第39話

 漆黒。
 墨を流したような真っ黒な闇。幻獣研究所を訪れた者たちを、暗黒の半球体が包み込んだ。どこから生まれたのかわからぬその闇に阻まれて、サリナは白髪の男へと至る道を奪われた。
 突然のことに、学生らの悲鳴が上がる。その場の全員が、等しく視界を奪われていた。サリナの目にも何も映らない。
「サリナ! どこだ、サリナ!」
 フェリオが自分の名を呼ぶ声がする。混乱したカミーラの声が聞こえる。クロイスは何かに毒づいている。サリナは全身を駆け巡る血液の激流を抑え込もうとした。視界がゼロになったことで、現れた男に対する感情に流されない、冷静さが生まれていた。
 サリナは目を閉じた。どうせ何も見えない。それならば瞼を下ろしたほうが、彼女は集中力を高められた。周囲の気配を探る。自分のすぐそばに、得体の知れない不気味な気配がある。白髪の男は、元の位置から動いてはいないようだった。
「冷静だねえ、サリナ」
 鼓膜をざらつかせるような声。攻撃にも防御にも備えるため、サリナはゆっくりと黒鳳棍を三節棍の形態で構えた。彼女は声の主へと意識を集中した。息が荒らぐのを、なんとか自制する。
「僕のことを、覚えているかい?」
 男の口調には、優しさや慈しみといった感情は一切表れていなかった。含まれていたのは、ただ嘲笑の響きのみだった。
「……ゼノア!」
 サリナは叫んだ。一瞬前に見た顔。冷たい墓場のような、無慈悲な顔だった。初めて見たはずなのに、サリナはそれがゼノアだと確信していた。それは、記憶していたと言っても良いくらいの、断固たる確信だった。
「嬉しいよ、サリナ。覚えていてくれたんだね」
 じわりと忍び寄る夜気のように、ゼノアの声が耳元で囁かれた。嫌悪感が身体を走る。背筋がぞわりと粟立つような感覚。サリナは黒鳳棍を振るった。三節棍は何も打つことなく、闇を切った。
 漆黒の海のようだった闇が、徐々に晴れ始めた。混乱は続いている。サリナがゼノアを呼ぶ声に、フェリオとクロイスの声が緊迫した響きを伴って飛び交っていた。学生たちや教師も、何が起こったのか把握出来ず、恐怖に叫ぶ者とそれを治めようとする者とがあらん限りの声を絞る。
「や、やだ、なにこれ!」
 闇が晴れて靄のように漂う。そこは幻獣研究所の庭園だった。目の前にはあの石造りの建物もある。だが闇が広がる前と、決定的に異なるものがあった。
 多数の魔物が出現していた。不気味に蠢く多種の群れは、今にも人間たちに襲いかかろうとしていた。
 混乱が起きた。魔物が学生たちに牙を剥いた。
 ゼノアは静かに、サリナを見つめていた。サリナも正面からその視線を受け止めていた。銃声が聞こえる。フェリオが魔物と戦闘を開始したらしい。刃の金属音も聞こえた。クロイスだろう。しかしサリナは、カミーラたちが危ないとわかっていても、ゼノアから目を離すことが出来なかった。
「サリナ、そいつから離れろ! 危険だ!」
 フェリオの声が聞こえる。彼は戦う術を持たない若者たちを守るため、多様な銃器で魔物を攻撃していた。
「おいサリナ! 今はこっちが先だろ!」
 クロイスだ。彼は庭を駆け回って、両手に構えた短剣で魔物を切り裂いていた。
 しかしサリナは動けない。激烈な怒りに身体が支配されていた。彼女の目には、白衣を纏った男の姿しか映らなかった。激しく打つ心臓の音が聞こえる。
「久しぶりに会えたっていうのに、なんて顔をしているんだい、サリナ」
「ゼノア! あなたが、私のお父さんを!」
