第58話

 雷光を纏い、大気を爆ぜさせて、カインの操る高山飛竜の鞭が荒れ狂う。イクシオンの力を得た鞭は本来の性質を強化し、さらに獣ノ鎖のように変幻自在に伸縮した。怒れるカインの嵐のような千尋の鞭に、赤きジャボテンダーは体力を奪われていく。
「ええい、忌々しい!」
 苛立ったジャボテンダーは、カインの頭上にその太い足を振り上げた。赤く変色してから、その攻撃は足を床に叩きつけると同時に、あの危険な針も飛ばすようになっていた。
「しゃらくせえ!」
 カインは両腕を上げ、頭上に雷の盾をつくり出した。バシンと音を立てて、巨大なサボテンの足が雷の力と衝突する。ジャボテンダーとカインは、それぞれに唸り声を上げて力を拮抗させる。
 だがカインとジャボテンダーには、大きな違いがあった。その場に心強い仲間がいるか、いないかだ。
「迸れ、大気を焦がす稲妻よ。その身で受けよ、雷帝の抱擁――サンダラ!」
 激しい雷光の槍がジャボテンダーを襲う。魔物の足から放たれた針を回避したセリオルが詠唱したものだった。そこへクロイスの矢が飛来する。雷の力を帯びた5本の矢が天井すれすれを飛び、そこから急降下してジャボテンダーの頭部を狙う。その攻撃は何重にも放たれ、サボテンダーの王に苦痛の声を上げさせた。
「セリオル!」
 自分の後ろにアーネスを寝かせたフェリオが叫ぶ。セリオルは振り返って頷き、雷光の魔法を詠唱する。雷はフェリオの銀灰に輝くマナの銃へと飛び、吸収された。フェリオは銃口をジャボテンダーに向ける、銀灰の銃が紫紺の光を纏い、そして引き金が絞られた。
 大気を焦がす雷光が宙を奔る。膨大な静電気を起こして、雷のマナはジャボテンダーを襲った。増幅された雷光の魔法に、赤きゼフィールの王は咆哮を上げる。
 立て続けに放たれた雷の攻撃に、紫紺のマナの力が充満する。それらがカインの生みだした雷の盾へと集まった。
「これも食らっとけ!」
 叫んで、カインは雷の盾を支えていた両腕を大きく動かした。盾は弾けるように拡散し、雷の波となってジャボテンダーを押し返した。水分を多量に含むジャボテンダーの身体に、雷撃はよく通った。あまりのダメージに、たまらずジャボテンダーはよろめく。カインへ振り下ろされようとしていた足も、石の床へ下ろされた。
「これがリバレーターか……恐るべき力だ」
 幾重にもなる雷での攻撃に煙を上げつつ、ジャボテンダーは絞り出すようにして言った。
 そして彼は見た。真紅の光を纏う少女の足元で光る、聖なる力を感じさせる円陣を。
 サリナは目を開いた。世界が小さく感じられる。マナの光がその色を真紅へと変える。陽炎のように揺らめくマナの力が、サリナを祝福する。
 強化されたジャボテンダーにも、その動きはほとんど見えなかった。認識出来たのは、ただ真紅の風が舞い込んだことのみだった。そしてその瞬間には、嵐のような乱撃が自分に降りかかっていた。
 それを見た仲間たちは、あまりの攻撃力に唖然とした。サリナはマナで強化したためか、驚異的な跳躍力を見せた。そして空中で回転しながら繰り出された攻撃は、マナの光と炎とに彩られた、凄惨なまでに美しいものだった。
 軽やかな足音で、サリナは石の床に着地した。その後、ジャボテンダーの巨体がゆっくりと仰向けに倒れ込んだ。ずずん――と地響きのような轟音。ぱらぱらと細かな石粒が天井から落ちる。
「あ、圧倒的じゃねーか」
 クロイスが倒れたジャボテンダーを見つめ、そう言った。セリオルですら、声も無かった。想像以上に、マナの覚醒とアシミレイトを合わせた時のサリナの攻撃力は凄まじかった。サリナ自身の力の上昇に加え、黒鳳棍が鳳龍棍へと生まれ変わったことも大きく影響しているように思えた。
「なんという、凄まじい力だ」
 倒れながら、ジャボテンダーは呟いた。まだ力尽きてはいないようだった。ゆっくりと上体を起こす。そして彼は、サリナを見た。
