第180話

 鳳龍棍が真紅と黄金に輝く。イフリートの鎧を纏ったサリナは、その強靭な武器をギルガメッシュに向けた。
「いいなあ、その棍」
 ギルガメッシュは人間離れした姿で、実に人間らしい口調だった。
「その棍、どこで手に入れた?」
 欲しい、とでも言うつもりだろうか。ローガンから授かり、クロフィールでガンツが鍛え直した棍。鳳凰がごとき優美さと、竜王がごとき強靭さを兼ね備える、サリナの武器。
「ふざけないでください……」
 サリナの声は震えている。やや俯き加減の顔は、ギルガメッシュの目の位置からは見えない。
 もしかして、また泣いてる? ギルガメッシュは首を傾げる。
「なあ、なんで怒ってるんだ、サリナ。それとも悲しいのか?」
 愕然として、サリナは顔を上げる。
「なんでって……」
 憮然として、サリナは悟った。ギルは、塵魔なのだ。彼は人間ではない。だからわからないのだ、人間の心が。
「あなたが、私たちの敵だからです!」
「敵?」
 燃えるように熱い、しかし同時に深海のように沈んだ光を宿したサリナの瞳を見つめながら、ギルガメッシュは6本の腕の1本を上げ、頭を掻いた。
「敵ね……ま、そうっちゃそうか」
 その声は小さく、サリナの耳には届かなかった。頭を掻くのをやめ、ギルガメッシュは手を下ろす。そして6本の腕を器用に後ろへ回し、6つの手のそれぞれに異なる武器を掴んだ。
 武器の形状は様々だ。剣、槍、戦斧、弩、曲刀、薙刀
(あんなもんはコケ脅しだ。気にするな)
 頭の中にイフリートの声が響く。
(奴は俺たちと同じだ。あの姿じゃ物理的な力は使えん)
「はい」
 鳳龍棍を構える。マナが十分に伝導した棍が、眩しいほどの光を放つ。
「ゾクゾクすんなあ」
 楽しそうな響きをその声に含ませながら、ギルガメッシュも6本の武器を構える。体格の差が大きい。しかしそんなことは、サリナには関係が無かった。
 爆発的な突進。サリナの足は初速から最高速度を叩いた。
 ギルガメッシュも突進する。様子見に、塵魔は弩を放った。迫り来る矢――恐らくマナの矢――を棍で弾き飛ばし、サリナはギルガメッシュに接近する。
 弩以外の5本の武器が、迫るサリナを阻もうと立ちふさがる。サリナは鳳龍棍を振る。目にも留まらぬ速さで黄金の光が舞い踊り、ギルガメッシュの武器を迎え撃つ。
 手数で押そうとするギルガメッシュだが、サリナのスピードはそれを上回る。イフリートのマナを得たサリナは、さきほどまでよりもさらにその反応速度を上昇させていた。
「はは! すげえすげえ!」
 塵魔の姿を表し、おどろおどろしい声音となっても、ギルガメッシュの調子は変わらない。相変わらず、戦い自体を楽しむ少年のようだ。
 塵魔でありながら、ギルガメッシュはマナを使った攻撃を仕掛けてこない。いや、もちろん攻撃そのものはマナに依存したものだが、感覚的には武器を使った肉弾戦と変わらない。
 サリナはマナを解放した。足元にマナの円陣が現れる。立ち昇る強烈なマナが、サリナの身体を飛躍的に活性化させる。
 解放できるマナの量も増えたような気がした。以前よりも、解放による能力の上昇度が高いようだ。サリナは驚くべき速度で駆け、上から襲いかかる6つの武器をかいくぐる。
 炎の戦士が跳躍する。その目を、ギルガメッシュは見た。
 燃え盛る炎。その激しさそのものが、そこにあった。
 真紅に輝く瞳。ぞくっとするほどの迫力。気押されまいと、彼は笑った。
 サリナの声が響く。裂帛の気合は、まるで炎神の咆哮だ。
 跳躍する炎。マナの光が尾を引く。塵魔の剣が襲いかかる。咆哮が上がる。腕が千切れ、ギルガメッシュの剣が床に転がる。苦痛に顔をゆがめながら、ギルガメッシュは戦斧を叩きつけようとする。その刃を、黄金と真紅の回転する光が破壊する。
「くっそ……!」
 歯噛みしながら、塵魔はサリナと距離を取るべく、後方へ跳躍した。だがサリナの手は、ギルガメッシュの武器を握った手を掴んでいた。
 ぐん、と推進し、サリナはギルガメッシュの胴との距離を詰める。マナを高める。瑪瑙の座の幻獣の、そして彼女自身に秘められたマナ。真紅の光が爆発する。
「ぐあ……」
 今度は胸がへこむだけでは済まなかった。
 巨大な亀裂が、ギルガメッシュの胴を切り裂いていた。傷口からマナの光が、頼り無さげに漏れ出ている。
 着地し、サリナは肩で息をつく。さすがに消耗が激しい。
 どん、と音がして、ギルガメッシュが肩膝を床についたのが見える。
「ギル、さん……」
 いまだにギルガメッシュのことをギルと呼んでしまうことに心のどこかで愚かしさを感じながらも、彼女はそうせずにはいられなかった。“ギルガメッシュ”は塵魔の名だ。サリナはそれを口にするのを避けた。
 その光景に、血の気が引く。