 叫ぶサリナに、ゼノアは首を傾げて見せた。冷酷な笑みを顔に張り付けたままで。
「お父さん、だって?」
「お父さんを返して!」
 猛然と、サリナはゼノアに向けて突進した。風が巻き起こる。サリナは黒鳳棍を鞭のように操り、渾身の回転撃を放った。
 漆黒の衝撃は、しかしあっさりと回避された。ゼノアはするりとその場を離れ、顎に手を当てて笑っていた。
「くく……なるほど、そういうことか」
「何がおかしいの!」
 怒りに任せて、サリナは次々に攻撃を繰り出した。真紅の竜巻がごとき怒涛の連撃にも、しかしゼノアは何の脅威も感じていないかのように、するりするりと身をかわしてみせた。息ひとつ切らさぬその男に、サリナはそれでも攻撃の手を緩めない。
 ひたり、と。ゼノアの手が黒鳳棍を掴んだ。咄嗟に、サリナは武器を戻そうとした。だが白衣の袖から出た手が掴む黒鳳棍は、ぴくりとも動かなかった。
「サリナ、君の大切なお父さんは、この奥にいるよ」
 黒鳳棍を持つ腕を支点にして、サリナは回転しつつ脚での攻撃を放った。しかしそれを、ゼノアは黒鳳棍から手を離して身を反らし、難なく回避した。彼はそのまま、ゆったりとした動きで、しかし俊敏に研究所の入口へ移動した。サリナはそれを追う。
「助け出したければ、来るといい。歓迎するよ」
 そう言い置いて、ゼノアは研究所の入口を開いた。
「待って!」
 追いすがろうとしたサリナの耳に、女性の叫び声が飛び込んだ。カミーラの声だった。
 その声は怒りに囚われていたサリナの意識を覚醒させた。声のした方向へ顔を向ける。醜悪な大蛇のような魔物が、カミーラに咬みつこうと牙を剥いていた。サリナは陣風となって駆けた。視界の端で、ゼノアが薄笑いを浮かべながら研究所内へ入るのを捉えたが、サリナはカミーラを助けることを優先した。
 黒鳳棍の一撃が、大蛇の首を強かに打ちつけた。甲高い悲鳴を上げて、蛇がのたうつ。サリナはその隙に、尻もちをついているカミーラに手を差し伸べた。
「カミーラ、大丈夫?」
 カミーラは腰でも抜けたか、サリナの手を握ってもすぐには立ち上がることが出来なかった。やっとの思いで立ち上がって、彼女は言った。
「ありがとう、サリナ――ねえ、サリナの悩みって、このことだったのね」
 サリナとゼノアのやり取りを聞いていたらしかった。サリナは俯いた。隠していたことが申し訳なかった。だが、カミーラが次に口にした言葉が、彼女を勇気付けた。
「頑張って、サリナ。負けないで。サリナはすごく、大変な道を歩いてるんだね……私、応援するよ」
「……ありがとう、カミーラ」
 微笑むカミーラに、サリナは涙を拭った。彼女は周囲を見回した。多数の魔物を相手に、フェリオとクロイスが戦っている。ふたりは強いが、相手が圧倒的に多い。学生たちの中で、戦闘の出来る者は皆無と言って良かった。
「おーい! 大丈夫かー!」
 カインの声が聞こえた。見ると、カインとセリオルのふたりが走って来る。通用口から駆け付けたらしい。
「セリオルさん、カインさん!」
 ふたりはすぐに戦闘に入った。カインの青魔法とセリオルの黒魔法が飛ぶ。
「話は後です! まずはこの状況をなんとかしましょう!」
 追い詰められつつあったフェリオとクロイスを、ふたりは助けに入った。傷を負ったふたりに、セリオルがポーションを手渡す。
「行って、サリナ。皆を守ってあげて。私、助けを呼んでくる!」
「うん、お願い!」
 カミーラにそう言い置き、魔物の群れに向かって、サリナは走り出した。
