第199話

 マナを吸い取りながら戦う黒騎士に、サリナたちは手をこまねいていた。力を籠めた一撃はことごとくその漆黒の大剣に阻まれ、敵の攻撃となってサリナたちに返ってくる。
「く……」
 一度黒騎士と距離を取り、サリナは険しい表情を浮かべる。地面にどっしりと根付いた壁を人力のみで押しているような錯覚に陥りそうになる。
 前回の戦いでも味わった強力な戦闘能力に、暗黒騎士と魔法剣士の力。高い攻撃力と変幻自在の魔法剣が、恐るべき回転速度で繰り出される。
 その攻撃力に加えて、その身体能力による回避力が圧巻だった。サリナたち5人の前衛戦士、それも瑪瑙の座の幻獣の力を得た戦士たちを相手にして、乱れを露ほども見せない。アシミレイトは元々の身体能力を大きく向上させるが、黒騎士のそれはサリナたちのものと比べても著しいものだった。
「このまま戦ってても、埒が明かない……」
「ああ。このままじゃこっちが消耗するだけだな」
 隣に来たのはカインだった。切り込み隊長を自任する彼も、黒騎士には手を焼いている。
「サリナ、さっきの話はマジか?」
 カインが訊ねたのは、サリナが皇城から感じた異様なマナのことだ。恐らく皇城内部にゼノアがいる。そして彼は、その狂気に満ちた研究の末――ついに持ち出したのだ。
「はい。たぶんあの中に、ゼノアと……狂皇、パスゲアの遺体が」
 戦いのさなか、サリナはさきほど言いそびれたことを仲間たちに告げていた。ゼノアとパスゲアの存在のことだ。後ろのふたり、セリオルとフェリオには話せていないが、彼らのことだ、既に気づいているだろう。
「ちっ……。てことはあの黒騎士の野郎、さっきからのらりくらりしてやがるのは、完全に時間稼ぎってことか」
「けっ。ナメられたもんだぜ!」
 毒づくクロイスは、氷の矢を放った。しかしアーネスが作った隙を突いたはずのその攻撃も、黒騎士の大剣に吸収、反射された。素早く戻ったアーネスの盾が、それを防ぐ。
「このままじゃジリ貧ね……」
 純白の光を纏った流星が舞い降りる。純白の槍は漆黒の大剣に阻まれた。シスララの全霊を懸けた一撃も、黒騎士の腕のひと振りによってはじき返される。
「サリナ、プラナを使うわけにはいかないの?」
 闇のマナに有効であるはずの、聖のマナ。そのマナも魔法剣士の力で敵の攻撃へと転化されてしまうのでは、決定打にはなり得なかった。黒騎士は見事に、その弱点を克服してきたのだ。
 シスララの問に、サリナはかぶりを振る。
「マナとプラナは、同時には使えないの。アシミレイトしている状態で、氣の力は使えない……」
「かと言ってアシミレイトを解除して戦えるほど、易しい相手じゃない、か」
 いつの間にか近くに来ていたフェリオとセリオルも、厳しい目で黒騎士を睨んでいる。
 サリナは歯がゆさを感じていた。ゼノアの思い通りにはならないと決意をして身に着けた、氣の力。しかしそれも、ゼノアが遣わす黒騎士には使えない。生身で氣の力のみを纏って戦うには、黒騎士は強力すぎる。アシミレイト――幻獣の、マナの力を借りざるを得ない。
 幻獣の力を借りて戦う。それはマナ共鳴度を高めることに繋がる。元はマナが扱えなかったクロイスがマナ技術を身に着けることが出来たのはダリウによる指導の賜物だが、それはクロイスのマナ共鳴度が向上していなければ成し得なかったことだ。
 サリナが幻獣の力を借りて戦い、マナ共鳴度を上げる。それが理由は不明だがゼノアが望むことであることは、既にゼノア自身が言及した。
「黒騎士は、恐らくマナ共鳴度を極限まで上昇させています」
 こちらが攻撃の手を休めたのに合わせて動きを止めた黒騎士に、セリオルは険しい顔を向けている。
 その表情に、サリナは不思議な違和感を覚えた。郷愁、あるいは悔恨だろうか。もしくは愛情に似た、何か別の感情。ひとことでは表しがたい、過去を見つめるような目。
 だがそのことをサリナが訊ねるより早く、驚くべき事実が告げられた。
「あの幻獣は、ケルベロスです」
 ――その宣告は、サリナたちを凍りつかせた。
 ケルベロス。それは王都での戦いで黒騎士が纏っていた幻獣。闇の幻獣、碧玉の座。
