第63話
アイゼンベルク鉱山の入り口は、大きく開いた洞窟のようだった。入り口は周囲の地盤よりも大きく掘り込まれ、陥没した穴の中に設けられている。すぐ傍には鉱夫たちが休むための小屋がいくつか並び、入り口に向かっては鉱石を運ぶためのトロッコのレールが敷設されている。 主に腕白な子どもたちへの対策のためだろう。場所によっては崖のように切り立っている陥没地の周囲には、容易には乗り越えることの出来ない柵が設置されている。唯一の入り口は鉄製の扉だが、こちらにも頑丈な錠があって簡単には入り込めそうになかった。 しかし今、鉄製の扉は大きく開かれ、そこを多くの村人たちが出入りしている。皆慌しい様子で、何ごとか大声で言葉を交し合う。 「落盤があったのは坑道の最深部だ。なんだが、どうもよくわからねえ。俺たちの知らねえ坑道が、いつの間にか出来てたとしか思えねえんだ」 駆けつけたサリナたちにそう説明したのはマルコムだった。彼は陽光を見事に照り返す坊主頭を撫で、理解出来ないことを強調した。 「坑道が勝手に掘られてたのか? なんも無いのにひとりでにできやしねえだろ」 カインが腕組みをしてマルコムと話す。だがマルコムは首を横に振るだけだった。 「正直言って何がなんだかさっぱりだ。落盤に気づいたのはそこの小屋で休んでた連中なんだけどよ、そいつらも入ってみて初めて、新しい道ができてるのに気づいたんだよ。当然俺を含めて他の鉱夫たちもそうだ。ジェフも驚いてたよ」 マルコムは小屋から持ち出したつるはしや梃子などの道具を担いで、坑道へ向かった。鉱夫ではない村の男たちも、それぞれに道具を持って坑道へ入っていく。落盤事故は村の主産業の行く末を左右する一大事だ。クライヴが巻き込まれたという情報が広がったこともあって、男たちは皆、深刻な表情で腕まくりをする。 「兄さん、行こう」 「……ああ」 スピンフォワード兄弟は切迫した表情で言葉を交わした。昨日は対立していたが、やはり幼いころから同じ村で育った従兄弟同士、クライヴのことが心配なのだろう。 「君たちは坑道に入ったことはあるんですか?」 入り口へ向かって大きな段差を下りながら、セリオルがスピンフォワード兄弟に尋ねた。ふたりは振り返りはせず、前を向いたままで答える。 「俺は無いな。ここは立ち入り禁止区域だったから。でも兄さんはあるんだろ?」 「俺にとっちゃ立ち入り禁止ってのは、立ち入ってくれっていう意味だからな。中のことは覚えてねーけど」 「典型的な悪ガキね」 呆れたような口調でアーネスがそう言うと、カインは短く笑った。その笑い声の調子はいつものカインと同じだったが、その短さがアーネスは気になった。やはり焦っているのだろう。 坑道の入り口は、鉱夫たちでごった返している。中から出てきて他の鉱夫たちに何事か伝えている者、手押し車で瓦礫を運び出す者、道具を持って入っていく者。トロッコに乗って瓦礫の山と共に出て来た鉱夫は、仲間たちに大声で中の様子を伝える。 「すぐそこの岩盤が緩んでる! 落盤するかもしれねえぞ!」 その言葉に、その場の全員に緊張が走る。鉱夫たちを手伝う女たちからは悲鳴が上がった。トロッコの後から、何人もの鉱夫たちが走り出てくる。 サリナたちは入り口へ駆け寄った。しかしそれを見止めた鉱夫たちによって、彼女らは足止めされてしまった。 「おいお前ら! 何する気だ!」 数人の鉱夫たちが立ちはだかり、サリナたちを睥睨する。先頭に立つカインは、その男たちに大声で怒鳴り散らした。 「クライヴを助けに行くんだよ! 邪魔すんじゃねえ!」 しかし鉱夫たちは、その鍛え上げられた肉体がサリナたちを止めるための盾ででもあるかのように、両腕両脚を広げる。カインが苛立ちに舌打ちをする。 「今の聞いてなかったのか! この入り口近くで落盤が起きるかもしれねえんだ!」 「お前、ルーカスんとこのカインだろ。そっちはフェリオか。これ以上肉親を失いたくねえ気持ちはわかるけどな、お前ら自身の命を粗末にしようとするんじゃねえ!」 その言葉に、カインは奥歯を噛み締める。気持ちだけが逸る。自分たちの力なら、いざとなれば落盤くらい大したことはない。しかしそれを説明しても、鉱夫たちは理解しはしないだろう。鉱夫たちを気絶させて進むことは簡単だろうが、そんなことをしたくはない。……そうだ、セリオルの魔法で眠らせてしまえばいいんじゃねえか? カインがそう結論付けて、セリオルに目配せをしようとした。その時だった。 「みんな逃げろ! 坑道の中に魔物が出た!」 そう叫びながら、マルコムが中から走り出てきた。 彼の言葉に、大きなどよめきが走る。