第32話

 階段の交錯する迷宮の中、6本足の首の長い獣が滑空するように宙を舞い、セリオルに飛来した。詠唱が間に合わないと判断したセリオルは、懐から取り出した強酸の瓶を投げつけた。すかさず投擲用のナイフを放つ。ナイフは正確に薬瓶を貫いた。
 だが獣は空中の不可視の壁を蹴ったかのような動きで向きを変え、いとも容易くその攻撃を回避した。酸は空しく放散され、石を焼いた。
「くっ」
 セリオルは歯軋りした。視界の端ではクロイスが肥大した牡鹿のような魔物に矢を放っている。フェリオもまた、巨大で醜悪な蠍の甲殻を貫くべく、銃を構えたところだった。
 獣の牙が迫る。セリオルは床を蹴って回避しようとした。だが空中で自由に姿勢制御をする魔物は、簡単に追いすがってきた。前足を上げ、鋭い爪をセリオルへ向ける。
 セリオルが目を閉じた瞬間、彼の耳に小気味良いざくっという音が入ってきた。獣の苦悶の声が響く。続けざまに斬り付ける刃。ひと太刀ごとに獣が絶叫する。
「おらおら!」
 聞こえたのはクロイスの声だった。彼は短剣を両手に1本ずつ、逆手に握って獣を連続で攻撃していた。そしてその2本の短剣の柄を背中合わせにくっつけると、鍵がかかったような音がして繋ぎ合わされた。元はひとの腕の肘から先ほどの長さの短剣だが、それが2本組み合わさった形態となったのである。
「おらぁ!」
 両端に刃、中央に柄という特異な形の武器となった短剣で、クロイスは獣を袈裟斬りにし、返す刀で喉笛を切り裂いた。魔物は弱々しい声とともに霞となって消えた。
 尻餅をついていたセリオルに、クロイスが手を差し出した。セリオルはその手を掴み、立ち上がった。
「大丈夫か、セリオル」
「ええ、助かりました。ありがとうございます、クロイス」
「へへ。気にすんなって」
 立ってみるとセリオルは長身でクロイスは彼を見上げる形になるが、この時はクロイスが精一杯胸を張ってみせるのでセリオルも少し屈んでやった。
「和んでるとこ悪いけど、ちょっと手伝ってくれ!」
 少し離れた場所からフェリオの差し迫った声が聞こえた。見ると、彼は蠍に手を焼いているようだった。何度か銃を撃ってみせたが、弾丸の類が敵の強固な甲殻に阻まれて効果をなさないらしい。
 それを見たセリオルが強酸瓶を複数投げつけた。
「クロイス、割ってください!」
「任せろ!」
 セリオルは瓶を割るのをクロイスに託し、黒魔法の詠唱に入った。瓶は直線的に飛び、魔物のちょうど真上に来た時にクロイスの矢によって破壊された。
「捕縛せよ。自由を奪う――」
 酸が蠍に降り注ぎ、その甲殻を溶かす。激痛に魔物が金属的な声を上げる。鉄と鉄が擦り合うような不快な音に、フェリオが顔をしかめながら銃を組み替える。
「毒蛾の燐粉――パライズ」
 捕縛の魔法が発動し、蠍の動きを止める。きちきちと顎を鳴らすような音を立てる魔物に、クロイスが持ち前の素早さで肉迫する。彼は武器を分解し、元の2本の短剣に戻していた。
 動きの止まった魔物の腹、甲殻と甲殻の隙間にクロイスは短剣を突き立てた。彼は魔物から、毛皮や鱗を剥ぐ時の要領で器用にその頑強な甲殻を剥ぎ取った。魔物は捕縛の力で声を上げることも出来ず、その肉が顕わになる。
 露出した柔らかい肉の箇所に、フェリオの弾丸が数発食い込んだ。着弾して一瞬の後、弾丸は炸薬のように破裂した。その衝撃で、着弾した周囲の甲殻が弾け飛んだ。
「クロイス、どいてろ!」
 フェリオの警告に、クロイスは迅速にその場を離れた。同時にフェリオの様子を見たセリオルが詠唱を開始する。
「うたかたの火炎よ現れ――」
 フェリオは石ころ大の球体をいくつか、魔物に向けて投げつけた。それは魔物の腹の下、肉の露出したところの下に正確に着地した。魔物が捕縛の力から解放されようとしている。徐々に鋏が振り上げられようとしていた。
「燃え盛れ――ファイア!」
