第186話
飛びかかって来た魔物を、サリナは鳳龍棍で殴り倒した。魔物は奇怪な悲鳴を上げて地面を転がる。 「痛みは感じるんだ……」 その薄気味悪い魔物が動かなくなるのを見届けて、サリナはそうこぼした。倒れた魔物の身体はすぐに崩れ、灰のような小さな粒子になって形を失った。 「セリオルさん」 火炎の魔法で魔物を葬った兄に、サリナは声をかけた。戦闘はひと段落していた。少し離れたところで、アーネスが剣を鞘に納める音がした。こちらを向いたセリオルに、サリナは訊ねる。 「ここって、昔からこうなんですか?」 「まさか」 セリオルの即答に、サリナも頷く。 「そうですよね……」 皇家の墓。そこはナッシュラーグの皇家が住まう皇城の地下に存在する、歴代の皇家の者が眠る墓地である。本来は聖なる場所として立ち入りを禁止され、魔物などの侵入も力のマナの封印によって防止されている場所だ。 だがその聖なる墓地は、今やおぞましい怪物が跋扈する魔窟と化していた。 「こんなことになっているとはな……」 フランツは愕然とした声を漏らす。ナッシュラーグ憲兵――いや、一般のナッシュラーグ市民であっても、皇家の墓は静謐に包まれた、神聖な場所であると認識している。ヴァルドー皇家の支配に関して異を唱える少数派の市民であっても、この場所だけは怪我してはならぬと心得ているものだ。 その不可侵の聖地を冒涜しているのは―― 「やれやれ……こいつら、過去の皇家のやつらじゃないのか?」 ヴァルドーに対する畏敬の念などかけらも抱いていないことを顕わにする口調で、フェリオは毒づいた。炎のマナを纏った彼の弾丸が、こちらろ引き裂こうと腕を振り上げた魔物の頭を撃ち抜いたところだった。 「いえ、そうではないでしょう……さすがにこんなにはいないですよ、過去の皇家の人間も」 皇家の墓を我が物顔で徘徊するのは、不死者だった。アンデッド族と呼ばれる魔物の一種。ビースト族やアクアン族などのような野生生物が凶悪化したものとは違い、この世に未練や恨みを持ったまま死を迎えた人間や動物の魂が魔物化したものである。 「けど、昔生きてた人間であることにゃ変わりねーんだろ」 「ええ、そうよ」 しかめっ面のクロイスの声に、アーネスが答える。彼らの声には、アンデッド族の存在そのもの――そして死者をこのような形で蘇らせる、不浄なるマナの存在に対する怒りが滲んでいた。 アンデッド族は魂が魔物化したものであるため、撃破されると跡形無く消え去る。サリナたちが今倒したものたちも、霞のようにその姿を消した。 魔物の姿さえ無ければ、皇家の墓は美しい場所だった。マナが宿っているためか、石造りの地下墓地は淡い銀灰色の光に包まれていた。その色から、やはりこの付近に力のマナの集局点があることは間違い無かろうと、セリオルは結論付けた。 「皆さん、少し集まって頂けますか」 重い空気を破ったのは、シスララの軽やかな声だった。仲間たちが集まる。 シスララは扇を取り出し、広げた。 「艶花の舞・セイクリッドサンバ!」 それは美しく、情熱的なマナの舞だった。舞い落ちる天使の羽のような清らかな光が、サリナたちを包む。 「こいつは……」 自分の身体に宿ったマナの力と光を確認するように、カインは両手を見つめた。純白の光が、彼の身体を覆っていた。 「艶花の舞――属性マナの力を、攻撃に付与できます」 「おお!」 歓喜の声を上げ、クロイスはその場で短剣を軽く振った。聖のマナの光が尾を引く。 「これは助かるな。マナストーンボックスを使わなくても済む」 「だな!」 普段はマナストーンを使って闘っているフェリオとクロイスが、特に喜んだ。