第23話
イロ・ハルユラというのが、紺碧の美しい毛並みを持つクロイスのチョコボの名だった。クロイスは狩猟で生計を立てていたが、主にその猟場への行き帰りに使っていたという。彼に厩舎のチョコボを買う経済力があるはずは無く、イロは東ヴェルニッツのほとりで傷ついているところを保護したのだった。以来、イロはクロイスへの協力を惜しまなかった。 「イロは頭がいいんだ。俺の言葉も理解するし、俺が何も言わなくても俺の言いたいことがわかる」 「相思相愛か」 フェリオが茶化した。イロはメスのチョコボだった。 「まあな」 サリナたちは森の入口の宿泊所に来ていた。セレスティア州の北東の端、東ヴェルニッツに沿うように広がる森だった。この森の奥に、スペリオル州へ渡るための東ヴェルニッツに架かる橋、エインズワース大橋がある。 リプトバーグから王都イリアスまでは街道が整備されている。森も切り開かれ、街道に沿って進めば自然と王都に到着出来る。 「やれやれ、随分遠回りしたな」 ベッドの上で素足を投げ出し、疲れた様子でカインが呟いた。リプトバーグを出発して、1日半が経過していた。食事と入浴を終え、5人は部屋のそれぞれのベッドで寛いでいた。 「カルデロン大橋が落ちていなければ、今頃王都でしたね」 髪を頭の後ろでまとめながら、セリオルが相槌を打った。彼らは皆、部屋着に着替えていた。 宿泊所はセレスティア州とスペリオル州を往来する人々のために設けられたものだった。通常、セルジューク群島大陸の3州は、西のカルデロン大橋と東のエインズワース大橋とで結ばれている。北ヴェルニッツは海まで続く絶壁で挟まれているため、橋は架けられていなかった。カルデロンとエインズワース、ふたつの大橋で3州が往来される際の街道沿いには、ここのような宿泊所がいくつか設けられていた。 「でも良かったね、そのおかげでクロイスに会えたわけだし」 サリナの発言は、仲間たちの間に微妙な空気を生み出した。クロイスはそっぽを向いて頭を掻いた。フェリオは立てた右膝に目を落としている。セリオルは眼鏡の位置をくいと直した。その様子に、変なことを言ったかとサリナはうろたえた。カインはそんな仲間たちの様子ににやにやとしている。 「……まあ、そうだな」 少しの沈黙の後、口を開いたのはフェリオだった。彼はクロイスに視線を移していた。 「正直、まだ完全に信用したわけじゃない。ただ、君が俺たちの役に立とうとしているのはよくわかる」 言いながら、彼は部屋の隅に積まれた毛皮を示した。それはここまでの道程で得た戦利品だった。クロイスが生活の糧の一部としていた、狩猟と皮革材の加工技術の賜物である。カインもクロイス同様、狩りを生業としてはいたが、彼の場合は依頼された魔物を退治するという類のものである。売り物になる部位をきれいに残して狩るということにかけて、クロイスは卓越した技能を持っていた。彼はサリナたちの今後のために、少しでも路銀を稼いでおくべきだと主張したのだった。 「今後も変な気を起こしたりしないことを祈るよ」 「そういうことですね」 フェリオに合わせるかたちで言ったセリオルも、クロイスの方を向いていた。眼鏡の奥の彼の目は鋭かったが、そこには敵愾心や怒りといった感情は見えなかった。ふたりの言葉を受け、クロイスは不満げなような照れたような、微妙な表情を浮かべた。 「えっと……」 仲間たちの反応に、サリナは困惑した。彼女は軽い気持ちで言ったつもりだった。 「まあまあまあ、いいじゃねーの細かいことは」 カインはぐいと勢いをつけてベッドから立ち上がった。そのままクロイスのところへ行き、彼はクロイスの頭をくしゃりとやった。 「な、なんだよっ」 「そうつんけんすんなって。飲み行こうぜ」 「はあ?」 呆気にとられるクロイスに、カインはにやりとしてみせた。彼はクロイスの腕をとって立ち上がらせた。 「お、俺、酒なんて飲んだことないぞ」 「なんだよおい、男だろ? 酒くらい飲めないでどうすんだ」 「うわ、ちょ、おい! 誰も行くとは――」 「ほれ、皆で行こうぜ。飲みながらのほうがお互いのことがよくわかるってもんだ。な?」 クロイスの抗議を遮って、カインはセリオルとフェリオを振り返ってそう言った。その悪いことを考えていそうな悪戯っぽい表情を見て、頭脳派のふたりは顔を見合わせて苦笑した。これはもう付き合うしか選択肢が無いな、と。 「行きます行きます!」 サリナがベッドから飛び起きて足早にカインとクロイスに加わった。それにセリオルとフェリオが続き、彼らは宿泊所のバーへと向かった。 バーは薄暗く、他の客の姿は無かった。そもそも今日、この宿泊所に滞在しているのはほんの数組しかいないようだったので、当然といえば当然だった。 クロイスは初めての酒にすぐ顔を真っ赤にした。彼は早くもふらつく頭で、酒は贅沢品だと言った。彼以外の4人は、その言葉に沈黙するしかなかった。もっともクロイス自身にはそのことを気にした様子は無かった。 「クロイス、ひとつ気になっていたことを訊いてもいいですか?」 テーブルに氷と酒の入ったグラスをことりと置いて、セリオルが何気ない調子で切り出した。