第61話

 セルジューク群島大陸スペリオル州の北端に、イリアス港は存在する。マキナから戻ったサリナたちは、チョコボに乗ってイリアス港を目指していた。ベルントとはアールヴを発つ際に別れた。彼は別れ際にこう言った。
「皆さん、頑張ってください」
 そこで言葉を切り、一瞬の逡巡を見せた後、彼は続けた。
「エーヴェルト様がおっしゃっていました。皆さんは、王都の異変に関わりがあるに違い無い、と」
 その言葉にセリオルがさっと緊張するのを、サリナは感じた。ゼノアからの追っ手が迫った際のことを想像したのだろう。それを感じてのことか否か、ベルントはこう締めくくった。
「ご安心ください。皆さんはクロフィールの恩人です。何があろうと、皆さんにとって不利益なことを、エーヴェルト様はじめ、クロフィールの民は致しません。それどころか、我々は皆さんの闘いを、出来うる限り支援させて頂きます。お力になれることがあれば、いつでもクロフィールへお立ち寄りください」
 ひと息に言い終えて微笑むベルントに、他意は見当たらなかった。数日だったが、サリナは旅路を共にした、この誠実な男のことを信頼していた。さすがはエーヴェルトの従者だと、彼女はマナの扱いに長けた、あの不思議な魅力を持つ長老の顔を脳裏に浮かべた。
 アイリーンの背で広大な草原を進みながら、サリナはフェイロンの祖父母のことを思った。マキナ、“雨林の夕立亭”で、彼女はまた手紙を書いた。フェイロンから返事の手紙は届かない。ダリウやエレノアからすればサリナがその日どこのなんという宿に泊っているのかもわからないのだから、当然だった。
 でも、とサリナは思う。逆の立場だったら、彼女は家族のことが心配でならないだろう。セリオルが一緒とはいえ、命を懸けた旅だ。手紙を送ることで少しでもその思いが軽減されればと、サリナは願った。
 いつかフェイロンに戻ることが出来たら、めいっぱい祖父母孝行をしよう。アイリーンの手綱を握って、彼女はそう心に決めた。
「見えてきましたね」
 前方を指差して、セリオルが言った。地平線が見える。その先には青く横に伸びる、おおらかな水平線。その境目に、集落のようなものが姿を見せていた。

 セルジューク群島大陸と外界を結ぶ窓口。それがイリアス港である。王族をはじめとする一部の貴族や騎士を除いて、多くの民はこのイリアス港を使って外海を渡り、各地方自治区へと赴く。
「国王様たちは、どうやって海を渡るんですか?」
 港の詰め所から出て、アイリーンの手綱を引きつつ街を歩きながら、サリナはアーネスに尋ねた。アーネスはオラツィオの手綱を引いて歩きながら答える。港町はチョコボや騎鳥車、荷運びの男たちの往来も多く、通りは広い。
「飛空艇よ」
「え!」
 思わず大きな声を出して、サリナは口を押さえて周囲を見回した。幸いひとの姿は少なかった。
「私たちも、造ってもらってます。ロックウェルで、フェリオの先生のシドさんに」
「あら、そうなの?」
 アーネスの声は意外そうだった。無理もない、とセリオルは思った。一般庶民が飛空艇を保有するなど、通常では考えられないことだ。
「でも、何のために?」
「えっと……万一の時の備えって、セリオルさんは言ってましたけど」
 そう言って、サリナは前を歩くセリオルの背中を見た。セリオルは先頭を歩きながら、顔だけで振り返って言った。
「今の事態を予測していたわけではないですよ。ただ、ゼノアが座して我々の攻撃を待つのみとは考えにくかったので。逃亡された時に迅速に追うことの出来る足が必要ですからね」
「なるほど、そういうことね」
 セリオルの後ろを歩くアーネスは、顎に手を当てて相槌を打った。それに頷いて、セリオルは続ける。
「完成にはまだしばらくかかるでしょうね……先日の手紙では、チョコボたちのことも考えて、かなり大型にしてくれているみたいでしたから」
「え。セリオル、先生と文通してるのか?」
「……やめてくださいよ、文通だなんて」
