第48話

 フェリオは巨大な薔薇の魔物に向けて銀灰のマナ弾を撃ち続けながら、視界の端に奇妙な光景を捉えた。6体のモーグリたちが円陣を組むようにして並んだ中央に、サリナが立っている。少女は困惑しているようだった。
「どうしました、フェリオ」
 隣に来たセリオルが尋ねてきた。フェリオはサリナのほうを指差して答える。
「何してるんだろうな、あれ」
 モーグリたちとサリナを見て、セリオルは目を細めた。そしてすぐに、口元に小さな笑みを浮かべる。
「何かわかったのか?」
「ええ。手間がひとつ省けました。それから――」
 セリオルはブラッディローズに向き直った。カインの雷撃を纏った鞭が、魔物を攻め立てている。魔物は鮮やかな緑と変色した暗い色の緑とで、まだら模様になっていた。蔓の動きが緩慢になっている。明らかに弱ってきていた。
「あの魔物、もうひと癖ありそうですよ」
「え?」
 セリオルは火炎の魔法を放った。地面から火柱が立ち昇り、魔物を焼く。ひときわ大きな悲鳴が上がる。その姿に、フェリオは戦いはもう終わるのではと考えた。魔物は、虫の息だ。
「やった! やっつけた!」
 ティムの嬉しそうな声が聞こえる。ふたりの幼い少年たちは、マナの戦士たちの戦いを憧れの目で見つめていた。
「おーし。最後はかっこ良く俺のリバレートで!」
 右腕をぐるぐると回して、カインがポーズを決めた。アルトとティムの歓声が上がる。
「待ってください!」
「おおう?」
 気合を入れたカインの出鼻を、セリオルが挫いた。仲間たちの視線が、長身の黒魔導師に集まる。
「皆、注意してください。本性を現しますよ!」
 セリオルの警告。その声は鋭く飛び、魔物の許へ届く。
「魔物、倒したんじゃないのか?」
「まだ何かあるの……?」
 少年たちの不安そうな声。ブラッディローズは動きを止めていた。茎の根元からぐったりと倒れている。もはや傷ついた身体の再生は行われていない。アシミレイトした人間たちの波状攻撃に、力尽きたように見える。
「クポ〜急ぐクポ〜」
「集中するクポ〜」
「サリナ、あっち見ちゃだめクポ〜」
 仲間たちと魔物のことが気になってそわそわするサリナに、モーグリたちが注意する。サリナは自分の正面を向いた。気持ちが焦る。白魔法は必要無いだろうか? 皆が傷ついてはいないか?
「大丈夫クポ、みんな強いクポ〜」
「でもこれからちょっと危なくなるクポ」
「だからサリナも集中するクポ〜」
「え? どういうこと?」
 知らず、胸の前で両手が合わさる。不安感が募る。
「ブラッディローズは変身するクポ」
「そうなったらもう炎のマナ以外、何も効かなくなるクポ〜」
「だから僕たちが、サリナのマナを直してあげるのクポ〜」
「え? え?」
 モーグリたちに他意は無いのだろうが、ストレートな言葉にサリナは理解が追いつかなくてやや混乱する。仲間たちとモーグリたちを交互に見る。戦闘は終わったように見える。
 しかしどうやら仲間たちに危機が迫っている。そしてそれを打開出来るのは自分の力だけだ。その力を今は使えない。だがモーグリが直してくれると言う。順を追って考えて、サリナは仲間たちからモーグリたちに、再び視線を戻した。
 動きを止めた巨大な魔物を、アーネスは不気味に思って見つめていた。剣はまだ収めていない。琥珀のマナを纏わせたままである。
(気を抜くな、アーネス)
 アーサーがアーネスにだけ聞こえる声で忠告する。アーネスは小さく頷き、答えた。
「ええ。まだ終わっていない――そんな気配がするわ」
(間もなく、奴の本体が現れる。いいかアーネス。耐えるんだ)