 それは幻覚だった。なぜなら、彼が頭を振るとそれは消えたからだ。
 しかし、彼は確かに見た。炎の鎧を纏った少女の小さな背に、一対の真紅の翼がはためくのを。そして彼は、それを悟った。
「そうか! そなた、そなたが、運命の子か!」
 覚醒したマナの力を制御するのに神経を集中させているサリナは、息を切らせながらジャボテンダーの言葉を聞いた。
「運命の、子……?」
 なんとなく、耳にしたことのある言葉のように思えた。しかし彼女には、それをどこで聞いたのかはどうしても思い出せなかった。
「セリオル、何のことかわかるか?」
 カインが尋ねた。しかしセリオルも、ただ首を横に振るのみだった。
「私にもわかりません。ただ、それがサリナのことを指しているのだとしたら……」
 言葉を切って、セリオルは顎に手を当てた。
「だとしたら?」
 そう問うカインに、やはりセリオルは首を横に振った。
「いえ、やはりよくわかりませんね」
「そうか……」
 カインは鞭を強く握り直してジャボテンダーの巨体を見つめた。サボテンの王は立ち上がった。さきほどの猛攻の痕がいくつもの傷となって残っている。
「最後の攻撃をさせてもらおう」
 そう宣言したジャボテンダーを、サリナは上半身を屈めた姿勢で見上げた。疲労が激しい。マナを覚醒させての戦闘に、まだ身体がついてきていない。夥しい量の汗が溢れてくる。
「まずい!」
 セリオルが駆ける。同時にジャボテンダーが、猛烈な咆哮を響かせた。遺跡全体に届くほどの、鼓膜をびりびりと震わせる咆哮だった。
「くあっ……なんだこりゃ!」
「なんつーでたらめな力だよ!」
 カインとクロイスがうめく。強風を避ける時のように、ふたりは腕を目の前に翳した。そのふたりの間を、銀灰色のマナの塊が高速で飛んだ。フェリオのマナ弾だ。
「クロイス! やつを止めるんだ!」
 これまでで最大の攻撃が来る。その予感に、フェリオの声は切迫感を帯びていた。
 クロイスはジャボテンダーを見た。全身を震わせ、力を集めているようだ。何か靄のようなものが、遺跡の壁や床から次々に湧き出してきて、ジャボテンダーへと集まっていく。
 クロイスは弓を構えた。雷のマナを纏わせる。ジャボテンダーのそばで、セリオルがサリナを抱え上げた。サリナの真紅のマナは、その力を失ったように見えた。リストレインの鎧は光を放っているが、あの烈火のごとき揺らめきが感じられない。
「雷のマナを集めてくれ! 俺がやる!」
 カインが叫んだ。力のマナ弾が飛ぶ。クロイスは矢を放った。雷のマナを帯びた矢は、後ろから飛来した力のマナと合わさってジャボテンダーへと飛ぶ。増幅されたマナストーンの力が、靄を集めるジャボテンダーに突き刺さる。
「私もやるわ」
 フェリオの後ろで、アーネスが立ち上がった。血色が回復している。
「もう大丈夫なのか?」
 フェリオの問いかけに、アーネスはこくりと頷いた。フェリオは胸を撫で下ろした。アーネスが剣を抜き、リストレインの鞘を掲げる。
「轟け、私のアシミレイト!」
 琥珀色の光が出現する。カイン、クロイス、セリオルの3人がこちらを見た。その顔に安堵の表情が浮かぶ。リストレインは変形し、アーネスの鎧となった。琥珀の光が治まり、地のマナに祝福された戦士が生まれた。
「ほっとしたよ。あなたに何かあったら、兄さんがどうなったか」
 フェリオがそう言った。アーネスは銀灰の戦士のほうを見て、首を傾げた。少年はなぜか、しまったとでも言いたそうな顔をした。だが彼は、それ以上何も言わずに銃の照準を魔物に合わせた。アーネスはよくわからないものの、あまり気にせずに魔物のほうを向いた。
「来たれ雷の風水術、迅雷の力!」
 風水のベルのたおやかな音色と共に、アーネスの前に紫紺色の球体が生まれた。雷のマナが結集した雷球である。それから幾本もの稲妻が、ジャボテンダーに向けて放たれた。