 フェリオの言葉にげんなりした声でそう答えたセリオルに、サリナたちが笑う。そして後方から、いつもの賑やかな声が飛んでくる。
「おいおいおいおいセリオル! だめだぞそりゃあ! シドのおっさんはすげーズボラなんだ。あんなのと付き合ったら苦労するぞ!」
「え!? セリオルって、そうだったのか!? うわーちょっと、ゲンメツだなー俺!」
 やいやいとそんなことを言ってくるカインとクロイスに、サリナとアーネスは苦笑し、フェリオは頭を抱え、セリオルはもっと頭を抱えた。
「王都に着いた時点で状況報告の手紙を送っておいたんです。しばらく王都に滞在するのは見えていましたから」
「なるほど、セリオルとシドが……と」
 カインは左手のひらに右手の人差し指で何かを書く真似をした。セリオルは溜め息をついて額に手を当てる。
「私は乗ったことがないけど、遠征なんかで必要があれば騎士団も乗るわ。内乱の時には活躍したらいしけど、最近は必要が無いからってあまり使われないみたいね」
 それらの無意味なやり取りが終わるのを冷静に待って、アーネスがそう言った。
「王都の飛空艇はどこが管理してるんだ?」
 顎に手を当てて尋ねるフェリオに、アーネスは何の気無しに答える。
「国王府よ。使うには、確か6人の政務官の許可が必要だったはず」
 それを聞いて、セリオルは唸って足を止めた。国王府。王国の政治を司る行政機関である。貴族の代表である6人の政務官とその下部組織による合議制が採られており、彼らの仕事は国王の判断や執務だけでは到底処理しきれない、日々の膨大な国政業務を補佐することにある。
「今の王都の状態はわかりませんが……ゼノアが国王府を掌握していたら、厄介ですね」
「そうか。飛空艇を使われたら、他の神晶碑に先回りされる、か」
 隣に並んだフェリオに、セリオルは頷いて見せた。軽くかぶりを振り、彼は低い声で続ける。
「一刻も早く神晶碑と、聖のリバレーターを探し出さなければいけないというのに。歯がゆいですね、この状況は」
 勧業の街マキナ、“雨林の夕立亭”にて。水晶の泉から戻った直後、セリオルは次に取るべき行動を、仲間たちに相談した。
 すなわち残る神晶碑の確保と、聖のリバレーターを探すこと。そのいずれをまず選択するか、というものだ。
 神晶碑を守らなければ、ゼノアはいずれ世界樹へと侵攻する。しかし残る神晶碑のうち、聖の神晶碑だけは今の仲間たちだけでは守ることが出来ない。また、ゼノアは闇の力を操る。それに対抗するには、闇の力と対をなす聖の力が必要である。更にゼノアは、人工幻獣という得たいの知れぬ力まで手にしようとしている。戦力の増強は急務だ。
 それに、とその場に召喚されたサラマンダーは言った。瑪瑙の座の幻獣たちの多くは、サリナたちの力を試そうとするだろう、と。彼らはサリナたちが世界の行く先を託すのに相応しき者かどうかを、自らの目で見ようとするだろう。統一戦争の時もそうだった、とサラマンダーは締めくくった。
 瑪瑙の座の幻獣との戦い。それは厳しいものになるだろうと、サリナたち全員が感じた。碧玉の座のヴァルファーレやアーサーにも、あれだけの苦戦を強いられたのだ。例えばまた、アシミレイトを禁じられるかもしれない。そうなったとしても瑪瑙の座の幻獣たちを納得させるだけの力を付けなければならないのだ。
 そうした話し合いの末、彼らはまず、聖のリバレーターを探すことに決めた。手がかりはセリオルとアーネスが握っていた。リバレーターがどこにいるのかは見当も付かなかったが、リストレインの所在だけははっきりしていたのだ。
 それは今、辺境自治区エル・ラーダを治める貴族、ブルムフローラ伯爵家に保管されている。
 かくして一行は、外海を渡り、エル・ラーダ自治区へと赴くための足を求めて、イリアス港へとやって来たのだった。
 ――しかし。
「船が戻ってねえなんてなああああ」
 がっかりした気持ちを惜しみなくさらけ出して、カインが嘆いた。主人に同調して、ルカがクエーと力なく啼いた。
