第70話

 長い腕が4本ある白毛の猿のような魔物を斬り捨てて、アーネスは息をついた。その者の親衛隊でもあるかのごとく、その強力な魔物たちはアーネスたちに襲いかかった。
「汚らわしい魔物め。この森の王にでもなったつもりか」
 騎士隊長の口調で、アーネスはその者にルーンブレイドの切っ先を向けた。仲間たちも、それぞれに魔物を打ち倒して立ち上がる。彼らはそれぞれに傷付いていたが、重傷を負った者はいなかった。
 サリナはその者の姿を見た。漆黒の厚い法衣に身を包み、その手には長いトネリコの杖を持っている。杖はその上部に大きな宝玉が埋め込まれ、大きな魔力を秘めているようだ。法衣の下には悪趣味な血の色の鎧を身に付けている。
 長身である。その双眸は切れ長に開き、しかし人の目とは異なる、黄色く濁った目である。瞳は邪悪な縦長の、爬虫類のものだ。口は耳まで裂け、そこから鋭く短い無数の歯が覗く。舌は細く、長い。しゅるしゅると音を立てて蠢くその紫色の舌に、サリナは嫌悪感を覚える。
「クックック……」
 魔物は武器を構え、自分に攻撃を仕掛けようとするサリナたちを睥睨し、不敵にも笑って見せた。それはまさしく嘲笑と呼ぶべき、不愉快な笑いだった。
「なあにを笑ってやがるトカゲ野郎」
 高山飛竜の鞭を構え、カインは口の端を吊り上げる。彼はいつでも動き出せるよう、全身の筋肉を緊張させた。彼は考えていた。あいつは強力な魔力を持っている。そしてトカゲの魔物は、総じて素早い。こちらを魔法と動きで撹乱してくるだろう。そうはいくか。
「貴様ら、あのか弱い幻獣を救いに来たのか」
 ガラガラと喉から空気が抜けるような声で、魔物は人語を操ってみせた。通常はありえないことだ。少なくともクロイスは、これまでに言葉を話す魔物を目にしたことは無かった。彼は弓を構えた。鋭く飛ぶ天狼玉の矢を番える。矢尻にはマナストーンは宿さない。まずは様子見を、と彼は考えた。
「気色わりいやつ」
 そう呟いたクロイスの声に心の中で同調し、シスララは槍を構える。得たいの知れない相手だ。ただの魔物の身でありながら、幻獣を封じたという。特異なマナを宿した存在か、あるいは余程強力なマナを操る者なのか。いずれにしても、危険な敵であることには変わり無い。
「幻獣様は、どちらにいらっしゃるのです?」
 鋭い声で、シスララは詰問した。彼女の目とソレイユの目が、油断無く魔物を睨む。
「あれか? あれは、私が封じたと言っただろう。ほれ、ここにな」
 魔物は、まるでその視線がそよ風ででもあるかのように意に介しもせず、淡々とした声で答える。そして魔物は、法衣の懐からひとつの球体を取り出した。
 純白に煌くその宝石のような球体を、サリナたちはよく知っていた。
「馬鹿な……」
 アーネスは言葉を失った。それは紛れも無く、幻獣が化身する神なる石、クリスタルだった。
「クック……クフ、クハハハハハ」
 ガラガラとした不快な声が笑う。サリナは全身の肌が粟立つのを感じた。神を封じたというのは、嘘でなかった。魔物の手にあるその純白のクリスタルは、聖の幻獣に間違い無かった。
「シスララ」
 傍らで槍を構えるシスララに、サリナは低い声で話しかけた。シスララは魔物から目を離さぬまま、意識だけをサリナに向ける。サリナはそれを感じ取り、警告した。
「あれが幻獣なの。ほら、このサラマンダーと同じ」
 サリナは左手首のリストレイン、そしてサラマンダーのクリスタルをシスララに示して見せた。シスララは素早く目だけを動かして、それを確認した。真紅のクリスタル。リバレーターが幻獣の力を借りる時、輝く光を放つという神秘の宝玉。確かに、シスララにも魔物の手の中の純白の球体が、それと同じものに見えた。