 ギルガメッシュの身体は、激しく傷ついていた。マナを纏った攻撃が、彼の胴体を切り裂いていた。人間だったら即死だろう。
「は……はは。ここまで、やるとは、なあ」
 致命傷を負いながら、ギルガメッシュの声にはなお、楽しげな響きが含まれている。そのことに戦慄しながら、サリナは立ち尽くした。
 どうしようもないほどの怒りと哀しみが、彼女を襲っていた。この変えられない現実の理不尽さに腹が立つ。ギルが塵魔であったことにも腹が立つ。そして、戦わなければならなかったことが哀しい。
「……なんだ、サリナ」
 己の受けたダメージのことも忘れそうになる。ギルガメッシュは、サリナを見た。信じられない思いで。
「なんで、泣いてんの?」
 どうすることも出来なかった。哀しくて悲しくて、サリナは涙を止められなかった。
「ギルさん……ごめんなさい……」
「え?」
 ぽかんとして、ギルガメッシュはサリナを見つめる。
「なんで謝るんだ?」
「だ、だって、私……」
 涙で視界が歪む。その定まらない景色の中で、サリナはかろうじて認識した。ギルガメッシュが立ち上がったことを。
「傷だったら、もう治ったぜ?」
「……え?」
 急いで涙を拭う。
 驚くべきことに、ギルガメッシュは完全に無傷な状態に戻っていた。
「はっはっは。そりゃあ治るさ、ここ、炎のマナだらけだもん」
 サリナは絶句した。そして同時に、そのことを忘れていた自分を呪った。
 塵魔は集局点のマナを吸収する。これまでに何度も見てきたことだったのに、相手がギルだからか、サリナはそれを失念していた。
「さーどうする、サリナ? 俺はどれだけやられても、あっという間に回復しちまうぜ?」
 サリナは奥歯を噛み締めた。塵魔は倒さなければならない。彼らは瑪瑙の座の幻獣を操り、神晶碑を破壊しようとする。そんなことをさせるわけにはいかない。
 でも、とサリナは考える。これまでの塵魔はみんなで倒してきた。周囲のマナや幻獣のマナを吸って力を増そうとする塵魔たちを、サリナたちは持てる全ての力を注いで撃破した。瑪瑙の座の幻獣1柱だけの力では、マナを吸った塵魔を打ち破るのは難しい。
 どうする。鳳龍棍を構え、眼前で余裕の笑みを浮かべるギルガメッシュを見据えながら、サリナは思考を巡らせる。たったひとりで、この炎のマナに満たされようとしている場所で、ギルを倒すことなど出来るのだろうか。
 一方で、彼女はある違和感にも気付いた。
 クラーケン、キュクレイン、アトモス。塵魔たちはいずれも、瑪瑙の座の幻獣たちの力を使おうとしていた。シヴァ、セラフィウム、ガルーダ――いずれもサリナたちが発見した時にはマナを奪われ、衰弱した状態だった。
 だがギルガメッシュは、イフリートのマナに手を出していない。
 なぜだろう。純粋に自分の力だけでサリナに勝ちたいという、武芸者としての誇りのためか。もしくは他の意図があるのだろうか。
 考えてもその疑問に答えは出ず、サリナは棍を握り直す。
「どうすればいいか、わかりません。でも、私はここで、あなたを止めないといけないんです!」
「……んん?」
 ギルガメッシュは3対の腕を組み、サリナよりずっと高い場所にある首を傾げた。
「まいいや。俺はここでサリナとやれればそれでいい」
「え……?」
 再びサリナを襲う、強い違和感。ギルガメッシュは、これまでの塵魔たちとはどこか違う。より人間に近い感性を持っているらしいことはもちろんだが、それ以外にもどこか、何かが違っている。サリナは、そう感じることを禁じえなかった。
「よーし、じゃあやろうぜ」
「えっ、ちょ、ちょっと!」
 しかしギルガメッシュはサリナの戸惑いなどお構いなしに、床を蹴って突進してきた。
 6本の腕が怒涛の勢いで攻撃を繰り出してくる。サリナはマナを纏わせた鳳龍棍で、慌ててその連続攻撃を防御した。マナとマナが弾き合い、剣戟にも似た激しい音が響く。マナとマナのぶつかり合いは、どこか物理的な力と力の衝突に似ていた。
「ほれ!」
 声と共に、ギルガメッシュは左の3本腕を同時に振るった。重い一撃。サリナはそれを鳳龍棍を縦に構えて受け流そうとした。
「うっ!?」
 しかしその一撃は彼女の想定よりも重く、サリナの身体がふわりと浮き上がる。
「はは!」
 その隙を突いて、ギルガメッシュが炎の拳を生成し、放った。拳はいくつにも分裂し、瞬間的に無防備になったサリナに襲いかかる。
「んん!」
 サリナが爆発的にマナを高めた。燃え盛る火炎のマナが膨れ上がる。マナは紅蓮の壁となって、ギルガメッシュの拳をかき消した。
「ははっ。やるねえ」
 楽しそうなギルガメッシュの声が鼓膜を震わせる。その軽い調子が、サリナの心をかき乱す。
 どうしてそんなに平気なの? 仲間だと思ってたのは私たちだけだったの? ギルさんは私たちのことを、最初から敵だと思って接してたの?