 港の詰め所で乗船の手続きを行おうと息巻いてカウンターへ向かったサリナたちは、職員の無愛想な断り文句に為す術も無く退散した。曰く、外海を渡ることの出来る船は既に出航し、数日は戻らない。
「まあ、よく考えれば王都があんな状況なのに、船が出ていることだけでもありがたいことだわ」
「船乗りの皆さんも生活がありますもんね」
 アーネスに相槌を打つようにサリナが言った。
 公的な役割を担う定期渡航船は、案の定運行を取りやめていた。王都からの指示が無くなったためだ。
 しかし商人や傭兵たちなど、外海を渡らなければ生計の立たぬ者たちを乗せる、非公式の船が出ているということだった。それはそうだろう、とサリナは思った。仕事が全て無くなったら、船乗りたちの家族はどうなるのだ。
 定期渡航船以外の私的な理由による渡航が禁止されているわけではない。非公式の船の存在が問題視されることは無いはずである。アーネスも、特に何も言わなかった。
「これからどうすんだー」
 クロイスがイロの背にうつ伏せに寄りかかり、やる気の無い声で尋ねた。それに答えるセリオルの声は、やはり明るくはなかった。
「うーん。どこか宿でも取るしか無いでしょうけど……」
 なんとかする方法は無いものでしょうか、と続けたかったセリオルだが、船が無いことにはどうしようも無いのは明白だった。さすがに今から船を造るわけにもいかない。
 全員が答えに窮する中、唯一口を開いたのはフェリオだった。
「なあみんな、どうせ時間が余るんだったら、行きたいところがあるんだけど」
「え、水晶の泉?」
 直後、カインの頭をかすめて飛んだ矢尻が、近くの木に鋭く突き立った。びくりとして固まったカインが、人形のようにぎしぎしと首をゆっくり動かし、矢尻の飛んできたほうを見た。
 イロの背にうつ伏せたまま、クロイスは顔を反対側へ向けていた。しかしその腕は、まごう事なき矢尻を投擲したままの姿を取っていた。
「お、おま、お前クロイスコラ! ああああぶねえだろうがてめえ!」
「うるさい死ね! 矢尻に刺されタコ!」
 がばとこちらを向いたクロイスは、怒髪天を衝く形相でカインを罵った。一瞬その勢いに後ずさりしかけたカインだったが、負けてなるものかと息を吸い込み、言い返す。
「お前コラ矢尻が俺に刺さるんだろうが! なんで俺が矢尻に刺さんだあほたれ!」
「いいから刺さってろノータリン! 垂直に刺され!」
「なんだそのレアワードはコラ! やる気あんのか!」
「何のやる気だよ……」
 サリナたちが笑う中、フェリオはやはり頭を抱えて溜め息を吐く。
「あははは。あーおなか痛い」
 目尻を押さえて笑うサリナに、フェリオは頬を緩めた。カインとクロイスのにぎやかコンビはうるさいが、サリナを笑わせるには最適だ。
「それで、行きたいところというのは?」
 セリオルが尋ねた。サリナから目を離し、フェリオはセリオルに答える。
「ここから東に行ったところに、資源の豊富な鉱山がある。その裾野に、アイゼンベルクっていう小さな村があるんだ」

 斜陽を背に受けて、チョコボたちは東へ進む。さきほど取った休憩で、チョコボたちは果汁の甘い果物と、鉄分を豊富に含む野菜を食べた。モグを呼んでデブチョコボに会いに行くと、チョコボの王様はアイリーンたちのための食べ物をたくさん用意してくれている。豊かな羽毛の中からぽこぽこと小さな野菜や果物を出し、それに景気良く翼で風を送るのだ。
「ほれお前ら、食え食え! ただし走れなくなるまで食うんじゃねえぞ。チョコボは走れなくなったらおしめえだからなあ!」
 まるきり走る様子の無いデブチョコボのそんな言葉に、サリナは楽しくなる。チョコボたちは栄養のある餌を食べ、第二の世界樹のマナを受けて羽を伸ばした。
 留守番をしてくれていたモグに礼を言って、サリナたちは再び草原を東へと進む。その道中、カインはずっと文句ばかり言っていた。
「嫌だ嫌だ嫌だ! 俺ぁ行かねえぞあんなとこには! 梃子でも動くもんか!」
