第204話
「こんなことが……あり得るのか……」 寒気が背中を駆け上がる。それは恐怖のようでもあり、興奮のようでもあった。頭と胸を埋め尽くす無数の推論とそれに対する否定。そしてそれらとは全く別の次元で響く、自らの昂ぶり。爆発しそうな心臓と、震えが来るほどの発汗。かろうじて残っている脳の冷静な部分をフル稼働させて論理を組み立て、セリオルはなんとかまともな意識を保とうとした。 「ンだよあれは……」 「サリナ……大丈夫なの……?」 カインとアーネスの声は不安そうだった。クロイスとシスララは声も無く立ち尽くしている。 そしてフェリオは―― 「あれは……あれは何なんだ、オーディン!」 幻影として姿を現した戦騎は、主の問いかけにすぐには答えなかった。瑪瑙の座の幻獣である彼にも、眼前の存在が信じられなかったのだ。 「オーディン!」 「あ、ああ、すまない。あまりのことに動転した」 「いいから、あれは何なんだ! サリナはどうなったんだ!?」 「ああ、答えよう。あれは――」 サリナは地を蹴った。無限に溢れ出すマナを力へ換えて。美しい、真紅の光が爆発する。マナに輝く鳳龍棍が、唸りを上げて空を切り裂く。 「――あれは、二重融合だ。信じられないことだが、2柱の幻獣と同時に融合している」 黒騎士の大剣と、サリナの棍が交錯する。激しい衝突音。真紅と漆黒が混ざり合う。 爆発的に高まるマナは風を起こし、皇城前の土を巻き上げた。腕を上げて目をかばいながら、フェリオはサリナを見つめる。 二重融合。つまり、2柱の幻獣との同時アシミレイト。 「そんなことが、出来るものなのか……」 陳腐な言葉であることはわかっていたが、そう言わずにはいられなかった。2柱の幻獣の、同時融合。そんなことを為しうるだなんて。 サリナの姿は、これまでとは大きく異なっていた。全身に美しい炎の鎧を纏っていることは共通しているが、首から下の肌が真紅に染まっている。それは黒騎士のアシミレイトと同じような現象であるように見えた。もっとも、黒騎士の鎧はマナの鎧ではないが。またサリナの両手両足は、鳥類の羽毛のようなものに覆われ、鋭い爪まで備えていた。 鳥類――アイリーンは、変身したサリナに道を譲るようにして、脇に控えていた。その羽毛は、元の陽光色に戻っている。瑪瑙の座の幻獣ですら狼狽する中、アイリーン・ヒンメルの瞳は静かな光を湛えている。 助けに行きたい。サポートがしたい。だが、サリナと黒騎士の衝突は、次元が違いすぎるものだった。一撃一撃に、凄まじい量のマナが込められている。サリナはそれに、プラナを織り交ぜてもいた。マナとプラナ。相対するふたつの力を、サリナは完全に統制しているようだった。 竜巻が発生した。真紅と漆黒と黄金が、怒れる龍のように絡まり合う。 「ぐっ……! ダメだ! みんな下がれ!」 カインの声に、全員が素早く退いた。サリナとアルタナの戦いは、まるで隕石同士の激突のようだった。激しい衝撃波が一撃ごとに発生する。 「来たれ美しき風水の力! 我が盾に光の加護を!」 アーネスの盾、アストラルボルトが風水のマナを帯びる。周囲の環境からマナを拾い上げて力に変換する風水術で、アーネスは盾の防御力を強化した。 「蒼穹の盾よ! 逞しき大地のマナで我らを守りなさい!」 「フェリオ! アシミレイトを解除しろ! もうこれ以上は無駄だ!」 「……わかった」 銀灰の光が散る。戦いの役に立てず、状況の分析もままならない。募るばかりの歯がゆさに、フェリオは苛立たし気に髪をかき上げる。 幻獣を使えない者たちやギルも含め、仲間たちがアーネスの後ろに集まる。 