第28話

 ヴリトラ・アプサラス・ウィルム・フォン・イリアスは賢王と呼ばれる。歴史上類を見ないほどの勉学好きの王で、歴史学、物理学、天文学、幻獣学、数学、文学、政治学、経済学、心理学等多くの学問分野に精通する。
 だが彼が賢王と呼ばれる所以は、勉学好きという性質ではなく、その功績にあった。
 エリュス・イリア全土を統一したイリアス王国は、王都から遠ざかれば遠ざかるほど、当然ながらそこには王国の支配が及び難くなる。かつて全土を巻き込んだ内乱の末にいくつかの自治区が成立したが、それらの自治区では独自の法の施行が認められ、国王にあたる支配者が君臨している。
 イリアス歴代の王たちは、内乱後の自治区との関わりに常に頭を悩ませていた。支配下にありながら支配できない自治区は、いつの時代も紛争の種だった。
 ヴリトラは、その自治区問題を解決した。自治区はほぼ民族ごとに形成されていたが、ヴリトラ王は各民族の長を貴族として待遇することを決め、王国を構成する重要な役割を与えた。それは各民族の誇りを回復し、恭順とは呼べないものの王国に協力の姿勢を取らせたとともに、内乱以降王国の税制に組み込むことの出来なかった自治区群を、国家予算の計画に加えることを可能にした。
 特筆すべきはその柔軟な発想力と、それを実行する素早い判断、そしてそれを可能にしたのは、歴史から政治と経済、紛争の解決策や人民の心を掌握する方法を学んだ、彼の幅広く奥深い知識だった。
 そのヴリトラ王にも、目の前に突然展開されたこの事態をどう収拾すべきか、判断が難しかった。
 セリオル・ラックスター。その名を、ヴリトラは何度も耳にしたことがあった。この時代に現れた希代の天才であると、彼はその名を記憶していた。確か史上最年少で竜王褒章を受章したのもセリオルだった。
 その授章式で、ヴリトラはセリオルの顔を覚えた。まだ13歳だった少年は、幻獣と天文学に関する論文で科学研究者として最高の名誉を得た後、王立幻獣研究所へ入ったはずである。
 統一戦争でウィルム王に力を貸したという幻獣たち。その神秘を解き明かし、マナを使った技術の向上によって国を豊かにし、同時に紛争時に備えて国力を増強する。その重要な使命を負った幻獣研究所の活動において、セリオルの名を聞かない日は無かった。セリオルは幻獣研究所の所長であるエルンスト・ハートメイヤーの下で、研究所最高の研究チームに加わり、研究を続けていた。
 しかし――とヴリトラ王は記憶を手繰った。
 ちょうど10年前。王は神童セリオルが幻獣研究所を出奔したはずだったと記憶していた。研究所からは、研究材料を不正に横流ししようとした罪の発覚を懼れての出奔だったと報告があった。結局決定的な証拠が見つからず、その件はうやむやのうちに闇に葬られた。その後、天才の行方は杳として知れない、はずだった。
 その天才は、大人になった姿で目の前にひざまずいていた。長い黒髪に眼鏡、かつてとは違ったハイナン風の服。まっすぐに自分を見つめる緑色の瞳には、昔と同じ知性の輝きがあった。だが、竜王褒章受章の時と決定的に異なっている点が、天才の纏う雰囲気にはあった。それは温室育ちの少年ではない、危険と困難を潜り抜けてきた戦士の風格だった。
「少々変わったな、セリオル」
 玉座に腰を下ろしたまま、王は深い声でそう言葉を発した。セリオルはやや俯き、両目を閉じて息を吐き出した後に顔を上げた。笑みは消え、その瞳は真摯だった。
「10年、経ちましたからね」
 国王はその言葉に何も答えなかった。静かにセリオルを見つめ、次いで王は居並ぶ幻獣たちと、その傍らの人間たちを眺めた。フェリオ・スピンフォワード。いつの時代も、天才とは幻獣と共にあるらしい。
「立つが良い」
 王の言葉に、セリオルたちは立ち上がった。セリオルとフェリオを含め、5人。皆がセリオルと同じ目で、王を見ていた。
「このようなご無礼をお許しください、国王様。本日は折り入ってお願いしたきことがございまして参りました。この、幻獣たちと共に」
