第207話

 いつの間にか、雨が降っていた。
 狂える天才は去り、風車の都に静寂が戻った。
 闇の魔物たちによる、おびただしい数の破壊の爪痕。憲兵たちによって避難を完了したとはいえ、住民たちに被害が無かったはずは無い。街は痛みを抱え、人々は苦しい復興の日々をこれから送らねばならない。今はまだ、彼らは息を殺し隠れている。
 皇帝ガルド・カサンドル・パスゲア・フォン・ヴァルドーは、地に伏せて雨を受け続ける息子を見つめていた。その背中に力は無く、後悔と絶望、そして自責の念が彼を圧し潰していた。
 ――打ち付ける雨の中、立ち上がった者があった。
 フェリオはゆっくりと、セリオルの許へ進む。仲間たちが目を向ける。カインは少し心配そうな顔をしたが、止めなかった。俯き、兄は弟へ目だけを向ける。
 隣に立ち、フェリオはその背中を見下ろした。
 彼は、目標だった。
 その頭脳の閃きは大地に類を見ず、その知識の膨大さは筆舌に尽くしがたい。彼は常に先に居た。自分の知る限り、彼ほど世界を正しく理解している者は無く、彼の立案する指針や作戦には非の打ちどころが無かった。目的の遂行ために、彼ほど頼れる者はいない。彼が仲間であることに何度感謝したか、もはや数えることも出来ない。
 しかし今、彼の背中は驚くほど小さかった。
「……セリオル」
 その名を口にし、フェリオは膝を折った。肩に手を置く。
「セリオル、教えてくれ。俺たちはこれから、どうすればいい?」
 びくりと、肩が震えた。フェリオは続ける。
「サリナがいなくなってしまった。ゼノアに連れ去られた――いや、サリナは自分の意志で、俺たちから離れていった」
 肩に置いた手に力が入る。フェリオは全力で自制していた。暴れ出しそうになる心を、必死で押さえ付けて。でもそれはかなり難しい仕事だった。身体の中で無数に反射を繰り返す怒りの矢が、外へ出せと叫ぶのだ。
「なあ、セリオル、教えてくれよ……」
 どうしようもなく、声が震える。怒りが、悔しさが、後から後から溢れ出してくる。
「なあ、セリオル……! なあ! セリオルッ!」
 腕がその肩を揺さぶるのを、フェリオは止められなかった。どうにもならなかった。誰にどんな言葉をぶつければ良いのか、わからなかった。
「俺はッ! 俺は、どうすれば良かった!? あの時、ハイドライトで俺は、気付いてたんだ! なのにっ、なのに何もしなかった! 俺は……俺はサリナに言えなかった! 言えなかったんだッ!」
 雨粒が大きくなった。戦いの余波が天候に影響を与えたのだろうか。風もあった。皇都の風車が回る。その歯車の軋む音が、そこかしこから聞こえてくる。カインは空を見上げていた。雨粒が顔を打つ。その痛みにもならない感触が、洗い流してくれれば良かった。どうにもならないこの気持ちも、どうしたらいいかわからないこの状況も。シスララの嗚咽が耳に痛い。
「フランツ」
 ガルドは甥を呼んだ。憲兵の装備を身に付けたフランツは、素早く叔父の傍へ寄った。
「彼らを皇城へ招くのだ。細かい事情はわからぬが……この都を救ってくれた彼らには、どうやら休息が必要なようだからな」
「はい。それにセリオルもそれは同じでしょうね」
 うずくまったまま顔を上げようともしない息子に、皇帝はずっと目を注いでいる。応えはしなかったが、フランツが見たその目尻には、慈しみに似たしわが刻まれていた。

 用意された客間は暖炉に火が灯され、柔らかく毛足の長いカーペットと優しい手触りのソファ、同じ生地のカバーで包まれたクッションが用意されていた。侍従が運んでくれた良い香りの紅茶とそれに垂らすためのブランデーと蜂蜜、温かいミルク、そして甘い菓子。雨で冷えた身体を薄い毛布で包み、湯の用意ができるまでの時間に少しでも身体と心を温められるようにとの、皇帝の計らいだった。
 プリマビスタの戦士たちはファ・ラクやチョコボたちに乗って船に戻っていった。サリナたちの内面にあまりに踏み込んだ状況に、彼らは身を引いた。これは7人が解決すべき問題だった。去り際のユンファの泣き顔が、脳裏に蘇る。クロイスは口を開いた。
「で、これからどうすんだ?」
 それが今、本当に聞きたいことではないことに、全員が気付いていた。しかし暖炉の火の熾る音以外に何も聞こえないこの部屋に、彼の言葉ははじめの波紋を起こした。
