第158話

 サリナが棍を振り、クロイスが短剣を閃かせる。炎と水、ふたつのマナの戦士は、それぞれが旋風がごとき速さでカスバロ=アトモスに躍り掛かった。敵は巨体に似合わぬ素早さで、ふたりの攻撃に応じた。
 振り抜かれた太い腕を身体を捻ってかわし、クロイスはそのまま遠心力を利用して敵の腕を切り裂こうと、攻撃を仕掛けた。だがこの化け物は信じがたいことに、振った直後の腕を無理やり床に叩きつけ、その腕で支える格好で身体を持ち上げた。クロイスに攻撃は空を切った。
 無防備になった腕に、今度はサリナが回転しつつ、蹴りと棍を連続で放った。目にも留まらぬ速さだった。カスバロ=アトモスは身体を支える腕をぐっと曲げた。巨体が瞬間、沈み込んだ。そして驚嘆すべきことに、敵はその腕の恐るべき膂力でもって、高く跳躍した。
 宙を舞った怪物に、シスララが突撃した。ソレイユの力で推進力を得た純白の竜騎士は、流星となって飛んだ。聖霊セラフィウムのアシミレイトによる初戦。その巨大な力は、オベリスクランスにしっくりと馴染んだ。カーバンクルのものよりも身体の多くを覆う鎧は美しく、空を舞うシスララは、まるで天使のようだった。
 その穢れ無き聖なる槍が、一直線におぞましき怪物、カスバロ=アトモスへと飛ぶ。その姿を、カスバロの目は捉えていた。思わず笑みが漏れる。
 ばさりと音を立てて、悪魔のような翼が開かれた。シスララは驚き、方向を変えようと蹴ることの出来そうな壁を探した。だがあいにく、方向転換に適した壁面は無かった。彼女は槍を構え、マナを放出しようとした。さきほどサリナがアトモスの閃光を回避しようとしたのと同じ要領で、彼女も方向を変えようとした。
 だが、遅かった。
 カスバロ=アトモスは身体を回転させた。風のマナが、彼の動きを助けていた。普通では考えにくい力の制御を、それが可能にしていた。
 深い紫、というよりも黒に近い、金属のような光沢を持つ硬質な翼。それが、回転するカスバロ=アトモスの守りであり、同時に攻撃でもあった。
 姿勢制御を成功させられなかったシスララは、回転する硬く厚い翼に激突した。ぎゃりん、と金属同士がこすれ合ったような音が響く。シスララの悲鳴。カスバロの哄笑。
「シスララ!」
 アーネスが蒼い顔で叫んだ。床への激突を回避すべく、彼女はシスララの許へ走った。だが、間に合わない。他の仲間たちは、より距離が遠い。舌打ちをする。
「ダウニーウール・ラム!」
 仲間の危機に、カインは獣ノ箱を取り出していた。柔らかな毛並みを持つ巨大な羊の炎が、シスララの落下地点へ放たれる。カインの狙いは正確だった。
 熱の無い炎の羊毛が、シスララの身体をふわりと受け止めた。
「天の光、降り注ぐ地の生命を、あまねく潤す恵緑の陽よ――ケアルラ!」
 サリナが癒しの呪文を唱える。回復の魔法はシスララを優しく包んだ。温かな光が、ダメージを受けた身体を癒す。シスララはゆっくりと、カインの放った獣の背を降りた。
 その間にも、クロイスは攻撃を続けている。
 彼は武器を弓に持ち替えた。宙を舞った悪魔の心臓に狙いを定め、彼は弦を引き絞る。氷妃シヴァのマナが溢れ、弦を、弓を、そして番えられた矢を、氷に染め上げていく。
 番えられた5本の矢が放たれた。矢は曲線を描き、カスバロ=アトモスの視界の外へと逃れる。
 同時に、アーネスは剣を振っていた。タイタンのマナに満たされたディフェンダーが、空中に数本の巨大な岩の錐を出現させる。それは怪物に狙いを定め、滑るように飛んだ。
