第19話

 目の前に信じられない光景が広がっていた。巨大な城壁が轟音とともに浮かび上がり、沈み込み、分解し、変形し、移動している。リプトバーグの住民たちの一部は街の同心円の中心、円形の噴水がある広場に集まってその様子を観賞していた。
「すごいすごいすごい! すごいですセリオルさん!」
「すげえすげえすげえ! すげえなフェリオ!」
 サリナとカインがしきりに興奮していた。ふたりはそろって胸の前で両の手を握り締め、変形する城壁に夢中だった。
「これは……やはりマナの力を使っているんでしょうね」
「あいつが制御装置なんだな」
 セリオルとフェリオは街の形が急速に変わっていくのに感動していた。噴水から吹き上がる水の圧力で水柱の上に浮いているように見えるのは、紺碧色の球体だった。噴水を囲んで東西南北の位置にひとりずつ、法衣を纏った術者が立って両手を球体にかざしている。
「いち地方都市が所有する装置としては、随分大掛かりで資金を投じたものですねえ」
「これも統一戦争の遺産か。戦争が文明を発達させるっていうのは真理だな」
 やれやれ、という様子でフェリオはかぶりを振った。
 リプトバーグはイリアス王国の食料庫である。統一戦争の時代、勇王ウィルムの下で才を煌かせた宰相リヴ・フォン・カンナビヒが提唱し、建造した無類の迷宮。それは狂皇パスゲア率いるヴァルドー軍が必ず侵略を試みるであろうリプトバーグだった。
 国の食料を奪われぬよう、イリアス王国は軍の主力をリプトバーグ防衛に配するだろうとヴァルドー皇国は予測した。ヴァルドー軍は最強の部隊と万全の策をもってリプトバーグに侵攻したが、この重要な街にイリアス王国軍の影は無かった。拍子抜けすると同時に愚かなりイリアスと侮ったヴァルドー軍は、その主力部隊をリプトバーグの迷宮に囚われ、一網打尽の憂き目を見た。
 広大な耕作地に水を届けるため、街の至るところに整備された毛細血管のような水路。そこを流れる水のマナを使ったのが、この迷宮のからくりである。噴水に浮かぶ球体は、水路のマナを自在に制御することができる。街中に広がるマナの力が建物や田畑の形状や大きさを変えることなく、同心円上に連なる城壁と街路を変貌させる。かつてのヴァルドー軍はこの大掛かりな仕掛けにまんまとかかったのだった。
 統一戦争以降、用途の無くなった迷宮はしばらく起動されることが無かったが、今からおよそ300年ほど前に時の市長がこの仕掛けを収穫祭に使うことを始めた。以来収穫祭は、豊作祈願をするための100個の供物――黄金色の塗装が施されたこぶし大の米俵の置物を迷宮の中から見つけ出し、最も多く集めた者をその年の奉納手として奉納式を行うというかたちで行われてきた。
 今、サリナたち4人は強者ひしめく噴水広場にいた。どう見ても奉納式に出席する栄誉よりも副賞の100万ギルを狙っている者ばかりだった。広場にたちこめた熱気がそれを物語っていた。サリナたちも完全にそっちの部類だった。
「見ろ、あいつもいる」
 カインが指差した先には、あの少年がいた。帽子をかぶり、手足の柔軟運動をしている。こちらには気づいていないようだった。
「よく見たら妙な格好だな」
 フェリオの指摘は正しいと言えた。少年の服装には統一性が無く、それは服装に関してのセンスの問題ではないように見えた。男性用の肌着の上に女性者の上着を重ねている。両足の履物は底の浅い革の靴とつま先に穴の空いた編み上げブーツだった。帽子には大きな継ぎがあった。
「……貧しいのでしょうね」
 少年の眼差しは鋭い。サリナにはその瞳に灯る光が、暗闇に揺れる炎のように見えた。彼女の心境は複雑だった。
 サリナたち4人も準備運動を始めた。セリオルはこの日、袖の長くない動きやすそうな法衣を身に付けていた。かなり走ることが予想されたためだった。
 米俵は純粋に自分の力で獲得しなければならないとされていた。つまり他人が見つけて獲得したものを力づくで、もしくは何らかの罠を仕掛けて奪い取ることは禁止である。賞金の額が額だけに、暴力や喧嘩の火種を起こさせないにはそれが最適だった。参加者たちはあらゆる箇所に配置された主催者側の人員――つまり街の役人たちによって常に監視された。なお、複数人の参加者による共同収集行為も禁止されていた。