僅かばかりの沈黙が落ちた。騎士の盾によって防がれるマナの嵐に、盾の内側の全員が固唾を飲む。その傍らにそびえる皇城。美しい白亜の壁が、マナの光に染まる。あの中のどこかにいるはずのゼノアは、この状況を認識しているのだろうか。 「なあちょっと、あれって何なんだよ?」 そんなセリオルたちの行き場の無い煩悶の間をするりと抜けて、ギルの興味津々そうな声が聞こえた。誰もそれに答えない――答えられないかと思われたが、僅かな沈黙の後、フェリオが口を開いた。 「オーディンは二重融合って呼んでた。たぶんサラマンダーとイフリートを同時にアシミレイトしてるんだと思う」 ギルは質問に対する答えに、口笛を吹いた。その表情は楽しそうだ。 「やはりそうなのですか……先ほど、サリナが叫んでいましたものね。火竜、炎神、私に炎を、と」 「ねえちょっと、あたしらには幻獣とのことなんてわからないけど、それってとんでもないことなんじゃあないのかい!?」 シスララの言葉を受けて、アリスは興奮気味に叫んだ。マナの嵐が巻き起こす轟音の中でも、その声はよく通る。 「つーかさ、ありえねーだろ!? 何なんだよそれ、サリナってやっぱ特別なのか!?」 クロイスの声が悔しそうなのが、どこか場違いだった。サリナの特殊な能力、あるいは特異な体質のことはこの場の全員が、その度合いはそれぞれに異なるにしても理解していた。とりわけ、ずっと共に旅をしてきたセリオルたちにとってはそうだった。彼女の力が無ければ切り抜けることが出来なかった場面がいくつもあった。 「運命の、子……」 知らぬ間にその言葉が口を衝いていた。その事実に慄然として、セリオルは背中を震わせた。上手く誤魔化したつもりだが、仲間たちには気取られなかっただろうか。 「サリナ……!」 手が出せないことへの悔しさと苛立ちがないまぜになりながら、しかしフェリオは彼女の名を呼ぶことしかできない。祈るように、見つめる。 ――そんな仲間たちの思いのことなど知らず、サリナは高揚感に身を任せている。 マナとプラナが、身体の中から無限に湧き上がる。まるで世界の力を独り占めしているようなその感覚に、サリナは酔いしれていた。炎が噴き出し、光が舞い踊る。黒騎士の闇の力が、まるで怖くない。閻獄鬼ハデスの、玉髄の座の幻獣の力が、その限界が、手に取るようにわかる。 確信が、あった。 今、私は確実に、黒騎士よりも強い。 事実、漆黒の刃はサリナの攻撃を防ぐために使われるばかりで、こちらへの攻撃を繰り出す余裕はほとんど無いようだった。アルタナの顔には相も変らぬ無表情が貼りついているが、サリナが圧しているのは間違いない。 勝てる。 かつて大敗を喫した因縁の相手に、勝てる。 ゼノアの野望のひとつを、この手で砕くことができる。 その確信が、彼女に得も言われぬ興奮を与えていた。 そしてその興奮が、彼女の中に眠るあの感情を呼び覚ます。 「ゼノア……! ゼノア、ゼノア、ゼノア……!」 サリナは自覚しなかったが、それはイリアスでの戦いの時に彼女を支配したものと同じだった。 ゼノアの姿をその目にした瞬間、まるで抑圧した蒸気が噴出して破裂する出来損ないの蒸気機関のように、彼女の心は爆発した。飛び出したものは怒りと憎しみだった。頭は白熱して何も考えられず、視界は赤に染まっていた。自分でもなぜそうなるのかわからなかったが、彼女は激昂の本流に抗うことが出来なかった。 「ゼノア! ゼノア!! 私のお父さんを、お姉ちゃんを、返してッ!!」 そう叫びながら鳳龍棍を突き出した相手が実の姉であることを、サリナはほとんど認識していない。