中でもフェリオは、アシミレイト状態でない時のマナによる攻撃方法がマナストーンを使ったものに限られているので、彼にとってシスララのこの能力は、まさに天の恵みだった。 「これでフランツさんの警棒でも、魔物に大きなダメージを与えられるはずです」 「おお、そいつはありがたい」 見ると、フランツの警棒も確かに、純白の光を帯びている。フランツはその相棒を、しっかりと握りしめた。 「さて、では進みましょうか」 セリオルは歩みを再開した。 この地へ足を踏み入れた時、サリナはセリオルに質問した。皇家の墓の、どこが力の集局点――オーディンの御座であるかの、見当はついているのか。 セリオルは答えた。 「わかりません。ただ、怪しい場所ならあります」 「怪しい場所?」 頷き、セリオルは続けた。 「……狂皇パスゲア、そのひとの墓があるところですよ」 かつてエリュス・イリア全土を巻き込む大戦争を仕掛けた張本人、パスゲア・フォン・ヴァルドー。ハイナンの学校で、サリナはその人物のことを学んだ。 世界のマナを我がものにせんと画策し、群雄割拠の時代にあったエリュス・イリアを制覇しようとした男。そのカリスマ性と持って生まれた天才的な頭脳、そして兼ね備えた天下無双の武術の才。エリュス・イリアの歴史上、彼ほど傑出した者はいなかったとまで言われる男。 その彼が、なにゆえ世界を敵に回して戦争を起こし、多くの国を滅ぼしたのか。今もってその真実は闇の中である。 ただ、ナッシュラーグの人々は、良くも悪くもパスゲアを神格化し、崇めてすらいる。この自治区の者にとっては神にも等しい存在であるパスゲア。その遺体が、今自分のいるこの墓地に、安置されている。その事実を思い、サリナは何かうすら寒いものを感じた。 皇家の墓は、やや入り組んだ構造をしていた。ナッシュラーグには伝統的に、死者を葬る際には遺体と一緒に、故人にゆかりのあるものを埋葬する風習がある。皇族ともなればその副葬品も金銭的価値のあるものになるので、つまるところ皇家の墓は、墓荒らしを警戒した迷路になっているのだった。 「で、パスゲアの墓は一番辿りつきにくいところにあるってわけね」 「そうなりますね」 神に等しい先祖を、泥棒に見つかりやすい場所に祀るとは考えにくい。必然、そこへ至るためには迷宮の様相を呈する皇家の墓の、最深部と思われる場所まで足を運ばねばならない。 「でもセリオルさん、どうしてパスゲアのお墓に集局点があると思ったの?」 「確かにな。パスゲアの墓となると怪しい気はするけど、そこが集局点ってのは出来過ぎじゃねえか?」 サリナとカインのふたりに訊ねられ、しかしセリオルは淀み無く答えた。 「昔、行ったことがあるんですよ、パスゲアの墓に」 「うわっ、忍び込んだのか?」 驚いた声出したのはクロイスだ。 「まあ、そんなところです」 「うひゃひゃ。セリオルも意外と、悪ガキだったんだなー」 愉快そうに笑うクロイスに、セリオルは小さな笑みを返した。こちらを見ているフランツの視線に、彼は気付かないふりをした。 「パスゲアの墓の奥に、力のマナの紋章がありました」 「よく覚えてるな……」 呆れたようにフランツが言った。その時の経緯を、彼も知っているのだろう。セリオルの記憶力の良さに、彼は舌を巻くと同時に呆然としたのだった。 「なるほど、それは怪しいね」 サリナはこくこくと頷いて納得した。 彼らは行軍を再開した。セイクリッドサンバによって聖のマナを得た攻撃は、耐久力の高いアンデッド族に大打撃を与えた。