「……最初は」
 ぽつり、と吐き出されたその短い言葉に、セリオルの決意が滲んでいた。彼にはっきりと視線を向ける者は無かったが、仲間たちのあたたかな心が、彼に寄り添う。彼は少しずつ、ゆっくりと話し始めた。
「最初は、ただゼノアから隔離しなければと思っていました――」

 今日と同じような雨の中、私はフェイロンに辿り着きました。生まれたばかりの――8歳の姿で生まれたばかりの、サリナを抱えて。王都イリアスからの旅で疲弊していたサリナは熱を出していて、ダリウさんたちの住まいに着いた時、ほとんど意識も無い状態でした。ダリウさんとエレノアさんはアルタナの小さい頃にそっくりなサリナにすごく驚いていましたが、ともかく幼いサリナの介抱が第一だと言って、見ず知らずの私のことも受け入れてくれました。
 おふたりには全てを話しました。サリナのこと、アルタナのこと、ゼノアのこと、そしてエルンスト先生のこと。エルンスト先生がゼノアに幽閉されているのは本当です。いつか、助けに行きたい。先生はこの世界に必要なひとです。助けることが出来れば、ゼノアを止めるための大きな力になってくれるはずです。
 幻獣研究所で、ゼノアはアシミレイトの研究をしていました。いえ、ゼノアはと言うより、ゼノアも所属していた私たちのチームは、です。そう、カイン、フェリオ、君たちのご両親も所属していたあのチーム、アシミレイト研究班です。ロックウェルのシド教授のお宅では、真実を話すことが出来ませんでしたが……そのチームには、アルタナもいたんです。
 私たちはとりわけ、幻獣やマナの技術を軍事利用するための研究を任されていました。幻獣研究所は王国の軍部に所属していますから、それはとても重要な研究でした。アシミレイト適性の無い兵士を、アシミレイト可能にするための研究――そう、今にして思えば、神をも畏れぬ、不遜な研究です。ですが当時、それは幻獣研究所の最重要ミッションのひとつでした。
 ある頃から、ゼノアは自分の研究を隠すようになりました。その頃のゼノアには邪なところは見られなかったので、私もエルンスト先生も、レナさんやルーカスさんも、ゼノアを疑いませんでした。むしろ彼の子どもっぽいところで、過程を見せずに大きな成果を上げて皆を驚かせようとしているんだろう、くらいにしか思っていなかったんです。
 それが、甘かった。
 明るみに出たゼノアの研究は、アルタナのクローンを造ることでした。気付いた時にはもう遅かった。マナ共鳴度の高かったアルタナをベースにして、アシミレイト可能な兵士としてサリナを造ったんです――ひとの道を外れる、おぞましい研究です。
 サリナを連れて研究所から逃げる時、“光纏う者”や合成獣も見ました。背筋が凍る思いでした……。なぜなら、どう考えてもそれは、私がゼノアに何の気無しに話した、まだ証明出来ていなかった仮説が元になった技術だったからです。
 そう、サリナを生み出したのはゼノアですが、そのための理論を構築したのは、私だったんです。
 アシミレイト可能な兵士を人工的に生み出すために私が考えたのは、エルフの遺伝子を使うことでした。世界樹の守護をしていると伝説に語られる、あの種族です。もちろん、私も実物を見たことはありませんでした。しかし伝承の中のエルフたちは我々人間よりもずっとマナに親しんだ種族でした。エルフの協力を得ることが出来れば、研究は飛躍的に進捗するはずでした。
 が、それはもちろん夢物語でした。なぜなら実在のエルフに会おうにも、その手立てが無かったからです。そもそもエルフは伝承の中に語られるだけで、実際に彼らに会った人間など、統一戦争以後にはひとりもいなかった。
 ……いなかった、はずだった。

 セリオルは、そこで言葉を切った。
「はずだった?」
 先を促すようにそう言ったのはアーネスだった。騎士団の任務で世界を周る彼女も、実在のエルフを目にしたことは無かった。
「ええ。ところが、いたんです」
「エルフに会ったことのある人物が?」
 アーネスの問いに、セリオルは黙って頷いた。
「まさか……それじゃあ、エルフそのものも実在したっていうこと?」
「はい。それも、すぐ近くに」
 仲間たちに走った衝撃が鎮まるのを、セリオルは待った。しかしその様子は、先を続けることを逡巡しているようにも見えた。
 しかし少しして、彼は真実を口にした。
