第50話

「ただいまー!」
 元気良く響いた少年の声に、コンスタンス・アップルトンは椅子を蹴って部屋を飛び出した。バタンと大きな音を立てる扉には目もくれず、彼女は夫とふたりで経営する宿の入り口が見えるところへ急いだ。
「あ! お母さん、ただいま!」
 そこには愛しい息子が、服が破損しているものの怪我ひとつ無い元気な姿で立っていた。
「ティム!」
 コンスタンスは無事に帰った息子を力いっぱい抱きしめた。涙が溢れる。腕の中で息子がばたばたしているが、構わなかった。
「ほんとにあんたは、心配かけて! しようの無い子なんだから!」
「ご、ごめんなさいお母さん、あの、放して、苦しい!」
 コンスタンスは息子の身体を仔細に確かめた。怪我は無いようだ。魔物にさらわれたと聞いて、どんなひどい怪我を負っているかと、それが最も心配だった。彼女は胸を撫で下ろした。
「無事だったか、ティム」
 後ろからかかった声に、コンスタンスは涙をさっと拭って振り返った。夫のマシューが立っていた。細身で頼りなげに見える夫。しかし彼が後ろをしっかりと支えてくれるから、コンスタンスは宿の経営の表に立って張り切ることが出来る。
「うん、心配かけてごめんなさい」
 そう謝る息子と涙で目を腫らした妻を、マシューは両腕で包むようにして抱きしめた。ふくよかなコンスタンスを包み切ることは出来なかったが、大切な息子が無事に帰った、それだけで良かった。彼は幻獣たちの加護に感謝を捧げた。
「じゃあティム、俺も帰るよ」
 アルトだった。スウィングライン武具店のやんちゃ坊主は、アップルトン家の邪魔をしないように控えていた。彼は照れ隠しのように鼻をこすった。
「ああ、アルト! ティムが世話んなったねえ。ありがとうね、ほんとにありがとう!」
「ご両親にもよろしく伝えてくれよ。後でお礼に伺うと」
 コンスタンスとマシューからそう言われて、アルトは再び鼻をこすった。今度は誇らしげだった。
「うん、わかった! じゃあな、ティム!」
「うん、じゃあね! またリバレーターごっこしようね!」
「おう!」
 アルトは腕を大きく振りながら元気に走って行った。アルトも衣服は汚れ、ところどころ破れていたものの、怪我は無かったようだった。
「ティム、怪我は無かったのかい? リバレーターって何だい?」
 宿へ戻り、家族用の居間へ入る扉を開きながら、コンスタンスは息子に尋ねた。どうもティムは、さきほどから興奮しどおしの様子である。彼女の息子はスウィングラインのアルトと違って、どちらかというと控えめな性格だ。アルトのことを慕い、彼と一緒にいることが多いのでその行動もやんちゃさを増すことがあるが、本来は比較的大人しい少年なのだ。
 そのティムが落ち着き無くばたばたしている。気分が高揚しているようだ。
「あのね、サリナが白魔法で治してくれたんだ。リバレーターはサリナたちのことだよ! すごかったんだ、サリナたち。おっきい薔薇の魔物をこうやって、輝け! 私のなんとか! って言ってさ、ぴかーっ、ばしーって!」
「そうかいそうかい、やっぱりサリナたちが助けてくれたのかい。ひとは見かけによらないもんだねえ」
「うん、サリナもアーネスもクロイスも、セリオルにカインにフェリオも、みんなすごかったよ! ほんとだよ!」
「はっはっは。そうかそうか、そりゃ皆が帰って来たらしっかり礼をしないといけないな」
 今にも走り出しそうに足踏みをする息子の頭を、マシューは撫でた。まだ幼く、小さな頭。彼は目を輝かせてサリナたちのことをまくし立てる息子に愛しさを感じながら、強い戦士たちの戦いに興奮する息子の、ある種の男らしさを嬉しく思った。アルトの弟のようにしてその陰に隠れている印象が強かったからだ。
 からんからんと、宿に誰かが入って来たことを知らせる鐘の音がした。コンスタンスは急いで出迎える。マシューはティムを風呂に入らせるために温泉の準備をしに行った。
「ああ、あんたたち! お帰り、よくやってくれたねえ!」
 入り口にはセリオル・ラックスターが立っていた。彼に続いて、サリナたちが入ってくる。コンスタンスはひとりひとりを丁重に迎えた。彼女にとって、サリナたちは心から感謝を捧げるべき恩人だった。
