第60話

 早朝の爽やかな光が降り注ぐ部屋で、サリナは部屋着の袖に腕を通した。肌触りの良い柔らかな布。寝起きの、まだ感覚の覚醒しない身体を、その優しい布がさらりと包む。
 テラスに出る大きな窓を開く。まだひやりと冷たさの残る空気に、僅かに皮膚が粟立つ。その箇所に軽く手を当てて、サリナは空を見上げた。
 美しい水の流れと、ジャングルの濃い緑、そしてそこに混じる極彩色の植物たち。鮮やかな生命の色が、サリナの五感を刺激する。
「んっ……と」
 生命の香りを胸に吸い込んで、サリナは伸びをした。マキナの自然が、彼女に活力を与えてくれるようだった。
「おはよう、サリナ」
 振り返ると、顔を洗ったのか、タオルで前髪を拭きながらアーネスが近くに来ていた。彼女はサリナの隣に立ち、小柄な少女と同じような仕草で、ジャングルの空気を肺に深く吸い込んだ。
「おはようございます、アーネスさん」
 サリナが答えると、アーネスはにこりと微笑んで答えた。太陽の光が彼女の金色の髪に透けて、その美しさにサリナは密かに憧れた。
「昨日のご飯美味しかったわね」
 ワンピースのような形の部屋着の裾をひらりとさせて、アーネスは部屋の中のベッドへ向かい、そこに腰掛けた。
「はい! 特にあの、柔らかいお肉が……!」
 両頬に手を当てて、サリナはうっとりとして言った。口の中に、あの甘辛く香ばしい、柔らかい豚肉の食感がよみがえるようだった。
 昨晩は楽しい宴となった。宿でサリナたちの帰りを待っていたベルントは、いつの間にか宿の若き主人、ユハニ・ニエミネンと意気投合していて、クロフィールでのサリナたちの活躍を大いに自慢した。サリナは恐縮し通しだったが、カインやクロイスは調子に乗ってどんどん料理を注文し、食べすぎて動けなくなる始末だった。
 マキナの料理は観光客を喜ばせるもののひとつだが、大陸とは異なる、独特の食文化が根付いていた。サリナは特に気に入ったのは、豚の三段肉を柔らかく煮た料理だった。その他にも苦味の強い瓜や果物を固めの豆腐とともに炒めた料理や、豚の耳や足を使った料理なども珍奇で美味だった。サリナは、どこか故郷のハイナンの料理を思い出させる味に、心を温めた。
 アーネスはサリナの幸せそうな様子に微笑んだ。黒騎士との戦い以降、サリナの笑顔は減っていた。試練の迷宮に向かう時ですら元気を失わなかったサリナの沈んだ様子に、アーネスは心を痛めていた。
「今日は、水晶の泉ですね」
 部屋の中の布張りの椅子に腰を下ろして、サリナは呟いた。その目は少し伏せ気味だった。その脳裏に昨日のセリオルの言葉が去来しているのだろうと、アーネスは想像した。
「何かしらね、ゼノアが10年前に想像していたことって」
「はい……」
 消沈したサリナの様子に、アーネスは頭を掻いた。そのまま長い髪の毛先を目の前に持ってくる。旅の疲れのためだろう、枝毛が出来ている。小さな溜め息を吐く。
「何か、重要なことなんだろうけど。セリオルも慎重ね、推測の段階でも話してくれればいいのに」
「そうですね……」
「まあ、彼なりの配慮なんでしょうけど。変に不安を煽らないための」
 半端なところで話を切られるのも不安になるんだけど、という言葉を飲み込んで、アーネスはサリナを見つめた。サリナは静かに、床に視線を落としている。
 コンコン、と扉をノックする音があった。アーネスが返事をすると、一行の男性陣が揃って入ってきた。サリナはセリオルを見た。彼女の兄は、いつもの優しい笑顔を向けてくれた。胸をざわめかせる不安感が消えていくのを、サリナは感じた。
「よっ、おふたりさん。元気か?」
 わけも無く良い調子のカインの声に、アーネスは吹き出した。それはカインが、その額の上に妙な色眼鏡を載せていたこともあった。
 サリナも笑った。その色眼鏡は、セリオルが王都で変装のために掛けていたものだった。カインもそれと似た色眼鏡を持っていたはずだが、わざわざセリオルのものを使っているようだった。明らかに、サリナを笑わせようとしている。
