第166話

 闖入者の戦闘能力に、アーネスは驚きを隠せなかった。
 雪に埋もれてほとんど死にそうだった男、ギルは、セリオルの薬を飲んで回復し、またサリナたちが持っていた携帯食料――スモークディアなど――を食べて体力を取り戻した。
 身体に活力が戻ると、ギルはサリナたちに劣らぬ動きを見せた。彼の運動能力は大したものだった。速さや瞬発力なら誰にも負けないサリナにすら、彼はほとんど追随してみせた。
 筋力も相当なものだった。あの細い腕のどこにそんな力が秘められているのかと不思議なのはアーネスで、彼女は大きな盾と重い剣を軽々と扱う。仲間たちを守り、敵を斬り捨てるための重要な能力だが、ギルはそのアーネスに匹敵する腕力を見せた。
 また、彼はサリナたちには無い能力を持っていた。
 サリナたちは皆、得意とする武器がある。サリナは棍、セリオルは杖、カインは鞭、フェリオは銃および重火器、クロイスは短剣・盗賊刀と弓、アーネスは剣、シスララは槍。裏を返せは、彼らは得意とするもの以外の武器を扱うことがほとんど出来ない。
 だがギルは、あらゆる武器を操った。彼は雪の中に、何本あるのかと問いたくなるほど大量の武器を埋もれさせていた。
 それらの武器を、彼は背中に担いで歩いた。剣、棍、槍、鞭、銃、短剣、弓、爪。そして腰にはトンファー。状況に応じて彼は素早く持っていた武器を所定の鞘やホルスターに収め、別の武器を取り出して構えた。まるで腕が4本も6本もあるのではと思わせる早業だ。
 そんなにたくさんの武器をどうやって調達したのかと訊ねられると、ギルはこう答えた。
「襲ってきた野盗やら山賊やらから奪った」
 何でもないことのように笑いながら、彼は言った。だがその意味するところを悟って、アーネスは戦慄した。
 彼はどうやら単独で行動している。仲間や相棒といった存在は、彼にはいないらしい。だとすると、彼はこれまでに幾度も、襲いかかって来たならず者たちを返り討ちにしている。それもそこらのゴロツキ程度の連中ではなく、相当な手練のいる大規模な悪党たちを――彼の武器は、どれも一級品と呼んで差し支えない、良質なものばかりだった。
 フェイロン村のローガンもそうだったが、アーネスは再び認識を改めた。
 世界には、まだまだ見知らぬ武芸者がいる。このギルなどは、王国騎士団の隊長を張ってもまったく問題無い腕だ。いや、むしろアーネスを含む隊長たちよりも、さらに強いのではないか。
「ギルさんはどうしてファンロンの総本山を目指してるんですか?」
 険しく、無数の罠が仕掛けられた厳しい山を登る最中でありながら、サリナの声は弾んでいる。仲間たちと力を合わせ、気合を入れていないと進むことの出来ない難関を突破していく中で、彼女は束の間、様々な悩みや思いを忘れていた。ギルの底抜けに明るい声や態度も、それにひと役買っているのは間違い無かった。フェリオは、そしてセリオルは、そのことにこっそり感謝した。
「んー。まあなんだろな。大した理由はねえんだけどさ。ただまあ、あれだな。気になるんだよな」
 なんだかふわふわした回答に、サリナは首を傾げる。
「気になる?」
「うん。こんなきっつい山の、こんなわけわかんねえ罠を突破しねえと拝むことすら出来ねえんだろ、総本山ってやつは」
「そうですね」
「ってこたあさあ、きっといるよな、すげえ強いやつらがさ」
 そう言ったギルは、サリナを見てにやりと笑ってみせた。強敵と相対した時にカインがよく見せる笑みとよく似ていた。獰猛さという点で。
「は、はい……そうですね、たぶん」
 護身のためという理由で武術を始めたサリナには、ギルの感覚は理解出来なかった。強いひとに会って、どうするのだろう。勝負を挑んで、自分のほうが強いかどうかを確かめるのだろうか。そんなことをして、何の意味があるんだろう?