漆黒の鎧の向こうにあるゼノアの幻影が、彼女を捕えていた。高揚は憤怒に、興奮は憎悪に置き換わっていく。 なぜそうなるのか、自分でもわからない。 激しい衝撃波を巻き起こした一撃が交錯し、サリナとアルタナは距離を取った。サリナは気高く美しい鎧を纏って立ち、眩い光を携える鳳龍棍を構えている。アルタナのほうは漆黒の鎧の大部分が剥落し、またハデスの鎧にも綻びが見えている。そして彼女は、片膝をついていた。 その姿に、サリナの中の欲求が膨れ上がる。 「リバレート!」 鋭く響き渡る宣告。顔を青くし、仲間たちがアーネスの盾から飛び出す。 「サラマンダー! イフリート!」 「よせ、サリナ!」 「彼女はあなたのお姉さんなのよ!?」 「やりすぎだ! みんなサリナを抑えろ!」 だが、アシミレイトを解除していた彼らのスピードは、遅かった。 あまりにも、遅かった。 「ノーブルブレイズ!」 サリナの叫びに続き、紅の光が膨れ上がる。突風が吹き荒れ、近づこうとした仲間たちは吹き飛ばされて地面を転がった。 その凄まじい光景を、セリオルは地にひざまずいて見た。皇城の塔、その美しき頂が、燃え盛る火炎の激流の向こうにそびえている。晴天の下、陽光を反射する尖塔の美しさが、その前で展開される戦いの苛烈さと対照的で、どこか現実味が無い。 サラマンダーとイフリート、2柱の幻獣を同時にアシミレイトしたサリナ――そのリバレート。閻獄鬼ハデスをアシミレイトした黒騎士と互角以上の戦いを展開した力の全てが解放される。言うまでもなく、恐ろしい威力の攻撃だろう。それが向けられる――黒騎士アルタナに。 炎の嵐は空を舞う。サリナの頭上で踊り狂う真紅の光は、次第に無数の火球へと姿を変えていった。ひとつひとつがサラマンダーのリバレートであるフレイムボールと同程度の大きさ。 それが、今。 黒騎士をめがけて――降り注ぐ。 「アルタナ……アルタナアアアアアアアアアッ!!」 セリオルのその叫びは、火球の雨が降り注ぐ音にかき消された。強すぎる爆風に、目を開けているのも困難だった。腕を伸ばす。足を進める。戦況を見てアシミレイトを解除したことを、彼は後悔した。 「セリオルさん……?」 我を忘れたようにアルタナの名を呼ぶセリオル。見つめるシスララの表情は暗い。 降り注ぐ火球の嵐が止んだ。サリナの纏っていた光が消える。粉塵の向こうで、漆黒の闇も消えた。 静寂の帳が、下りた。 鳳龍棍を支えにして、サリナは肩で息をしていた。目が霞む。もやがかかったように、頭がぼうっとする。 「これ、って……」 そう小さく呟いた途端、意識がはっきりした。視界も開けた。 自分が放った力の巨大さに、サリナは震えた。 粉塵が晴れた。皇城前広場の地面は大きく、何か所も抉れていた。サリナの火球が着弾した場所だった。 その破壊の跡の中心に、アルタナは倒れていた。漆黒の鎧はもはやぼろぼろで、彼女の身体を守る機能は既に消え失せている。傍らには黒き大剣が転がっていた。 アルタナ。サリナの実の、姉。 息を詰まらせ、サリナは弾かれたように地面を蹴った。 駆け寄り、その身体を抱え上げる。鎧が砕けたからか、思いのほか軽い。 「あっ、あのっ……!」 上手く言葉が出てこない。ついさっきまでの自制を損なうほどの怒りや憎しみは、どこかへ行ってしまった。むしろサリナは信じられない思いだった。その正体を知った直後とは言え、自分が姉に対して、あれほど強く暗い感情を抱くとは。いや、そもそもあれは、姉に対するものではなかった……。 「サリナ、回復の魔法を!」 