 狙い通りの効果に、カインは会心の笑みを浮かべた。
「何やってんだよくだらねー」
 頭の後ろで手を組んだクロイスは呆れ声だった。しかしカインは笑みを浮かべたままで振り返り、部屋着で帽子をかぶっていない少年の頭をわしゃわしゃとやった。
「うわっ、なんだよ、おいちょっと、やめろっての!」
「はっはっは、わかってないなクロイスくん。男はいつでも笑いを忘れちゃあいけねえんだぜ」
「ああもうわかったからやめろよ!」
 カインの手を両腕で振り払って、クロイスは憤然として髪を整えた。しかし元々癖毛なので、あまり変わらない。
「私の眼鏡、そんなに変でしたか……」
 壁に向かって落ち込むセリオルの肩に、フェリオが手を置いた。しくしくと、セリオルは泣いた。
「んじゃ、朝メシ行こうぜ! 腹減った!」
「あはは。カインさん、凄いなあ」
 笑って立ち上がったサリナに、カインは右手の親指を突き立てて見せた。
「男は元気、女も元気だ。メシ食って元気つけて、水晶の泉行くぞ! な!」
 天井に向けて突き上げられたカインの拳は、しかし仲間たちの苦笑と溜め息によってのみ迎えられ、彼はセリオルとともに壁に向かって落ち込んだ。

 マキナの宿、“雨林の夕立亭”は広い。いくつもの小さな建物を橋のような通路で結んであるためだが、サリナはその橋を渡るのがお気に入りだった。川とジャングルに囲まれた、美しい自然が全景で楽しめるからだ。
 マキナの北部へ向かう道をアイリーンで進みながら、サリナはその光景を思い出していた。今、彼女の近くには川は流れていない。さきほどは大枯渇の砂漠のそばを通った。まだその影響を受けた範囲から出ていないのだろう、ジャングルの木々もどこかしおれて見える。
 ゼノアを止めなくては。マキナの自然を見て、サリナは改めてそう思う。
 彼女は回想する。ユハニは昨夜、悔しそうに語った。
「いつか、俺たちの手でこの島を再興するんだ。またあの、活気に溢れたマキナを取り戻す。でないと、死んだ親父に顔向け出来ねえ」
 ユハニは数年前に父を病気で亡くしていた。気落ちした母を励まし、彼は宿を引き継いだ。知識も経験も無い彼の頑張る姿が、母を勇気付けた。昨日サリナたちが会ったユハニの母、ヒルッカはそう話していた。
 表に出しはしなかったが、そのふたりの話に、カインとフェリオ、そしてクロイスが怒りを燃やしていた。親を亡くし、自分の力で頑張ってきたユハニに、自分たちを重ねたのだろう。そのユハニの生きる糧の多くを奪ったゼノアに、彼らは怒っていた。
 朝食の給仕を、メイドではなくヒルッカがしてくれた。彼女はサリナたちに詫びた。
「勝手に身の上話なんてして、ごめんなさいね。あの子も自分の力で生きてきたから、悔しかったのね。許してあげてください」
 そして頭を下げ、恐縮するサリナたちに彼女は続けた。
「でも、お客様方も大変な身の上なんでしょう? 立ち入ったことは伺いませんけど、頑張ってください。私たちも、陰ながら応援いたします」
 話の端々から、そして息子とすっかり仲良くなったカインたちを見て、そう感じたのだろう。多くの旅人たちを見てきたヒルッカの目は鋭かった。彼女のその言葉に、サリナは心の灯火が暖かさを増したように思った。
 今、サリナたちの荷物の中には、ユハニが無償で用意してくれた昼食が入っている。炊いた米に様々な具材を入れて、丸く握ったものである。ユハニは無愛想な様子でそれを突きつけて、小さな声で言った。
「何か知らねえけど、大変なんだろ。これ食って力つけろよ。あのへんは危ねえから、気をつけな」
 水晶の泉での用が終わったら食べようと、カインが喜んでいた。酒が入らないとシャイなのねとアーネスが言うと、ユハニは顔を真っ赤にしてぷいと背け、厨房へ入っていった。
 サリナは感謝する。彼女の周りには、いつも心温かなひとたちがいてくれる。しかしその人々の暮らしを脅かそうとしているのが、あの白い髪に赤い瞳の男、ゼノアだ。
