第6話

 フェイロンの目抜き通りは穏やかな、ゆったりと時間が流れるような商店街だった。立ち並ぶ商店は八百屋や肉屋をはじめとする食料品店の他、衣料品や飲食店、土産物店、そして旅行者たちのための武具店などが立ち並ぶ。わいわいと賑やかなのは広い通りを走り回る子どもたちで、店主たちは隣同士で世間話をしたりお茶を飲んだりと、のんびりしながら客の来るのを待っているのだった。
 そんなフェイロンの目抜き通りに慣れ親しんでいたサリナは、ユンランの目抜き通りの賑やかさにたいそう驚いた。昼下がり、家事がひと段落した主婦たちが買い物に出かけるころだ。居並ぶ店々の店主たちは、いずれ劣らぬ大声で客寄せの口上を張り上げている。それに負けないくらい客の女たちも溌剌とした笑顔で値引きの交渉に挑んでいた。店側客側いずれも顔は笑っているのだが、サリナにはみんな額に青筋を浮かべているように見えた。
「す、すごいねえ」
 迫力に圧倒されて立ちすくむサリナに、カインが呵々と笑った。
「んじゃ俺たちは装備を見てくる。またあとで――陽が落ちるころに」
 そう言葉を残して、カインは愉快そうに笑いながら去って行った。フェリオは無表情だったが、去り際にふとサリナに投げかけられた視線が鋭く、サリナはまたしても縮こまってしまった。フェリオを見返してやりたいとは思わなかったが、あの老夫婦のために頑張りたいという気持ちが再び強くわき上がって来るのだった。
 ふと、サリナの肩にセリオルの手が置かれた。サリナの気持ちを見とおしたように、セリオルが微笑んでいた。
 だが直後、彼の表情が険しくなった。サリナの肩に置かれた手にも、力が込められたように思われた。
「サリナ――私たちは、これからあの戦場に赴かねばなりません」
 彼の視線の先には、旅の支えとなる薬効を持つ食材のたくさん並んだ、八百屋の軒があった。

 ――夕刻。サリナは“海原の鯨亭”の1階でゆったりとお茶を飲んでいた。お茶請けは梅の香りのする饅頭で、疲れを癒すのとこれからの戦いに向けた滋養の摂取を考えてのことだった。まだ夕食の時間には早いため人の姿もまばらで、休憩と精神統一にはちょうど良い環境だった。
 サリナは心を痛めていた。自分の油断のせいで老夫婦を悲しませることになったこと。そのことによってフェリオの不興を買ったこと。そして口には出さないがセリオルがそれを良くは思っていないこと。セリオルのちょっとした表情の変化から、サリナはそれを感じ取っていた。だが同時に、セリオルは自分の手で荷物を取り返し、フェリオから信頼を勝ち得たいと思っているサリナの気持ちを察してくれていることもわかっていた。
 八百屋での戦争に勝利した後、武具店で2,3の小型武器を物色し、サリナとセリオルは宿に戻って来た。セリオルは部屋にこもって今朝の作業の続きを行うと言った。サリナは荷物を自分の部屋に置き、宿の裏の空き地で稽古をしていたのだった。
 武器を携えず、ファンロン流の型の演武を行った。ファンロン流には“地の型”と呼ばれる体重や筋力を活かした型と、“天の型”と呼ばれる素早さやしなやかさを活かした型の2種類がある。修得の過程でいずれの型も学ぶが、体格の小さいサリナは“天の型”が得意だった。ただし“地の型”は防御にも優れた型なので、戦闘の際には役に立つことも多く、そういう場面ではサリナも“地の型”の要素を取り入れる。
 “天の型”の演武は流れる水のように美しい。軽やかな舞のような所作の中に、鋭く刺すような一撃が込められる。またサリナは師であるローガンから、独自の型を生み出すことを許されていた。自分の体重の軽さを自覚している彼女は、遠心力を活用することで自分の攻撃に重さを乗せることに成功していた。そのため、彼女の行う演武には片足を軸にして回転する動きがよく現れる。演武が終わったころ、地面にはえぐりとられたような穴がいくつもできていた。
 演武の後、黒鳳棍を使っての稽古を行った。黒鳳棍はサリナの身長にちょうど良い長さで、ローガンがサリナのために特注してくれたのではないかと思えるほどだった。棍と三節棍の両方で間合いや重心の感覚を掴むように小一時間ほど鍛錬に励んだ。良い武器をもらった――あまり大きいとは言えない自分の手にもよく馴染む黒鳳棍を見つめて、サリナは改めてそう思った。
 肉体の状態を確かめ、滋養を補給して精神の安定を図った。なんとしても最高のパフォーマンスを発揮したい。“海原の鯨亭”1階で静かに両目を閉じ、サリナはそう願っていた。
 やがて、陽の落ちる時刻が訪れた。入口の扉が開いて、スピンフォワード兄弟が帰って来た。彼らはサリナの様子を見て驚いたようだった。挨拶をして、3人は上階の兄弟の部屋へと上がっていった。

