第142話

 シーツを脚で跳ね飛ばす。かかった負荷は意外にも大きくはなかった。襲撃者はサリナのバネに抗うことも出来ず、シーツと共に床に転がった。その手に持っていた短剣がこぼれ、サリナに蹴り飛ばされて床を滑る。
 考えるよりも速く、サリナは寝台から飛び起き、神速の動きで襲撃者を押さえ込んだ。背中に膝を当て、腕を取ってねじ上げる。関節を極められて、敵は悲鳴を上げた。驚いたことに、それは若い女の声だった。
 サリナと同時に、アーネス、シスララのふたりも襲撃者を組み伏せていた。サリナを襲った者同様、いずれも若い女だった。
 3人は小さな違和感を感じていた。その違和感が、彼女らの神経の一部を、眠った間も昂ぶらせていた。彼女らの武道者としての鍛えられた感覚が、迅速な覚醒と、覚醒からの速やかな戦闘を可能にしたのだった。
 襲撃者は手練ではなかった。サリナたちは手早く敵を気絶させた。鳩尾を軽く一撃すると、襲撃者たちは簡単に気を失った。
「ふたりとも大丈夫?」
 アーネスが声を掛ける。ふたりの返事は素早かった。彼女らはすぐに身支度を整えた。扉の外にもいくつもの気配があった。動揺したのが伝わってくる。彼らもまた、サリナたちのような戦闘に長けた者たちではないようだ。完全に寝入ったところを夜襲したのに、あっさりと失敗した。それを察して戸惑っているのだろう。そしてその時間が、彼らにとっては致命傷となった。
 3人はすぐに戦闘のための準備を整え、部屋の扉に擦り寄った。木の扉の向こうから、なにやら小声でせわしなく相談しているのが聞こえてくる。慌しい足音。必死で抑えられた怒鳴り声。
 サリナたちは顔を見合わせ、頷き合った。
 素早く、アーネスが扉を開いた。
 風の速さでサリナが飛び出した。驚いて口も体もその動きを止めた襲撃者たちを、サリナは的確に攻撃していった。さほどダメージを与えないように、鳩尾や後頭部、首などの急所に、必要最低限の打撃を加えて昏倒させる。戸の外に集まっていた者たちは、全員呆気なく気絶した。
 それとほとんど同時に、隣の部屋からカインが飛び出して来た。サリナたちと同じく、戦闘の支度を整えている。セリオルやフェリオ、クロイスもカインに続いて部屋から出てきた。
「やっぱりそっちもか!」
「はい。みんな大丈夫ですか?」
 問うサリナに、カインは頷いた。この程度の敵に後れを取る彼らではないことは、サリナにもわかっていた。
「このひとたちは……この村の方々ですね」
 サリナが昏倒させた男たちを見て、セリオルが呟いた。サリナもそれに気づいていた。
 サリナたちの部屋に侵入したのは、宴会の場で共に語り、酒を飲んだ女たちだった。扉の前にいたのは、豪快な笑い声を上げて上機嫌に歌っていた男たちだった。カインやクロイスと肩を組み、踊っていた者もいた。
「何かおかしいとは思ってたけど……どういうことだ」
 誰に向けるともなく、フェリオは口に手を当てて呟いた。
 サリナたちが感じた違和感。それは、さきほどの宴にあった。
 村長による丁重な出迎え。村を挙げての盛大な宴。そこまでは比較的、納得出来ないこともない。旅芸人や吟遊詩人らをもてなし、新たな価値観や情報を取り入れようとする村もある。
 だが、さきほどの宴は度が過ぎていた。この小さな村が旅人をもてなすためのものにしては、供された料理も酒も異常に量が多かった。こんなに出して大丈夫なのかと恐縮するほどだった。
 雰囲気も妙だった。
 村人たちは笑っていた。楽しそうに語らい、歌い、踊った。料理を食べ、酒を飲み、皆上機嫌だった。だが、どこかにピリッとする空気があった。それを鋭敏に感じ取りながらもその正体がわからず、サリナは困惑した。神経を張っていたところを見ると、サリナほど鋭敏にではないにしても、仲間たちも同様だったらしい。
 自然、彼らはかすかな警戒心を抱いた。確信があったわけではない。だが、彼らは無意識のうちに考えていた。