 神晶碑の破壊、世界樹の封印、瑪瑙の座、そして幻獣神フェニックス。サリナにとっては、まだまだわからないことだらけだ。しかし彼女は、両目に力を入れて前を見つめる。ひとつひとつ、目の前にある出来ることからやっていこう。カインのその言葉を、サリナは噛み締める。
 チョコボたちはマキナの大地を駆け、そしてジャングルを抜けた。
 そこはそれまでけたたましく鳴き声を響かせていたジャングルの鳥たちもその声を潜ませる、神聖な場所だった。
 鬱蒼としたジャングルの中、ぽっかりと開いた円形の空間。そこにこの世のものとは思えぬ美しさの泉が、ただ静かに存在していた。
「すごい……」
 サリナはそれだけを口にして、言葉を失った。彼女は今まで、これほど美しい光景を見たことが無かった。
 水面は透き通った青色である。まるで高純度の藍玉のような、繊細で清らかな青。波の無い静かな水面は、あたかも薄氷の張ったかのごとき静謐性を持っていた。そこに水晶の粉がまぶされたかのように、太陽の透明な光がきらきらと反射している。
 泉には、かつてそこに存在した建物の残骸だろうか、白い石材で彫られた、調和の取れた美しさの柱などが突き出している。サリナはアイリーンから降り、その美しい水面をしゃがんで覗き込んだ。かなり深いところまで見通すことが出来る。小さな魚の影。点在する石の柱や壁は、その遠さのためにはっきりとは把握出来ないが、底まで達しているのだろう。かなり大きな建物が建っていたのだと、サリナは推測した。
「表現するのも難しいな、これは」
 参った、というふうに額に手を当てて、フェリオが呟く。彼も泉の美しさに心を打たれていた。エメリヒの背から降りると、彼のチョコボはそそくさと泉に近づき、その水面に嘴を差し入れた。
「そうか、そりゃ喉渇いてるよな」
 フェリオは自分のチョコボの頭を撫でてやった。実に美味そうに、エメリヒは泉の水を飲んだ。
 他のチョコボたちも、それぞれの主人を降ろしてから泉の水を飲んだ。水の集局点のマナが、チョコボたちには恵みとなるようだった。
 クロイスは、静かに泉を見つめた。イロは彼の傍らで水を飲んでいる。平和な光景だ。筆舌に尽くしがたい、神聖な美しさの泉。そこで憩うチョコボたち。危険という言葉の正反対に位置するような、どこをどう見ても完璧に平和な光景。
 しかし4年前、彼の両親はここでその命を落とした。あの恐ろしい、鱗持つ鳥の化け物に襲われて、無残に血を流して死んだ。ぎりりと、音が出るくらいに強く、彼は奥歯を噛み締める。
「オーロラ」
 短剣型のリストレインを掲げ、クロイスは彼の幻獣の名を呼んだ。眩い紺碧の光が溢れる。クリスタルがリストレインから分離し、変形していく。やがて、美しい水を纏う銀色の、その額に彫刻のような角を持つイルカが現れる。
 サリナたちは立ち上がり、クロイスのほうを向いた。チョコボたちは状況を理解してでもいるのか、騒ぎ立てはしなかった。
「戻って来たのですね、クロイス」
 清らかなせせらぎのような美しい声で、オーロラはそう言った。空中を泳ぐイルカは、滑るように水面まで移動した。
「ああ、戻って来た」
 柔らかな下草を踏んで、クロイスは泉に近づいた。4年前、その手で両親を葬った、彼にとっては死の匂いのする泉。その意味とは対照的に、泉はやはり、昔と変わらず美しい。
「親父とお袋を殺した、あの化け物の正体を知るためにな」
 そう言って、彼は振り返った。その視線の先には、法衣を纏ったセリオル・ラックスターがいた。
「気づいていましたか」
 そう言って、セリオルは水面まで歩を進めた。彼の両脇で控えていたカインとアーネスも一緒に進む。ふたりは泉の美しさにはしゃぎはしなかった。セリオルが何か重大な考えごとをしているように見えたからだ。クロイスと一定の距離を保って、3人は止まった。
「あの時、エインズワースの休憩所であの化け物の話をした時から思ってたんだ。あんたの反応は妙だった。何かを知ってるのかと思った。昨日、それは確信に変わった」