 杖から火球が放たれた。同時に魔物が魔法の束縛を断ち切り、勢い良く挟みを振り上げて咆哮する。蠍はクロイスを攻撃しようと、身体の向きを変えようとした。
 そこに火球が着弾した。火柱が上がり、フェリオが投げつけていた球体に着火する。
 球体は大爆発を起こした。爆風に魔物の身体が悲鳴とともに吹き上がる。クロイスはそのへんにあった石の柱にしがみついて難を逃れた。
 魔物が階段に落下し、激突した。腹が焼け焦げ、さらに広範囲の甲殻がぼろぼろになっている。爆風と落下の衝撃で脚や鋏の関節も折れていた。弱々しい声でそれらを多少動かすが、すぐに蠍は動きを止め、霞となって消えた。
 石造りの階段がぎしりと音を立てる。3人は慌てて階段の下へ移動した。サリナたちの時と同じように、階段は崩れて落下した。下の床に石塊が激突して地響きを立てる。
「やれやれ、手を焼きましたね」
 途中で途切れ、戻ることの出来なくなった階段を振り返ってセリオルは呟いた。フェリオとクロイスは揃って頷いた。立て続けに襲いかかった強力な魔物を退けたことに満足感を覚えていた。
「やるじゃないかクロイス。あんなに素早く甲殻を剥がせるなんて」
「へへへ。まーな、プロの技ってやつだよ」
「あの甲殻、どこかで加工すれば武具として活用出来そうでしたね」
 セリオルの言葉に、クロイスはかぶりを振った。甲殻は魔物とともに消え去っていた。
「確かに、クロイスがいれば魔物から加工用の素材を獲れるよな」
「まあ獲るのは出来るけど、誰が加工するんだ? フェリオか?」
「俺か? 機械類は得意だけど、そういうのはな……セリオル、マナの力で何か出来ないか?」
「そうですね……。今この場では思いつきませんが、ここを出たら幻獣にも相談してみましょう。マナの力で鍛冶のようなことが出来るかもしれません」
「いずれにしてもせっかくの貴重な能力だ。活かさないのはもったいないな」
 言って、フェリオはクロイスの頭に手を載せた。帽子がくしゃりと形を変えて、クロイスはむっとして形を直した。
「そういやフェリオのさっきのあの、爆発したやつは何だったんだ? 爆弾か?」
 クロイスは唇を尖らせて帽子を直しながら質問した。この話題にはセリオルも興味津々のようで、彼も眼鏡をきらりと光らせてフェリオのほうを向いた。
「爆弾だよ。爆薬にマナストーンを配合して小型化した。ああいう小さい爆弾は殺傷能力が低いけど、炎と風のマナストーンを使って威力を上げてある」
「マナストーンを入手出来たんですか」
 セリオルは驚いたように言った。フェリオは少し得意そうな表情でそれに答える。
「バーナード教授が協力してくれた。今後に役立つと思って頼んでおいたんだ。買い取るって言ったんだけど、タダで大量に分けてくれたよ」
「それはすごい。私もあまり触ったことが無いんですよ。今度見せてもらえますか?」
「ああ。たくさんあるから使ってくれ」
 3人はそう話しながら階段や通路を進んだ。クロイスは何の話か理解出来ず、蚊帳の外から声を投げかけた。
「なあちょっと、マナストーンって何だよ」
「ん? ああ、マナストーンってのは、マナの力を内包した鉱石のことだよ。俺が見つけた鉱石とか、飛空艇で使う風鳴石なんかも強力なマナストーンの一種だ」
「ほほう。カインナイトねカインナイト」
「うるさい。それ言うのちょっと恥ずかしいんだよ」
 かすかに赤面するフェリオに、クロイスはにやにや顔をやめなかった。
 3人は階段が続いた通路から仄暗い部屋へと移動していた。それまでの部屋とは違って、壁に燭台はあるもののそこに火は入っていない。入り口に扉は無かったので外から僅かな光は入ってくるものの、奥まで十分に見通せるだけの光量は無い。目を細めて見ると、どうやら部屋の奥には大きな扉がある。
「ここ、か?」
 言いながら、フェリオは足を前へ出した。セリオルとクロイスがそれに続く。