 アーネスの放電の中をフェリオのマナ弾が飛び、マナを吸収して増幅する。それにクロイスの矢が合流し、さらに力を得たマナの塊がジャボテンダーへと飛ぶ。今やジャボテンダーは、次の攻撃のために動きを止めて力を溜めている。針での迎撃はまったく無かった。
「サリナ、これを」
 カインとクロイスの後ろまでサリナを運んで、セリオルはハイエーテルを渡した。効くかどうかはわからなかったが、気休めにはなるはずだった。
「ありがとうございます。ごめんなさい、後先を考えないことをしてしまって」
 弱々しい声で少女は言い、薬を飲んだ。少しは気分が良くなる気がした。
「今は休んでください。覚醒の練習は、また今度やりましょう」
 小さく頷く少女に優しく微笑んで、セリオルはジャボテンダーと相対した。猛烈な雷の攻撃が続く。魔物の最大攻撃を阻止しようと、彼の仲間たちがあらん限りの力で雷のマナを集めている。
「迸れ、大気を焦がす稲妻よ。その身で受けよ、雷帝の抱擁――サンダラ!」
 仲間たちのどの攻撃よりも強力な雷のマナを、セリオルは放った。アシミレイトしていると、普段よりも魔法の威力が強化される。ただでさえ強力な雷光の魔法が、更なる力を得て魔物へと飛ぶ。
 セリオル、フェリオ、クロイス、アーネス、4人の力がひとつとなり、巨大なサボテンダーに襲いかかる。しかし王は倒れない。
「あれは……」
 床や壁から出現する靄を、サリナは知っていた。ここへ来るまでの道程で数知れず退けてきた、サボテンダーたちから生まれていたものだ。サボテンダーが力尽き、その色を赤から緑へと戻す際に現れたものと、それは同じものに見えた。
 そしてついに、靄が消えた。全てがジャボテンダーに吸収されたのだ。ジャボテンダーの周囲には、まき散らされた大量の紫紺色のマナが漂っている。赤きサボテンの王は、その中心でのけぞらせていた上半身をゆっくりと、カインへ向けた。
「いくぞ」
「来いよ!」
 仲間たちの先頭で、カインはにやりとしてみせた。雷の力を集め、絶対に勝つ。その確信が、仲間への信頼が、彼に笑みを浮かべさせた。
「針、億・万・本!」
「リバレート・イクシオン! トール・ハンマー!」
 ジャボテンダーから、もはや1本1本が見分けられないほどの大量の針が射出される。それをイクシオンの力が迎え撃つ。幻獣の角から放たれた豪雷が、周囲のマナを集めて恐ろしいまでに巨大化している。
 カインが咆哮する。ジャボテンダーも渾身の力を込めた。力はまたしても、拮抗したかのように見えた。
 だが、そこへ飛来したのは力のマナだった。後方からフェリオのマナ弾が放たれた。そのマナがイクシオンの力を増幅する。セリオルの魔法、クロイスの矢、アーネスの風水術も放たれた。マナが尽き果てるまで、仲間たちはカインの攻撃を援護した。
 もはや空間に隙間が見えないほどの量で放たれるジャボテンダーの針を、イクシオンの力が押し返し始めた。徐々にカインの力がジャボテンダーに迫る。
「フェリオ!」
 カインが弟の名を呼ぶ。その声に応え、フェリオが走る。走りながら、彼は叫んだ。
「リバレート・アシュラウル! ドライヴ・ラッシュ!」
 銀灰色の光が膨れ上がる。力の幻獣、アシュラウルが出現した。床を駆ける狼に、フェリオが跳び乗った。そして彼らは力のマナの塊となり、ジャボテンダーへと飛ぶ。
 雷のマナが放出される中を、フェリオは飛んだ。マナが集まって来る。イクシオンの渾身のマナが、アシュラウルのマナと混ざり合う。トール・ハンマーの力が増幅される。
 轟音とともに、雷のマナを纏ったフェリオはジャボテンダーを貫いた。針が止まる。魔物の背後でフェリオが着地した。アシミレイトが解除される。フェリオは急いでその場を離れた。
 ジャボテンダーの巨体が倒れた。胴に大きな穴が開いている。フェリオが貫いた穴だ。
「はあ……疲れた」