クロイスは半開きの目を彼に向けた。 「あんだよ」 「あなたのリストレインと幻獣ですが、どこで手に入れたんです?」 「あ? あんだって? リストレ?」 酒のために意識がはっきりしないのかと思ったが、ふと思い直してセリオルは質問を変えた。 「幻獣の力をクリスタルから引き出す道具のことです。あなたの場合だと、短剣型のようですが」 「んあ、ああ、あれか。昔マキナで手に入れた」 「マキナ……? 大枯渇のあった、マキナですか?」 「他にマキナがあんのかよ」 「マキナになんて何しに行ったんだ?」 不思議そうに尋ねたのはフェリオだった。彼の兄は既に使い物にならなくなっていた。 「知らねえ。ガキん時だったんだ。旅行か何かじゃねえの。そん時に親が馬鹿でかいトカゲみてえな鳥に襲われて死んじまったから、よくわかんねえ」 「……そうか」 呂律の怪しいクロイスの話を聞いて、セリオルは少し考え込んだように、サリナには見えた。彼は顎に手を当て、グラスの中の氷を静かに見つめていた。 「俺たちも、親を亡くしてる。兄さんはあんなだけど、ひとりで俺を養ってきてくれた。だからあの時、君にあんなことを言ったんだ」 言い終えて、フェリオはグラスを傾けた。からんと氷の音。クロイスは右腕で自分の体重を支えた姿勢で、その言葉を黙って聞いていた。カインはソファに寝そべって意識が無い。 「だから、二度と盗みなんてするな」 「……ちぇ、酔いが覚めちまった」 「初めてお酒飲んだくせに」 そう言って微笑むサリナに、クロイスは鼻を鳴らした。それに反応したかのように、カインが寝たまま高笑いをして皆を驚かせた。 「そういや聞いてなかったけどあんたら、なんで王都に行くんだ?」 セリオルとフェリオの目がサリナに向いた。サリナは手にしていたグラスの中の甘い酒をひと口飲んで、それをテーブルに置いた。グラスは結露して、ひんやりと冷たかった。 ふたりの目が、話すかどうかは自分の判断に委ねると言っているように見えた。ひと呼吸置いて、サリナは口を開いた。 「私のお父さんが、王都に捕まってるの。幻獣研究所っていうところに。私たち、お父さんを助け出すために王都に行くんだ」 「へえ……。親父、か」 黙りこんだクロイスに、サリナは付け足すように言った。 「あ、でもそれだけじゃないんだよ。フェリオの竜王褒賞授章式もあるんだ」 「竜王褒賞? あんたが?」 「ん? 気のせいか、どことなく失敬な響きに聞こえるが」 フェリオのその口調に、サリナはつい吹き出してしまった。やや重くなっていた雰囲気が明るくなった。酒のためか、クロイスは素直にフェリオを賞賛した。いつの間にかカインが両目を開け、その様子をにやにやしながら眺めていてサリナを驚かせた。 「な。酒の力ってのは大事なんだよ」 「ほんと、そうですね」 先ほどまでの固い空気が解れ、打ち解けるとまではいかなくともぎすぎすした雰囲気は無くなっていた。サリナはそれが嬉しかった。こういうことにかけて、カインは天才かもしれないと彼女は思うのだった。 ただ、そんな中でセリオルはひとり沈黙を保っていた。彼はずっと思案を続けていたようだった。 「セリオルさん?」 そんな彼の顔を、サリナは覗き込んだ。はっとして、セリオルは顔を上げた。彼にしては珍しく、額に汗が浮かんでいた。 「どうしたの、調子悪いの?」 「ああ、いえ、大丈夫ですよ、サリナ。酒で少し、暑いなと思っていただけです」 その言葉は嘘だろうと、サリナは思った。しかしセリオルがそう言う以上、彼女はそれより先を聞き出そうとは思わなかった。恐らく今は話す時ではなく、話すべき時が来れば彼は必ず話してくれると、彼女は思った。 「あの、お客様、恐れ入ります」 遠慮がちに声を掛けてきたのは、バーテンダーだった。彼は困ったように両眉を下げていた。 「はい? あ、閉店時間ですか? ごめんなさい、すぐ出ます」 サリナがそう言うと、バーテンダーは慌てて両手を振った。 「いえいえ、そうではないんです。先ほどここの哨戒の者から連絡がありまして……」 「連絡、ですか?」 「はい。この先、エインズワース大橋へ続く森の中に、大型の魔物が出現したということで。大変申し訳無いのですが、討伐されるまで大橋を渡って頂くことがですね……」 バーテンダーのその言葉に、サリナたちは一様にぽかんと口を開けて沈黙した。バーテンダーは報告を済ませると、恐縮しながらカウンターの向こうへと戻って行った。サリナたちは口が開いたままの顔で、テーブルを囲んで頭を突き合わせた。カインも参加した。 「し、信じらんねえ」 「なんでこう、俺たちって」 「本当にいつもいつも」 「トラブルばっかりなんだろ……」 クロイス以外の4人は、そろって深い溜め息をついた。 「あんたら、いつもこんな感じなのか?」 元々開いていた口を更にあんぐりと開け、クロイスが唖然としてそうこぼした。 翌朝、天気は快晴。森の中をまっすぐに伸びる街道の入り口は、宿泊所の職員たちによって封鎖されていた。サリナたちはそれぞれのチョコボの手綱を握って、その正面に立っていた。 |