第8話

「清浄な癒しの光の降らんことを――ケアル!」
 野盗の首領が呼び鈴を鳴らすより早く、サリナが詠唱した。瞬時に白い光がサリナとセリオルを包み、次に光はカインとフェリオの元へと飛んだ。
 4人はゆっくりと立ち上がった。それぞれに攻撃を受けて痛めた箇所を手で押さえている。
「やれやれ。手下は雑魚なくせにボスはとんでもねえな」
 立ち上がったカインがそう言った。彼らは気付いていた。この男の驚嘆すべきは、その防御力だった。腕力や速さも凄まじいが、攻撃を受けなければ問題ではない。サリナはこの男よりも速い。サリナが近距離、カインがそれよりやや離れた地点、セリオルとフェリオが遠距離から攻撃すれば、普通の体の人間相手ならば問題無いはずだった。
 しかしこの男には、どういうわけか打撃も魔法も効果が無い。これではサリナやカインによる足止めは意味をなさない。
 4人が立ち上がっても、首領はソファに座ったままでにやにやとしている。サリナがもう一度癒しの魔法を唱え、4人の体力はかなり回復した。それを待ったかのように、首領が立ち上がった。
 総攻撃が開始された。サリナが敵に肉薄し、バランスを崩させるために脚への攻撃を試みた。その隙にセリオルの詠唱が始まる。
「捕縛せよ。自由を奪う毒蛾の燐粉――パライズ!」
 神経を麻痺させる魔法がかけられた。首領の動きが鈍る。そこへカインの獣が襲いかかった。
「ヴァイパー・バイト!」
 青白い大蛇が毒液を吐き出した。動きを止められた首領の右脚に、毒液が降りかかる。と同時にサリナの渾身の一撃が、右の膝裏へ叩きこまれた。避けることもできず、ガクッと膝が折れる。毒液は首領の肌を焼き、その身体を毒で侵した。
 フェリオの弾丸が飛来する。サリナが攻撃した右脚の腿を長銃の弾丸が撃ち抜いた。たまらず、敵は片膝をついた。野獣のような咆哮と共に。
「麻痺や毒が効くということは、無闇に頑丈なだけの普通の人間です」
「無闇っぷりが人間じゃないよお」
 敵を挟んで、サリナとセリオル、カインとフェリオが固まって相対する陣形となった。右脚を集中攻撃して、やっと片膝をつかせることができた。首領は怒りに満ちた目でこちらを睨んでいる。麻痺が解けてきたのか、立ち上がろうとしている。
「闇の蛇、命を喰らう彼のとぐろ――ポイズン!」
「天空の守りの盾を授からん――プロテス!」
 敵が立ち上がった。セリオルの毒の魔法が発動する。同時にサリナによって、4人に物理的なエネルギーを相殺する守りの魔法が掛けられた。蛇の毒に加えて魔法の毒も受けた首領が、わずかに動きを鈍らせた。しかし麻痺の魔法ほどの効果は無い。敵はカインに標的を定め、距離を詰めようと動いた。
「さっきの動き止めるのはもう使えないのかよ!」
 叫びながらカインは敵と距離を取った。麻痺の魔法は一度使うと相手にしばらく耐性がついてしまうというセリオルの声が聞こえた。その声はカインに苦虫を噛み潰したような顔をさせ、野盗の首領には会心の笑みを浮かべさせた。
 轟く唸り声と共に敵が近付いてきた。フェリオの弾丸がその肩を狙うが、走り来る巨体による震動で狙いが逸れる。フェリオは舌打ちをし、即座に銃を組み替えた。
 恐ろしい重さで振り下ろされる棍棒を、カインはなんとか回避した。鞭を巻きつけて動きを封じてやりたいところだが、この相手に腕力で勝負を挑む馬鹿はいない。カインは獣ノ箱から最後の獣を解き放った。
「キラー・ウィング!」
 青白い炎の大鳥は鉤爪を広げて強襲したが、棍棒の衝撃に露と消えた。
 サリナの黒鳳棍による鋭い突きが男の右脚を襲った。その攻撃は、さきほどフェリオが撃ち抜いた箇所を精確に突いた。うめき声を上げて男が膝をつく。フェリオの弾丸が飛来する。それは銃弾ではなく、短い銛のような物体だった。ボウガンの矢に似ている。右腿の傷にそれは突き刺さった。首領はたまらず叫び声を上げた。
 それを見たセリオルが呪文を唱えた。
「天を走る神の怒りの申し子よ――サンダー!」
 雷撃が炸裂した。それは銛を伝って、敵の体内を焼いた。続けざまに、セリオルは薬品の瓶を投げつけ、隠し持っていたナイフを投げて敵の頭上で瓶を割った。瓶からは酸性の液体が降り注ぎ、首領の肌を焼く。
 かなりのダメージを与えたかに見えたが、まだ敵は膝をついただけである。顔を真っ赤にして怒りに震える唸り声を上げ、彼は立ち上がった。
 最初に犠牲になったのは、またしてもカインだった。獣ノ箱を使い切った彼は、何かの印を結ぶように両手を組み合わせた。しかしその直後、恐るべき威力の棍棒が彼を吹き飛ばした。彼は壁に激突し、意識を失った。
 振り返りざま、首領はサリナを攻撃した。サリナはこれを回避し、右脚に攻撃を仕掛けるべく態勢を低くした。そこに左脚での蹴りが飛んできた。これまで腕での攻撃一辺倒だったため、下からの攻撃に油断していた。ガードが間に合わず、サリナは床に転がって動きを止めた。
 セリオルは既に魔力の枯渇を自覚していた。そのため、彼は強酸性の薬品を使った攻撃に切り替えていた。いくつかの瓶が敵に到達したが、全て棍棒の一振りで払い除けられた。酸は空しく床を焼いた。サリナが倒されたことに激昂した彼は、催涙効果のある薬品を投げつけ、すぐに回復効果のある薬でサリナの回復を図った。しかし瓶をかわしていた首領が彼に接近し、拳で彼を打倒した。