「え?」
 それは突然だった。アーネスたちの立つ地面が、どくんと脈打つように震えた。続いて、森の大地に激震が走る。子どもたちの悲鳴が上がる。
「うわっ。なんだ!?」
 クロイスは突如大きく揺れた地面に驚き、咄嗟に身を低くした。そして彼は見た。周囲の森の大地に息吹く植物たちが、ブラッディローズに向かって傾いている。その様子は、まるで魔物に吸い寄せられているかのようだった。
(クロイス、ここからは身を守ることに徹しなさい)
 オーロラが美しい声で告げる。水の幻獣は、クロイスに防御を命じた。少年は意外に思って聞き返す。
「防御? なんでだよ。もう終わっただろ?」
(いいえ。ここからが本番です。あれはまだ、息絶えてはいません)
「はあ?」
 信じられない思いで、彼は魔物に目を向ける。ぐったりと茎を折った、巨大で醜悪な薔薇の魔物。もはやぴくりとも動かない――
 いや。クロイスは自分の目を疑った。未だ地面は揺れている。風が強くなった。生暖かく、不愉快な湿気を帯びた風だ。その風は、魔物を中心にして渦を巻き始めた。周囲の草花や木の葉が舞い上げられる。
 渦巻く不快な風は竜巻となって魔物を囲む。天へと伸び上がる風。そしてその奔流は、魔物に向かって急降下した。
「皆、気をつけてください! あれは魔物が集めている、マナです!」
 翠緑の鎧を纏ったセリオルが警告の声を飛ばす。風が激しさを増す。セリオルはいつでも攻撃出来るよう、杖を構えてマナを練り上げる。
「おいおい、マジかよ」
 竜巻となったマナの風が、ブラッディローズの太い茎に激突した。カインの目には、その風は魔物に吸収されているように見えた。
 またひとつ、大きくどくんと地面が脈打った。
「何だ……?」
 目を細めて、フェリオは魔物を見つめる。マナの風を吸い尽くした魔物の茎に、太い亀裂が入った。亀裂は何本も走り、光を放つ。
 びしりびしりと大きな音を上げて、魔物の茎が開いていく。卵の殻を割るようにして、少しずつ表皮が剥がれていく。そのたびに漏れ出す光が強くなる。
「やれやれ……そう簡単には終わらない、か」
「ゼノアの野郎のせいなんだろ、これも。ふざけんなよなあいつマジで」
 スピンフォワード兄弟は毒づきながら武器を構える。銀灰と紫紺のマナが強くなる。
 開ききった茎から、緑色の粘液を纏った人型の魔物が現れた。茎と同じ鮮やかな緑の体表。腕や脚には禍々しい棘が生える。頭からは毒々しく大きな赤のつぼみが生えている。そして、同じ色の双眸。
「うげえ。なんつー趣味の悪いやつ」
 クロイスが気分を害したように舌を出す。魔物は天を仰いで咆哮した。大気を揺らす声。頭部のつぼみが少しずつ開き、赤黒い大輪の薔薇の花が咲く。
「霜寒の冷たき氷河に抱かれし、かの冷厳なる氷の棺よ――ブリザラ!」
 空中に現れた巨大な氷柱が魔物へと飛来する。魔物は動かない。氷柱の群れは何の抵抗も無く魔物に炸裂した。
「……なに?」
 セリオルは茫然として呟いた。魔法の氷は、全て魔物に命中した。しかしそれらは力なく砕け散ったのみだった。魔物は何も無かったかのように、静かに立っている。
「ブラッディローズには炎以外のマナは効かないクポ〜」
 円陣を組むモーグリの声が聞こえた。モーグリはこちらを振り返り、赤いぼんぼりをふわふわさせながら手を振っている。
「炎のマナ、か」
 セリオルは不気味に沈黙したままのブラッディローズに向き直った。その名のとおり、魔物の咲かせた薔薇は血の色に艶めいている。
