第202話

 闇のマナの供給によって倒しても倒しても出現し続ける魔物に辟易していたルァンは、サリナが放出した強大な氣の気配に、思わず戦いの手を止めた。その隙を突こうと近づいてきたトンベリを、ダグの巨大な戦斧が薙ぎ払う。
「はっはっは! どうですかい、ルァン先生! やっぱりすげえでしょう、あの方々は!」
 斧を肩に担ぎ上げて豪快に笑うダグに、ルァンも釣られて笑う。
「ええ。本当に、素晴らしい……」
 目を細め、ルァンはサリナを見る。真紅と黄金の光を纏った少女は、気勢を上げて黒騎士に突進する。カインとクロイスが戦いの場を譲り、援護に回る。
「あれほど素晴らしい才能は、見たことがありません。イェジン師、それにローガン師……サリナさんは、もしかしたらファンロン史上最高の遣い手になるかもしれませんよ」
 言いながら空を見上げる。地上での戦いのことなど知らぬとでも言うように、ナッシュラーグの空は高く、澄んでいる。
 サリナは全身全霊の力を籠め、棍形態の鳳龍棍を振り下ろした。アルタナの闇の大剣とぶつかり合い、激しい金属音が響き渡る。と同時に、炎と闇が衝突したことによる爆風が吹き荒れた。それは炎が生む上昇気流と混ざり合い、真紅と漆黒が2頭の龍のように絡まり合って、空を貫いていく。
 姉の無表情な顔を見つめる。ディアボロスとアシミレイトしたアルタナは、漆黒の光にも似た闇を纏っている。だがサリナには、真に闇を纏っているのはその身体ではなく、心であるように思われた。
 力と力はぶつかり合い、そして弾き合った。互いに跳び退って距離を取る。
「……あなたが私のお姉ちゃんだって、正直まだ信じられない」
 無駄だとわかっているが、サリナは語りかけた。アルタナの表情に変化は無い。
「でも、私はセリオルさんを信じてるから、だから……あなたが私のお姉ちゃんだって、信じようと思う」
 言葉に熱が入る。それはアルタナに対しての想いであり、同時にセリオルに対しての想いでもあった。それはつまりサリナの、家族に対しての愛だ。
「私、決めた。ゼノアが何を企んでても、関係無い。私は今、ここで、あなたを――」
 イフリートのマナと自らのプラナを混ぜ合わせる。炎の幻獣にのみ可能だという、特別な力。マナと、プラナ。ダリウから教わった力と、ローガンやイェジンから授かった力。混ざり合い、美しい光の龍となって、それは鳳龍棍に宿る。
「お姉ちゃんを、解放する!」
 サリナは飛び出した。同時にアルタナも地面を蹴っていた。
 ふたりが再び距離を詰めるのにかかった時間は、瞬き1回分も無かった。まさに神速。炎と闇がぶつかる。
 その一撃は、サリナに分があった。身軽なサリナと、鎧を着こんだ上に長大な剣を携えたアルタナでは、明らかにスピードに差があった。アルタナはサリナの攻撃を受けるかたちになった。漆黒の具足が地面にめり込む。
 棍の特性を生かし、サリナは鳳龍棍の、アルタナの剣に叩きつけたのと反対側の端を、黒い鎧の胴の継ぎ目を狙って繰り出した。大剣との接点が、ちょうど回転の軸になったかたちだ。
 アルタナはそれを大剣の柄で器用に防いだ。サリナは体を反転させ、またも棍の逆側を、今度は相手の脇の下の継ぎ目を狙って打ち上げる。脇は人間の急所だ。決まれば大きなダメージを与えられる。
 しかしアルタナはそれを予測していたか、上半身を捻って対応した。二の腕を守る装甲でサリナの一撃を受ける。衝撃が走るが、急所に受けるよりはましだ。
 得意の回転連撃を、サリナは次々に繰り出した。アルタナはそれに鎧と大剣とで対応していく。さらにサリナの攻撃の隙間に、剣の刃や柄、それに拳や蹴りも交えて反撃を試みてくる。防具の薄いサリナはそのことごとくを回避していった。