 つまり、サラマンダーたちと同等の力の幻獣だ。
「そんな……」
 サリナはそれ以上の言葉を失った。
 彼らは瑪瑙の座の幻獣の力を借りている。瑪瑙の座と碧玉の座の力の差は大きい。それは両方の幻獣をアシミレイトしたサリナたちには、身に沁みていることだった。
 仲間たちの誰も、言葉を発しなかった。
「イフリートさん……」
 小さな声で、サリナはその名を呼んだ。烈火を司る猛き神は、その声に応えた。
「……セリオルの言うのは、本当だ」
 その短い言葉は、鉛の重しとなってサリナの身体の芯に沈んだ。
 それは仲間たちも同様だった。動きが止まる。分厚い暗雲が胸の中に立ち込める。
 黒騎士は動かない。こちらの出方を窺うように、剣をだらりと下げて立っている。
 絶望の2文字が頭をよぎりかける。うすら寒い感覚には吐き気と眩暈を催しながらも、サリナは敵から目を離さなかった。黒騎士は動かない。
 静寂が辺りを包んだ。漆黒の鎧から闇の粒を撒き散らし、闇の騎士は不気味に佇んでいる。
 その膠着状態を破ったのは、ユンファの声だった。
「いったぁ!?」
 彼女はサリナのすぐ後ろまで、ごろごろと派手に転がってきた。すぐに立ち上がり、トンファーを構える。
「いてて……強いね、あの魔物たち!」
 サリナに向けられたその声は、ただ溌剌としていた。戦闘の高揚感か、あるいは多勢対多勢の戦いに楽しさを感じているのか。眼前には強力な魔物が群れを成し、背後には理解の範疇を超えた化け物が、幻獣の力を使う戦士たちと対峙している。楽観出来る状況ではないことは間違い無い。
 しかしユンファの声に、迷いも諦めも、ましてや絶望などは微塵も混じっていなかった。
「ユンファ……」
「どうしちゃったの、サリナ、みんな!」
 ユンファのよく通る声が、サリナたちの意識を動かした。
 後ろで、仲間たちが戦っている。ゼノアの闇の力が召喚した、強力な魔物たち。生身の人間として戦うユンファやルァンたちにとって、決して容易く撃破出来る相手ではない。しかも黒騎士がこの場にいるからか、闇のマナが潤沢に供給されているのだろう、魔物は撃破しても撃破しても、次々に現れて来る。戦況は芳しいとは言えない。
 ただ、ユンファの声は明るかった。
「みんなには幻獣様がついてるんでしょ? ガンツさんが作ってくれた装備もある! それに何より、後ろには……私たちが、ついてる!」
 背中から、ユンファの熱が伝わってくる。それは鮮烈なエネルギーで、サリナにはそれこそが氣の力なのではと思えた。生命が持つ、その身の内から湧き上がる力。
 その力が、伝わってくる。
「はん。なっさけ無いねえあんたたち。ローランを救った英雄の名が泣くよ」
 両手に1本ずつの剣を握り、アリスは背中越しに声を投げた。朽ちた砂牢で見たサリナたちの姿は、彼女に勇気を与えた。きわめて厄介な敵だったブラッド・アントリオンを前にしても、彼らは1歩も退くこと無く戦った。世界樹の意識に支配されたサリナを救ったフェリオの行動は、まさに見事だった。
「おうおうおうおうおう! なんでえなんでえカインさん! あんたがたぁそんなヘボだったんかい! 今のあんたたちなら、俺でも倒せっちまうなあ!」
 巨大な戦斧を振り回して鉄巨人を両断したダグが、豪快に笑う。アジトの砦で見た、雷神の力。それはダグの脳天を強烈に貫いた。それまで信じていた己の強さ、その価値観が叩き壊された瞬間だった。彼は敗北を知り、そして新しい人生を与えてくれたカインたちに感謝した。雷光によって、彼の人生は照らされた。
 彼らの声、その生気に満ちた声は、サリナたちの心を塞ぎかけた黒雲を噴き散らす突風となった。透明な陽光が差し込むように、サリナは視界が開けるのを感じた。
「うん……ふふ」
 不意に笑みがこぼれた。目の前に立ちはだかる、黒き宿敵。その強大な力を打倒しなければならないというのに、サリナは思わず、笑った。背中を守ってくれる仲間たちの心強さに、笑った。
 そして――
 空から舞い降りたのは、旋風を伴った爆炎だった。
「はーっはっはっはっ! しみったれた顔してんじゃあねえーぜぇ、サリナァ!」
