第15話

「風鳴石採って来ただけじゃなくて、風の幻獣も味方に付けて来たってのか?」
 ガタガタと何かが動く音の絶えない蒸気機関搭載住宅内で甘ったるいコーヒーの入ったカップをテーブルに置きながら、シド・ユリシアスはそう言った。彼の前には風の峡谷から帰還したサリナたち4人がいた。各々椅子やら工具箱やらに腰掛けてコーヒーを飲んでいる。無骨なテーブルの上にはその場に似つかわしくない可憐なケーキの類が、所在なさげに点在している。愛弟子が帰った時、シドは自分の好物を買ってきたことを真っ先に賞賛した。風鳴石のことよりも前に。
「お前ら、大したもんだ本当に」
 そう言いながら、細かなフレーク状のチョコレートでデコレートされたケーキを口に運ぶシド。口に到達するまでに、繊細なチョコレートの欠片がぽろぽろとこぼれる。それが彼の豊かで真っ白な髯に一切触れずに落下していく不思議さに、サリナは見入っていた。
「まあそりゃな。俺がいたしな」
 得意げに言ったのはカインだった。彼は砂糖でコーティングされた栗を頂き、栗のクリームでデコレートされたケーキを食べている。口の中にケーキを入れたままで話し始めたことに、彼の弟が批難の声を上げた。
「さっきの話じゃお前は寝てただけだろ?」
「てめえコラおっさんコラ何寝ぼけたこと言ってやがる」
「だから寝ぼけてたのはお前だろうってのに」
「なにコラおっさんてめえコラ」
「だからやめろって二人とも」
 果物がたっぷり載ったタルトを口に運びながら、フェリオが制止した。何度目かになるこのふたりのやり取りに、サリナとセリオルは声を上げて笑い、フェリオは溜息をついた。
「でもカインさんがチャンスを作ってくれたんですよ。でないと勝てなかったです」
 苺のショートケーキをフォークで切り分けながら、サリナは笑い混じりにカインに助け舟を出した。
「ほれ見ろ。やっぱわかってるねえサリナちゃん」
「気絶してアシミレイトできなかったんだろ?」
「ええい。いちいち茶々入れるんじゃねえよ」
「いやいや、カインがアシミレイトを温存してくれたお陰で、帰りにあの大岩を破壊できたんですから」
「ほれ見ろ。やっぱ違うねえセリオルさん」
「別に温存したわけじゃないだろ……」
「まあまあいいじゃねえのフェリオくん。結果としてほれ、この大量の風鳴石を獲得したんだぜ我々は」
 コーヒーとケーキに彩られた無骨なテーブルの中央に、4人が持ち帰った翠緑色の鉱石が鎮座している。精製を必要としないのではと思われるほど純度の高い風鳴石は、光を受けてきらきらと輝いていた。
「どうでしょう、シド教授。量としては十分かと思ったんですが」
 セリオルが食べ終わったのは緑茶を練りこんだクリームのケーキだった。フォークを置いてコーヒーカップを持ち上げつつ、彼はシドの様子を窺った。シドはコーヒーを飲み干し、ふうと一息ついて背もたれに身体を預けた。
「ああ、十分だ。これだけあれば飛空艇5機分くらいにはなる」
「それじゃあ!」
 勢い込んだのはサリナだった。がちゃんとコーヒーカップが揺れ、彼女は顔を赤くして椅子に座りなおした。
「すぐに作業にかかってやるよ。任せときな」
「ありがとうございます!」
 再び勢い良く立ち上がってぺこりと頭を下げたサリナだったが、またもコーヒーを揺らして少々こぼしてしまった。慌てて謝りながら彼女はそれを布巾で拭き取った。その様子に笑いが起こる。サリナの顔が真っ赤になった。
「完成にはどれくらいかかりますか?」
 サリナが座りなおして落ち着いたところで、セリオルがシドに尋ねた。
「そうだな。まあざっと、ひと月かふた月ってとこか」
「あ、結構かかるんですね……」
 やや残念そうに、サリナがそうこぼした。その言葉にシドは苦笑し、セリオルとフェリオもやや困った顔をした。
「シド教授だからひと月ふた月でできるんですよ。普通の技術者だと半年はかかる作業です」
「いずれにしても王都に行くのは陸路だ。エルンストさんに会えるのが遅くなるわけじゃないさ」
