第64話

 魔物が手ごわくなっていくのを、サリナは感じた。不思議だった。見た目はこれまでの魔物たちと何も変わらないのに、明らかに攻撃力やマナの威力、防御力、俊敏性などが高まっている。人型の岩の魔物が繰り出した鋭い一撃をかろうじて回避して、サリナは冷や汗を垂らした。
「ストリング・マリオネート!」
 カインの能力は仲間たちを大いに助けた。坑道を進むにつれて力を増していく魔物たちの何割かは、彼らの味方となってその力を振るってくれた。カインの操る銀の糸が、サリナに攻撃を仕掛けた魔物を捕らえた。魔物は大人しくなり、カインに付き従うようにして傍らを歩く。
「獣ノ箱も補充できて、俺、嬉しい」
 カイン本人はほくほく顔である。岩の魔物たちは、獣ノ箱に適しているものが多かった。特に、相手にすると最も厄介だった小型の飛竜型の魔物を捕らえた時、カインは歓声をあげた。
「なあ、なんか壁の色が変わってきてねえ?」
 走りながらふと気づいて、クロイスが誰にともなく呟いた。仲間たちは足を止めて、周囲を見回す。
「確かに」
 相槌を打ったフェリオは、坑道の壁に近づいて触れた。ひんやりした岩の感触。
 坑道の中は、全体的に白っぽく、その色を変化させていた。すぐには気づかないくらい徐々に、壁は白さを増してきていた。振り返って来た道を見つめ、フェリオはそう感じた。
「マナが、濃くなってきてます」
 サリナの声には警戒心が強く表れていた。セリオルは首を傾げた。何かに気づいた気がした。それが何なのかを気づかせてくれたのは、アーネスだった。
「この岩……もしかして、強いマナを持ってる?」
 岩に触れて、彼女はそう呟いた。卒然として、セリオルは彼女を見遣った。風水のベルがひとりでに揺れている。僅かではあるものの、美しい音がこぼれる。それを見て、セリオルは確信した。
「ここは、もしかしたらマナストーンの鉱床なのかもしれません」
「マナストーンの?」
 サリナは小首を傾げる。マナストーンにしては、坑道の岩からは炎や風といったマナを感じない。だが確かに、彼女の感覚が告げるものと、セリオルの指摘は一致するようにも思えた。
「でもよ、何のマナだってんだ?」
 カインはわからないといった様子で、意味もなく鞭を振って風切り音ばかりを鳴らせる。
「うるせえなあ。って危ねえし!」
 鞭が弾いた小石が目の前に飛んできて、クロイスは慌てて飛び退いた。
「はっはっは」
「はっはっはじゃねえよ」
 笑ったまま鞭を止めようとしないカインの膝の裏をクロイスが蹴る。カインがガクンと姿勢を崩して、鞭がようやく止まる。
「……これ、もしかしたら」
 にぎやかコンビのいつものじゃれ合いを無視して、フェリオは岩壁を観察していた。そして彼は、ひとつの仮説に行き着いた。
「力のマナストーン、か?」
 サリナ、セリオル、アーネスの3人が、驚いたような声をあげた。力のマナストーン。これまで、まだ目にしたことのなかったマナストーンだ。力のマナは他の属性マナと一体化することで、その威力を増大させる。マナそのものから、炎や風のマナのような流動的な力を感じないのも当然と言えた。
「なるほど。ありえますね」
「でもそうだとしたら、かなり大きな発見になるんじゃない?」
 アーネスのその指摘に、フェリオが大きく頷く。
「王都でバーナードさんから聞いたけど、力のマナストーンは、発見数が少ないらしい。これがもしそうだとして、ここがその新しい鉱床だったら、アイゼンベルク鉱山はまた賑やかになるかもな」
 サリナは昨日のジェフの言葉を思い返した。鉱山の主力だった、鉄と銅が涸れつつある。このままではアイゼンベルク鉱山は、閉山になる――。
「もしかして……クライヴさんが?」
 ほとんど確信に近い感覚で、サリナはその名を口にした。それにフェリオが頷く。
「かもな」
「おほん!」
 後ろで、カインがわざとらしい咳払いをした。仲間たちの視線を集めておいて、彼はこう言った。
「はっはっは。素直じゃないやつめ」
「わざわざそんなことして言うことか?」
 クロイスの冷淡な言葉を、カインは髪をかき上げてさらりとかわした。
「ふっ」
 サリナが笑い、セリオルとアーネスが苦笑する。フェリオとクロイスはやれやれと手を上げてみせた。カインはまたしても髪をかきあげた。