 戦場は混沌の様相を呈していた。サリナたち5人は、各々が何体もの魔物を相手取り、獅子奮迅の戦いを繰り広げた。彼らはともかく、無力な学生たちを襲おうとする魔物を片っ端から撃滅した。
「火柱よ。怒れる火竜の逆鱗の、荒塵へと帰す猛襲の炎――ファイラ!」
 セリオルが振るった杖は、魔物の群れの足元から爆炎の柱を築いた。魔物どもはある者は炎に包まれて天高く舞い、ある者は火の舌で執拗に舐められて地をのたうった。
「ストリング!」
 カインは腕を振り、獣使いの糸を操って魔物を次々に捕えた。学生を襲おうとしていた数体の魔物がぴたりと動きを止める。
「てめえらでやり合ってろ――マリオネート!」
 あやつられた魔物は、他の魔物に向けて攻撃を開始した。
 セリオルから渡された新しい短剣を柄の部分で組み合わせて、クロイスは猛攻を繰り返した。
「すげえな、この盗賊刀」
 武器にはマナが纏わされていた。マナストーンによる効果らしい。高純度に精製されたマナストーンが柄に嵌め込まれ、片方の刃は炎、他方は風のマナを纏っていた。クロイスは地の魔物を盗賊刀で、空の魔物をマナの矢で殲滅する。
 フェリオの銃は、その銃身を淡い銀灰の光に覆われていた。力のマナストーンで強化した銃だった。銃は七色の弾丸を射出した。弾道は光の尾を引いて、流星のように魔物へと飛来した。
「うん、なかなか上出来だ」
 三節棍から元の棍の状態へ戻した黒鳳棍を右手に構え、サリナは魔物の群れる中へ突入した。棍を回転させながら振るう。サリナのクラスメイトに今にも牙を突きたてようとしていた魔物を、棍の一撃が吹き飛ばした。
「大丈夫?」
 かがんで、サリナはクラスメイトの男子生徒に手を差し伸べた。
「あ、ああ、ありがとう」
 男はその手を握って立ち上がった。大人しい優等生だと思っていたサリナのあまりの強さを目の当たりにして、言葉が出ないようだった。
「早く逃げて。カミーラが助けを呼びに行ってくれてるから」
 頷いて、男子学生は庭園の出口へ向かって走り出した。
 戦局は徐々に、サリナたちへ傾いてきていた。魔物の数は次第に減り、学生たちもほぼ脱出に成功した。サリナたちは魔物の動きを警戒しつつ、一度集まって状況の認識を共有化した。
「どうしてこんなことに?」
 セリオルは魔物の群れから目を離さずに、サリナたちに向けて尋ねた。フェリオが弾丸を発射しながら答える。
「研究所へ入る直前、ゼノアが入口から現れたんだ」
「なんですって!?」
「あんだと!?」
 セリオルとカインが驚愕の声を上げた。ふたりは思わず、魔物たちへの攻撃の手を止めた。
「ゼノアが? どういうことです?」
「わからない。白衣を着た白髪で瞳の赤い男が入口から出て来て、サリナがゼノアの名前を叫びながら攻撃を仕掛けたんだ」
 フェリオの言葉に、セリオルは瞬間、目を泳がせた。何かを考えているようだった。
「サリナは、ゼノアが名乗る前に彼の名を呼んだんですか?」
「ああ」
 巨体を誇るサイのような魔物を棍の攻撃で昏倒させて、サリナが仲間たちの元へ戻った。そのサリナを、セリオルが見遣る。
「サリナ」
「はい?」
 サリナはいつもと変わらないように、セリオルには見えた。激しい戦闘で額から汗が滴っているが、まださほど疲れてはいないようだった。サリナはセリオルのほうを向いて、汗を拭った。
「今フェリオから、状況を聞きました――ゼノアが現れたそうですね」
「……うん」
 険しい表情で、サリナは答えた。
「どうして、ゼノアだとわかったんです?」
「え?」