「あ、そっか。す、すみません、シドさん。失礼しました」
 シドは豪快に笑いながらサリナに気にするなと言った。またも赤面するサリナに、仲間たちが笑う。
「そういや聞いてなかったけど、なんで飛空艇が必要なんだ? 王都に行くためじゃないんだろ」
 カインがセリオルに尋ねた。そう言えば、と仲間たちが注目した。セリオルは飲み干したコーヒーのカップを置き、悠然と答えた。彼の眼鏡が光る。
「念のため、です」
「いやいやいやいやいや」
 がくっと姿勢を崩して、カインが抗議の声を上げた。詰問を受けたセリオルは、一言詫びてから真顔で言った。
「本当に念のためなんです。ただひとつ言えるのは、ゼノアが王都で我々を座して待つとは考えにくい。彼がどこかに逃亡した時に追撃の手が無いのは、まずいでしょう」
「そういうことか。なら最初からそう言えってのに。ほんと食えない野郎だぜ」
「けど、ゼノアが俺たちの動きに気づいてる可能性があるのか?」
 フェリオの質問にサリナがぴくりと反応した。以前のように強い怒りを感じたわけではない。もしも自分たちの行動がゼノアに知られているのだとしたら、その原因は何なのか、どうすれば防げるのかと瞬時に考えを巡らせた。
「可能性という意味では、あります」
 一旦言葉を切って席を立ち、セリオルはコーヒーポットから2杯目のコーヒーを注いだ。ポットはフェリオが受け取り、テーブルに布を広げてその上に置いた。各自2杯目のコーヒーを注ぐ。
「幻獣研究所は各地の集局点や幻獣、マナの動きを観測しています。私が脱出した頃はまだ研究段階でしたが、その後どこまでその技術が発展しているものか――」
「完成してはいねえよ」
 シドがコーヒーに砂糖を入れながらセリオルの後に続けた。砂糖の量をフェリオに規制されて、取り上げた角砂糖をしぶしぶポットに戻した。スプーンでコーヒーをかき混ぜている。
「恐らくな。俺が幻獣研究所を抜けたのは、セリオル、お前より少し後のことだ。2年くらいかな。その時点でゼノアの所業は研究員全員が知るところになっていた。ほとんどの研究員は、それで脱退したか、幽閉されちまったんだ。中にはゼノアに心酔してる奴らもいたが、その後の研究はさほど進んでいないと思っていいだろう」
「それだけの事態で、どうして王国はゼノアを放置してるんですか?」
 サリナがゼノアの名を口にしたことに、セリオルは驚いた。彼女の精神的な成長速度に。他の面々は特に違和感も無く、話を続けた。
「奴は軍部と繋がってやがんのよ。元々幻獣研究所ってのは軍事研究施設だ。統一戦争の伝説の力――アシミレイトを軍事利用しようって出来た組織だからな。ゼノアは闇の玉髄の座と結託した功績で軍部に取り入った。幻獣研究所はイリアス王国軍の施設。軍が隠してんだよ、ゼノアのこと」
「軍も敵、か」
「まあ軍は表立って出ては来ないでしょうけど、いずれ敵対することになるかもしれませんね」
「怖えなあ」
 全く怖いと思っていない口調で気楽に言うカインに、重苦しい雰囲気になりかけていた一同から笑いが漏れた。カインも呵々と笑った。
「とは言え、多少のことには感づいているでしょう。ルーカスさんやレナさんがイクシオンやアシュラウルを発見できたのも、かつての幻獣研究所の観測を使ってのことでしょうから、ここ最近の我々のアシミレイトやヴァルファーレの反応くらいは観測されている可能性が高い」
「俺たちが動いていることまではわからなくても、幻獣に関わる何かが起こってるってことは認識してるか」
「幻獣研究所がクリスタルやリストレインの正確な位置を割り出せる可能性は低い。お前らの居場所が特定されることは無いと思うが、偵察には気を付けるこった」
 こうしてシドへの報告と風鳴石の受け渡しを終え、サリナたちは蒸気機関搭載住宅を後にした。サリナはシドが口にした“偵察には気をつけるこった”という言葉が引っかかっていた。幻獣研究所は自分たちに、偵察係の軍人を派遣しているのだろうか?