いつの間にか傍に来ていたフェリオの声で、サリナは我に返った。慌てて呪文を詠唱する。舌が絡まりそうになる。 「てて、天の光、降り注ぐ地の生命を、あまねく潤す恵緑の陽よ――ケアルラ!」 白い光がアルタナを包む。全身傷だらけの上、そこらじゅうに火傷を負ったアルタナの身体が癒えていく。意識は戻らない。 場違いに思いながらも、フェリオは改めて思い知った。アルタナは、間違いなくサリナの姉だ。顔の造作や輪郭、髪の質、全体的な身体つきや雰囲気、ほくろの位置――ありとあらゆる点で、よく似ている。何年後かはわからないが、サリナもこのような女性に成長するだろうと、何の違和感も無く受け入れられる。 「ど、どうしよう! フェリオ、私、大変なことをしちゃった!」 「1回じゃ回復しきらないだろうから、何度か詠唱するんだ」 「う、うん」 癒しの光が明滅する。仲間たちが駆け寄ってきた。セリオルは蒼い顔をしてアルタナの顔を覗き込む。 「良かった。ひとまずは大丈夫だな」 安堵の言葉を口にしたカインから目線で同意を求められるセリオル。 「え、ええ。そうですね……」 「なんだ、歯切れわりぃな。敵とは言え、あんたの元同僚でサリナの姉ちゃんなんだろ?」 「……ええ」 向けられる視線に気づかないのか、セリオルは短く応えた。カインはそれ以上は何も言わない。彼はただ、セリオルを見ている。 「それにしても、よく似てるわね」 改めて口にしたのはアーネスだった。護りの力を使って消耗したようだが、その顔は明るい。 「私と同じくらいの歳かしら……セリオルと一緒に働いてたんだから、そのくらいよね」 「ええ。私のひとつ下です」 「じゃあ私のふたつ上ね……ほんと、サリナとそっくり」 みんなと同じように気を失ったままのアルタナを見つめながら、フェリオは頭の中に何かが生まれたのを感じた。何かはわからない。何らかの引っかかりだ。何かが、引っかかる。しかし何が引っかかるのか、よくわからない。 「なあ、これからどうする? とりあえずゼノアを捜さなきゃなんねーんだろ」 ぐっと身体を伸ばしながら、誰に訊くわけでもなくクロイスがそう言った。確かにそのとおりだった。黒騎士の脅威が去った今、次にすべきはゼノアの身柄の確保だ。 サリナはようやく落ち着き、深呼吸をした。速かった鼓動が鎮まっていく。 「凄かったね、サリナ」 ユンファはそう称賛した。彼女をはじめリバレーター以外の戦士たちにとって、幻獣の力を使役する戦いは驚異だった。中でもサリナが見せた2柱との同時融合による戦いは、筆舌に尽くしがたいほどの衝撃をユンファたちに与えた。 「全く、剣の鍛錬を続けているのが馬鹿らしくなるな」 「サリナさんの力があってこそのさっきの戦いなんじゃないですか?」 皮肉を口にしたのはレオンで、それを皮肉と気づかず窘めたのはセリノだった。レオンは肩をすくめ、それを見たルァンとフーヤが笑う。 「――“ダブル・アシミレイト”とでも言うべきでしょうか」 目を覚まさないままのアルタナを抱えて、セリオルが立ち上がった。 「お、おいちょっと、大丈夫なのかい」 アリスが狼狽える。 「問題ありません。彼女はしばらく起きませんよ。それよりきちんと治療をしなければ」 「あの、大丈夫なのですか?」 心配そうなシスララに、セリオルは微笑みを向ける。 「ええ。おそらくアルタナは“マージ”――ゼノアが生み出したあの薬によって、強制的に黒騎士に変容さあせられたはずです。最悪、精神も蝕まれているかもしれませんが……ゼノアの近くにいさせることが、彼女にとって最も良くない」 「私が連れて行こう」 ズズン、と地響きを上げて、ファ・ラクが着地した。