 参加者には米俵が最高で51個収まる、名前が表示されたケースが配布された。ケースは噴水広場に並べられ、獲得した米俵はこのケースに収納される。参加者は持って移動するのが難しいだけの数の米俵を入手したら広場に戻り、自分のケースに収納する。それによって他の参加者の獲得状況がわかるという仕組みである。収集用の袋等を使うことも禁止されていた。当然広場にも複数人の役人が配備されていて、不正を働いた者はその時点で失格となる。
 市長によってそれらのルール説明を受けた奉納手候補たちはいよいよ迫った開始の時に全身の筋肉を強張らせた。サリナたちはお互いの邪魔をしないよう、等間隔に離れて位置についた。開始する位置に関して、特に指定は無かったためだった。
「それでは、大いなる幻獣たちの名のもと、収穫祭神事・奉納手選定祭を執り行います」
 緊迫が漲った。しん――と静けさが奔る。
「始め!」
 鬨の声が上がる。一堂に会した参加者たちが一挙に街の中へと飛び散って行った。街の住民たちは街の中の普段と違う位置に移動した住家の前でも観戦しているようだった。街路を走り抜けながら、サリナは街の人々からの応援の声を受け取った。頑張ろう、と彼女は両手で頬を叩いて気合を入れた。
 セリオルは走りながら脳をフル回転させていた。彼はリプトバーグの元の地理を脳内に描き、目から入ってくる現在の情況と照らし合わせて街がどう変容したのかを把握しようとした。
 しかししばらく走ってみて、彼はその作業に意味が無いことを悟った。彼は米俵が街中の木箱や露店の陰などに隠されているのではと推測していたが、米俵の獲得はそう簡単ではなかった。
「あんなところに……」
 息を切らせながら、彼は頭上に輝く黄金の米俵を見つめた。それは変形した城壁、通常の2倍ほどの高さになった一角に鎮座していた。一体誰があんなところまで運んだのかという疑問を禁じ得なかったが、ひとまず彼はそれを意識の外へ追いやった。
「準備をしておいてよかったですね」
 彼が足がかりも無いつるりとした城壁を上るため、城壁に向けて氷の魔法を準備している隙に、敏捷な影が彼の視界を横切った。影は米俵が載った城壁のやや手前、通常の高さの城壁に素早く上った。そして端に鉤を結びつけたロープを投げ、米俵を城壁から落とした。それを落下前に見事に掴み取り、走り去って行った。
 ほんの一瞬の出来事に、セリオルは言葉を失っていた。
「……強敵ですね、彼は」
 フェリオは手に入れた米俵を自分のケースに収めた。ついでに他の参加者たちのケースを見る。カインのケースはまだ空だった。性格的に、彼の兄はいくつか手に入れたらまとめて持ってくる気だろうと思えた。サリナのケースにはふたつ、セリオルのケースはカインと同じく空だった。この祭りは敏捷さがかなりのポイントとなる。サリナが既にふたつ手に入れているのは流石だった。
 そんな中、5つもの米俵が収められているケースがあった。まだ祭りが始まってさほどの時間は経っていない。フェリオ自身も上下に動く城壁に妨害されながら、なんとかひとつ獲得したところだ。脅威を感じつつそのケースに記された名を見て、彼は舌打ちをした。
「くそ。やっぱりあいつか」
 忌々しげにそう呟いて、彼は次の米俵を目指して走り出した。
 カインは両手に米俵をひとつずつ握って走っていた。あとひとつ手に入れたら一度広場へ戻ろうと彼は考えていた。
 米俵は比較的簡単に見つかった。彼は意地の悪い役人たちがわかりにくい場所に隠しているのだろうと邪推していたのだが、それは的外れだった。米俵はそれはそれはわかりやすく、目の前にあった。しかしその場所に到達するのが難関だった。米俵は石畳の上にそのまま置かれていたが、そこまでが堀のように深く広く掘り込まれたようになっていた。彼は一度は堀を越えようと努力したが、結局は伸縮自在の獣ノ鎖を使って米俵を手に入れた。
 もうひとつの米俵も同じように到達の難しい場所にあったが、そちらも彼は獣ノ鎖を使うことで入手することができた。自分の得物が活躍したことに、彼は満足していた。
「いやいや、こりゃ案外俺が一番になるんじゃねえの?」
 にやけつつそんなことを独りごちながら走る彼の右手に、新しい通路が開けた。他の参加者数名が集まっている。間違い無く米俵があると感じ、彼はその場へ急行した。