 目まぐるしい攻防に、仲間たちも手出しが出来ない。
「……シスララ以外、一度アシミレイトを解除しましょう」
 サリナとアルタナの戦いを見守りながら言ったのは、セリオルだった。仲間たちから驚きの声が上がる。
「手出しが出来ないままでアシミレイトを維持しても、幻獣たちのマナを無駄に消費するだけです。それより我々は、サリナとシスララの援護を行ったほうが良いでしょう」
「俺はアシミレイトを維持する。シスララとソレイユのマナを増幅させたい」
 間髪を入れずに言ったのはフェリオだった。それにカインが反応する。
「けどシスララとフェリオだけアシミレイトしてるのは、あからさますぎねえか?」
「黒騎士に気づかれるよな」
 クロイスがそう続けたが、アーネスが応える。
「もうバレてるでしょ。シスララとソレイユのマナを感じ取ってないはず無いわ」
 確かにそのとおりだった。サリナの攻撃の陰で集中しているふたりのマナは、明らかに増大を続けている。彼らが集中している証に、すぐ近くにいながらこの会話にも参加してこない。ソレイユはさすがにまだ聖竜王に変身してはいないが。
「わかりました。ではフェリオはそのままで、他の皆は解除しましょう」
「了解」
 異口同音にそう言って、カインたちはアシミレイトを解除した。マナの高まりに共鳴するように鳴っていた空が、少し落ち着きを取り戻す。
 セリオルがエーテルの強化版であるハイエーテルを仲間たちに配る。戦闘で使ったマナのほとんどは幻獣のものだったのでセリオルたち自身のものはさほど消費していなかったが、回復できる時にしないほどの余裕は無かった。
「サリナに支援を!」
 セリオルの号令で、支援系のマナ技術を持つ者たちが動く。
「シザーズ・シャープネス!」
「来たれ地の風水術、岩壁の力!」
「魔の理。力の翼。錬金の釜! バシャドウ!」
 カインの獣ノ箱が攻撃力を、アーネスの風水術が防御力を、セリオルの調合が闇属性への耐性を向上させる。仲間たちの支援を受けて、サリナは胸の炎が勢いを更に増すのを感じた。
 全身の筋肉が悲鳴を上げるほど、サリナは身体を酷使していた。極限の集中の中で、アルタナに隙を生み出させるべく攻撃を続けている。そのあまりの速さに、さしものアルタナも防戦一方だった。だが相変わらずアルタナの呼吸は乱れない。
 わかってはいたことだが、強い。一撃もまともに入らない。アシミレイトの強さはマナ共鳴度に比例する――サリナのそれは相当なものであるはずだが、アルタナはその更に上を行っているというわけだ。
 あるいは、ゼノアによって何らかの手を加えられているか。
 後者のほうの可能性が高いと、サリナは考える。あの狂った男は、それくらいのことはしかねない。アルタナの思考を操るだけでなく、彼女の身体、あるいはマナにも干渉しているのだろう。
 そのことに、サリナは怒りを感じていた。そしてそんな自分に、少し驚いていた。
 セリオルから告げられたことを、自分はやはり信じているのだ。仲間たちの中には少し懐疑的な向きもあったが、やはり自分はセリオルを信じている。その言葉を信じている。だから彼女は、アルタナが姉であるということを、受け入れている。
 だからゼノアに怒りを感じている。それはハイドライトで命を落としたカスバロ・ダークライズに対するゼノアの態度に感じたのとは、明らかに別種の怒りだった。
 家族を弄ばれたことに対する怒り。
 しかしサリナは、その矛先を被害者であるアルタナに向けることができるほど、器用ではなかった。
「ううっ!」