「あの中に、幻獣様が……」
「うん。助けよう、幻獣を」
「ええ」
 サリナが地を蹴った。彼女は一直線に魔物へと走る。シスララは跳躍した。ソレイユの力を借り、高く舞い上がる。サリナの後ろからクロイスの矢が雨のように飛ぶ。矢はサリナを追い越し、魔物へと襲いかかる。
「甘い」
 魔物は腕を振るった。するとさきほど殲滅した猿のような魔物が、何体も現われた。空中に、その魔物たちは忽然と現われ、奇怪な叫び声をあげながら地に降り立った。
 クロイスの矢は魔物たちを屠った。邪悪な魔導師は猿の魔物を盾にでもするかのように、次々に空中から呼び出した。クロイスが大きく舌打ちをする。
「甘えのはお前だ」
 響いたのは、カインの声だった。彼は腕を振り、その指先から銀色のマナの糸を生み出した。
「ストリング・マリオネート!」
 糸が伸び、白猿の魔物たちを捕縛する。魔物たちは動きを止めた。カインが人形を操るかのように腕を動かすと、魔物たちは踵を返し、不気味な魔導師と対峙した。
「ぶちかませ! ストリング・アンサンブル!」
 銀色の糸をカインのマナが伝い、魔物たちに指令を送った。魔物たちは鬨の声をあげて地を駆ける。
 それを追い抜く真紅の疾風があった。サリナは魔物の影から飛び出し、鳳龍棍に渾身の力を込めて魔導師に攻撃を仕掛けた。
 魔導師は杖を上げた。見えない力に弾かれるように、サリナは迎撃された。彼女の軽い身体は、その衝撃に白い下草の上を転がる。肺の中の空気が搾り出される。
「サリナ!」
 アーネスが駆け寄ってくる。彼女の手を借りて、サリナは咳き込みながら立ち上がった。不思議だった。自分を迎え撃ったあの力は、一体何だろう?
「大丈夫?」
「はい、ありがとうございます」
 その間に白猿の魔物たちが、魔導師に攻撃を加えようと迫った。自らに歯向かう手下どもを、魔導師は汚いものでも見るような目で睥睨する。魔物たちは4本の腕を絡ませ、長く鋭い爪を合わせて魔導師に突撃した。それはまるで、白く醜い錐が幾本も放たれたような光景だった。
「凄い。カインさん、あんな複雑な命令が出来るようになったんですね」
「お母さんの図鑑から手に入れた知識で編み出したって言ってたわ」
 言い置いて、アーネスは魔導師に向かって駆けた。剣を構え、彼女は許されざる者へ制裁を加えるため、白い大地を走る。
「片腹痛いわ」
 魔導師は邪悪な光の宿る瞳で、猿たちへ杖を向ける。その先端の宝玉が妖しく光る。
「火柱よ。怒れる火竜の逆鱗の、荒塵へと帰す猛襲の炎――ファイラ」
 その呪文をセリオル以外の者が詠唱するのを、サリナは初めて聞いた。魔物たちの足元から、巨大な火柱が上がる。火炎の魔法。一度の詠唱で、邪悪な魔導師はそれをいくつも放った。猿の魔物たちが、炎に焼かれて地に倒れる。
「やれやれ。セリオル超えたあ大したもんだ」
 白い森に立ち上がった火炎の柱にぞっとしながら、カインは頭を掻いた。彼は胸中で呟く。思った以上に手ごわい相手だ。
 そこに空中へ舞っていたシスララが流星となって突撃した。鋭い槍の切っ先が魔導師に襲いかかる。
 しかし蜥蜴の魔導師は、サリナにした時と同じように杖を掲げ、見えない力でシスララを押し返した。シスララは空中で迎撃され、為す術も無く地に転がった。ソレイユが威嚇の声を上げるものの、魔導師はそれには何の反応も示さない。
「来たれ水の風水術、結霜の力!」
 サリナに続いてシスララも弾き返されたのを見て、アーネスは攻撃を剣から風水術に切り替えた。凍てつく氷の粒が魔物を襲う。