「なあフェリオ」
 再び坑道を走って進みながら、クロイスがフェリオに話しかけた。フェリオがクロイスのほうを見ると、青毛の少年は腕組みをして何かを考えているようだった。
「ん?」
「マナストーンってことはさ、採掘出来たらボックスにセットして使えるように加工出来るか?」
 その質問に、フェリオは唸った。ある程度の期待を持っていたのだろう。クロイスは見るからに落胆した表情を浮かべた。
「出来ねーのか?」
「やってみないとわからないけど、力のマナストーンは扱いが難しいんだ。それに、仮に出来たとしてもそのまま矢尻や弾丸に纏わせても、あまり意味が無い」
「ええー」
 残念そうな声を出してうなだれ、しかしすぐにクロイスは顔を上げた。
「でもフェリオがアシミレイトした時、力のマナの塊撃ってねえ? あれ、かなり強いと思うんだけど」
「ああ、まあ幻獣の力ぐらいの強力なマナなら、それだけで攻撃することも出来るよ。けどマナストーンくらいの小さなものだと、そこまで大きな効果は望めないな」
「そうか……残念だなー」
 わかりやすく落胆した声のクロイスに、フェリオは苦笑する。クロイスは顔を上げて、むったした表情でフェリオを見た。
「あんだよっ」
「いや、ごめんごめん。まあでも、ボックスはストーンを3つセット出来るようにしてあるからな。少し手を加えれば、属性マナを力のマナで強化して射出することは出来るかもしれない」
「え! それいいじゃん!」
 瞳を輝かせる――と言っても松明の炎しか光源が無いので大した輝きではないが――そう言うクロイスに、フェリオは付け足して言った。
「ま、仮説だけどな。そもそもこれが本当に力のマナストーンかどうか、まだ確証も無いし」
「いーや、俺は信じてる。信じてるぜ、フェリオ!」
「いや俺を信じられてもな」
「ねえ、盛り上がってるところ悪いけど、おふたりさん」
 前を進むアーネスが、振り返ってふたりに声を掛けた。
 いつの間にか、坑道の壁はかなり白さを増している。表面には光の粒が現われ始めていた。力のマナストーンなのかどうかはまだ判然としないものの、何らかのマナを内包していることはもはや疑いようが無かった。
「サリナが何かを感じたみたいよ」
「え?」
 フェリオは前に立つ武道着の少女を見た。彼女は肩幅に脚を開き、じっと動かない。何かを考えているようにも見えたが、この正体不明のマナを探っているのだろうと、フェリオは推測した。
 少しの沈黙の後、サリナは口を開いた。
「……たぶん、そこを曲がった先に、強力な魔物がいます」
 空気の温度が急激に下がったかのように、全員の意識が張り詰める。
 サリナが指差したのは、前方をしばし進んだ先の曲がり角だ。そこから先は、ここからでは目視することは出来ない。
「強力な魔物って……でもここ、元は魔物なんて出なかったんでしょう?」
 アーネスがスピンフォワード兄弟に尋ねた。ふたりはそれに、頷いて答える。
「鉱夫の皆も言ってたけど、俺も聞いたことねえな」
「もし魔物が出てたら、とっくに閉山してただろうし」
 彼らは一様に、腕組みをして唸った。
 アーネスが疑問を呈したのは、魔物のいなかった場所にそれが突然現われ、しかもサリナが強力と称するほどのものにまで成長しているということが信じがたいからだ。だが、考えていても仕方が無い。彼らはともかく、クライヴとジェフを救出しなければならないのだ。
「落盤の現場、まだ奥なのかなあ」
 魔物の気配の源へと走りながら、サリナは呟いた。壁はますます白くなっていく。その色は、徐々に白から銀色へと変わりつつあった。力のマナが宿っていることは、もはやほぼ疑いようが無い。
「もっと正確な場所を聞いておけば良かったな」
 相槌を打つようにフェリオが言った。彼の声には焦りが滲んでいた。もし落盤がクライヴを直撃していたら、彼の命がそう長くもつとは考えにくい。ジェフの姿が見えないのも気にかかった。魔物に襲われて、どこかで動けなくなっているかもしれない。フェリオは奥歯を食いしばって走る。