骸骨が戦士や魔導師となったスケルトンや、全身を呪いの包帯でぐるぐる巻きにしたマミー、怨念が形を持ってひとを襲うようになったホーント、腐敗した身体からは考えられないような怪力を武器にするリビングデッドなど、不気味な姿の不死者たちは、聖なる力を帯びた攻撃の前に消え去って行った。 さすがのカインも、アンデッド族を使役する気にはならないらしく、獣ノ鎖もストリングの術も使わなかった。 セリオルの案内――フランツはやはり、セリオルが道を記憶していることに驚いていた――に従って進むうち、サリナは違和感を覚えるようになっていた。 「確かに、ずっと奥のほうに変なマナを感じるなあ……」 「え?」 彼女の小さな独り言に反応したのは、すぐ横を歩いていたフランツだった。 「あ、大したことじゃないんですけど……」 「でも今、マナを感じるって言わなかったか?」 「あ、はい」 フランツの関心の思わぬ強さに戸惑いながら、サリナは説明した。 「体質なのか、私、マナを感じ取る感覚が普通よち強いみたいで……。この奥、って言っていいのかどうかわかりませんけど、なんだかちょっと変なマナを感じるんです」 「ふむ……」 幸い、話している最中に魔物が現れることは無かった。腕を組んで何かを考えている様子のフランツに困惑するものの、それ以上サリナは気にしなかった。 「どうした、サリナ」 「え?」 いつの間にか近くに来ていたフェリオに話しかけられ、サリナは驚いた。フェリオはより聖のマナを効率良く活用するため、銃をクロスボウに組み替えていた。マナストーンの効果を最大限に引き出すことが出来る、合金製の矢を使っている。 その弦を引きながら、フェリオはサリナを見ていた。 「何かのマナを感じるのか?」 「あ、うん……」 フランツをちらりと見る。何かを考えているのか、こちらに目は向いていない。フランツの目は、ただ前を見ていた。そこには、セリオルの背中がある。 「オーディンのマナかな」 フェリオのその問いかけに、サリナは少し考えた。感覚を研ぐ。進むべき道の奥を探っていく。 無数のマナが潜んでいる。暗いマナだ。これらは魔物のものだろう。アンデッド族の死にも似たマナに触れ、その不快な感覚にサリナは顔をしかめた。 より奥へ、感覚の脚を伸ばしていく。細く長く、サリナは研ぎ澄まされていく。 そして彼女は、それを発見した。 「わっ!?」 思わず出てしまった大きな声に、仲間たちが驚いてこちらを向く。 皇家の墓は地下墓地である。内部はひんやりとしていて、戦闘時でなければ汗をかくほどのことはない。だが全身から汗が噴き出してくるのを、サリナは止められなかった。 「大丈夫か!?」 よろめいたサリナを、フェリオが抱きとめる。そのただならぬ様子に、仲間たちが駆け寄って来た。 仲間たちが声を掛けてくるが、サリナはすぐには応えられなかった。嫌な記憶が蘇っていたからだ。あの時の感覚を、サリナは二度と味わいたくない。 そう、それはあのカラ=ハン大陸の迷宮、朽ちた砂牢での経験だった。地の集局点のマナが奪われることに怯えた世界樹の意識が、サリナの中に流れ込んできた。サリナは世界樹と同化し、心の底から湧き上がる恐怖に身が竦んだ。腿から下に力が入らず、立っていることも出来なかった。 「サリナ、大丈夫ですか?」 セリオルが長身を屈めて、サリナの顔を覗き込む。 「う、うん……」 顔を上げ、サリナは自分の力で立った。胸に手を当てる。落ち着こう。私は大丈夫……大丈夫だ。世界樹の意識は入って来ていない。自分をしっかり保たないと。 大きく息を吸い込む。少し止める。仲間のことを思う。幻獣たちのことを思う。大丈夫、私にはみんながいる。だから大丈夫―― 「ごめんなさい、大丈夫です」 言いながら目を開ける。仲間たちの安堵した顔。