第167話
石と木で造られた巨大な門には、重厚な瓦の載せられたどっしりとした屋根がついていた。銀華山の厳しい気候に晒され続けているためだろう、いたるところに傷みが出ているが、その損耗ぶりまでもがこの荘厳な門に、威圧感を漂わせていた。 8人は、門の前に立ち尽くしていた。 不思議なことに、門の様相はサリナの故郷、ハイナン島の伝統的な建築様式とよく似ていた。遠く離れた辺境の島の文化が、なぜこんなところで見られるのか。サリナにはそれが不思議だった。 門は、地上を見下ろす無骨な偉丈夫を思わせた。優美さや華麗さなど欠片も無く、あるのはただただ質実剛健、力の世界で生きる者たちを象徴する実直さのみだった。 門は開かれていた。外へ向けて、開け放たれている。 「……行きましょう」 緊張した面持ちのサリナが仲間たちに声を掛けた。口々に返事をしたり頷いたりしながら、8人はその門をくぐった。 中は静かだった。稽古の声やらで満たされた状況を予想していたサリナたちは、寒風の吹きぬける閑散とした場内に拍子抜けした。 敷地は広かった。この峻険な銀華山のかたちを利用して造成されたらしき敷地は、平らにならされたいくつかの場所が長い石段によって繋がれており、その平地ひとつひとつに複数の建物がまばらに配置されていた。 石と木と瓦。建物の造りは門とよく似ていた。瓦のみが褪せた朱色――かつては美しい色だったのかもしれない――で塗られているが、他は全て自然の色のままだ。 草木も、まばらにではあるが植えられていた。樹種はよくわからないが、大きなものから小さなものまで、様々な植物が存在している。 小規模な菜園も見られた。この寒い世界で、青々とした野菜の葉が風に揺られている。この場の景色の中で唯一、植物たちだけが生命の強さを漲らせているようだった。 「なんか、意外とあれだな」 カインは、彼らしくなく、なんだか遠慮がちだった。 「うん……なんか、意外とな」 クロイスも、彼らしくなく、なんだか遠慮がちだった。 「ちょっとやめなさいよ……ね」 アーネスは、彼女らしくなく、なんだか諌めるのも勢いが無い。 「静かで、穏やかで、良いところですね」 シスララは、彼女らしく、柔らかな微笑みを浮かべてのんびりしている。 「さっきまでの罠が嘘みたいだな」 フェリオは、彼らしく、冷静に分析していた。さっきまでのあの苛烈さと、この静けさのギャップ。これは一体、何だ? 「どうやら、ひとはいるようですね」 セリオルは、彼らしく、仔細に状況を観察していた。まばらに並ぶ建物のひとつ、あれは宿舎だろうか。その建物の煙突から、煙が上っている。食事の準備でもしているのか。 「ここが、総本山……」 サリナは、彼女らしく、僅かに高鳴る鼓動に戸惑っていた。初めて王都を訪れた時の感覚に似ていた。ついに来た――ローガンに言われた、ファンロン流武闘術、総本山。 「やー、はっはっは。なにこれ。寂れてるじゃん!」 そしてギルは、彼らしく、何の遠慮も躊躇も無い声でそう言った。 「おいギルお前な!」 あの鉄の壁での落下を救われてから、信頼関係が強固なものになったのか、カインとギルは急速に意気投合した。そのカインがギルを小声でたしなめようとするが、その目は笑ってしまっていた。 「そーだぞお前、サリナの気持ちを考えぷくくくく」 クロイスに至ってはもう笑っていた。なぜかサリナが顔を赤くする。 「はっはっは……えー。これほんとに強いひといんの?」 両肩を落とし、あからさまに落胆した様子のギルに、答える者は誰もいなかった。 「しっ。ちょっとあんたたち、やめなさいって」 その代わり、アーネスが小声ながらも鋭く3人を諌めた。サリナが苦笑いを浮かべる。 とはいえ実際、カインたちが言うとおり、あまりにもひと気が無い。奥に見える道場らしき建物からも、ひとの声などは聞こえてこない。途中の山道ではあれほど手荒い歓迎をしておいて、到着した途端にあまりにも肩透かしである。 来訪を迎える者はいなかった。進んで良いものかどうか迷いながらも、ひとまずサリナたちは、総本山の門弟の姿を探した。 