第7話

  その砦には正面入り口と裏口、ふたつの出入り口がある。正面入り口には見張り役の男が2名、交代で張り付いている。彼らのそばには砦内部に警報を鳴らすための小型の銅鑼が設置されている。銅鑼の裏には銅鑼を支えるための木の支柱があるが、風が吹くたびに銅鑼が支柱にぶつかってなかなかの音を出すというお粗末なつくりのため、警報としての意味合いがやや薄れつつある。
 今、裏口の扉が静かに閉じられた。砦内部にサリナたちは侵入した。なぜか裏口の警備は手薄で、簡単に入り込むことができた。この出入り口の存在が外部に漏れることは無いと、野盗たちが高をくくっている証拠だった。
 砦内部に窓は無かった。外部からの侵入を警戒してか、窓を設置する技術が無かったのか。いずれにしても外に出歩いた野盗に注意する必要は無く、通路の曲がり角から現れる者や部屋から出て来る者に気を払えばよかった。内部の視界は広い。壁に設置された多数の松明が明かりとなっていた。
 そこここの部屋から漏れ聞こえてくる野盗たちの声からは、士気が充実している様子が伝わってきた。どうやらユンランに夜襲を仕掛ける者と砦に残る者は、野盗全員の半数ずつ程度になるようだった。
「しかし――」
 セリオルが小さな声で言う。
「思った以上に、大所帯ですね」
 今回の騎鳥車襲撃事件より以前、野盗の噂など耳にしたことは無かった。ユンラン、フェイロンのどちらの側で事件が起こったとしても、その話はすぐさまハイナン島全体に広まるはずである。野盗は少なくとも2,30人はいるように思われた。これだけ大所帯の無法者集団が、何の事件記録も残さぬままここまで成長しだはずは無い。
「大陸から渡って来たってことか……」
 カインのその言葉に、フェリオがはっとしたように顔を上げた。
「オリハルコンの噂がこいつらを呼んだのか?」
「可能性はあるな。少なくともこの時期に大陸から来たってのは、どうも出来すぎだ」
 オリハルコンとは統一戦争の時代よりもはるか以前に存在したとされる金属で、現存するあらゆる金属よりも硬く、空気よりも軽い物質だという。そのため空中に放置すると、空へ向かって浮き上がっていくという不思議な性質を持っている。ハイナン島に未発見の鉱物が存在するという噂が、大陸に広まっていた。それはフェリオが発見した新鉱石だったのだが、噂に尾ひれがついて、オリハルコンが発見されたという話になってしまったのだ。
 フェリオの説明を聞いて、サリナは素直に感嘆した。フェリオが発見したのがオリハルコンではないにせよ、それだけの噂になるということは、かなりの大発見だったのだろうと思った。フェリオにそう伝えると、彼は照れ隠しのように「そんな大したことじゃない」と言ったが、セリオルの「学会発表が楽しみですね」という言葉が全てを語っていた。
 そんなサリナたちのやりとりに背を向けて先頭を歩き始めたフェリオの目の前で、扉が開いた。思いがけない称賛の言葉に動揺していたフェリオは、一瞬だが反応が遅れてしまった。野盗は夜襲に行くメンバーだったのか、その手に刀身の湾曲した刃物を握っていた。
 しまった――そう思った時には、野盗は侵入者に向かって刃物を振り上げていた。
 一陣の風が舞い込んだかと思うと、甲高い金属音と鈍い打撃音が響き、野盗は倒れた。野盗の刀を弾き飛ばし、当て身で気絶させたのはサリナだった。揺れる松明の炎に照らされているためだろうか。フェリオには彼女の周囲に陽炎のような空気のゆらぎが見えたような気がした。
「大丈夫ですか?」
 こちらを振り返らずにそう言ったサリナに、フェリオは生返事をするばかりだった。それを確認したサリナは、武器を手に襲いかかろうとしていた、その部屋の目撃者たちの相手をすべく部屋に突入した。
 まさに圧倒的だった。
 ユンランの裏門では暗かったこともあり、フェリオはサリナの戦いをほとんど目にしていなかった。松明に照らされた部屋で見たサリナの戦いは、突風が案山子をなぎ倒すがごとく一方的だった。体重の軽さや筋力の不足を補うため、彼女は四肢を軽やかに操って回転しながら戦った。右腕に巻きつけるようにして握った棍は、彼女の体の一部であるかのように自在に舞い踊り、野盗たちを打ちつけた。フェリオはただ、逃げ出そうと扉に向かってきた男をひとり、長銃のグリップで殴っただけだった。
 カインとセリオルが走って来た。戦いの声を聞きつけて、他の野盗たちが次々に集まって来ていた。
「うたかたの火炎よ現れ燃え盛れ――ファイア!」
 振り返りながらセリオルが炎の魔法を放った。現れた炎の玉は数人の野盗を蹴散らした。
 ふたりの向こうに、何人か倒れた男たちが見える。セリオルはうんざりした表情だったが、カインは楽しそうだった。もともと、この兄は騒ぎを起こすのを好むところがある。
「行くぜ! おもしろくなってきた!」
「作戦が台無しじゃないですか……行きますよ、サリナ、フェリオ」
「うん!」
 カインの楽しそうな様子につられたように、セリオルとサリナも笑い顔を作っていた。サリナの強さの衝撃がまだ冷めないフェリオは、一行のしんがりを務めることになった。