 更にフェリオが銀灰の銃からマナ弾を放った。精密射撃に優れた長銃からの力のマナが、カスバロ=アトモスへ飛ぼうとする岩の錐に命中し、その力を増強させる。岩は琥珀の燐光を纏って敵へと飛ぶ。
「ぐふふ。子ども騙しよ」
 悪魔は翼を揺らして嗤う。高速で飛来する地のマナ。彼は腹の口を開いた。自らの――塵魔アトモスのマナを集中させる。瞬時に集まったマナを、彼はその巨大な口から放った。
 翠緑の烈風が、迫る岩の錐に激突した。風のマナと地のマナ。風のマナは地のマナに強く、地のマナは風のマナに弱い。瑪瑙の座とは言え、同等の力を持つアトモスのマナに、タイタンのマナは通用しなかった。錐は空中で分解され、霧散した。
 岩を砕いた烈風が、地に立つフェリオとアーネスに迫る。だがふたりも、その場で待っているわけではなかった。素早くその場を離れる。
 満悦のカスバロ=アトモスの背へ向かって、氷の矢が飛んでいる。化け物は、まるで背中にも目があるかのように、その位置を正確に捉えていた。風の塵魔の力は便利だった。周囲の空気の流れがよくわかる。
 金属質の翼を今一度大きく開き、彼は空中で高速回転した。矢はその巨大な駒に激突したが、堅い守りに阻まれて砕け散った。クロイスの舌打ちが響く。
 回転を止め、悪魔は翼にマナを充実させる。黒く醜い翼に、翠緑のマナが行き渡る。前面に押し出すようにして、カスバロは翼を大きく動かした。その動きに応じて、マナが放たれる。烈風の刃となったマナは、下から迫りつつあったサリナへと向かう。
「えっ!?」
 気配を殺して跳躍したつもりだった。踏み込みの音も、クロイスたちの攻撃の音に紛れたはずだ。だが、敵は正確に、自分の位置を特定していた。サリナは咄嗟に炎を放った。烈風は炎に掻き消され、威力を失った。風のマナは、炎のマナに弱い。
 跳躍の勢いを殺されて、サリナは敵に到達することなく着地した。同時に、カスバロ=アトモスの悲鳴が響いた。
 サリナは驚いて顔を上げた。
 シスララだった。彼女はサリナたちの攻撃の陰で、再びソレイユの力を借りて宙を舞っていた。空中戦は、彼女もお手の物だ。むしろ翼があるとはいえ、空を舞う力を手に入れたばかりのカスバロよりも、彼女のほうが空での動きに熟達していた。
 風と炎のマナの残滓を突き抜けて現れたシスララに、カスバロは意表を突かれた。シスララは高速で飛び、純白のオベリスクランスを悪魔の太股に突き入れた。不気味な緑色の肌からは、意外にも赤い血が流れ出た。悲鳴を上げるカスバロを余所に、シスララは近くに来たソレイユに引き上げてもらい、更に高く飛ぶ。
「いきますよ、ソレイユ。トリックレイヴ!」
 部屋の高い天井に沈みこむように身体を預け、十分に膝のバネに力が溜まったところで、シスララは一気に天井を蹴った。弾き出されたように、彼女は敵へと飛ぶ。
 主人と息を合わせ、ソレイユは待機した。シスララの槍が、すれ違いざまに怪物を切り裂く。鮮血が飛び、悲鳴があがる。飛来した主人を、ソレイユは空中で受け止めて回転した。飛竜独特の、重心を空中に固定する技術で、彼は自らに滑車のような役割を与えた。
 シスララはソレイユから遠心力をもらい、再度上昇した。それと同時にソレイユも移動する。攻撃し、シスララは天井を蹴る。敵と交差すると同時に、ソレイユが別の方向から飛んできている。鋭い爪で敵を攻撃したソレイユは主人を受け止め、今度は壁に向かってシスララは飛ぶ。
