが自慢であるらしく、今夜はそれらの素材を使った料理を供させると約束してくれた。
 そうこうするうちに宿に着いた。宿の隣の家が厩舎を持っていて、そこでチョコボを預かってくれた。サリナたちは荷物を持って食堂兼宿のその店に入り、店主にはエッラが宿泊の旨を伝えた。何泊になるかはわからないと言ったところ、快く引き受けてくれたので、サリナたちはほっと息をついた。
 部屋に荷物を置いて旅装を解き、サリナたちは昼食を取った。村で採れる食材を使用した料理で、素朴ながら味わい深く、しっかりと栄養を補給することが出来た。その後は各自、雨の中の行軍の疲れを取るべく、それぞれの部屋でゆっくりと過ごした。急ぎすぎて無理をするよりは、今日はしっかりと休むことにしたのだ。
 昼寝から起きて、サリナは部屋でダリウのくれた上級白魔法についての指南書に目を通していた。その内容は難解だった。アーネスとシスララは少しだけ覗いたが、さっぱりわからない言葉ばかりが並んでいたので早々に飽きてしまい、散歩に出かけていった。
 祖父の字。あの優しい祖父の手が書いた字であることを思い、サリナは知らぬ間に微笑んでいた。サリナが理解しやすいよう、書き方やまとめ方に苦心したのだろう。ダリウの愛情が伝わってきて、サリナは夢中でその書を読んだ。
「ただいまー」
「へっ?」
 突然声が聞こえ、同時に部屋の扉が開かれた。サリナが驚いて扉のほうへ顔を向けると、散歩から帰ったらしいアーネスとシスララがいた。サリナのあまりの驚きっぷりに、ふたりは吹き出した。
「そんなに驚かなくてもいいんじゃない?」
「ふふふ。サリナ、よっぽど夢中で読んでいたのね」
「……うう」
 恥ずかしさに顔が熱くなるのを感じながら、サリナは指南書を閉じた。続きはまた後で読もう。
「食事――っていうより、なんだか飲み会みたいな感じだけど、準備が出来たって。行きましょ」
 アーネスにそう言われて、サリナは立ち上がった。昼寝でついた寝癖がきちんと直っているのを確認して、サリナは部屋を出た。
 夕食は豪勢だった。広い食堂に村人たちが集まり、酒と料理がどんどん運ばれた。旅人を歓迎するというのは本当だったらしい。滅多に無い娯楽の機会に、村が沸き返っているかのようだった。食堂の入り口は開け放たれ、外にも木製のベンチやテーブルが並べられていた。
 料理はどれも美味だった。特別な調味料などを使っているわけではないが、素材の新鮮さがよく活かされていた。酒も村で醸造されたもので、その芳醇な味わいがセリオルやアーネスにも好評だった。
 村人たちは気さくだった。あっという間にカインと、彼に引っ張られたクロイスと仲良くなり、わけのわからない腕相撲大会やら早食い大会やらを開催しては大笑いしていた。旅の話どころではないようだったが、娯楽という意味では目的は達成されているようだった。
 そうして、宴は夜を通して盛り上がった。サリナたちは多いに食べ、大いに飲み、大いに笑った。酒の覚めたころを見計らって湯を使い、戻ってみると男たちはまだまだ盛り上がっていた。濡れた髪を拭いて宴の場に戻り、さんざめく笑いの波の中で、サリナは寛いだ。
 そしてふらふらになって部屋に戻り、サリナはベッドに倒れこむようにして眠った。しばらくしてアーネスとシスララが戻ったのが気配でわかった。ふたりともすぐにベッドに入ったようだった。3人の寝息が、静かに部屋を満たした。
 そしてサリナは、急速に目覚めた。首筋に当てられた、冷たい刃の感触に気づいて。