 米俵は水の底に沈んでいた。その穴は米俵の大きさとほぼ同じだったが、カインの身長よりも深いように見えた。他の参加者たちはそれをいかにして取り出すか、頭を捻っていた。カインはその穴を見て、あっさりと諦めた。
「こりゃ無理だ。俺の道具じゃ取り出せねえな。ま、がんばってくれ」
 他の参加者たちに手を振って別れを告げたカインの目の前で、1本の棒が穴の中へ突っ込まれた。棒はすぐに引き抜かれ、その先に取り付けられた握り手のような道具によって米俵が取り出された。米俵を獲得した少年は、瞬時に城壁に上ってその場を去った。
「あの野郎、準備万端じゃねえか」
 そう言いながら、彼は考えを変えていったん広場へ戻ることにした。そしてふと、彼は気づいた。
「やべ。広場行く道がわかんねえぞ」
 左右を見回して、彼は頭を掻いた。
 サリナは順調に米俵を集めていた。8つ目の米俵をケースに収めた彼女は、最大の競争相手になっているあの少年のケースを見た。そこにはすでに9つの米俵が収まっていた。その他、セリオルのケースには5つ、フェリオのケースには6つの米俵があった。カインのケースは空だったので、サリナは少々心配になった。他にも何十人もいる参加者たちのケースのうち、複数個の米俵が収まっているものは少なかった。あの少年の獲得数はずば抜けていると言ってよかった。全体では100個あるうちのおよそ半分ほどが既に広場に集まっているように思えた。
「頑張らなきゃ」
 呟いて、サリナは駆け出した。汗が額を伝う。祭りが始まって既に数時間が経過していた。あの少年は、恐らくこの祭りにかなりの思いを込めているだろう。しかし仮に彼が掏りの犯人だとすると、サリナは手を緩めるわけにはいかなかった。彼にどんな事情があるにせよ、エルンストを救い出すための旅の足止めを食うことは、彼女には受け入れられなかった。
 サリナは先ほどまで足を向けなかった方角へ走った。すっかり姿を変えたリプトバーグだが、不思議と彼女には進むべき方角がわかった。街を覆っている大きなマナの力のためだろうかと、彼女は考えた。どこを走っていても、常に大きな力を広場の方角に感じることが出来た。あの紺碧色の球体が発するマナだろう。サリナはそこを自分の中で基点と据えることで、広場に戻るたびに次に向かう方角を決定していた。
 サリナの米俵獲得は効率的で順調と言えた。多くの参加者が米俵への道を阻む仕掛けや罠にてこずる中、彼女は持ち前の運動能力に加え、黒鳳棍を器用に操ることで鮮やかに米俵をその手にするのだった。
 それでもあの少年のほうが彼女よりも獲得数が多い。それは恐らく、彼はサリナに匹敵するほどの運動能力を持ち、そして彼女以上にこの祭りの下調べをして準備を進めてきたのだろうと、彼女は推測した。
 サリナたちが収穫祭のことを知ったのは、今日から4日前だった。以来彼らは収穫祭のことをじっくりと調べ、過去の参加者たちの話も聞いて予測を立て、自分たちに出来る限りのことを準備してきたつもりだった。
 それでも4日間という時間は短すぎた。米俵が通常ではまず届かないような高いところや低いところ、遠いところなどに配されることはわかっていた。サリナたちはそれぞれの得意とする方法でそれを攻略する方法を考えた。例えばフェリオは引き金を引くと鉤付きの縄が射出される即席のボウガンを作り、セリオルは氷の魔法で壁に足場を作るこつを掴んだ。サリナは浮揚の魔法と自らの身体能力で足がかりの無い垂直な壁を登り、カインは獣ノ鎖が伸縮自在であることを利用して遠隔地の標的を手にする術を身に付けた。だが実際に始まってみると、彼らの予想を超える難関が待ち受けていた。米俵は単に到達し難い場所に置かれているだけではなく、分厚く頑強なガラスの箱の中や、雷のマナに満たされ、触れようと足を踏み入れると感電してしてまう魔方陣の中にも置かれていた。
 過去の参加者たちはそんな手の込んだ装置が配置されることは教えてくれなかった。不思議に思うサリナだったが、じきにそれは当然だと思い至った。過去の参加者たちは過去の存在ではなく、今年も参加する現役のライバルだからだった。良きアドバイザーとして“豊穣の麦穂亭”で知り合った髯面の屈強な中年男と、サリナはついさっき徒競走をしたばかりだった。
