第54話

 サリナは夜のテラスに出た。温泉はとても気持ち良かった。長いタオルで髪を拭きながら、彼女は寝巻きでテラスから外を眺めた。
 マキナ島唯一の街。勧業の街と呼ばれる、マキナ。かつては島の住人よりも観光客の数のほうが多いと言われたこの島も、いまはひっそりと、まるで喪にでも服しているかのように静かだった。街は島の西岸、小さな港を外との窓口として広がっている。数多くの宿や土産物店、温泉施設などが立ち並び、通りの脇には背の高い木々が植えられている。
 サリナたちは一度南岸の港に船を停泊させ、この島特有の魔物への対処として必要だという薬品類を揃えた。マキナ島は温暖で外界と隔絶されていた時代も長かったため、大陸には存在しない奇怪な生物が多数存在している。マナの影響を濃く受けた魔物たちも例外ではなく、毒や疫病を持ったものが多いのだ。それらへの感染を避けるための買い物だった。セリオルは今、その仕入れた薬品を使いやすいように調合している。
 マキナの街は美しく、人々は陽気だった。だが、来客であるサリナたちに対しての彼らの笑顔は元気だったが、そこには多かれ少なかれ影が落ちていた。明らかに、大枯渇が彼らの生活を圧迫していた。
 でも、とサリナは、このテラスから眺める景色を見て、思わずにはいられない。
 街の中心部からは少し外れているとはいえ、島の南部に位置するこの宿からは、マキナの豊かな自然が望めた。大枯渇に見舞われたのは島の中央部、ここよりはもっと北のほうだという。南部には森も川も、無傷で残っている。
「……わあ!」
 思わずサリナは、声を上げた。夜の闇の中に、小さく儚げな光が舞い踊ったからだ。
「蛍かなあ」
 この“雨林の夕立亭”は二股に分かれた川の間、いわゆる中洲の上に建設されていた。川幅は広くはない。川岸と中洲、いずれも鬱蒼としたジャングルに覆われている。中央の受付や食堂が集まった建物と橋のような通路で結ばれた各宿泊部屋で形成されるこの宿は、さながら背の高い木々の間を縫うように脚を伸ばす生物のようだった。
 川がすぐそばにあるので、宿には船の停泊所も設けられている。そのためサリナたちは船で川を遡り、この宿へ直接乗りつけた。遡上の間、宿が近づくにつれてその珍奇な外観がはっきりしてくるので、サリナたちは甲板の上で歓声を上げた。
 大陸と比べて、この島は気温が高い。しかし風と潮の関係か、湿度はあまり高くはなかった。サリナは湯上りで火照っていたが、テラスに吹く柔らかな風が、寝巻きの下の汗を乾かしていく。その心地良さに、彼女は思わず目を閉じた。
「こんなに綺麗なのになあ……」
「観光客は、宿に泊るためだけにゃあ来ねえからな」
 耳に届いた声に顔を向けると、隣の部屋のテラスにカインが出ていた。彼も温泉を使ったのだろう、肌触りの良さそうな寝巻き姿だった。
「カインさん」
「よお。髪は撥ねてねえな」
「うっ」
 カインのからかいに両手で頭を押さえて、サリナは赤面した。いつかカインとフェリオに、湯上りの撥ね飛んだ髪を披露してしまったことを思い出した。
「けっこう遠くへ来たな」
 テラスの手すりに背中を預けて、カインは空を見上げながらそう言った。いつもの陽気な調子ではなく、落ち着いた静かな声だった。サリナは思い出した。ハイナン島の港町ユンランの宿、“海原の鯨亭”で野盗討伐の作戦を練っていた時。その時のカインも、今と同じような落ち着いた口調だった。
「そうですね……」
 眼下をさらさらと流れる川に目を遣って、サリナはそう返事をした。不思議な感覚だった。そういえばカインとふたりきりで話をするのは初めてかもしれないと、彼女は思った。彼のそばには大抵、フェリオかクロイスがいた。そしてそのふたりの前で、彼はいつも陽気で楽観的なお調子者の兄だった。