 真紅の外套、6本の腕、そして禍々しい悪魔のような顔に、外套と同じ真紅の髪。6種の武器を振り回して、ギルガメッシュは黒騎士に襲い掛かる。
「はっはっはっはっはっ! 楽しい相手じゃねえの、なあ! こんな面白れーヤツと戦えるなんてさあ! ゼノアのヤツは嫌いだけど、こういう面白れーヤツは悪くねえ!」
 燃え盛る火炎を纏う強烈な攻撃。黒騎士はそのマナを吸って力に換え、闇のマナと混ぜて反撃する。しかしギルガメッシュの6本の腕から次々に繰り出される攻撃が黒騎士の反撃を防ぐ。
「なあサリナ! こいつはあんたたちの獲物だろ? このままじゃあ俺が頂いちまうぜ?」
 言いながら、炎の塵魔は右の腕3本を同時に振り、目も覚めるような爆炎を纏った一撃を放った。さすがの黒騎士もこれには跳び退って回避をした。ギルガメッシュも同様に、サリナたちの前まで下がってくる。
「お、お前……ギル、か?」
 塵魔の姿になったギルガメッシュを初めて目にしたカインたちは、驚きを隠せなかった。サリナから話を聞いてはいたものの、いざ目の前にすると衝撃を受けずにはいられなかった。
「はは……ほら、顔上げろよ。あんたたちの力、まだちゃんと出してないだろ?」
 かつては全てを破壊する災厄の炎に聞こえたその声が、今は勇気を与えてくれる導きの篝火のようだ。サリナたちは顔を上げた。幻獣たちの声が心に響いてくる。
(わしの雷が碧玉に通じぬとでも思ったか、カインよ)
(やれやれ……この程度でへこんじゃうなんてまだまだお子様ね、クロイス)
(腰を落とせ、膝を踏ん張れ、丹田に力を籠めるのだ、アーネスよ)
(闇を祓うのは私たち聖なる力の責務。行きましょう、シスララさん)
(ほぉらセリオル。あたしのマナ、もっともっと貸してあ、げ、る)
(フェリオよ。我が剣と槍の力、もっと存分に揮ってもらわねば困るぞ)
「へっ。あんたの力は俺がよーく知ってるよ、爺さん」
「だーれがお子様だよ、俺はもう大人だっつの!」
「ふふ。ありがとう、タイタン。任せて」
「はい、聖霊様。よろしくお願いいたします」
「はいはい、ありがとうございます。存分に使わせて頂きますよ」
「ああ、わかってる。俺に力を貸してくれ」
 美しいマナの光が輝きを取り戻す。光の柱が立ち上る。ギルガメッシュはいつの間にか人間の姿になって、美しい光の波の後ろに下がっていた。
(さあ行くぞ、サリナ。あいつの後ろに瑪瑙や玉髄がいても関係ねえ。俺らは俺らのやれることをやる。そうだろ?)
「……はい。ごめんなさい。ありがとう、みんな!」
 真紅の光が天を衝く。サリナは全身に力を籠めた。
 7色の光。エリュス・イリアを守る光の戦士たち。その姿は神々しく、そして力強い。ユンファたちプリマビスタの戦士は皆、その光に救われてきた者たちだ。彼らはその光の頼もしさに確信を得、己の戦いへと戻っていく。
 マナが高まり、大気が震える。黒騎士も剣を構えた。
「ひとつ覚えときな、サリナ」
「え?」
 それはギルの声だった。塵魔の姿の時のおどろおどろしさは消えて、人間の声になっている。
「炎のマナは特別なんだ。炎のマナは他のマナとは違う。だから俺も、イフリートのおっさんも、プラナを使うことが出来る。人間の姿の時だけだけどな」
「え? それって――」
 サリナは問おうとした。しかしそれは成らなかった。
 突然、襲い掛かってきたからだ。
「うっ!?」
 漆黒の大剣と鳳龍棍が交錯する激しい音が響いた。
 黒騎士の強烈な威圧感が、大剣と闇のマナの重量を伴って覆いかぶさってくる。
「サリナ!」
 フェリオの精確なマナ弾が黒騎士に飛ぶ。闇の剣がそれを弾き飛ばす。プレッシャーが減ずる。サリナは鳳龍棍を振った。真紅のマナが炎の形を取って広がる。黒騎士はそれを避け、距離を取った。
 ギルの言葉は気になったが、サリナはひとまず意識を敵に向ける。地面を蹴り、最高の速度で黒騎士に迫った。
 サリナの乱撃が黒騎士を襲う。スピードではサリナのほうが上だ。黒騎士はサリナの攻撃の全てを大剣のみで受けることは出来なかった。右手の大剣と左手の籠手を上手く使って、神速の炎をいなしていく。時にその炎は闇の剣の力となってサリナに反撃した。