 宰相と執政官、騎士隊長の3人がざわめいた。まさか、という言葉が彼らの口を衝いて出た。
「幻獣、か」
 王は冷静だった。玉座の肘掛に頬杖をついたまま、表情を変えずにそう言った。
 セリオルたち5人の傍らで色とりどりの光を放つ、5体の獣たち。ヴリトラの目に、獣たちは人智を超えた存在として映った。
「我々がこうして人と共にあることが俄かには信じられぬであろうが、ヴリトラよ、真実だ」
 セリオルの脇で、翠緑色の光を纏った白き巨鳥が、渦巻く風のような声でそう言った。さきほど王に人払いを命じた声だった。
「この者たちの話を聞いてやってはくれぬか、ウィルムの子よ」
 赤毛の青年――授章式の様子から、ヴリトラがフェリオの兄のカインという男だろうと推測していた青年の隣りで、紫紺の光を纏う緑青色の馬のような獣が、轟く雷鳴のような声でそう言った。獣の額には鉤形に折れ曲がった長い角が生えている。
「彼らはあなたの助けを必要としています、ヴリトラ。国王であるあなたの信用を得るために、私たちを使うという手まで取るほどに」
 さきほど自分にリプトバーグの件を直談判した少年の傍らでそう話す、角を生やした銀色のイルカのような獣に、ヴリトラは視線を移した。清流のせせらぎのように清らかで美しい声だった。纏う紺碧の光は、生命の恵みを思わせた。
「おぬしは賢王と呼ばれているな。賢き王よ。その真価を見せる時が訪れたのだ」
 フェリオのそばで銀灰色の光を纏った巨大な白い狼が、大気を震わせる力強い声でそう言った。その背に、フェリオが手を置いている。若くして褒章を得た少年が、この狼に全幅の信頼を寄せているのがひと目でわかる光景だった。
「僕たち幻獣が、彼らに手を貸している。これがどういうことか、君ならわかるよね、ヴリトラ。統一戦争の時にウィルムにしたことと同じことを、僕たちは彼らに今しているんだ」
 真紅の光を纏った、大型犬ほどの大きさの赤きドラゴン。人々に暖をもたらす穏やかな炎のように温かく、柔らかな声。そのエメラルドの瞳に宿る光は、国王の器を試そうとでもしているかのようだった。
「騙されてはなりません、国王様」
 執政官セドリック・フォン・チェスタートンが、ヴリトラとその前に並ぶ者たちとの間で絡まる視線を遮ろうとするかのように、すいと1歩前へ出た。国王の前に腕を上げ、法衣の裾でその姿を隠そうとする。
「このような茶番、片腹痛い。獣に細工をしてそれらしく見せておるだけであろう。人語を操っているように見せかけ、それを幻獣だと偽って国王様を謀ろうとは。貴様らの目的は何だ! いや、聞くまでもない。貴様ら全員、直ちに捕らえて極刑に処してくれる!」
 執政官の怒号に、騎士隊長が再び剣を抜いて前へ出た。王国騎士団の剣法に則った美しい構えで、黄金の髪を持つ女性騎士は攻撃の隙を窺った。
「待て」
 目の前に上げられたセドリックの腕を、ヴリトラが自らの手で下ろさせた。その行動に、セドリックは面食らったように声を荒げた。
「国王様! このような者どもの言葉を信じられるおつもりか!」
「まだそうと決めたわけではない。しかしこやつらに、余に危害を加える気が無いのは確かだ。その気であればこんなまどろっこしい手は取るまい。まずはこやつらの話を聞き、その上で余が判断する。そちは控えておれ。アーネス、そちも剣を収めよ。恐らくそれは必要無い」
 自分とは相反する王の静かな口調に、セドリックは悔しげな表情を浮かべながらも後ろへ下がった。騎士隊長アーネスも王に返事をして、剣を鞘へ収めた。国王はその目をセリオルたちへと再び向けた。
「国王様」
 進み出たのは少女だった。小柄で華奢で、髪が短い。その身を美しいドレスに包んでいるが、彼女の目はその場の誰よりも真剣だった。どこかで、ヴリトラはその目を見たことがあるような気がした。美しい、栗色の瞳。
「私、サリナ・ハートメイヤーと申します」
 その名に、王は小さく衝撃を受けた。傍らのセドリックと宰相エイルマー・フォン・バートウィッスルも同様の反応を示していた。彼らはハートメイヤーという名に、聞き覚えがあった。そう多くはない名である。