 サリナはそんな楽しいカインが好きだが、もしかしたら今のように、静かに話すのが本来のカインなのかもしれないとも思った。
「ここはいいな。クロフィールも綺麗だったけど、また違った、生命力の溢れる綺麗さっつーか。俺ぁ好きだな、ここ」
「あはは。カインさん好きそうですよね、こういう、なんだか開放的な雰囲気」
「おや? サリナちゃん、何か勘違いしていないかい? 俺、礼儀正しく品行方正な紳士だぜ」
「あははは。そうでしたね、ごめんなさい」
「ぷっ。ひゃひゃひゃひゃひゃ」
 やはりどちらも本当のカインなのかもしれない。一緒になって声を上げて笑いながら、サリナはそう思った。きっと普段はセリオルに任せているから、彼はムードメーカーに徹しているのだろう。どんなに緊迫した場面でも、常に余裕を見せて行動する。仲間たちが不安や恐怖に囚われそうになる時、彼はいつもそうしてきた。それはセリオルを心から信頼しているから可能な、年少のサリナたちの精神面でのケアをしようという、彼なりの配慮なのだろう。
「ん。なんだ、あまりのハンサムぶりに惚れちまったか?」
 にこにこと笑顔で自分を見つめるサリナに、カインは意地悪な顔をしてそう言った。
「あはは。そうかもしれませんよ」
「ひゃひゃひゃ。だめだぜサリナ、君にはフェリオがいるんだからな」
「えっ!?」
 ぼっ、と音を立てて顔から火が出たようだった。湯上りの火照りが夜気で冷めかけていたのに、顔にだけ一気に戻って来たようだった。サリナは咄嗟に両頬に手を当てた。熱い。
「なな、なななっ」
「ん? なんだ?」
 カインは相変わらずにやにやと意地の悪い表情である。寝巻きのズボンに手を突っ込んで、不良少年のような風体である。
「な、何言ってるんですかあああ」
「ククク。うひゃひゃひゃひゃ」
 上を向いて何の遠慮も無く呵々大笑するカインに、サリナはテラスの仕切り越しに握った両手をぽかぽかとぶつけた。あたりは宵の闇に覆われ、さらさらと流れるせせらぎの音と、舞い踊る蛍の光が美しい。
「サリナ、ごはん行くわよー」
「兄さん、夕食だってさ」
 ガラリと同時に音を立てたのは、テラスに出るための大きな窓だった。両方の部屋の窓が、アーネスとフェリオによって同時に開かれた。
「ん……?」
「どうしたの?」
 楽しそうに笑い続けるカインと、顔を真っ赤にして恥ずかしそうに縮こまるサリナ。サリナはテラスに半身を乗り出したフェリオをちらりと見て、すぐに顔を逸らしてしまった。アーネスとフェリオは仕切り越しに顔を見合わせ、首を捻った。

 セリオルが調合した薬を服用して抗体を得、サリナたちはマキナの大地をチョコボで駆ける。
 クロフィールの神秘的な美しさの森とは違い、マキナのジャングルはまさに生気に溢れた力強さだった。観光地らしく、道は綺麗に整備されている。石畳まで敷かれているわけではないが、きちんと切り開かれていた。その脇には幅の広い川が流れ、本来であればこの極彩色のジャングルを見物しながら島の中央部まで船で遡ることが出来るのだという。しかし今は残念ながら、観光船の運航は中止されていた。途中で支流が途切れ、中央部まで遡る川が干上がっているからだ。
 サリナは宿のメイドの話を思い出していた。マキナは観光の島。ジャングルのそこここに観光名所と呼ばれるものが点在している。かつてこの島に栄えた王国の遺跡や自然の景勝地などだ。特にサリナが心惹かれたのは、夕刻の満潮時刻になるとこの世のものとは思えぬ美しさを見せるという、鍾乳洞の奥の地底湖だった。そこだけ洞窟の天井が抜けており、空の光が柔らかく入り込むのだという。それがガラス状の結晶体を多く持つ岩壁を反射して地底湖に差し込み、鮮やかな浅葱色の水面をつくり出すというのだ。
 今は先を急ぐ旅路。そこを見に行くことは出来ないが、いつか行ってみたいとサリナは夢想した。