「ただいま帰りました、コンスタンスさん」
「あの、ティムは帰って来ましたか?」
「いやー街に着いたら走って行っちまってさー。はっはっは」
「なんで笑ってんだお前」
 わいわいと賑やかなサリナたちにティムの無事を伝えて、コンスタンスはひとりひとりの手を握り、抱きしめた。感謝の気持ちに涙が出てくる。
「ありがとうね、あんたたち、ほんとにありがとうね」
「コ、コンスタンスさん、いた、痛いです」
 華奢な少女が苦しそうに言った。あどけなさの残る――と言うよりあどけなさしかないサリナ。一行の中でティムが最もその名を口にした少女だ。コンスタンスにはこの小さな少女のどこにそんな力があるのか見当も付かなかったが、今はともかく感謝するばかりだった。
「さあさあ、今温泉の準備をしてるからね。疲れを癒しておくれ! そのあとは食事だ。とびっきり豪勢な宴にするよ!」
 コンスタンスの言葉に、歓声が上がった。

 サリナとアーネスは部屋着に着替えてスウィングライン武具店に来ていた。温泉の準備が出来るまでの間に、ガンツやイーグレットに帰還の挨拶をしていこうと思ったためだった。黒鳳棍と蒼雷鋼の盾の状態も気になった。
 セリオルとフェリオ、クロイスの3人は、持ち帰った魔物の素材でさっそく武具づくりを開始していた。今回はクロイスの矢尻と、男性陣用のアクセサリーを製作するらしい。足りない宝石類をクロイスがアクセサリー店――あの店は“新緑の輝石”という名の店だったらしい――へ買いに行った。合成が終わったら、シンセサイザーはデブチョコボに預けるらしい。あのモグチョコという笛はなぜかサリナにしか扱えないものらしく、宿へ戻ったら吹いてくれと頼まれた。サリナはモグに会えるのが嬉しく、うきうきして宿を出た。
 ということで出番の無かったカインが、サリナとアーネスにくっついて武具店へやって来た。
「ほおおお。いやいや、これはこれは。立派な武具店じゃないの。いやいや」
 スウィングライン武具店の前で目の上に手のひらを翳し、大げさな声でカインが言った。サリナは吹き出しそうになった。アーネスは呆れていた。
「馬鹿なことしてないで、さっさと行くわよ」
「へいへい。隊長さんの仰せのままに――がはっ」
 アーネスの肘がカインのわき腹にめり込んだ。痛烈に。
「み、見事だ……これまでで一番強烈な突っ込み……」
「だ、大丈夫ですか?」
 わき腹を押さえて身体を折り曲げていくカインは、どこまでも小さくなっていくようにサリナには見えた。
「あ、サリナちゃん! アーネスさん!」
 声が聞こえたのか、イーグレットが武具店の扉を開いて外へ出て来た。彼女はうずくまって縮んでいくカインを見て、何か変なものでも目にしたような顔をした。
「ほら、入って入って! お父さんがお礼したいって!」
 イーグレットに背中を押されて、サリナとアーネスは武具店へ入った。その直前、サリナはカインを振り返った。赤毛の青年はすっくと立ち上がり、前髪をかきあげて爽やかにこう言った。
「俺、泣いちゃう」
 サリナは今度こそ声を上げて吹き出した。
 ガンツは息子が無事に戻ったことに安心したのか、上機嫌だった。アルトが負った傷をサリナが癒したことを聞いて、彼はサリナに向けて何度も感謝の言葉を口にした。アルトは家族に事実の半分も伝えられていなかったが、ガンツやイーグレットにとっては、サリナたちがアルトとティムを何事も無く街へ帰らせてくれたことだけで十分だった。
「がっはっはっは。やっぱりわしの見込みは間違うてなかったのう! こりゃあますますあの棍と盾を鍛えんのに身が入るっちゅうもんじゃ!」
「よろしくお願いね、ガンツ」
「おう、任せとけい! 最高の出来にしちゃる! 明日の朝には仕上げるようにするからのう。楽しみにしとれ!」
 そう言って、ガンツはまたがっはっはと豪快に笑った。
「サリナちゃん、ちょっと時間はある? 良かったらお茶でも飲んで行って? 今アルトも着替えさせてるから」
 イーグレットはそう言いながら、早くも店の奥へ引っ込もうとしていた。サリナは慌てて言った。
「あ、あの、でもっ」
「いいじゃない、サリナ。せっかくだからお言葉に甘えましょ」
