第145話
七色に――といってもそれは美しい色ではなく、暗さを湛えたくすんだ色だ――移ろいながら行く手を遮る光の壁に、サリナたちは絶句した。試練の迷宮やセラフィウムの御座の入り口で、同じような光の壁を見たことがあった。定められた者が定められた手順を踏まなければ解くことの出来ない、それはマナの結界だった。 ハイドライトへ続くはずの階段は、金属で造られた屋根が設えられていた。森の中にあって、その姿はひと際異彩を放っていた。屋根の下に階段があり、階段を挟むようにして壁が立っている。その壁は金属製だったが、入り口部分には正体不明の機械が設置されており、小さな光が明滅している。 「これは……予想外でしたね」 最初に口を開いたのはセリオルだった。彼は、参った、というように前髪をかき上げた。 「どうあっても入られたくねえってことか」 まるで殴れば割れるだろうとでも言うかのように、カインは右の拳を左の手のひらにぶつけた。パシンと乾いた音。 「これって……簡単に破れるものじゃない、ですよね?」 恐る恐るといった様子で、しかし確信を持った声で、サリナが言った。 「力ずくで破っちまえばいいんじゃねーの?」 面倒くさいとまでは言わなかったものの、クロイスの声はその感情を隠そうとしなかった。だがアーネスが首を横に振る。 「だめよ。どんな防御機能が付いてるかわからないんだから。危険すぎる」 「その通りです」 セリオルが同意し、クロイスは溜め息をついた。 「とにかく調べてみよう」 フェリオが号令をかけた。仲間たちは頷き、それぞれに玉蟲色の結界を調べ始めた。 だが、調べると言っても何を調べればいいのかすら、よくわからない有様だった。魔法の力を源としていることは間違い無いが、どのような種類の魔法で、どういう仕組みで機能しているのか、セリオルにすらさっぱりだった。 光の壁に触れるわけにはいかなかった。どんな危険があるかわからないからだ。出来ることは、使われた魔法の仕組みを読み取ることと、壁の装置がどんなものかを推測するくらいだった。カインとクロイスは早々に音を上げた。実際、彼らに分析出来る類のものではなかった。 アーネスとシスララにも荷が勝ちすぎていた。彼女らはその責任感から、調査を放り出しはしなかったが、途中からはサリナ、セリオル、フェリオの3人がすることを、ただ見ているだけに等しかった。ふたりとも無念そうだったが、致し方無いことだった。 その3人は、意見を交わしながら調査を進めた。セリオルが主体となり、マナに関することをサリナが、機械技術に関することをフェリオが補佐した。 結界は、壁に設置された装置が作動することで発生しているように思えた。だが、触れることが出来ないので、どんな仕組みの装置なのかがさっぱりわからなかった。 ただ結界そのものは魔法の力であることは、どうやら間違い無かった。セリオルとサリナが、その魔法の構造そのものはなんとか理解するに至った。 「しかしこれは……ううん」 腕を組み、セリオルは唸った。その傍らで、サリナは所在無さげに立ち尽くしている。フェリオは壁の装置を観察していたが、かぶりを振って溜め息をついた。 魔法と装置がどのように連動しているのか、どれほど考えてもわからなかった。マナライト・システムを使って光を当て、細かく観察したものの、セリオルにもフェリオにも、何もわからなかったのだ。 「手詰まり、ってこと?」 アーネスの声は悔しさを滲ませていた。入り口を目の前にして、その侵入を阻む結界に打つ手が無い。ここさえ越えれば隠されし研究施設の全貌が、明らかになるというのに。そしてサリナの予言が告げた、“強きマナの子”との対面も果たせるだろうに。 「もういいじゃん、ぶっ壊そうぜ」 苛立ちを隠さずに、クロイスが言った。何か危険があったとしても、自分たちなら何とか出来る。彼はそう考えていた。 「だめだ」 だがその意見は、フェリオによって即座に却下された。クロイスは食って掛かる。 「何でだよ。解除する方法がねーんだろ? でも中には入んねーといけねーんだから、ぶっ壊して入るしかねーじゃんか!」 そのやや荒れた声に、しかしフェリオは冷静に告げる。 「俺たちのマナや、幻獣のマナ全てが奪われるような罠が作動したらどうする。これはハイドライトの研究員が張ったものかもしれないけど、最近になってゼノアが張ったものだって可能性もある。それぐらい危険なものかもしれないんだ」 「……ちぇ」 舌打ちをして、クロイスはそっぽを向いた。 「でもほんと、どうしよう……どうしたらいいんだろ」 セリオルにも打つ手無しとなることなど、サリナはこれまで考えたことが無かった。セリオルはいつも必ず、何らかの解決策を示してくれた。それに従って行動すれば、問題は無いはずだった。 だが、当然のことながら、セリオルとて完璧な人間ではない。