 サリナにとって、戦う力は守る力だ。自分を守り、仲間を守り、大切な世界を守るための力。だから彼女は、自分が誰かより強いかどうかということを気にしたことが無い。そんな価値観を想像したことすら無かった。立ちふさがる敵を打ち破ることが出来るかどうか、それが彼女にとって最も大切なことだ。
 でも、とサリナは考える。確かに、自分がどれだけ強いのかを確かめたいという思いは、武芸者なら持っていてもおかしくないのかもしれない。
 例えばアーネス。騎士団の中の序列において、彼女は最上位に近い位置を占める。それはきっと、模擬試合か何か、あるいは過去の遠征その他での戦闘実績が評価されてのことなのだろう。ということは、彼女は団内の強さの序列においても、やはり最上位に近いところにいるはずだ。
 騎士隊長になるというのは、騎士にとっては憧れなのだろう。誰もがそこを目指し、強さを磨いているのだろう。ということは、騎士という身分のひとたちもまた、自分の強さがいかほどであるかを常に意識し、暮らしているはずだ。
 そんなことを、サリナは黙して考えた。ふんふんとひとり頷いては、ギルに不思議そうな目を向けられている。サリナ自身は気づいてはいないが。
「……あれ、でもそしたら」
「ん?」
 顔を上げて呟いたサリナに、ギルが問い返す。
「じゃあギルさんは、ファンロン流を学びたいわけじゃないんですか?」
 その質問に、ギルは瞬間、ぽかんと口を開けた。その反応にびっくりして、サリナもぽかんと口を開ける。
「……おお、そだな。確かにそっか、普通は入門したい奴しか来ねえか、こんなとこ。はっはっは」
 上を向いて快活に笑うギルの不思議な雰囲気に、サリナも顔が綻ぶ。
「あはは。でも、それだけなのにこんな危ない、命懸けの場所に来るなんて、すごいですね」
 笑いながら、サリナはそう言った。それは何気ないひと言だった。彼女はただ、強者の存在を求めて厳しい山を進むギルがすごいと思った。だからそう言った。ただそれだけのことだった。それは、単純な賛辞だった。
 だが、その言葉を聞いた刹那、ギルの雰囲気が変わった。
 隣を歩いているサリナだから気づいた変化かもしれなかった。後ろを歩く仲間たちにはわからなかっただろう。その変化はごく短く、次の瞬間には元のギルに戻っていた。
 だが――その一瞬、確かにギルは、その瞳に冷たい炎を宿した。世界の全てを凍てつかせる吹雪のような、それでいて全てを呑み込む獄炎でもあるかのような、そんな凄まじい光だった。
「はっはっは」
 再び、ギルは笑った。驚いて足を止めたサリナを振り返って、軽快に。その笑い声にはっとして、サリナは足を前へ進める。
「気になることのために命懸けなきゃ、つまんねえじゃん。せっかくこの世に生まれたんだからさ。俺は自分がしたいと思うことのために生きるし、そのための命だと思ってるぜ」
 ギルは笑っている。
 サリナは何も言えなかった。
 生き方、ってどういうことだろう。ギルの言葉に、サリナはそんな思いを抱いた。
 フェイロンにいた頃、サリナは王都の役人を目指していた。老いた身で自分を養ってくれた祖父母に恩返しをするためだった。高水準の給与を安定して受け取ることが出来る王都役人は、サリナにとっては憧れの未来だった。祖父母への感謝のために、彼女はその道に進みたいと思った。
 誕生日の夜、セリオルからエルンストのことを告げられて、彼女は旅に出た。いつ終わるとも知れない旅。この旅が終わって、父と共にフェイロンへ戻ったら――その先、自分はどうやって生きていくんだろう。いや、そもそもフェイロンへ戻るのだろうか。父は幻獣研究所の所長だ。王都で、仕事を続けることになるのだろうか。その時、私は……?