「この奥に、水晶があるはずです」
「なんだ、意外にあっさり着いたな」
 その時、突如地響きと共に、背後の入り口が塞がれた。床から分厚い金属製の扉がせり上がってきたらしい。扉が石の天井にぶつかる大きな音。
 闇に閉ざされた部屋に、明かりが灯った。壁の燭台に火が入ったのだった。リストレインをあの台座に置いた時、迷宮の入る階段を照らしたのと同じ琥珀色の炎だった。
 3人の前に、サリナ、カイン、アーネスがいた。仲間たちは琥珀色の炎に照らされて、セリオルたちをまっすぐに見据えていた。

「サリナ、あとどんくらいある?」
 ひたすらに続く階段を1段1段這い上がりながら、カインはサリナに尋ねた。
「だいぶ近くなってきてます。あと少しだと思うんですけど……」
「そ、そうか、よかった、俺ぁもう疲れたぜ」
 迷宮の底からずっと階段ばかりを上っているため、3人のふくらはぎには疲労が蓄積されていた。アーネスもかなり辛そうにしている。金属製の鎧を纏っているのも、彼女の身体に負担がかかる原因のひとつだった。
「ちょっと、ここで休みましょう」
 階段の途中で、3人は座り込んだ。めいめいに脚の筋肉をほぐす。アーネスは重い鎧を外して、負荷のかかった箇所をさすった。
「なかなか、きつい試練だな」
 脚を揉みながらアーネスがそうこぼした。カインがその言葉ににやりと反応する。
「あんたもそんな弱音を吐くんだな」
 アーネスはカインを見て、自嘲するような笑いとともに息を吐き出した。
「私も人間だ。つらい時もあるし、苦しい時もある」
「俺たちの前では騎士隊長としてしっかりしてなきゃいけねーんじゃねーの?」
 カインは意地の悪い顔でそんなことを言った。明らかに面白がっている。サリナははらはらした。カインとアーネスの間で無意識に手が動く。
「私もそう思っていたが、今はともかく目的を達成するのが先決だ。私が招いたこの事態を静観しているわけにはいかない。貴殿らの足を引っ張るわけにはいかないからな。休む時には休んでおかなければ」
 アーネスの言葉に、カインとサリナはぽかんと口を開けた。しかしカインはすぐに口を閉じて、にやにや笑いを始めた。
「くく。隊長さんおカタさが無くなってきたじゃねーの。人間柔軟じゃねーとな、やっぱ」
 アーネスは目を閉じて小さく息を吐き出し、そう言ったカインを見遣った。
「そうだな。貴殿の言うとおりだ。その場その場で必要なことは違う。任務があろうと、臨機応変に対応しなければいけないこともある」
 アーネスの口元には笑みが浮かんでいた。カインは拍子抜けしたように頭を掻いた。サリナはほっとして胸を撫で下ろした。カインは憎まれ口も出てこない様子だった。
 それは突然だった。3人がさきほどまで上っていた階段に、巨大な直方体の金属塊のようなものが降って来た。鉄のような塊にいくつもの色とりどりの鉱石がへばり付いている。鉱石は生きているかのように明滅を繰り返す。
「うわわわ、なになになに!?」
「おいおいなんだこりゃ、魔物か?」
「武器を構えろ! 来るぞ!」
 アーネスは外していた鎧を素早く装備し、剣と盾を構えた。サリナとカインもそれぞれの武器をさっと構える。
 明滅する鉱石のひとつから光線がサリナに向けて放たれた。恐るべき速度だったが、サリナの反応が僅かに勝った。身を低くして回避したサリナの後ろで、石の壁が突き崩された。崩壊する壁を振り返って、サリナは背筋が凍る思いだった。驚異的な威力である。
「カインさん、アーネスさん、これは……」
「ああ、やべえなこいつは」
「あの速度の攻撃……かわしきれるか?」
 魔物の鉱石は明滅を繰り返す。極度に危険な光線がいつ発射されるのかと、3人はすぐに動けるよう、全身のバネを緊張させた。
 3人それぞれに対しての光線が発射された。音も無く飛来する光線にぞくりと冷たいものを感じながら、3人はなんとか光線を回避した。光線は古びた石の階段や壁をいとも容易く破壊する。崩落する石塊の音。