「下らん技だ」
 魔物は、やはり杖を上げてアーネスの風水術を防いだ。水のマナは不可視の障壁に阻まれ、そこで力を失った。
「なんだ、もう仕舞いか貴様ら」
 その場から1歩も動かずにサリナたちの攻撃を全て防いで、魔物は涼しい顔だった。対するサリナたちは、心の中に湧き上がった戦慄を御しきれず、奥歯を噛む。
「手ごわい、ですね」
 いつ魔物が魔法を使っても回避出来るように、サリナは敵を見据えて棍を構えている。焦燥が心を占める。
「あの防御の術をなんとかしねえとな」
「魔法も厄介ね。さっきみたいなのを向けられたら、避け切るのは難しいわよ」
 カインとアーネスが素早く相談する。しかし彼らにも、攻略の糸口は見えないようだった。サリナは焦った。ひとまず、彼女は呪文を詠唱する。
「守護の鎖。我等に加護を、マナの精霊――シェル!」
 緑色の鎖がサリナたちを覆う。マナを防ぐ守護の魔法。魔法を受けてしまっても、少しは軽減してくれるはずだ。
「愚者よ見よ、その目が映すは我の残り香――ブリンク! 古の戦を制せしかの城の、世界に冠たる堅固なる壁――ストンスキン!」
 幻影と堅守の魔法を立て続けに詠唱する。それを、邪悪な魔導師はにやにやと笑いながらただ黙って見ていた。そんなことをしても無駄だ、と言われているようで、サリナの胸を嫌な予感が満たす。
「アシミレイトでいくか?」
 クロイスが提案した。しかしそれに、アーネスが首を横に振って答えた。
「相手は幻獣を封じてしまう奴よ。この状況でアシミレイトするより、あいつの弱点を探すのが先決」
「わかりました、弱点ですね」
 アーネスの言葉に真っ先に反応したのは、シスララだった。彼女は槍を収め、扇を取り出した。アーネスは不思議そうに彼女を見たが、すぐに察したようだった。
「花天の舞・ライブラジグ!」
 シスララが美しく舞う。舞いはマナの粒を集めた。仲間たちの身体を、マナの粒が祝福する。
「相談は終わったか?」
 魔物は不快な声で尋ねてきた。誰もそれには答えなかった。
「まあいい。こっちからいくぞ」
 魔導師は杖を振った。魔物が何体も現われる。その中には、森で倒した牡鹿や大熊の魔物と同種のものも存在した。魔導師が号令をかける。魔物たちが一斉に、こちらへ向かって突進を開始した。
 その突進を、サリナ、カイン、クロイスの3人が迎撃する。真紅の乱撃が、鞭の驟雨が、刃の煌きが、白き魔物たちを打ち倒していく。
 その間、シスララは舞を続けた。美しいマナの粒が風の流れのように広がり、仲間たちの元へ届く。
「花天の舞・オーラジグ!」
 シスララが集めた新たなマナの粒は、サリナたちに力を与えた。それは重く鋭い一撃となって、白き魔物たちを打倒する助けとなった。
 舞いを終えたシスララに、巨大な角を振りかざした牡鹿の魔物が襲いかかった。シスララは舞を終えたところで、ほんの少しだけ反応が遅れた。ソレイユが気づいて飛び出そうとしたが、牡鹿はそれ以上に速かった。
 牡鹿を止めたのはアーネスだった。彼女は蒼穹の盾で牡鹿を食い止め、渾身の力でルーンブレイドを振るった。天狼玉の刃は牡鹿の角を易々と切り飛ばし、悲鳴をあげさせた。
「霜寒の冷たき氷河に抱かれし、かの冷厳なる氷の棺よ――ブリザラ!」
 奥でサリナたちに力を与えているのがシスララだと見抜いた魔導師が、氷塊の魔法を放った。魔法は戦場を切り裂いて、シスララへと一直線に飛んだ。
「妙なことをしているからそうなるのだ」
 魔導師は氷塊の魔法を立て続けに放った。恐るべき水のマナが、いくつもの軌跡を描いてシスララへ向かう。