 アルタナが放った、闇のマナを纏った蹴り。大剣を振り切った後の隙を突いてサリナが繰り出した棍を咄嗟に剣の柄から離した腕で防御し、その身を捻って繰り出された蹴りだった。それがサリナの肩を強かに打った。小柄なサリナは、マナを纏ったまま地面を転がった。
 すぐに身体を起こす。サリナは焦っていた。そして戸惑っていた。
 焦りは、なかなかアルタナに致命的な隙を作らせることが出来ないことに対してだ。シスララとソレイユのマナが高まっているのはわかっていた。間もなく、彼らの準備は整うだろう。あとはサリナが隙を作ることが出来れば、聖竜王に変身したソレイユと、セラフィウムのマナに祝福されたシスララが、フェリオの力のマナによる増幅を受けた最大の攻撃を放つことが出来る。それが命中すれば、いかな黒騎士といえど、そのマナを浄化させられるだろう。だがそれが、なかなか出来ない。
 一方の戸惑いは、自分の動きが鈍いことに対してだった。
 アルタナに対する攻撃の鋭さが、さきほどまでより減衰している。決意を新たにして挑んだものの、やはりどこかに、家族を傷つけたくないという思いがあるのか。そのことを歯がゆく思うものの、どうにもならない。彼女は家族に本気で拳を向けられるほど、冷徹ではいられない。
 アルタナの感情は、やはり感じ取れない。
 次から次へと、仲間たちから援護の力が届く。守り、攻め、回避する力が向上する。自分に懸けてくれる仲間たちの想いに後押しされ、サリナは心を奮い立たせる。
 そうだ、決意したばかりじゃないか。私は、お姉ちゃんを、解放するんだ――!
 瞬間、サリナの背に大きな翼が生まれた。炎の翼は、それがまるで推進装置であるかのように光を放ち、サリナの動きを加速させる。
 もう何度目になるだろうか。鳳龍棍と闇の大剣が交錯する。直後、サリナは体を回転させ、大剣の動きを受け流した。これまでと種類の異なる動きに、アルタナは不意を突かれたかのように体勢をぐらつかせた。
 鋭い足払い。ふくらはぎの側から具足を蹴り上げられ、アルタナは大きくバランスを崩した。その勢いのまま更に回転し、今度は反対の脚でアルタナの首を狙うサリナ。それをかろうじて回避したアルタナは、しかし無理な姿勢を維持できず、片膝をついた。
 紅の突きが放たれる。マナとプラナを乗せた鳳龍棍の一撃が、アルタナの胴を襲う。
 それは、ようやく決まったまともな攻撃だった。
 サリナの全力のマナとプラナを纏った鳳龍棍は、黒騎士の身体を後方へ吹き飛ばした。漆黒の闇がほうき星のように尾を引く。
「よし!」
 ぐっと拳を握ったカインは、すぐに追い打ちを掛けようと地を蹴ったサリナに、慌てて次なる支援のマナを練り始めた。確かにこのくらいで隙を作ってくれるほど、敵は甘くない。
「……ところでお前、何してんの?」
「なんにも」
 唇を尖らせるクロイスに、カインは半眼を向ける。
「ははーん。さてはお前、支援系の技、持ってないな?」
「うっせーなあ。一応やったっつーの、裏技・忍び足! サリナの回避力上げるやつ!」
「ほほーう。それで? 打ち止めってわけですか?」
「っせーな! てめーだってそんなに持ってねーだろ!」
「ふっふっふ。果たしてそうかな?」
 不敵な笑みを浮かべて、カインは両手で印を結ぶ。
「青魔法の弐【轟】・崩天!」
 瞬間、カインの全身から金色の光がいくつも飛び出した。複雑な軌道を描き、それはサリナを追い越して黒騎士に命中した。サリナを迎え撃とうとしていたアルタナは、回避することが出来ない。
 ビシッ、ビシビシッと音を立てて漆黒の鎧が崩れ、大きな穴が開いた。
「はっはっはっ! どうでえ! ひそかに特訓して編み出した強化版震天、名付けて崩天だ!」
「……シンテンってなんだっけ?」
「え……」