 野盗たちの頭は単純である。ユンランへの偵察に、村人に溶け込もうというわけでもなく武器さえも携えて来たこと。砦のつくりが極めて単純で侵入すれば簡単に内部を把握できること。内部に侵入者がいるにも関わらず、正面入り口ので誤作動した警報装置にほとんどのメンバーが殺到したこと。これらの事実から推測される野盗たちの知能の程度はかなり低いと、セリオルは考えた。
「ということで、首領のいる場所がわかりました」
「どこだどこだ」
 階段を駆け上がりながらセリオルは断言した。
「最上階です」
 砦2階は思ったよりも広く、3階へ上るための階段を探すのに苦労した。わらわらと襲いかかってくる野盗たちは4人それぞれがそれぞれになぎ倒した。途中、セリオルの放った炎の魔法が木造の壁にぶつかり、火の手が上がりかけたが、直後にセリオル自身が氷の魔法で炎の効果を打ち消し、一行は胸を撫でおろした。
 ようやく見つかった階段を駆け上がると、最上階には広い部屋がひとつあるのみだった。扉を押し開けると、真っ先に目に入ってくるのは大きなクローゼットだった。たたまれていない衣類が絡まり合ったり一部がクローゼットから飛び出していたりのまま、乱雑に押し込まれている。その他巨大な姿見鏡や大きな箱に詰め込まれた山盛りの宝物類、動物や魔物の毛皮や剥製、大ぶりの刀剣類などが床なり壁なりに無造作に並べられている。また、部屋の中央壁際には巨大な天蓋付きのベッドが綺麗に整えられて置かれている。
 そして部屋のほぼ中央――革張りのソファに、常軌を逸した巨躯に隆々とした筋肉を纏った男が座っていた。
「なんだお前たちは」
 男は座ったまま、傲然とそう尋ねてきた。低くしゃがれた声。座った状態でもサリナの目線より少し下に頭がある。一目で、サリナは判断した。この男は危険だ。
「騎鳥車で奪った荷物を返してもらいます」
 セリオルが告げた。彼にしては珍しいことに、額から汗が一筋流れ落ちた。
「ああ? 聞こえねえなあ」
 言いながら、首領の男は立ち上がった。天井が高くて良かった、と場違いなことをサリナは思った。
 似会いすぎることに、男は凶悪な鉄の塊を持ち上げた。棍棒である。
「ハウリング・ウルフ!」
 腰に吊るした獣ノ箱を男に向け、カインが叫んだ。青白い炎のような姿の大きな狼が出現し、咆哮を上げて男に襲いかかった。獰猛な牙をむき出しにして躍りかかった狼だが、驚異の速度で振り下ろされた棍棒によって、霞のようにちりぢりに消え失せた。
 だが狼の影から火球が現れ、男に炸裂した。狼の咆哮にまぎれて呪文を詠唱したセリオルの魔法だった。轟音を立てて着弾した炎だったが、男が腕を一振りするだけでかき消されてしまった。男の腕は少し焦げていたが、まったく意に介さない様子だ。
 フェリオの長銃が火を噴いた。動きを封じるための掃射だった。しかし革に見えた男の履物は、どうやら鉄製だった。跳弾が木の床や壁にめり込んだ。
「足跡を辿るならば目を凝らせ――スニーク!」
 サリナが魔法を唱え、カインが男との距離を詰めた。彼は取り出した鞭をしならせて男に打ち付けるべく振り上げた。
「幻視せよ。汝に私は映らない――インビジ!」
 カインの鞭は確かに男を打ったのだが、セリオルの魔法と同じく効果が無かった。獣の皮でも簡単に破る鞭である。この男の肌は何でできているのかと、カインは理不尽さを感じずにはいられなかった。
 男が動いた。その巨体からは想像もつかないほど、俊敏な動きだった。棍棒の一撃がカインを襲った。彼は一度はそれを回避したものの、返す刀での攻撃を受けてしまった。カインの体は壁まで吹き飛ばされた。
 フェリオが叫び声と共に男の心臓を狙って引き金を引いた。立て続けに、彼は銃弾を撃ち込んだ。しかしそのいずれも、男がもう一方の手で瞬時に持ち上げた鉄板によって防がれてしまった。鉄板の影から男が飛び出し、フェリオは長銃ごと巨大な拳に殴り倒された。
 男の背後から、彼の首筋に向けて振り下ろされる攻撃があった。魔法によって姿と足音を消したサリナだった。野盗たちをなぎ倒した攻撃が、容赦無く男の急所を襲った。攻撃は的確だった。しかし男の頑丈さがそれを上回った。彼はサリナの棍を掴み、彼女の身体をセリオルへと恐るべき速度で投げつけた。次なる詠唱を開始していたセリオルは無防備な状態で、かなりの速度で飛んでくる人ひとりの体重を受け止めることになった。
 その場が静かになった。立っているのは野盗の首領だけだった。彼は棍棒を床に置き、ソファに腰を下ろした。
「勢い良く入って来た割にゃあ――弱えな」
 彼は片づけた侵入者を外へ放り出すべく、部下を呼ぼうと呼び鈴に手を伸ばした。

挿絵