 質問の意味が理解出来ず、サリナはきょとんとした。
「霜寒の冷たき氷河に抱かれし、かの冷厳なる氷の棺よ――ブリザラ!」
 襲い来ようとした怪鳥を、セリオルの放った氷の魔法が迎撃した。宙に生まれた無数の巨氷柱が、四方八方から魔物に突き刺さる。魔物は悲鳴を上げて落下した。
「あなたは、ゼノアのことを覚えていたんですか?」
 セリオルの表情は厳しい。彼はサリナのほうを見ずに、そう尋ねた。
「う、うん……そう、なのかな」
 自信の無さそうなサリナの声。彼女自身も、なぜゼノアを目の前にした時にゼノア本人だと気づくことが出来たのか、わからなかった。その様子に、セリオルは表情を厳しくしたままだった。
「ま、サリナは勘がいいからな。マナを感じ取ったり、他人の感情をなんとなく察知出来たり」
 カインはいつも通り、気楽な口調だった。しかしその陰に、サリナは悔しさを感じていた。ゼノアに会いたかったのだろうと、サリナは思った。会って、少なくとも一矢報いたかったに違いなかった。
「ふう。そろそろ最後だな」
 矢を数本同時につがえて放ち、魔物を仕留めてクロイスは額の汗を拭った。
「行こう」
 フェリオが声を掛け、5人は研究所本庁舎へと走り出した。その途中にも魔物が襲い来たが、彼らはそれを蹴散らして進んだ。
 だが入口に辿りつく直前、ほんの10メートルほどの距離まで来た時だった。
 突如として、いくつも並ぶ研究所の建物全てが、それぞれ闇の半球体に包まれた。
「な、なに!?」
 サリナたちは足を止めた。セリオルが険しい顔で闇の球体を見つめている。
 さきほどサリナたちを包んだものと同じに見えたが、様子がおかしい。あの黒で塗り潰したような完璧な闇ではなく、薄らと中の様子が透けて見えた。
 その透けて見える球半体の中の建物が、崩壊を始めていた。
「そんな、どうして!?」
 サリナが悲鳴を上げるように叫ぶ。あの中には、父がいるのだ。幽閉されて自由を奪われた、彼女の父が。
「やめてー!」
 サリナの足が庭園の土を蹴る。だがその腕を、セリオルが掴んだ。
「待ちなさい、サリナ」
「どうして! 放して、セリオルさん! お父さんが!」
 サリナは半狂乱だった。しかしセリオルは腕を掴んだ手の力を緩めない。
「放して! セリオルさん、放してよ!」
「だめです。今行ってはいけません」
「どうして!? お父さんが死んじゃうよ!」
 振り返って目に涙を浮かべて訴えるサリナに、セリオルは首を横に振って見せた。
「大丈夫です。お父さんは無事です。ゼノアにとって、先生は極めて重要な存在。手に掛けることは考えられません」
「でも、でも研究所が!」
「先生が幽閉されている軟禁室は、地下にあります。あの攻撃は、恐らく地上の施設だけを破壊しているはずです」
 闇の半球は轟音を上げて建物を破壊していく。まるで間近に雷雲があるかのような、バシバシと大気の爆ぜる音が響く。大地が揺れ、暴風も起こっていた。闇から吹き出す、暴力的な風だった。
 闇の中から、またしても魔物が湧き出してきた。ぞろぞろと出てくる魔物の数は、さきほどの数倍はあるのではと思われた。
「おいおい、冗談だろ?」
 さすがにカインの声も力を落としていた。うんざりしながら、サリナたちは武器を構えた。
 そこへ、多くの足音が向かってくるのが聞こえた。鎧の鳴る音がそれに混じっている。5人は足音のするほうを見た。チョコボに乗り、鎧を身に付けた騎士の一団だった。
「お、ありゃアーネスじゃねえの」
「金獅子隊か?」