 ここは、幻獣研究所の隠された研究施設、ハイドライトに最も近い村だ。研究所の者が食料の補給などでこの村を訪れることもあったかもしれない。場合によっては、ゼノアと関連がある可能性もある。
 サリナは顔を上げた。部屋は宿の2階にある。階下は宴会が開かれた食堂だ。その階下から、騒がしい声が聞こえてきた。さきほどの戦闘の音が伝わったからだろう。
「とにかく、荷物をまとめましょう。背負ったまま戦闘になることも考えて下さい」
 状況はわからなかったが、ともかくサリナたちはセリオルの指示に従って荷物をまとめた。背嚢に手早く詰め込み、背負う。更に村人たちが襲撃する可能性は十分にあった。というよりも、今階下ではそのための準備がされているのだろう。
「相手は村人です。事情はわかりませんが、極力傷付けないようにして撃退しましょう」
「それと、エッラさんを見つけて問い質しましょ。納得出来る答えを聞かせてもらわないとね」
 セリオルとアーネスがそう言った。
「はい」
 サリナは素直に頷いた。それに対し、フンと鼻を鳴らしたのはカインだった。
「どんな答えだったとしても、納得なんて出来ねえな」
「確かに」
 フェリオは兄の言葉に同意した。苦笑しつつ、サリナは階段のほうへ目をやった。

 宴会の後片付けの済んだ食堂が、叫び声の入り乱れる戦いの場と化した。
 サリナたちの強さが予想外だったのか、村人たちは混乱の坩堝に叩き込まれていた。それは戦いというよりは、一方的な制圧だった。サリナたちは蝋燭の僅かな明かりの中で繰り出される素人の大雑把な攻撃をかわし、ひとりずつ的確に昏倒させていった。
 村人たちは、その強さに戦いた。一撃を与えることも出来ず、大勢いた仲間がみるみるその数を減らしていき、逆に床に倒れている者の数はどんどん増えていった。
 ひとりの男が悲鳴を上げながら飛び出していくのを、サリナは見た。更なる応援を呼びに行ったか、あるいはこの状況を判断出来る者――自警団か村長かに報告に行ったのだろう。前者なら制圧を続ければいい。後者であれば好都合だった。こちらから話を聞くことが出来るからだ。
「何なんだこいつら。なんで俺たちを狙う?」
 宿に集まった村人たち全員――その中には彼らの世話をしてくれた宿の主人もいた――を気絶させ、クロイスはその疑問を口にしたが、誰も答えられる者はいなかった。それをわかっていたが、彼は言わずにはいわれなかった。理不尽に襲われたことに対する憤りが噴き出していた。
「外にも集まってきたみたい」
 サリナは仲間たちに注意を促した。多くの気配と足音が近づいてきていた。
 あえてその接近を、サリナたちは待った。予想通り、村人たちは松明を持っていた。それが宿の周りに設置した篝火に移されるのを、サリナたちは待った。月明かりだけを頼りに戦うのは、サリナたちにとってというよりは、村人たちにとって危険だった。
 まるで立て篭もりをした者をあぶり出すための準備のようだと、サリナは思った。間もなく、代表の者がこちらへ呼びかけてくるのだろうか。あるいはいきなり、玄関などから突入してくるのだろうか。
 だがそれよりも早く、セリオルが言った。
「バラバラに出ましょう。相手の注意を分散させるんです」
 その提案に、サリナたちは頷いた。7人が7人とも、別々の出口に素早く移動した。玄関や食堂の窓、あるいは上階の窓などだった。
 身の軽いサリナは、上階の部屋の窓から飛び出した。空中で1回転し、着地する。
 セリオルの作戦は、見事に功を奏した。村人たちはぐるりと宿を包囲していたが、注視していたのは玄関や窓だけだった。上階からひらりと舞い降りたサリナやクロイス、シスララに驚いた彼らの中に、混乱が生じた。
 かなりの数の村人が集まっているようだった。さすがにこれだけの数、一度に相手にすると厳しいかもしれないとサリナは思った。だが、混乱した素人であれば、どれだけいても物の数ではなかった。