 その反撃のひとつが、サリナを吹き飛ばした。闇のマナが乗った攻撃を受け、サリナは地面を転がる。その眼前に、暗黒の刃が迫った。それは暗黒騎士の技――“暗黒”と呼ばれる攻撃だった。己の生命を削って放つ、必殺の刃。
「くっ……!」
 回避できるタイミングではなかった。防御のため、鳳龍棍にマナを行き渡らせて構える。耐えられるか……耐えられないか。黒騎士の必殺の攻撃が、サリナに迫る。
「――私の出番ね」
 その頼もしい琥珀色の声が、サリナの前に立った。いつも助けてくれる、頼れる騎士。気高く強靭な精神が支える、大地の盾。
「来たれ美しき風水の力! 我が盾に光の加護を!」
 風水の護りはタイタンのマナを得たアーネスの盾を更に強化する。巨大な盾が広がり、黒騎士の“暗黒”を受け止めた。マナの力同士の激しいぶつかり合い。ふたつは拮抗したかに見えたが、アーネスの裂帛の気合と共に突き出された光の盾が、闇の刃を散らした。
「アーネスさん!」
「ふん。この程度、大したことないわね。立てる? サリナ」
「はい!」
 強く美しいアーネスの姿は、サリナを勇気づけてくれる。
 渾身の“暗黒”を防がれたことに衝撃を受けたか、黒騎士に僅かながら隙が生まれた。そこに突撃したのは、カインとクロイスだった。
「おらおらおらおらおらー!」
「うらうらうらうらうらうらー!」
 と似たような声を上げつつ、雷の鞭と氷の短剣の乱舞が黒騎士を襲う。虚を突かれたためか、漆黒の剣は紫紺と紺碧のマナを吸えず、ただ防戦を強いられるかたちとなった。
 激しい攻撃を加えた後、ふたりはタイミングを合わせて左右に跳躍した。突然のことに黒騎士が若干ながらバランスを崩したところへ、銀灰の弾丸と翠緑の刃が飛来する。
 無数の弾丸と刃が、目にも止まらぬ速さで次々に黒騎士へと襲い掛かる。息の合ったコンビネーション攻撃。黒騎士はたまらず、大剣を前に構えて全力を防御へ傾けた。
 しかしそれだけの苦しい戦いを強いられても、黒騎士は声ひとつ上げない。その不気味さが、サリナを不安にさせる。
 だがその不安も、天空から舞い降りた純白の流星によって浄化された。
 白き竜騎士のジャンプ攻撃が、銀灰と翠緑の嵐が止んだ瞬間に炸裂した。目の前の怒涛の攻撃を防ぐことに力を注いでいた黒騎士に、聖なる槍をかいくぐることは不可能だった。
 更にそこへ、天空から純白の光線が降り注いだ。竜の戦士ファ・ラクと、聖竜王となったソレイユのものだった。光は闇を押しつぶし、大きな爆発を生んだ。
 粉塵が晴れかけたところへ、次はアーネスが突進した。琥珀色の光を放つ騎士の剣が、いくつもの巨大な岩の刃を伴って黒騎士に斬りかかる。よろめきながらも、敵はその攻撃への対応を始めた。
 口笛が聞こえた。ギルが出した音だった。
「すっげえなあ、みんな! さすがは瑪瑙の座の力、ってか?」
 いたずらっぽい笑みを浮かべ、ギルはサリナに目を向けている。マナの戦士たちの白熱した戦いは、ギルだけではなく他の仲間たちの関心も大いに引いていた。
「なんだい、やりゃあできるじゃないか」
「ムッフッフッフッフ! さすがはファンロン流が認めた戦士たちだ!」
「ふん……。あの程度、ラムウ様がついているのだから当然だ」
「またまた、レオンさん。さっきはあんなに心配してたくせに」
「う、うるさいっ」
「がっはっはっは! そりゃあそうだ、あん方たちは無敵なんだ!」
 彼らも傷を負っていた。普通なら訓練された兵士たちが束になってかかるレベルの魔物が、倒しても倒しても湧いてくるのだから当然だ。しかし彼らはこの戦いに、希望を失ってはいなかった。彼らは皆、サリナたちの勝利を信じていた。サリナたちが敵に勝利し、この混乱を収めるはずだと確信していた。
 その思いが、サリナには痛いほど伝わってくる。
「さあ、サリナさん」
 細身の剣をその手に握り、ルァンは息ひとつ切らしていない。彼はトンベリに止めを刺したところだった。
「ルァンさん……」
「今こそ、ファンロンでの修行の成果を見せる時ですよ」