 スピンフォワード兄弟が言った。先頭を走るのは、王立騎士団金獅子隊隊長、アーネス・フォン・グランドティアだった。
「貴殿ら、無事か?」
「アーネスさん!」
 そばまで来て、アーネスはチョコボを下りた。騎士のチョコボらしく、アーネスのチョコボは立派な鎧のようなものを身に付けていた。他の騎士たちのチョコボも同様だったが、アーネスのチョコボの鎧が最も高級そうだった。アーネスのチョコボは琥珀色の羽毛で、凛々しく雄々しい雰囲気を纏っていた。
「オラツィオ、控えていて」
 アーネスはチョコボにそう言った。利口なチョコボはひと声嘶いて、安全な場所へと走っていった。他の騎士たちのチョコボも、アーネスのチョコボに倣った。
「サリナ、貴殿の友人のカミーラという女性が連絡をくれた。一体何が起きたのだ?」
 幻獣研究所の施設群を覆う闇の半球を見据えて、アーネスは尋ねた。彼女の手は腰の剣へ添えられていた。そこには鞘の姿をした地のリストレインがあった。アーネスの剣を収めている。
「ゼノアが……私の父を幽閉した、ゼノア・ジークムンドが現れたんです」
「ほう……向こうから出向いて来たのか」
「はい」
 アーネスは剣を抜いた。それは試練の迷宮で使ったものより、美しい剣であるようにサリナには見えた。透き通るような繊細な刀身が、太陽の光を受けて煌めいている。アーネスに続いて、騎士たちも剣を抜いた。整然と並ぶ、王国の剣たち。
「まずはこの魔物どもを退けるのが先決だな」
 魔物の大群はこちらの出方を窺うかのように、一定の距離を保って留まっていた。様々な種類の不気味な声が満ちる。魔物たちの背後では闇の半球が蠢いている。この世の終わりのような光景だった。
「あなたたちが来てくれるとは、心強いです」
 セリオルは杖を構えた。カインとフェリオ、クロイスもそれに同調した。
 サリナが走った。乱戦の口火が切られた。
 魔物の数は膨大だった。凶暴な爪や牙、翼、もしくは魔法の類の攻撃が雨のように、サリナたちに降りかかった。棍が、鞭が、短剣が、剣が舞い踊り、マナや弾丸が空を切り裂いて炸裂した。金獅子隊の騎士たちもなかなかの手練揃いで数も多かったが、魔物の数はそれを遥かに凌いだ。
「迸れ、大気を焦がす稲妻よ。その身で受けよ、雷帝の抱擁――サンダラ」
 雷撃が降り注ぎ、魔物の一群を滅ぼした。そこへクロイスのマナの矢が驟雨のごとく撃ち付ける。矢を受けた魔物は、爆炎を上げて絶命する。さらにカインの獣ノ箱から解き放たれた大量の青白い炎が、屍を乗り越えて向かってくる魔物たちを蹴散らした。フェリオの爆弾が破裂し、爆風が竜巻となって魔物の群れを翻弄する。風水のベルが鳴り、地面からマナの茨が現れて魔物たちを捕え、その身を締め付ける。そしてサリナはあらん限りの力で、黒鳳棍を操って真紅と漆黒の暴風と化し、圧倒的な速さで魔物の群れを撃滅する。
 それでも次々に現れる魔物たち。王都の一角は、完全に戦争の場と化していた。さすがに異常に気付いたらしい王都民たちが、遠巻きで野次馬の垣を形成している。どういうわけか、魔物たちは研究所の敷地より外へ出ようとはしないようだった。
 誰かが傷を負うたび、サリナは回復の魔法を詠唱した。攻撃の隙を見つけては、防御や守護、幻影の魔法も使った。騎士団員の戦闘能力はサリナたちよりやや劣るものの、人数の多さが魔物の大群を相手にするには助けになっていた。
「天を舞う白き翼の清純なる、愛に満ちたる女神の口づけ――リジェネ!」