 スピンフォワード邸に、4人は戻ってきた。サリナは真っ先に湯を使う権利をもらい、さっぱりとして自分用にあてがわれたベッドに倒れこんだ。さすがに風の峡谷からの強行軍に疲れが溜まっていた。ヴァルファーレとの死闘の後、野営を何度かしたものの、よく眠れたはずは無かった。
「はあ〜〜〜〜……」
 湯上りでほかほかと気持ちが良い。このまま眠ってしまいそうだが、食事の用意をしてくれているセリオルを手伝わなければと、気合を入れて起き上がった。
 部屋を出る時、部屋の隅に置いた自分の荷物に目が行った。真紅のリストレインと、真紅のクリスタル。サラマンダーの姿をサリナは想起した。クリスタルの中で、サラマンダーは今も自分を見守ってくれているだろう。それを思ってサリナは微笑んだ。サラマンダーだけではない。これまでは祖父母やセリオル、ローガンらしかいなかった頼れる存在が、今はたくさんいる。カインとフェリオ、そして幻獣たち。自分の近くにいてくれる彼らの存在を、サリナはありがたく思った。
「う……」
 ついでに自分の汚れた衣服にも目が行った。風の峡谷への旅で随分汚れてしまっている。
「明日洗濯させてもらおう……」
 サリナが台所に行くと、食事の準備はあらかた終わっていた。彼女はあわわと慌てて遅くなったことを謝った。準備をしてくれたセリオルは料理を盛り付けた皿を運ぶのに、部屋着の上に着けていたエプロンを外すところだった。
「ごごごめんなさい遅くなって!」
「ああ、サリナ。これを運んでもらえますか?」
 大慌てのサリナに微笑みで答え、セリオルは大皿を手渡した。香辛料の効いたフェイロン風の炒め物と、大陸風の色鮮やかなグラタンだった。他に2品、具材と米を炒めた料理とサラダがあった。
「セリオルさん、これひとりで作ったの?」
「簡単な仕事でしたよ」
「うわわ、ごめんなさい」
「グラタン熱いですから、気を付けてくださいね」
「はい」
 皿を両手に1枚ずつ持って運ぼうとしたサリナに、セリオルが後ろから声を掛ける。
「そのタオル、部屋に置いてきたらどうです?」
 サリナの肩には風呂上りに身体を拭くタオルが掛けられたままだった。忘れていたサリナは、はたと立ち止まって赤面した。しかし手には皿を持っている。ひとまずそれらを運ぶことを彼女は優先した。
 食卓には同じく部屋着に着替えたカインとフェリオが座っていた。カインはあくびをしながら雑誌をめくっている。フェリオはボウガン用の矢を並べて製作していた。
「お待たせしました!」
 ぱたぱたと料理を運んで来たサリナを見て、スピンフォワード兄弟が吹き出した。そのまま声を上げて笑い始めるふたりに、サリナは両手に料理の皿を持ったままぽかんとした。
「サ、サリナ、髪の毛すげえ撥ねるんだな」
「タオル、サリナ、おっさんみたいだぞ」
 はっとして、サリナは頭に手を持っていきかけた。すんでのところで皿を持っていたことを思い出し、テーブルに置いてからタオルで頭を隠して、彼女は悲鳴を上げながら部屋へと駆け戻った。
 食事はこれまでの旅やそれぞれの遍歴を語り合い、楽しいものとなった。中でも花が咲いたのが、セリオルの経歴だった。これまでにも幻獣研究所に所属していたことや竜王褒賞受章の件などでスピンフォワード兄弟はセリオルに一目置いていたが、彼の経歴をつぶさに聞いたことで、その天才ぶりに改めて驚嘆したのだった。特にフェリオは、セリオルに研究者として尊敬の念すら抱いたようだった。
「13歳で国立の研究施設に入るなんてな……」
「いや、もうそれくらいにしてください」
 セリオルは困ったように苦笑してグラスを傾けた。アルコールが少々入っている。気持ち良く酔いながら、サリナはセリオルを誇らしく思った。
「あ、そういえば」
 ふと思い出して、サリナが質問した。酒で頬が上気している。
「シドさんが言ってた、闇の玉髄って何ですか? こないだヴァルファーレも言ってたけど」
「ああ、それは」
 ふうと一息ついて、セリオルが話し始めた。
「幻獣には3段階の位があるんです。最も下位が碧玉の座。サラマンダーやイクシオンら、今我々に協力してくれている幻獣は皆この位です。その上が瑪瑙の座、最上位が玉髄の座と言います。ゼノアについているハデスは、闇の幻獣、玉髄の座。つまり最高位の幻獣ということです」
「玉髄の座の幻獣は、それこそ神のような力を持つって言う。やべえよなあ」
 酒が入っているためか、そう言ったカインの声に緊迫感は無かった。もっともそれは素面でも変わらないのかもしれないと、サリナは思った。
 いずれにしても、風の峡谷での苦労を労う晩餐である。これ以上雰囲気が重くなるのは良くないと思い、サリナは話題を変えた。
 その後はわいわいと、サリナの夢だった王都の役所の話や、これまでカインが捕獲してきた様々な魔物のことなどの話題で盛り上がった。地下の修練場に、実は大量の獣ノ箱が保管されているらしい。
「いやいや、持ってくの忘れちまってさ、風の峡谷に。はっはっは」
 そう愉快そうに笑う兄に、フェリオはまたしても苦笑するのだった。
「明日は1日、休憩しましょうか。サリナも買い物なんかもしたいでしょうし」
「うん、したいです。それと寝たいです」
「寝てばっかだな、サリナは」
 そうからかったフェリオにサリナがぶーぶーと文句を言った。それに笑いながら、暖かな夜は更けていった。

挿絵