 だが、そこにはアーネスがいる。
「騎士の紋章よ!」
 アーネスが掲げると、騎士の紋章はブルーティッシュボルトに力を与えた。光の盾となったブルーティッシュボルトは、襲い来る氷塊の魔法をことごとく遮断した。
「こんなもの、あのゼフィールの王の攻撃と比べれば、大したことはないわ」
 そう言い放ったアーネスの目には、魔導師が持つ杖が映っていた。さきほどまでは見えなかったが、今の彼女にははっきりと見えた。その杖の宝玉から、邪悪な波動が生まれている。
 クロイスが魔導師に矢を放った。敵は杖を掲げる。邪悪な波動が強まり、盾となって矢を防いだ。サリナたちは確信した。あれが不可視の障壁の正体だ。シスララの舞によって見えるようになった、あれが真実な姿なのだ。
 アーネスとシスララが飛び出した。ふたりはそれぞれの武器を構え、魔物を蹴散らしながら魔導師へと走る。
「シスララ、私たちは囮。いいわね?」
「はい、アーネスさん」
 簡単にそれだけの言葉を交わして、ふたりは魔導師の前に出た。魔導師は蜥蜴の目でふたりを睥睨する。ふたりの戦士は全身の力を込めて剣と槍による攻撃を繰り出した。
 しかし魔導師が杖を振り、ふたりは邪悪な波動によって弾き飛ばされた。
「何度やっても同じことだ。そろそろ学習したらどうだ」
「トカゲの分際で偉そうなこと言ってんなよ!」
「たっぷりくれてやらあ!」
 カインが獣ノ箱を解き放ち、クロイスは炎のマナを纏わせた矢を何本も放った。青白い炎の獣と、燃え盛るマナの炎とが空を切り裂いて魔導師に迫る。
「鬱陶しいやつらめ」
 ガラガラとした声でそう言って、魔導師はまたも杖を掲げた。獣と矢が力を失い、魔導師は何事も無かったかのように平静だった。
 ――しかし。
「魔の祝福受けし汝の驕慢を、忘れさせよう我が剣にて――ディスペル!」
 目の前の攻撃に気を取られた魔導師は、そのマナが練られていたことを見落としていた。半透明の剣が魔導師を――いや、その手にある杖を狙って飛んだ。
 剣は杖を貫いた。その瞬間、杖から湧き出していた邪悪な波動が断ち切られ、その力を失った。
 魔導師はあまりのことに言葉を失い、茫然として力を失くした杖を見つめた。
 そこへ真紅の風が来た。脅威の速度で襲来した疾風が、魔導師のわき腹を痛烈に打ち抜いた。魔導師は声も無く、白き草に覆われた大地を転がった。
「よし、効いた!」
「どうだ、ざまあ見ろ!」
 カインとクロイスが歓声をあげる。
 サリナは地に転がった魔導師を見つめた。まだ終わっていない。彼女の直感がそう告げていた。
「天の光、降り注ぐ地の生命を――」
 サリナは耳を疑った。その声は、明らかに魔導師のものだった。
「あまねく潤す恵緑の陽よ――ケアルラ」
 ゆっくりと立ち上がった蜥蜴の魔導師は、回復の魔法を詠唱した。それはサリナの理解を超えた現象だった。
「そんな……黒魔法も白魔法も使えるなんて……」
 あまりのことに口に手を当てて、サリナは呟いた。
 昔、ダリウから聞いたことがあった。世の中には、白と黒、ふたつの魔法のいずれも扱うことの出来る者がいると。しかしそれは、極めて稀な存在だと。なぜなら、両方の奥義と呼ばれる最高位の魔法まで、全てを会得しなければならないからだ。そうでなければ、同時にふたつの魔法系統を操ることは出来ない。
「クックック……」
 ダメージを回復して、魔物はゆっくりとこちらを向いた。その目には、杖の力が失われたことによる危機感のようなものは、全く見て取ることが出来ない。
「そこの小娘は、どうやら気づいたようだな」
