第17話

 チョコボの背に乗って草原を駆け抜ける。晴れ渡った空の下、首筋を爽やかな風が吹き抜けていく。どこまでも広がる草原。西の遥か彼方に美しい山並みを眺めつつ、サリナたちは先を急いだ。鞍は座り心地良く、旅は快適だった。
 ロックウェルを旅立って数日が経過していた。チョコボ購入の後、サリナたちは荷物をまとめにいったんスピンフォワード兄弟の家へと戻った。その間にマリーがチョコボたちに鞍を取り付けてくれていた。
 見送りは大げさなほど賑やかだった。シドやマリーに、シドから知らせを聞いたウッドマン夫妻にその家族までやって来た。飛空艇のことは任せておけと大声で叫ぶシドは、空に向けて拳を高く突き上げた。サリナとすっかり仲良くなったマリーは、必ずまた遊びに来てと言ってやまなかった。ついでに厩舎から出てきたチョコボたちのクエクエと甲高い見送りの歌まで加わり、ウッドマン家の感謝の言葉がそれに混じった。
 その光景を思い出して、サリナはつい頬が綻ぶのだった。
 アイリーン・ヒンメルは快調に飛ばしていた。サリナ本人に鞍、それに旅の荷物を背負っても全く負担にならないようだった。マリーの厩舎は、チョコボをよく訓練していた。
 サリナ以外の男3人のチョコボたちも、それぞれ元気良く大地を蹴っていた。気のせいか、サリナは3人のチョコボがそれぞれの主に顔つきが似ているように思えた。
 わかりやすいことに、3人のチョコボはそれぞれのリストレインと同じ色の毛並みを持っていた。区別がつきやすいようにと示し合わせたことだった。サリナのアイリーンだけが真紅ではなく通常の黄色い毛並みだったが、見分けるという意味で問題は無かった。またチョコボたちには胸の前に木製のネームプレートが装備された。鎖によって鞍に結び付けられたプレートを、チョコボたちは誇らしげに掲げて走った。
 セリオルのチョコボは翠緑色の毛並みのメスで、ブリジットと名づけられた。ブリジット・シャルパンティエ。気取った名前だとカインはからかったが、誇り高そうな表情にはよく似合っていた。
 カインは自分の選んだ紫紺色のオスチョコボを、ルカと命名した。彼の親はダンジェロといったので、フルネームはルカ・ダンジェロとなった。いたずらっぽい瞳の元気なチョコボで、マリーによると彼の特筆すべき点は、類まれなる気まぐれ性だという。
 銀灰色の毛並みのオスチョコボが、フェリオのチョコボとなった。彼はフェリオからエメリヒという名を受け取り、彼のネームプレートにはエメリヒ・ノルデと記された。理知的で沈着とした佇まいの美しいチョコボだが、大地を蹴るその脚は逞しく、力強い。
 色とりどりのチョコボたちは風となって草原を駆け、やがてサリナたちは山肌にぽっかりと開いた洞窟の入り口へと到着した。
「はー。ここですか。お尻が痛い」
 アイリーンの背から降り、尻をさすりながらサリナが言った。
「いやいや、確かに。さすがに遠かったな」
 カインがサリナと並んで尻をさする。セリオルが笑い、フェリオは苦笑まじりの溜め息をついた。
「なんだふたりとも。それ流行りか?」
「おう、知らねえのフェリオくん。今や王都で大流行のお尻さすさす」
「はいはい」
 フェリオはぽんぽんと兄の肩を叩き、反対の手にエメリヒの手綱を握って洞窟へと踏み込んだ。
「私たちも行きましょうか」
 フェリオにセリオルが続き、慌ててサリナがアイリーンとともに追いかけた。カインはルカの顔を見上げた。主人とチョコボは同時に溜め息をついた。
「人生で最も大切なものは何か? それは笑いと娯楽だ。そうだよなルカ」
 ルカ・ダンジェロは主人に同調するように、ひと声啼いた。

 洞窟はセルジューク地下洞穴と呼ばれた。群島大陸と呼ばれる、セルジュークのインフェリア州、セレスティア州、そしてスペリオル州。3つの大地を地下で結ぶ洞穴である。ヴェルニッツ大河を渡らせる橋を架ける技術がまだ無かったころ、大河の下を通るように繋がっていた天然の洞窟がイリアス王国によって整備された、大昔から存在する旅の要衝である。現在ではヴェルニッツ大河にも橋が架けられ、使う者は稀だった。
「なんでこんなとこを通らないといけないんですか」