 仲間たちの先頭を、セリオルが走っている。彼はしっかりした板に貼り付けた地図を片手に、現在地と目的地を照らし合わせながら進む。
 彼らの目的地は、大枯渇の中心地。巨大な円状の砂漠地帯となったその危険地域の中心。そこにはかつて、太古に栄えた王国の遺跡があった。ゼフィールと呼ばれるその王国ははるか大昔に、建造物をほとんどそのままの形で遺したまま謎の滅亡を遂げている。その詳細は何も明らかになってはいない。今までのところは。
「これは……なんてひどい」
「本当にゼノアが、これを……?」
 アーネスとサリナは、目の前に広がる光景を見て言葉を失った。他の仲間たちも同様だった。中でもセリオルは眉間に皺を寄せ、広大な砂漠を凝視していた。
「まだ、断言は出来ませんが」
 そう言いながら眼鏡の位置を直すセリオルは、明らかに怒りをその身に纏っていた。それは彼を背に乗せるブリジットにも伝わり、彼女を怯えさせるほどだった。
「どうした、セリオル」
 声を掛けたのはフェリオだった。その静かな声にセリオルは一瞬彼に顔を向け、すぐに戻して目を閉じた。深呼吸をし、彼は再び目を開く。
「いえ。ただこの美しい自然を破壊したであろう男に、少しだけ怒りが湧いてきまして」
「……なあ、セリオル」
 じっと砂漠を見つめたままのセリオルに、フェリオは大きくはない声で語りかける。セリオルは視線を動かしはしなかったが、彼の先を促す意図はフェリオに伝わっていた。
「ゼノアのことを一番知っているのはあなただ。幻獣研究所時代から、あいつのことは誰よりも知ってるはずだ」
「ええ、そうです」
 セリオルの声には僅かな緊張感が含まれていた。サリナはセリオルの後ろで、ふたりの会話を聞いていた。フェリオは何を言おうとしているのか。ゼノアの名が出たことに、彼女も警戒に似た感情を抱かざるを得なかった。
「だからきっと、あなたは誰よりもゼノアに怒りを感じているんだろう。俺たちみたいな私怨ではなくて、かつて道を同じくした者としての、義憤のような怒りを」
 セリオルは何も答えなかった。直す必要のないはずの眼鏡の位置を、彼はまた直した。
 さくさくと、チョコボの足音が聞こえた。そのチョコボはブリジットを挟んでエメリヒの反対側で止まった。琥珀色の羽毛の、誇り高き鎧を纏った騎士家のチョコボ、オラツィオだった。
「その怒り、もうあなたひとりで背負うのはやめにしない?」
 アーネスの声は、フェリオと同じ調子だった。静かで、冷静な声。彼女は続ける。
「ゼノアの行いに怒りを抱いているのは、あなただけじゃないわ。彼を止めたいという思いは、皆同じ。怒るのも、考えるのも、皆で分担しましょう。ひとりで全てを背負う必要は、もう無いわ」
 セリオルはアーネスの言葉を聞き終えて、目を閉じた。しばしそうして、彼は口元に柔らかな笑みを浮かべた。目を開き、彼は彼方に存在するはずの、大枯渇の中心地に目を凝らす。
「ありがとう。ふたりとも、よろしく頼みます」
 そう言って、セリオルは自分の両側のふたりの肩に手を置いた。セリオルの怒りの気配は和らいでいた。ブリジットが高く啼く。その翠緑色のチョコボに、銀灰と琥珀のチョコボが顔をすり寄せる。それはまるで、それぞれの主人たちの信頼を象徴しているかのようだった。
 サリナはその光景に、嬉しさを感じていた。彼女自身が出来ない、セリオルの精神的な支えになるということを、彼女が心から信頼する仲間たちが行ってくれる。そのことが彼女の心に、暖かな火を灯す。
「お前もだぞ、サリナ」
 彼女の隣にはクロイスがいた。イロの背の上で、彼もセリオルたちを見つめていた。
「え?」
 サリナは少年の横顔を見つめた。クロイスはそのサリナを目だけを動かして一瞥し、すぐにセリオルたちに視線を戻した。