「私たちの近くにいた、エルフの遺伝子を持つ者……それは、アルタナです」
 セリオルが告げたその名に、フェリオは痛みを覚えた。それはつまり、アルタナのクローンであるサリナもまた、エルフの遺伝子を持つことを意味していた。
「でも、セリオルさん」
 遠慮がちに、シスララが口を開く。
「外見的特徴が、一致しません。伝承に伝わるエルフは人間よりも耳と手脚が長く、総じて長身であるはずです」
 サリナは小柄だ。アルタナは女性としては長身なほうだが、種族が異なることを示すほどではない。それにふたりとも、耳の形は丸みを帯びた、人間のそれである。
「そうだぜ。それにアルタナはその、サリナの父ちゃんの娘――くそ、ややっこしいな。とにかくそうだったんだろ? じゃあサリナの父ちゃんもエルフだったってことか?」
「いえ、そうではないです。エルンスト先生は正真正銘、人間です」
 カインの言葉に即答したセリオルに、クロイスが更に問いかける。
「何だよ、訳わかんねーんだけど。親父が人間だったら娘も人間じゃねーのかよ」
 それに答えを与えたのは、セリオルではなくフェリオだった。彼は難しい顔をして話を聞いていたが、クロイスの言及したことを聞いて、はっとした様子でセリオルに目を向けた。
「まさか、母親か?」
「その通りです」
 ずっと下げたままだった視線を、セリオルはやや上げた。暖炉の炎がその瞳に映り込む。
「セアラ・エルフィナ・ハートメイヤー。それがサリナの母――エルンスト先生の奥さんの名前です。私も、会ったことはありませんが」
「なるほど。だからエルフの遺伝子を持つ者って言ったんだな、純粋なエルフじゃないから」
「ええ。アルタナがハーフエルフであることにゼノアが気づいた理由はわかりません。エルンスト先生かアルタナのどちらかが、何らかの訳があって明かしたのかもしれませんが……ともかくゼノアはアルタナの遺伝子を使って、研究を続けた――」

 その結果としてサリナは生まれました。生まれた瞬間から、彼女は8歳の姿をしていました。そして生まれてすぐ、幻獣研究所に保管されていた炎のリストレインに適性を持つこともわかりました。私とエルンスト先生はサリナの誕生に気づき、ゼノアを諫めました。すぐに研究と実験を中止し、全ての成果物を破棄すべきだと。ですがゼノアは、自らひとの道に外れたことをしておきながら、人道的観点などを持ち出してそれに従おうとはしませんでした。思えばその時点で、既にゼノアは狂っていたのかもしれません。
 私たちはゼノアを拘束し、彼の成果物――サリナを取り上げることにしました。ですが……私たちにも、8歳の少女の命を奪うことは出来ませんでした。特にエルンスト先生にとっては、実の娘の幼いころと同じ外見の少女です。サリナをただの誤った成果物として処分することなど、出来はしませんでした。
 だからエルンスト先生がゼノアを拘束している間に、私がサリナを逃がすことにしました。しかるべき役所に身元不明児として届け出る予定でした。
 ところが、拘束していたはずのゼノアによって、エルンスト先生が幽閉されてしまったんです。それはゼノアの協力者――アルタナの仕業でした。今日の戦いで、みんなも見たと思います。アルタナはゼノアによって精神を侵されています。たぶん、10年前からずっと。彼女はゼノアの指示に従って、自分に手を上げることの出来ないエルンスト先生を幻獣研究所内に幽閉したんです。思えば、その前からゼノアは黒騎士についての構想を私に語っていました。まさか実現するとは、その時は思いませんでしたが……。
 もはや猶予はありませんでした。ゼノアは私に対して、エリュス・イリアのマナを全て手に入れると宣言しました。私は研究所に協力的だった幻獣の1柱であるサラマンダーのクリスタルと炎のリストレインを持って、サリナを連れてすぐに研究所を出ました。その時、エルンスト先生があらかじめ準備していた装置を使って、サリナに8歳以前の記憶を植え付けたのも私です。同時に、ゼノアに対して無条件に怒りを覚えるようにもしました。将来、アルタナのように操られてしまってはいけないと判断したからです。母親に関することに興味を抱かない設定も施しました。万が一、サリナがゼノアに見つかった時に、ハーフエルフであることを自覚してはまずいからです。マナ共鳴度は、マナに対する理解やその親密度の自覚が強いほど高まりやすい。ゼノアの研究を助長する要素は少しでも減らしたかった。
