第184話

 ほんの数日とはいえ、無駄にできる時間は無い。サリナたちはナッシュラーグで待ち受けるであろうゼノアとの戦いに向け、仲間たちと共に出来うる限りの準備を進めた。
 まず武具類をガンツとセリオルが徹底的に見直した。通常の鍛冶技巧では不可能な鉱物同士の融合を、セリオルがマナ・シンセサイザーで行い、それを使ってガンツがクロイスやアーネスの武器を鍛え直した。激しい戦いを経て損耗の激しかった武器たちは、クロフィールでモーグリたちの協力によって新たに見つかったという新しい素材、“精霊銀”も用いられたことで美しく生まれ変わり、素晴らしい攻撃力を得ることになった。
 精霊銀で強化されたクロイスの短剣、グラディウスは“ダーク”とその銘を変え、またアーネスの剣、ディフェンダーは“セレスタデーゲン”と呼ばれることとなった。そしてシスララのオベリスクランスは、“シュヴァルツクーゼ”として生まれ変わった。いずれも淡い青の光を宿す、美しい武器だ。
 またセリオルの杖、オクトマナロッドは“若木の杖”として、その姿と銘を変えた。これはモグが持参した第二の世界樹の枝から取り出したマナを、精霊銀とオクトマナロッドとに融合させて生まれた杖で、第二の世界樹がまだ若木であることから、その名を与えられた。
 カインのレッドスコルピオンはマナ・シンセサイザーによって精霊銀と融合し、”グランドスコルピオン”と呼ばれることとなった。オチューの蔓が本来の素材だが、精霊銀の美しい青の色を宿し、その振るわれた際の軌跡は鮮やかに虚空を切り裂いた。
 フェリオは自分の手でアズールガンを改造したようだった。マナ・シンセサイザーによって精霊銀と融合させた上で、いくつかの機構を組み替えた。これまでもカインナイトの効果で排熱処理能力を向上させていたが、今回の改造でそれを更に強化した。
 一行の装備の中で、サリナの鳳龍棍が最も損耗していた。以前クロフィールでガンツの手によって生まれ変わって以降、特段の改良をしていなかったためだった。鳳龍棍は心材と呼ばれる鉱物の“核”を精錬して生み出されているので、セリオルがマナ・シンセサイザーを使っても改良出来なかった。
 精霊銀の心材である“芯霊”を使い、鳳龍棍には補修と補強が施された。
「すごい……」
 漆黒の棍身に黄金の炎が走る。それが鳳龍棍のデザインだった。そこに白銀の光が差し込んだ。それはまるで、黒に染まった夜に太陽と月が踊っているかのような美しさだった。
「“鳳龍棍【精霊王】”。それがわしの付けた銘じゃ。ま、長いからこれまでどおり鳳龍棍と呼びゃあいい」
 不眠不休の仕事の後、ガンツはそう言って胸を張った。サリナは頷き、生まれ変わった鳳龍棍を受け取った。棍は新たな力に喜んでいるかのようで、手にしっくりと馴染む感触の奥に、身震いするような力の鳴動を感じる。
 またガンツとシモンによる合作で、服や鎧の下に付ける帷子などの防具も生産された。アーネスの鎧もガンツの手によって補修・改善が施され、美しい装飾を損なうこと無く、その防御能力を大きく向上させた。
 アーネスの盾、ブルーティッシュボルトもやはり強化の対象となった。数多くの攻撃を受けてきたその身には無数の傷が刻まれていたが、精霊銀によって生まれ変わった姿は美しいのひと言に尽きた。“アストラルボルト”と名付けられた蒼穹の盾は、蒼雷鋼と精霊銀との濃淡がはっきりした2種の青によって、力強さと華麗さとを見事に両立させた。
 アクセサリ類も充実した。アンリとライラが創り、それにクラリタがエンチャントを施したアクセサリは、サリナたちそれぞれに必要な攻撃や防御、敏捷性や回避能力を向上させた。
 もちろん修練場での修行も各々で行った。ルァンたちファンロン衆をはじめ、アリスやレオンらとも手合わせを繰り返し、ガンツたちが装備品を手掛けてくれている間に、サリナたちは身体を動かした。