 流れるような動きで、サリナは鳳龍棍を操った。一方で鳩尾を突き、返すもう一方で首を軽く突いた。呼吸を奪われ、村人は地に伏した。動きを奪う方法は、気絶させることだけではなかった。場合によっては、強かに膝裏などを突いて立つ力を奪った。
 村人たちのむき出しの感情が、サリナに押し寄せていた。それは憎しみと、恐怖だった。ぞっとするほどの強く黒い感情が、村人の攻撃に宿ってサリナに襲いかかる。
 サリナは戦慄した。ウンブラの民は、自分たちを憎み、恐れている。当然、サリナにはそんな感情を向けられる覚えは無かった。彼女がこの村を訪れたのは今回が初めてだ。物心のつかなかった王都時代はともかく、フェイロンへ逃げてからは、ハイナンから出たことすら無かったのだ。
 そんな得体の知れない感情をぶつけられ、サリナは耐えかねて、農具による攻撃を回避しながら叫んだ。
「どうして、私たちを襲うんですか!」
 振り向き様に脚払いを仕掛ける。農夫は見事に脚を取られ、もんどりうって倒れた。
「黙れ、悪魔の手先め!」
 叫びながら、別の農夫が背後から攻撃を仕掛けてきた。サリナはまるで背中に目がついているかのような動きでそれを回避し、首筋に一撃を見舞った。
「悪魔……?」
 考えもしない言葉だった。悪魔などという呼び名を向けられるほど、サリナたちは邪悪だというのか。一体この村のひとたちは、自分たちを何だと思っているのだろう……。
 肌が粟立つような恐怖を覚え、サリナは自分を悪魔の手先と呼んだ農夫を気絶させて、叫んだ。
「セリオルさん! どこですか!?」
 兄の名を、サリナは呼んだ。返事はすぐに返ってきた。声の聞こえた方向へ、サリナは村人の追撃を避けながら走った。
 セリオルは意外にも見事な体捌きで村人の相手をしていた。普段は魔法でしか戦わない彼だが、人並み以上の護身の術は心得ていた。だが彼の体術の実力は、やはり他の仲間たちほど高くはない。それほどの大人数を同時に相手に出来るほどではなく、彼はうまく村の地形を利用して、同時に相手にするのがふたりまでになるようにしていた。
「サリナ!」
 向こうから走ってくる緋色の武道着の少女の名を、セリオルは呼んだ。切迫した声で、自分の名を呼んだサリナ。何かあったのか、あるいは何かわかったのか。自分に伝えたいことがあるのだと、彼はサリナの表情から判断した。
 サリナの動きは見事のひと言だった。後ろから追いかけて来る何人もの村人たちを、あるいは脚払いで倒し、あるいは昏倒させ、あるいは落ちていた石を投げて脚の動きを奪っていた。隙を突いてサリナに躍り掛かった男は、重心を制御したサリナによって、簡単に投げられて地面に叩きつけられ、呼吸を奪われた。
 回避と攻撃を止めずに、サリナはセリオルの許へ到着した。セリオルとしては、ほっとする思いだった。魔法を使わずに村人を撃退するのは、彼にとっては相当骨が折れた。サリナが来てくれれば、随分楽になるだろう。
「セリオルさん……」
 名を呼び、サリナは長身の兄と背中合わせになった。ふたりとも荷物をさっと降ろした。僅かの間とは言え、この場に留まることになると判断したからだ。じりじりと迫る村人たちを、油断無く見つめる。
「どうしました、サリナ」
 ふたりが背を合わせたことで、村人たちは警戒を高めたようだった。戦闘の素人である彼らには、自分たちより遥かに強い相手がふたり揃ったことが、脅威を2倍以上に増幅させると感じられた。
「このひとたち……私たちを、憎んでます」
「憎んでいる?」
 セリオルはやや意外な気がして、目だけでサリナを振り返った。彼女が頷くのが、背中から伝わってくる。
 何か異常なことが潜んでいるのは、セリオルも気づいていた。このウンブラが追いはぎ集団の村なのだとすれば、多少は戦闘訓練がされているはずだった。金銭以外の何らかの意図を持って、この村人たちは自分たちを襲っている。だがそれが憎しみから来る行動だとは、セリオルは考えていなかった。