 カインの雷の鞭が唸り、クロイスの氷の刃が飛ぶ。しかしいずれも、セリオルの魔法と同じく何の効果も無かった。アーネスが渾身の力で切りつけるが、地のマナを纏った攻撃も魔物に傷をつけることは出来なかった。
「っとに厄介だなこいつ!」
 クロイスが苛立った声で吠えた。彼は弓を構え、炎のマナを纏った矢を放った。
 その攻撃に、魔物が初めて動いた。恐るべき俊敏さで、魔物は矢を回避した。植物の形態だった時には回避ということ自体が出来なかったが、今はそうではなかった。魔物は瞬きほどの時間で、クロイスとの距離を詰めた。
 身体の中心に激痛を感じたと認識した時、クロイスは既に大木の幹に叩きつけられていた。魔物の攻撃だった。息が止まる。声も出せず、クロイスは地面に転がった。
「クロイス!」
 サリナは少年の名を呼んだ。
「だめクポ!」
 走り出そうとしたサリナを、モーグリが制止する。サリナは踏み止まった。モーグリを見つめる。少女を止めたモーグリは、真剣な顔で――といってもぬいぐるみのような顔で、表情が変わっているわけではないが――サリナに言う。
「ブラッディローズを倒すには、サリナのマナを回復するしかないクポ。みんなが食い止めてる間に、僕たちが回復するからちょっと待つクポ〜」
「僕たちはマナの妖精クポ。任せるクポ〜」
「でも、クロイスが! 回復してあげないと!」
「大丈夫クポ。幻獣の鎧があるクポ。そこまでダメージは大きくないクポ〜」
 モーグリの言葉通り、クロイスはすぐに立ち上がった。油断無く魔物を睨んでいる。
「この野郎!」
 カインの雷の鞭が魔物に巻き付く。そのままイクシオンの力を流し込むも、魔物は何も感じないかのごとく平然としている。
「来たれ水の風水術、湧水の力!」
 風水のベルが美しく歌う。クロイスを柔らかな水の球が包む。マナは少年の受けたダメージを癒した。
「サンキュー!」
 再び、クロイスは炎のマナを纏った矢を放った。魔物は回避しようと跳躍する。そこへフェリオのマナ弾が襲いかかった。魔物はダメージを受けはしなかったが、空中で姿勢を崩し、落下する。
「火柱よ。怒れる火竜の逆鱗の、荒塵へと帰す猛襲の炎――ファイラ!」
 火炎の魔法が放たれる。それはフェリオの銃に吸収され、アシュラウルの力で威力を増幅して放たれた。魔物の落下地点に着弾し、巨大な火柱が上がる。魔物の悲鳴が響く。
 だが炎から飛び出した魔物は、瞬時にそのダメージを回復した。表皮がどす黒く変色していく。再生能力が飛躍的に上昇していた。硬化も植物形態の時より更に強化されているように見える。
「やれやれ……本当にやりにくい相手ですね」
 眼鏡の位置を直して、セリオルはモーグリたちとサリナへちらりと視線を飛ばした。モーグリたちは淡い黄金の光を放っている。それはサリナへと伸びていた。サリナはモーグリたちの中心で、静かに目を閉じている。彼女の身体は、モーグリたちから送られる淡い光に包まれている。彼女の短い髪が、そよ風に揺れるようにしてなびいていた。
 セリオルはサリナの胸中を想像して胸を痛めた。仲間たちの危機に、彼女は今すぐにでも戦いに復帰したいだろう。モーグリによる回復を待たなければいけないことに、焦りを感じているに違いなかった。
「皆、聞いて下さい!」
 セリオルは仲間たちに呼びかけた。魔物の攻撃を懸命に防ぎながら、仲間たちはセリオルの言葉に集中した。
「今、最大の攻撃力を持つ炎のマナは私の魔法です。しかしそれを増幅したさきほどの攻撃も、結果としてダメージを与えることは出来なかった。これ以上攻撃しても、ブラッディローズを硬化させるだけです。攻撃は控えて、防御と回避に専念してください!」