 今、サリナの前に巨大な氷の塊が鎮座している。その中心では黄金の米俵が寒そうに身を縮めていた。他の参加者たちもいるが、いずれも手を出しあぐねていた。中にはどこからか調達してきたらしい松明を翳して氷を溶かす努力をした者もいたが、圧倒的に非効率だった。彼はすぐにその作業を諦め、もっと簡単に獲得できる米俵を求めて走り去った。
「輝け、私のアシミレイト!」
 収穫祭のルールに、幻獣の力を借りてはいけないという表現は無かった。他の参加者たちは突如膨れ上がった真紅の光に驚き、その中から現れた真紅の鎧を纏った少女が、炎を帯びた棍で巨大な氷塊に簡単に穴を穿ち、中の米俵を手にしたことにも驚いた。
 その後、サリナは自分を鏡に映したように左右対称の動きをする大きな石像や、燃え盛る炎の魔方陣に守られた米俵を入手した。広場へ戻り、ケースに米俵を収める。これで米俵は合計11個となった。全体の10分の1以上を獲得したことになる。セリオルは7つ、フェリオは9つ、カインのケースはいまだにゼロだった。
「や、やっと戻って来れた!」
 聞き慣れたカインの声だった。両腕に米俵を満載して、ぜえぜえと息を切らせながら走って来た。
「カインさん!」
「よお、サリナ。調子はどうだい」
 余裕の無い口調でそう言いながら、カインはケースに米俵を収めた。9つある。仲間たちで都合36個の米俵を手に入れたことになった。他の参加者たちはほとんどが2つか3つ、多くて5つほどだった。
「いやあ、道に迷っちまって全然戻って来れなかった。米俵はどんどん増えるから手が空かなくなるし。参った参った。はっはっは」
 つられて笑うサリナのケースを見て、カインは口笛を吹いた。
「11個か。やっぱこういうのはサリナが一番向いてるな。運動神経の質が向いてる」
「頑張ります!」
 ふたりは最大の敵であるあの少年のケースに目をやった。米俵は10個になっていた。自分が3つの米俵を獲得する間、彼はひとつしか手にしなかったのかと、サリナはやや意外な気がした。
「追い抜いたな。さっきあいつの目の前でかっさらってやった。悔しそうな顔してたぜ」
 にやりと意地の悪い笑みを浮かべつつ、カインは親指を立てた。サリナは合点がいった。この競技の仕組みに慣れてきた彼女の仲間たちが、あの少年の順調だったペースを乱しているのだろう。
「この調子で頑張りましょう!」
「ああ。ゲットするぜ100万ギル!」
 ふたりはハイタッチを交わし、別々の方角へと走り出した。
 街の最外縁の城壁をサリナは走った。左手にはつい先ほど手に入れた米俵をひとつ握り締めている。息が切れる。体力は限界に近づいていた。彼女は歯を食いしばって走った。
 その時だった。選定祭終了の10分前を知らせる鐘の音が響き渡った。
 米俵は祭り終了時にケースに収められていなければならない。最外縁にいるサリナは、すぐに広場に戻る必要があった。彼女は広場から発されるマナの気配を頼りに、足を街の中心へ向けた。
 街路を縫うように走っていると、セリオルの後姿が見えた。彼も両手に米俵を持って疾走していた。
 サリナが声を掛けようと、口を開いた時だった。不意に投げつけられた棒切れに、セリオルが足をもつれさせて転倒した。
「セリオルさん!」
 セリオルは頭をかばうために身体を丸め、転がって止まった。いくつかの傷を負ったようだった。
 痛みに呻くセリオルを見下ろしたのは、あの少年だった。彼は憎々しげにセリオルを睨み付けた。その手にはセリオルが取り落としたふたつの米俵があった。
「邪魔ばっかりしやがって!」
 そう吐き捨てて、少年は広場へと走り出した。彼が素早く自分に目を向けて左手の米俵をしっかり確認したのを、サリナは見逃さなかった。
 セリオルを助け起こそうと、サリナは彼の脇にしゃがみこんだ。回復の魔法を詠唱しようとしたサリナを、セリオルは手で制した。
「このくらい大丈夫です。それよりサリナ、早く広場にたどり着いてください。もう時間が無い」
「で、でも――」
「彼は明らかなルール違反をしましたが、それを断罪する役人が見ていませんでした。このままでは彼が優勝してしまうでしょう。さっき確認した限りでは、今持って行ったふたつで彼は合計12個、君もそのひとつで合計12個です」