 そうして、シスララとソレイユのコンビネーション攻撃が繰り出された。
 目にも留まらぬ空中戦に、サリナは唖然とした。こんな戦い方があったのか。シスララとソレイユの連携はこれまでに幾度と無く見てきたが、更に磨きがかかったようだった。
「へっ。なかなかやるじゃねえか、シスララ!」
 嬉しそうに笑いながら、カインは鞭を振る。同時に、彼は腰に吊るしてあった獣ノ箱をいくつか取り出した。
「行ってこい! シャイニー・スパーダ!」
 放たれたのは、聖なる滝で捕獲された陸蟹だった。青白い炎の姿となった魔物に、カインはさらにラムウのマナを与える。強靭な力と鋭い鋏を持った蟹は、怒涛の雷となってカスバロ=アトモスの下へ突進した。
 それを確認し、シスララは攻撃を締めにかかった。嵐のような竜騎士と飛竜の連続攻撃で、既に悪魔の身体には無数の傷が刻まれている。シスララは高く跳躍し、天井に足をつけた。そしてそれを蹴り、全身を1本の槍と化して敵へ急降下を仕掛けた。
 激しい衝撃が叩きつけられた。醜い悲鳴を上げて、カスバロは落下した。翼を強かに打たれていた。飛行能力を失くして、醜悪な化け物は錐揉み状に回転しながら床に落ちた。
 そこへ、雷帝の力を宿した巨大な陸蟹が襲いかかった。
 風のマナと雷のマナには、優位劣位の関係が無い。従って、ラムウの力を得た陸蟹の爪が、カスバロ=アトモスを腹を切り裂いたもは道理だった。雷撃を帯びた強烈な斬撃に、自ら至高を名乗った怪物は、無様に泣き叫ぶ。
「どうでえ!」
 会心の笑みを浮かべ、カインは拳をぐっと握った。かなり効いたはずだ。あともう少しで、とどめを刺すことが出来るだろう。
「……ん?」
 彼はふと、傍らに目を遣った。そこにはセリオルがいた。ヴァルファーレの鎧を纏った魔導師は、厳しい目をかつての同僚へ向けている。
「なんだセリオル。なんか気になることでもあるか?」
 腰に手を当てて問いかけるカインに、セリオルは沈黙で応じた。ただならぬその様子に、カインは眉を顰める。
 カスバロ=アトモスは床に手をつき、のた打ち回っている。シスララとカイン、瑪瑙の力を持つふたりのリバレーターによる攻撃が、彼に大打撃を与えていた。今や彼の身体よりも随分小さくなってしまった実験用テーブルを支えにし、なんとか起き上がろうとしている。
 その手の動きに、セリオルは反応した。
「……まずい! 皆、すぐに追い討ちを!」
 緊迫したセリオルの声に、カインは敵に目を戻した。セリオルの警告は、いつも重要な事実を知らせてくれる。敵が、良からぬことをしようとしているのだ。
「てめえ! ごそごそしてんじゃねえ!」
 カインは走って近づいた。シスララが着地する。サリナとクロイスも戻って来た。その隣に、アーネスも並ぶ。接近戦の出来る5人が、同時に床を蹴った。
 くるりと、カスバロ=アトモスは振り返った。ぼろぼろになった白衣がばさりと揺れる。その双眸は、怒りに醜く歪んでいた。不気味なマナが立ち昇る。
「許さん……」
 誇り高き研究者は、激しい暴力を受けたことに怒っていた。この私に、あのような仕打ちをするとは、一体何様のつもりか。私はゼノア・ジークムンドの右腕。幻獣研究所の研究員の中でも、実質的にはトップの座にいると言っても過言ではない存在なのだ。オルガマージの実験も成功した。名実共に至高の研究者へと進化したこの私に、あいつらはなんということをするのだ!