 マナの修行も怠らなかった。それぞれのマナ能力は、ファンロン総本山で制限を受けた中で修練を積んだ結果か、それ以前よりも向上していた。賢人クラリタが立ち会い、サリナたちそれぞれにマナの扱いが甘いところを指摘して回った。恐るべきことに、彼女は自らが扱えるわけではないマナ技能についても、深い造詣を持っていた。カインの獣使いの能力にまで詳しかったことに、サリナたちは舌を巻いた。
 そうして過ごした数日の後、サリナたちはその地に到着した。

「ガルーダ、身体にどこかおかしなところはありませんか?」
 その朝、セリオルはガルーダを顕現させ、そう訊ねた。翠緑の風魔は、なぜかその美しい肢体をくねらせ、艶めいた声で答えた。
「なんだい、セリオル。あたしの身体に興味があるのかい?」
「そういう誤解を招く表現はよしてください……」
 セリオルは言いながら、軽く頭を抱える。
「特に変わり無ければいいんです」
「んー? 特に無いけどねえ。どうしたんだい?」
 思案顔で、セリオルは答える。
「明確に何かあるわけではないんです。ただ、金華山でアシミレイトした時に、少し、なんというか……違和感のようなものを感じたので」
「違和感ねえ……あたし自身はすこぶる好調だよ。瑪瑙の座のアシミレイトは初めてだったんだろ? そのせいじゃないのかい」
「そうですね……まあ、あなたが特に何も感じていないんであれば、大丈夫でしょう」

 眼下に広がる街から、プリマビスタの姿は見えない。ガルーダのマナによって、飛空艇の周囲には光を屈折させる気流が生み出されていた。プリマビスタとファ・ラクの姿を目にした人々が騒ぐのは避けたかった。
 とはいえ、街の真ん中に飛空艇を降ろすわけにもいかない。ハロルドは操縦桿を握り、プリマビスタをナッシュラーグの街のはずれ、開けた草原に降下させた。プリマビスタは内部にリンドブルムをすっぽり格納しているが、草原からであれば船を使う必要も無く、チョコボに乗って行くことが出来る。
「チョコボたちの調子は上々だよ」
 マリーは胸を張った。滋養たっぷりの野菜を与えられ、アイリーンたちは確かに元気そうだった。全身の羽も艶が美しい。
「クエ〜ッ!」
 サリナを前にして、アイリーンは甲高く啼いた。さあ行こう、と言っているようだった。その、まるでこれからどこへ向かうのかも、その目的も理解しているかのような瞳の光に、サリナは微笑む。
「ふふ。アイリーン、ナッシュラーグまでよろしくね」
「この子は、ほんとに特別なチョコボなのかも」
 マリーは不思議そうな声でそう言った。サリナが顔を上げる。
「チョコボは賢いから、他のみんなも私の言うことを聞いてはくれるんだけど……アイリーンだけは、私が何も言わなくても、まるで全部わかってるみたいなの」
 サリナは何も言えず、アイリーンに視線を戻した。アイリーンの顔は、小柄なサリナよりも上にある。手を差し伸べてみる。アイリーンは目を閉じ、サリナの手に頬をすりつけた。
「皆、準備はいいですか?」
 ブリジットの手綱を引きながら、セリオルは仲間たちに声をかけた。それぞれの返答の声が上がる。
 アップルトン家の食事で、健康状態は良好。新たな装備は整い、戦闘の訓練も行った。マナは充実し、気力は十分だ。仲間たちの勇ましい表情を確認し、セリオルは頷く。
「行きましょう。目的地はここから東、ヴァルドーの血が生きる街……ナッシュラーグです」

 クラリタが解読を進めておいてくれたクリプトの書から、サリナたちは新たな情報を得ていた。残る瑪瑙の座唯一の幻獣、その集局点の手掛かりだ。
 力の幻獣、瑪瑙の座。豪壮なる剣と槍の使い手、戦騎オーディン。その御座は、どうやらナッシュラーグにあるらしいのだ。セリオルの予想どおり、ゼノアが大型飛空艇レッドローズでこちらへ向かっているとすれば、到着までまだ数日の猶予がある。サリナたちはその時間を使って、オーディンの御座を探し、ゼノアを迎え撃つ前にその協力を得るつもりだった。
 力のマナは、他のマナを活性化させる。水のマナ、地のマナ、炎のマナ。人々の暮らしに大きく関わるそれらのマナが充実すれば、その地の農作物は豊かに実り、動物たちは健康に育つ。