 使われなくなって久しいため、洞穴内はすっかり苔むして足元が滑った。ヴェルニッツの下を通っているため湿気も多く、場所によっては天井から水が染み出して地面を穿っていた。不満を口にしたカインは湿気た場所が苦手なのか、すっかり憂鬱そうだった。
「それはねカイン君、カルデロン大橋が落ちたからですよ」
「ええい、知ってるってのそんなこと」
 セリオルに言い返して、カインは足元に転がっていた石ころを鞭で弾き飛ばした。石ころは天井から滴る水の溜まった淀みに消えた。
「でもカインさん、フェリオ、西ヴェルニッツが氾濫したっていうのは騒ぎにならなかったんですか?」
 アイリーンの頬を撫でながらサリナが尋ねた。この質問にはフェリオが答えた。彼は頭の上に水が落ちてきはしないかと気が気でない様子だった。
「俺たちもフェイロンに行ってたからな。帰ったころにはその話題はもう世間じゃ当たり前のことになってたらしい」
「あ、だから耳に入らなかったんだ」
「俺たちも驚いたよ。マリーから聞いた時は」
 西ヴェルニッツが自らに架かっていたカルデロン大橋を崩落させるほどの氾濫を起こしたのは、スピンフォワード兄弟がハイナン島に発った直後だったらしい。ロックウェルを出発する直前、何の気無しにマリーが口にしたひと言がサリナを除いた皆を驚愕させた。
「先生も何も言わなかった。当たり前のことすぎて忘れてたんだろうな」
「でも良かったよね、ここが使えて」
 サリナはそう言ったものの、洞穴を進むのは骨が折れた。中はすっかり荒廃しており、魔物の巣窟だった。地上でよく見かける獣の眷属はいなかった。じめじめした環境に適合した不気味な魔物ばかりが現れ、サリナたちをうんざりさせた。中でも巨大なナメクジの魔物が出現した時には、サリナは大声を上げて逃げ出してしまった。彼女の逃げた先にいた巨大蝙蝠の魔物は、気の毒なことに襲いかかる間も無く鉄拳制裁に気を失って落下した。
「お、シザーズ・シャープネス発見」
 カインは毒々しい色の大蟹を獣ノ鎖で捕獲し、上機嫌だった。解放した時、この蟹の魔物は敵を攻撃するだけでなく、術者の得物の威力を高めてくれるらしい。
 歩きながらカインが話したところによると、どんな魔物でも捕獲できるわけではないということだった。獣ノ鎖や箱は一定の法則のマナを内包する魔物にしか効力を現さない。どの魔物がそのマナを持っているのかは、手練の獣使いなら見ればわかるということだったが、サリナにはさっぱりだった。
 足元がぬかるんで歩きにくい洞穴をしばらく歩き、彼らの前にようやく陽の光が現れた。
「お、出口だ出口。やっと外かー」
 サリナたちは洞穴を出たあたりで昼食をとった。フェイロンを旅立って以来、サリナもすっかり野営や屋外での調理に慣れていた。セリオルが各種調味料をふんだんに用立てているため、食材さえあればどこでも調理が出来たし、食事もとれた。セリオルの黒魔法やフェリオの小型機械類が大活躍した。なにしろ火を熾す手間が要らないのが大きかった。
 陽の光の下、チョコボたちは再び元気良く大地を蹴った。方角を見る磁石はセリオルとフェリオが持っていた。ふたりが地図と照らし合わせながら進むため、後ろを走るサリナとカインは気楽だった。
「お、お、お、どうだこれ、おいサリナ!」
 隣を走るカインが大声で話しかけてきた。チョコボたちは風を切って走るのとチョコボが地面を踏む足音とで、普通の声では到底会話など出来ないからだった。
 併走するカインを見て、サリナは思わず吹き出した。そして声を上げて笑ってしまった。
 カインは鐙をぐっと踏んで立ち上がっていた。片手だけで手綱を握り、空いた方の腕を上げてひらひらと揺らしている。滑稽な踊りのように、サリナには見えた。
 カインがそれだけ高揚するのも無理はなかった。自分のチョコボで走るのはそれだけ気持ちの良いものだった。風の峡谷へ向かった時とは全く違った。自分専用のチョコボというのは、一心同体になって走るものだとマリーは言った。その通りだと、サリナも思った。自分を主人としたチョコボとの心の通じ合いに、時間は関係無いようだった。チョコボは、不思議な鳥だった。