 サリナが足場を蹴って素早く魔物に接近する。魔物はその場から動くことはなかった。サリナは黒鳳棍を突き出した。金属的な質感の魔物を叩いて攻撃するのは効果的ではないと判断したからだった。
 黒鳳棍は予想外に美しい音を立てて弾き返された。金属同士がぶつかった音ではなく、サリナは両手に衝撃による痺れを感じながら、不思議な印象を持った。
「来たれ地の風水術、彫塑の力!」
 アーネスは剣と盾をしまい、ベルを操った。清らかなベルの音が響き、刃のように鋭い土煙が巻き起こって魔物に襲いかかった。魔物は土煙にむけて光線を放ち、そのいくつかを霧消させた。だが全てを撃退することは出来ず、土煙の刃は魔物の身体を削った。明滅する鉱石を攻撃した刃もあり、破壊された鉱石は光を失った。
「やるじゃねーの隊長さん」
 口笛など吹きながら、カインは印を結ぶ。
「青魔法の弐・震天!」
 印を結んだカインの手から金色に輝くエネルギーの塊のようなものが放たれた。その場から動くことの無い魔物に、それはまともに激突した。アーネスが破壊した鉱石の部分に着弾し、その箇所を中心として魔物の身体に微細なひびが入る。
「続きまして。青魔法の壱・マイティブロウ!」
 立て続けに青魔法が放たれる。銀色の巨大な拳が魔物に襲いかかる。しかし魔物は光線を放って拳を破壊した。光線はそのままカインに飛来する。
「うおう!?」
 声を上げてカインは身体を屈めたが、回避し切れずに光線が肩をかすめた。
「ぐっ」
 低く短い声を上げて、カインは肩を手で押さえた。血が流れ出す。
「カインさん!」
「やべえ、腕が上がんねえ」
 その声に、サリナは回復の魔法を詠唱する。その隙を突こうとする魔物が、破壊されたところではない鉱石を明滅させる。
「来たれ地の風水術、彫塑の力!」
 再び土煙の刃が魔物に襲いかかる。光線が発射される前に、刃は正確に明滅した鉱石を破壊した。
「清浄な癒しの光の降らんことを――ケアル!」
 サリナの手から癒しの光が飛び、カインを包んだ。カインの傷は完治はせぬものの、肩は上がるようになったようだった。
「助かった、サンキューサリナ!」
 サリナは頷いて魔物と再び対峙した。彼女の狙いはひとつ、あのひびの入った鉱石だった。
 彼女は感じていた。あの魔物の身体は金属に見えるが、それは恐らく表面だけだ。先ほど黒鳳棍で攻撃した時に感じた違和感。魔物の身体の内部は、液体に近い流動的な物質のはずだ。
 サリナは魔物に向けて駆けた。黒鳳棍を構え、身体中の力をその脚に込めて。
「アーネスさん、カインさん、魔物を転ばせることは出来ますか!?」
 サリナの言葉に、言われたふたりはすぐにそれぞれの術を発動させる。ふたりにはサリナのしたいことが瞬時に理解出来た。彼らも攻撃すべきポイントがどこかが見えていた。
「来たれ風の風水術、突風の力!」
「青魔法の壱・マイティブロウ!」
 アーネスは魔物の背後――といってもどちらが前だかわかったものではなかったが――から、カインは正面からそれぞれの攻撃を放った。強烈な風が魔物の足元を襲い、銀色の巨大な拳が魔物の上部を撃った。
 魔物はその暴力的な衝撃にアーネスの立つほうへ、人間であれば仰向けにと言うべきかたちで倒れた。苦し紛れに光線を発射したが、それは当然ながら見当違いの方向へ飛んで迷宮をいたずらに破壊するだけだった。
 サリナは遠心力を得るために回転した。足場に手をついて、縦に。全速力で走っていた速度そのままに。そして彼女は高く跳躍した。
 空中で、サリナは真紅の風となった。回転の速度は落ちることなく、彼女は魔物に向けて黒鳳棍を振り上げた。
「やっちまえ、サリナ!」
 カインの声が聞こえた。サリナは咆哮しながら魔物の身体の1点、ひびの入った鉱石をめがけて降下した。
