第4話

 ガタゴトという揺れで目が覚めた。首の後ろが冷たい。心配そうな顔で自分を見下ろすセリオルの顔が見えた。その上には幌の裏面が見えている。どうやら騎鳥車の中のようだ。
「目が覚めましたか、サリナ」
 ほっとしたようにセリオルが言った。
「うん――いたた」
 体を起こしてみると、首の後ろと左肩に痛みが走った。セリオルが冷やした布を当ててくれていたが、まだ殴られた痛みは引いていなかった。左肩の痛みはどうしたのだろうと考えて、すぐに思い出した。幌から落ちたのは左肩からだった。
「盗賊は?」
「撃退しました。彼らの協力もあってね」
 そう言って、セリオルはそばにいるふたりの青年を紹介するように体の向きを変えた。どことなく明るい雰囲気の赤毛の青年と、やや暗い感じのする灰色がかった髪の青年だった。観光というよりは、仕事か何かの用があってフェイロンに立ち寄っていたといった出で立ちである。
「よお、無事で良かったな。俺はカイン。カイン・スピンフォワードだ。君は?」
「あ、あの。サリナ・ハートメイヤーです」
「サリナか。よろしくな! こいつは俺の弟で、フェリオ」
「あ、よ、よろしくお願いします」
 カインと名乗った青年の勢いに気圧されそうになりながら、なんとかサリナは自己紹介を済ませた。フェリオと紹介された青年はサリナには軽く会釈しただけで、目を閉じてしまった。
 セリオルによると、盗賊を撃退できたのはこのふたりの力によるところが大きかったようだ。気絶してしまったサリナをセリオルが介抱できるように、幌から飛び出した彼らが盗賊の相手をしてくれたらしい。それだけでなく、ふたりで10人ほどいた盗賊を返り討ちにしてしまったそうだ。
「いやいや大したことねーよあんくらい。はっはっは」
 愉快そうに笑うカインにつられて、サリナも思わず吹き出してしまった。かなりまずい事態だと思っていたが、あっさりと過ぎ去ったようだった。談笑する余裕すら生まれた。
 そんなサリナを、フェリオの鋭い視線が突き刺した。目が合ってどきりとしたが、フェリオはすぐに視線を外して、また目を閉じてしまった。
 フェリオの向こうに、あの老夫婦の姿が見えた。沈んだ様子に見える。夫が妻の肩に手を置いて慰めているようだ。妻は涙を流してはいなかったが、かなり落胆している。サリナたちは幌の先頭側、老夫婦は出口側の端にいるため数メートルの距離があったが、彼らの心痛がここまで伝わってくるようだった。
「荷物を奪われたんだ」
 フェリオがぽつりとそう言った。両目を閉じたままだが、彼の眉は険しくひそめられていた。サリナが不意を突かれて気絶させられた盗賊が、幌の出口付近にいた老夫婦の荷物を奪ったのだという。さきほどからの彼の不興の理由はそれだった。
 サリナは落ち込んだ。明らかに自分の不注意が招いた事態だった。もっと注意深く行動していれば、いやその前にまどろんでいなければと、自分を責めた。実際サリナが通常どおりの俊敏さでことに当たっていれば、老夫婦の荷物は盗まれることなく盗賊を撃退できただろう。印象だけだが、連中はそれほど手練には見えなかった。カインやフェリオの手を借りることもなく、サリナとセリオルのふたりだけで十分対応できたはずだった。それだけに、目の前で孫への土産や金品を奪われた老夫婦の嘆く姿が胸に突き刺さった。
「あの、おじいさん、おばあさん、ごめんなさい」
 老夫婦のところへ這って行って、サリナはそう詫びた。驚いたように老いたふたりは彼女を見た。
「いや、何を言ってるんだね。君だって被害者じゃないか」
「そうよ。首は大丈夫? こんな若い子に手を上げるなんてねえ。アザにならないといいけど」