 そんなことを言っているうちに、彼はフェリオとアーネスによってルカの背にロープで縛り付けられていった。気づいた時には、身動きひとつ取れなくなっていた。
「いやいやいや、はっはっはっは。おいおい。いやあの、動くもんかつってもだな、こういう意味じゃないんだぞ」
「はいはい」
 かくしてカインは、蓑虫のような姿でルカにへばりつき、起伏に富む丘を走るルカの背で、激しく揺られることになった。
「う。うえぷ。うえええぷ」
「はいどうぞ」
 セリオルがさっと出した薬を、カインはサリナに飲ませてもらった。酔い止めはたちどころに効果を発揮し、カインは再び毒づく元気を取り戻した。
「降ろせー! 俺をここで降ろしてくれー! あんな村、嫌だー!」
「ええいうるせえな! 往生際のわりい!」
 唯一動く足をばたばたとさせるカインの鳩尾に、クロイスの短剣の柄が垂直に振り下ろされた。カインは声も無く悶絶し、大人しくなった。
「うう。ひどい。人間じゃねえ。人間じゃねえよお前らなんか」
「カインさん、どうしたんですか? アイゼンベルクで、嫌なことあったんですか?」
「うう。サリナあああ。優しいのは君だけだなあああ」
 蓑虫姿でべそをかくカインに、アーネスが呆れた顔で溜め息を吐いた。サリナは困惑したまま、アイリーンの手綱を操った。
 その後もカインの愚痴はなかなか止まらなかった。そのうるささがピークを迎えるたび、クロイスによる鉄拳制裁が下されてカインはきゅうと呻いて黙った。しかししばらくするとまた復活するので、サリナはカインの不死身ぶりに改めて感心した。
「大体、何でフェリオの意見は通るのに俺の意見は通らねえんだよ。おかしくねえ? 俺、フェリオの兄貴なんだけど」
「貢献度の違いだろ」
「なにー! 俺、頑張ってると思うけどなー!」
 またしても始まったカインとクロイスの掛け合いに、フェリオが冷静な声を差し挟む。
「着いたぞ」
 そこは入り口に木のアーチが設けられた、小さな村だった。土造りらしい民家が並ぶが、これと言って目立った建物は無い。通りは石で舗装されているが、さほど整っているわけでもないようだった。
 入り口の看板にはこう書かれていた。“鉱床の村アイゼンベルクへようこそ”。
「悪夢。悪夢だ」
 げんなりした様子で呟く蓑虫は、ついにその動きを止めた。サリナはカインを心配したが、他の仲間たちはそうでもない様子で、黙々とそのロープをルカから外した。
「……おい、ちょっと、いくらなんでもひどくね?」
 地面に降りたカインは、そう言ってセリオルを見つめた。セリオルはその手にロープの端を握っている。それはカインに向かって伸び、その身体にぐるぐるに巻きつけられていた。
「どうしてです?」
 不思議なことを言う、とでも言いたそうな顔で、セリオルは言った。
「いやいやいやいやいや。どうしても何もあんた」
「ははは。冗談ですよ」
 セリオルはロープを解いてやった。久しぶりに自由になった腕をさすって、カインは呟いた。
「あながち冗談とも限んねえとこがこええ」
 サリナはカインの腕についたロープの跡を見て、回復の魔法を唱えた。白い光がカインを包み、腕と背中の痛み、それに疲れが消えた。
「サンキュー、サリナ」
「いえいえ。カインさん、大丈夫ですか?」
「ああ……うん、いや、大丈夫じゃない。心が泣いてる」
「う……。げ、元気出してください! ファイト!」
 両手を握り締めて応援してくれるサリナに、カインは静かに涙を流した。その肩に、アーネスの手が置かれる。
「頑張ってればいいことあるわよ」
「いやさっきも言ったけど、俺、けっこう頑張ってね?」
 しかしアーネスは何も言わずに、フェリオたちに続いて村へと入って行ったので、カインはやはり静かにしくしくと泣いた。サリナが背中をさすってくれて、カインは鼻水をすすった。
「……なんか、何も無い村だな」