 サリナたちを薄紅色の光が包んだ。それは時の経過に伴って、少しずつ体力や傷を回復していく、治癒の魔法だった。1体1体が大した力を持たない魔物たちだが、多数を相手取れば小さな傷が重なっていく。この場面では有用な魔法と言えた。
「貴殿ら、また腕を上げたな」
 狼の魔物を斬り捨てて、アーネスがサリナに言った。サリナは棍を構えたままで答える。
「アーネスさんこそ、この間よりさらに身体のキレがいいですね」
 アーネスは小さく息を吐き出した。妹との特訓も、多少は役に立ったらしい。
「来たれ地の風水術、茨叢の力!」
 地面から無数の茨が出現し、魔物の群れを絡め捕った。太く鋭い棘が攻撃する。風水術を使った直後のアーネスを襲おうとした魔物を、カインの糸が捕縛してあやつり、別の魔物へと矛先を向けさせる。
「よお、隊長さん。調子はどうだい?」
「ああ、上々だ」
 ふたりは背中合わせになって、魔物の群れを迎え撃つ。
 セリオルはクロイスと連携して、魔物と戦っていた。セリオルの詠唱の間を、クロイスが接近戦でうまく繋いだ。
「セリオル、この短剣すげえな! めちゃつええ!」
 マナストーンの力で様々なマナを発動させながら戦うことに、クロイスは興奮していた。マナストーンの入れ替えもスムーズに行えるようになった。炎が、水が、雷が、風が、土が、面白いように魔物にダメージを与える。セリオルの魔法が発動する時には魔物と距離を取り、矢を放って離れた魔物を狙った。
「喜んで頂けたようで、なによりです」
 クロイスを死角から攻撃しようとした不気味な蛙のような魔物に、セリオルは強酸の瓶を投げつけた。マナ・シンセサイザーで作成した投擲用ナイフは、従来のものよりも素早く飛び、鋭い刃で瓶を破壊した。
 サリナはフェリオの元へ走った。無数に現れる魔物たちに距離を詰められ、フェリオは2丁拳銃を連発していた。マナストーンの爆弾で一時的に距離を取るものの、銃を組み替えてマナストーンをセットする間に接近を許してしまう。
 フェリオは舌打ちとともに、至近距離から雷のマナを帯びさせた弾丸を撃った。弾丸は魔物を貫き、雷光がその後ろにいた魔物をも捉えて滅ぼした。
「フェリオ!」
 サリナが突風となって魔物をなぎ倒す。神速の乱撃は鮮やかに群れを蹴散らした。
「きりが無いな、まったく」
「うん、きついね」
 休むことなく、サリナは魔物へと走る。その後ろから、見事な精度でフェリオの銃から弾丸が放たれる。それはサリナの動きを阻害することなく、主に宙を舞う魔物に命中して撃墜した。落下した魔物は再び飛び立つ前に、サリナの黒鳳棍によって昏倒させられた。
 人間たちの体力が底を突く前に、魔物が全滅する。そんな結果が見え始めた時だった。
 不愉快な風を吹き出しつつ、幻獣研究所を破壊していた闇の半球体が消失した。闇は靄となって拡散した。
 そして瓦解した本庁舎から、全身に漆黒の鎧を纏った人物が現れた。
「なんだ……?」
 セリオルは目を凝らした。瓦礫の上でその人物は、ただ静かに、そこに立っていた。
 ぞくりとした悪寒が、セリオルの背を走った。両目が見開かれる。事態は最悪の局面を迎えた。
「皆、アシミレイトです! アシミレイトしてください!」
「え――?」
 切迫したセリオルの声に振り返ると、セリオルは目に見えてわかるほど、震えていた。
「サリナ、早く! 早く僕を解放するんだ!」
 サラマンダーの声が響いた。仲間たちの幻獣も、それぞれに警告の声を発している。神なる獣たちは、崩壊した石材の上の、たったひとりの人間を、恐れていた。

挿絵