第18話

 サリナたち4人は“豊穣の麦穂亭”1階のテーブルを囲んでいた。彼らの表情は沈痛だった。サリナは膝の上に手を置いて俯き、セリオルは静かにお茶を飲んでいる。カインは背もたれにぐったりと体重を預けて両腕をだらりと下げ、天井を見つめている。フェリオは腕を組んで両目を閉じていた。
「おやおやどうしたのあんたたち、暗い顔しちゃって」
 宿の女将、エメリがセリオルに呼ばれてやって来た。ほとんどの客が食事を終え、数脚のテーブルが酒を楽しむ客たちによって使われているだけだった。エプロンを外して隣りのテーブルに置き、エメリが空いていた椅子に腰掛けた。
「どうしたって言うのさ、この世の終わりみたいに」
「この世の終わりだ」
 天井を見たままそう言ったカインに、サリナがびくりと反応した。エメリは不思議そうな顔だ。
「うう、ごめんなさい……」
「済んだことを言ってもしょうがないさ」
 静かに口にされたフェリオの言葉に、カインが「あー」とだけ言った。
「だからさ、どうしたの?」
「我々の路銀が入った財布が無くなったんです」
 セリオルは飲んでいたお茶のカップを受け皿に置いた。カチャリと小さな音がした。
「あらまあ」
「私のバックパックに入れてたんです。でもここに来るまでに無くなっちゃったみたいで……」
 サリナは今にも泣き出しそうなくらいその身を縮めていた。その様子に、エメリが困り顔と苦笑の間のような表情を作った。彼女はテーブルに肘をついてその上に顎を載せた。
「なにあんたたち、一文無しになっちゃったの?」
「いえ、お金が完全に無くなったわけではないんです。4人で分けて保管していましたから」
「ある程度の金は残ってるんだ」
 セリオルとフェリオが話した。カインは相変わらず「あー」と言いながら天井を向いている。いつの間にかバンダナのような布がその顔に掛けられていた。
「で、私に相談っていうのは? 想像はつくけど」
 エメリの言葉に、カイン以外の全員が緊張した。ごくりと唾を飲み込んで、セリオルが口を開く。カインは「あー」だった。
「ご想像の通りだとは思うのですが……残る我々の路銀でこちらに何泊させて頂けるかを、交渉させて頂ければと」
 言い終えて口の中が乾いたのか、セリオルは空になったカップを持ち上げ、中身が無いことにすぐに気づいてそのまま元の位置に戻した。フェリオは目を開き、テーブルの一点を見つめている。サリナは上目遣いで怖々とエメリの表情を窺っている。カインは「あー」を続けている。顔の上でバンダナが彼の吹く息で上下する。
 彼らのそんな様子に、エメリは椅子の背にもたれ掛かって呆れたように手を振った。
「なんだいあんたたち、水くさいねえ」
 その言葉にサリナは少しだけ顔を上げた。宿の女主人は笑っていた。
「要するにお金をなんとかするまで待ってくれってことでしょ? とっととなんとかして来なよ。どうせもう算段はついてるんだろ?」
「エメリさあん!」
 ガタガタと音を立てて勢い良く立ち上がってエメリのそばへ行き、サリナはぺこりと頭を下げた。
「ありがとうございます!」
「はいはい、いいんだよ。あんたたちもこんな小さい子にプレッシャー感じさせてるんじゃないよ。可哀想じゃないの」
「あ、あのエメリさん、私そんなに小さくないです……」
 サリナは下げた頭をエメリに撫でられていた。
「あらそうだった?」
「うう」
 ふたりのそんな様子に笑いが起きた。肩の荷が下りたように力を抜いた表情で、セリオルがウェイトレスにお茶のお代わりを注文した。
「ありがとうございます、エメリさん。助かります」
「それで、どうするつもり?」
「まずは明日にでも自警団に相談してみます。さきほど4人でロックウェルからの旅路を振り返ってみましたが、どこかで落とした可能性は低い。サリナはバックパックの奥深くに財布を入れていましたし、落としたことに4人とも気づかなかったということは無いでしょう」