「くそっ。イラついてしょうがねえ!」
 舌打ちをして、カインは鞭をしまった。魔物の動きは速い。武器を構えていては、回避行動を取る際に邪魔になる。
 おぞましい声を上げながら、魔物は縦横に駆けて攻撃を仕掛けてきた。魔物が腕を振るうと、腕は何本もの蔓に分かれてセリオルたちに襲いかかった。それはカインの獣ノ鎖のように伸縮自在に動いてセリオルたちを苦しめる。棘や毒液の攻撃も健在だ。毒液を受けたカインに、セリオルが毒消しの薬を渡した。
 自分に向けられる攻撃が止んで、ブラッディローズは攻撃の勢いを増していった。邪魔もされず、ダメージも受けない。魔物は蔓を縦横無尽に暴れさせ、森を傷つける。木々は傷を負い、草花はその命を散らした。
「やめろー!」
 叫んだのはアルトだった。少年は両手を握り締め、必死の形相で魔物を睨んでいた。ティムが制止しようと服を引っ張るが、無駄だった。アルトは魔物に森が傷つけられることに怒っていた。
「お前やめろよ! 森を傷つけるな!」
「馬鹿、アルト! 隠れてろ!」
 クロイスが叫んで少年たちのもとへ走る。魔物は声を感知出来たのか、アルトたちのほうを向いた。不気味な赤い双眸と、粘液まみれの裂けた口とがにやりと笑いのかたちを取る。少年たちはその醜悪な笑みに、びくりを身体を震わせた。
 魔物の蔓が伸びる。明らかに少年たちを狙っている。やむを得ず、セリオルは口早に呪文を唱えて魔法を放った。火柱が上がる。しかし魔物には効果が無かった。硬化した魔物の表皮は、もはや力のマナで強化していない火炎の魔法は受け付けないようだった。魔物の攻撃を止めるべく、マナの攻撃が集中する。しかしいずれも、ブラッディローズに痛手を与えるどころか、姿勢を崩すことすら出来なかった。
 蔓が大きくしなる。少年たちを殴打しようとしている。セリオルたちの攻撃は、魔物を止めることが出来ない。少年たちが悲鳴を上げる。
 鈍い音を立てて、蔓の攻撃が炸裂する。
「……大丈夫か、お前ら」
「クロイス!」
 オーロラの力が解放されていた。紺碧の光が輝いている。クロイスはアクア・スパイクを至近距離で放つことで、何とか蔓の攻撃を止めていた。
「くそっ……!」
 やがて紺碧の光は消え、クロイスのアシミレイトは解除された。その途端、勢いをつけた別の蔓が背後からクロイスと少年たちに迫る。クロイスはアルトとティムを守ろうと、ふたりを抱き寄せた。自分の背中を襲い来る鶴に向ける。
「リバレート・アシュラウル! ドライヴ・ラッシュ!」
 クロイスの危機を救おうと放たれたのは、アシュラウルの力だった。膨れ上がった銀灰の光から巨大な白銀の狼が現れる。フェリオを背に乗せ、狼は力のマナの塊となって魔物へ突進した。それは魔物に命中し、ブラッディローズは大きな衝撃を受けて姿勢を崩した。蔓は方向を変え、見当違いなところにぶつかった。
 その結果フェリオは、アシミレイトを解除された姿で魔物のすぐそばに立つことになった。
 魔物の蔓がフェリオを襲う。打ちのめされて、フェリオは地面に転がった。肺から空気が出て行く。転がったフェリオを、魔物の蔓が巻きつけ、締め上げる。フェリオの苦悶の声が上がる。
「この野郎!」
「だめです、カイン! 落ち着いてください!」
 イクシオンの力を解放しようとするカインを、セリオルが止める。しかしカインは、セリオルを睨みつけて怒鳴った。
「うるせえ! これ以外にどうやってフェリオを助けるんだよ! ああ!?」