 不快な声が言ったことを、サリナ以外の仲間たちはすぐには理解出来なかった。だからサリナは、鋭い声で警告を飛ばした。
「気をつけてください! あの魔物は、白と黒両方の最高位魔法まで、操ることが出来ます!」
 その言葉は、仲間たちの背中に冷や水を浴びせかけた。最高位の魔法。黒魔法のその威力が、どれほどのものか。白魔法のその治癒力の、いかほどのものか。破壊と回復を究極まで修めたのが、このおぞましく醜悪な魔導師だというのか。
「おい、どうする? どうすりゃ勝てる?」
 カインが呟いた。彼らしくなかった。余裕が失われていた。その事実が、サリナの危機感を煽った。
「回復する暇を与えずに、一気に決めるしかないわね」
 アーネスは冷静だった。さすがは金獅子隊の隊長である。状況のまずさの中で、それを的確に分析していた。
「アシミレイトか」
 カインの言葉に、アーネスは頷いた。そして口を開き、補足する。
「でもいきなりリバレートはだめよ。どんな防御をしてくるかわからないから」
「ああ、そうだな」
 そうしてシスララ以外の4人がリストレインを掲げた時だった。あのガラガラした声が、次なる詠唱を開始した。
「天空の守りの盾を授からん――プロテス」
 白き光が魔導師を覆う。
「守護の鎖。我等に加護を、マナの精霊――シェル」
 緑の鎖がマナを防ごうと、魔物に絡みつく。
「愚者よ見よ、その目が映すは我の残り香――ブリンク。古の戦を制せしかの城の、世界に冠たる堅固なる壁――ストンスキン。」
 幻影が魔導師の姿と重なり、金色の光が魔物を包む。防御の体制が完成した。その守りがどれだけのものかは、サリナたちがよく知っていた。
 手も出せず、ただ彼らは魔導師の詠唱を見送った。それだけ、敵の詠唱は速く、マナの扱いは巧妙だった。
「くそっ……」
 カインの声は苛立っていた。これまで自分たちを助けてきてくれた魔法、しかもそれ以上に強力な魔法まで操る敵。しかもこちらには、その詠唱をさせないための静寂の魔法も無い。あれは黒魔法だからだ。
「クハハハハハ」
 邪悪な魔導師は不気味な笑い声をあげ、杖を掲げた。
「では、見せて差し上げよう。上級黒魔法の、威力を」
「しゅ、守護の鎖。我等に加護を、マナの精霊――シェル!」
 サリナは守護の魔法を再び詠唱した。さきほどの使っている。気休めだった。
「終末に神が放ちし聖なる火――」
 魔導師が詠唱を始める。
「とりあえずアシミレイトだ! なんもしねえよりはマシなはずだ!」
 カインが指示を出し、サリナたちはシスララを除いて、リストレインを掲げた。
 真紅、紫紺、紺碧、琥珀の光が現われる。シスララは初めて見る神々しい光に胸を打たれた。
「アーネス、シスララを守ってくれ!」
「わかったわ!」
 カインの言葉に、アーネスは迅速に動いた。シスララの前で、騎士の紋章を掲げる。
「世界を壊す黄昏に――」
 敵の詠唱は続く。サリナは皆の様子を見た。狼狽している。恐ろしい魔法が放たれようとしている。サリナは問いかけた。サラマンダー、どうしたらいい?
「色艶やかなる業火の祝福――」
「サリナ、身を守れ! 早く!」
 カインの声が聞こえ、サリナは振り返った。カインは見た。サリナの表情を。そして彼は、目を見開いた。
「――ファイガ」
 恐るべき大きさの火球が、魔導師の手の中にあった。クロイスは慄いた。その威力を想像し、彼は小さく震えた。呼吸が苦しい。
 そして、彼らは見た。火球が放たれるのを。
 ――その前に、サリナが飛び出すのを。
 カインは見た。サリナは、笑っていた。