「考えられるのは、この街に入ってから誰かに盗まれたってこと。可能性が高いのは精肉通りの雑踏だ。あの人ごみの中で俺たちは何人もの人とぶつかりながら歩いた。そこで掏られたって線が濃い」
「掏りかい……」
 考え込むようにエメリは顎に手を当てた。
「心当たりがあるんですか?」
 そう訊いたサリナの言葉に、エメリは首を振った。
「犯人がわかったわけじゃないよ。ただね、最近多いみたいなんだ、掏りの被害が。掏り以外に盗みも増えてる。ここ何年かでリプトバーグの治安が悪化してるんだ」
 エメリによると、以前のリプトバーグでは盗みや掏りといった被害はほとんど無かったということだった。確かに穀倉の街と呼ばれ、住民の多くが何らかの農業に従事している街である。仕事が無く、金に困るということも少ないように思われた。
「いずれにせよ、明日自警団に相談してみましょう。拾得情報でもあれば儲けものです」
「そうしなよ。あんたたち、ご飯まだなんだろ? 今晩は私が奢ってあげるよ。何にする?」
「さすが我が愛しの女将!」
 顔にかけた布を吹き上げては戻すという遊びを繰り返していたカインが、がばと身を起こした。その額にエメリの手刀が炸裂した。カインはぱたりとテーブルに突っ伏した。
「名前で呼びなって言ってるでしょ」
「ご、ごめんなさい」
 そんな兄の姿に、弟は頭を抱えるのだった。

 自警団の団長は渋い表情だった。事情を話したサリナたちだったが、同様の被害が他にも出ているということで、しかも犯人は何の手がかりも掴ませていなかった。
「大変申し訳ないことですが――」
 結論を言うにあたって、団長はそう枕詞を付けた。
「数日のうちに犯人を拿捕するのは、難しいと思います」
 自警団がこう言うからには、いずれ財布が見つかったとしても中身がそのままあるとは考えないほうが良いと、セリオルは帰りの道すがらサリナに話した。掏られたことにサリナが責任を感じすぎないようにと彼は配慮した話し方をしたが、やはり元来のサリナの性格上、それは難しいようだった。彼女は道中、「ごめんなさい」を繰り返した。
「サリナ、ひとつの仮説が成り立ちます」
 前向きな話題を提供しようと、セリオルは晴れの商店街を歩きながら右手の人差し指を立てて切り出した。忙しく働く人々の賑やかな声で、サリナの気が少しでも紛れればという思いもあった。
「掏りの犯人は、お金に困っているはずです。サリナの財布にはかなりまとまった額が入っていたんですから、それをいっぺんに使い切ってしまうということは無いでしょう。少しずつ切り崩して使うはずですから、すぐに無くなることは考えなくていいはずです」
「すぐには捕まえられなくても、ある程度は大丈夫ってことですか?」
「そういうことです」
 多少は気が楽になったのか、サリナは顔を少し上げた。セリオルは身体を折って彼女の顔を覗きこんだ。
「気楽にいきましょう、サリナ。何とかなりますよ、お金のことなんて」
「は、はい」
「ほら、顔を上げましょう。いざとなったら薬を売るなり狩りをして売るなり、何でも出来るんです」
「うん、ありがとう、セリオルさん」
 元の姿勢に戻ったセリオルを見上げて、サリナは微笑んだ。ようやく戻ったサリナの笑顔に、セリオルはほっとしたようだった。
 商店街の向こうから、スピンフォワード兄弟がやって来た。サリナとセリオルが自警団に行っている間、彼らは食料品の買い出しに行っていたのだった。エメリとの交渉で、少しでも宿代を安くするために宿の仕事を手伝うことを約束した。兄弟が抱えているのは、宿泊客や食事だけをしに来る客たちに振る舞う料理の材料である。
「うわあ、重そう……」