「どうせゼノアは、ひとりじゃ止められないんだ。俺たち全員の力を集めても、全然敵わなかったんだ。これからやることはいくらでもある。全員の力を上げねーと絶対勝てねーんだ」
 そうか、とサリナは思い出した。あの黒騎士とゼノアとの戦いの最後、意識を保っていた3人の内のひとりがクロイスだった。彼もその悔しさと、黒騎士の圧倒的な力を鮮明に覚えているに決まっていた。
「俺ぁさ、予想してるんだけども」
 カインの声だった。彼はルカの背の上で、頭の後ろで手を組むいつものポーズをしていた。彼の口調は軽く、やはり緊張感を感じさせない。わざとだ、とサリナは感じた。セリオルが漂わせた緊迫した空気を、彼は和らげようとしている。
「たぶんこれから大枯渇の調査をしたら、ゼノア攻略のためのヒントが出てくるんだ。よくわかんねえけど、たぶんあの前の3人がなんとかする」
 そう言われた3人は同時に振り返り、カインの作った得意げな表情に苦笑した。サリナも、カインの無責任だが仲間たちへの強い信頼を感じさせる言葉に、思わず笑顔になった。
「でまあ、そのヒントを手に入れてだな、全員で力を上げてさくっとあのバカをぶっ飛ばしてやろうぜ」
「あはは。そうですね、カインさん」
 サリナの笑顔に、カインもにやりとした。
「そうそう、その調子だ。笑ってろよ、サリナ。君の一番大事な仕事は、皆の前で笑ってることだ」
「はい!」
 元気の良い声で答えて、サリナは満面の笑顔を浮かべた。それを見たセリオルたちが、頷き合って前を向く。
「さて、では行きましょうか。大枯渇の、中心地へ」
「ああ」
 6色のチョコボたちが、荒廃した砂漠へ足を踏み入れた。

 砂漠の行軍は困難だった。暑さと砂にチョコボたちの体力が奪われる。それはクロイスがオーロラを呼んで、マナの恵みのたっぷり入った水を与えることで回復した。チョコボたちにとって、マナの水はこの上無い滋養になったようだった。
 カインによると砂漠の魔物は生命力が強く、相手にすると厄介だということだった。チョコボに乗っていれば通常の魔物から襲われる心配は無いので、サリナは安心した。重要な用事の前に、余計な体力を使いたくなかった。
 緩やかな窪地になった砂漠の中心に、その荘厳な、陽に焼けた石造りの建造物は存在した。
 一見して、城である。かつては美しく壮麗だったであろうその外観は、悠久の時と風雨によって、今では形だけをなんとか保った遺跡と化していた。大枯渇によってもその形を保った、唯一の建造物。
「これが、ゼフィール城ですか」
 セリオルはその厳かな遺跡を見上げて呟いた。熱く照らす太陽の光が、城に遮られて巨大な影を作っている。
「うわあああ……すごいなあ」
「でっけえ城だな。王都の王城にも負けねえんじゃねえ?」
 サリナとカインが揃って、顔の上に手を翳して城を見上げている。遠くからは眺めることの出来た城の頂上も、ここからは全く見ることが出来ない。
「ゼフィール……マキナに栄えた風の王国、か」
 太古の昔、この島で栄華を誇ったとされる王国、ゼフィール。この王国に関する文献はほとんど残っておらず、その多くは謎に包まれている。わかっているのは、かつてかなり高度なマナ文明を有していたということと、風の王国と呼ばれていたことくらいである。歴史学者や考古学者たちは、この島の存在価値はゼフィールの遺跡にあると公言して憚らない。そのため彼らは島の観光名所として、各地に点在する遺跡に観光客たちが入り込むことに憤慨する。
 そういう説明をセリオルから受けて、クロイスは呟いた。
「俺、昔この島来た時に、遺跡に落書きした気がする」
「あーあ! お前やっちまったなそれは! いずれ特定されて怒られるぞさまぁ見ろ!」
 カインが即座にクロイスを指さして茶化し、それに案の定クロイスが怒鳴る。