 黒鳳棍が魔物に炸裂した。美しい衝撃音。ひびがびしりと音を立てて広がる。漆黒の棍は魔物の身体を貫いた。
 サリナは再度跳躍し、魔物から離れた。魔物は全身の鉱石を激しく明滅させるが、光線が発されることは無かった。それは苦痛に悶える断末魔の叫びのようだった。
 サリナの攻撃で破壊された箇所からは、淡く蒼白に光る液体が噴き出した。凄惨でありながら美しい光景だった。やがて噴出は止まり、鉱石の明滅も止まった。そして魔物の姿は霞となって消えうせた。後には破壊された迷宮の瓦礫だけが残った。
「厄介な魔物だったな。やれやれ」
 疲れた、というようにカインはその場に両脚を投げ出して座り込んだ。まだ肩が痛むのか、僅かに顔をしかめる。
「大丈夫ですか、カインさん」
 声を掛けながらサリナが近づき、回復の魔法を詠唱した。アーネスも来たが、彼女は座りはしなかった。
「もう大丈夫だ、サリナ。ありがとう」
「いえいえ」
 アーネスはあたりを警戒していた。彼女はさきほどまで魔物がいた場所を凝視しつつ、サリナとカインに声を掛ける。
「回復したら先を急ごう。ここはうかうかしていると魔物が現れる。さっきみたいな戦闘を繰り返していたら身がもたない」
「ああ、そうだな」
 カインは立ち上がった。サリナも頷いて立ち上がる。3人は再び階段を上がり始めた。
「アーネスさんの風水術って、きれいで強力で、いいですね」
 歩きながら、サリナはアーネスに話しかけた。女性騎士からは、少し前までのとっつきにくい雰囲気は随分薄れていた。
「きれいって、何がだ?」
「あの、ベルです。装飾も可愛いし、音もきれいだし」
「ああ、そういうことか。あまり便利な能力ではないがな」
「え、なんでだよ?」
 その言葉はサリナとカインには意外だった。
「風水術って、自然からマナを取り出すから自分のマナ消費はほとんど無いですよね。それであんなに強力な攻撃が出来たら、すごく便利じゃないですか?」
「確かに威力は高いが、場所場所で使える術が限定される。さっきの魔物も水辺で使える術があれば霧を発生させて光線を屈折させることが出来たが、ここではどうやっても不可能だ。術の選択肢が自分に無いのが歯がゆい」
「ああ、なるほど……」
 それでも風水術には憧れます、とサリナは付け足した。アーネスはその言葉に微笑んだ。初めて見るその微笑みに、サリナはどきりとした。
「ま、今は俺たちがいるから風水術が限定的な術でもいいだろ」
 カインはまっすぐに進む方向を見て足を運びながらそう言った。何気ない言葉だったが、アーネスは何か感じるところでもあったか、短く目を閉じて答えた。
「……そうだな」
 長く曲がりくねった階段を上がり続け、時折現れる魔物を撃退しながら進んだ。やがて3人は、仄暗く入り口の扉が無い石造りの部屋へ到着した。
 その部屋はこれまでとは違って、壁の燭台に炎は燃えていなかった。不思議に思いながら3人が入り込むと、入り口の足元から金属製の扉が地響きとともにせり上がってきて、塞いでしまった。
「おいおいおいおいなんだよおい」
「うろたえるな」
 静謐に包まれた部屋の壁に、琥珀色の炎が灯った。部屋の奥に巨大な扉があった。
 そしてその前に、セリオル、フェリオ、クロイスの3人が立っていた。彼らはサリナたちの到着を待っていたかのように、3人の正面に並んで立っていた。
「あ、セリオルさん! フェリオ、クロイス!」
 サリナが右手を上げて嬉しそうに名を呼んだ。カインも呼んだが、呼ばれたほうは返事をすることも無く、ただ静かにこちらを見ているのみだった。
 サリナは上げた手を所在なさげに下ろしかけた。そこにいるのはどう見てもセリオルたちだった。あの部屋で離れ離れになる前と同じ、いつもと変わらぬ仲間たちだった。
 ひとつだけ違うところを上げるとすれば、彼らがサリナたちに向けて攻撃を仕掛けてきたことだった。

挿絵1    挿絵2