 カインもフェリオも両手で荷物を抱えていた。男手が増えたと、エメリは力仕事を遠慮無く依頼してきた。もっともそのほうが甘えさせてもらっている彼らとしても気が楽だった。
 両手に抱えてなんとかバランスを保っているといった体の紙袋で、スピンフォワード兄弟の顔はほとんど隠れていた。前がなかなか見えないせいか、カインの右足が路上のバケツに突っ込んだ。バランスを崩したカインがフェリオに倒れ掛かる。兄にぶつかられたフェリオは危うく花屋のプランターに足を突っ込みかけてなんとか踏みとどまった。兄の体重を受け流すことによって。
「おいおいおいおーい」
 言いながらカインはよろよろと回転しつつ露店と露店の間の狭いスペースに器用に倒れ込んだ。兄が地面に背中を打ち付ける直前、フェリオはその荷物を見事にキャッチした。
「ゲフン……見事だフェリオくん」
「そりゃどーも」
 派手に転倒したカインに、露店商の主たちがざわめいた。走り寄ったセリオルがカインを助け起こした。カインはどうやってもひとりでは起き上がることのできないような狭い場所にすっぽりと収まっていたためだ。
「よう、調子はどうだ?」
 立ち上がってズボンの汚れをはたきつつ、カインはあっさりとそう尋ねてきた。その兄に、フェリオが紙袋を渡す。
「フェリオくん、心なしか重くなったような気がするぞ」
「気がするんだったら気のせいだろ」
「ほほう、なるほどね」
「ひどいなあ、フェリオ」
 どう見てもカインの紙袋の中身が増え、フェリオのそれが減っていた。サリナの言葉にカインも含めた3人が笑った。
 荷物は4人で分けて持つことにし、彼らは宿への道を辿った。そろそろ昼食の仕込みをしなければいけない時刻だった。
「掏りに関しては打つ手なし、か」
 自警団で聞いた話を、道すがらにサリナたちはスピンフォワード兄弟に話した。カインはのんびりした様子で空を見ているが、フェリオの表情は厳しかった。
「難しいでしょうね。目の前で掏りが起こるか、目の前に財布が出てこない限り」
「次の手、考えないとな」
「お金を稼ぐ方法ですか……?」
 これまで祖父の白の修法塾を手伝ったことはあるものの、自分自身で金を稼いだ経験の無いサリナが不安そうな声を上げた。それはフェリオも同じだったが、彼のほうがシドの元で修行を積むにあたって作成した機械部品類を販売した経験がある分ましなようだった。
「とはいえ部品にも限りがあるしな……。仕入れるにはここじゃ難しいだろうし」
「やはり、狩りが一番手っ取り早いでしょうか」
「とりあえず王都までの路銀を短期で稼ぐ必要があるんだよな。狩りが速いだろうなあ」
「狩りって、魔物をやっつけるの?」
 ずり落ちてきた紙袋を持ち上げ直しながらサリナが訊いた。
「いや、普通の野生動物だろうな。魔物は強いマナを持ってるから、食用にならない」
「しょ、食用……?」
 その言葉に、サリナが少し怖がっているような表情を作った。動物を屠殺することを想像したのだろう。
「魔物も角とか毛皮の質が高いものは交易品や武具の素材として取引されますが、この街ではそれは難しいでしょうね」
「牧畜に向かないような気性の荒い野生動物が獲物だな」
「あの、例えば私とカインさんで演舞とか獣使いのショーをする、とかは?」
「うわ、勇気あるなサリナ」
「う。やっぱり無しで……」
「でもそれも良いかもしれませんね。免許が無いので魔法を教えることは出来ませんが、魔法と機械を使った大道芸なんかも」
「えええ。セリオルそれ、本気で言ってる?」
「お店開くわけにはいかないし……動物を狩るのもちょっとなぁ……」
 そんなことをああだこうだと話しながら4人は“豊穣の麦穂亭”への道を進んだ。昼食前の時刻、混雑しているのは惣菜を売っている通りだった。4人はそこを避けて回り道をすることにした。昨日ほどではないが、今も彼らは大きな荷物を持っていたからだった。
