第157話

 おぞましい咆哮が響いた。実験室の壁がびりびりと震える。サリナたちは、巻き起こるマナの嵐と恐ろしいほどの声の圧力とに、咄嗟に身を守る姿勢を取った。
 嵐の中心は、カスバロ・ダークライズだった。いまや人間とは思えぬ形相で叫ぶ男に、舞い散っていた翠緑色のマナが集まっていく。彼は竜巻の中心のようにマナを集め、吸収していた。
「まさか……野郎、アトモスのマナを吸ってやがんのか!」
 凄まじい風から頭を守るために翳した手の下で、カインは視線を尖らせる。その毒づきに答えたのは、彼の弟だった。
「ああ、間違い無い。あいつ、マージだかなんだか知らないけど、薬の力でアトモスを無理やり吸収するつもりだ」
 カインは舌打ちをした。どこまでも塵魔を利用しようとするカスバロに、吐き気を催すほどの怒りを感じる。
「セリオルさん」
 対して、サリナの声は静かだった。彼女の心は落ち着いていた。間もなく、恐るべき力を持つ敵が誕生する。それがわかっていても、彼女は冷静だった。アトモスを哀れに思う気持ちも含めて、彼女は今の状況を、冷えた頭で理解していた。
「なんでしょう」
「マージは、塵魔にも有効なんですか?」
 仲間たちが、卒然としてサリナを見た。彼らは瞬時に、サリナの質問の意図を読み取った。
 塵魔は幻魔の失敗作だと、カスバロは言った。幻魔は人工の幻獣だから、幻獣を使役するために作られたマージが有効なのは道理だ。だが、そもそもアシミレイト能力を持たない塵魔にも、マージは有効なのか。アシミレイト出来ない塵魔を、無理にアシミレイト――いや、使用者と融合させることも出来るのか。
 もしそれが可能だとしたら、きわめて厄介だ。なぜなら幻魔とは違い、幻獣研究所は塵魔であれば、容易に生み出すことが出来る可能性がある。極端な話、生み出した塵魔の数だけ、強制融合した強力な戦士――兵器と呼んだほうが適切かもしれないが――を誕生させることが出来ることになる。
「……そうでないことを祈りますが、ダークライズのあの様子を見る限り、そうであると認識せざるを得ないようですね」
 サリナはカスバロに目を戻した。狂った研究者は、マナの嵐の中で身をよじらせ、咆哮を続けている。その肌は、既に風のマナの色に染まっていた。大きく見開かれた瞳は不気味な紫に光っている。
「望んでるのかな……アトモスは」
「どうでしょうね……。少なくとも、彼ら塵魔は、クラーケンにしてもキュクレインにしても、ゼノアのために戦うことに自分の存在意義を見出していましたが」
 下唇を噛むサリナに、セリオルは悲しげな眼を向けている。それが、クロイスの目には少し不思議に映った。サリナはアトモスのことを不憫に思っているのだろう。だがセリオルは、そうではないように見えた――まるで、別の存在を憐れんでいるかのようだった。
「終わらせよう、私たちで」
「ええ」
 サリナは棍を構えた。マナを解放する。足元に生まれた円陣から、マナが立ち昇る。サラマンダーの鎧が輝き、真紅のマナが鳳龍棍に行き渡る。鮮やかな真紅と眩い金色の光が、サリナの棍から溢れ出す。
 カスバロは、もはやひととは呼べない存在に変貌していた。その身体は巨大化し、肩や背中から、太く鋭い紫色の角が生えた。頭部は醜く歪み、髪は全て硬質の針のように逆立っている。身に着けていた衣類はぼろぼろに破れ、ただ研究者の白衣だけが、肩や背中の角に貫かれたままで残っていた。
「ぐふ、ぐふふふ……」
 マナの嵐が収まり、カスバロは笑っていた。変わり果てた己の手を、身体を見下ろして、カスバロは嬉しそうだった。肩を震わせ、実に愉快そうに、彼は笑った。
「ぐはははははっ! どうだ! これが私の、研究の成果だ!」
 その声に、サリナは背筋を凍らせた。
 アトモスの声だった。そして、カスバロの声でもあった。ふたとの存在の声が、重なって聞こえた。ふたつの声が、同時に同じことを言っている――だがそこに、アトモスの意思を垣間見ることは出来なかった。それだけに、その声がどこまでもおぞましいものに聞こえた。