 村の入り口にあったチョコボ厩舎にチョコボたちを預けて村へ入り、クロイスはそう感想を述べた。確かにアイゼンベルクは、これといった特徴が無い村に見えた。静かで、商店街も大きくはない。落ち着いた色の壁で囲われた建物は、無骨な印象を見る者に与えた。
「夜になるとうるさくなんだよ」
 サリナの小さな背中に隠れるようにしてこそこそと歩くカインが、後ろからそんなことを言った。
「ふうん……そんな風にゃ見えねーけどな」
 言いながら、クロイスは鼻をひくひくさせた。パンの焼ける良い匂いが漂ってくる。夕食の準備をしている家が多いのだろう。
「このあたりなんですか?」
 村の中心らしき噴水のある広場で立ち止まったフェリオに、セリオルが尋ねた。フェリオは小さくかぶりを振る。
「いや。そろそろ、帰って来る時間なんだ」
 そう言って、フェリオは村の奥に聳える山を指差した。威圧的な雰囲気の岩山だ。通りはその山へと真っ直ぐに伸びている。
「帰って来る?」
 オウム返しをして、サリナはフェリオの指差した先へと目を凝らした。カインがますます小さくなってサリナの背中に隠れようとしている。カインの恐れる何かが、近づいて来ているらしい。
「ううう。嫌だよー。もう帰りたいよー」
 子どものようなことを言う兄を見て、フェリオは鼻から息を吐き出した。
 やがて、山のほうからがやがやと威勢の良い男たちの声が聞こえてきた。声は次第に大きくなってくる。どうやら鉱山で働いていた男たちが、村へ帰ってきたらしい。
「お帰りー!」
 男たちが噴水広場へ入るころ、村中の家から子どもたちや女たちが出て来た。彼らは帰還した父や夫に駆け寄り、口々にその労をねぎらった。男たちは鉱山での肉体労働のためだろう、体中を汚していたり小さな傷を負っていたりしたが、皆快活な笑顔で家族の迎えを受けていた。男たちは揃って筋骨逞しく、よく陽に焼けている。
「一気に賑やかになったわね」
「ああ、こういうのは悪くねーな!」
 アーネスの言葉に、賑やかなのが好きなクロイスが相槌を打った。
 そうこうしているうちに、サリナたちを置き去りにして村人たちは宴の準備を始める。広場には子どもたちが木製の長椅子や大きなテーブルを家から運び出し、女たちがそれぞれの家庭特製の料理やパンを持ち出してきた。かぐわしい香りがあたりに立ち込め、旅疲れしているサリナたちの胃袋を刺激する。
「おい! お前フェリオじゃねえか!」
 美味そうな料理やパン、酒などに気を取られていたサリナの意識を、大きなだみ声が呼び覚ました。驚いて見回すと、自分たちのほうへ向かって恐るべき速度で歩いてくる長身の男がいた。
「こんにちは、おじさん。久しぶり」
「おうおうおうおう! 随分と久しぶりじゃあねえかおい! でっかくなったなあ!」
 男は背は高いが横幅はそれほどでもなく、引き締まった筋肉がシャツの下で盛り上がっているのがわかった。男の勢いに呆気に取られているサリナたちをよそに、男とフェリオは固い握手を交わす。
「おい、そんであのバカはどこだ?」
 獰猛な獣のような鋭い目で、男は周囲を見回した。そして彼は、サリナの後ろでこそこそしている赤毛を見止めた。目が合ったのだろう。自分の後ろでカインがびくりとするのを、サリナは感じた。
「てんめえカイン! 隠れてないで出て来やがれ! そんなちっこい子の背に隠れやがって!」
「ぎやああああ見つかったあああああああ!」
 大声で叫び、カインは一目散に逃げ出した。
「待てえええええええ!」
 広場で宴を始めかけていた村人たちも静まるような声で叫び、男はカインのあとを猛然と追いかけた。脅威の速度である。村人たちと一緒に、サリナたちも呆然としてふたりの後姿を見送った。
「す、凄いひとですね……」
 しばらくしてセリオルが呟いた。遠くで小さくなったカインが男に捕まり、脳天に拳骨を受けて動かなくなったのが見えた。
 一方、サリナはその様子をぽかんとして眺めながら、別のことで落ち込んでいた。
「ちっこい子って言われた……」
 人間たちの食べ残しにありつこうとしているのか、民家の屋根に留まったカラスが、カアと鳴いた。