 どうやら彼らは、サリナの不注意が招いたことだとは微塵も考えていないようだった。もっともと言えばもっともだろう。サリナの容姿を見て、武術の優れた使い手だと思う者は少ないに違いない。例えサリナが凄腕の武人だったとして、その彼女が不意を突かれて倒れたことと、自分たちの荷物が奪われたことを結びつける思考回路は彼らには無かった。彼らにとっては、サリナもセリオルもスピンフォワード兄弟も、一様に自分たちの命を守ってくれた恩人だった。
 そう考えてくれていることが、サリナにはなお辛かった。ほうほうの体で散り散りに逃げ去った盗賊たちへの怒りと自責の念とで、彼女は肩を落として元の場所に戻った。セリオルとカインが慰めてくれた。フェリオは押し黙ったままで、サリナは荷台の床を見つめていた。
 日が暮れるころ、騎鳥車はユンランの街に到着した。
 初めて訪れたユンランの街は、フェイロンと比べて陽気な雰囲気が街全体に漂っていた。海の街だからだろうなと、サリナは推測した。街並みはよく似ているが、風の匂いが違う。フェイロンの風は緑の瑞々しい香りが清々しいが、ユンランの風は漂う潮の香りが心地よい。ほうぼうの店には明かりが灯り、飲食店はどこも店の外にまでテーブルを出して、人々が楽しげに飲み、歌い、踊っていた。喧騒に、落ち込んでいたサリナの気持ちも和らぐようだった。
「宿、決まってないんだろ? 疲れてるだろうし、俺たちが泊ってるとこ行こうぜ」
 騎鳥車の中で随分意気投合したらしいカインとセリオルが、さっさと話をまとめてしまった。一行はスピンフォワード兄弟が常宿にしている“海原の鯨亭”へとたどり着いた。1階がレストラン兼酒場、2階が宿という典型的な大衆宿だ。ここでも宿泊客や食事に来た地元住人らしき人々が愉快そうにさんざめいていた。
 部屋をとって荷物を置き、4人は1階のテーブルで食事をとった。話題は自然とそれぞれの旅の事情に集まっていった。セリオルは白の修法塾をしていて忙しいサリナの祖父母の代わりに、就職準備をするサリナを王都イリアスへ案内するところだと説明した。王都の役人登用試験には、専門の学校に行って勉強をして備える者も多い。それを話すと、カインは驚いたように「金持ちなんだなあ!」と言った。フェリオはやはり不機嫌そうで、その様子にサリナは小さくなるのだった。
 スピンフォワード兄弟は、蒸気機関技師を目指すフェリオの用事でフェイロンに立ち寄っていたのだという。フェリオの話は難しくてサリナにはよく理解できなかったが、蒸気機関の排熱装置をうまくコントロールするのに適した、耐熱性の高い鉱石の採掘が目的だったという。主な鉱脈は掘り尽くされて頭打ちだったが、フェリオは独自に進めた鉱脈の調査でフェイロン周辺の鉱床を発見したのだという。その話をするフェリオはやや興奮気味で、サリナとセリオルは饒舌なフェリオを初めて見た。彼の蒸気機関にかける情熱は相当なもののように見えた。
 ユンラン村の自警団が入ってきたのは、食事がひと段落して飲み物を注文しようというところであった。木製の鎧を身に付け、腰に剣を提げた集団だ。鎧の胸には揃いの紋章が誇らしげに輝いている。彼らの中のリーダーらしき男が食事をしている客たちに告げる。
「ご宿泊の皆さん、大変申し訳ありませんが、しばらくユンランから出ることを制限させて頂きます。近郊に野盗が現れたとの通報がありました。皆さんの安全のために、一時的に村を封鎖します。封鎖の解除は野盗の脅威が無くなったことを確認し次第解除しますので、ご理解とご協力をお願いします」
 口上を述べて礼をした後、自警団はすぐに去って行った。突然の村の封鎖という一大事に、客たちは不安げにざわめいた。サリナは足止めを食ったことに困惑したが、同時にあの老夫婦のことを思い出し、一刻も早く野盗が駆逐されることを願った。カインの口から驚くべき一言を聞くまでは。
「フェリオ、明日あたり盗賊どもぶっ飛ばして、さっさと帰るぞ」

挿絵