「で、でも……マナとプラナは同時には……」
「だーからさ〜」
 軽い調子のギルは、身体をくにゃりと曲げてサリナと目線の高さを合わせた。戸惑うサリナに、彼は告げる。
「ファンロン流のとこで、プラナの扱いを覚えたんだろ? さっき言ったろ、炎のマナは特別なんだって」
「え……はい……」
 まだ飲み込めないサリナに、ギルはこめかみのあたりをぽりぽりと掻いた。ルァンは少し愉快そうな顔をしている。
「ったく……。おいイフリートのおっさん! さてはちゃんと教えてやってねーな!」
「だーれがおっさんじゃい」
 毒づきながらイフリートが姿を現した。アシミレイトしているので、ギルとは違って幻獣の姿だ。その雄々しい神の威光に、ルァンが敬礼する。
「あんた以外に誰がいるんだよ」
「てめえ、わけのわからん紛いもんのくせしやがって、ぶっ飛ばすぞ」
「おーこわ。ってそんなことはいいから、ちゃんと教えてやんなよ。炎のマナと“人の型”のこと」
「“人の型”……?」
 ファンロン流武闘術の天の型や地の型と類似した言葉に、サリナは困惑する。これまでファンロン流の誰からも、そんな型のことを聞いたことは無かった。奥義の修得まで行ったというのに。
 サリナのその問いに、イフリートは彼女の頭上で答えた。
「我ら炎の幻獣、そして炎のマナは、特別な力を持ってる。そもそも幻獣の頂点は炎の幻獣の玉髄の座、フェニックスだからな。そのためかもしれん」
「もったいぶらずにちゃっちゃと言えよー」
「うっせえのうお前は! 全く……とにかくだ、我々炎の幻獣は、人間の姿を取ることが出来る。腹立たしいことにそこの紛いもんも同じみてえだな。で、人間の姿の時に限って、俺らはプラナを使うことが出来る」
 イフリートの言葉は、サリナの頭にゆっくりと沁み込んでいった。その言葉を咀嚼し、サリナは急速に理解した。
「……イフリートさん、まさか、もしかして!」
「ふっふっふ。そーだ、そのまさか、もしかしてだ。サリナ、お前は俺とアシミレイトしている。アシミレイトってーのは、人間と幻獣の融合だ。つまりサリナ、お前は今、人間形態の幻獣とさほど変わりが無い」
「つ、つまり、アシミレイトしてる状態で、私が氣を使っても……大丈夫ってことですね!?」
 唾を飛ばしながらごくりと唾を飲み込むような器用なことをしながら、サリナは意気込んで訊ねた。その様子に笑いながら、イフリートは答える。
「ま、そーいうこった。ただプラナの扱いがそれなりにしっかり定着しないと、やっぱ危ないからな。これはでは言わんかった。けどあの船の中での修行もしっかりこなしたし、今のお前なら問題なかろ」
「はい!」
 意識を集中する。己の身体に宿るプラナの源泉から、その力を呼び覚ます。体中に生気が漲る。マナとプラナの同時発動。初めてやることだが、これほど高揚するのも初めてだ。どれだけの力が生まれるのか、想像もつかない。
 それにその戦法は、完全にゼノアの目論見の外にあるもののはずだ。
 サリナは氣を解放した。イフリートが笑みを残して消える。真紅のマナと、アシミレイトの影響か、薄黄色ではなく黄金のプラナが同時に湧き上がる。ふたつの光は絡まり合い、天を貫く柱となって爆発的に膨張した。
 仲間たちの驚きの声が上がり、直後にそれは喝采へと変わった。サリナは空を飛んだ。驚くべき力の奔流は、サリナの身体をひと息に黒騎士の許へ飛ばした。
 例えようも無いほどの圧倒的な力の中で、サリナは黒騎士に突撃した。叫んでいたかもしれないが、耳元で渦巻く風の音で自分の声もよく聞こえなかった。これまでの中で最高の速度で、サリナは真紅と黄金に輝く鳳龍棍を、漆黒の闇を纏う騎士に叩きつけた。
 その恐るべき威力は、黒き大剣を中ほどで砕いた。黒騎士はサリナに圧倒された。目にも止まらぬ連続攻撃が叩き込まれ、闇の化身は為す術無く翻弄された。鎧も徐々に砕けていく。
 そして最後の一撃、全霊を籠めた渾身の一撃が、黒騎士の兜を吹き飛ばした。
 全てが停止したような空白の中、サリナはそれを見た。
 黒騎士の、その漆黒の兜の下に隠された、素顔を。
 そして――世界は、色を失った。