「……誰かに与えられたりするもんじゃないよな、生き方ってのはさ」
 ギルの明るい声が、サリナの胸に重くしみこんでいった。

 登山は8合目まで進んだ。標高が高くなればなるほど、罠の凶悪さも増し、魔物も強くなっていった。 曲線を描いて飛来する鉄の手裏剣には手を焼いた。アーネスの光の盾も使うことが出来ず、ほとんどを回避してやり過ごさなければならなかった。
 解除はサリナが行った。手裏剣をかわしながらの身のこなしは流石だった。
 手こずったのは鉄の壁だった。
 信じがたいことに、途中の絶壁に分厚く巨大な鉄板が貼り付けられていた。埋め込まれた大きな鋲以外に凹凸は無く、極めて平滑なその板を、サリナたちは登らなければならなかった。
 氷の壁のほうがまだましだった。ハーケンを打ち込んでザイルを使い、アイゼンをしっかり食い込ませれば登ることが出来たからだ。
 だがマナが使えない状況で、平滑な鉄の壁を登るのは至難の業だった。
 黒魔法や風水術が使えれば、氷を生み出して足場を作ることも出来ただろう。サリナの浮揚の魔法で一時的に宙を舞うことも出来ただろう。獣ノ箱で呼び出した炎の魔物、あるいは幻獣たちの力を借りて登ることも出来たかもしれない。
 だが、その全ての手段は封じられていた。
「……どうしたものでしょうね、これは」
 8人は鉄の壁の前で呆然と立ち尽くした。よじ登ろうにも足がかりが無い。
「他の道は無いのか?」
 フェリオがそう言ったが、答えは彼自身もよくわかっていた。他のルートがある可能性は低いし、あったとしても当ても無く探して遭難でもしては事だ。
 しばらく沈黙が落ちた。
 存在しないと思われる他のルートを探しに出るか、あるいはこの鉄壁を登るための道具を揃えにマリへ戻るか。どちらにせよ、大幅な時間のロスになることは確実だった。一刻も早く総本山へ到達したいサリナたちにとって、どちらも選びたくない道だ。
「……仕方無い。マリへ戻って道具を揃えよう」
 考えた末、フェリオがそう結論づけた。仲間たちから、諦めと共に同意の言葉が出る。他のルートを探しているうちに陽が暮れては、元も子も無い。
「なあ、あの罠復活してたりしねーよな……?」
 きびすを返して歩き始めた時、クロイスが言った。仲間たちの足が止まる。
「ヤなこと言うなよ……」
 げんなりした顔のカイン。ここまで乗り越えてきたいくつもの罠が、もし再び起動していたら。あれらをもう一度クリアし、そしてマリからここへ戻ってくる時にもまた、突破しなければならない。
 サリナたちは揃って肩を落とした。
「おー? おいおい、どうしたよ? はっはっは」
 しかしギルだけはやはり明るい。どれだけの苦労を伴うのかわからないのか、という目を向けたフェリオに、ギルは軽い調子で言う。
「なあ、あれもココに仕掛けられた罠の1コなんじゃねえの?」
 親指で背後を指しつつ、ギルは当然の指摘をした。
「まあそうでしょうね」
 アーネスが返事をした。腕組みをして、少しだけ退屈そうに。
「だったらさー」
 言いつつ、ギルはサリナたちに背中を向ける。ぐっと伸びをして、彼は深呼吸をした。状況にそぐわぬリラックスした様子に、サリナたちは顔を見合わせる。
「ん〜〜〜〜……っと」
 伸びを終えて、ギルは両腕と両脚をぷらぷらさせた。
「ギル、話があるなら、悪いけど手短に頼むよ。急いでるんだ、俺たち」
 棘が立たないよう、気を遣ってフェリオは言った。ギルの笑い声がそれに答える。
「おー、はっはっは。わりいわりい」
 再びこちらに向き直って、ギルは爽やかに結論を口にした。
「いやさ、今までのアレで言うとさ。解除するやつあるんじゃねえの、あれにもさ」
「…………」
 果たして解除装置は鉄壁の足元にあった。それがあまりにもあっさり見つかったことに、セリオルとフェリオのふたりは大変落ち込んだようだった。サリナたちは単純に安心したのだが、そのふたりだけは違っていた。