踏まれそうになったクロイスが何か文句らしきことを叫ぶ。 「空から確認したが、黒き魔物の脅威は去ったようだ。お前たちにはまだやるべきことがあるのだろう。その者は私がプリマビスタまで運ぼう」 「助かります。あなたなら心強い」 仮に意識を回復しても、アルタナの使役する幻獣たちはマナを使い尽くしている。 闇のリストレインはブレスレットの形をしていた。それはアルタナの右手首にあった。漆黒のクリスタルはマナを失っている。理由は不明だが、リストレインはアルタナの手首から外れなかった。 「私たちは、皇城内部のゼノアを捜索しましょう。急がなければ」 言いながら、セリオルはアルタナの身体をファ・ラクに預けた。 ――が、そこへ。 「僕ならここだけど?」 ぞわりと、その声は侵入してきた。 驚愕と、それより僅かに早く生まれた嫌悪感とが、背中を駆け上がり粟立たせる。 セリオルは振り返った。 忽然と、彼は現れた。 白い髪、裾の長い白衣、青白い顔、赤い瞳。 王都の狂える天才――ゼノア・ジークムンド。 「……ゼノア」 どこからどうやって現れたのか、全くわからなかった。ただ彼がその場の中心に今、存在する。その事実は揺るぎようがない。 「ゼノアッ!」 叫び、サリナが攻撃を仕掛けた。突然のことに、仲間たちも止めることができない。瞬発力の塊であるサリナは地面を蹴り、鳳龍棍を構えて一気に接近する。幻獣の力を借りずとも、彼女の戦闘能力は強力だ。 「おいおい、危ないじゃないかサリナ」 だが彼女の急襲は成功しなかった。それどころか、棍が空を切ったその瞬間に、彼女は憎き敵に頭を撫でられていた。背筋が凍る。 身体を捻る。棍を振るう。しかしそこに、ゼノアは既にいない。しかも移動した先で、ゼノアはその腕にアルタナを抱いていた。聖竜ファ・ラクですら、アルタナを奪われたことに気づけなかった。 「おい、見えたか?」 「いや……」 「何でしょう今のは……」 仲間たちの口から漏れる言葉から、誰もゼノアの動きを視認出来なかったことがわかる。これだけ武芸の達人が集まっていて、その誰にも見られないほどの運動能力を、ゼノアは持っているというのだろうか。あまりの不気味さに、サリナは一度距離を取った。心が憎しみに支配されていくのを感じながら、頭は不思議と冷静だった。 「おや、お前は……ギルガメッシュか?」 人間の姿の自分に気づいた主に、ギルは肩をすくめて見せる。 「なんだ。あんた、俺たちみたいな失敗作には興味無かったんじゃないのか?」 「うん、そうだね」 それで、会話は終わりだった。それ以上ただの1秒も、ゼノアはギルのほうを見なかった。ギルは吸った息を吐く。それは諦念にも、憤懣にも、悲哀にも見えた。 「それで? わざわざこんなところまで追いかけてきて、僕に何か用?」 「白々しいことを言うんじゃねえよ」 こちらは明確な怒りを表しながら、カインが言う。 「モンスターの大群にベヒーモスなんて化け物まで用意しといて、俺たちの目的をわかってねえわけねえだろ」 「あはは。そうだよね、知ってるよ。僕の邪魔をしに来たんだよね」 嘲笑を含んだ声のゼノアに、カインは挑戦的な目を向ける。 「ああそうだ。何を企んでんのか知らねえけど、ここで終わりにしてやる。これだけの人数相手に、お前ひとりじゃどうにもなんねえだろ」 「あははは。君、面白いねえ。カイン・スピンフォワード」 ぐいと近づいてくるゼノアの赤い瞳。たじろぐのを堪えて、カインはそれを正面から見返す。 