「成功だ! 所長、成功です! “オルガ・マージ”! 塵魔との融合に成功しましたよ!」
 哄笑が響く。巨大で醜悪な姿でありながら、カスバロはまるで親からの褒美を期待する子どものように、無心にゼノアに向けて言葉を発していた。育ち過ぎた子ども。
「気色わりぃ……」
 心の底からの嫌悪感を言葉にして、クロイスは両手に短剣を構える。一刻も早く終わらせたいと思う敵だ。
 その不気味な敵が、顔をぐるりとこちらへ向けた。
「セリオル! どうだ見たか、セリオル!」
 勝ち誇った声だった。セリオルに指を突き付けて、カスバロは勝利の高揚感に酔い痴れていた。
「私は、塵魔を有用なものへと昇華させたぞ! ただ幻獣を縛るだけではない、兵器として更に力を引き出すことが出来るものに!」
 カスバロの大きく見開かれた不気味な瞳は、セリオルに向けられていた。その紫色の双瞳には、狂気の光が宿っていた。そしてその声には、セリオルに対する優越感のようなものが感じられる響きがあった。シスララには、それが不思議だった。
「あの方は、どうしてセリオルさんに対して、あれほどに……」
 シスララの声に、セリオルは振り返った。エル・ラーダの姫の、美しい眉が顰められている。カスバロから凄まじい殺気を向けられている緊迫した状況の中だが、セリオルはふと、表情を緩めた。だがすぐに、彼は敵に視線を戻す。
「かつての幻獣研究所で、私とゼノアは、よく比較されました。同時に入所した、同い年の最年少研究者、ということで。研究チームも、一緒でしたしね」
「でも、全く同じ研究をされていたわけではいらっしゃらないのでしょう? 例えば、その……幻魔などの」
 後ろからの質問に、セリオルは僅かに俯いた。そしてほんの少しだけ、唇の端を上げた。
「いえ、同じ研究をしていましたよ。表向きはね」
「なんだ、裏があんのか」
 訝しそうに訊ねるカインに、セリオルは乾いた笑いを返した。カインはますます訝しそうな顔をしたが、セリオルの答えに納得した。
「ええ。裏がありました――幻魔や、黒騎士なんかがそうですよ」
「おう、なるほどな」
「要するに、あいつはその、ゼノアだけがやってた裏の研究においても、セリオルはゼノアのライバルだと思ってたってこと?」
 下らない、と続けそうな勢いのアーネスに、しかしセリオルはかぶりを振る。
「そうではないと思います。彼は単純に、ゼノアが優れていると主張したいんですよ。かつて事あるごとにゼノアと並びたてられていた、私に対して」
 それを聞いて、アーネスは今度こそその言葉を口にした。
「下らないわね……自分の心酔するゼノアがセリオルより、仮に優れてたからって、何だって言うの。あいつ自身がセリオルより優れているわけでもあるまいし。何を履き違えて、セリオルを見下してるのかしらね」
「なんでもいいさ。俺ぁあいつの全部が気に入らねえ。塵魔を弄んでやがることも、その妙な勘違いも、あの態度もな――ぶっ飛ばしてやろうぜ」
 びしり、と紫紺の鞭が実験室の床を打った。獰猛な笑みを浮かべ、カインは激しい戦闘の予感に胸を躍らせる。その頼もしい切り込み隊長の意気込み、アーネスも同調して笑みを漏らした。
「そうね。思い知らせてやりましょう。私たちをこれだけ怒らせた代償は、大きいってね」
 すらりと抜かれたディフェンダーが、琥珀のマナを纏って煌めく。アーネスはその剣を、王国騎士団流に、正面に構えた。
「皆、気を付けてください。あれはもはや塵魔ではない。我々と同じで、人間と塵魔、両方の能力を備えるものです。ダークライズ本人の戦闘能力がどれほどのものか知りませんが、少なくともマナを乗せた、物理的な攻撃も仕掛けてくるはずです」
「そっか、それも気をつけないとですね」