 高笑いを一瞬にして火消しされ、カインは落ち込んだ。そういえば、随分久しぶりに使った気がする。
 己の鎧が簡単に破壊されたことに驚いたか、ほんの一瞬、アルタナの動きが止まった。その刹那の目くばせで、セリオルはフェリオとシスララに合図を送った。
「はあああああっ!」
 裂帛の気合と共に、サリナは竜巻のような連続攻撃をアルタナに仕掛けた。ファンロン流武闘術・天の型による、流れるような攻撃の嵐。アルタナはなんとかそれに対応しようと大剣と手甲を駆使するが、カインの青魔法の影響はその手甲にも出ていた。サリナの攻撃を防ぐ度、ぼろりと崩れてしまう。
 自分の攻撃がアルタナに着実にダメージを与えることを実感しつつ、サリナは攻撃を続ける。これだけの高速攻撃を続ければ、さすがのサリナも息が上がってくる。しかし手を緩めるわけにはいかない。可能であれば、アルタナの動きを止めたいのだ。シスララとソレイユの聖のマナを完璧にぶつけるには、それが理想だ。
 すでにふたりの聖なる戦士が空に舞ったことは、マナの気配でわかっていた。当然、アルタナも気づいている。気づいていてなお、回避できない。そういう状況に、姉を陥らせるのだ。
 アルタナを闇のマナから、ゼノアの呪縛から解き放つのだ。
 イフリートのマナを吸い上げる。神であり師でもある炎の化身が苦悶の声を上げるのがわかる。
 己のプラナを絞り出す。全身に満ちる命が苦しげに叫ぶのがわかる。
 そのすべてを力に換えて、サリナはアルタナに突進する。背中の翼が巨大化する。
「リバレート・イフリート! 地獄の火炎っ!」
 渾身のリバレートを発動する。イフリートの幻影が現れ、全てを燃やす業火のような力強い声で吠え声を上げる。
 サリナの四肢が炎を纏った。その紅蓮はプラナの光と混じり合い、金紅の炎と化して荒れ狂う。イフリートの全てを出し尽くす連続攻撃が、バランスを崩したアルタナに襲い掛かった。
 目にも止まらぬ身のこなしから繰り出される、火炎の竜巻。凄まじい轟音と爆風がその攻撃を彩る。
 あまりに激しい攻撃に、アルタナの身体が宙に浮く。サリナは両手首を合わせるようにして、左右の掌をアルタナに向けて突き出した。
 気勢が上がる。真紅の手甲を付けた手から、突風のような速度で業火が放たれた。
 アルタナは声を上げない。まるで声を上げるということを忘れてしまったようだった。自分なら、悲鳴を上げただろう。アーネスにそう思わせるほど、サリナのリバレートの威力は絶大だった。
 爆炎の龍がごとき火炎の嵐が、黒騎士のマナを焼き尽くした。漆黒の闇は散り散りになり、その黒き光の粒は虚空へと消えていった。
「……はぁっ、はぁ、はぁ」
 アシミレイトが解除され、サリナは片膝をついていた。消耗が激しい。瞼を上げておくのもやっとだった。息が荒れる。肺が絞り上げられるようだった。
 ほんの僅かな静寂の後、その声は響いた。
「放て、聖竜王の咆哮! ドラゴンブレス!」
 天空より降り注いだ凛然たる竜騎士の号令。サリナの頭上に大きな影が覆いかぶさる。
 一瞬の後、目も眩むほどの閃光が世界を純白に染め上げる。
 放たれたソレイユのブレスは、極太の光の本流となってアルタナに降り注いだ。浄化の力を持つ聖のマナ。その結晶体ともいうべき聖竜王の力が、弱まったディアボロスのマナを散らす。
「リバレート・セラフィウム! エンジェリック・フェザー!」
 間髪を入れず、セラフィウムのマナが解放される。シスララは力を放ち終えたソレイユの背から飛び降り、空中で純白のマナを爆発させた。
 美しい3対の翼をその背に備えた天使の姿が浮かび上がる。福音の唄のような清浄な声が響き、闇を無に帰す聖なる力が放たれる。