「あ、見えてきたよ、アイリーン」
 陽の翳りかけたころ、街の姿が霞んで見え始めた。高い城壁に囲まれた豊かな街。穀倉の街、リプトバーグだ。

 穀倉の街という名は伊達ではなかった。街は城壁に囲まれていたが、田園は城壁など無いかのように街の外まで広がっていた。穀物も野菜も、想像していた以上の量と種類が栽培されていた。牧畜も盛んなようで、牧場のように柵の設けられた広い場所がいくつもあった。
 チョコボたちは街の入り口の厩舎に預けられた。利口なチョコボたちはおとなしく厩舎につながれた。街の出入り口に近いエリアには、牧舎が集まっていた。街の中には外以上に豊かな田畑が広がっていた。城壁に沿って居住エリアを田畑がぐるりと囲んでいる。
 ただ、サリナの視界は開けはしなかった。目の前に田畑が広がってはいる。しかしその向こうに、またしても城壁が聳えているのだった。
「この街は城壁が同心円状に連なっています。統一戦争時代に略奪を防ぐ目的で建造されたということですが、今では旅人が迷子なるのにひと役買っていますね」
「ただ同心円になってるんじゃないからな。人が行き来出来るようにはなってるけど、かなり入り組んでる。城壁の上も通路になってるんだ」
「俺はここに来て無事に宿に帰りつけたことがないぜ」
「うう」
 仲間たちの言葉に多いに不安を煽られながら、サリナは歩いた。幸い街の入り口で地図が配布されていたが、それを解読するのにひと晩かかるとサリナは肩を落とした。
「私、ひとりで出歩かないようにします」
「俺も自信無い」
「兄さんは何回も来てるだろ」
「はっはっは。甘いぜ弟よ。俺をひとりにしないでくれ」
「やれやれ……」
 いつものやり取りについ笑ってしまうサリナだったが、自分も笑っている場合ではないと気づいて気を引き締めるのだった。
 偶然にも、セリオルが以前利用した宿とスピンフォワード兄弟がこの街の常宿としていたのが同じ宿だった。“豊穣の麦穂亭”と、その宿はいうらしい。
「ユンランの“海原の鯨亭”とは全然違うぜ。なんせ女将さんが美人だ」
 そう宿を紹介しながら、カインはリプトバーグの商店街を物色した。
 リプトバーグは美しい街だった。穀倉の街と呼ばれるが、街路は土ではなく全てが石畳敷きで、幾何学的な模様を描いていた。商店街はそんな美しく広い目抜き通りにいくつもの露店が立ち並ぶ、賑やかな通りだった。同心円状の城壁の最も外に近い箇所から街の中心に向けて、目抜き通りは真っ直ぐに通っていた。そこから大小の円周に沿うように枝分かれして、業種ごとの露店が並んでいる。
 農作物を取り扱う商店がやはり多い。この街に暮らす人々も大勢いるが、各地方から買い付けに来ている業者らしき姿もよく見られた。城壁がぐるりと周っているため奥まで見通すことが出来ないが、食材店のエリアが最も活気があった。
 見たことも無い食材、特に果物の類にサリナは夢中だった。露店主たちは気の良い人物が多く、サリナが目を輝かせて覗き込んでいると試食させてくれることが多かった。そのうち試食を待ち望んでいる人に見られているのではと、サリナが自粛してしまうほどだった。
「“豊穣の麦穂亭”はもうひとつ内側の同心円上にあります。ひとまずは部屋をとって荷物を預けましょう」
 間もなく夕方の賑わいが生まれるころだった。4人は目指す宿への道を辿った。
 他の店よりひと足早く、精肉店の並ぶエリアが混雑し始めていた。宿はその雑踏の向こうにあった。仕方なく、4人ははぐれないように注意しながら雑踏の中を進んで行った。
 サリナはここで仲間たちを見失ってしまっては一大事と、周囲より頭ひとつ高いセリオルを見失わないようにと必死だった。彼女らは大きな荷物を背負っているので、買い物客たちから少々迷惑そうな目で見られることになった。サリナは恐縮しながら、ごめんなさいとすみませんを繰り返して歩いた。
 どん、と彼女の荷物に人がぶつかった衝撃があった。
「ってえなぁ。でかい荷物持ちやがって。気を付けて歩けよな!」
 サリナの荷物に衝突したのはひとりの少年だった。身軽そうな服装で、帽子をかぶっていた。サリナよりも年下に見えたが、年齢にそぐわない眼光の鋭さがあった。