 アシミレイトを解除されたカインがその場にへたり込んだ。セリオル、クロイス、アーネスの3人も同様だった。全力の攻撃を続けたためだった。サリナもアシミレイトを解除した。ふらつく足になんとか力を入れ、彼女は立ち上がった。
「見事だった……」
 仰向けに倒れ、ジャボテンダーはその色を緑に戻していた。サリナはふらふらとよろめきながら、魔物のそばへ近づいた。
「サリナ、危ないぞ」
 フェリオが駆け寄った。彼もふらふらだったが、サリナを支えることは出来そうだった。
「大丈夫、だよ」
 サリナは魔物を警戒していなかった――それどころか、彼女の表情は倒れたジャボテンダーを心配してさえいるように見えた。
「ジャボテンダーさん」
 魔物の表皮に触れて、フェリオに支えられたままでサリナは語りかけた。
「なんだ」
 魔物の声には、ある種の満足感が漂っていた。動くことのないジャボテンダーの大きな目を見て、サリナは続けた。
「さっきあなたが集めてたのは、もしかして……」
 ジャボテンダーの目は動かない。だがサリナは、この巨大なサボテンの魔物が、その両目を閉じたような気がした。
「……我が王国の国民たち。その魂だ」
 仲間たちから驚きの声が上がる。しかしサリナは、その答えを予想していた。彼女は静かに、ゼフィールの王に尋ねた。
「あのサボテンダーたちが、そうだったんですね」
「……そうだ」
 身体を支えてくれているフェリオが自分の顔を見つめるのを、サリナは感じた。目線を合わせる。少年の瞳には、驚きと戸惑いの色が浮かんでいた。サリナは何も言わず、ただ頷いて見せた。フェリオも何も言わなかった。
「皆さんがその姿になった理由を、教えてもらえますか?」
 サリナの質問に、ジャボテンダーはゆっくりと話し始めた。その口調は静かで、知性に満ちていた。
「以前、そなたたちが言ったとおり、ゼノアという男がここを訪れた」
 ゼノアの名に、カインが小さく舌打ちをする。彼は不快感を隠そうとしなかった。しかし、もはや彼からはジャボテンダーに対しての怒りは発されていない。彼は石の床に座り、静かに王の話に耳を傾けている。
「あやつは我々の警告を聞かず、神晶碑へと近づいた。本来はモーグリやエルフらしか解くことが出来ぬはずの、マナの封印を解いてな。そして、あの黒き騎士が……神晶碑を守ろうとしたガルーダ様を退け、あろうことか捕えてしまった」
 徐々に、ジャボテンダーの声には怒りが含まれてきていた。半年前のことを思い起こしているからだろう。サリナは何も言わず、続きを待った。
「そしてやつらは、神晶碑を破壊し――あの大災害が起こったのだ」
 改めて、セリオルの仮説が正しかったことが証明された。しかし、セリオルは両目を閉じて黙するのみだった。出来れば、外れてほしい仮説だった。
「我々はその時まで、ただこの遺跡を漂う魂だった。滅びた王国から離れられぬ、力を持たぬ魂。だがゼノアが神晶碑を破壊したこと、自然に溢れたこの土地を破壊したことへの怒りが、我々に魔物の身体を与えた。マナの均衡が崩れたことも一因だっただろう」
 だから、とジャボテンダーは続けた。一度言葉を切って、彼はこう言った。
「我が国民たちは、そなたらをゼノアの同類と見たのだろう。再び神晶碑の、その残滓に接近しようとするそなたらを攻撃したのは、そのためだ」
 やっぱり、とサリナは小さく呟いた。サボテンダーたちから生まれていたあの靄は、ゼフィールの民たちの魂だったのだ。あの靄を目にするたびに胸が痛んだ気がした理由も、ようやく理解出来た。
「王よ、ひとつ伺ってもよろしいですか?」
 セリオルが立ち上がり、近くへ来ていた。彼もマナを大量に放出したためだろう、ややふらついている。
「なんだ、賢き魔導師よ」
「失礼は承知で伺います――ゼフィール王国の、滅びた理由を」
 ジャボテンダーは、その問いにしばし沈黙した。静寂が訪れる。しばらくして、ジャボテンダーは溜め息をついた。表情は何も変わらないが、彼は苦しい思いを想起したようだった。