 少年の言葉に、セリオルは目を閉じた。眉間にしわが寄せられている。そのままで、彼は口を開いた。
「オーロラ、やはり間違いありませんか?」
 勢い良く、クロイスは泉を振り返った。そこではオーロラが、水の中へ入って顔だけを上に出していた。水の幻獣は、物憂げに瞳を伏せる。
「ええ、おそらく」
「そうですか……」
 溜め息とともに、セリオルは目を開いた。彼は首を動かし、サリナを探した。赤い武道着の少女は、フェリオと並んで心配そうにこちらを見つめていた。
「サリナ、モグを呼んでくれますか?」
「えっ、モグですか?」
 意外な言葉に、サリナは戸惑った。しかしセリオルは、ただ黙って頷くだけだった。不思議に思いながら、サリナはモグチョコを取り出し、息を吹き込んだ。
 美しい音色が響く。眩い光が現れる。そこから白い毛の、マナの精霊が元気良く飛び出してきた。
「クポ〜! ……クポ! クポポ? クポ。クポー!」
 空中でポーズを決めたかと思ったら、モグは今いる場所を見回して驚いた様子を見せ、続いて慌てて空中を走り、サリナの背に隠れてしまった。
「え、え、モグ、どうしたの?」
 自分の背中に隠れたモグを見ようと首を動かすものの、モグは小さいのでサリナはその姿を見ることが出来なかった。赤いぼんぼりだけが視界の隅で揺れている。
「ここ、ここは危ないクポ〜!」
「え? どうして?」
 背中でモグが震えているのを感じて、サリナは心配になった。しかしどうやってもモグの姿は見えない。その場でくるくる回り始めたサリナに苦笑しながら、フェリオは背中のモグを抱き上げてサリナから離した。
「ク、クポ〜」
 じたばたともがくモグを胸の前に抱き上げて、フェリオはセリオルたちのほうへ向けた。サリナが心配そうに、モグを覗き込んでいる。
「モグ、どうしたの?」
 サリナの声に、モグが動きを止める。マナの精霊は、その短い腕で顔を隠そうとした。もちろん隠れるわけなどないのだが。
「人間のつくった荒神クポ。危ないクポ〜。まだマナが残ってるなんて、信じられないクポ〜」
「人間のつくった……荒神?」
 サリナには何のことかわからなかった。マキナへ向かう時の船の上で、モグは同じ言葉を口にしていた。それを聞いた時のセリオルの様子を、サリナは思い出した。彼は厳しい視線でマキナ島を見つめ、こう言ったのだ。ゼノアの研究は、恐ろしいところまで進んでいるかもしれない、と。
 サリナはセリオルに目を戻した。兄は大きく深呼吸をし、クロイスに向き合っていた。少年のほうは、何が起こっているのかはわからないものの、セリオルを真正面から見つめている。
「クロイス」
「なんだ?」
 短く、ふたりは言葉を交わした。セリオルには逡巡があった。それをサリナは感じた。クロイスに何かを伝えることを、迷っている。辛いのだろうかと、彼女はセリオルの心を危惧した。
 しばしの沈黙の後、セリオルは口を開いた。
「これから私は、君のご両親を殺害したものの正体を明かします。覚悟はいいですか?」
「……ああ。4年間、ずっと考えてたんだ。あの化け物が何物なのかってな。俺の手で突き止めたいと思ってたけど、もうどうでもいい。俺は、早くあいつの正体を知りたい――教えてくれ、セリオル」
 クロイスの声は切迫していた。彼にとっては、喉から手が出るほど欲しかった答えだ。セリオルは彼をじっと見つめている。彼は待った、長身の黒魔導師が口を開くのを。
 クロイスにとって永遠にも思える一瞬が過ぎ、そしてその言葉はセリオルによって発せられた。
「君のご両親を襲った、光を纏う、鱗持つ巨鳥。それは……」
 言葉を切って、セリオルは深呼吸した。まるでそれを口にすることで、世界が穢れでもしてしまうかのように。
「それは、ゼノアが生み出した人工の幻獣――ヴァリガルマンダです」
 仲間たちが驚きの声を上げる。サリナの傍らで、フェリオは声も無かった。目と口がひとりでに開く。閉じることが出来ない。そうしようという意志が働かない。脳が理解しようとしない。今、セリオルはなんて言ったんだ?