「私たちのことを、悪魔の手先って呼びました」
「悪魔の……手先?」
 その言葉を聞いて、セリオルはあの男を連想した。王都にて世界のマナを占有しようと企む者。幻獣を冒涜し、人々の暮らしを蝕む者。恐るべき頭脳と才覚を持つ狂える天才――ゼノア・ジークムンド。
 セリオルは素早く頭を振って、ゼノアの幻影を追い払おうとした。ゼノアがこの村ひとつを丸ごと敵に回すような行動を取った可能性は、これまでの旅で見てきたことから考えると、十分にあった。だが自分たちがその手先だと判断される材料は無いはずだった。
「私、怖いよ……セリオルさん……」
 サリナの怯えが声になった。それを感じて、セリオルは歯噛みした。サリナは見えない敵に怯えている。これまで、彼女自身が誰かの強い怒りや憎しみを買うということは無かった。初めて、彼女はその烈しく、黒い感情をぶつけられたのだ。村人たちの戦闘能力は低くとも、むき出しにされたその感情の刃が、サリナの心に傷をつけようとしていた。
 だからサリナは、セリオルを探した。フェリオの言葉が頭をよぎらないことは無かったが、それよりもセリオルの、絶対的な安心感が欲しかった。兄に、自分の気持ちを共有してもらいたかった。
「……大丈夫です、サリナ。落ち着いて行動しましょう。真実は、じきに明らかになりますよ」
 少し沈黙してから、セリオルはそう言った。彼は改めて決意した。この襲い来る村人たちを、ひとり残らず叩き伏せよう。そしてエッラを見つけ出し、話を聞くのだ。尋問になろうが、構わない。サリナの心を傷付けるこの状況の、真実を知らなければならない。
「うん……」
 サリナの声はまだ不安げだった。だが、さっきまでよりは幾分和らいでいた。それを確認して、セリオルは続けた。
「とにかく、この状況を打破しましょう。首謀者を――エッラさんを見つけて、問い質さなくては」
「……はい」

 ものの小一時間で、戦いは終わった。
 サリナたち7人の力は圧倒的で、はじめから結果がどうなるかはわかっていた。襲いかかってきた、自警団を含む村人たち全員を、サリナたちは力でねじ伏せた。
 そしてさほど息切れをすることもなく、サリナはその人物の前に立った。周囲には、男女を問わず気絶した村人たちが転がっている。ウンブラ村の村長、エッラ・アルテンは、憎々しげな表情でサリナたちを睨んでいた。両手と両脚を縛られていても、その目には力があった。
「さて……教えて頂けますか、エッラさん」
「フン!」
 昼間のにこやかな表情が嘘だったのが、サリナにはショックだった。愛想笑いだろうとは思っていたが、これほど真逆の感情を隠しての作り笑いだったのか。エッラだけでなく、他の村人たちも同様だ。それを思い、サリナは空恐ろしさに身震いした。共に食べ、飲み、歌った時、彼らは一体どんな思いでいたのだろう……。
「おいおい、いきなり襲いかかってきといてその態度はねえんじゃねえの?」
 あからさまに怒りを示して、カインはエッラを睨み付けた。内心では、彼はエッラの気骨の強さに感心していた。村人のほとんど全員を叩き伏せた者を前にして、その恐怖にたじろいでいない。
「何を抜け抜けと! お前たちがしたこと、忘れたとは言わせないよ!」
 エッラの語気は荒い。その怒りをぶつけられ、サリナたちは顔を見合わせた。
「その、なんて言うか……話が見えない。俺たちは昨日、この村に来たところで――」
「とぼけるのはやめな!」
 言いかけたフェリオの言葉を、エッラが遮った。サリナたちは戸惑った。何を非難されているのかわからない。困惑するサリナたちに、エッラは更に言葉を叩きつける。
「お前たちが森を涸らした悪魔の手先なのは、もうわかっておる!」
 伏してなお、エッラは剛毅だった。目的は見えないにせよ、村はサリナたちを排することに失敗した。村人たちは叩き伏せられ、まともに動くことの出来る者は力の無い女や子どもたちだけだ。だがエッラは、そんな中でも決してサリナたちに降ろうとはしなかった。あくまで彼女は、彼女の正義の下にサリナたちを非難していた。
