第65話
自分の鎧と同じ銀灰色に輝く魔物を、フェリオはよく観察した。天狼玉と、ジェフは言った。力のマナストーンの一種で、マナ増強能力と再生能力を併せ持つ。それだけを聞くときわめて有用で、各地の自警団や王国軍もこぞって欲しがりそうな代物に思える。硬度も申し分無い。 だがそれが命を宿したこの大蜘蛛は、きわめて厄介な相手だった。状況を打ち破る策を見出そうと、フェリオとセリオルは接近戦の出来る4人に戦いの場を任せ、少し引いた場所で考えを巡らせていた。 4人は手を焼いている。属性マナを使うと危険なので、クロイスとアーネスはほとんど手が出せないでいた。マナを解放し、サラマンダーのものではなく自らのマナを纏って戦うサリナと、無属性の青魔法や獣ノ箱を操るカインを、クロイスとアーネスが敵を引き付けたり守りに入ったりとサポートしている。 戦況は思わしくない。魔物を仕留めるところまでの攻撃力は発揮出来ず、加えて魔物は傷を回復する度にその力を少しずつ増していった。 「セリオルさん、フェリオ! いい手は無いですか!?」 切迫した声でサリナが叫ぶ。マナを纏った鳳龍棍での回転撃を繰り出して魔物の動きを止め、少女は後ろのふたりを振り返った。 「このままじゃ、いずれやられちまうぞ!」 自分で攻撃出来ないこともあってか、クロイスの声は苛立っていた。これまでにもやりにくい相手とは何度も戦ってきたが、今度の魔物は特別だった。 「確かに、このままではまずいですね……」 眉間にしわを寄せて、セリオルは呟いた。もしもここで彼らが敗れたら、魔物は坑道から出て、アイゼンベルクの村を襲うだろう。そうなれば甚大な被害が出る。それを想像して、彼は脳裏に浮かんだその光景を払おうと、頭を振った。 「おじさん、天狼玉ってどういう鉱石なんだ?」 彼に比して冷静な声で、フェリオがしゃがんで自分の伯父に尋ねた。セリオルは気づいた。フェリオは、天狼玉という鉱石の特徴から、魔物を攻略するための糸口を探ろうとしている。 「さっき言ったじゃねえか。力のマナストーンの一種で、おっそろしいまでのマナ吸収力と再生能力を持ってる。かなり価値の高え希少鉱石よ」 ジェフはフェリオのほうは見ず、早口でまくし立てるようにして言った。彼は魔物を見つめていた。悔しそうな顔だった。 立ち上がって、フェリオは従兄弟の顔を見た。瓦礫の中から顔を出して、クライヴは懸命に魔物を見ようと首を捻っていた。先ほどまでの興奮した様子とは異なり、彼の顔には恐怖の表情が刻まれていた。 フェリオは従兄弟のその顔を見て、ほんの一瞬だけ目を閉じた。彼の心が伝わってきた。 「あくまでも、マナストーンの一種なんだな」 目を開き、フェリオは伯父に確認した。ジェフは今度はフェリオを見上げ、不思議そうな顔で頷いた。 「ああ、そうだ」 「わかった。ありがとう」 フェリオは立ち上がった。セリオルがこちらを向くのが視界の端に入る。 「策は見つかりましたか?」 魔導師の問いかけに、フェリオは黙って頷いた。セリオルがほっとした表情を浮かべる。 「天狼玉はマナストーン。ということは、マナ吸収量にも限界がある。カインナイトの熱吸収量に限界があるのと同じだ。限界以上のマナを受ければ、天狼玉は崩壊するはずだ」 「……なるほど。無属性マナで攻撃するのではなくて、属性マナを一気にぶつけて崩壊させるわけですか」 セリオルは眼鏡の位置を直した。