 サリナは、改めて準備運動をしていた。全身の筋肉を、腱を、関節を、伸ばしていく。溜まった乳酸を流す。身体のコンディションを整えていく。両目を閉じる。鼻から息を深く吸い込む。肺が健康に拡がり、そして収縮する。酸素と二酸化炭素が交換され、口からその空気を吐き出す。瞼を上げる。
 不気味な緑と紫の怪物が、その変身を終え、大きな口から鋭い牙を覗かせてにやにやと笑っている。こちらの準備が終わるのを、あえて邪魔せずに待っている、そんな様子だ。
 セリオルとフェリオの間に、サリナは進み出た。解放されたマナが、サリナの力を押し上げていく。足元から吹き上げるマナの力が、サリナの栗色の髪を揺らす。力が充実していく。
「みんな、いこう!」
「ああ」
 サリナが飛び出した。カインが続く。相槌を打ったフェリオは、最も正確に狙いを定めることの出来る長銃形態にしたアズールガンで、カスバロ=アトモスの腹部に照準を合わせた。アシュラウルのマナが銃身に満ちる。3回、フェリオは引き金を引いた。銀灰色のマナの塊が射出される。
「ぐひひひ……」
 カスバロ=アトモスは動かなかった。アトモスと同じように、その場でサリナたちが来るのを待った。サリナは真紅の風となり、瞬時にカスバロ=アトモスとの距離を詰めた。高く跳躍する。
 裂帛の気合。渾身の力で、サリナは棍を振るった。サリナのマナとサラマンダーのマナが混ざり合い、鳳龍棍を通じて一気に放出された。紅蓮の炎が、荒々しい三日月型の弧を引いて怪物を襲う。
「ぐひひ」
 口の端から汚らしく涎を垂らし、カスバロは歓喜にその身を震わせた。まず1匹。彼は塵魔アトモスと同化した脳で、そう考えた。
 ばくりという音が聞こえるようだった。サリナが放った炎の一撃を、醜悪な怪物が大きく、人間ひとりを丸ごと飲み込めるほど大きく開かれた口に、吸い込まれた。
 カスバロは、自分が吸ったマナの大きさに驚いた。あの小さな少女、しかも碧玉の座に過ぎない力しか持たないはずの彼女から、これほど多量のマナが一気に放出されるとは、彼は考えもしなかった、
 だが、それは悪い誤算ではなかった。むしろ彼にとっては好都合、そしてセリオルたちにとっては不利益となる事柄だった。
 カスバロは、口を開いた。人間であった頃ならば、額関節が外れ、頬の筋肉や皮膚も千切れてしまっていただろう。だが今の彼は、アトモスのマナを得て生まれ変わった、至高の存在だ。彼の顎は大きく下がり、その口は巨大な空洞と化した。
 赤い鎧を纏った少女は、慌てて身を沈めた。高いところにあるカスバロの口からの攻撃を回避しようとしたのだろう。だが、そんなことをしても無駄だ。私はアトモスの力を得た。アトモスに出来たことは、私にも出来るのだ。
 怖気が走るその感覚を、サリナは奥歯を噛み締めて耐えた。恐怖してはいけない。目を背けてはいけない。それは隙を生む。竦みそうになる脚を拳で叩き、力を入れる。
 腹部だった。人間で言うところの腹部に、カスバロ=アトモスは口を開いた。しかも、頭部の口とは比べ物にならないほど巨大な口を。まさにあの、塵魔アトモスのものと同様の口だった。漆黒の闇に塗り潰された、恐るべき空洞。
 腹の中でマナが混ざり合う感覚を、カスバロは楽しんだ。彼の――いや、アトモスのマナと、あの少女が放ったマナ。ふたつのマナは彼の体内で混じり合い、そして増幅された。
「ぐひひひひっ」
 醜い巨人が腹を突き出した。その暗黒の中で、真紅と翠緑が渦を巻く。
 カスバロは、それを放った。その瞬間、得も言われぬ快感が、彼の全身を貫いた。これまで感じたことの無い類の感覚に、カスバロは困惑した。これはアトモスの感覚なのか、それとも自分自身の感覚なのか。それを追求したい衝動に駆られながら、同時にそんなことはどうでもいいとも思う。いずれにせよ、彼はそれを放った。破壊に満ちた。まだらの閃光を。
 目の前で開いた口。サリナは更に身を沈めた。地面すれすれまで、彼女は身を低くした。
 後ろから、カインが来ていたからだ。
「しゃらくせえってんだよ!」