彼にだって知らないことはあるし、出来ないこともある。そんな至極当たり前のことを、サリナはこれまで忘れていた。というよりも、知らなかった。 でも、と落ち着いて、サリナは深呼吸をした。 ここは、幻獣研究所の施設だ。かつてセリオルがその身を置き、その知識と頭脳の全てを捧げていた研究所の施設。そこには当然、セリオル自身が研究テーマとして挑んだ物事があり、未解明の事実があるのだ。研究者とは、自分に理解出来ないことを理解するために研究をするのだ。 王都を離れて8年。セリオルが独自に研究を進めていたことを、サリナは知っていた。それは恐らく、ゼノアに対抗するための手段であったり、マナや魔法、あるいは幻獣に関することだったのだろう。彼はそれらに関しての幅広い知識を持っていたし、これまでの旅もそのお陰で乗り越えてくることが出来たのだ。 だが、相手は最新鋭の設備を持った王都の研究所に、ずっといたのだ。ゼノアはセリオルよりも遥かに整った環境で、己の野望のための研究を進めたことだろう。それは、認めたくはないものの、今のセリオルよりもゼノアのほうが、マナや幻獣に関する知識を持っているだろうということを示している。だからゼノアの許には黒騎士がいるし、恐るべき計画を実行するだけの力もある。神晶碑の封印を解き、それを破壊することすら出来たのだ。 この現状は、起きるべくして起きたことだ。そう考えて、サリナは自分を納得させた。想定しなかった事態に、気が焦った。だが、焦ったところで何も解決しない。サリナは心を落ち着かせ、現状を受け入れることで先のことを考えようとした。 そして同時に、彼女は認めた。セリオルとて、完璧ではない。彼にも足りないものがあるし、それは自分たちが補佐しなければならないのだ。 「サリナ?」 呼ばれて、サリナは顔を上げた。いつの間にか考え込んでしまっていた。フェリオが不思議そうな顔で自分を見ていた。 「あ、ごめん、なんでもないよ」 「そうか。急に黙り込むからどうかしたのかと思った」 「うん、ごめんね」 そう短く言葉を交わすと、フェリオは頷いて再び壁の装置に目を遣った。サリナも玉蟲色の結界に向き直る。 セリオルのことがわかったところで、状況は何も変わらない。結界を解くことは難しく、サリナは途方に暮れる思いだった。 「クエ!」 その声は場違いなほどに鋭く、その場に通った。サリナたちは振り返った。そこにはアイリーンがいて、その小さな翼をぱたぱたと動かしていた。何かを伝えたがっているような、あるいは何かに苛立っているような仕草だった。 「アイリーン、どうしたの?」 サリナは近づこうとした。だがその前に、アイリーンが足を踏み出していた。 「お、お?」 「え? アイリーン?」 カインやシスララが驚く中、アイリーンは真っ直ぐに進んでサリナの前に来た。一体どうしたのかと仲間たちが見守る中、アイリーンはサリナの顔に嘴で触れた。 「アイリーン? どうしたの?」 それは甘えているような行動だった。チョコボが飼い主にそのようにして甘え、餌などをねだるところを、カインは見たことがあった。 だが、今は少し違った見え方もした。サリナが小柄で、アイリーンが大きいからかもしれない。カインはチョコボの習性を知っていたにも関わらず、瞬間それを忘れ、こう感じたのだった。 アイリーンのやつ、サリナを慈しんでるみたいだな―― 彼にはその行動が、まるで親鳥が雛を前にした時の、慈愛の本能からくる行動のように見えたのだった。 いつもなら、彼はサリナをからかっただろう。自分のチョコボに可愛がられてるじゃないかと言葉を投げて、憤慨するサリナを見て楽しんだだろう。だが、今はそんな気にはなれなかった。自分でも妙に思いながら、彼はその光景を見ていた。 「アイリーン?」 さきほどから不思議な行動を取る自分のチョコボの嘴を、サリナは撫でてやった。アイリーンはまるで頷くような動きをして、サリナから離れた。 「あ、あれ……あれちょっと、アイリーン、アイリーン?」 そしてアイリーンは進み出た。何が起きているのかすぐに理解出来ず、混乱して自分を呼ぶサリナを後ろにして、彼女はそこに立った。セリオルやフェリオも、ぽかんとして見ているだけだった。 アイリーンは、結界の前に立っていた。そしてほんの一瞬、動きを止めた。 次の瞬間、信じがたいことが、サリナたちの目の前で起きた。 陽光色のチョコボは、その首を少し後ろに引いた。そして勢い良く、前へ突き出した。 薄い硝子が砕けるような音がした。それはモグが、神晶碑の封印を解く時とよく似ていた。 ばらばらと、砕けた色硝子が地に落ちるようにして、玉蟲色の結界が消え去った。 その瞬間、サリナは見たような気がした。アイリーンの美しい陽光色の羽毛が、鮮烈で烈しい、真紅の色に染まるのを。 慌しい足音が近づいてくるのを、ゼノアは聞いた。 ハイドライトの内部は、荒れ放題と言ってよかった。 |