 やがて彼らは、サリナが示した曲がり角へたどり着いた。いまや魔物の気配は、サリナでなくとも感じられた。あの奇怪な、岩と岩のこすれるような鳴き声が聞こえる。それも小型の魔物たちのような甲高いものではなく、腹の底から湧き上がるような力強い声だ。
「準備はいいですか?」
 曲がり角の壁に背中を貼り付けて、セリオルは仲間たちに呼びかけた。頼れる仲間たちは、それぞれに頷いて答える。
「行きましょう!」
 サリナが声を掛け、彼らは曲がり角へ一斉に飛び出した。壁は銀灰に輝いている。力のマナを秘めた魔物が姿を見せるのを、フェリオは予想した。
「――クライヴ! おっさん!」
 しかしそこにいたのは魔物ではなく、崩壊した銀灰色の岩盤の下敷きになったクライヴとジェフの親子だった。ふたりとも、傷だらけである。カインとフェリオを先頭に、サリナたちはふたりのもとへと走った。
「おい、クライヴ! しっかりしねえか!」
「おじさん! 大丈夫か!? どうしておじさんまでこんなことに!」
 ジェフは崩れた岩盤の隙間で、かろうじて意識を保っていた。彼はうつ伏せに倒れたまま、全身の力で首を持ち上げ、苦しげな表情で口を開いた。
「お前ら、こんなとこに、何しに来やがった」
「何って、助けに来たんだろ」
 カインの言葉に、ジェフはかぶりを振った。彼はあたりを気にしていた。その目が、傍らで仰向けに倒れ、意識を失っているクライヴへ向けられる。
「清浄な癒しの光の降らんことを――ケアル!」
 クライヴのそばで、サリナが回復の魔法を詠唱する。白い光が溢れ、倒れたクライヴの身体を包む。光が治まるころ、クライヴのまぶたがぴくりと動いた。
「クライヴ!」
 ジェフが息子の名を呼ぶ。それに応えるかのように、クライヴはゆっくりとその両目を開いた。
「クライヴ! 無事か!」
 カインがその上半身を抱え上げ、従兄弟に声を掛ける。クライヴはそのカインの顔を見て、状況を悟ったようだった。自嘲するように、小さな笑いとともに息を吐く。
「こんなとこでお前らの世話になるなんてな」
「うるせえバカ。とっとと帰るぞ。今、岩どけてやるからよ」
 カインはそう言って、クライヴを再び横たえさせた。立ち上がる赤毛の従兄弟に、クライヴはそれでも皮肉を込めた口調で言う。
「バカはお前だろ。こんなもんどうやって動かすんだよ」
「いいから黙って見てろよ」
 カインは仲間たちに目配せをした。彼の信頼する仲間たちはそれぞれに頷き、リストレインを取り出した。
「お前ら、早く逃げろ! ここはやばい。でかい魔物がいるんだ! そいつが暴れるせいで、俺もこのザマだ。ここにいたら殺されるぞ!」
 サリナたちを下からほとんど睨みつけ、ジェフはそう警告した。
 その声に応えるように、ジェフとクライヴにのしかかる瓦礫の向こうから、低い足音のようなものが聞こえてくる。坑道が微細に振動する。カタカタと、足元の小石が揺れる。
 クロイスはぽりぽりと頭を掻いた。
「いやわかってるっつの、そんなこと」
「……あん?」
 ぽかんと口を開けて、ジェフはクロイスを見上げた。彼の目には貧弱に映る小柄な体躯の少年は、その手に紺碧色の短剣を持っている。あんなもので、あの巨大な魔物と戦おうとでも言うのか? その愚かしさに、ジェフは笑いそうになる。
「弾けろ、俺のアシミレイト!」
 しかし彼の笑みは生まれ切ることなく、中途半端な状態でその顔に貼り付くことになった。紺碧の光が少年の短剣から溢れる。そしてその中から出てきた少年は、不思議な鎧に身を包んでいた。
「だからそいつをぶっ飛ばすんだろ」
 クライヴはクロイスを見つめていた。何が起こったのか、理解出来なかった。不思議な鎧を纏った少年の肩に、カインが手を置く。その顔には、にやりと不敵な笑みが浮かんでいた。
「わかってんじゃねーか、クロイス」
「ったりまえだろバカ」
 にべもなく答えるクロイスに、カインのこめかみに青筋が立つ。
「誰がバカだバカコラ。もっぺん言ってみろ」
「いいから早くアシミレイトしろよバカ。もうそこまで来てんだろ」
「だから誰がバカだっつんだよこのカバ」
「カバって」
 いつものやりとりに苦笑しつつ、サリナは左腕を掲げる。ひとまずはジェフとクライヴの無事がわかって、カインもほっとしたのだろう。本当に良かったと、サリナは思った。あとはこの瓦礫と、どうやら近づいているらしい強敵を退けるだけだ。