 カインは跳躍した。閃光が放たれる、一瞬前のことだった。突如視界に飛び込んできた紫紺の戦士の姿に、カスバロ=アトモスが動揺する。怪物はせっかく腹から閃光を放ったのに、カインにつられて身体ごと上を向いてしまった。サリナへの狙いが逸れる。
「食らいやがれ!」
 雷の大蛇が放たれた。空中で、彼は再び、弟の放ったマナ弾を受けた。アトモスに仕掛けたのと同じ戦法だったが、今度はサリナがまだ動いている。銀灰のマナを受け、分裂した蛇たちがそれぞれに、元の大きさを取り戻した。
 同時に、サリナは地面すれすれの態勢から、鳳龍棍を一気に打ち上げていた。真紅のマナが、間欠泉のように吹き上がる。その攻撃は、カスバロ=アトモスの下腹部、腹に開いた口の、顎に当たる箇所に正確に命中した。
「ぐべっ」
 ガチンと大きな音がした。腹部の口を強制的に閉じられて、カスバロは間の抜けた声を出した。放出されていた閃光が止まる。
 更に上からは、カインの大蛇が襲いかかった。今度こそ、彼の攻撃は命中した。それも、見事にと言って良い命中ぶりだった。
 醜い悲鳴が上がった。怪物の上半身に、雷の驟雨が降り注いだ。ラムウのマナは、これまでに鬱積したものを吐き出し、醜い巨人の身体を破壊しようと、その牙を食い込ませた。
「へっ。どうでえ!」
 着地し、カインは振り返った。確かな手ごたえがあった。
 カスバロ=アトモスは仰向けに倒れていた。腹から、あの閃光の余波か、それともカインの攻撃の残滓か、煙が立ち昇っている。
「なんだあいつ。てんで素人なんじゃねーの」
 サリナとカインのコンビネーションは、奇をてらったものでは決してなかった。サリナが引きつけた上で攻撃をかわし、そこへカインが仕掛ける。カインに気付いたカスバロがそっちへ気を向けたところサリナが突き、カインの攻撃が最も大きな効果を生めるようにサポートした。戦法としては、正攻法と言える。
 カスバロは、ふたりの動きに一度に対応することが出来なかった。そこを指して、クロイスは素人と評したのだった。
「火柱よ。怒れる火竜の逆鱗の、荒塵へと帰す猛襲の炎――ファイラ!」
 そこへ、火炎の魔法が発動した。敵の下、ちょうどカスバロ=アトモスの背中を、強烈な火柱が突き上げた。不気味な巨体が宙を舞う。
「うおっ!?」
 驚いたのは、攻撃を終えたばかりのカインだった。目の前で上がった火炎に、彼はたたらを踏んだ。
「油断しないで下さい! まだ、敵の手の内は見えていないんです!」
 セリオルの警告が飛んだ。
 彼は考えていた。これまでの塵魔やブラッド・レディバグによって強化された魔物たちとは、訳が違うと。敵は幻獣研究所の研究員。その頭脳は、これまでの敵たちとは比較にならぬほど、切れるはずだった。どんな奇策や奥の手を用意しているか、わかったものではない。大きなダメージを与えられたからと言って、それが見かけとおりのダメージなのかも怪しむべきだ。
「その通りだな」
 言って、フェリオは魔法銃を肩に担いだ。形態は変化していた。連発は出来ないが最も大きな攻撃力を発揮出来る形、ランチャーだ。銃口が光を集める。マナが充填されたのを確認して、フェリオはトリガーを引いた。
 巨大なマナ弾が放たれた。浮き上がったカスバロ=アトモスへ、それは正確に飛来した。無防備な敵への、痛烈な一撃。
 ――に、なるはずだった。
「ぐひひひ。待ってましたあ」
 空中で、巨人は身体を捻った。そして、あの腹の大口を開いた。
 フェリオの後悔は遅かった。敵の狙いはまさに彼の攻撃だった。
 その瞬間、サリナは考えた。これまで、アトモスもカスバロも、属性マナ――力のマナで増幅されたものを含んで――を吸収して反射した。力のマナも属性マナには違い無いが、炎や雷の力のような、明確な破壊の力を持つものではない。あれを吸って、カスバロは何をしようとしているのだろう。力のマナを使って風のマナを増幅し、放つ気なのだろうか?