彼はフェリオの作戦に、一か八かの賭けになる予感を感じていた。 「ポイントは、一点突破にすることだ」 考え込もうとしたセリオルの耳に、フェリオの怜悧な声が飛び込んだ。顔を上げて、セリオルは少年を見た。フェリオはじっと、サリナたちが手を焼く大蜘蛛を見つめていた。 「一点突破?」 「やみくもにマナをぶつけてもこっちのマナが減るだけだし、崩壊させ切るだけのマナをぶつけられるかわからない。だから一箇所に集中してぶつけるんだ。再生される前に天狼玉の身体を崩壊させて、命を司ってるはずの核を叩く」 セリオルは少年の策に舌を巻いた。ここへ来るまでの小型の魔物たちとの戦いの中で、フェリオはあることに気づいていたのだ。それを悟って、セリオルはこの聡明な少年の、観察力と洞察力の鋭さに改めて感心した。 フェリオが気づいたこととは、岩石の魔物たちがその身体に隠していた、“核”の存在だった。サリナのマナを纏った攻撃によって撃破された魔物を見た時、セリオルはそれに気づいた。魔物の身体の中心に、ごく小さな、赤熱したような金属の粒が存在していた。攻撃を受けて倒れた魔物は、元の岩石に戻る際にその粒を露出させ、瞬時にその色を失った。 そういえば、とセリオルは振り返る。あの色を失った金属の粒は、銀灰色をしていた。フェリオはそれに気づいていたのだ。あの赤熱した天狼玉の粒が、魔物たちの命となったマナの結晶なのだと。 「だからセリオル、まずは――」 フェリオが言い終わる前に、黒髪の魔導師は杖を構え、マナを練り上げた。 「迸れ、大気を焦がす稲妻よ――」 それを見て、フェリオは唇の片方を吊り上げる。彼は銀灰の銃をセリオルの前に差し出した。 「さすが、わかってるな」 「その身で受けよ、雷帝の抱擁――サンダラ!」 激しい雷撃が銀灰の銃に迸る。その轟音に、仲間たちが驚いてこちらを向く。その仲間たちへ、フェリオは叫んだ。 「さっきサリナが破壊した、そいつの横腹をこっちに向かせてくれ!」 その銀灰の銃が紫紺のマナを湛えているのに、サリナたちは首を捻った。属性マナは、増幅して撃ち返されるから危険だったんじゃなかったか? 「そいつはマナストーンの塊だ。カインナイトと一緒で、吸収できるマナの量には限界がある! だから一点集中でマナを吸収させて、限界点を突破させる! 天狼玉を崩壊させるんだ!」 口早に説明して、フェリオは大蜘蛛に銃口を向けた。折悪しく、坑道のどこかで落盤でも起きたか、岩盤が崩れるような大きな音が響いた。伝わってくれ。彼は願った。しかし前線の4人は落盤らしき音に、ここは大丈夫かと天井をさっと見回しただけだった。魔物を狙いやすくさせるための言葉を交わしたようには見えなかった。 先走ったか……・ クロイスが素早い動きで、魔物の前へ出た。大蜘蛛の目を自分に向けさせ、その隙にサリナたちに攻撃させようというのだ。クロイスはマナを纏わない矢を数本放った。鋭く空を切り裂いて、矢は魔物の目を狙う。 その攻撃を、魔物は頭を振って回避した。矢は魔物の銀灰の甲殻に命中し、ばらばらと地に落ちた。クロイスはしかし、にやりと笑ってみせた。 大蜘蛛の触肢を、アーネスの剣が斬り飛ばした。節の部分を狙った鋭い斬撃だった。銀灰の触肢が宙を舞い、大蜘蛛が奇怪な叫びを上げる。 そこへ真紅の風が舞い込んだ。マナを解放したサリナは、陽炎のように立ち昇るマナを鳳龍棍へ伝え、それを構えて神速の打撃を魔物の側頭部へ加える。