「許さんぞ、お前らああああああああっ!!」
 震える怒声は、風のマナを伴う咆哮と化してサリナたちに襲い掛かった。5人は素早く回避した。風の咆哮は実験室の壁を破壊し、施設を揺らす。
「火柱よ。怒れる火竜の逆鱗の、荒塵へと帰す猛襲の炎――ファイラ!」
 悪魔の足元から火柱が立ち昇った。その出現を敏感に察知し、カスバロ=アトモスは跳躍してその場を離れた。実験テーブルの傍からは離れず、怪物はサリナたちを睥睨する。
 腹の口から、丸く固まったマナが放出された。その正体に、サリナたちはすぐに気づいた。烈風の爆弾。それに込められた魔法の力の強さを瞬時に悟り、サリナは背筋を凍らせた。
 高速で飛ぶ風の爆弾をかろうじて回避し、サリナたちは更に突進を続ける。最初に敵に到達したのは、やはりサリナだった。
 彼女はカスバロ=アトモスの目前まで迫って、跳躍した。そのまま、力任せに縦に回転する。炎の車輪となって、サリナはカスバロの顔の前まで跳んだ。
「小賢しいわ!」
 顔の前に来るというのは、カスバロにとっては食べてくださいと言われたようなものだった。口を開く。顎の関節を無視して、大きく口を開く。さあ、マナを吸わせろ。
 だがサリナは、自ら大口に飛び込むような愚かな真似はしなかった。彼女は空中で、マナを解いた。光がふっと弱まる。
「あ?」
 カスバロは口を開けたまま、間抜けな声を出した。何が起こったのか、理解出来なかった。
 その直後、凄まじい衝撃が彼の脳天を襲った。
 サリナはマナを解き、アシミレイトによって増強された力によって、カスバロ=アトモスの脳天に強烈な一撃を叩き込んだ。高速の縦回転によって生み出された一撃は重く、カスバロの目には星が舞った。
「お休みには早いぜ!」
 更に、大きく下げていた下顎にも激痛が走った。クロイスが、こちらは冷厳なる水のマナを纏わせた盗賊刀の峰で、激しい打ち上げ攻撃を行ったのだ。がつんと叩き上げられ、カスバロ=アトモスの顎はガチンと歯の打ち合う音を立てて、強制的に閉じられた。無様な悲鳴が上がる。
 巨人はよろめいた。そこへ更に、カイン、アーネス、シスララの攻撃が畳み掛けられる。風のマナで障壁を作るものの、それもすぐに破られた。攻撃しながら、カインは感じていた。やっぱりこいつは、力を手に入れただけの素人だ。マナをどう扱うかなんて、何もわかっちゃいない。
 それだけに、なおさら腹が立った。何も出来ないくせに、アトモスの力を吸収するだけした、このカスバロという男に。彼は、攻撃の手を緩めなかった。このまま攻撃を続けて、撃破してやろうと思った。
「や、やめろ! ぐふっ、おい、こら!」
 腕を翳して身を守りながら、カスバロは情けない声を出した。さっきの咆哮はどこへ行ったのか、攻撃をやめてくれと懇願を始めたのだ。虫唾が走る卑怯者の態度に、カインは更に雷を浴びせる。
「やめ、やめろと言っているだろう! おい、聞こえないのか!? ガフッ、こら、おい、ゲフッ、やめっ、やめろっ、やめろおおおおっ」
 ばたばたと腕を振り回し、カスバロは懇願した。こちらの情けを乞おうとでも言うのか。
「今さら何言ってやがんだ、てめえはっ!」
 苛立ちに任せて、カインは雷の球を作った。サリナがよく使う火球の雷版といった形のそれを、カインは放った。それは多量の電気を撒き散らしながら、おぞましきカスバロ=アトモスに炸裂した。
「がががががががっ! やめ、やべろ、でで、でないと、でないとおおお」
 高圧の雷に痺れながら、カスバロは喋っていた。感電し、涎を垂らし、悲鳴を上げながら、しかし彼は、なおしゃべっていた。
 不気味だった。激しいダメージを受けているはずだ。アシミレイトしたリバレーターたちの総攻撃を喰らったのだ。もういつ、全てのマナを失ってもおかしくない状態のはずだった。
 だというのにこの怪物は、カインの強烈な雷を受けてなお、そのダメージの中でしゃべっていた。まるで――まだまだ余裕があるとでも言うかのように。
「……ぐへへ。ぐえへへへ……でないと……でないとお」
 やがて、放電が終わった。バチバチと空気が爆ぜている。
「何なんだろう……」
 言いようの無い不安感に、サリナは襲われた。口を動かし続けるカスバロは、何か常軌を逸したものに見える。