 それが、サリナには痛いほど感じられた。彼らは、理不尽な理由や己の欲望のために、サリナたちを襲ったのではない。村のため、あるいは無念を晴らすため、サリナたちを宴でもてなして警戒心を解き、眠った隙に襲おうと画策したのだろう。
「だから、一体何のことだって言ってんだよ!」
 気の短いカインが怒鳴った。エッラは憎々しげな目を向ける。
「しらばっくれるのはもう沢山だ! こっちは全部知ってるんだよ!」
「だから何をだよ! わかるように言えよ!」
 いきり立つカインの前に、アーネスが制するように腕を上げた。彼女は口をつぐんだカインの前に立ち、エッラに正面から向かい合った。
「我が名は、アーネス・フォン・グランドティア。王国騎士団金獅子隊隊長である」
 すらりと、アーネスは剣を抜き払った。セリオルによって強化された新たな剣、守りの騎士の証、ディフェンダー。篝火の光を反射し、その刀身がきらきらと光る。
 その名乗りに、エッラはさすがに息を呑んだ。目の前に立つ女の姿は、まさしく騎士だった。彼女は金獅子隊の隊長が女性だということは知らなかった。だが、アーネスにはそれを信じさせるだけの、騎士としての威厳があった。
 辺境の村人にとって、騎士とは無条件に敬うべき者だ。王国の剣として、盾として、騎士たちは遠征にやってくる。それは辺境の警邏と、自治区への威圧を併せた行為だった。領主たちはそれを好ましく思いはしなかったが、田舎の小村の者たちはそうではなかった。騎士団が回ってくれれば、しばらくその地域では犯罪が減少する。その恩恵は、確実に村々を守る力となっていた。
 アーネスは、ディフェンダーの切っ先をエッラに向けた。鋭い刃の先端を眼前に突きつけられ、エッラは小さく悲鳴を上げる。
「騎士隊長の名に於いて命ずる。ウンブラの村長、アルテンよ。真実を話せ。この村に、何があった。訪れた我らを襲った理由は何だ。包み隠さず、全てを打ち明けよ」
 だが、それでもエッラは強情だった。その目に浮かんだ怯えの色は、徐々に鳴りを潜めた。彼女は切っ先から目を逸らし、ひざまずいた位置から遥か高いところにある、アーネスの目を睨みつけた。
「ふ、ふん……あんたが騎士様だっていう証拠でも、あるって言うのかい」
 通常であれば、上流階級である騎士に対して、発して良い言葉ではなかった。サリナは息を止めて状況を見守った。アーネスは、騎士としてエッラを問い質そうとした。それに、エッラは抵抗した。法的には不敬と言われる可能性のある言葉さえ口にして。
 アーネスは何も言わない。騎士の紋章を見せることは出来たが、彼女はそれをしなかった。騎士の鎧、騎士の名乗り。それを見て信じない者に、紋章を見せても意味が無いと思えた。彼女はただじっと、冷たくなっていく自分の心を感じながら、エッラを見つめた。
 その無言の圧力に、エッラは追い詰められていった。篝火の爆ぜる音と、村人たちの呻く声だけがあたりに響く。向けられた切っ先の鋭さは変わらない。
「こ、こっちは全部、聞いて知ってるんだ……あんたたちの身なりも、全部あのひとから聞いたとおりだった」
「誰だ」
 アーネスの言葉は短く、鋭かった。心臓にナイフを差し込まれるような恐怖を感じ、エッラは口の中が乾いていくのを自覚した。唾を出そうとするが、うまくいかない。
 サリナは、鼓動が速まるのを感じた。嫌な汗が出てくる。良くない予感が、胸を押しつぶそうとしていた。
 聞きたくない、とサリナは念じた。言わないで、と彼女は願った。聞けばその名が示すところを、すぐに理解してしまうだろう。そしてその人間とは思えぬ所業に対し、炎よりも烈しい怒りが自分を支配するだろう。そうなることが、彼女は怖かった。
 だが、エッラは告げた。サリナの心中を、彼女が知るはずは無かった。
「白々と……あんたたちも知ってるだろう、ゼノア・ジークムンドを!」