 銀灰のマナが、暗黒の口に吸い込まれる。そしてカスバロ=アトモスは口を閉じた。
「放たない?」
 いつでも光の盾を使えるように緊張を高めていたアーネスは、巨人の口が閉じたことに肩すかしを食らった気分だった。だがそれは、今すぐの攻撃が無かったというだけで、彼女の守りの力は、すぐに必要とされることになる。
 空中に浮いたまま、カスバロ=アトモスの醜悪な身体が、光を放った。翠緑と銀灰が混ざり合ったものから、次第に翠緑のみの光へと変化していった。それは確かに、銀灰の光――力のマナが、風のマナの力を押し上げた証だった。
 ずん、と大きな音を上げて、怪物は両足で着地した。
「げ……」
 その姿に、カインは言葉を失った。
 まさに、それは悪魔だった。荒々しく筋骨隆々とした体躯に、不気味で硬質な翼が生えていた。腹の口には醜い牙が乱雑に生え、鋭い瞳は不気味に濡れた紫の光を帯びている。
「ぐぶ、ぐぶぶぶ……ぐひひひひ!」
 堪えられない、というように、カスバロは笑った。愉快だった。心の底から、愉快だった。自分の研究成果で、憎きセリオルたちを一網打尽に出来る。これで、彼は認められるだろう。塵魔のより有用な使い方を、彼は見つけたのだから。オルガマージは、ゼノア所長の下、幻獣研究所の最たる研究成果のひとつとして、語り継がれることになるだろう。それを夢想し、彼は嗤った。
 そこへ、巨大な火球が現れた。
 咄嗟に身を捩って、カスバロはそれをかわした。火球は実験室の壁に着弾し、凄まじい爆発を起こした。爆風に翼が揺れる。
 あの少女だった。カスバロは彼女に目を向けた。今の彼からは随分低いところにあるように思える少女の顔には、怒りとも哀しみとも取れる表情が浮かんでいた。
 カスバロは吠えた。自分の喉から出たとは思えぬ、それは獣の咆哮だった。だが、それでいいのだ。私は人間を超えた。塵魔の力を手に入れ、このエリュス・イリアに並ぶ者無き存在となったのだ。ここでこいつらを始末すれば、所長は私を、あの黒騎士よりも重用してくださるようになるだろう。この大きな身体では繊細な研究を続けることは難しいが、構わない。所長に――あの稀代の天才に必要とされる存在でいられれば、それで良い。
 カスバロは地を蹴った。驚くほど速く、彼は動くことが出来た。彼は自覚していなかったが、風のマナが彼の動きを手助けしていた。彼の周囲を翠緑のマナの粒が舞っていた。
 サリナは、その突進を身体を捻ってかわした。そのまま、発生した遠心力を使って、回し蹴りを放った。彼女の脚は炎のマナを纏って、カスバロに迫った。
 カスバロは床に手をつき、身体を反転させた。めまぐるしい攻防。カスバロの太い腕ならば、この小柄な少女の身体を切り裂くことは容易いはずだ。だが、彼の攻撃は命中しない。少女は驚くべき敏捷さで動き回り、彼を翻弄した。
 カスバロ=アトモスとサリナの戦いに、カインは歓声を上げた。彼は鞭を振り、サリナに夢中になっているカスバロ=アトモスの脚に、それを巻きつけた。伸縮自在の雷の鞭が、激しい雷撃を与える。
 悲鳴を上げ、カスバロは鞭を掴んで引きちぎった。その勢いのまま腕を振る。丸太のような腕が、サリナを襲った。サリナは鳳龍棍を身体の前に構え、自らも後ろに跳躍した。棍から痺れるような衝撃が伝わってくるが、上手く逃がすことが出来た。着地する。棍を構える。
 クロイスの矢が飛んだ。シスララがソレイユと共に宙を舞う。セリオルが呪文を詠唱し始めた。アーネスも地を蹴り、タイタンのマナを纏う剣を構える。フェリオは自分の攻撃で敵が力を増したことを苦々しく思いながらも、頭を切り替えて銃を構えた。どうやらあいつには、力のマナそのものでの攻撃は逆効果だ。彼は仲間たちを援護すべく、タイミングを計り始めた。
 カスバロ・ダークライズだった化け物の、おぞましい闇の声が響く。