 サリナはもはや帰り道がわからなくなっていた。この街の地理を把握するには、まだまだ時間がかかりそうだと彼女は思った。
 そうしていくつ目かの辻を曲がった時だった。サリナたちはひとりの少年と毛皮屋の看板を掲げた店の男が話しているところへ出くわした。
 そのふたりが話していた場所は、商店街の賑わいの裏手、商店が仕入れや自宅の玄関等として使っている扉が並ぶ、ひっそりとした通りだった。
「なんだ、しばらくってどれくらいになるんだよ?」
 落胆を隠さない口調でそう言ったのは、毛皮屋の店主のほうだった。彼は自分よりもかなり小柄な少年に、困った顔を向けていた。
「わかんねえよ。しばらくっつったらしばらくだ。とにかく金を貯めて元手を作るんだ。それで店を開くんだよ。そしたらまた売ってやるよ」
「なんだ、卸店やるのか? シマが厳しいって聞くぜ」
「関係ねえよそんなこと。このチャンスを逃がすわけにゃいかねえんだよ」
 サリナたちはそんな会話をしているふたりのそばを通り過ぎようとした。通り過ぎる時、サリナは気づいた。毛皮屋と話しているのは、昨日彼女にぶつかって悪態をついた少年だった。
 毛皮屋と少年も、金稼ぎの算段をしながら通り過ぎようとする4人組に気づいてふいとこちらを向いた。ちらりとサリナを見て、少年は一瞬目を見開いたようだった。しかしすぐにこちらから視線を外し、店の中へと入って行った。
 その後サリナたちは特に道に迷うことも無く“豊穣の麦穂亭”に帰り着いた。エメリは大量の食材を運んできた4人を労い、新鮮な果物を搾って柑橘の汁を混ぜたさっぱりとしたジュースを振る舞ってくれた。
 テーブルを囲んでエメリのジュースをひと口飲み、フェリオが口を開いた。
「あいつ、怪しいな」
 その言葉に、セリオルが頷いた。サリナには何のことだかわからなかった。
「え、誰のこと?」
「あの毛皮屋で話してたやつだよ」
「あ、あの子、昨日私が精肉通りでぶつかった子だった」
 サリナのその言葉で、フェリオとセリオルの表情が厳しくなった。ふたりは顔を見合わせて頷き合った。何かを確信したようだった。
「私たち、特にサリナを見て急に様子を変えました。いそいそと店の中へ姿を隠しましたしね」
「明らかに不自然な態度だった。世間に対してやましいことをしてるか、もしくはあいつらが掏りかだ」
「えっ、そ、そうなの?」
「ま、断定できるわけじゃないさ。今のところその可能性が考えられるってだけだ」
「まあそれは後で偵察用の虫を放っておくとしてだな、諸君」
 帰り道からずっと口を利いていなかったカインがようやく言葉を発した。彼はその手に1枚の紙を持ってひらひらさせていた。
「なんだ、転んだ時に頭打っておかしくなったのかと思ってた」
「はっはっは。ご挨拶だぜフェリオくん。兄は元気だぞ」
「そりゃなにより」
 カインは咳払いをひとつして、ジュースをひと口飲み、その紙を紹介した。
「あの掏り的雰囲気の小僧が言ってたチャンスってのは、俺たちから盗んだ金と、こいつのことじゃないか?」
 その紙には大きな文字で“収穫祭”と書かれていた。年に1度のリプトバーグの祭り。幻獣にその年の豊作を祈願して始まった由緒正しい祭りで、住民、観光客を問わず誰でも参加することができる。どうやら街の中で宝探しのようなことをするらしいと、文面からは読み取れた。
 そしてそれよりも彼らの注目を集めたのは、あるひとつの言葉だった。
「賞金、100万ギル!?」
 カイン以外の3人が声を揃えて叫んだ。カインはこの情報を掴んだことで栄誉に与るつもりだったが、3人はそんなことよりも金のことで頭がいっぱいになったようで、目がギルのマークになっていた。祭りへの参加が決定した瞬間だった。

挿絵