「輝け、私のアシミレイト!」
 掲げられたリストレインから、真紅の光があふれ出す。篭手状のリストレインは光の中で変形し、サリナを守る鎧となる。
「渦巻け、私のアシミレイト!」
「轟け、私のアシミレイト!」
 続いて、翠緑と琥珀の光が現われる。瓦礫の破壊にも、魔物の撃退にも、幻獣の力が必要なのは明白だった。光は周囲の銀灰の壁に反射し、眩く煌く。
「お、おい、お前さんら、一体なにをしてるんだ?」
 呆気にとられたジェフの問いかけに、サリナは彼が苦しくないようにとしゃがみ、視線を合わせてにこりと微笑んだ。
「安心してください。私たちが、何とかしますから」
「あ、安心っつわれてもだな……」
 迫る魔物の足音に怯えながら、ジェフはそう戸惑いを口にする。
「入り口に集まってた村の皆が、俺たちを行かせたんだ。その意味を考えてくれないか」
 フェリオは落ち着いた声でそう言って、銀灰に煌くホルスターを掲げた。ジェフは納得がいかないことを表す声で唸った。クライヴは、ただ黙って状況を見つめている。
「集え、俺のアシミレイト!」
 銀灰色の光が溢れる。銀灰の坑道にあって、その光はいつも以上に輝きを増しているように、サリナには見えた。周囲のマナストーン鉱床から、力を得ているのだろうか。
「俺たちが助ける。黒騎士に比べたら、こんなもん屁でもねえよ」
 不敵な笑みのまま、カインは獣ノ鎖から紫紺のリストレインを取り外した。それを掲げ、彼は叫ぶ。
「奔れ、俺のアシミレイト!」
 紫紺の光が膨れ上がる。神々しいその光の中でリストレインは変形していく。カインはイクシオンの力を纏った。パチパチと大気の爆ぜる音。
 そしてその時、徐々に近づいていた足音の主が、ついにその姿を瓦礫の上に現した。
 岩と岩のこすれるような奇怪な声が響く。坑道を震わせる咆哮。ジェフがびくりとして、振り返ろうと首を伸ばす。クライヴは苦しそうな顔で、その姿を視界に収めていた。
 それは全身を銀灰色に輝かせ、左右4つずつの不気味な目を真っ赤に染めた、巨大な蜘蛛のような姿の魔物だった。蜘蛛はサリナたちを獲物と見たか、興奮したように不快な咆哮を続ける。
「力のマナストーンから生まれた魔物……と考えるのが妥当でしょうね」
 眼前でうごめく奇怪な魔物を、セリオルは分析する。力のマナストーン。小型の魔物たちが徐々に手ごわくなってきていたのも、それが原因なのだろう。
「これも、マナバランスの崩壊が一因なんでしょうね」
 バッファリオンやブラッディローズ、マキナ島でのことなどを思い返し、セリオルは唇を噛む。手をこまねいていられる事態ではない。このままでは、いつ凶暴化した魔物たちが人間の街や村を襲いに来るか、わかったものではない。
「止めましょう、アイゼンベルクのために!」
 サリナの言葉に皆が頷くのと同時に、大蜘蛛の魔物は瓦礫の山を駆け下りた。騒がしい音とともに、醜悪な銀灰の蜘蛛が迫る。
 左右に飛び退って、サリナたちはその突進を回避した。同時に、それぞれの攻撃が放たれる。
「魁風よ。天より降り来る風神が戒めなりと仰せし暴威――エアロ!」
「青魔法の弐・震天!」
「来たれ風の風水術、音波の力!」
 風の力を持った黒魔法、青魔法、風水術が魔物を襲う。翠緑のマナは荒れ狂う風神と化して、魔物の岩石のような甲殻を削ろうと迫る。
 ――サリナは目を疑った。
 3人による風の攻撃は、確かに魔物に命中した。しかしそれは、大蜘蛛に痛手を与えたというよりは、むしろその身体に吸収されたように見えたのだ。
「なにっ!?」
 セリオルが驚きの声を上げる。彼の放った烈風の魔法は、確かに魔物の8本ある脚の1本に命中した。しかしそのマナは、魔物の脚の中で、渦を巻いて停滞している。
「あれは……」
 フェリオはその様子を、目を凝らして見つめた。見たことがあるような気がした。銀灰の身体に吸い込まれるマナ。次第にそれは、輝きをましているようだ――
「そうか!」
 右手に握る長銃を、彼は見た。リストレインの鎧によって、彼の手と一体化したように、その銃身に銀灰の金属を纏う銃。
「みんな、逃げろ! あれは俺の、魔法銃と同じだ!」
 その言葉に衝撃が走る。即座にサリナが詠唱に入った。