 遠慮しようとしたサリナに、アーネスが微笑みながら言う。サリナはアーネスとイーグレットの顔を交互に見つめた。
「そうよそうよ。ほら、こっちへどうぞ」
 イーグレットがスカートの裾をふわりとさせて奥へ案内した。
「あの、じゃあ、お邪魔します」
「はい、どうぞ!」
 ぺこりとお辞儀して、サリナはイーグレットの後に続いた。その後ろをアーネスが進む。
「うおう!」
 突然大声が響いた。サリナたちはさっと振り返った。
 壁に陳列されていた1本の鞭を手に取ったカインの声だった。完全に存在感を消していたと思ったら、武具を物色していたらしい。カインの目は輝いていた。
「お、兄ちゃん、それの良さがわかるんかい?」
 上機嫌なガンツが、カウンターから出てカインの隣に立った。カインが手にしたのは、亜麻色の鞭だった。
「良さも何も、こいつは高山飛竜の鞭じゃねえか!」
「その通りよ! よくわかっとるなあ!」
「おっちゃん、これくれ!」
「おうおう、ええぞ! がっはっは」
 かくして、カインはガンツと肩を組んで笑い合った。妙に気が合うらしいふたりを残して、サリナたちは店の奥、イーグレットたちの自宅でお茶を楽しんだ。部屋から出てきたアルトが、せっかく着替えた服にお茶をこぼしてイーグレットから大目玉を食らった。

 宴は“大樹の木漏れ日亭”で盛大に行われた。街の名物料理に地酒が供され、アルトとティムから事情を聞いたスウィングライン、アップルトンの2家族が街の人々に声を掛けて大勢が集まった。
 自警団もやって来て、ビッグスとウェッジがあること無いこと様々な大法螺を吹き、カインとクロイスが噛み付いてあわや大喧嘩という騒ぎになった。それを鎮めたのはアーネスと自警団の団長で、ふたりは困った部下を持つ上司同士ような心持ちで酒を飲み交わしたが、その場に酔っ払ったカインが突っ込んでめちゃくちゃにし、アーネスの服を汚して激怒させ、サリナやセリオルが止めなければ騎士剣の刃が煌くところだったが、カインは我関せずという風体で他の盛り上がっている一団のところへクロイスを引っ張って突撃し、フェリオは頭を抱えた。
 最終的には長老も従者と上等な酒を連れてやって来て、サリナたちは街の英雄としての歓待も受けた。事前にセリオルが仲間たちに釘を刺したとおり、第二の世界樹のことは長老だけが知る事実であるらしく、そのことは話題にはされなかった。しかしクロフィールの大切な森を守った功績を讃える口上の最中、長老はサリナたちに意味ありげな目配せをした。6人のうち5人は第二の世界樹の件だとすぐに察したが、カインだけはもう良い気分になっていてそれどころではなかった。
 というわけで、当然のように翌朝のカインは二日酔いで使い物にならなかった。
「君は本当に、学習しませんねえ」
 昆虫のさなぎのようにベッドの上でぴくりともせず、あーあーと妙な声を出し続ける生き物になってしまったカインに向けて、セリオルは苦笑交じりに言った。
「なんでこんなんなるまで飲んじまうんだ?」
 クロイスが呆れた声で言った。しかしそういう彼もひと晩経っても酒が抜けきらぬか、まだほんのりと頬が赤い。
「そんなの、わかってるだろ」
 フェリオの声は冷静だった。セリオルが仕方が無いですねと笑う。クロイスは目を細めて鼻から息を吐いた。
「カインだもんな」
「そういうことだ」
 コンコンと、扉をノックする音が聞こえた。セリオルがどうぞと答える。入って来たのはサリナとアーネスだった。
「持ってきましたー」
 言いながら、サリナは両手で持っていた盆を部屋のテーブルに置いた。その上に、グラスがひとつ載っている。中には暗いオレンジ色の液体。液体――だろうか。なんだかドロッとしている。
 盆がテーブルに置かれた瞬間、カインがびくりと反応した。これまで微動だにしなかったその五体が、急激に震え出した。
「そ、それは……まさか……!」
 同様の反応を示したのはセリオルだった。血の気の引いた顔で、盆の上の液体めいたものを見つめている。クロイスはセリオルとカインの反応の意味がわからなかった。しかし彼は、フェリオがにやにやし、サリナが心配そうにしているのを見てなんとなく事情を察した。アーネスは既にサリナから聞いたのだろう。フェリオと同じようなにやにや顔を作っている。