「そちは、もしやエルンスト・ハートメイヤーの血縁の者か?」
 王の質問に、サリナはこくりと頷いた。右手を胸に当て、彼女は答えた。
「私は、エルンストの娘です」
「ほう……」
 王は顎髯に手を遣った。髯を撫でながら、彼は面白がっているような目でサリナを見つめた。
「エルンストに娘がいると聞いたことはあったが。そうか、そちがな。そういえば、エルンストの姿を随分見ておらぬ。あやつは元気か?」
 その問いかけにサリナが唇を噛んだのが、ヴリトラには意外だった。
「国王様。どうか私がこれからお話しすることを、お聞きください。これはたぶん、イリアス王国に――いえ、エリュス・イリアにとって大切なお話です」
「聞こう。話してみよ」
 サリナは感謝の言葉を述べ、目を閉じて深呼吸をした。父のこと、ゼノアのことを国王に話す。精神的に大きな負担を感じたが、サリナはこの仕事は自分がやらなければと感じていた。ここだけはセリオルに頼ることは出来ない。身体の前で両手を組み、彼女は話し始めた。
「父は、エルンストは、幻獣研究所に幽閉されています」
「なんだと!?」
 驚愕の声を上げたのはエイルマーだった。彼は国王と執政官の顔を見た。国王は静かに前を向いている。セドリックはエイルマーと同じくらいに驚いている様子だった。
「10年前のことです。父は幻獣研究所に幽閉されました。弟子の、ゼノア・ジークムンドによって」
「……ゼノア、だと」
 混乱する宰相と執政官をよそに、国王は沈着に話を聞いていた。ゼノアという名にも、王は聞き覚えがあった。セリオルと同い年で幻獣研究所に入った、当時はセリオルと並ぶ神童として評判だった男である。
「ゼノアは、闇の幻獣ハデスと結託して、世界樹とマナを支配しようとしています。統一戦争の時の、狂皇パスゲアのように。父はそれを知って、ゼノアを止めようとしたそうです。それで、逆に幽閉されてしまった……」
 一度言葉を切り、サリナは再度深く息を吸い込み、そして吐き出した。思った以上に、国王に事の顛末を伝えるのは緊張するものだった。心と心臓の鼓動を落ち着けて、サリナは話を再開した。
「父はセリオルさんに、幼かった私を連れて逃げることを頼みました。私はハイナン島で、何も知らずに平和に育ちました。でも18歳の誕生日に、全てを聞きました。私たちは、父を助け出したいんです。そのために、国王様のお力をお借りしたいんです。お願いします!」
 少女の声は切実だった。始めは口々にわめいていたエイルマーとセドリックも、いつしか口をつぐんでいた。少女は全身全霊で、心の全てでヴリトラに嘆願していた。
 ヴリトラはしばらく思案した。少女の言葉が嘘とは思えない。この場に揃った幻獣を名乗る獣たちも、恐らく本物の幻獣なのだろう。なんらかの細工をしたにしては精巧すぎる。こんな芸当が出来るなら、それを商売にするのが普通の発想だろう。わざわざ国王を騙すというような危険を冒す馬鹿はいまい。
 そしてセリオル・ラックスターとフェリオ・スピンフォワード。このふたりが加わっていることも、連中に対しての信用を増す事実だ。しかし、彼はにはまだわからないことが多くあった。そもそも幻獣研究所がそのような危険な存在だと証明するものは、何も無い。状況を判断するために、彼はサリナに質問することにした。
「具体的には、何をすれば良い」
 その言葉を早とちりしたか、サリナはぱっと顔を輝かせた。しかし意気込んで話そうとするサリナを、セリオルの言葉が遮る。
「それについては私からお話し致します」
「セリオルさん……?」
 サリナはセリオルに疑問を投げかけた。なぜ自分が話してはいけないのか。セリオルはごく小さな声で、それに答える。
「国王様は、まださっきの話にご納得されていません。頭の良いお方です。今の質問も単に行動指針を訊いたのではなく、我々の話が真実かを量るためのものです。話す順番を間違えてはまずい」
 その言葉に、サリナは小さく頷いた。少しだけ身を引き、話し手はセリオルに交代した。