まだ心配そうなセリオルとフェリオに、少し微笑んで見せる。まだ僅かに引き攣っていたかもしれないが、ふたりはひとまず安心したようだった。フランツは突然のことに戸惑っているように見えた。 「サリナ、何か見えたの?」 サリナがマナ探知を行ったことを察したシスララが訊ねた。ソレイユも、問いかけるように首を曲げている。 「うん」 その明瞭な声音に、シスララは安堵と共に不安を感じた。サリナの様子から察するに、あまり良いものを感じ取ったわけではないだろう。 「セリオルさんが言ったとおり、ここが力の集局点で間違い無いみたい」 「ま、そーだろな。セリオルの推測が外れたのはあんまり見たことねーし」 緊張していない風を装って、クロイスはそう言った。だが彼とて馬鹿ではない。 「で、他にわかったのは何だよ?」 「うん……」 その忌むべきものの名を口にするのを、サリナはほんの一瞬、躊躇した。あの感覚が蘇ってきそうな気がしたからだ。だがすぐに彼女は、その懸念を振り払った。 「たぶん、魔物がいる。強力な魔物が――ブラッド・レディバグに侵食された、強力な魔物が」 その言葉に、仲間たちは沈黙を返した。皆、予感はしていた。 マナ変異症が蔓延しているのは、ローランで経験済だ。ローランの時はタイタンが人間界と幻獣界の間に閉じ込められ、その不在を狙ってブラッド・レディバグが放たれていた。侵食されたアントリオンは朽ちた砂牢のマナを喰らい、その力を増していた。 集局点が異常を来しているであろうことはわかっていた。問題は、その原因だった。 力のマナは、他の属性マナを増強する特性がある。逆に言えば、他の属性マナの影響を最も受けやすい。もしかしたらエリュス・イリアを襲うマナバランスの崩壊が、力のマナの集局点に悪い影響を及ぼしているのかもしれない。そういう推論もあった。 それは、ゼノアがこの地の集局点にはまだ手を出さないだろうと踏んだ上で導き出される推論だった。ナッシュラーグの人々が避難もしていない状況で、さすがにゼノアも、塵魔やブラッド・レディバグを遣わせはしないだろうと。 とはいえ、ゼノアならやりかねないという見方もあった。サリナたちはゼノアの手の者による仕業ではないことを祈りながら、ここまで進んできたのだった。 結果として、その期待は最も悪い形で裏切られた。 ブラッド・レディバグ。エル・ラーダの聖獣の森ではカーバンクルを封じ込め、朽ちた砂牢ではマナを喰らい尽くそうとしていた。そして何より、サリナに起きたあの異変。サリナが戦力にならないことの痛手、そして次にもしあれが起きた時、彼女がすぐに戦線へ復帰できるかという懸念。それらの不安要素が、セリオルたちの脳裏をよぎる。 「大丈夫さ、みんな」 そう言ったのはフェリオだった。彼の声は明朗で、微塵の不安も感じさせなかった。仲間たちの視線が彼に集まる。 「なあ、サリナ?」 微笑みと共に、フェリオはサリナに言葉を向けた。サリナはフェリオを見上げ、そして仲間たちを見た。 大きく、彼女は頷いた。 「私は、大丈夫です。もう二度と、世界樹の意識に支配されたりしません。あの時よりずっと、マナの扱いも上手くなったし……それに、もし万が一何かあっても、私には、みんながいるから」 サリナの瞳に宿る強い意志の光が、仲間たちを照らすようだった。彼女の言葉は力となって、仲間たちの不安を溶かしていった。彼らの顔に力が戻るのを、フランツは不思議な思いで見つめていた。サリナ・ハートメイヤー……この小柄な少女の持つ不思議な力の一端を、彼は見たような気がした。 「よぉーし。そんじゃま、行くとしようぜ!」 一行の切り込み隊長を名乗るカインが、気勢を上げた。 |