「それは……しかし、ここでトール・ハンマーを使っても魔物を強化してしまうだけです!」
「だからって、何もせずにいられるか!」
 議論を交わすふたりの前に、アーネスが立った。彼女は冷静な声で言う。
「ソイル・エンゲージメントで、魔物の動きを封じ込められるかもしれないわ。命中した瞬間に、カイン、フェリオを救い出してあげて」
「あ? おい、そんなこと出来るのか?」
 アーネスは答えず、決然として魔物に身体を向けた。
「リバレート・アーサー! ソイル・エンゲージメント!」
「おいおい! あんたは大丈夫なのかよ!?」
 カインの言葉はアーネスを止めることは出来なかった。琥珀色の光が膨張する。美しい翼を持つ雄々しき獅子が咆哮を上げる。大地の力強きマナが土の津波となって、ブラッディローズに襲いかかる。土は魔物を飲み込み、押し流した。
「シザーズ・シャープネス!」
 巻き込まれそうになったフェリオを、獣ノ箱から放たれた青白い巨大な蟹が救った。蟹の鋏が蔓に食い込み、切断することは出来なかったがその力を弱めた。フェリオが地面に転がる。激しく咳き込んでいる。
「大丈夫ですか、フェリオ」
 駆け寄って、セリオルは薬を取り出した。咳き込みながらも、フェリオはその薬を受け取る。
「ポーションを強化した、ハイポーションです。よく効きますよ」
「ああ、助かったよ」
 薬を飲み干して回復したフェリオは立ち上がり、魔物のほうを向いた。アーサーのマナは実体を持った土のように、魔物を封じ込めたようだった。
「なんとかなった、かしら」
 緊張を解かず、アーネスは呟いた。これで倒せたとは考えにくい。地のマナはブラッディローズとは相性が悪いのだ。
「わりい、セリオル。頭に血ぃ上っちまって」
「ええ、構いませんよ。正直、私にも打つ手は無かった」
「おい、悠長に話してる場合じゃねーぜ」
 少年たちを安全な場所に隠れさせたクロイスが駆け寄ってきた。彼はアーサーのマナが飲み込んだ、ある一点を指差した。
 びしり、と大きな音を立てて、魔物の蔓が現れた。黒に近い色になっている。さらに硬度が増したようだ。蔓は何本も現れ、アーサーの土を叩いた。土は瓦解し、琥珀色のマナの粒となって霧消した。
 魔物が立ち上がった。全身が黒ずんでいる。セリオルたちは、もはや自分たちがダメージを与えるのは不可能だろうと悟った。魔物の腕が何本もの蔓に分かれ、セリオルたちに向かって恐るべき速度で迫る。
「魔の祝福受けし汝の驕慢を、忘れさせよう我が剣にて――ディスペル!」
 半透明の剣が魔物に突き刺さった。おぞましい悲鳴が上がり、黒ずんだ魔物の表皮が剥がれ落ちる。鮮やかな緑色がよみがえった。
「輝け、私のアシミレイト!」
 ひときわ強い真紅の光が出現する。眩しく輝く炎の光。活力に満ちたサラマンダーの力が、薄暗い森を照らす。太陽が現れたかのごとく、神々しい光だった。
「サリナ!」
「良かった、回復しましたか!」
 仲間たちから歓声が上がる。
 真紅の鎧を纏ったサリナがいた。少女はまず、仲間たちに頭を下げた。
「ごめんなさい、お待たせしました!」
「いいから、早くやっちまってくれ! ムカつくんだよそいつ!」
 カインが言った。彼は苛立ちを爆発させていた。無言で頷いて、サリナは魔物と向き合った。
 地面を蹴り、サリナは真紅の竜巻となって魔物に驚異の連続攻撃を叩き込んだ。炎のマナを乗せたサリナの攻撃に、魔物は手も足も出せずただ悲鳴ばかりを上げた。遠心力を使った拳や蹴りでの攻撃が嵐のように炸裂する。
 しかしブラッディローズの再生能力は凄まじく、決定打を与えることがなかなか出来ない。サリナは攻撃を繰り返しながら、歯がゆさを覚えた。