 セリオルはサリナの左手を指差した。
「このままでは引き分けになってしまう。そこで――」
 言いながら、セリオルは法衣の右袖に左手を差し入れた。取り出されたのは、黄金の米俵だった。
「セリオルさん、これ……」
「ゲームには心理戦も必要です。彼の頭の中は今、優勝の文字でいっぱいでしょう。君が私を介抱しようとすることも彼の計算のうちです。私から米俵を奪い、君の足を止める。良い作戦でしたが、彼の誤算は私がもうひとつ隠し持っていたことと、君が誰よりも素早いということですね」
 セリオルの言葉に頷いて、サリナは立ち上がった。セリオルが大丈夫だと言うのだから、彼は大丈夫だ。両手で頬を叩き、彼女は全力で走り出した。
 彼女は真紅の風となった。風は城壁の有無など問題にもせず、簡単に飛び越え、時には垂直の壁を走った。
 少年の背中が視界に入った。彼も正確に広場を目指していた。しかし彼の速度は、サリナよりも遅かった。みるみる内に距離が縮まる。やがてサリナは少年に並び、追い抜いた。
「この野郎!」
 叫びながら少年はサリナに向けて縄を投げつけてきた。背後からの妨害を、サリナは振り返りもせずに回避して見せた。感覚が研ぎ澄まされていた。
「くそ! なんでひとつ増えてんだ!」
 サリナの米俵を確認したらしく、悔しそうに叫びながら追いすがる少年を、サリナは引き離していった。そして広場の噴水が見えてきた、その時だった。
「弾けろ! 俺のアシミレイト!」
 少年の声と共に、背後で紺碧の膨大な光が突如生まれた。サリナは思わず足を止めて振り返った。見慣れたマナの光。色だけが、彼女の見たことの無いものだった。
 直後、光の中から紺碧の鎧を纏った少年が飛び出して来た。驚異的な速度で迫ってくる。彼女は背筋に水を浴びせられたような感覚に陥った。一旦止まってしまった足を再び最大瞬発力で動かすのに、一瞬の隙ができた。
 そこを少年は突いた。役人がこちらを注目しているので、妨害は行わずに彼はサリナを追い抜いた。
「輝け、私のアシミレイト!」
 迷う間など無く、彼女はサラマンダーの力を使った。溢れ出す真紅の光。相次いで生まれた巨大な光球に、観戦している住民や既に広場に集まった他の参加者たちが歓声を上げる。もはや誰もがサリナと少年の一騎打ちになることを認めていた。
 光の中から真紅の鎧を纏ったサリナが飛び出し、少年を追う。もう広場までの距離が無い。サリナは大声で叫びながら走った。全ての力を脚に注ぎ込んだ。少年が振り返り、驚きの声と罵声を同時に上げた。
「なんだよ! ふざけんなよ! なんでお前も使えんだよ!」
 祭りの終了を告げるため、鐘の10連撞が始まった。鐘の音に人々の声が重なる。
 10……9……8……
 少年との距離が縮まっていく。アシミレイトした上であれば、やはり速度はサリナのほうが上だった。少年の背中が迫る。
 7……6……5……4……
 真紅と紺碧、ふたつの鮮やかな色の風が広場に舞い込んだ。人々が歓声を上げる。祭りは最高潮を迎えていた。鐘の音が響く。
 3……2……
 サリナは素早く視線を走らせ、自分のケースを探した。赤毛と銀髪の兄弟がこちらを向いて大きく腕を振っている。
「サリナー!」
「こっちだ! 急げ!」
 噴水の正面。彼女のケースがある。11の米俵が収められている。そこにあとふたつ、この両手の米俵を。
 1……
 美しい最後の鐘の音が響き渡った。その直後、息を飲んだようなしじまが広場を支配した。
「――終了です! この瞬間、今年の収穫祭奉納手が決まりました!」
 市長が大音声を張り上げながら宣言した。演台の上で、彼は額に汗を光らせていた。
「今年の奉納手は――」
 そう十分に溜めを作って、一度深呼吸をし、彼は再び大きく息を吸い込んだ。
「サリナァァァァァァァァ・ハァァァァァァァトメイヤァァァァァァァ!」
 これまでで一番の歓声が湧き起こった。街全体を揺らすような大喝采。鐘が打ち鳴らされ、そこここで口笛が吹かれ、準備されたあらゆる楽器が存分にその音色を響かせた。道化師に扮した男たちが踊り、紙吹雪が舞う。サリナはスピンフォワード兄弟の肩に上り、13個の米俵を収めたケースを掲げた。喜びの声が上がった。

挿絵