「ご、ごめんなさい」
 すぐに謝ったサリナに、少年は追加で少々の悪態をついて去って行った。
 やっとの思いで。4人は“豊穣の麦穂亭”に到着した。
「なあ、別のルートは無かったのか」
「この道が最短だと思ったんですが、最長だったかもしれませんね……」
 人ごみで何度も引っ張られたのだろう。セリオルの長髪がやや乱れ、何本かは髪留めから飛び出してぴょんと跳ねていた。
 入り口の扉を押し開けると、中は“海原の鯨亭”と似たつくりだった。内装の雰囲気はもちろん異なるが、1階がレストラン兼酒場、2階が宿泊部屋という構造は同じだった。テーブルには何組かの宿泊客らしき人々がつき、思い思いの飲み物を注文して寛いでいた。外の気温が下がり始めた時間帯のため、暖炉の焚かれた宿の中の穏やかな暖かさにサリナはほっとした。
「あら、いらっしゃい」
 サリナたちの姿を見留めて、女性がそう声を掛けてきた。
「よお、女将さん。また世話んなるぜ」
「その呼び方は止めてって言ったでしょ、カイン。私にはエメリ・ボーストレームっていう名前があるの。ちゃんと名前で呼んでちょうだい」
「はっはっは。わりいわりい」
「あら、そっちはセリオルかい?」
「こんばんは、ボーストレームさん。お世話になります」
「随分久しぶりじゃないの。10年ぶりくらいよね?」
「ええ。今回は旅の途中です」
「なんだいあんたたち、知り合いだったの?」
 セリオルとスピンフォワード兄弟の組み合わせが意外だったのだろう、エメリは目をくるくるとさせた。そしてその目が、サリナに止まった。
「あら……。そっちのお嬢ちゃん、まさか」
「え?」
 訝しげに自分とセリオルを見比べるエメリに、サリナはどぎまぎした。妙なことを言われる気がした。
「セリオル、あんたの娘さん?」
「いやいやいやいやいやいや」
 荷物の重さも忘れたように両手を突き出してエメリの座るカウンターに直進しつつ、セリオルは変な汗をかくのを自覚した。その様子にスピンフォワード兄弟が笑い出し、サリナもつられて笑ってしまった。
「私まだ26ですよ。こんな大きな娘がいるわけないじゃないですか。結婚もしてないのに」
「あら、その子大きいの? おいくつ?」
 エメリのその発言に、サリナは嫌な予感がした。
「え、あの、じゅ、18です」
「え!」
 やっぱり、とサリナはがくりと肩を落とした。背中の荷物がずり落ちそうになった。年齢より幼く見られることには慣れていたが、まさかセリオルの娘と言われるほどとは思わなかった。
「ま、まあまあまあ。あんたも歳のわりに落ち着きすぎなのよ。だから老けて見えるんじゃないの」
「ふ、老け……!」
 エメリが発言すればするほど、サリナとセリオルは地面にめり込んでいくのだった。スピンフォワード兄弟は腹を抱えていた。
 ひと悶着を終えて、4人はそれぞれの部屋に落ち着いた。サリナは部屋の隅に荷物を置き、さっそく湯を使おうと着替えを取り出そうとした。荷物の口を開いてごそごそと中を漁る。そして彼女は、ある違和感に気づいた。血の気が引くのを感じる。
「せせ、せ、、セリオルさん!」
 大慌てで部屋を飛び出し、セリオルの部屋の扉をどんどんと叩く。足がばたばたと勝手に動いた。はいはいとのんびり答えるセリオルの声がもどかしい。
 ようやく扉が開いた。セリオルは髪をいつもより高い位置で結い直していた。服装も旅装束から部屋着に変わっている。だがサリナにはそんなことを認識している暇は無かった。
「どうしたんです、そんなに慌てて」
「あの、せせ、セリオルさん、あの!」
「まあまあ、落ち着いてください」
「あの、私の、私の財布が無いんです!」
「えっ……」
 サリナの財布、というよりは一行の路銀を4人で分けて保管していたうちの、サリナの受け持ち分だった。チョコボを購入した代金はセリオルとカインの分から支払った。フェリオの分はその前にロックウェルで装備品や機械類を購入した時にかなり減ってしまっていた。それでもサリナの分があればしばらくは金策をしなくても旅を、少なくとも王都に着くまでは続けられると彼らは考えていた。
 その路銀が詰め込まれた袋が、忽然と姿を消していた。

挿絵