「うっせえバカ! そんなわけあるかバカ! 常識で考えろ常識で!」
「おうおうどの口がそんなこと言うんだ? 遺跡に落書きするのが常識的か?」
「黙れ黙れ! 俺は12歳だったんだよ、ガキだったんだからしょうがねえだろ!」
「おやおや今もガキんちょじゃないのかねクロイスくん」
「ええい貴様、黙らんかー!」
 逃げるルカに追いかけるイロ。チョコボは主人に似ると言うが、この2羽は完全に主人と同じ感性を持っているようだった。明らかに楽しんで追いかけっこをしている。
「おいもうやめろよ、砂が舞うだろ」
「知らん知らん! 砂のことなんて知らん!」
「お前そんな小さいこと気にすんなよ!」
 円を描いて追いかけ合いをすること自体を楽しみ始めたふたりと2羽は、フェリオの声に耳を貸すことなど無かった。すぐそばにいるフェリオを、サリナはそろそろと見た。フェリオの表情は変わっていない。その向こうにいるセリオルとアーネスはただ苦笑している。これから起こることを予想しているようだった。
「わかった、気にしないことにするよ」
 静かにそう言ったフェリオは、懐から石ころ大の球体を取り出した。サリナは小さく悲鳴を上げた。それに構わず、フェリオは腰のホルスターから取り出した銃を一瞬で2丁拳銃に組み替えた。
 炎と風の爆弾が、極めて的確な位置に投擲された。すなわち、カインとクロイスの中間地点に。そして即座にフェリオが銃の引き金を引く。爆弾は見事に爆風を巻き起こして破裂した。
「どああああああ!?」
「うわあああああ!?」
 カインとルカが前方、クロイスとイロが後方に吹き飛んだ。それはもう美しい放物線を描いて。そしてふたりと2羽は砂に頭から突っ込んだ。
「おや。ちょっと砂が舞い上がってしまったな。ま、気にしなくてもいいかそんな小さなこと」
 カイン、ルカ、クロイス、イロは砂から脚だけを出してぴくぴくしている。
「ねえねえ、大丈夫だよね?」
 不安になったサリナがフェリオに尋ねるが、彼は小さく微笑んでこう言った。
「サリナ、俺がそんなドジを踏むと思うか?」
 サリナは胸をなでおろした。セリオルとアーネスはやはり苦笑しているだけだ。ふたりも何も心配していないらしい。
「……あれ?」
 こちらを見て笑っているセリオルたちを見ていたサリナだったが、あることに気付いた。遺跡の扉が、小さく開いている。そしてそこから、見たこと無いものが顔を覗かせていた。
「ね、ねえフェリオ、あれなんだろう」
「ん?」
 脚をぴくぴくさせる連中を見て満足げな表情を浮かべていたフェリオが、サリナの言葉に振り返った。それで何かをサリナが発見したことを悟ったセリオルとアーネスも、遺跡のほうへ顔を向ける。
 僅かに開いた扉の隙間、その下部。そこから顔を覗かせていたのは、緑色の魔物だった。細長い棒のような顔と胴体に、同じ太さの腕と脚。その全てが円柱型であるように見える。そしてその奇妙な身体に、細長い針のようなものがくっついている。
「あら、珍しい」
 アーネスが呟いた。彼女は暑さにへばりつく前髪を掻きあげた。
「魔物、ですか」
 セリオルの質問に、アーネスが頷く。
「サボテンダー。攻撃すると全身の針を飛ばして猛反撃してくる、ものすごく危険な魔物」
「ええっ!」
 サリナが声を上げる。その声にびくりと跳び上がって、サボテンダーは素早く遺跡の中へ逃げてしまった。
「あ……あれ?」
 呆然とするサリナに、アーネスが笑いながら頷く。彼女に緊張感は無かった。
「見てのとおり、とても臆病な魔物なの。こちらから危害を加えなければ、攻撃してくることは無いわ」
「あ、そうなんですか。良かった」
 サリナは細く開いた扉の奥に目を凝らした。暗く、何も見通せない。その奥に待つ秘密に向けて、彼女はアイリーンの足を踏み出させる。