 ……こんな言い方をしているからわかると思いますが、その時の私にとって、サリナは単なる危険な成果物でした。手にかけることなど出来るはずもありませんでしたが、彼女自身のその先の人生についてなど、全く考えていませんでした。とにかくサリナを可能な限り問題が起きないように逃がすことしか頭に無かったんです。
 サリナを匿う先に選んだのが、フェイロンでした。利害も何も関係無く、しかも強い意志でサリナを守ってくれる――エルンスト先生の両親、ダリウさんとエレノアさんの愛を宛てにしました。アルタナのクローンであるサリナを、ふたりはきっと保護してくれるだろうと。私は、ふたりの愛情に……つけ込んだんです。
 そうして、私のフェイロンでの暮らしが始まりました。
 それまでやってきた研究も何もかも全て、捨てなければなりませんでした。サリナの居所をゼノアに知られれば、その時点で世界が終わる可能性があった。私は研究課程で得た薬学の知識を元に薬屋を始め、すぐ近くでサリナを見守ることにしました。
 サリナが真実を受け入れることができる年齢になるまで、私たちは待つことにしました。王都を出た時点で、既にゼノアの力は強大でした。サリナの力――ハーフエルフとしてマナを操ることが出来る能力と、炎のリバレーターとしての力が無ければ、ゼノアを止めてエルンスト先生を助け出すことは到底不可能と思われたからです。
 サリナの成長を見守る10年間……私は、不謹慎であることをわかった上で敢えて言いますが、幸せでした。
 サリナは私のことを実の兄のように慕ってくれました。私にも実の兄弟はいませんから、はじめは戸惑いました。ただでさえ、サリナに対して後ろめたい気持ちもあった。ですが皆も知るとおり、サリナは明るくて素直な少女へと育っていきました。ダリウさんたちの教育が良かったんでしょう。ふたりもサリナを実の孫として慈しんでくれました。天真爛漫なサリナに、私の後ろめたさは少しずつ、愛情に置き換わっていきました。
 だから、サリナが18歳の誕生日を迎えても、私もダリウさんたちも、全ての真実を打ち明けることが出来なかった。とても悩みました。3人でどこまでをサリナに話すべきかと、何日も話し合いました。ですが、答えは出なかった。サリナにとって残酷な真実を明かすには、私たちはもう、サリナを愛しすぎていました――

 セリオルの独白は、仲間たちの心を締め付けた。彼らはこれまで、いくつもの苦難を共に乗り越えてきた。その間、セリオルが何かに思い悩む姿を、全員が目にしていた。セリオルはそのことについて何も明かさなかったが、その胸の内にどれだけの嵐が吹いていたのかを、彼らは今になってようやく想像することが出来るようになった。
 サリナがマナの力に習熟し、その能力を少しずつ覚醒させていくに連れて、セリオルの顔は厳しくなっていった。どんな危機も打開してきたその奇跡のような力は、彼にとっては最も目にしたくないものだったのだろう。そう感じ、シスララは涙を止めることが出来なかった。
 クロイスは、ハイドライトでセリオルが“光纏う者”を全て、自分の手で葬ったことを思い出していた。それはゼノアの研究の非道さに怒っているからだと思っていた。しかし、たぶんそうではなかった。“光纏う者”は全て、サリナの姉たちだった。成功作であるサリナを生み出す過程で徒に破棄された、サリナの失敗作たち。もはや命を絶ってやるしか、彼女たちに救いの道は無かったのだ。セリオルはそれを、他の誰にもさせようとしなかった。
 これまでに何度かサリナにまつわる真実を巡って対立してきたフェリオは、顔を上げることが出来なかった。セリオルが胸に抱えた苦悩を知りもせず、サリナを不憫に思う気持ちだけで、自分などよりもずっと深くサリナを思っていたセリオルに詰め寄り、非難してしまった。サリナに対して彼がついた嘘は、彼女を愛するが故。彼女が傷付き、慟哭する姿を見なければならなくなることに、耐えられなかったが故。そんなことを、フェリオは思いもしなかった。
「そうして問題を先送りにし続けた結果が、今日のあのざまです。結局、私がしたのはサリナを守ることではなく、サリナを傷つけることから自分を守ることでしかなかった。自分が情けない」