「“罠”って言葉に踊らされた……」
「あんな基本的なことを失念してしまうなんて……」
「突破できなければ解除すればいい。これまでずっとそうしてきたのに……」
「危険を伴うものだけが“罠”ではない。その程度の発想も出来なかったとは……」
 鉄壁の前にあった岩に腰を下ろし、示し合わせたように交互になんだかブツブツ言っている。ひと通りのブツブツが終わると、ふたりは声を合わせて同時に叫んだ。
「これじゃあツインブレインズの名折れだ!」
「……何それ、あんたたちの正式なコンビ名だったの?」
 呆れた様子で冷静に突っ込むアーネスに、セリオルとフェリオは耳まで赤くした顔を向けた。
 解除装置を操作すると、ガコンと大きな音がして、鉄の壁が動いた。
 どういう仕組みだかわからないが、壁のところどころがへこんだ。かと思うと、そのへこんだところから分厚い木の板がせり出してきた。それは飛び飛びながら階段状の姿を取り、どうやらそれを足場として壁を登れということらしかった。
 解除してしまえば、どうということもなかった。これまでの罠もそうだったが、解除すれば完全に安全なのだ。足場にはそれ以上の仕掛けは施されておらず、サリナたちは鼻歌まじりに、ひょいひょいと登っていった。
 壁の高さはかなりのもので、建物で言えば3階建てを優に超えただろう。これほどの仕掛けをどうやって造ったのか、サリナは想像して困惑する。どれだけの人手と時間と金が、この総本山へ続く道のりに費やされたのか。また、そうまでして来訪者を拒絶する――あるいはその身体能力を試す――必要があるのか。生半可な実力の持ち主では門をくぐることすら許されぬということだろうが、ここまでしなくてもいいのでは……そう思わずにはいられなかった。
 壁を登り終え、サリナは眼下に広がる雲海を見た。
 マナを使わず、ここまで登ってきた。それは不思議な達成感を生み、サリナを高揚させた。
 サリナは、マナを恐れているわけではない。ゼノアがサリナの共鳴度向上を狙っていることがわかっても、なおマナはサリナにとって、親しい存在だった。
 彼女は物心のついたころから、ダリウによって白魔法を教えられていた。彼女の人生には常にマナが共にあったのだ。
 サラマンダーのことも好きだった。あの少年のような、しかし深い知性と経験を感じさせる炎の竜。時々交わす彼との会話は楽しかった。サラマンダーは幻獣――神でありながら、サリナのことを親身になって心配してくれた。
「……俺たち、いつの間にかマナの力にすげー頼ってたんだな」
 クロイスが呟いた言葉は、仲間たちの思いを代弁していた。誰も答えはしなかったが、沈黙の中に肯定があった。
 彼らは考えていた。
 もしもこの先、この山のようにマナを封じられた場所を進まなくてはならなくなったら。そこに、ゼノアの手による強力な刺客が送り込まれてきたら。各自の特殊技能を使わず、戦いぬくことが出来るだろうか。
「少し、反省しないといけませんね」
 ソレイユの顎をなでてやりながら、シスララが言った。
 その時、強い風が吹いた。この標高での突風は暴力的だ。防寒着を着ていても、氷のような冷たさに身体が竦む。サリナたちは一様に身を硬くした。
「あっ」
 その声はカインのものだった。強風の中、妙にはっきりと響いた。
 目を向けた時、カインの身体は崖の向こうへ投げ出されていた。
「カイーーーーーーン!!」
「兄さーーーーーーん!!」
 急いで腕を伸ばした。だが、届かなかった。カインの身体は崖の下へ消えた。
 心臓が無くなったような絶望感がサリナたちを襲う。
 崖の下は凍った地面だ。叩きつけられればタダでは済まない。カインのことだ、さすがに無防備に背中から落ちることは無いだろうが、それでも大怪我を負うことになるだろう。場合によっては骨を――背骨を折ることもありうる。いや、打ち所が悪ければ――