 自問することの愚かさに気付き、サリナは顔を上げる。着地して、棍を構えた。炎のマナの残滓が空中を漂っている。
 ギルガメッシュはゆったりと、しかし隙の無い構えを取っていた。6本の武器が、それぞれの射程を邪魔しないよう構えられている。
 答えなんてわかっていた。ギルは初めから、イフリートが狙いだった。彼自身がさっきそう言ったではないか。出会った時から、彼はサリナたちと戦うつもりだったのだ。もしかしたら雪に埋もれていたのも、演技だったのかもしれない。いずれにせよ、ギルは塵魔なのだ。
 ふたりは同時に距離を詰めた。激しい打ち合い。マナとマナがぶつかり合い、凄まじい光の嵐が巻き起こる。
「いいぜいいぜ! そうでなきゃなあ!」
 楽しそうな声で言うギルガメッシュに、サリナの鋭い目が向けられる。
「ギルさん……あなたを倒します!」
「おー、かかってきな!」
 ギルガメッシュの力は増していた。周囲のマナが集まっている。火山が放つ膨大な量のマナを、ギルガメッシュは力としていた。
 サリナが回転する。遠心力を得た攻撃がギルガメッシュに降りかかる。炎の塵魔は武器を振り、サリナの攻撃をいなしていく。サリナはいったん離れ、回転と共にマナを飛ばした。槍や戦斧といったリーチの長い武器を操り、ギルガメッシュは迎撃する。更に攻撃の隙間を縫うようにして、塵魔は弩を引いた。マナの矢が飛び、攻撃を続けるサリナを襲う。サリナの回転は攻防一体となり、ギルガメッシュの矢を弾き飛ばした。矢は空中で霧散する。
 回転が速度を上げていく。天の型による力の集積が始まる。真紅のマナが輝きを増していく。まるで紅の雷のように、バリバリと激しい波動が発生する。サリナはその力を鳳龍棍へ伝えた。棍は美しくも凄惨に輝く。
 背中を這い上がって来るような興奮。眼前で蓄積されていく力の大きさが、ギルガメッシュの闘争心を煽る。
「はははっ。ははははは!」
 マナを集める。銀華山の力強い炎のマナ。燃え盛る炎が力となり、ギルガメッシュを高めていく。
 お互いの力が最高潮まで高まる時。それをギルガメッシュは待った。力と力のぶつかり合い。強者と強者の激突。それこそが、彼が求める最高の娯楽だった。味気無く空疎だった彼の人生を輝かせる、それは限りなく魅惑的な秘薬だった。
 炎のマナと炎のマナ。イフリートの御座は、巨大なこの山をすら震わせる、ふたつの力によって満たされた。ふたつの力は、間もなくその臨界を迎える。
 祠が鳴動する。それは火山の噴火のためか、それとも対峙する2柱の神が為せる業か。
 今、銀華山は最大の噴火を迎えようとしていた。地下深くから、灼熱の溶岩がせり上がる。破滅的な熱と力の塊を吐き出そうと、山体が大きく震える。
 対峙するふたりの力が、同時に臨界を迎える。
「おおおおおおおおおおっ!!!」
「ああああああああああっ!!!」
 ギルガメッシュが吼え、サリナが叫ぶ。彼らはまたしても同時に床を蹴った。最高まで高めた力と力を、正面からぶつけ合うために。
 真紅と真紅、ふたつの力持つ巨大な光と光が、ぶつかり合う――
「ちょおおっと待ったクポーーーーー!!!」
 そのちょうど中間に光が生まれ、モーグリが現れたのは、その瞬間だった。
「えええええええええええええええっ!?!?!?」
「なああああああああああああああっ!?!?!?」
 急ブレーキ。しかし止まれるはずも無く、蓄積された膨大なマナはその行く先を定められず、どちらもあらぬ方向に向けて発射された。
 凄まじい破壊と震動が、イフリートの祠を台無しにする。
「あ ……」
「おう……」
 サリナもギルガメッシュも何が起きたのかわからず、ただ自分たちの力が暴発して起こした破壊を、冷や汗と共に眺めるしかなかった。