「ねえ、ほんとにそう思ってる? そうだとして、なんで僕はわざわざ自分から出てくるんだい」 虚勢を見抜かれたことに苛立ちながらも、カインは素早くゼノアから離れた。この白髪のマッド・サイエンティストの言うとおりだった。先ほどの瞬間移動のような力の正体も、ゼノアが持つ手札の中身も、何もわからない。対して敵は、こちらの戦力をほとんど正確に把握しているだろう。だから出て来たのだ。自分に危険が及ぶ可能性をゼロだと断定して。 「ははは……いやあ、それにしても立派に育ったね、サリナ」 ゼノアがそう言い終わるか終わらぬかの瞬間、彼の足元を複数の銃弾が撃ち抜いた。当然のように当たりはせず、ゼノアはその怜悧な瞳をガンナーに向ける。 「サリナに近寄るな!」 「……やれやれ。随分と嫌われたものだね。僕が何をしているか、知りもせず」 「貴様が何をしているかなど、今はどうでもいい。アルタナを――サリナの姉を返してもらおう!」 アーネスが切っ先を向ける。しかしゼノアは慄くどころか、やや間抜けな顔をしてみせた。 「は? ……え、何だって?」 「とぼけるな! 貴様が怪しげな薬で支配したその女性を、アルタナをこちらへ渡せ! そのひとはサリナの姉なのだろう!」 鋭い怒声に晒されながら、ゼノアの視線が揺れる。それはアーネスを外れてゆっくりと移動し、やがてひとりの人物の上で止まった。 「……あ〜。なるほど、そういうことか」 ゼノアは含み笑いを漏らした。それは次第に大きくなり、高らかな嘲笑へと姿を変えた。 「あっはっはっはっは! いやーこれは傑作だ! まったく、世にも愉快な喜劇だよ!」 腹を抱えて笑うゼノアに、アーネスの怒気も殺がれていく。仲間たちの間に動揺が広がる。大きく笑いながら、それでもゼノアは一分の隙も見せない。 「はーっ、お腹が痛い。久しぶりにこんなに笑ったよ。いや、楽しい時間をありがとう――ねえ、セリオル」 底意地の悪い笑みを、ゼノアはセリオルに向ける。アーネスの後、彼はずっとセリオルを見ていた。セリオルを笑っていた。嘲っていた。セリオルは何も言わず、ただ唇を噛んでいる。歯が食い込み、血が滲むほどに。 そして目尻の涙を拭き、ゼノアは言う。 「それにしても、君たちは実におめでたいねえ。こんな奴の言うことを全て真に受けていたのかい」 「……どういうこと」 低く、サリナは問うた。心臓に突き刺さった衝撃を極力無視して。他の誰も、声を発さない。仲間たちはゼノアとセリオル、どちらを見るべきか迷っているようだった。動揺が大きくなる。 「セリオルは、君たちに何も話していないようじゃないか。大切な仲間なんじゃないのかい、君たちは。え? アーネス・フォン・グランドティア。違うのかい、クロイス・クルート?」 こちらの素性も全て把握していることを匂わせつつ、ゼノアは形だけの問いかけをする。アーネスもクロイスも答えない。答えようが無い。心を闇が覆っていく。目を向けないようにしていた闇が。 「……アルタナが、サリナの姉だって? 馬鹿なことを言っちゃいけないよ」 息の詰まるような沈黙が落ちた。ただ強い風の音と、荒いサリナの呼吸音だけが聞こえる。過呼吸を起こしそうな、荒い息。 「この際だ。君たちに本当のことを教えてあげよう」 「よせ! やめろッ!」 セリオルは飛び出した。口早に呪文を唱え、火炎の魔法を発動させた。しかし火柱は誰もいない虚空を焼いたに過ぎない。 ゼノアは告げた。 「アルタナは、サリナの姉なんかじゃない。サリナ本人だよ。いや、逆だな……サリナが、アルタナ本人なんだ。僕の愛しいサリナ。君は、アルタナのクローンさ。僕が造った、ね」 |