かつてアイゼンベルク鉱山に魔物が現れたことなど、一度も無かった。坑道の中に出るのはせいぜいが虫の類や、臆病なもぐらたちくらいのものだ。ひとを攻撃する魔物など、出はしなかった。 マルコムはカインたちに気づいたものの、陥没地付近にいる村人たちにも危機を伝えるため、急いで走り去って行った。 サリナたちは互いを見合わせ、頷きあった。経緯はわからないが、魔物が出たとなれば自分たちが対処するのが最善だ。彼らはそれぞれの武器を構え、なお立ちはだかる鉱夫に向き合った。 「そこどけよ。俺たちはこれまで、色んなとこで強力な魔物と戦ってきた。あんたらにゃ荷が重いだろ」 しかしカインのその言葉は、鉱夫たちによって一笑に付された。 「何を言ってるんだお前は。そんな細い腕で、しかも女子供も混じった連中に何が出来るってんだ。ええ?」 「いいからお前たちは大人しくしてろ。鉱山のことは俺たちが一番よく知ってるんだ。それより瓦礫を運ぶ手伝いをしてくれねえか?」 そう言って取り合わない鉱夫たちの後ろ、ぽっかりと開いた坑道の暗闇に、サリナはいくつもの小さく光るものを見つけた。仲間たちもそれに気づいたようだった。鉱夫たちは背中を向けていて何も気づかない。 サリナたちはさっと散開した。鉱夫たちがその動きに首を捻る。 奇怪な声とも音ともつかない、研磨された石同士がこすれるような不快な音が、いくつも発生した。驚いた鉱夫たちが振り返る。女たちの悲鳴があがる。 入り口から飛び出してきたのは、鋭い岩が変化したような、特異な姿の魔物だった。人間の子どもくらいの身長で、人型である。奇怪な声をあげて、魔物は鉱夫たちに襲いかかろうとした。鉱夫たちが自分を守ろうと腕を掲げる。 風のマナを纏った矢が何本も飛来する。力強い矢は、風の力で岩の魔物の身体を削った。続いて銃声が何度も起こり、弾丸が荒々しく魔物を穿つ音が響く。更にたおやかなベルの音とともに土煙の刃のようなものが宙を飛び、魔物の身体を痛めつけた。 「魁風よ。天より降り来る風神が戒めなりと仰せし暴威――エアロ!」 渦巻く翠緑の風が魔物の群れを翻弄する。風は岩を削る力となって、魔物たちを粉砕する。 「青魔法の陸・ロックスパイク!」 そして空中に現れた岩の錐が、魔物たちを正確に貫いた。魔法の岩と魔物の岩がぶつかり合い、それぞれに砕けて地に落ちる。 それらの攻撃にも耐え、傷付きながらも着地した岩の魔物たちを、真紅の竜巻が襲う。 サリナの攻撃は圧倒的だった。微量のマナを乗せた鳳龍棍は、真紅と黄金に仄かに輝いている。しかしその量のマナでも、傷付いた魔物たちに追い討ちをかけるには十分だった。 だが以前のサリナなら、魔物の硬い表皮に手を焼いただろう。エーヴェルトの施したマナの解放は、サリナにとってきわめて有益だった。 回転とともに鳳龍棍が舞い踊る。その輝く棍の軌跡が、鉱夫たちには雄々しき龍のように見えた。龍のうねりは魔物たちを粉々に打ち砕き、後には瓦礫だけが残った。 「サリナ、マナの量を調節出来るようになったんだな」 攻撃を終えたサリナに、フェリオが声を掛ける。サリナは頷いた。 「うん。ちょっと練習したんだ。毎回倒れてたら、逆に迷惑になっちゃうから」 「そうか。いい手だな、今のは」 たった今終えた戦闘がなんでもないことであったかのように、サリナとフェリオは平坦な調子でそう話した。その姿に、鉱夫たちは呆然とした。 サリナたちは再び集合し、鉱夫たちの顔を見た。屈強な肉体を誇る男たちは、ばつが悪そうに頭を掻いたり顎を撫でたりしている。 「あー、まあ、なんだ」 鉱夫のひとりが明後日の方向を見ながらぽつりと言った。それをきっかけにして、他の鉱夫たちも口を開く。 「いや、悪かった! 正直見くびってた」 「カイン、フェリオ、お前らいつの間にか、えれえ強くなってたんだなあ!」 「こりゃもう、クライヴのことはお前らに任せるしかねえな! がっはっは!」 調子良くそんなことを言う鉱夫たちに、サリナたちは苦笑した。 その時だった。 びしり、と、坑道の中から嫌な音が聞こえてきた。サリナたちも鉱夫たちも、揃って坑道の闇の奥へと目を凝らす。 「こ、こりゃやべえ」 走ってきたマルコムがぞっとしたような声で呟いた。顔が青ざめている。 「おい! 全員この場から離れろ!」 マルコムが大声で呼びかける。鉱夫たちも女たちも、一斉に走り出した。サリナたちも警戒を解かずに、入り口から離れる。 「落盤するぞー!」 マルコムが走りながらそう言い終わるか終わらぬかというところで、轟音とともに坑道の入り口が崩壊した。