 全員が、その最悪の可能性を脳裏に描いた。
 雪を蹴って崖の淵へ追いすがる。だが、既にカインとの距離は開きすぎていた。
 舌打ちをして、カインは鞭を取り出した。
 油断した。無事に登れたことで安心して、崖の傍で身体を大きく開いて深呼吸をしていた。そこへ正面から突風が来た。彼の身体は、その最大の面積で風を受け止めてしまった。防寒着によって普段より面積が増していたことも不運だった。
 素早く鞭を振る。伸びた高山飛竜の皮は、足場となった木の板に巻きついた。うまく絡まり、カインの体重を支えてくれる。
「……ふう」
 上で仲間たちも安堵の声を上げている。やれやれ、みっともねえとこ見せちまった……そう思った矢先だった。
 しゅる、と嫌な音がした。
 不運なことに、足場板は滑らかな板だった。摩擦がやや少なかった。大人が体重をかければ十分安定して乗ることが出来たが、上質な皮革材である高山飛竜の皮とは相性が悪かった。
「おい……おいおいおい!」
 慌てて、カインは身体を揺らした。近くの足場板へなんとかしてよじ登らなければ。
 だが、それが悪かった。
 体重を移動させたことで、鞭はますます巻きついた足場板から解け始めた。気が急く。あれが外れるとまずい。心臓が収縮するのを感じながら、カインは板を求めて腕を伸ばす。
 指を引っ掛けることさえ出来れば何とかなる。1本の指で自分の体重くらい支えられる。指さえかかれば、指さえ。あと少し、あと少しだ……
 ぎりぎりと伸ばした腕。その先の手、そしてその先の指。それが、隣の足場板に触れた。
 だが、滑った。
 ほんの少し摩擦が弱かった。それがカインの指を、無情にも見捨てた。
 力を込めていたカインの腕は、大きく宙を切った。姿勢が崩れる。体重が移動する。鞭が解ける。
 頭が下を向く。姿勢が制御できない。鞭が解けていく音。耳元で鳴り響く心臓の音。眼下に広がる氷。鞭が解ける。
 カインは落下した。
 仲間たちの声。鞭をもう一度振りたい。だが崩れた姿勢では、正しい方向へ鞭を向けることは出来なかった。空を切る小気味良い音は、空を切るだけに終わる。
 なんとかして姿勢を制御する。頭から落ちるのは避けなければならない。焦りながらも、カインは冷静だった。頭と背中はダメだ。腰もまずい。出来れば肩だ。落下の瞬間に転がって衝撃を逃がすことが出来る。
 そう考えて身体を回転させようとした時、下から衝撃があった。
「ぐおっ」
 うめいて、カインは状況を理解しようとした。
 身体は浮き上がっていた。落下していたはずが、なぜか上昇していた。そして彼は、足場板の上に投げ出された。ごろりと転がって、また落ちそうになるところをなんとかへばりつく。慌てながらも、彼はかろうじて落下を免れた。
 肩で息をつく。心臓がけたたましい音で鳴り響いている。汗がどっと噴き出す。
「た……助かった、か……?」
 顔を上げる。身体を起こし、足場に座った。それにしても何が起こったのかわからない。
「やー、危なかったじゃん」
 声は上から降ってきた。
 見上げると、ひとつ向こうの足場に、ギルがいた。赤と黒の派手な服で、こっちを見ている。暢気な顔で、笑っているわけでもなければ心配しているわけでもないようだった。
「お、お前が助けてくれたのか、ギル」
 震えそうな声をなんとか制御して、カインは訊ねた。ギルは明るく笑う。
「はっはっは。まーそんなとこだな」
「さ、さんきゅー。危なかったぜ……」
「おー、いいってことよ。はっはっは」
 あくまで軽い調子のギルに、カインも笑みをこぼした。崖の上から、仲間たちの声が聞こえる。上を向いて、カインは手を振った。
 無事な様子のカインを見て、サリナはほっと安堵の息をつく。
 そして、さっき見た光景を思い返した。みんなは気づいただろうか。
 ギルが、空中を蹴ってカインを助けたことに。