「守護の鎖。我等に加護を、マナの精霊――シェル!」
 緑色の鎖が彼らを包み、マナの攻撃を軽減する守りとなる。サリナは続けざまに、堅守の魔法も詠唱した。金色の光が生まれ、ダメージを無効化する盾となった。
 大蜘蛛の翠緑の輝きが高まり、そしてついにその力は解放された。
 増幅された風のマナは、恐るべき威力を見せ付けた。敵を沈黙させるはずの力が、自分たちを苦しめる暴力となって襲いかかった。
 セリオルはかろうじて、強化された烈風の魔法を回避した。風の力は銀灰の岩壁にぶつかり、そこに大きな亀裂を生じさせる。
「やれやれ。ただでさえ落盤を起こすほど不安定だというのに」
 それを見て、セリオルはぞっとして言った。今また落盤が起これば、自分たちもただでは済むまい。早急にこの厄介な魔物を退治しなければ。
「フェリオの銃と同じだったら、マナが全部効かないっていうことなの?」
 荒れ狂う風によって巻き上げられ、飛来するつぶてを回避しながら、サリナが叫ぶ。だが視界の端で、フェリオは首を横に振ってみせた。
「属性マナはだめだ! 無属性のマナで攻撃してくれ!」
「そういうことなら……」
 呟いて、セリオルは懐から薬品を取り出した。石化を解除する金の針と、邪悪な存在を排除する聖水。左右の手にそれぞれの薬品を持ち、彼は唱える。
「魔の理。力の翼。練金の釜!」
 彼の手の中で光が生まれる。それらを胸の前で合わせ、ひとつの聖なる力と化して、セリオルは魔物に向けて突き出した。
「レソリュート!」
 光の粒が宙を飛び、魔物へと向かう。しかし魔物は素早い動きで、それを回避した。光の粒は銀灰の岩壁にぶつかり、それを分解した。
 魔物は咆哮を上げてセリオルに襲いかかった。舌打ちをして、セリオルはその場から跳躍する。魔物の巨大な前足が銀灰の岩をえぐる。
「青魔法の壱・マイティブロウ!」
 その隙を、カインが突いた。彼の詠唱した青魔法は巨大な銀色の拳となって、魔物の横っ腹を叩き伏せた。大きな衝撃に、魔物から奇怪な声が漏れる。
 更にそこへ、サリナの怒涛の連撃が叩き込まれる。少女はマナを解放していた。鳳龍棍にマナを纏わせ、真紅の風となって魔物へと迫る。
 岩をも砕く威力の乱撃。鳳龍棍が、そして少女の手足が、マイティブロウのダメージによろめいた魔物に、嵐のように襲いかかった。甲殻が次々に破壊され、瓦礫となって飛び散る。
 そのひとつが、クライヴの目の前に落ちた。サリナたちの戦いを茫然と見ていた彼は、眼前に転がったその石を見て、目を見開いた。
「これは……やっぱり、これは天狼玉か!?」
 その声に、ジェフが息子のほうを見た。興奮した様子の息子に、彼は言葉を投げかける。
「クライヴ。お前、もしかしてそれを見つけるためにこんなことを?」
 彼の声は低く、重かった。しかし彼の息子は、その声に込められた感情に気づくことなく、ただ歓喜に震える声で口走る。
「ああそうさ! どうだ、これでアイゼンベルクは救われる! 俺の功績だ!」
 ぼろぼろになっって動きを止めた魔物から離れ、サリナはクライヴを振り返った。手も足も動かず、瓦礫の山からようやく顔だけを出した青年は、ただ嬉しそうな声をあげている。そのそばで、彼の父親は両目を閉じていた。無念さが、そこには滲んでいた。彼は目を開き、サリナたちに向かって叫んだ。
「お前ら! そいつは天狼玉っつー鉱石の塊だ! 力のマナストーンの一種で、おっそろしいマナ吸収力と再生能力を持ってるぞ!」
 その言葉にぞっとして、サリナは魔物へ顔を向けた。自分の攻撃で、腹部に大きなくぼみができている。その下には、崩れ落ちたこぶし大の石が転がっている。
 突如として、魔物のその傷口が輝いた。地に転がる銀灰の石も同じ輝きを放つ。
 そしてあろうことか、落ちた石が浮き上がり、再び魔物の腹部として合体していった。魔物は咆哮を上げて立ち上がり、素早い動きでこちらを向いた。信じがたいことに、さきほどよりもひとまわり、その身体は大きくなったように見えた。周囲の天狼玉の鉱石を、同時に吸収したようだった。
「め、めんどくせーやつだな!」
 心底嫌そうなクロイスの声に、サリナたちは同時に頷いた。
 岩と岩のこすれるような不快な猛りを上げて、魔物が再び坑道を走る。