 セリオルは到着するまでの道中で、ナッシュラーグについて簡単に説明した。その話によると、ナッシュラーグはやはり、豊かな地であるということだった。平地に位置しているにも関わらず、大地は肥沃で地下水は豊富。川や海に接しているわけではないので水産資源は多くはないが、人々の暮らしは十分に潤っているということだった。
 ところが――
「お、おいおい、なんだこりゃあ……」
 その光景に、カインは言葉を失った。
 驚くほど、人気が無い街だった。目抜き通りはあるが、開いている商店はごく少ない。通りに人影はほとんど無く、街路樹はそのほとんどが枯れていた。隅で身を縮める野良犬はやせ細り、目だけがぎらぎらと光っていた。
 あまりのことに、サリナも何も言えずに佇んだ。それはセリオルも同じで、彼にとってはなお、それは深刻な光景だった。記憶の中のナッシュラーグと、そこはあまりにかけ離れた街だった。
「これは……間違い無いな」
 低い声で、フェリオは言った。
「集局点に異変が起きてる」
「ゼノアの手の者、でしょうか」
 シスララは言ったが、しかし同時にそのことの矛盾を悟ってもいた。
 ナッシュラーグのマナを奪うことが、ゼノアにとって有益なのか。もちろんゼノアは、エリュス・イリア全土の神晶碑を破壊しようとしているのだから、いずれはナッシュラーグにも手を向けるだろう。しかしここには、当然ゼノアの生家もあるはずだ。彼にも家族がいるだろう。あるいは家族だけを他の場所に避難させているのか。
 いずれにせよ、他の集局点に先んじてナッシュラーグの集局点を狙う合理的な理由が見当たらなかった。神晶碑を破壊すると大枯渇が発生するのだ。そうなればこの街は、壊滅する。
「ともかく調査するしかないでしょう。ゼノアの狙いはわかりませんが」
「他に原因があるかもしれないしね」
 アーネスのその言葉に、相槌を打つ者は無かった。その可能性がきわめて低いことを、サリナたちの全員が理解していた。
 彼らは街に入った。ひと通りは少なく、嫌でも目立つことになった。元々、イリアス王国に敵対する自治区の首都である。外から来た者に対して、友好的であるとは考えにくかった。
 幸い、ナッシュラーグの文化は、イリアスとよく似ていた。サリナとセリオル、シスララの3人はハイナンやエル・ラーダの服を着ているし、カインとフェリオ、クロイスの3人は王国風の服、つまりナッシュラーグで目にしても違和感の無い服を着ている。
 アーネスの鎧が問題だった。イリアス王国のことをよく知るナッシュラーグの人々が彼女の鎧姿を目にすれば、まず間違いなく何らかの騒動になるだろうと、サリナたちは予想した。だから今、アーネスは鎧を身に着けていない。以前にもそうしたように、戦闘に入る必要があればモグを呼んで第二の世界樹から持ってきてもらうつもりだった。
「しっかしこれじゃあ情報の集めようがねーな」
 頭の後ろで手を組みながら歩くクロイスが、何の気なしにそう言った。周囲の建物の中から飛んでくる警戒の視線も、彼は気にならないらしかった。
「セリオルさん、集局点に心当たりは無いんですか?」
 無駄とはわかりながら、サリナは訊ねずにはいられなかった。本当に訊ねたいことは別にあった。この街で、かつてセリオルがどうして暮していたのか。幻獣研究所に入るより以前の、セリオルについて。だが突然そのことを切り出すのは気が引けるのだった。
「残念ながら……」
 わかってはいたことだが、セリオルの返答に落胆することを禁ずることが出来ず、サリナはうなだれた。来たはいいが、さっそく手詰まりだ。もしもこのまま集局点を見つけることも出来ないまま、ゼノアが来てしまったら。彼は何よりもまず、集局点――神晶碑を狙うかもしれない。あの男の思考は読めない。自分たちは離れた安全な場所にいて、集局点にブラッド・レディバグか何かを飛ばして細工をするかもしれない。あるいは黒騎士を遣わせるかもしれない。