「私が愚かだったのだ。私が、神晶碑に干渉することを王国の学者たちに指示した。それが王国の繁栄のためになると、浅はかな考えを抱いてな」
「神晶碑に干渉したことが、滅亡を招いたのですか」
 首は動かぬが、ジャボテンダーは頷こうとしたようだった。セリオルは次の言葉を待った。
「神晶碑は、限られた者でなければ干渉してはならぬものだった。我らはそれを知らなかった。知らずに、無遠慮に干渉したのだ。ガルーダ様の警告を、聞きもせずにな。そして神晶碑は、あの風を生んだ――滅びの風を」
 ジャボテンダーの話に、セリオルは驚きを禁じえなかった。滅びの風。その風が、王国のありとあらゆる民の命を奪ったのだという。そうして、風の王国と呼ばれたゼフィールは滅亡した。王と民たちは魂だけの存在となり、永劫の時を漂うこととなった。
「神を侮った罰だ。当然の報いだったのだ」
「だから、再び神晶碑に干渉しようとしたゼノアに警告を与えたのか」
 フェリオの言葉に、ジャボテンダーは肯定を返した。
「だがあやつは、神晶碑に干渉しようとしたどころではなかった。破壊したのだからな」
「あの野郎、相変わらずめちゃくちゃじゃねえか」
 吐き捨てるようにカインが言った。彼も立ち上がり、サリナたちのそばへ来た。クロイス、アーネスも続く。
「おいジャボテンダー。てめえよくも俺たちの仲間を傷つけやがったな」
 そう言って、カインはジャボテンダーの緑色の表皮に拳をぶつけた。
「すまなかった」
「おう。いいぞ。倍返ししたしな」
「腹に穴開けといて倍返しもないだろ……」
 ぽつりと言ったクロイスの脇腹を、カインは肘で突いた。少年がぐえっと変な声を出して反撃する。それがカインの腹に命中し、蛙のような声を出させた。
「私のことは気にしないで。私たちは正々堂々と戦ったんだから」
「ああ。ありがとう」
 アーネスの言葉に感謝を述べたジャボテンダーを、カインがぺちぺちと叩く。
「ま、ゼノアの馬鹿は俺が止めるからよ。あんたはそれをここで、引き続き待ってろって」
「おっさん、こいつの言うこと真に受けねーほうがいいぜ。いい加減だから」
 フェリオが頭を抱えた。クロイスの茶々に、カインがいつもの調子で反応するからだ。
「てめえクロイスコラてめえ、もっぺん言ってみろコラ」
「うっせえバーカ。お前が止めるんじゃなくて、俺たちで止めるんだろ。訂正しやがれバーカ」
「お。なんだお前、まともなこと言うじゃねえか」
「俺はまともなことしか言わねーし」
 そのふたりのやりとりに、ジャボテンダーが笑った。鷹揚な笑い声だった。ぽかんとするサリナたちをよそにひとしきり笑い、そしてゼフィール王は言った。
「すまなかった、勇気ある者たちよ。神晶碑はこの先だ。扉を開き、進むがいい」
 ジャボテンダーは立ち上がった。胴の穴は塞がっていた。王は奥の扉を腕で示した。
「さらばだ、強き者たちよ。ゼフィールを、この世界を、そなたたちに託す」
 そう言って、ジャボテンダーは扉を示した腕の先から、光の粒へとその姿を変じていった。それはマナの光だった。ゼフィールを護った、風のマナだ。翠緑色の光の粒が、扉へと流れていく。
「きれいね……」
 アーネスはその光景に、ぽつりと呟いた。傍らで、カインが頷く。
「これで俺たちは、ゼフィールのやつらの思いも背負った。ますます負けられねえ」
「そうね……。頼りにしてるわよ、お兄さん」
 アーネスのその言葉に、カインは笑った。全ての風の粒が扉に届いた。扉が翠緑色の光に染まる。
「俺はあんたの兄貴じゃねえぞ」
「わかってるわよ」
 にこりと微笑んで、アーネスは扉へ向かった。セリオルが一行の先頭となって、扉を押し開いていた。サリナ、フェリオ、クロイスと順々に、扉の奥へと進んでいく。アーネスもその列に続いた。
 カインは頭を掻き、伸びをした。ゼフィールの風が、髪を撫でていく気がした。