 フェリオの銃弾が首領の肩を撃ち抜いた。効き腕が上がらなくなった首領は、棍棒を左手に持ち替えてフェリオに接近した。このままでは勝てない――フェリオは覚悟を決めた。そう、このままでは勝てない。
「兄さん、あれ使うよ」
「いや、俺がやる」
 フェリオの声に、気絶していたはずのカインが立ち上がった。彼は獣ノ鎖を取り出していた。しかしその握りの部分が、以前とは異なっていた。それは紫紺の光沢を放つ、金属質の物質で包まれていた。3つの穴が開いている。そのうちのひとつには、紫色に輝く水晶が嵌め込まれていた。
「やりすぎだぜ、お前。調子に乗るんじゃねえよ」
「雑魚は雑魚らしく寝てろや、クズが」
 自分に向き直って荒々しくそう言い放つ敵に向かって、カインは獣ノ鎖を掲げた。
「これで終わりだ――奔れ、俺のアシミレイト!」
 カインが叫ぶと、眩い輝きと共に紫紺の金属が変形した。大きく広がったかと思うと、いくつかに分離してカインの身体の各所に巻きついた。まるでカインを守る鎧のように。兜の部分に水晶が輝く。神々しい紫紺の光が部屋を満たした。
 その強烈な光に目を覚ましたサリナとセリオルは、カインを見て驚愕した。あの金属は、見たことがある――そう、フェイロンを旅立つ前日、セリオルからサリナに渡されたあの謎めいた物体、リストレインだ。
「まさか……。彼はアシミレイトを使いこなすのか」
 セリオルが信じられないという口調でそう小さく呟くのを、サリナは聞いた。
「なんだそりゃあ。こけおどしか? くだらねえことしやがって」
「くだらねえことしてんのはお前だろうが。このタコ」
 カインの挑発に、単純な男は歯を剥いて怒り、棍棒を振り上げて突進した。だが彼がカインに到達するより早く、紫紺の鎧を纏ったカインが叫んだ。
「リバレート・イクシオン。トール・ハンマー!」
 カインの頭上にさきほどと同じ、強烈な紫紺の光が現れた。クリスタルがリストレインから分離し、光の中で変形していく。それは稲妻のように鉤型に折れ曲がった1本の角を持つ、大きな馬のような生物だった。その角から雷光が迸る。紫電と呼ぶに相応しい、高圧の雷の塊。放出された雷は生き物のように空中で踊り、やがて巨大な槌へとその姿を変えた。
 その信じがたい光景に、野盗の首領は後ずさりした。逃げた方がいい、と彼の本能が囁いていた。しかし足がすくんでしまい、言うことを聞かない。身体にまわった毒も具合が悪い。彼はカインの腕が振り下ろされるのと同時に、その悪夢のような雷撃が自分に襲いかかるのを、茫然と見つめた。
 轟音が鳴り響き、雷の槌が打ちつけられた。それは首領もろとも部屋の床を破壊した。その暴威は砦を崩壊させるに十分だった。元々大工でもなんでもない野盗たちが、いい加減に組み上げた砦だった。カインの攻撃による衝撃で、2階、1階と次々に床が抜け、砦はがらがらと崩落した。
 外はもう夜が明けていた。昇ったばかりの太陽の、まだ柔らかい光が大地を照らしている。
 サリナたち4人は、崩れる足場をなんとか踏み外さないようにして、うまく地上に降り立つことができた。崩落の途中、サリナは首領の部屋から転がり落ちる、あの老夫婦の荷物を視界に捉えた。着地した際、サリナは荷物を回収した。中の木彫りの人形は奇跡的に無傷だった。彼女は胸を撫でおろした。
 カイン自身もここまで砦を破壊するとは思わなかったようで、地面に足を着けてからしばらくは周囲を見渡して呆然としていた。既にリストレインの鎧は解除されていた。
「いやあ。はっはっは。いやいや、まさかこんなことに」
 腰に手を当てて爽やかに独り言を口にしている。サリナとセリオルは、そんなカインを驚きの冷めやらぬ目で見つめていた。
「すっごかったねえ……」
「まさか彼もリストレインとクリスタルを持っていたとは。しかもアシミレイトを使いこなしているなんて……」
「アシミレイト?」
 サリナの質問にセリオルが答えようとしたところに、フェリオが首領を見つけたと皆に呼びかけた。説明は後ですることにして、サリナとセリオルもフェリオたちのところへ向かう。
 驚くべきことに、あれだけの衝撃を受けておいて、野盗の首領は絶命していないようだった。かすかにうめき声を上げている。とはいえその全身は雷撃によってかなりの火傷を負っていたため、このまま放っておけばいずれ命を落とすだろう。
 サリナは首領に癒しの魔法を掛けた。カインとフェリオは驚いていたが、彼らの目的は野盗を全滅させることではなく、捕まえて盗んだ物を返させることだと言い聞かせた。カインは「いや全滅させることだったんだけど」とぼそっと言ったが、無視された。
 野盗たちは、首領も含めて完全に戦意を喪失した。全員大人しく捕縛の縄にかかり、ぞろぞろとユンランの村への行進を開始した。
「あのおじいさんとおばあさん、喜んでくれるかな?」
「ええ。同時に心配もされるでしょうね」
「あちゃあ」
 行列の最後尾で、サリナとセリオルは眩しい朝焼けに目を細めていた。帰ったらぐっすり眠りたい、とサリナは願うのだった。

挿絵