 出口の見えない暗闇の迷路で、危険な怪物に追われるような心地。空虚な焦燥感だけが募る。その上この様子では、今夜の宿を得られるかも怪しい。
 カインがその視線に気づいたのは、そんな薄寒い絶望感が広がりかけた時だった。
 目抜き通りを逸れ、彼らはナッシュラーグの裏通りに入った。寂れた街並みで、何の喜びも生まれないような場所だった。そこに、数人の若者がたむろしていた。
 その視線は、明らかに好奇に満ちていた。
 近寄って来た若者たちはいずれも大柄で、暴力が全てを解決すると信じているに違いないのがひと目でわかる出で立ちをしていた。わけも無くうすら笑いを浮かべ、自らの腕力を誇示するかのように、拳を握ったり開いたりしている。そして当然のように、その腰には刃物とわかるものが提げられていた。
 彼らがこちらに向かって歩いて来るのを見て、フェリオは頭を抱えた。100パーセント、面倒なことになる。
「へっへっへ……」
「なんだてめえら」
 何かを勘違いしているに違いない若者たちを、カインが睨みつける。若者たちは意にも介さぬ様子で、カインの言葉を無視した。
「よおよお、マブいねーちゃんたち、こんなもやし共より、俺らと遊ばねえか?」
 ぽかんと口を開けて、サリナは若者たちを見上げた。上背はある。セリオルよりも高いかもしれない。女性陣との間に割って入るようにして立つカインの頭越しに、彼らはサリナたち3人の女性陣を、上から下まで舐めるようにして眺めている。肩幅は広く、胸板が厚い。
 だがそんな感想よりも先に、口を衝いて出る言葉があった。
「ま、まぶい……」
 愕然とした声を我慢できず、サリナは復唱した。まさかそんな言葉を実際に耳にする日が来るとは、思ってもみなかった。その反応に、若者はぴくりと眉を上げる。
「何その、登場してすぐやられる三下ザコキャラの代表みたいなセリフは……」
「独特な感性をお持ちなんですね……」
 アーネスとシスララがそう言ったことが、若者たちの怒りに火を点けた。女性から侮られることを何よりも嫌う彼らは、自分たちに恐れも抱かず、侮辱の言葉を発した女たちを恫喝することに決めた。
「なんだコラァ! 俺たちをナメてんのかてめえら!」
「俺たちゃあこのへんを仕切ってる“ハウンド・ドッグ”のトップだぞ! それを知ってんのか!?」
「うるせえよ」
「ぶべっ!?!?」
 カインの回し蹴りが前にいた若者の脇腹に炸裂し、変な声を出しながら若者は吹っ飛んだ。まるで準備されていたかのように、彼の飛んだ先にはいくつかの木箱が積まれていて、彼はその木箱をがらがらと崩して沈黙した。
「ガ、ガンちゃん!?」
「てめえコラ赤頭! なにナメたことしてくれてやがんだコラァ!」
「うるせえ! ベタかお前ら! どこまでベタなんだこのベタベタマンども!」
「なにぃ!?」
 いきり立つ若者たちに向けて指を突き付けるカインの後ろで、サリナたちは笑いを堪えるのに必死だった。
「もう登場から吹っ飛んで気絶するまで全ッ部ベタじゃねえか! やられ役のザコキャラでございますって自己紹介かコラ! しまいにゃハウンド・ドッグだかなんだか知らねえがその名前までベタ中のベタじゃねえか! もうちょっとヒネっとけよ! あほか!」
「な、な、な、なんだとコラアアアアッ!!」
 顔を真っ赤にして額に血管を浮き上がらせ、腰の得物を抜いて襲いかかってきた若者を、カインはにべもなく蹴散らす。
「どああっ!?」
「あべしっ!?」
「だからベタだっつってんだろうがああああああああっ!!!!」
「ぷ、ぷぷ……あははははは!」
「ぎゃははははは! もーやめろよカイン、俺が死ぬ!」
「はあ……やれやれ」
 いよいよ本格的に頭を抱え、フェリオは嘆息する。セリオルはその横で苦笑いを浮かべていた。彼らは顔を見合わせ、そして同時にそれを発見する。
 見るからにそれとわかる、その者たちがこちらへ走って来る。
 憲兵だ。
 ふたりは同時に呟いた。
「……げ」