 カスバロ=アトモスは、立っていた。体中を焦げ付かせ、大きな火傷も負っている。幻獣や塵魔であれば起きないであろうその傷は、紛れも無く彼が、サリナたちと同じく、肉体を持っていることを示していた。その肉体への負荷はもう、限界のはずだった。
「手を止めないでください!」
 カスバロのただならぬ様子に気を取られたサリナたちに、再びセリオルの警告が飛ぶ。彼は杖を掲げ、詠唱した。
「火柱よ。怒れる火竜の逆鱗の、荒塵へと帰す猛襲の炎――ファイラ!」
 風のマナに強い、炎の魔法。セリオルは全力の攻撃を続けた。さきほどは回避された魔法だが、今度は命中させられるだろう。敵はもう、ぼろぼろなのだ。
 その時、にたりと笑った。悪魔の醜い牙の覗く、大きな口が。
「――でないと、こうなるよお」
 ズバン、と大きな音がした。カスバロの足元から立ち昇るはずだった火柱は、何かに遮られたように出現を邪魔され、生まれる前に消えた。マナの残滓だけが漂う。困惑の声が上がる。
 サリナには、見えていた。どうやらカスバロと自分たちの間に、何かの力が生まれた。マナの壁のようなものだ。それがカスバロの足の下まで続いているのだろう。それが、火炎の魔法の出現を阻んだ。
「あれは、まさか……まさか、そういうことか!」
 セリオルの声に焦燥が混じる。フェリオは魔導師の顔を見上げた。眉間に皺が寄せられている。歯を食いしばってもいた。
「何かわかったのか?」
 対照的に、彼自身は落ち着いていた。冷静にならなければならない。これから何かが起こるのだろう。その起こったことに、冷静に対処しなければならない。考えるのは、自分とセリオルの役目なのだ。
「ええ。あれです。実験テーブルの上の、あの素体」
 施設が鳴動する。しっかり床に立ち、フェリオは目を凝らした。カスバロのすぐ傍、実験テーブルの上に横たえられた、あの薄緑色の実験素体。魔物か、あるいは塵魔や幻魔へと至る途中なのか、もしくはその失敗作か。あんなところに置いてあるということは、失敗作の可能性が高い。フェリオは、そう考えていた。
「あれが?」
 問うが、セリオルはこちらを見なかった。じっと前を、カスバロと実験素体とを見つめている。
「ずっと不思議でした。アトモスと融合し、我々と同じような力を扱えるようになったとはいえ、彼は頑丈すぎる。我々の総攻撃のほとんどを受けては、瑪瑙の座の力を持つカインやアーネスであっても、あんな風に立ってはいられないはずです」
「……確かに」
 セリオルの声は、何かを確信していることを感じさせた。フェリオは短く相槌を打って、次の言葉を待った。
「後ろ盾があったんです。彼の戦闘を支える、強い力が。その力があったから、彼はあれほど余裕があった」
「それが、あの素体だっていうのか?」
 フェリオの質問に、セリオルは頷いた。フェリオは素体に目を戻す。
 薄い緑色の身体。頭部に生えた翼。手足を覆う金属質の爪。女性のような体つき。背中にある1対の翼。カスバロに力を与えていたもの。
 その素体が、口を開いた。
 甲高い悲鳴のような声が上がった。途端、見えない壁の向こうで暴風が吹き荒れた。あらゆるものが風に舞った。その中で、カスバロ=アトモスはじっと佇み、にたにたした笑いをその顔に貼り付けていた。実験素体が光を放っている。風のマナの光に似ている。
「傷が……癒えています……」
 信じられない思いで、シスララは呟いた。カスバロの身体中に刻まれた、彼らの攻撃によってついたあらゆる傷が、次々に癒えていった。カインが舌打ちをする。
「どうなってやがる」
 一方、フェリオは頭に浮かんだ考えに、思わずかぶりを振った。考えたくはないことだった。だが、一度思いついてしまった考えを否定する材料を、彼は持ち合わせてはいなかった。
「……まさか、セリオル」
「……ええ」
 カスバロの傷はどんどん癒えていった。もはや背後の素体が関係していることは明らかだった。
 悲鳴が細くなっていった。風が止む。壁が消えたのか、空気の動きが戻った。
 すべての傷が消え、更に身体が大きくなったようだった。マナの充実を感じさせる光を放ちながら、カスバロはにやりと笑った。実に嬉しそうな笑みだった。
「あの城で聞いたことに、こんなところで会うことになるとは、皮肉なものです。半年前までゼフィールに座していたはずの、風の幻獣。瑪瑙の座の美しき風魔――ガルーダ」