「クポ―!」あ
 そこに、モグの声が響いた。
「モ、モグ?」
「クポ―! サリナクポ!」
 理解が追いつかず、サリナは目を白黒させた。ギルガメッシュもぽかんと口を開けて、この珍しい妖精を見ている。
「ど、どうしたのモグ、いきなり。ここはあぶな――」
「とか言ってる場合じゃないクポ! 大変なのクポ―!」
 いつものように踊ったりすることも無く、モグはその短い手足を一生懸命に振り回して訴えた。よくわからずに、サリナは瞬きをする。
「お、おいサリナ、それ、もしかしてモーグリ?」
「え? あ、はい。お友だちのモグです」
「ほーーーー」
 感心したような声を出しながら、ギルガメッシュはその大きな身体を折りたたみ、モグを覗きこんだ。モグは胸を張って、ギルガメッシュの視線を迎え撃つ。
「モグクポ!」
「おー。俺はギルガメッシュだ、よろしくな」
「よろしくクポ! ……ってそうじゃないクポ、人の造りし荒神と仲良くなんてしないクポ!」
「おいおいなんだよツレねえなあ」
 そう言って、ギルガメッシュは塵魔の姿から人間の姿へと戻った。マナの光が消失する。
「あ……」
 元の姿になったギルガメッシュは、人懐っこい笑みを浮かべてモグを見ている。サリナにはそれが、とても不思議な光景に見えた。
「クポ、クポポーーーーーっ。離すクポっ!」
「はっはっは。いいじゃんいいじゃん」
 モグとじゃれるギルガメッシュとは、とても世界のマナを奪い尽くそうする塵魔の姿が結びつかない。
 ひとしきりモグで遊んで、ふとギルガメッシュはサリナを見た。
「またやろうぜ、サリナ。今日はここまでにしとこう」
「……え?」
 サリナにはギルガメッシュの言葉の意味がわからない。
「なーんかこいつのせいで興が殺がれちまった。んじゃまたな、サリナ。どっかで会おうぜ」
「え、あの、ギルさん?」
「あん?」
 その場から立ち去ろうとするギルガメッシュを、サリナは戸惑いとともに呼び止める。
「あの、私がこんなこと訊くのも変ですけど……神晶碑は、いいんですか?」
「はあ?」
 何言ってんだ、という風に大きな口を開けて、ギルガメッシュはサリナに顔を近づける。
「あんなもんどうでもいいよ、俺にとっちゃ」
「ええ!?」
 にわかに信じることが出来ず、サリナは驚きの声を上げるばかりだ。
「ゼノアの野郎はなんか企んでるみたいだけどさ、俺には関係ねえよ。大体あの野郎は気に入らねえんだ、偉そうにしやがって」
 呆然として、サリナはギルガメッシュの――ギルの言葉を聞く。
「俺は強いやつと戦えればそれでいい。ここは面白かったし、サリナ、お前も面白かった。またやろうぜ。イフリートともやりたかったけど、それはまあまた次の機会に取っとくよ」
「勝手なことを言うな」
 いつの間にかイフリートがクリスタルから出て来ていた。炎の神もギルと同じく、人間の姿をしていた。
「はっはっは。ま、ふたりともまたな」
 言い残して、ギルはさっさと祠を去って行った。迷い無く進んでいくその後ろ姿は、サリナの心に強く残ることになる。
「そろそろ話してもいいクポ?」
「わっ」
 視界を遮るように下からにょっきり現れたモグの顔のドアップに、サリナは仰天する。モグのことを忘れていた。イフリートが笑う。
「そうだ、モグどうしたの? モグのほうからこっちに来ることなんて無かったのに」
「お知らせしないといけないことがあるクポ〜」
 さきほどまでの焦った様子はどこへやら、モグは言葉とは裏腹に、のんびりした口調で言った。
「お知らせ?」
「クポ」
 こっくりうなずいて、モグは続ける。
「ついにクポ、ついにクポ〜」
「ついに?」
「クポ」
 こっくりうなずいて、モグは続ける。
「ついにクポ。ついに、ゼノアが動いたクポ〜」