「人工の……幻獣、だって?」
「人間のつくった、荒神……」
 あまりのことに、サリナは腰が抜けてしまったようだった。彼女は草の上にへたり込み、モグの言葉を繰り返した。モグは、人工幻獣のことを言っていたのか。
「人工って……そんなことがあんのかよ」
「わからないわ。少なくとも、聞いたことはないけれど」
 カインとアーネスも動揺していた。幻獣をつくる。そんなことが人間に出来るのか?
 幻獣は、エリュス・イリアの守護神だ。碧玉の座の幻獣たちはエリュス・イリアを監視する。瑪瑙の座の幻獣たちは神晶碑を守護する。そして玉髄の座の幻獣たちは、幻獣界を守る。世界とマナ、エリュス・イリアと幻獣界を結びつける、神なる獣。それが幻獣である。
 その幻獣を、人間がつくる。それがどれだけ背徳的で、道を外れた所業であるか。想像するだけで、アーネスは吐き気を催す。
「……ゼノアがつくった化け物が、俺の親父とお袋を殺したのか」
 沈黙していたクロイスが、口を開いた。セリオルの予想に反して、その声は静かだった。しかし彼の予想通り、少年の両手は色を失うほど、強く握り締められていた。
「……そうです」
 短く、セリオルは答えた。クロイスは顔を上げた。強い決意のようなものが、その顔には表れていた。それも、セリオルの予想の範囲外だった。
「教えてくれ、セリオル。人工幻獣って何なんだ。なんでそれが、鱗持つ鳥の正体だってわかった」
 クロイスは冷静だった。セリオルは考えていた。少年は、もっと激昂するものだと思っていた。それこそ我を忘れて、今からゼノアを討とうと飛び出していくのではと危惧していた。しかしそうではなかった。クロイスは静かに、怒りに燃えてはいるものの、静かにセリオルの言葉を待っている。
「これまで、いくつかのヒントがありました。まず前提として、私は10年前から、ゼノアがいつか幻獣をつくりたいと言っていたことを知っていた」
「なんて、汚らわしい思想なの」
 唾棄すべきとでも言いたそうな口調で、アーネスが言った。彼女はだらりと下げた左腕を、右手で握っている。顔は背けられていた。一度目を閉じて開き、セリオルは続ける。
「クロイス、君がさっき言った、エインズワースでのこと。あの時から、マキナに来なくてはと思っていました。そしてその予感はここまでの旅で、少しずつ確信に変わっていった。決定的だったのは、ジャボテンダー王の言葉です」
「え、ジャボテンダーの?」
 意外そうなカインの声に、セリオルは頷いた。腕を組み、カインは首を傾げる。
「エルフやモーグリでしか解けないはずの封印を解いてゼノアは神晶碑に近づいたと、彼は言いました。エルフやモーグリは、マナの精霊のようなものです。彼らにしか解けないということは、幻獣には解けない。それはハデスの力を持ってしても同じです」
「それ、人工幻獣なら解けるっていうの?」
 聡明なアーネスの言葉に、セリオルは再び頷いた。アーネスは絶句したようだった。
「人工の幻獣。それはこの世の最も根源的な理から外れた存在です。ゼノアが神晶碑の封印を解く手段は、それしか考えられません」
「……あなたはすごいですね、セリオル」
 そう言ったのはオーロラだった。彼女は水から出て、クロイスの隣に来ていた。クロイスがその背に触れる。水に濡れたオーロラは、つるりとした皮膚に美しい水を纏っている。