補強のために施されていた鉄板をものともせずに、鉱山の岩盤は崩れ落ちた。 「クライヴー!」 カインが叫ぶ。最悪の事態だ。中にはまだ、クライヴとジェフが入ったままだ。原因不明だが、魔物も出現している。入り口は閉ざされた。これでは救出しようにも、瓦礫を撤去することだけで大幅に時間を取られてしまう。 一方で、彼らは明日にはイリアス港に戻らなければならない。そろそろ船が帰港するはずだ。この機を逃せば、次はまた何日も待たされることになるだろう。そんな余裕は、彼らには無いのだ。 「くそ! 幻獣の力、使うしかねえか」 カインは、その声に出来れば避けたいという響きを滲ませていた。坑道の奥で何があるかわからないからだ。 「でもこれ、リバレートぐらいじゃないと壊せねえんじゃねえか?」 クロイスは塞がった入り口をうんざりした顔で指差した。その言葉に仲間たちが呻く中、セリオルは眼鏡の位置を直しながらマルコムに尋ねる。 「坑道の高さが正確にどれくらいあったか、わかりますか?」 「あん?」 妙なことを聞く、という心情をあからさまに顔に表して、マルコムは首を捻った。周囲に他の鉱夫たちも集まってきて、彼らは簡単な協議の結果、崩落した入り口に積み上がった瓦礫の、ある箇所を指差した。 「あの苔の生えたでかい岩のあたりだな」 「わかりました。ありがとうございます」 セリオルはサリナを見遣った。それに仲間たちと鉱夫たちも倣う。 サリナは、瓦礫から少しの距離を取った場所で、両目を閉じて精神統一を図っていた。やがて光の円陣が彼女の足元に現れる。サリナは目を開いた。立ち昇るマナの陽炎が、その色を真紅へと変じていく。 鉱夫たちからどよめきが起こる。カインやクロイス、アーネスが心配そうな顔で目配せをする。頷いたのはセリオルとフェリオだった。ふたりはある種の確信に満ちた顔で、サリナを見つめている。 鳳龍棍が真紅と黄金に輝く。その美しき棍で空を切り裂き、サリナはファンロン流武闘術天の型の構えを取る。人々は固唾を呑んでそれを見守った。 真紅の少女が地を駆ける。脅威の瞬発力。全身のバネで、サリナは瓦礫の山をいとも容易く駆け上がる。 そして彼女は高く跳躍し、鋭い回転と共に鳳龍棍を苔の岩に、裂帛の気合とともに叩き付けた。 鋭い音が響き、岩は砕け散った。鉱夫たちが驚愕の声を上げる。サリナは続いて、岩の上に積みあがっていた瓦礫が崩れるのを、次々に破壊した。上の岩が無くなれば、仲間たちが坑道へ入るのに十分な広さになるまで、瓦礫の山を崩していった。 かくして坑道の入り口が再びその姿を現し、サリナは鳳龍棍をさっと振ってマナを散らした。熱が引くように、マナが拡散する。 村人たちから歓声が上がる中、仲間たちがサリナへ駆け寄った。また倒れるのではと心配したためだが、それは杞憂に終わる。 くるりと振り返って、サリナはにこりと微笑んでみせた。あの膝から力が抜けるような様子は見せない。 「練習の成果です!」 誇らしげに、サリナは仲間たちに向けてピースサインを作って見せた。笑いが起こる。カインが少女の頭をわしゃわしゃとやった。 「はっはっは。サリナちゃん、やるじゃねえの! ひと知れず練習してたんだなあ!」 「えへへへ」 賞賛の言葉に顔を少し赤くするサリナに、アーネスが少々意地悪な顔で言葉をかける。 「あら、私は知ってたわよ」 「え!」 動揺した様子のサリナに、アーネスは更にこう言った。 「見られないように稽古してたのよね、宿であえて私よりゆっくり起きて」 「いや、それは、たまたまというか……ただの寝坊です……」 赤面して俯くサリナに、クロイスは呆れたような顔を向ける。 「お前、ほんっとによく寝るなあ。子どもかよ」 「ううう」 そのやりとりににやにやしたのは、やはりカインだった。彼はクロイスの頭を帽子の上から、さきほどサリナにやったのと同じ具合でわしゃわしゃとやった。 「ガキんちょにガキんちょって言われるこたぁねえよなあ、サリナ!」 「だあれがガキんちょだコラぁ! 帽子崩すんじゃねえよ!」 「わっはっはっは! 悔しかったら追いついてみろーい!」 「あ! てめえ逃げるなよおい! 待てー!」 カインがひょいひょいと瓦礫を上り、坑道の中へ入っていった。鉱夫たちが戸惑って掛けてくる声を一切無視して、クロイスがそれを負う。サリナたちは苦笑を漏らしながら、にぎやかコンビの後に続いて坑道へと入っていった。 後には圧倒的な能力を見せ付けられ、ぽかんと口を開いたままの村人たちが残された。 クライヴが無事かどうか、何の保証も無い。ジェフにしてもそうだ。魔物が出現した坑道で、彼ひとりで安全を確保出来るとは考えにくい。 |