「我々は幻獣研究所への潜入を考えています。これは、恐らく王国軍や神殿騎士団ではゼノアに対抗できないためです。ゼノアのそばにいるハデスという幻獣は、神のごとき力を持つという、玉髄の座の幻獣。同じ幻獣の力を持ってせねば、打倒することは難しいでしょう。それに、恐らく王国軍の一部革新派の者たちが、ゼノアに協力しています」
「そう考える根拠は?」
 王の質問は的確だった。セリオルは細心の注意を払いながら、王の信用を得るための話の運び方をした。
「エルンスト教授とは、いつ以来お会いになられていないでしょう。恐らく10年程度ではないでしょうか。教授が幽閉されて以来、研究所の状況はゼノアからその上部機関である軍に報告されているはずです。研究所ではこの10年、様々な事故が起こり、同時に人命が奪われています。これは事故ではなく、ゼノアの謀略によるものですが、その事実は軍から外に出てはいないはずです。国王様のお耳にも入っていないのではないでしょうか」
「確かに聞いてはおらぬが、ゼノアが謀をしておるという証拠はあるか」
「俺たちの両親が死んだ」
 割って入ったのはカインだった。ヴリトラはカインの声を初めて聞いた。弟が自分の名を鉱石に付けた時とは打って変わって、その瞳は怒りに燃えているようだった。
「表向きには、研究中の事故ってことで処理されたらしい。俺たちもずっとそう思ってた。けどちょっと前に、フェリオの師匠のシドっておっさんが、真実を話してくれた。俺たちの両親――ルーカス・オーバーヤードとレナ・オーバーヤードは、ゼノアに殺されたんだ。あんたは知らねえだろうけど」
「貴様、国王様に向かってその口の利き方は何だ!」
 吼えたのはアーネスだった。今にも剣を抜かんとするほどの剣幕だったが、カインは彼女を一瞥しただけですぐに国王へと目を戻した。
「良い、アーネス。今はそのような些事に気を取られる時ではない」
 国王はサリナたちの話に傾ける力に比して極めて小さい思考力で、アーネスを制した。アーネスはそれに短く答えて姿勢を正す。
「シド……シド・ユリシアスか。それにルーカスと、レナ。いずれも聞いた名だ」
 顎髯を触りながら、ヴリトラは思考を続けた。単に反逆を狙う者の口から、シドやルーカスらの名が出る可能性は無に等しいいくらいに小さい。明確な裏づけが出たわけではないが、またしてもサリナたちを信用する要素が増えたことになる。
「研究所へは、王立高等学院と王立職業訓練校合同の施設見学会を利用して潜入します。ここにいるサリナ、フェリオ、クロイス――さきほどリプトバーグの件を申し出た、彼です――この3人が学校へ入り込み、残る私とカインを研究所へ入れるための手引きをします」
 顎髯を触りながら、国王はセリオルの話を黙って聞いた。無言のうちに、彼は先を促していた。
「我々には、学校へ入り込むために正当な手続きをとることが出来ません。特にサリナは、本名が知れた時点でゼノアに警戒されてしまう危険があります。ですので――」
「余に、それを認めさせようということか」
 王の明察に、セリオルは無言で頷いた。また宰相が何か言おうとして口を開きかけたが、国王が腕のひと振りでそれを留まらせた。
 王はしばらく沈黙した。顎髯を触るのを止め、頬杖もつかず、腕を組んで両目を閉じて。エイルマーとセドリックが、その脇で小声で何事か話し合っていた。「このような事態……」「大神殿が……」「幻獣への冒涜……」といった言葉が途切れ途切れに聞こえる。
 ふと、サリナは自分を見つめる視線に気づいた。アーネスだった。
 彼女は何の意図があってか、サリナをずっと見ていたようだった。サリナが気づいて自分の方を向くと、途端に慌てたように目を逸らした。さきほど凄い剣幕でカインに怒鳴りつけた時とは、どこか印象が違うようにサリナには思えた。
 しばらくして、国王が目を開いた。王は組んでいた腕を解き、玉座から立ち上がった。衣擦れの音を立てて法衣の裾が広がる。その手に持った錫杖で、床をカツンと鳴らした。装飾の金物が美しく繊細な光を放つ。