「私たちでも断定できなかったことを、突き止めたのですね。人間は、やはり素晴らしい」
「……いえ」
 その短いセリオルの声に、サリナは複雑なものを感じ取った。なんとも形容しがたい、複雑な心情。それは肯定であり、否定でもあり、全く別の弁解のような響きもあった。
「――だったら、あんたが風の神晶碑にかけた結界も、破られるかもしれねーんだな」
 クロイスがそう言った。セリオルは顔を上げた。またしても、意外な言葉が聞こえてきた。彼は瞬間、言葉を失った。
「どうなんだ?」
 クロイスは再び問うてきた。頭を振って、セリオルは答える。
「い、いえ、それはまだわかりません。ただ少なくとも、人工幻獣はマナを操ることは出来ても、リバレーターの力に対抗する――つまり、ゼノアが人工幻獣をアシミレイトすることは、現状では出来ないはずです。それが可能なら、王都で黒騎士ではなく、自らの力を試したはずですから」
「あいつの研究は、まず黒騎士があって、それから人工幻獣っていう順番なのか」
 フェリオの質問に、セリオルは肯定で答えた。フェリオは溜め息をついた。やりきれない気持ちだった。
「黒騎士は、ゼノアにとっては手段のひとつです。人工幻獣を生み出し、自らアシミレイトするための、そこまでの研究を玉髄の座の幻獣たちに妨害されないための。神晶碑に私たちが張る結界は、それを張ったリバレーターにしか解除出来ないはずです。強引に破ろうとすれば、ジャボテンダー王の言っていた滅びの力が働くでしょう」
「でも、わかんないですよね。ゼノアは、どんな手に出てくるか……」
 サリナは不安に駆られていた。状況はどんどん悪い方向へ進んでいるように思える。
「よし、わかった」
 クロイスの声が響いた。サリナは顔を上げた。
 クロイスは、その表情に暗い怒りを滲ませてなどいなかった。サリナには、それが少し意外だった。
「これで俺にも、ゼノアをぶっ飛ばすちゃんとした理由が出来た。なんかこれまではただついてきてるだけみたいで、嫌だったんだ。あの化け物にゼノアが絡んでるってのも、なんとなくわかってた」
 クロイスはオーロラの名を呼び、幻獣をクリスタルへと戻した。紺碧のクリスタルは短剣型のリストレインに戻った。
「わかってたんですか」
 セリオルの言葉に、クロイスは大きく頷いた。頭の後ろで手を組み、彼は言った。
「良かったよ、ちゃんと言ってくれて。俺もゼノアの野郎を、きちっとシメてやんねーとな」
 クロイスはイロを呼び、その背に上がった。その彼に、カインが茶化しの言葉を投げかける。
「なんだなんだクロイス、お前、ちゃんと俺たちと一緒にいる理由が欲しかったんか。はっはっは。可愛いやつめ」
「うるせーバカ! さっさとチョコボに乗れよ。もうここにゃあ用もねーだろ!」
 カインは呵々と笑いながらチョコボに乗った。他の仲間たちも、笑いながらそれぞれのチョコボを呼ぶ。セリオルの弟を見るような微笑が気に食わなかったので、彼は大きな声で言った。
「ほら、さっさと道案内してくれよ、セリオル!」
「はいはい。それでは、戻りましょうか」
 セリオルが先頭でブリジットを走らせ、仲間たちがそれに続いていった。
 クロイスは泉を振り返り、呟いた。
「親父、お袋、こんなこと言うのも変だけど、ありがとな。俺、あいつらと行くよ。いつかまた、墓参りに来るから。待っててくれよ」
 イロが高く嘶き、紺碧の風となってマキナを駆ける。