「まさか、サリナ、そんな酷いことを!」
「うふふ。そのまさかよ、セリオル。王国騎士団に伝わる秘伝の粉末薬も加えておいたわ。あれ、苦いのよね」
「ああっ! そんな、やめてあげてください! サリナ、それはあまりにひどい!」
「あ、あの。やめます? やっぱりやめておいたほうが……」
「いーいーの」
「ああっ、アーネス! あなたに情けがあるなら、どうかそれだけは! それだけは勘弁してあげてください!」
「んふふふふ」
 怖い笑顔で、アーネスはオレンジの液体の入ったグラスを持ち、カインの横たわるベッドへ近づく。彼女が近づいてくるに連れて、カインの震えが大きくなっていく。フェリオは笑いを押し殺し、サリナはおろおろし、セリオルは震えている。
「カ〜イ〜ン〜」
 自分の名を呼ぶ声に、カインがぎくりとして恐る恐る顔をアーネスへ向ける。そしてその手の中のグラスを見て、ひいと悲鳴を上げた。
 もはやカインは、蛇に睨まれた蛙だった。グラスに目が釘付けになって、動けない。
 ゆっくりと、アーネスがカインににじり寄り――横に振られるカインの頭を固定し――鼻を摘んで口を開けさせ――そしてその時は訪れた。
「ぐえあああああああああああ」
 この世のものとは思えぬような声が、カインの喉から迸った。

 かくしてようやく、サリナたちは木漏れ日の美しい街の中、宿を出て長老の家へ向かった。第二の世界樹の中でセリオルが話した、大事な用を実行するためだった。
「で結局、大事な用ってのは何なんだ?」
 クロイスが尋ねた。にやにやしている。
「本当はふたつありました」
 答えるセリオルの声には、まだ若干生気が足りないように思えた。さきほど味わった――というより想起した恐怖のためだろう。顔色も少し良くないようだ。
「ふたつ?」
 フェリオはいつもの様子だった。隣を歩く兄の背中を支えているものの、特に表情は変えていない。
「ええ。ひとつはサリナのマナを回復すること。正確にはバランスを整えることだったんですが、これはモーグリたちがやってくれました」
「あれが無かったらまずかったわね」
 アーネスもフェリオ同様、そ知らぬ風である。
「それで、もうひとつのほうは?」
「はい。もうひとつは、サリナのマナを更に引き出してもらうことです」
「え?」
 予想もしなかった言葉に、サリナは驚いた。彼女は大きなダメージを受けたカインを、フェリオとともに支えていた。
「私のマナを?」
「そうです」
 セリオルは眼鏡の位置を直して説明した。
「サリナが人一倍マナの共鳴度が高いのは、既に皆の知るところだと思います」
「ええ、そうね」
 アーネスの相槌に頷いて、セリオルは続ける。
「ですが残念ながら、そのサリナのアシミレイトでも黒騎士には敵わなかった」
 黒騎士。その名に、仲間たちの間に緊張が走る。
「黒騎士に勝つには、我々自身の力ももちろんですが、アシミレイトを強化していくことも必要でしょう。アシミレイトはマナ共鳴度の高い者ほど、その力を強化して扱うことが可能です。ここの長老は第二の世界樹を守る一族の末裔。王都のマナ学者たちなど比べ物にならないほど、マナの扱いに長けた方です」
「長老に頼んでサリナのマナを引き出して、アシミレイトを強化するっていうことか」
 フェリオの指摘に、セリオルは大きく頷いた。
「そうです。より正確に言うなら、そのためのきっかけづくりをしてもらいます」
「きっかけづくり?」
 質問したサリナを振り返って、セリオルは後悔した。うなだれているカインが目に入ったからだ。恐怖がよみがえり、彼は少し身震いした。
「そうです。長老の力でも、サリナのマナを一挙に引き上げるのは難しい。しかしサリナがこれから先、少しずつ自分のマナを引き上げていくためのきっかけを、サリナの身体に与えてもらうんです」
「よくわかんねーなあ」
 クロイスが頭を掻いた。彼はもともとマナの扱いなどに関しての話に弱い。
「サリナが自分で自分のマナを高められるようになるための感覚を掴ませるのね」
「そういうことです」
 アーネスの補足に感嘆しながら、セリオルは言葉を続ける。
「これまでに何度か、サリナは無意識のうちに自分の中のマナを引き出たことがありましたね」