 ほんの一瞬距離が出来ると、魔物は棘を飛ばして攻撃してきた。サリナはすぐに卓越した瞬発力で距離を詰め、炎の連撃を繰り出す。そのサリナを援護するように、セリオルの火炎の魔法が飛んでくる。たまらず、魔物は方膝をついた。蔓の動きも止まる。
 その隙を、サリナは逃さなかった。
「リバレート・サラマンダー! フレイムボール!」
 サリナの頭上に真紅の光が膨れ上がる。クリスタルが分離し、光の中からサラマンダーが現れた。真紅の火竜は口元に炎を揺らめかせて咆哮を上げ、空中で巨大な火球へとその姿を変じる。サリナが火球に飛び込み、そしてその神の力を秘めた炎は魔物へ突撃した。
 爆炎が巻き起こる。サラマンダーのマナが魔物を焼き尽くす。不快な断末魔の声。自らを守ろうとするように蔓が戻って魔物の身体に巻き付く。そして炎がおさまった時、魔物は力を失って倒れ伏した。
「やったー!」
「すごい! すごいよサリナ!」
「クポ〜! クポポポ〜!」
 アルトとティムがとモーグリたちが飛び出してきた。彼らはアシミレイトを解除され、元の姿に戻ったサリナに駆け寄って大騒ぎをした。よほど興奮したのだろう、少年たちは支離滅裂な言葉を発しながらはしゃいでいる。モーグリたちは思い思いの踊りを披露していた。
「お疲れ様でした、サリナ」
「美味しいとこ持ってくよなー! 俺らなんか散々苦労して何も出来なかったってのに」
 セリオルとクロイスの声だった。仲間たちもサリナのそばに集まっていた。セリオルとカインもアシミレイトを解除していた。サリナは仲間たちのほうを向いて、深々と頭を下げた。
「ほんとにごめんなさい! 肝心な時にアシミレイト出来なくて、私っ……!」
 その姿に、仲間たちは苦笑した。セリオルが進み出て、サリナの頭に手を載せる。
「謝ることはありませんよ。黒騎士とあれだけの戦いをしたんです。こういうことがあっても不思議ではないですから」
「でも……でも……」
 なお謝罪を続けようとするサリナに、今度はフェリオとカインが声を掛ける。
「顔を上げてくれ、サリナ。結果として俺たちは君に助けられたんだ。何も謝ることなんて無いよ」
「そうだぜ、サリナ。ま、最後のトドメを俺に残さなかったのは頂けねーけどな! はっはっは」
 サリナはゆっくりと顔を上げた。仲間たちは皆、彼女に向かって微笑んでいた。アーネスがサリナの頭を撫でる。サリナは目尻に浮かぶ涙を拭いて、笑顔を浮かべた。
「危ねえ!」
 クロイスが警告を発した。サリナの背後で、何かの気配がした。
 ブラッディローズのおぞましい咆哮が響いた。魔物は再生の追いつかない不気味な姿で立ち上がった。サリナたちは素早く展開し、武器を構えた。セリオルとカインはリストレインを掲げる。
「てやんでいてやんで〜い! でやんでいべらんめえ!」
「食らえでごわす! なめるなでごわす!」
 長大な槍と大きな斧が、立ち上がった魔物の脳天に炸裂した。ブラッディローズは弱々しい声を上げ、地面に倒れた。そしてその身体は緑色のマナとなって風に舞い、森に広がっていった。巨大な植物体のほうも同様だった。森の木々が、草花が、活力を増したように見えた。
「わーはっはっはっは! どうでい見たかい!? クロフィール自警団の力ぁ!」
「がっはっはっはでごわす! さすが隊長とおいどんでごわすー!」
 時が止まった。サリナたちはあんぐりと開いた口を、しばらく閉じることが出来なかった。
 ただ、モーグリたちだけは暢気に輪になって踊っていた。

挿絵