「サリナ、師匠からは何も聞いてないのか?」 セリオルが誰かいるはずだと推測した宿舎と思しき建物へ向かいながら、フェリオが訊ねた。サリナは首を振る。 「うん、行ってみろって言われただけで……。どんな場所なのかって聞いておけばよかったね」 「ま、仕方無いな」 フェリオにしては気楽な様子だった。激しい罠を突破してたどり着いた静かな場所で、安堵しているのだろうか。 「あれえ?」 その素っ頓狂な声は、後ろから聞こえた。 振り返ると、そこには少女がいた。少々汚れた、武道の稽古着らしきものを着ている。両手で水の入った桶をぶらさげている。振り返って気づいたことだが、門塀の隅に、水盆が設えられた水汲み場があった。 「お客さんじゃん! うわあこんな大所帯で!」 よほど驚いたのか、少女は水の入った桶を取り落とした。水が地面にこぼれ、少女はしぶきが道着にかからないように跳びのいた。 「うわわわ、ちょちょ、ちょっと待っててくださいね!」 「あ、ちょっと!」 ばたばたと慌てて、少女はアーネスの呼びかけも耳に入らぬ様子で、宿舎らしき建物へ向かって走り去ってしまった。あとには地面に転がった桶だけが残る。 「あんなに驚かなくてもいいのにな」 「あの罠を8人もいっぺんに突破してくるとは思わなかったんだろうな」 口を尖らせるクロイスに応じながら、フェリオは胸中で首を傾げる。 罠は、単独で突破を試みるほうがよほど難しいに違いない。むしろ彼は、8人だったからこそ突破出来たのかもしれない。無論、事前に罠の性質がわかっていれば、対策を立ててひとりで挑戦することも可能だっただろうが。 だがそれにしても、この寂れようはどうだ。門へたどり着くことすら極端に難しいとはいえ、門へいたるまでの途中もギル以外の者は全く見ず、またここへ到着してもひとの気配が妙に薄い。 罠の凶悪性が、訪れる者を減らしている。フェリオはそう結論付けた。 自分たちだから突破出来たが、一般的な武芸者には難しいだろう。何度も麓のマリまで戻り、対策を立て、再挑戦する。それを幾度か繰り返さなければ、恐らく門へはたどり着けまい。 ファンロン流は、新たな門弟の獲得に積極的ではないのだろう。だがそれにしても、狭き門をさらに狭めすぎてはいないか。これでは今後、ファンロン流を志して総本山を目指す者自体がいなくなってしまうのでは。 そんなことはこの総本山の者たちもわかっているだろう。そのリスクを冒しても、あの罠を解除するわけにはいかないのだろうか。だとすれば、これほど頑なに新たな来訪者を拒絶する、あるいは厳しく試すだけの重大な何かが、ここにはあるのか。 「やや、やややや、これはこれは皆さん! ようこそファンロン総本山へ!」 「え?」 聞こえた声に顔を上げる。いつの間にか、丸眼鏡をかけた若い男が来ていた。調理の途中で抜けてきたのか、割烹着と三角巾をつけたままだ。細い目と広めの額の気弱そうな男で、割烹着が妙に似合っている。 「私、ご案内役のルァンと申します。ささっ、どうぞこちらへ。さささっ」 「ええっ」 ルァンの声に合わせてサリナの背中を押すのはさっきの少女だ。 「早く早くっ! いいからほらほら!」 「えええっ、ちょっとあの、ええっ」 戸惑いながらも、サリナは足を前へ進める。悪いひとたちではなさそうだった。まずは状況を聞くために、建物の中へ入ってもいいだろう。せっかく招かれたのだ。 そう考えながら、頭の別のところで、サリナはこうも思っていた。 この高山であんな軽装。そして軽い身のこなし。背中を押す少女は、ただものではない。そしてあの樹木と菜園。登山道にはその標高のため、植物はほとんど存在しなかった。そんな場所で力強い緑を見せる植物たち――この場所には、何かある。 サリナたちが提供した食材も使い、質素ながら滋養の多そうな食事を、ルァンは振る舞ってくれた。菜園で収獲したという野菜は肉厚で新鮮で、味付けはやや濃いめだった。武道の稽古等で多量の汗をかき、身体の塩分が失われるからだろうとサリナは推測した――稽古をしている様子は無かったが。 |