「サリナ・ハートメイヤー。そしてセリオル・ラックスターよ」
 深く、よく響くヴリトラの声が、謁見の間にこだまする。サリナとセリオルは姿勢を正した。
「はっ」
「はい!」
 王はふたりをじっと見つめ、口を開いた。宰相と執政官はどんなことを言い出すかと、やや不安そうに国王を見ている。
「そち等の話は信用に足ると、余は判断した」
 その言葉に、今度こそサリナは顔を輝かせた。セリオルは胸を撫で下ろしたようだった。
「ありがとうございます!」
 サリナは深くお辞儀をした。履き慣れない靴で足元がぐらついた。国王に信じてもらえたことが心の底から嬉しかった。
「だが」
 王の言葉は終わってはいなかった。顔を上げたサリナに、ヴリトラは依然として厳しい表情を向けていた。
「そち等の話を裏付ける証拠は何も無い。幻獣たちは本物だとしても、余はこれまで完全なる信頼を置いていた幻獣研究所を、簡単に危険な組織と断ずるわけにはいかぬ。だがそち等の話が真実だとすれば、役人による立ち入り調査をさせるのは危険極まりないということになる」
 ヴリトラの表情が変わらないことに、サリナは不安を覚えていた。話の流れが良くない方角へ向かうのを感じる。
「仮に調査を行ったとして、ゼノアが軍と繋がっておるのであれば調査を事前に察知し、証拠を隠蔽しようとするだろう。したがってそち等の話が真実であると仮定しても、この状況で調査の手を入れ、真偽を見極めることは不可能だ。余はイリアスの国王だ。証拠も無いまま、軽率にそち等に手を貸すわけにはいかぬ」
「そんな……」
 サリナは言葉を失った。すぐ手の届くところに来たと思ったチャンスが、すっと遠くへ行ってしまったような感覚だった。
 セリオルは両目を閉じ、下を向いていた。幻獣の言葉で信頼を得ようとした彼の考えは、少々甘かった。彼は自分の非力さを悔やんでいた。せめてシドからの書状くらいは用意すれば良かったと、今言っても仕方の無い思いが彼の脳裏を駆け巡った。
 カインは口惜しさでいっぱいだった。この状況を打開する術を、彼は何も持たなかった。イクシオンたちの力で無理やり言うことを聞かせようと思えば出来るだろうが、それでは何の意味も無い。国王の信頼を勝ち得て恒常的な支援が受けられなければ。この場を離れた瞬間に反逆者として手配されることになっては全てが水の泡である。
 フェリオはもっとセリオルと深く作戦を練らなかったことを後悔した。竜王褒章のことで、やはり多少なりとも浮かれていたのかもしれなかったと、彼は自省した。こうなることは、予想出来なかったわけではないはずだ。もっと有効な対策が打てたのではないのか。
 クロイスは仲間たちのために何も出来ない自分を恥じた。こういう時に力になってやろうと思ったから、自分はサリナたちの仲間としてエルンスト解放に協力することにしたはずではなかったか。ただこの場についてきて、彼はリプトバーグのことを嘆願してそれで満足していた。そんな自分を、彼は心から恥じていた。
「そこで、だ」
 重苦しい沈黙を打ち破ったのは、深く響く国王ヴリトラの声だった。サリナたちは一斉に顔を上げ、国王を見た。先ほどと変わらぬ厳しい表情だが、どこかに優しさを感じさせるようだった。
「そち等には、イリアスの試練を受けてもらおう」
 その場の全員が、この言葉の意味を量りかねた。セリオルですら聞いたことの無い言葉だった。国王はやや表情を変えて、次なる言葉を口にした。
「歴代の国王にしか伝わらぬ伝説がある。王城の地下、封印された扉の先に広がる迷宮。そこには真実を見通す水晶が眠ると言う。それを手に入れて来ることが出来れば、そち等の話は真実であると証明されよう。そうすれば余は、内々にそち等に協力することを約束する。アーネス、そちが彼らの監視役として同行せよ」
 国王はどこか楽しんでいるのではないかと、サリナはその口元に浮かんだ小さな笑みを見て思った。

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