彼女のマナは銀灰の天狼玉を砕き、魔物に大きなダメージを与えた。 「青魔法の壱・マイティブロウ!」 そこへ更なる追撃として、巨大な銀色の拳が襲いかかった。傷付いた側頭部を大きな力で殴打され、魔物はたまらず、よろめいて倒れた。 その結果として、大きく膨れた横腹は、フェリオの正面に位置することになった。 「よお、これでいいか? フェリオ」 一時的に動きを止めた魔物に片足を載せて、兄がフェリオに顔を向けた。サリナ、クロイス、アーネスも同様だった。 その得意そうな顔に、フェリオは小さく溜め息をついた。そしてにやりと笑い、銀灰の魔法銃の狙いを定めた。 「ほんと、頼りになるよ」 「当たり前だろ!」 こちらへ向けて握りこぶしの親指を突き立てる兄を視界に捉えながら、フェリオは銃の引き金を引いた。 力のマナによって増幅された、強力な雷撃が銃口から放たれる。紫紺の槍は銀灰の坑道を走り、一瞬の後に魔物の横腹を穿った。 魔物が奇怪な叫びを上げる。マナは魔物の腹に吸収された。そこへ、サリナが炎のマナを飛ばす。猛襲の火炎弾が、雷撃と同じ箇所に命中する。魔物はやはり苦悶の声を上げる。痛みに抵抗しようと、大蜘蛛の脚がうごめく。 「捕縛せよ。自由を奪う毒蛾の燐粉――パライズ!」 セリオルによる捕縛の魔法が魔物を襲う。魔法はすぐに効果を表した。きちきちと岩でできている口を動かすことしか、魔物には出来なくなった。 カインが雷を、クロイスが氷を、アーネスが岩を、魔物に向けて飛ばす。皆が全力でマナを放出する。その色鮮やかな攻撃は銀灰の壁に反射し、クライヴとジェフの目に煌いた。 「火柱よ。怒れる火竜の逆鱗の、荒塵へと帰す猛襲の炎――ファイラ!」 火炎の魔法が銀灰の銃によって増幅され、恐るべき高温度の炎が放たれる。多くのマナを吸収した大蜘蛛の腹部に、火炎が炸裂する。 びしりと大きな音を立てて、腹部にひびが入った。そこが起点となり、天狼玉の一部が砂の塊が崩れるように崩壊した。 「やった!」 サリナが歓声を上げる。 「まだよ。まだ甲殻を破壊したにすぎないわ。さっきあなたがやったのと、まだ何も変わってない」 琥珀のマナを纏う剣を正面に構え、アーネスは油断の無い声でそう言った。サリナは少し恥ずかしそうにし、すぐに鳳龍棍を構え直した。 「霜寒の冷たき氷河に抱かれし、かの冷厳なる氷の棺よ――ブリザラ!」 氷塊の魔法が増幅されて放たれる。紺碧のマナは、甲殻の崩れた腹部に更なる攻撃を加える。甲殻が再生する前に、核の存在する深部にまで攻撃を到達させなければならない。 炎、雷、氷、岩、そして各種属性の増幅された中級黒魔法。それらが嵐のように、代わる代わる大蜘蛛に襲いかかる。マナは吸収されるものの、撃ち返されることは無かった。 魔物は時折、抵抗するように脚を動かしてサリナたちを攻撃しようとした。しかしそれは、サリナの攻撃とアーネスの守りによって回避された。 「魁風よ。天より降り来る風神が戒めなりと仰せし暴威――エアロ!」 風の渦が魔物に放たれる。それは大蜘蛛の、最後の守りを破壊した。銀灰の砂となって崩壊した天狼玉の後ろに、赤熱する拳大の塊が見えた。 「爛れの塵、不浄の底の澱となり、死へ至らしめる熱病を生め――バイオ!」 緑色の液体のような塊が、セリオルの杖から放たれた。それはフェリオの銃には向けられず、直接大蜘蛛の核へと飛んだ。