「仕方ねえさ」
 カインの声は低く、しかし親愛に満ちていた。その声が、セリオルの心をわずかに解す。
「俺がセリオルだったら、言えねえよ」
 ブランデーを多めに垂らした紅茶を飲みながら、カインは語る。それは友として、同じ兄という立場として、セリオルに寄り添う言葉だった。
「あんたがいつも悩んでるのには気付いてた。何か言えないこと、打ち明けられないことがあるんだって思ってたよ。いつか決心がついて俺たちに話してくれるようになるんだろうと思ってたけど、それがまさか、こんなことだったなんてなあ……。そりゃ言えねえわ。言えるわけねえよ。だって兄貴は、下のやつのことが大事で仕方ねえんだ。なあ、アーネス、クロイス?」
 名を呼ばれたふたりは、言葉無くただ頷いた。あまりに哀しく、やり切れない思いが胸を締め付けていた。声を出せば、それは嗚咽に変わってしまうだろう。拳をぎゅっと握って、クロイスはそうなることに耐えた。
「……わかってやってくれるよな」
 フェリオは、兄の目を見つめ返すことが出来なかった。自分の愚かさに身が捩れる。
 思い返してみれば、セリオルはいつも辛そうだった。兄が述べたように、彼の悩む姿はフェリオもよく見ていた。それなのに自分は、そんなセリオルのことを信じることが出来ず、己が正しいと思い込み、何よりもサリナのことを優先して行動していたセリオルを責めたのだ。
 やおら、フェリオはテーブルの上の皿に積まれた菓子を右手いっぱいに掴み取った。仲間たちがぽかんとする中、彼は大きく口を開け、掴んだ菓子を詰め込んだ。
「ちょ、ちょっと、フェリオ……?」
 ぼりぼりと音を立てて、フェリオは菓子を食べた。紅茶で流し込み、また掴んで口に放り込む。幾度かそれを繰り返して、紅茶のカップが空になった時、彼はセリオルに向き直った。
「セリオル、ごめん!」
「え……え? 何です?」
 戸惑うセリオルに対して、フェリオは頭を下げた。
「俺が馬鹿だった。考え不足だった! セリオルの悩みも知らないで、ただ自分の感情が納得出来なかっただけなのに、それをまるで自分が正義であるみたいに思い込んで。その挙句、俺たち仲間の絆に穴を開けるような行動を何度も取ってしまった。自分が恥ずかしい。本当にごめん!」
「い、いや、フェリオ、やめてください」
 まっすぐな謝罪を向けられて、セリオルは困惑する。シスララがオロオロし、カインはニヤニヤしている。
「皆にもサリナにも真実を明かせなかったのは、ひとえに私が臆病だったせいです。どうしても勇気を持って現実と向き合うことが出来なかった、それだけのことです。皆の信頼を損なっても仕方ないことだった。フェリオ、君が詫びることはありません」
「いや、謝らせてくれ。兄さんに止められなかったら、俺は感情に任せて、取り返しのつかないことをするところだったんだ……未熟だった」
「いや、でも――」
 更に言葉を返そうとしたその肩に、カインが手を置いた。言葉が止まる。
「ま、いいじゃねえか。セリオルもフェリオも、どっちも悪くなかったと、俺は思うぜ」
「そーだそーだ。ふたりともサリナが大事だからああなったってだけじゃん。謝り大会はやめろよ」
「あら、たまには的を得たことも言うのね、クロイス」
「ああん!?」
 いきり立つクロイスに、笑いが起きる。暗闇の中を独りでずっと彷徨っていたセリオルの心にも、柔らかな暖炉の炎が灯るようだった。
「……ありがとう、みんな」
 ゼノアに連れ去られたサリナを思えば、今ここでそれを受けてはならない気がした。しかしそれでもどうしようもなく、セリオルはこのかけがえのない仲間たちの友情に、救われていた。
「セリオルさん」
 シスララが、その名を呼んだ。目尻に浮かびかけたものを拭って、セリオルがこちらを向く。
「サリナを、助けましょう。ゼノアのところにサリナを置いておくわけには、いきません」
 強い光を宿したシスララの瞳に、セリオルは大きく頷いて答える。
「ええ、そうですね。体力を回復したら、すぐに王都へ向かいましょう。しかしその前に――」
 言葉を切り、セリオルは目を閉じて深呼吸をした。大きく息を吐き出し、目を開く。
「皆に、もうひとつ話さなければならないことがあります。ここまでの旅で私が至った、ゼノアの目的についての推測――“魔神エデン”について」