 村の正門近くで獣の咆哮が響き渡った。その前後、青白い炎のような姿の獣が駆け抜けるのが目撃された。ただちに自警団に出動が要請され、野盗の調査の成果が上がらぬことにぴりぴりしていた自警団は、ついに奇襲が来たかと詰所を飛び出して行った。
 裏門の警備は暇を持て余す仕事である。野盗の出現によって緊張感を増したのは事実だったが、かと言って警備の仕事の内容が変わるわけではない。下された指示は「平素以上に厳格な警備をせよ」だった。したがって、裏門の警備は暇だった。響き渡った獣の咆哮はあくびをかみ殺すよりはるかに興味深い出来事だった。
 警備の不在になった裏門に、走り寄る影があった。サリナ、セリオル、カイン、フェリオの4人と、開門と閉門を手伝う漁師たちである。無言の目配せの後、漁師たちは速やかに門を開き、わずかな隙間から4人がするりと抜け出した。音も無く門は閉じ、何事も無かったように漁師たちは酒場に戻って行った。
 裏門を潜り抜けたところに野盗が数人いた。突然門が開いたことと中から人が出て来たことに驚いている間に、彼らは気を失っていた。全員が膝から崩れ落ちた頃に、カインは鞭を取り出し終わった。セリオルは杖を構え、フェリオは得物である長銃の安全装置を解除した。
 サリナは黒鳳棍を振り下ろした姿勢から、静かに起き上がった。棍から伝わって来た衝撃は4つ。振り返ると、暗闇の中でぼんやりと4人分の影が横たわっていた。彼女に呼吸の乱れは無かった。
 数瞬の沈黙の後、鞭を構えたままでカインが口を開いた。
「サリナ、君がやったのか?」
「あ、はい」
 答えたサリナの口調はあっけらかんとしたものだった。倒れ伏した野盗たちの状態を確かめたセリオルが立ち上がった。フェリオは長銃を背中のホルスターに収めた。
「全て一撃……また腕を上げましたね、サリナ」
「俺にゃあまったく見えんかったぜ」
 感嘆するカインの隣で、背中を向けたフェリオはどうやら悔しそうだった。
「これがサリナの強さです。圧倒的な速さ」
「いや大したもんだなマジで。心強え」
「いやあそんな。へへ」
 頭をかいて照れるサリナと腕組みをして「すげえすげえ」と繰り返すカインを横目に、フェリオは倒れた野盗のうちのひとりに気付けを行い、引きずり起こそうとしていた。
「おい、起きろ。おい」
 野盗の昏睡は深く、なかなか目を覚まさない。サリナの一撃がよほど的確に急所を突いていたようだ。その腕に、フェリオは内心舌を巻かずにはいられなかった。
「そいつが起きたら道案内させようぜ。探す手間が省けたな」
「でも、この人たちほんとに夜襲をかけようとしてたんだね」
「いや、さすがにたったこれだけの人数で襲撃は無いでしょう。おそらく彼らは偵察だけが目的だったはずです」
「てことは、アジトのほうでは今頃夜襲の準備万端ってとこか」
 無言でうなずくセリオルに、サリナとカインは顔を見合わせてげんなりした表情を浮かべた。
「みんな、こいつ目を覚ましたぞ。案内してもらおう――準備万端の雑魚どもに見つかりにくい道を」
 ぶつぶつと毒づく野盗の首を一度鞭で締めて黙らせ、カインと野盗を先頭にして一行は進んだ。アジトに着いて首領の居場所に到着するまで誰にも見つからなければ解放してやると約束すると、その男はあっけないほど素直に言うことを聞いた。サリナの一撃がよほど応えたらしく、彼はしきりに首筋をさすっていた。「大丈夫、折ってないよ」という後ろから聞こえたサリナの言葉に、彼の肩は大きくびくっと動いた。
 草原の草が背丈を増し、膝から下が完全に隠れるようになったころ、一行は森に到着した。騎鳥車が襲撃を受けた場所より南西に進んだあたりである。途中、よく草の踏みならされた獣道の入口のようなところがあった。そこを進むとアジトの正面入口に出るのだと野盗は言った。
 森の外周の、目印らしきものが見当たらないある箇所で、野盗は急に森の中へ分け入るように言った。その発言を疑ったカインが他の者には聞こえないくらいの小声で「罠にはめようとしてんだったら二度と太陽が見れなくしてやる」と呟いたところ、野盗は可哀相なくらい慌てて謝罪し、しかしその道は正しい裏道だと必死で訴えた。
 下草をかき分けながら進むうち、開けた場所に出た。一行の眼前には、木材を乱雑に組み合わせたやぐらのようなものが姿を現した。建物でいうと3階建てくらいの高さで、上に行くにつれて細くなる、円錐型に近い形状をしている。どうやらアジトに着いたらしいと察したカインは、鞭で縛りつけていた野盗を解放してやった。野盗は解読不能の何ごとかをわめきながら走り去って行った。あの程度の小物は放っておいたところでひとりでは何もできまいと、誰も見向きもしなかった。
「よし、行こう!」
 大きく息を吸い込んで、しかし大声は出さずにサリナが声を掛けた。男たちはうなずき、黒々と夜の空にそびえる影に向かって歩みを進めて行った。

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