赤熱する金属に到達すると、その魔法は核を侵食するように溶かしながら浸透していった。それがよどの激痛なのか、魔物が自由の利かない身体ながら、その脚を懸命に動かそうともがいている。 「病毒の魔法……破壊と毒を同時に与える魔法です」 「恐ろしい威力だな……」 セリオルが眼鏡の位置を直すのを視界の端に捉えながら、フェリオは相槌を打った。それから彼は、改めてセリオルに顔を向けた。 「セリオル、頼む」 「ええ」 フェリオは仲間たちに、その場から離れるように警告した。それに反応して、サリナたちは素早く魔物から離れた。 「リバレート・ヴァルファーレ! シューティング・レイ!」 翠緑の光が膨れ上がる。セリオルのリストレインから分離したクリスタルが、光の中で巨鳥ヴァルファーレへと変貌する。それを目にして、ジェフはいよいよ我が目を疑った。さきほどからの戦い自体も自分の理解を遥かに超えていたが、今目の前で起こっていることに、彼はいよいよ夢でも見ているのかと思い始めた。 ヴァルファーレの嘴から、収束された金色の光線が放たれる。いつもは無数の光線が放たれるが、今はそれらが1本にまとまり、太いマナの光線となって魔物の核を直撃した。 大蜘蛛が断末魔の声を上げる。ようやく捕縛の魔法が解けたらしい。だがもう遅かった。 ヴァルファーレの力は核を破壊した。膨大な量のマナを注ぎ込まれた大蜘蛛の核に、びしりと大きなひびが入る。そして次の瞬間、限界を迎えた天狼玉がはじけ飛ぶようにして、粉々に砕けた。 大蜘蛛の脚、目、腹、背。あらゆる部位が、それぞれの節の部分を境にして分解していった。銀灰の天狼玉の塊は地に転がり、マナを失って砂となった。それを確認して、サリナたちはアシミレイトを解除した。 「はーやれやれ。疲れたなこりゃ」 腕をぐるぐると回し、カインは溜め息をついた。 「ほんとですね。やりにくかった〜」 両腕をだらりと下げてジェフたちのほうへ歩きながら、サリナもその声に力は無かった。戦いの間中、ずっと休まず動き回っていたのだ。疲れも無理は無かった。 「あとは瓦礫の撤去ね。ジェフとクライヴを助けましょ」 「ったく、世話の焼けるやつらだぜ」 憎まれ口を叩きながら、クロイスはアーネスと並んで歩いた。頭の後ろで手を組む。引っ張られた二の腕の筋肉が悲鳴を上げている。 「とりあえず、あらかたの岩は俺がどけるよ」 唯一アシミレイトを解除しないままの姿で、フェリオが近くへ来た仲間たちへ向けて言った。サリナはクライヴが軽口を叩いてくるかと思ったが、もはや彼はすっかり大人しくなってしまっていた。 「リバレート・アシュラウル! ドライヴ・ラッシュ!」 銀灰の光が現われる。クリスタルが分離し、巨大な白銀の狼がその姿を現した。力の幻獣、アシュラウル。彼は咆哮すると銀灰の力に満たされた坑道を一瞥し、瓦礫へ向いて地を蹴った。フェリオがその背に飛び乗る。 力のマナの巨大な塊となったアシュラウルとフェリオは、瓦礫の山を破壊した。天狼玉の鉱石も、力のマナは吸収しなかった。大半の瓦礫が吹き飛ばされる。 サリナたちは力を合わせて瓦礫の撤去を行った。やがてジェフとクライヴは救出された。ふたりとも骨折をはじめ、大小様々な怪我を負ってはいたが、サリナの回復の魔法で大部分は治癒し、命に別状は無かった。 自分の家の居間で、ジェフはテーブルに額をこすりつけていた。その左隣では、妻のシンディも神妙な表情で頭を下げている。 |