 純白の羽根の嵐が無数の流星となって降りかかる。なんとかして起き上がろうともがく黒騎士の全身を、鮮烈な光の刃が貫いた。永遠に続くかとも思われる光の乱舞が終わり、そして――
「黒騎士のアシミレイトが!」
 闇の幻獣、瑪瑙の座。比類無き力を見せた夢魔ディアボロスのアシミレイトが解除され、黒き光が完全に消え失せるのを、クロイスは信じられない思いで見つめた。
 脳裏には、王都でのあの戦いが蘇っていた。
 ほとんど一方的に敗北した、あの戦い。自分たちの力の無さをあれほど痛感させられたことは無かった。命からがら逃げ延び、それからずっと彼らは、黒き騎士の影に怯えていた。いつかは超えなければならないと思いながらも、それがいつの日のことになるのか、明確に想像することは出来なかった。それほど、あの敗北は彼らの中に強烈な劣等感を残していた。
 その黒騎士を、それもあの時よりも強力な幻獣をアシミレイトした黒騎士アルタナを、ついに撃破したのだ。
「……は、ははは」
 笑いが口の端から漏れるのを、フェリオは自制出来なかった。心臓が激しく脈打っている。血が抜けてしまったかのように、手足の感覚が無い。走り出そうとして足元がふらつき、まろんでつまずきながら、なんとかサリナたちの許へと足を踏み出す。
 攻撃を終えたサリナとシスララ、そしてソレイユのふたりと1頭は、仲間たちが駆け寄ってくるのを感じながらも、アルタナから目を離せないでいた。
「やったじゃん! なあなあなあ! なあ、やったじゃねーの俺ら、なあ!」
 クロイスの明るい声が弾ける。歓喜が溢れていた。かつての雪辱を果たしたことに対しての、純粋な喜びの声。闇のマナが途絶えたことで、黒き魔物たちの出現も止まった。ルァンら、幻獣の力を持たない仲間たちも集まってくる。
「ふん、やればできるじゃないか」
「なんだいあんた、えっらそーに」
「はは……まあまあ、ケンカは無しでいきましょうよ」
「がっはっはっは! 俺は最初っから信じてましたぜ!」
「あーもう、声が大きいってば、ダグさん!」
 レオン、アリス、セリノ、ダグ、ユンファらが口々に喋っている。毒づく者もあれば素直に喜ぶ者もある。彼らも全員、疲弊していた。相手が幻獣や塵魔級ではないとはいえ、強力な魔物と何連戦もしたのだ。それも闇のマナによって強化された魔物たちだった。だが仲間たちの中に、重傷というほどの傷を負った者はひとりも無かった。
 中でも無傷に近い状態でセリオルと握手を交わしたのは、ルァンだった。ファンロン流の師範は激しい戦闘を終えても涼しい顔だ。
「あとは、城内のどこかにいるゼノアの探索ですか」
「ええ。そのためには――」
 この場から避難したはずの、あの皇族たちに目通りを願わねばなるまい。さすがに無許可で皇城内を探索するわけにはいかない。
 セリオルは皇族たちの姿を探そうと頭を巡らせた。
 そして、気づいた。気づいて戦慄した。
 サリナが棍を構えていた。アシミレイトを解除され、ふらふらの状態で。彼女は棍を構えていた。
 その前に、アルタナがいた。
 アルタナは、立っていた。そして静かにサリナを見つめていた。
 そのアルタナが、新たな闇を纏っていた。恐るべき量の闇だった。気づいた時にはもう遅かった。
 それは、瑪瑙の座であるディアボロスを超える闇。そんな闇は、この世にひとつしか存在しない。
 考えたくない可能性だった。しかし今、そう結論づけることを、セリオルには避けることが出来なかった。
「く……そ……」
 口の端からその言葉がこぼれ落ちるのを止められなかった。そのことに屈辱を感じながら、セリオルは続ける。
「闇の幻獣……玉髄の、座……闇獄鬼、ハデス……!」
 漆黒の絶望が、深淵から現れる。