「あ、うん……」
 心臓が高鳴るのを、サリナは感じた。森で神聖なマナを感じた時と似た高鳴りだった。
「アーサーの時とか、黒騎士の時とか……」
「あ、そうだそうだ。そういやセリオル、言ってたもんな。力を解放してはいけないとかなんとか」
 クロイスのその言葉に、セリオルの歩みがほんの一瞬、滞った。しかしそれは気のせいかもしれなかった。何事も無く、セリオルは話を続けた。クロイスは首を捻った。
「ええ。おそらくサリナは身体の中に、常人よりも多くのマナを内包しています。魔法などを扱うためのマナではなく、アシミレイトなどを支える根源的マナとでも呼ぶべきマナが。だからマナの共鳴度が高い。ですがそのマナは、自分でコントロールして操らないと危険を伴うはずです」
「……暴走するから、か?」
 カインの声だった。仲間たちは驚いて彼を見た。赤毛の青年は、フェリオとサリナに礼を言って自分で立った。まだ顔をしかめているが、随分回復したようだ。
「兄さん、大丈夫か?」
 心配そうに尋ねる弟に、カインはにやりとしてみせた。
「ああ。二度目の地獄から舞い戻ったぜ、俺ぁ」
「地獄って、あのドリンクのことですか」
 セリオルが恐る恐るという口調で尋ねる。想像するだけで気分が悪くなるのか、若干顔色が良くない。
「ああ……恐怖のエメリドリンク……しかも今回は更になんか、苦かった」
「騎士団の秘伝薬のお陰ね」
 飄々と言うアーネスに向けて、カインはびしっと人差し指を向けた。
「あんたか! あの地獄のエメリドリンクの地獄度を更に上げたのは! あれがどんな味か知ってるか!? なんでレシピ知ってるんだ! 誰が聞いたんだ!」
「俺だよ」
「お前かフェリオ! もー兄は怒ったぞ! すねたからな! もう知らん!」
「よし、じゃあ行こう」
「おいおいおいおいーい待ってくれよー」
 兄を置いて先へ行こうとしたフェリオに、カインは泣きながらしがみついた。弟はげんなりした顔で兄を見下ろす。
「治って良かったじゃないか。リプトバーグの時よりも早いし。やっぱりアーネスの薬も効いたんだな。感謝しないとな」
「うん。ありがとう、アーネス……っていやいやいや! 騙されねえぞ俺は! 断固として!」
「一生やってろ」
 クロイスがカインの脛を蹴った。カインは飛び上がり、逃げたクロイスを追いかけていった。一挙にうるささが帰ってきた。
「あのふたり、長老の家を知ってるのかしら」
「知らなくても大丈夫です。カインさんがなんとなく見つけると思います」
「だな」
 サリナたちは木漏れ日の中を歩いて行った。長老の家は、街の中のやや小高くなった丘の上にあった。入り口で従者に取り次ぎを頼むと、すぐに中へ通された。カインとクロイスはいつの間にか戻ってきていた。
 広間に通されたサリナたちを、長老が待っていた。淡い若葉色の法衣に身を包んだ老人。背はあまり高くはない。昨夜の宴会ではかなり愉快なおじいちゃんだったが、今は眼光鋭くサリナたちを見つめている。
「ようこそ、歓迎するぞ」
 温和な声だった。両手を広げて、長老は歩み出た。セリオルと握手を交わす。
「昨夜は楽しい宴じゃったのう。わしも歳を忘れて楽しませてもろうた」
 言いながら、長老は奥の部屋を左腕で示した。その部屋へ進むと、そこは明かりのやや落とされた小さな部屋だった。部屋の重い扉を、従者が閉じる。長老は振り返り、重々しく口を開いた。
「改めて、自己紹介をしよう。わしはエーヴェルト・リンドホルム。クロフィールの長老。第二の世界樹を守る一族の末裔じゃ。クロフィールの幼いふたつの命を救って頂き、ありがとう。心より感謝するぞ」
 その言葉に頭を下げて、サリナたちも自己紹介をした。その間、長老は微笑みながらサリナたちを見つめていた。
「さて、ではさっそく始めるとするかのう」
 法衣の袖をさっと振り上げて、長老が言った。セリオルが頷く。
「よろしくお願いします。サリナのマナを、暴走させずに操るための儀式を」
「任せなさい」
 長老はサリナを手招きした。サリナは恐る恐る足を踏み出した。部屋の床の中央に、魔法の円陣が描かれている。その中心に、サリナは立った。胸の高鳴りが強まっていく。

挿絵